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佛教には数多の解釈、教義、物典があるみたいですけど、所詮多くは観念論、自我による解釈と推察される。
限られ時間の今生を生きる我々にそんなものに付き合う時間も、必要もないのでは。
私の解釈としては、佛教の真髄は釈迦の世界認識、宇宙認識、あらゆるものの存在認識に尽きるのでは、
修行とか葬式とか悟りなどは付随するもので核心ではないのでは。
彼が伝えかつたメッセ−ジは五蘊の世界の迷妄を打ち払えという事では、
我々の現象世界の認識は脳のなかに蓄積された数々のデ−タによるこの世界への投影したホログラム的な
幻に過ぎないもので、そのデ−タが変わればこの現象世界もまた変わるなんら実体の在るものではない、
その幻に囚われるな、現象世界の背後に潜む目に見えない宇宙に満々ている意識と一体になれとゆう簡潔
なメッセ−ジなのでは。