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現実世界が在ることの客観(外在)性とその在り様の主体性
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/408.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 2 月 23 日 14:17:21:

(回答先: Re: 一神教には“危険性”を抱いています 投稿者 soleil,ocn.ne.jp 日時 2003 年 2 月 23 日 07:16:10)


soleil,ocn.ne.jpさん、こんにちわ。
レスありがとうございます。


宗教と政治的理念は質的にはまったく同じものですから、いわゆる宗教のみを支配の道具として考えているわけでありません。
(西欧近代政治理念はユダヤ教・キリスト教理念の影響を強く受けているので、政治的部分が分化し変容したと言うこともできますが)

宗教を支配の道具という側面で考えるとき、ユダヤ教・カソリックキリスト教とイスラムは大きく異なると考えています。
その判断基準は、祭祀階級の有り無しです。

ユダヤ教は、古代イスラエルの壊滅で神殿を失うとともに祭祀階級も消え、シナゴーグと宗教指導者(ラビ)を中心とした信仰形態になりました。この形態は、イスラムに近いものですし、イングランド国教会を除くプロテスタント諸派も同様です。

紀元前150年頃の義人(イエス・キリスト)を中心とした信仰者生活集団の教義を剽窃してつくられ、ローマ帝国の国教にまでなった教団キリスト教は、祭祀階級と被支配信徒という初期ユダヤ教の信仰形態を持ち込みました。
福音書に旧約聖書を支えにすることで、衣を変えた古代ユダヤ教的支配構造をローマ世界に確立したと言えます。

>現実世界は複雑で見えない世界が(3次元でも)広大にあり人間の科学技術全般が解
>明できないのが現状であり、人間のかってな思惟が現実を複雑にしているのではない。

「人間のかってな思惟が現実を複雑にしているのではない」には同意しますが、その前提的説明には同意できません。
(かってな思惟は、論証や論理体系を破綻させたり、目的的活動を失敗に帰させるものです)

存在(現実世界)と認識の関係については簡単に次のように考えています。

現実世界が在ることの客観性(外在性)は、そう感じ理性的判断としても了解できるが、現実世界がどのようなものであるかという在り様は、主体的認識活動を通じて概念的に説明されるものでしかない。

それ故、現実世界がそれ自体として、複雑だとか単純だかというものではありません。

現実世界は外的世界としてただ在るだけです。
(現実世界そのものに意味や仕組みがあるわけではないということです)

認識主体(個人というわけでない)と対象世界との関係的認識過程が、現実世界に意味を与え、現実世界に仕組みをもたらすのです。(物理的な意味ではありません)

そして、現実世界の規定性を考慮しながら生存活動を営まなければならない我々は、自らが対象世界に与えた意味や仕組みをうまく利用しながら、対象世界に物理的に働きかけて目的を達成してきたのです。


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