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(回答先: Re: 暫しのcooling‐off periodを設営することがよいのかも知れません。 投稿者 日 日時 2007 年 12 月 06 日 12:14:02)
日さん、こんにちは。
物事を最後まで遣り抜こうとするそのタフさにおいて実践家を、同じくスペシャリティーの確かさにおいて理論家を、私は尊敬に値すると考えています。日さんにとってあっしら氏がどんな存在であったのかは量り知れませんが、あっしら氏の博覧強記の考察に何かしらの示唆を受けたと感じているのはおそらく私一人ではありますまい。しかしながら、これ以上は殊考察者k氏については触れないでおきましょう。
>日や日の友人が理由で、「この世の悲惨を無くす術」自体が葬られる理由とは成り得ません。故に、これはと思う出会いがあった時、壁と言うものは自らが取り去らねばなりません。日も普段は壁を張り巡らしていますが、秘密を明かすと言う事を含めて、如往さんには取り払う、これはその大儀の為あり、その礼の体現です。
現段階では壁を取り去ろうとすることが開城や礼の体現までをも直ちに意味することにはならぬのではないでしょうか。それどころか、私は城下にも達してはいないのですし、それまでに此方側にも確認しておきたいことがあるのです。その中心的なものが自身に何を求められているかということであり、事業の主旨もしくは掲げられている理念はそれを捉えるための手立てになります。さらに、近しい間柄の賛同者や支持者等の人達を中心人物がどう評価しているかを知ることは、組織運営のブレを修正していく場合に有効ですし、同時に経営主体の力量判定の十分条件にもなり得ます。以上はコンサルタント(?)的な見解なのですが、これは私なりの城下に到達するべく自身の壁と日さんのそれを同時並行的に取り外そうとする作業の一環でもあったのです。
>「この世の悲惨を本気で無くしたい」という文言はポスターのキャッチコピーのようなものです。これを否定される方はいないでしょうが、熱烈に同意される方も少ないだろうと思います。大多数は「自らの処世以外には無関心」だからです。つまり、この文言に心動かされ、ともかくはコンタクトしていただける希少な方を対象とした文言ですから、その動機の本源は公開で話す必要性を感じません。
阿修羅に集う人々の総てとは申しませんが、件の最大多数の最大幸福氏をはじめとする多くの人達が、行動を前提にしてそのための方法(理論)を模索・探求しているのではないかと推察しています。その方々に向けて果たしてキャッチ・コピーなるものが必要だったのでしょうか。少なくとも私はキャッチ・コピーとは受け取ってはいませんし、たとえ遠路であっても情報の発心地に出向くことは、熱意を云々するまでもなく至極当然のことだと考えています。それ故、ここが結節点に転化し得る重要な分岐点になるとの観方から、その動機の本源を問うてみたのであり、それを公開で語ることに何か不都合があるのでしょうか。
それから、阿修羅限定募集であるならば、『大多数は「自らの処世以外には無関心」だからです。』との認識はあくまでも傍らに置いておくべきではなかったのではないでしょうか。そうした他者への不信感が究極的には築き上げられた信頼関係(信用)の瓦解となって日さん自身に撥ね返って来ることにもなり兼ねないと思量します。
また、会いましょう。