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(回答先: コンタクトの、その前に。 投稿者 如往 日時 2007 年 12 月 04 日 00:07:52)
その疑念は日の眼力へ向けられてもいるのですね。
しかしお二人と日との関係はお二人の関係とは関係なく、日の自由であるべき事柄でもあるのではありませんか?
ここで挙げられた中にはいませんが、日にはない個性と実力を持っておられても、最初から対話もしたくない御仁というのはおります。
それは日の自由であり、そのような方とは話したくありません。しかし、如往さんはその方を評価していたりした記憶があるのですが(記憶違いでしたらお許し下さい。)、それは日の知ったことではありません。きっと、日の与り知らぬ良い面を如往さんなりに見出していると想定し、如往さんにのみ関われればよいのだと思うからです。
日が人を評価する基準とは@熱意(芯を持った冷徹の中にも見えるものです)とA礼儀(言葉遣いではなく)です。
とりあえずB以降は問題とはしません。
B以降の中にある理念や論理性、見識の違いは@Aがあればどこかで接点が必ず存在すると信じているからです。
皆が少しずつ違った並行宇宙に住む者同志なのですから、合意する所があれば、とりあえずその点でのみ協力、連帯しなくてはならないと考えています。そのカギとなるものは@Aであり、共通する姿勢は求道だと思っております。
Kさんとは見識も個性もだいぶ違うところはありますが、4人だけの非公開空間では長く@Aを満たす是々非々の対話関係を保てたことに友情を感じております。まだ面識はありませんが、信頼を置ける数少ない義士だと、日は勝手に思っております。
同志と言っても最後まで行動を共に出来る者もあれば、途中までの同道をするだけの者もいるでしょう。
しかし途中で道は分かれても、互いを裏切ったりすることは@Aがあれば無いと信じられればよいと思っています。
正に
>どこかで誰かが発想の大転換を図らないかぎりは今ある世界が閉塞していくのは必定であると想われます。
でしょう。