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(回答先: Re: 議論の方向 投稿者 ピノキ 日時 2005 年 6 月 04 日 10:44:28)
そういうことはないですね。思い返すと助けてもらったとしか考えられないような、不思議な出来事なら何度かある程度です。
そんな事はともかく、科学や実証による裏付けや客観性を重視する姿勢を取る人は、そうでない人の盲信や狂信の危険性を懸念しますが、その姿勢にもリスクがあると言いたい。つまり待ちの姿勢になっており、一歩抜きん出た先進性、アイディアの創出、生産性が乏しくなり、やがて文明を閉塞状況へと追い込むことになるだろうと思われます。
命がけでしか手に入らない、自ら進んで採りに行かねばならない知識と言うのは、演繹の彼方にあり、実証による保障された土台に立つのではなく、想定する目標へ「えいや!」と自らの身を投げ出してしまう死を覚悟した決意から、ようやく得られる知識の事です。
盲信や狂信に陥る人が覚悟する決意と誤解しないで下さい。彼らの始まりにその覚悟はありません。洗脳された後に決意するのです。
そう、覚悟が先で決意が後です。その覚悟は何処から生まれたか?
怒りです。私の場合はこの社会の有様に猛烈に怒っております。