★阿修羅♪ 現在地 HOME > 掲示板 > 議論15 > 237.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
Re: 釈尊が
http://www.asyura2.com/0311/dispute15/msg/237.html
投稿者 ああ、びっくり 日時 2003 年 10 月 26 日 04:03:44:4/Vouo.PuzEWw

(回答先: Re: 釈尊が 投稿者 涼風 日時 2003 年 10 月 25 日 21:48:44)

>なんとか菩薩が実在すると思ってると前に書きましたから、法華経に書かれていることは
>全部ノンフィクションだと思っていることはびっくりさんには御想像がついてると思うんですが。
>もちろん、たとえ話の部分はフィクションだと思ってます。これは言うまでもないことですけど。
>それから伝承されてきた内容が文字に落とすまでに変化してしまってる部分があったりしたら
>その部分は違ってしまっていると思いますが、でもそれは小乗経典でも同じだと思

●神様がある人間に、人生訓を授けたという話があった場合、その人生訓の中に
なるほどなあと思う内容があれば、受け入れますが、神様がある人間に伝えたという
部分は、無視、軽視するという立場です。神様から伝えられた人生訓だから
真実であり、信じない人は、罰が当たるとか、地獄に落ちるとか、主張する
ものに対しては、嫌になります。そんな立場の私です。●

・・・
>それにびっくりさんは誤解されてるみたいですけど、私なんか最後に法華経を読んだのは
>十何年以上前です。

●私は、20年ほど前です。とほほ。この機会に、勉強させてもらおうと思っています。●


つまり、XX本体のことを釈迦が説いて、それが伝承されて文字になった時の経典の
名前をつけるときに、たまたま法華経というXX本体の名前がつけられたわけです。
だから釈迦は法華経のことを知っているはずがない、とはならないわけです。

●妙法蓮華経というお経のテーマが妙連法華経ということですよね。
私の言いたいことは、お経の本をお釈迦さんが見ているはずがないと言うことです。
法華経に書かれている内容の中には、お釈迦さんがおっしゃったことが伝えられて
載っていると思いますよ。XX本体にお経の経がつけられいるのがおかしいと思いますよ。●


>そういう意見の人が多かったということだと思います。多数意見が正しいとは限りません。

少数意見が正しいとは限りませんとも考えられます。
大乗側の付けた別称としての小乗をそのまま、蔑視する立場で考えない方がいいかと。
日本では、原始仏教、大乗仏教、密教てな感じで落ち着いていって欲しいです。
上座部仏教では、分かりにくいですから。


>>小乗仏教が存在して、それをもとに大乗仏教ができたのですから。

>そういうことは言えません。釈迦が悟りを得たから大乗仏教があるわけです。

●お釈迦さんが悟りを得て、死後、お釈迦さんのおっしゃったこと、あるいは、出来事などを
文字に記録しておこうと、弟子さんらが集まって、「私は、このように聞いた」という出だしで
始まるお経を作り、それらが原始仏教、小乗仏教とよばれるお経となり、そのお経を
参考に、在家の人たちが喜ぶ、あるいは、期待に沿う、あるいは、出家しなくても悟りを
得られるという趣旨で賢いお坊さんらが書いたのが大乗仏典だと思っています。
在家の人々を救うありがたい菩薩がいっぱい考えられたのも、在家の人々が出家をしなくても
悟りを得られると思えるようなお経は、ありがたいものだと思います。
しっかり、仏法などの基本をふまえたものだと思いますし。

学者さんのように、細かく悟りを研究されたもの、お金持ちのご婦人用のもの、
商人用のものなど、バラエティに富んだ大乗仏典が数多く、発表されたとようです。
法華経はその中でもっとも普及し、人々の心をとらえたもののようですね。●

●涼風さんの引用される五井野正著の本を調べてみましたが、1981年に出版されて、
再販はされていないみたいようですね。法華経一途の方だと思いますが、学者さんなんですか。
それとも、宗教家の方ですか。

>******************************************
>「法華三部経体系(総論)」( 五井野正著 ) P.116

>そして智のある人が世間に応じた仏教をたとえ理解できたとしても悟る事は絶対にできません。
>しかも世間に応じた仏教は小乗経とも言い、小乗経では悟る事はできませんから、
>仏本来の目的は人々を悟らせようとする事にあって、梵天のように法を説くものではないので、
>小乗経はその意味から真の仏教とはならないのです。

仏本来の目的が人々に悟らせようとすることで、一人だけで悟ろうとする小乗仏教では
悟りを得られないということですか。お釈迦さんは、自分の悩みを解消しようとして
修業に出て、悟りを得たものと思います人々に悟らせようとしたものではないと思います。
自分で悟る努力をする人をばかにした話だと思います。

五井野正さんの経歴を知りたくなりました。学者さんですか、それとも、法華経の
お坊さんですか。今は、何をされている方でしょうか。この著書もあまり、売れていない
ようで、再販はされていないようですね。
売れる本がいい本だとは限りませんが、売れない本がいい本だとも言えないし、、、
涼風さんが五井野さんだったら、どうしよう? こまったなあ。この方のことが
だんだん、新しい歴史教科書を作る会の人たちとイメージがダブってきちゃいました。
失礼をお許しを。●


>では小乗教も仏の説いた教えではないのかと問えば確かにそうです。
>が、あくまでもその問いを為した人に対し、その時のその問いの状態や因縁等、十如是を
>よく知ったところで説いたのであって、つまり一人の為の一時的な教えであって
>一般人の一般的な教えでない為に仏教とはならないのです。

●これも、ひどい話だなあ。一人だけを対象にして、悟りを開かせるな問うことでしょうね。
多くの人を救ってこそ、仏教であり、本来の仏の目的あると。ひとりでも、大勢でも悟ってもらう方向で行動すればいいと思います。●

●無常、無我、縁起などを細かく分けて10個にしたものが十如是だと思いますよ。
つまり、法華経にしかない十如是も原始仏教の内容から、説明できる気がします。●

>経典の冒頭に 如是我聞、一時・・・・ とよく使われますがこの一時とはそういう意味で、
>仏が教えを説く時にはその時の十如是をよく知った上で、それに応じた教えを顕わすという
>事なのです。それゆえ如是(我聞)というのです。

>法華経に如是相、如是性、・・・・ と十如是を明かしていますが他の経典には十如是は
>説かれていません。つまり法華経を知らなければ他の経典にも出てくる冒頭の如是我聞の
>意味が理解出来ないのです。
>もっとも如是でなく仏教の根本思想は法華経なくして理解することは出来ないのです。

●私の持っている仏典には、如是我聞の意味は、「私はこのように聞きました」で、一時は「ある時」と訳されています。分かりやすいです。

それにしても法華経だけがあれば、すべてOKというこの方の論法がこじつけに思えてきて
しょうがありません。●

●そろそろ、涼風さんとの議論を終えたいと思います。身体が持ちません。とほほ。●

●折伏(しゃくぶく)よりも摂受(ショウジュ)がいいなあ。仏教ならば。
魔女狩り、ネオコン的なものがまかり通る世の中にならないことを希望します。●

 次へ  前へ

議論15掲示板へ



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。