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(回答先: Re: 釈尊が最終的に目指したものは法華経-方便だと思います 投稿者 ああ、びっくり 日時 2003 年 10 月 26 日 02:04:45)
ああ、びっくり さん もう少しレスさせて下さいね。
>すごいなあ、すごい発言だなあ。
全然凄く有りません。
舎利佛の支点は釈迦の悟りで最も重要な事は歳差運動にある。
に、置いています。
ですから、
十如是が説き明かされない限り、釈迦と同じ境地には立てないと言う事になります。
つまり、釈迦と同じ境地に立つことを持って悟ると決定します。
十界や三世間は思考(知性)の駆使による理解の範疇にあります。
しかし、歳差運動だけは思考だけで理解する事は不可能です。
東から昇る太陽の位置が72年間で1度ずれる。
2160年間で30度のズレを起こす。
此れを知る為には一人の人間が2160年生き続けるか、
同思考における人と人のリレーか、
科学の力に因るか何れかです。
>歳差運動(広辞苑で調べました)は、無常(諸行無常)で、理解できます。
歳差運動と諸行無常は同じでは有りません。
諸行無常は
重力と反重力のバランスによって重合が興ったり崩壊が興ったりする事を
説いた事に近いと思います。
>何もしなくても、諸行無常に従って、宇宙は動いているので、唱題をしなくても
>われわれも、宇宙の動きと同時運動をしていると思います。
「宇宙の動きと同時運動」と言われていますが、
歳差運動を除外しての話に成りますね。
今日の位置と明日の位置は微妙に違います。
磁力を利用して北を決定し東が決定されています。
歳差運動が考慮にされていません。
正確には、宇宙に置ける自身の位置決定が行われていません。
宇宙の中で迷子に成って居る子羊のようです。
>>九字は九尊の仏体なり、九界即仏界の表示なり。』
>>と、日蓮は言っています。
>このあたりは、日蓮さんがこじつけたような気がします。怒られそうですが。
こじつけではなく比喩を用いてるだけです。
(即の一字を言っているのなら舎利佛にも解りません。)
日蓮の比喩は“ひふみいい”と数を数える日本古来の方法と同意に有るようです。
“ひふみよい”は太陽の位置を八方(東・北東・北・北西・西・・・南西)に別け
九の位置で東の位置に重なるのですが、歳差運動の為重なりません。
だから、十を儲けて重ねたのです。
これは太陽の運動を持って歳差運動を表したものと思います。
それを、数として応用したのが日本の数の決定法でしょう。
>広い社会ならば、自然科学で導き出された自然の法則の基づいて、人間社会の文化、思想、
>行動様式などを決められないかなあと考えています。
>その法則に支配されて、私たちは生きていて、その法則からは逃れられないので、
>みんなも納得しやすいかも。
同意します。
人は決して宇宙の相似象を越えては成らないということです。
相似象を越える働きが既に興っています。
何故興るか?
思考のバージョンアップが有るからです。
それは、思考と“知性の高さ”の関係から決定されるのではないでしょうか?
追筆。
あっしらさんの一フアンとして。・・・・・
あっしらさんへの法華経への興味を起こす一点の染みにはなれないでしょうか?