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(回答先: 「この世の悲惨を本気でなくしたい」とは、本当にキャッチ・コピーの類いだったのですか。 投稿者 如往 日時 2007 年 12 月 06 日 23:56:58)
如往さん、真摯にお付き合いくださっていることに感謝しています。
> 現段階では壁を取り去ろうとすることが開城や礼の体現までをも直ちに意味することにはならぬのではないでしょうか。それどころか、私は城下にも達してはいないのですし、それまでに此方側にも確認しておきたいことがあるのです。その中心的なものが自身に何を求められているかということであり、事業の主旨もしくは掲げられている理念はそれを捉えるための手立てになります。さらに、近しい間柄の賛同者や支持者等の人達を中心人物がどう評価しているかを知ることは、組織運営のブレを修正していく場合に有効ですし、同時に経営主体の力量判定の十分条件にもなり得ます。以上はコンサルタント(?)的な見解なのですが、これは私なりの城下に到達するべく自身の壁と日さんのそれを同時並行的に取り外そうとする作業の一環でもあったのです。
そのお気持ちは大変有り難く思っています。その上であえて申し上げるならば、此度の募集は核となる同志を募るだけでなく、互い同志間の「絆」を如何に求めるかも秘策となっているのです。それは以下の投稿に記しました。
http://www.asyura2.com/07/idletalk26/msg/542.html
【世界は全てが敵の城内だということです。
敵の城内で、同志間の不信は「埋伏の毒」となります。これに対する「苦肉の策」で同志を守ることこそが戦略の第一歩です。
外部からの圧力や抹殺を受ける位にまで成長するならまだしも、健全な世界システムを構築する前に、せっかく得られた同志を失うケースは様々に想定されます。同志間の争い、裏切り、情報漏洩は命取りになります。最初の同志こそが重要なのです。】
これに関してなにも言及されずに、ただ公開的に行なう運動を主張されるようでは甘いと言うだけでなく、過去の失敗も教訓としていない、無責任な学生運動で終わり、すごろくは振り出しに戻るということです。
>阿修羅に集う人々の総てとは申しませんが、件の最大多数の最大幸福氏をはじめとする多くの人達が、行動を前提にしてそのための方法(理論)を模索・探求しているのではないかと推察しています。その方々に向けて果たしてキャッチ・コピーなるものが必要だったのでしょうか。少なくとも私はキャッチ・コピーとは受け取ってはいませんし、たとえ遠路であっても情報の発心地に出向くことは、熱意を云々するまでもなく至極当然のことだと考えています。それ故、ここが結節点に転化し得る重要な分岐点になるとの観方から、その動機の本源を問うてみたのであり、それを公開で語ることに何か不都合があるのでしょうか。
それから、阿修羅限定募集であるならば、『大多数は「自らの処世以外には無関心」だからです。』との認識はあくまでも傍らに置いておくべきではなかったのではないでしょうか。そうした他者への不信感が究極的には築き上げられた信頼関係(信用)の瓦解となって日さん自身に撥ね返って来ることにもなり兼ねないと思量します。
阿修羅に集うからといっても、甘く、身勝手な見識が多くて実は閉口しているのです。焦点の絞られていない議論に多くの言葉を費やす徒労も感じます。それを言えば口論となり、延々とPCの前に拘束されている時間の割りに、結論も行動も生まれない。
それが『大多数は「自らの処世以外には無関心」だからです。』の隠し切れない産物だと思っています。
キャッチコピーだからといって何を落胆されるのですか?日の本心です。偽りなどではありません。
その本源を理解し得るものならば、同様の本源を持つ者ではありませんか?多言は無用でしょう。
多言を労してようやく伝わる相手とは第二段階での募集で良いのです。
日はそのような者の誤解や不信にもう付き合うつもりはありません。如往さんは別です。