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(回答先: Re: 法則は外的には存在しません。在るのは連関的運動です。 投稿者 soleil 日時 2003 年 2 月 24 日 08:24:35)
soleilさん、こんにちわ。
科学技術や共同体(社会)統治がある価値観に基礎とした人たちに独占され、その価値観の現実化が追求されている状況が、戦争や貧困の根本要因です。
科学技術の発展が貧困を解消するために不足しているということはありません。
近代経済システムは、恒常的と言ってもいいほど過剰な生産力(供給力)に悩んできました。
貧困を衣食住がままならないという状態だとすれば、過剰な生産力のために、失業者があふれ、稼働率が低下し収益が悪化している状態と矛盾するものです。
衣食住を最低限満たすというレベルの生産活動は、日本で言えば、GDPの10%ほどです。
soleilさんも指摘されていますが、いわゆる科学技術の発展と経済社会の在り様が齟齬をきたしているということです。
端的には、現在の経済社会システム及び国家価値観を基礎に科学技術が発展すれば、先進国もより貧困が拡大することになります。
>@宗教の役割について〜支配の道具にもなるし救済(但し限定的)の役割もあること。
宗教の役割と言うより、諸個人の関係的活動が主体(共同体や国家)であるならば、共有される価値観世界観体系は作り上げられるものです。
それが、支配の道具なのか救済の役割を果たすものなのかは別として...
>A現実世界は現代の人間の科学技術をはるかにこえた未知の世界があることをみとめること。
現実世界の認識問題は、現代の水準や発展度合いの問題云々ではありません。
古代の科学技術水準でも目的的活動を達成できる限り“真理”であり、それから離れた“真理”は、知識量・対象的活動力が増大すると思われる将来においてもありません。
宇宙や物質そして生命という存在に関する科学的説明体系は、そういう概念表現も有効だというものでしかなく、存在の“真理”を明らかにしたものではありません。
存在自体を直接に知ることもできず、同時的対象認識も限定的な主体が組み上げた論理体系は、いわゆる“真理”とは無縁です。