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(回答先: 暫しのcooling‐off periodを設営することがよいのかも知れません。 投稿者 如往 日時 2007 年 12 月 05 日 21:41:09)
>暫しのcooling‐off periodを設営することがよいのかも知れません。
日は今回理念と人格の不一致という理由を付けられて、同志から短期間で去られました。そのことを如往さんは
授与の連鎖http://www.asyura2.com/07/idletalk27/msg/435.htmlで
「これは必ずしも相手に人格の高潔さや理念(価値観)の一致を求めることではありません。」と仰ってくださりました。
にもかかわらず、今度は日の交友相手を理由にコンタクトすらも保留されるのでしょうか。
理念にとってこれは同じ扱いを受けた事になります。
日や日の友人が理由で、「この世の悲惨を無くす術」自体が葬られる理由とは成り得ません。
故に、これはと思う出会いがあった時、壁と言うものは自らが取り去らねばなりません。
日も普段は壁を張り巡らしていますが、秘密を明かすと言う事を含めて、如往さんには取り払う、これはその大儀の為であり、その礼の体現です。
その上で去られる事も受容する覚悟の上で、お誘いしているのです。日の現実をご覧頂き、後はどの様な判断を下されようとも構わないのです。
しかし、保留も止むを得ません。了解いたしました。
> これに関連して、是非日さんに伺っておきたいことがありました。それは「この世の悲惨を本気で無くしたい」とする日さんの動機の本源(動機性の起点にあるもの)とは何かということです。おそらく、遅かれ早かれ私だけではなく誰もが日さんにたいし同様な問い掛けをするでしょうし、またそれが誰彼にとっても何らかの分岐点乃至は新たな出発点になるはずです。近い将来の何かの機会に阿修羅の板上にてご回答願えますならば、幸甚に思います。
「この世の悲惨を本気で無くしたい」という文言はポスターのキャッチコピーのようなものです。これを否定される方はいないでしょうが、熱烈に同意される方も少ないだろうと思います。大多数は「自らの処世以外には無関心」だからです。
つまり、この文言に心動かされ、ともかくはコンタクトしていただける希少な方を対象とした文言ですから、その動機の本源は公開で話す必要性を感じません。