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(回答先: Re: 釈尊が最終的に目指したものは法華経ー方便だと思います! 投稿者 ああ、びっくり 日時 2003 年 10 月 23 日 13:59:11)
意見が違うからといって言い争いは好ましくないというのはまさにそのとおりだと思います。
ただ、真実に到達しようという姿勢と、仏典で解釈が分かれる部分は重要視しないとする姿勢は
両立しないのではと自分は思います。
また、仏典は全部、作者が釈迦以外の人ですが、だからと言って根拠や理由がないまま
「この部分は作り話に違いない」としてしまうのでは単なる思い込みと同じになってしまいます。
ある部分が作り話だと主張する場合はその根拠や理由、基準といったものを述べるべきなのではと思います。
>>上記の説明による法華経とは、仏法(無常、無我、涅槃)のことを述べていると思います。
いいえ、この本の著者は法華経を仏法ではなくて妙法であると述べています。
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「法華三部教体系(総論)」(五井野正著) P.110
それは法華経が経の中でこの様な悪世末法の時にこそ護持重要性を説いているからです。
例えばそれを経の中から拾ってみれば
方便品第二に
舎利弗。諸仏出於。五濁悪世。
( 舎利弗、諸仏は五濁の悪世に出でたもう )
勧持品第十三に
於仏目滅度後 恐怖悪世中 我等当広説
( 仏の滅度の後の恐怖悪世の中に於いて我等当に広く説くべし )
「八十万億那由陀の諸の菩薩摩訶薩の誓願」
省略
と、五濁悪世、恐怖悪世、後悪世、末法、後末世欲法滅時、悪世末法、後五百歳、濁悪世と
いう語句によって、法華経がどんな時代に対応されているかが示されている。
これらの時代は釈迦滅度の後の時代であるが寿量品第十六に説かれるように
方便して滅度を示すだけで釈迦自身が滅する訳ではない。
それゆえ、末法、もしくは法が滅するのを欲する時という語句は釈迦の説いた法、もしくは
釈迦によって説かれた諸仏の法(阿弥陀経など)が滅する事を表わしているのである。
つまり、仏法は悪人や悪世という時代に対応していない。
大乗経典のどこを探しても仏の対告衆は菩薩のみで、時に声聞、縁覚の二乗、善男子善女人を
対象とする事があっても悪人や仏教誹謗者を対象とする事はない。
悪人の為に教える縁というものは仏教にはないのに、それがあたかも悪人や死んだ人の為にこそ
仏教があるかのように歪曲させた宗教が末法の時代にはびこってしまったからである。
それは仏教ではなくて仏教の袈裟を着て仏教に見せかけた邪教なのです。
では法華経は仏法ではないのか?
何故なら、仏法ならば悪世末法の世には広まらないからである。
この答えは、法華経は仏法ではなく仏法を越えた妙法だからである。
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それから、釈迦が2500年前の人というのは間違ってる可能性が高いようです。
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「法華三部教体系(総論)」P.22
釈迦の滅度の年代は西洋仏教史観から推測するのは正道ではなく、日本の仏教思想に流れている
西暦紀元前九四九年が内道の仏滅年数となります。
大集経に五箇五百歳が説かれていますが、それに年代と歴史事実を加えてみれば
正法 第一の五百歳 解脱堅固 BC949 - BC448 小乗教時代 インド
第二の五百歳 禅定堅固 BC447 - AC 53 大乗教興立す インド・西アジア
像法 第三の五百歳 読じゅ多聞堅固 AC 54 - AC 553 中国に仏典次々と渡り漢訳される 中国
第四の五百歳 多造塔寺堅固 AC554 - AC1053 四天王寺、法隆寺、東大寺等の 日本
塔寺の建立時代
末法 第五の五百歳 闘諍堅固 AC1054 - 武士社会が始まる
となり、あまりにも歴史的事実と一致していることがわかります。
ここで第三の五百歳である読じゅ多聞堅固に注目してみれば日本への仏教伝来は
公称五三八年にして読じゅ多聞堅固の時代はわずか十五年にしか過ぎず、
専ら第四の五百歳である多造塔寺堅固が仏教文化の中心になっています。
しかし、それに反し中国では読じゅ多聞が中国仏教を特色付けたとも言え、
それは第二の五百歳である禅定堅固の時代区分に孔子、墨子、老子、孟子、荘子といった
思想家たちが活躍し、仏教が中国に入る前に既に禅定の基盤が出来ており、
新しい思想や教えを非常に受け易い形となっていたからです。
ところが日本の場合は多造塔寺から始まっている為にそれが今日の寺院仏教を
根強くしている原因でもあり、人々は寺には行くけれども経典には親しみを持たないという
結果を生み出す。
しかし、日本仏教の役割を考えればこれはこれでいいとして、第一、経典(漢文)を
読じゅしてもそれを聞く人も唱える人も経典が和文ではなく漢文な為、その言葉も解せずに、
それゆえ読じゅの効能もあまり期待できないし、末法の今日そういう意味も含めて
読じゅ此経はかえって仏教を有名無実にして死文化にしてしまう恐ればかりでなく
信者を盲目化させ、それを利用する輩達を世にはびこらせる結果ともなってしまうのです。
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参考までに付け加えますが、上記の「法華三部教体系(総論)」(五井野正著)によれば、
明治以降の日本の仏教研究というのはそれ以前の日本の仏教研究とは異質なものなのだ
そうです。
理由は明治以降は西欧人の仏教研究に迎合した内容になったからだそうです。
さらに、西欧人の仏教研究とは本来の仏教とは程遠い内容で、しかもとても低レベルであると
著者は述べていますが、前回のレスで紹介した法華経の認識についての根本的な誤りは
そのひとつの重要な例だと思います。著者が述べているような認識をしないと論理的整合性が
取れませんし、法華経の経典にも法華経とは「事」であると書かれているのですから
これを否定したら仏教研究は論理もへったくれもないということになってしまいます。