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(回答先: これは禅問答なのかな 投稿者 アルファンド 日時 2003 年 7 月 12 日 23:52:10)
アルファンド殿へ
「(感覚)受容体としての身体性という人間存在の在り様に導いた」とは、貴殿のあっしら氏への返答をさらに括ろうとしたものに外ならない。
我々(日本人)は、少なからず(感覚)受容体としての身体性に同質性を有するだろう。Ideeとしての同質性はまた暫し別の問題である。しかし、それを実際にどれ程の日本人が意識しているかどうかは不明である。もちろん、同質性は純粋・唯一性として太古から不変的に保持されている訳ではなく、今も尚限りなく混交されているものであろう。如何に戦後教育で育った人間であるとはいえ完全にそれを切断できるものではないが、さりとて同質性を拡大することも最早至難の業であると認識する。その辺は貴殿もご異存がなかろう。斯様に忖度すればこそ、「敢えて他者に求めるものは何か、その存念や如何」と、疑義を呈した。もしそれを座興であるとされるのならば、以前の貴殿の問い対して感応したことが悉く愚昧と化すに等しくなる。
嘗てのComradesの中にもRightistにシフトしていった者が多いとは以前にも語ったが、政治問題に転化し得なかったほどの技術的な稚拙さや諸々の綻びを勘案しても、彼等がexistentしようとしたことそれ自体は今でも称賛に値すると考えている。さらにまた、彼等が最終的に戻るところを前述した同質性やその統体に求めていったとしてもそれをとやかく言うつもりはない。少なくとも自らに課した闘いに破れたことを認めているからである。それは決して私が望むものではないが、一つの決着の仕方には違いないだろう。そして、こう語らせるのは私の内にもある同質性が為せる業に他ならぬであろうとも思う。
余談でもあり、そしてこれは本来ならばDdog氏に向けて直接に発するべきものなのだが、氏の言説の中にはそうした軌跡が表出して来ない故に空疎であると繰り返し述べている。氏はそれが直截には得心できないようだ。何れにせよ、貴殿が関知しないことであるのだろうが。
『これは禅問答なのかな』の貴殿のレスは今日日珍しく琴線を爪弾くものであったと記すべきと心得る。