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(回答先: はじめまして 投稿者 あるば 日時 2003 年 8 月 21 日 17:03:55)
●これは、下の「《母性:生み、護り育むもの》の秩序のなかの貨幣」を、もう少し読みやすくしようとしたものです。
読みやすさをささやかに追求しただけで内容はあまり変わりません。 (お手数をおかけして申し訳ありません)
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あるばさん、はじめまして、よく書き込んでくださいました。 (このスレも時を得ているのでしょう)
しっかりと読ませていただきました。
地を静かに己の足で歩みゆき、考える方の素晴らしいヒントが表れているご投稿のように想いました。
部分ですが下に引用させて頂きます。
〉イエスの試みの一つが神の子ならこの石をパンに変えてみよというのがあります。「人はパンのみにて生きるにあらず、
〉神の口から出る一つ一つの言葉による」と切り返してその場を切り抜けるのですが、実はこれにはまだ決着がついていません。
〉われわれは日々生きるために石・コイン・紙幣をパンに変える必要があるからです。
もし、野の雀なら「言葉」だに要さず、パンのみで生きられるのでしょう。
そこには自然の内の秩序があり、雀は己の内の自然から出ない秩序性に生かされてパンをついばみ、それで自然のままに
生きてゆけるからです。
しかし、自然の秩序から(連続しつつも)超出した人間は、自らも自然として与えられてある『秩序の基盤 :matrix :母体としての智慧』に即しつつ、同時に、創られた秩序に活かされずには人間としての生をまっとう出来ない…。
(キリスト教の脈絡でとらえるなら…、神に贈られた秩序を基盤とした命の道を生きずして、真の生をまっとう出来ない)
(仏教の脈絡でとらえるなら…、森羅万象を貫く生きた秩序生成の理法(ダルマ)に即して生きずに幸いでありえない)
(神道なら…イスラームなら…ユダヤ教なら… だれか代わってくれー・涙)
ここに鍵があります。
キリスト教徒であれば、『神の口から出る一つ一つの言葉』という、「秩序の生まれ出で行く智慧の現場」に応えながら、自らの
あらゆる行為の筋道を生んでいけばいい。
…と言う事なんですよね。(おかしかったらご指摘をお願いいたします)
では…『われわれは日々生きるために石・コイン・紙幣をパンに変える必要がある』という交換の行為の筋道に、『神の口から
出る一つ一つの言葉』に応えた秩序生成性があるように出来ていればいいのではないでしょうか。
野の雀には無い交換の行為のなかに、『神の与えた』秩序に即した道があればいいのではないかという理解です。
実のところイエスはすでに答えてあるにもかかわらず、それを出来なくしているのが、私たちの内に場を移した悪魔なのだと考え
てしまいます。そして、その悪魔を送り込んでいる本体はすでにお書きになっていますね。
では、交換の行為の中で、『神の与えた』秩序に即した道とはどういうものと考えればいいのか…。
私はキリスト教徒的なまなざしで世界を見ようとするときは、「被造物」たるこの宇宙/地球…万物は、神の創ったものであり、
聖書と同格の神の想いの「証」であると考えねばおかしいと思っています。
そうしてみると、この世界の生命体系はずいぶん連続的で相互依存的であり、護り育む働きの連鎖が、破壊よりも上位で持続
している。だからこそ、原生で世界はこんなに豊かにあり得たのだと想うのです。
護り育む働き、相互に連なる働きが『秩序の基盤 :matrix :母体としての智慧』として原理的に通っている上に、イエスのこの
言葉があるんじゃないかと想っています。
15章5節 私は葡萄の木、あなたがたはその枝である。
人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
私を離れては、あなたがたは何も出来ないからである。
ご存知、ヨハネ福音書からです。
ここには非常に男性性とバランスのとれた女性性(<母性:生み、護り育むもの)を感じるのです。
フェアな聖書学研究者なら、パレスチナ、イスラエルの地方の古代からあった大地母神信仰の精神的土壌が受け継がれている
と言うと想います。 (いつ、どうしてそれが消えたのか…)
もし、この語りの筋に対して、直感的に納得してくださるなら、次にはヨーロッパ中世と古代エジプトに、話の展開の場を移しま
しょう。
エジプト起源とされる(女神イシスの像)黒聖母像や、光り輝く太陽をヴァギナから出産するエジプトの天空の女神ヌートの話と
関わらせつつ、『生み、護り育むもの』の秩序生成性によって成立していた貨幣システムの世界の、豊かさ創造性について展開
する話です。
〉我々が当たり前に思っている貨幣の概念というものが巧妙に刷り込まれたものなのかもしれないという妄想があります。
このあるばさんの文に関わることです。貨幣システムのシンプルな性格が反転するだけで、社会の追及する事、達成される事は
非常に異なるようです。(現在良い資料が見つかっていないので、B・リエター氏(怪しそう)の『マネー』を引用します)
長くなるので稿を分けますね、よろしく。