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最近はプロレスの話まで出てきているようなので、どうしても八百長に徹することができなかったあるベルギー人レスラーの話を一つ。
昔カール・クラウザーというレスラーがいた。ドイツ系ベルギー人であったが、1960年代に英国に渡り、マンチェスターにある有名なビリー・ライリージム(後に日本でも人気者となったビル・ロビンソンを輩出)で鍛え上げた。その後アメリカ各地での武者修行に転じ、19世紀、八百長がなかった古き良き時代の米国プロレス界で帝王と呼ばれたフランク・ゴッチの名前を借り、カール・ゴッチと改名した。贅肉のかけらもない鋼のような肉体と、ストイックなまでに規律を重んじるその生き方は物質万能・享楽的なアメリカ社会では全く異質な存在だったが、相手の背後に回ってそのままいぞりごしに持ち上げて強靱なブリッジでフォールする独特の原爆固め(スープレックス)は無敵で、実力から言えば歴代プロレスラーの中でもトップだ、と断言する評論家も多い。
しかし彼は手加減ということを知らなかった。「獅子はネズミさえ全力で倒す」の格言どおり、どんな相手にも全力で立ち向かった。力道山時代から何回か来日しているので、彼の試合を見たことのある人もいると思うが、若手レスラー相手の前座試合でも決して手を抜くことを知らず、クソ真面目で愛想笑い一つすることもなかったゴッチの人となりは、プロレス関係者の間では未だに語り草となっている。(因みにアントニオ猪木はゴッチの直弟子で、原爆固めも直伝だが、やはりゴッチのブリッジの美しさは桁違いだった)
アメリカでは当時ニューヨークにWWWF, (ブルーノ・サンマルチノで有名)シカゴにAWA(バーン・ガニア), 西海岸にWWA(ボボ・ブラジル)、全米でNWA(ジーン・キニスキー)と4つの団体が乱立して、それぞれが世界チャンピオンを擁していた。アメリカというのは巨大な田舎の集合体見たいなもので、自分の住む土地から半径200マイル以外に出たことはないという人も多いし、国民の80%はパスポートも持っていない。各地に「おらが町の世界チャンピオン」がいて絶大の人気を持っていたわけだ。だからよそもののレスラーは地元のチャンピオンとの試合では、「善戦はするけど絶対勝ってはいけない」が不文律だったのだ。
ところがゴッチはどうしても手抜きが出来なかったため、地元のファンの目の前で彼らの英雄を完膚無きにやっつけてしまうことも、一度や二度ではなかった。いきおいタイトルマッチには絶対お呼びがかからなかった。日本と同じで地元の英雄がよそ者レスラーをたたきのめすのだけが楽しみな当時のアメリカのプロレスファンには、美学的とさえ言えるゴッチのレスリングスタイルそのものを評価できるような洗練された鑑識眼はなかったのだ。
お座敷のかからなくなったレスラーの末路はいつも悲劇的である。「無冠の帝王」との呼び声も高かったあのゴッチがハワイで掃除夫として働いているのを見かけた、という噂を聞いてからもう10年にもなる。