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(回答先: 日本の世界史的位置について大風呂敷:中央線版がふさわしいかも 投稿者 すみちゃん 日時 2003 年 7 月 14 日 20:45:51)
こんにちは、横レスで失礼いたします。
>まだ遅くないから、産業力のあるうちに方針を転換するべきです。
これに、まず賛成しておきます。
で…、
>犠牲者が300万人にとどまったのはむしろ危険な兆候です。
恐ろしいこと書いてるね。
大東亜戦争に到るプロセスはそれほどの大きな取り返しのつかない失敗でした。
その咎めはこれから現れてきます。
前振りをして語られているにしても、アルファンドさんに負けず、何ものかから口寄せする巫術師みたいな語り口ですね。ある意味で巫女の天性があるかも。
悪魔という言葉を使う背景は私にも切に解るとしても、何で“咎め”という父性的かつ超越的強権から幼女がおしおきを恐れつつ実は期待して待ち受けるかのような表現になるんだろう。ごめんなさい、立ち入りすぎかと思うけれどヤな感じがするんですよ。
理性をもって支配層の過去の戦略的な絵図を描いてみせる力には敬服しています。しかし、論考の中で“咎め”という言葉に代表されるひとつの身構えが、ご親族の幸せとは言いかねるご経験とともに出てくる事が、理性的なモデル提示としては納得できないんです。
(たまたま私の方に戦死者は出ませんでした、その故に私は鈍いのかもしれませんが)
読ませていただいていると作者にすら隠された共有しにくい主題があるかのような感じです。だから妄想だということでしたら私は野暮さを皆さんにも謝らねばなりませんけれど。
”咎め”という宗教的価値観への違反に対する罰のような表現ではなく、支配層の無慈悲な経済論理の遂行として、強制的に廃用されるといった表現では汲みきれないような、指摘されるべきものがあるのでしょうか。
ちなみに、私はあっしらさんの“悪魔崇拝”という言葉を、そのおどろおどろしい意味の恣意性の強い広がりのゆえに、本当に指摘されるべき核心が見失われるのではないか…と批判したことがあります。しかし、私も私なりに指摘されるべきものがある事に深くこだわっているにもかかわらず、“悪魔崇拝”に代わりうるような表現はいまだに見出せていません。
困った。
でも、よかったら“産業力のあるうちに方針を転換するべきです”の方向性を具体的に語っていただけませんか。
のって下さるならここも長くなったから別スレとして議論板でお願いします。
いつでもいいです、これにのる人は多いかもしれませんね。