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件名のように自認してるヤツらに対して質問したい。
その前にまず、俺の思想的立場について説明しておこう。俺は「天皇」を崇拝している。これは非常に個人的なもので、他人に対して押し付ける気は全く無い。寧ろあまり他人には共有して欲しくない特別なもので、「天皇」を崇拝することで恒常的に得られる幸福感はただただありがたく、この感覚を理解しない連中には多少の哀れみと優越感を抱いている。これがわからないたあ、もったいないねえ。しかし凄くややこしいことに、俺の崇拝心はあくまでも「天皇」に向けてのものであり、「ヒロヒト」や「アキヒト」に対してはまったく崇敬の念も親近感も感じない。ところが「昭和天皇」及び「今上天皇陛下」に対しては無条件の服従を確信しているし、もし陛下が京都に還座なされて勅命を発されなんぞしようもんなら、間違いなく「いざ鎌倉」だな(笑)。木っ端な命をいともたやすく放り捨てっちまおうじゃねえかってなもんだ。つまり俺のはどこまでも「天皇」というものに対してだけのある種フェチシズムな感覚であり、「皇室」とか「皇族」なんぞには少しの興味も無い。俺にとって「昭和天皇」は神だが、「ヒロヒト」はただの木偶(デク)だ。意識の上では「人間」としてすら扱っていない。「宣言」したかどうか知らんが、ホントに「人間」としてみて欲しいならココまで上がってきな、って感じ。「不敬」だと受け取るヤツもいるかも知れないが、俺は完全に「天皇」に伏しているのでその非難はあたらない。だから「皇太子サマ・雅子サマ」が将来的に天皇皇后両陛下になるとしてもそれはそのときの話であって、今はただのマスコットあるいはアイドルとしてしか見ていないし、「愛子サマ」に関しても、他のフツーの子供たちを見るのと同様の生暖かい眼差しを向けているだけだ。
さて、そんなワケだから維新期における「血の正統の断絶」は、俺にとっては何一つ問題ではない。ある種のファンダメンタリストともいえるオカルティストの俺としては、「現実に皇位が今日まで継承されている」という事実を以って、「天照皇大神及び八百万の神々の裁可を受けた」と判断している。この意味で、「天皇の霊統」はまったく途絶えていないし、仮に例の予言どおりに今上陛下が「泥帝」で、次代の天皇が「灰帝(廃帝)」であったとしても、その次の天皇が即位しさえすればまた何事も無く「日本」は続いていくことになる。たとえ間が何千年と開こうとも、ただその間は「日本国」が「不在」だったと言うだけの話だ。同様に、古代における王朝交代なんかも、俺にとってはただの「王朝交替」に過ぎない。言ってしまえば「誰でもいい」とも言える。もしあんたが即位できたんなら、その瞬間に俺はあんたを崇めるだろう。俺の求める即位の条件は「皇位の空位時」において「大八島を統べる者」が「伊勢でお伺いを立てる」、の以上3つだ。それが出来ない限り、「誰であってもダメ」だ。
さらに、俺は「天皇」を崇拝してるワケだが、同時にその為したこと、為していることはきちんと把握したいと考えている。具体的に言えば、明治以降の英国王室への対し方がいかにも「臣下の礼」をとっているようだ、とかだな。それらについて俺はまったく非難しないし、危惧もしない。ただそれを認識するだけだ。
そして重要な点。俺は「天皇の戦争責任」は実質的に「無い」と考える。陛下ご自身が「ある」と考えた場合にのみそれは「あり」、陛下ご自身が「このように責任をとるべき」と考えたように「責任はとられた」。そして「昭和天皇」がご崩御なされた時点で、「天皇の戦争責任」という概念は名実ともに無効化した。あとは今上陛下や次代天皇の治世に期待しろ、と言ったところかな。
とりあえず以上が俺の天皇に関する思想的立場だ。特殊な印象を受けるかも知れないが、多分これは大多数の日本人の共通理解を明文化しただけだと思う。いやまあ、少しは変だけど。
それじゃあ本題に入ろう。
天皇の戦争責任を云々してるヤツらに3つ尋ねさせてもらう。
1.天皇に「責任」がある(あった)として、あんたはその「責任」をとって欲しい(欲しかった)のか?
2.天皇に「責任」がある(あった)として、あんたはどうやってその「責任」をとって欲しい(欲しかった)のか?
3.あんたが天皇に「戦争責任」がある(あった)と思う根拠は何か?
(これに関してはURLを貼ってくれればいい)
以上だ。甚だ勝手な物言いだとは思うが、皆さんがご自分の思想を明示してくれることを期待する。