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(回答先: 宗教に限らず価値観や世界観は人を“支配する”ためのもの − 個人の“わがまま”を規制するもの − 投稿者 あっしら 日時 2003 年 2 月 22 日 16:01:06)
あっしらさん こんにちわ
私のつたない投稿に目をとうしていただき有難う御座います
真摯な態度と手馴れた批判には敬服します(皮肉ではありません)
しかしこのよな反論は非常にありがたいです、何故かとゆうと日頃
無自覚、無批判にし使用している言葉、考えを別の視点でとらえる
ことで再思考することができます。
宗教の考え方が私と異なるようですね あっしらさんはそれを必要悪
いや悪とは考えていないようですね。
私のゆう宗教は一神教はゆる人造宗教です、日本の古来のものは
宗教のジャンルにははいらないのでは、通常それは精霊信仰、原始
信仰と宗教の前駆的な信仰と結論ずけられてますが。
しかしこの宗教とゆう名の元にかの狂気による破壊、殺戮が許される
ものでもないです。
そこですかさず、いやそれは宗教が単に悪用されたまでだと反論が
きそうですね。
そうなると玉子が先かニワトリが先かになってしまいますね。
私は宗教は人類を支配する二つの道具 恐怖と希望(飴)の一つだと考えTます。
まあ単純に考えれば当然飴でしょう、しかしこの飴には恐怖とゆう名の
隠し味がある二重構造だと考えてます。
それから あっしらさんは人は性善ではなく性悪説ととらえているみたいですね
これも私とは逆ですね、ひとはただくもり、くもらされてる存在だと思っています。
それから目に見えない世界、科学に認定されない考え方を抽象論と称せられま
したが、私はその世界こそ確実でたしかな本質だと考えてます。
まあ量子力学の出現でその境界も大分あやふやになりましたけどもね。
いや−私の文章表現もこの程度でいっぱい々です。