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(回答先: Re: 「この世の悲惨を本気でなくしたい」とは、本当にキャッチ・コピーの類いだったのですか。 投稿者 日 日時 2007 年 12 月 07 日 02:03:30)
日さん、こんにちは。
私は日さんから「奪おう」とするエネルギーは全く感じませんし、束の間の同志であった方もおそらく同じような心境ではなかったのではないかと、“結果報告”で紹介されているメールにも観取することができるのではないでしょうか。けれども、「与えん」とする日さんのエネルギーがなかなか伝わらず、また相手の方もそれを正確に受けとめることができぬまま、訣別するに至ったと云うのが事の真相ではないかと想っています。
ところで、日さんは少し煮詰まってしまわれてはいないでしょうか。このままでは誰もが肝心な処で結局は引いてしまうことになるのではないかと懸念されます。私は過去に幾度も様々な状況で、物事ではなくて仲間同志の心が煮詰まった場面に遭遇しましたが、挙句の果ては何れも憎悪を副産物にした不毛な結末があるだけでした。今では “感性を論理で捉えることができなかったこと”、それ以前に“問題を飽くまで理論で突き詰めなかったこと”に、それ等の主たる原因があったと自己総括しています。これから導かれるものとして、“問題には飽くまで理論的に対処していく”と云った基本的合意形成がなされ、それを遵守していこうとする見識こそが情緒的に煮詰まるのを防ぐ唯一の手立てになり得ると考えるに至っています。
来訪を二度までも促してみて来社がない場合、当分の間はクライアントになる確率は一割以下であり、それ以上のコンタクトは停止すべしとするコンサルタント業界の営業心得があります。こうしたビジネス界の常識を直ちに日さんが語る“熱意”に重ね合わせることはできませんが、これを踏まえてエネルギー空間的にもニュートラルな場を設定することには意義があるのではないかと想われますし、お互いにとって無駄なエネルギーを使わずに済むのではないかと思います。人材を公に募ろうとしたとき、ある程度自身のことを開示するのはやむを得ず、そのような覚悟がなければ真に運動の核となるべき存在に出会うことは難しいのではないでしょうか。勿論、自己の求心力に自信があるというのならば話は別なのでありますが。
それよりも、どうしたら互いがクロスオーバーできるのか、今後とも自問を続けていかねばならないと考えています。そのためには、もっとお互いに正直になったほうがよいのかも知れません。必ずしもそれはお互いの事情を明らかにすることを意味しませんが、まだそれほど情が通っていない段階では双方の心積もりに反して限りなく個人間の価値観の擦り合わせに近いものにならざるを得ないでしょう。また、価値観の全面的な一致を望むことなどは到底不可能ですが、取るに足らぬことだと想い隠蔽したままでおくと、ひと度それが露わになったときに生じる軋轢が訣別の決定的な原因になるケースが看過でき得ぬほど多いのも現実です。もし、これがビジネスならば簡単に割り切れるのですが、そうはゆかないのが悩みの種なのです。
また、会いましょう。