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(回答先: Re: これを奇貨とされますよう、心から願っております。 投稿者 日 日時 2007 年 12 月 10 日 23:40:03)
日さん、今晩は。
>如往さんが今回個人メールコンタクトすらも保留される理由が、コンサルタント業務の所以としても、詰る所Kさんとの関係にあるとする所が理念にとっては理不尽であり、なんとしても無念です。
例えば恩義とも言い表されるような日さんが考察者k氏にたいし感じているものや関係の経緯に拘っている訳ではありません。それが“無念である”とする日さんの悲嘆を招いたことには少なからず意外な感じを覚えていますが、断じて“無念”と考えるに及ぶべきではありません。何故なら、私は当事者能力及び当事者意識で構成される考察者k氏の現時点での問題意識を日さんがどう評価しているのかを尋ねているのであって、たとえ得心されることは叶わないとしても、私がそれを知りたいとする理由については今までのレスからご理解いただけるものと想っています。
>理論を重視されるのであれば、望むところです。しかし、公開掲示板という様々な理解力の混沌とした世界でのやり取りの危険と徒労を思えば、本心はキャッチフレーズ程度にしか出せないのです。本源という重量を伝えるには相手を選ばねば渡せませんし。正に重いですから。それに溶鉄の様に熱い。そんなもの更に日への誤解と不信を生むだけでしょうし。
“何故(なぜ)”を問わずにはいられぬ、半ば信条のようなものが私にはあります。“本源”とは根拠であり、怨念[ressentiment]であろうが義憤[righteous]であろうが物事を実現化していく駆動力の源泉であるはず、それが何たるかについては興味が尽きることがありません。そして、実際に相互にそれを確認(受容と承認)することにおいて“信”の構造が創生されるのだと考えています。(但し、とりわけ日本人が“何故を問うこと”を蔑ろにするのか、その理由を十分承知の上で、しかしそうした心根からの脱却を図っていかなければならないと思っています。)
>今回のやり取りは公開でしたから、日宛には以下のようなメールも寄せられております。
>【今回の件に対し、なんで、Kさんのことを とやかくいうのでしょうか・・さっぱり理解できません。阿修羅において・・・多分〜ですが、ここは あっしら信者が多く、いわば神のような?存在のあっしら氏に面とむかって異を唱えるKさんに対し、あっしら氏がいらだち、1行レス連発(阿修羅では、あっしら氏だけに許される行為=管理人さんも阿修羅の貴重な『資産』であるあっしら氏に対して注意できない・他のヒトはアラシ認定)で、阿修羅掲示板において 知性と品性が一致しないことの見本のようなやりとりー(中略)ー故に阿修羅では、Kさんに対しての逆風が強いのだろうと・・感じています。】
考察者k氏にたいするあっしら氏の批判の骨子は考察者k氏の投稿内容には全く発展性(成長の軌跡)が見られないことに尽きるのであり、自省することもなく相変わらず考察者k氏が意識不覚のままに論評を繰り返していることがあっしら氏の苛立ちの原因にもなっていたと考えています。重要なことはあっしら氏の考察は或る一定のバック・グラウンドや弁別意識に裏付けされていたことではないでしょうか。そのかぎりでは、考察者kの異論の多くが事実無根であり、殆ど論評の体を成してはいなかったと思っています。
>それにこの間、個人メールでコンタクトして頂いた阿修羅常連さん二名(ビッグです。お一人は見学済み。)とも、日は全力を尽くそうとしております。このような方々をこそ求めていますが、とてつもなく日には荷が重過ぎるのです。どうなるか。。。
>あらゆることが解決出来る、御伽噺のような世界システム。見学されたその方の忌憚なき様々な否定的見解に答え切り、全ての疑問点を解消させはしました。
>それは会うことによってしか伝えられない...日一人の力では限界は近い...カリスマ性は日一人にのみ宿るわけがない。確かにそろそろ煮詰まって来ています。
仕事内容それ自体が人の興味を引くものとは限らないでしょう。けれども、その場合には何故それをするのか、理由や大義といったものが必要になります。仕事内容には無関心で唯単に儲けたいとする欲求に応えるだけであったのならば、おそらくその人が大義に目覚めることはないでしょう。私にはそのことの方がより重要なのであり、『あらゆることが解決出来る、御伽噺のような世界システム。』は優先順位の二番目あるいは三番目に位置するに過ぎません。
事程左様に他者のコミットメントを惹き出すことは困難が伴なうしんどいものでしょう。日さんの想いのようなものは理解でき得ぬことではありませんが、もう少し肩の力を抜かれてもよいのではないでしょうか。
大抵の人間は緩慢なる死を望むが如くに保守的(現状維持志向)なのですから、自発的に血潮を滾らすことなど殆ど期待ができないかも知れません。それでも、大らかで落ち着いた心地の中(うち)に、何故「この世の悲惨をなくしたい」との思いに至ったのかについて切々と語り伝えることができたならば、成功へと向かう大いなる一歩となるのではないか、そんな祈りを込めて日さんにエールをおくりたいと考えます。
また、会いましょう。