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(回答先: Re: 言葉の定義から始める問題でしょうか 投稿者 考察者K 日時 2005 年 5 月 22 日 14:53:43)
私も若い頃はムーなどを読みふけっていたものです。霊や超能力、超古代文明や宇宙人
などに興味をもち、ひょっとしたら本当に存在する現象なのかもしれないと、本気で調べ
ていたりしました。結果は総て空振りで、裏が取れなかったり嘘だとせざるとえなかったり
です。フィクションの世界を否定するつもりはありません。フィクション(想像・創造・つくりごと)をフィクションと認識できないと有害である場合が多いのですが「これはフィクションです。」という断り書きが入れられるわけではありません。
スーパーマンのマントを販売するときには「これを付けても空を飛ぶことはできません。」
と大きく表示する必要があるそうですが、リンク先のような記事にもそのような但し書きが
必要なのではないでしょうか。フィクションとはフィクションを通じて楽しみや慰安、深い
真実を追求すべきものであり、フィクションを真実に見せかける策を弄するのは本末転倒です。
オウム信者も、弁護士や一流大学出身者が、空中浮揚などの超能力を信じたのでしたね。
言葉の定義を定めて同一の定義で言葉を使わねば、話は始まりません。今日はベランダで
日光浴をしています、時々雲が太陽を覆います。「雲」とは実在するもの(物質)でしょうか。いや、大気中の水分が小さな水滴となりたくさん集まって光を遮り、それが「雲」として
我々には見えるのです。水滴は実在しても「雲」などと言うものは存在しないということも
できます。台風とか竜巻は実在するでしょうか。イスラエルという国家は実在するでしょうか。
「リンゴ」は実在しますか。「リンゴ」とはある果樹の実につけられた名称であり、個々の果
は実在しても「リンゴ」なんてモノはありませんね。「霊」とか「生まれ変わり」なども、言葉の定義を常に自分の中でも変えながら、遊んでいるだけの世界です。遊んでいてはいけませんということはありませんが、遊びは遊びとして認識できなければいけません。