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(回答先: Re: なんかねえ、あなたの言葉で私の内側の何かがうごめいているんですよ。モゾモゾってね。 投稿者 おだいこん 日時 2003 年 7 月 15 日 13:16:30)
おだいこんさん、レスありがとうございます。
直感でお話しするほうがいいと想うので、拝読して感じた事をそのまま書きます。
* 天の羽衣だな…、漁師に羽衣を盗まれて地に働く嫁になった天女が、
隠された羽衣を見つけ出そうとしている…
* もうひとつ、蝶がさなぎの殻の中で羽化しようとして、
くしゃくしゃの羽を蠢かしているようだ…
これ…直感ですから。
ただ、下手に「地」で羽衣をまとったり、羽をひろげると握りつぶす手がやってくる、なんとも不幸な話だ…そうも想いました。
今はそっと羽化する方がよさそうな気がします。
『私たちの身体性にも基づいた、アジアもしくは日本に保存されてきている原理による事になるだろう…』についてですが言い換えます。
『身体が自然や宇宙、他者にむかって澄んだ感応性を開くありかたに基づいた原理による事になるだろう…』とさせて下さい。(私たちはアジア/日本人ですが、地域性に関わらずこの原理は地球上で普遍性があると思いますから)
アジア/日本であることは、自分の身体がその地の文化性を身に育んで日常喜怒哀楽を表現している以上否定されるべきものではなく、むしろ西欧にない(西欧が自ら殺した)よい側面を生かすために積極的に照明されるべきことと思っています。
おだいこんさんとのすれ違いは、私が最初に書いた事が言葉足らずであったために生じていると理解しています。
私にとってのアジア的身体とはサールナート(インドだけれど)の初転法輪仏坐像や、インドネシアのシンガサーリ王朝の般若菩薩坐像(国立博物館に来ました)のようなものです。
その回りには樹があり、鳥が樹に休み、犬が寝そべり、子供が遊んでいる事が想起できる、それら森羅万象の営みを澄んで映しこむ身体性です。東洋のキリスト教の方での像も探したいですがまだ適った表現は出現していないのではないかと思います。
あまりにも美化された身体性に思われるかもしれませんが、純度の高い地平でのお話であり、日常の泥臭く、血なまぐさい身体から連続しています。
モゾモゾ…に対して、さて、わたしはと言うと、しばらく“ふわふわ”してじぶんの命の感応する世界がかなりひろがっておりました。
“あんまり間違った事は言っていないんだ”と身体が了解して世界を鷹揚に抱擁していたんでしょう。
PS、お猿大統領に至る父権ぶんまわしおやぢの列挙にはいたたまれませんでした、多分そのひとりですから(笑)