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世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/632.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 23 日 11:15:03: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 20世紀初めはこういう時代だった 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 20 日 10:36:36)


世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代



19世紀末のドイツの雰囲気を一番良く伝えているのはエドヴァルド・ムンクがベルリンに住んでいた頃の絵でしょうか。


ムンクの有名な絵は何故か この頃のものばかりですね:



エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch, 1863年12月12日 - 1944年1月23日)


エドヴァルド・ムンク ─生命のダンス─


ムンク・アートギャラリー=ノルウェー・オスロで足跡をたどる


「表現主義画家」エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)の絵画集


エドヴァルド・ムンクの作品集
http://matome.naver.jp/odai/2126775240665130201
http://www.moma.org/search/collection?query=Edvard+Munch
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13525] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:16:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1379] 報告

ムンクはドイツ表現主義の種を植えた画家ともされ、ユングによれば、彼はアーキタイプのイメージと実存的な経験のシンボルを結晶化し、それを「叫び」に極限化したのだという。


1889年にはノルウェー政府の奨学金を得て正式にフランス留学し、レオン・ボナのアトリエに学んだ。パリではゴーギャン、ファン・ゴッホなどのポスト印象派の画家たちに大きな影響を受けた。パリに着いた翌月に父が死去。この頃から「フリーズ・オブ・ライフ」(生のフリーズ)の構想を抱き始める。

1892年、ベルリンに移り、この地で『叫び』などの一連の絵を描く。ファン・ゴッホとともに、この後、ドイツを中心に起こるドイツ表現主義の運動に直接的な影響を与えた1人と考えられている。

1892年、ベルリン芸術家協会で開いた展覧会はオープンから数日間で保守的な協会側から中止を要求され、スキャンダルとなった。
1890年代は、ベルリン、コペンハーゲン、パリなどヨーロッパ各地を転々とし、毎年夏は故国ノルウェーのオースゴールストランの海岸で過ごすのを常としていた。

このオースゴールストランの海岸風景は、多くの絵の背景に現れる。

有名な作品が19世紀末の1890年代に集中しており、「世紀末の画家」のイメージがあるが、晩年まで作品があり、没したのは第二次世界大戦中の1944年である。


「生命のフリーズ」
おもに1890年代に制作した『叫び』、『接吻』、『吸血鬼』、『マドンナ』、『灰』などの一連の作品を、ムンクは「フリーズ・オブ・ライフ」(生命のフリーズ)と称し、連作と位置付けている。

「フリーズ」とは、西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、ここでは「シリーズ」に近い意味で使われている。これらの作品に共通するテーマは「愛」「死」そして愛と死がもたらす「不安」である。

1902年3月、第5回ベルリン分離派展に出品した際、「生命のフリーズ」の一連の作品(22点)を横一列に並べて展示した。その時の展示状況は写真に残されていないが、翌1903年3月、ライプツィヒで開催した展覧会の展示状況は写真が現存している。それによると、展示室の壁の高い位置に白い水平の帯状の区画が設けられ、その区画内に作品が連続して展示されている。

ムンクの意図は、これらを個別の作品ではなく、全体として一つの作品として見てほしいということであった。前述のベルリンの展覧会では、作品は「愛の芽生え」「愛の開花と移ろい」「生の不安」「死」という4つのセクションに分けられ、


「愛の芽生え」のセクションには『接吻』『マドンナ』、

「愛の開花と移ろい」には『吸血鬼』『生命のダンス』、

「生の不安」には『不安』『叫び』、

「死」には『病室での死』『メタボリズム』


などの作品が展示された。1918年、クリスチャニア(オスロ)のブロンクヴィスト画廊での個展で「生命のフリーズ」の諸作品が展示された際、新聞に「生命のフリーズ」という文章を寄せ、その中でこれらの作品を「一連の装飾的な絵画」であると明言している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%82%AF

2013年06月16日
今週の日曜美術館はムンクの特集でした。傑作10選で彼の本質について語られました。

最初の作品はもっともよく知られている油彩画"叫び"です。身悶えるように体をゆがめ耳をふさいでいます。その一方背後の道では無関心に何も起きていないかのように2つの人影が通り過ぎています。

ムンクの故郷はノルウェーのオスロです。彼の生誕150年ということで大規模な展覧会が開催されているそうです。この作品は街を見下ろすオスロの丘で実際に体験した想いを描いたのだとか。この人物は自分なのだそうです。"嵐"という作品の中で耳をふさぐ様子の人物を最初に描いています。目に見えない内面的な恐怖を描きたかったのだそうです。

次の作品は彼の中にある恐ろしいほどの不安を表す原点とも言える作品"病める子"です。死を迎えた姉と悲しみにくれる叔母の様子を描いています。この光景を生涯忘れることはなかったのでした。

1863年彼は医者の家の長男として生まれました。5人兄弟の賑やかな家庭でしたが5歳の時に母親が結核で亡くなります。幼い彼の心の支えとなったのが1歳違いの姉ソフィーでした。ところがソフィーも14歳の時に結核で亡くなります。"病める子"はこの時の記憶を絵に描いたのでした。1年もの時間をかけたのだそうです。

次の作品"思春期"は30歳を過ぎた頃の傑作です。生きることへの不安を描いたのだそうです。シーツにはうっすらと血が滲んでいます。

壁には黒く大きな影。姉の死後自らも結核になることを疑わず死の恐怖と戦い続けたのだとか。描くことでその不安をせきららに告白しようと考えたのでしょう。

女性は聖女でもありながら娼婦でもあり、彼を苦しめながらも創作の源にもなったのでした。20代の始めオスロの別荘地で女性に会いました。その時の絵が"声"です。海に写る月明かりを背に立ち尽くす女性。

手を後ろにまわしキスを求めるような様子です。しかし良く見ると目は暗く吸い込まれそうなほど不気味です。

描いたのはオスロの社交界で有名だったミリー・タウロウです。
引っ込み思案だった彼を誘惑したそうです。海辺で逢瀬を交わしのめり込みましたが彼女にとって彼は何人もいる愛人の一人だったそうです。


30歳を過ぎて新たな女性ダグニー・ユールと恋に落ちました。
彼女を描いた作品が"マドンナ"です。
かすかに膨らんだお腹は新しい命の象徴です。
一方で右腕は黒い闇に消え死を象徴しています。

彼は彼女を愛しますが彼女も彼のもとを去っていきました。


次の作品は石版画の傑作"ブローチの女"です。
モデルはイギリス生まれのバイオリニストです。演奏旅行の時にノルウェーで彼と出会ったのだとか。今までの女性と違って目をはっきり優しく描いています。恋に落ちるのが恐ろしいほど美しいと語ったそうです。

"キス"は実験的な要素が入っている傑作です。まるで1つになったかのようにキスをしています。当時の木版画は表面をきれいに削った板を使ったのですがあえてこの作品では木目を残しています。

次は"宇宙での出会い"です。漆黒の闇に浮かぶ男と女、その周りを精子が浮かんでいます。男女の出会いはまるで宇宙の中で出会うほど難しいと考えたのでしょうか。

次の作品は40歳の時の作品"地獄の自画像"です。10代の頃から自分自身を描きました。真っ赤に燃え盛る地獄の炎が彼の心の中を表しています。母と姉の死、病の恐怖、女性達との葛藤など消え去ることのない不安を抱えながら自画像を描き続けました。

最後の1枚は"時計とベッドの間の自画像"です。亡くなる数年前に描かれました。別途はやがて訪れる永遠の眠り、柱時計は残りの人生を表しています。死に直面する老人、しかしこの絵は昔とは異なり明るい色彩があふれています。
http://www.artistyle.net/i-03-nichiyou/post-2847.html

マドンナ(大原美術館特集)

マドンナと呼ぶには、あまりにも退廃的でどこか愁いの漂う作品。
大原美術館特集第5回は、エドヴァルド・ムンクの「マドンナ」です。

マドンナMadonna(1895-1902)Edvard Munch
http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/s/u/e/suesue201/madonna_convert_20101204014602.jpg


左下に胎児、周りには精子。
中央には苦悶とも恍惚とも取れる表情の、影のある若い女性。

「マドンナ」のモデルとなったのは、ムンクが当時思いを寄せていたダグニー・ユールといわれています。

ダグニーはファム・ファタールと呼ぶにふさわしい、恋多き女。

そしてムンクにとっては手の届かない存在だったようです。
http://suesue201.blog64.fc2.com/blog-entry-180.html

何年か前の新日曜美術館(NHK教育の番組)でムンクを特集した回があり、それを録画していてムンク展観賞にあわせて見る。

番組はムンクの代表作「叫び」の前年に描かれた「二人の姉妹」という作品にスポットを当て、ムンクの創作の源泉となった女性ダグニー・ユールに注目する。

この「二人の姉妹」という作品はそれまで写実主義的であったムンクの作風が表現主義的、象徴主義的なものへと転換してゆく過渡期のものと位置づけられ、永らく日の目を見る事がなかった幻の作品であるとしています。

描かれた二人の女性は、正面を向いて唄っているのがラグンヒル・ユール、そして背を向けてピアノを弾いているのがダグニー・ユール。

このダグニー・ユールこそがムンクにとってファム・ファタール(宿命の女)として存在した女性。ムンク芸術に大いなる霊感を与えたと言われています。

ムンクがその芸術的才能を開花させたベルリン滞在時期、ストリンドベリ、プシビシュフスキー、そしてダグニー・ユールらと交友関係を結んだ。

ムンクは密かにダグニー・ユールに想いを寄せていたが、彼女はプシビシュフスキーと結婚してしまう。しかし、ダグニー・ユールは自由奔放な女性でありその行動は夫のプシビシュフスキーを大いに悩ませた。

ムンクの作品「嫉妬」の正面を向いた苦悩する男性はプシビシュフスキー、後景で褒賞する男女はダグニー・ユールとストリンドベリであるとも言われているそうだ。

ムンクは度々ファム・ファタールとしてのダグニー・ユールをモデルに絵を描いている。


半裸の女性に無数の手が伸びている「手」、

女性の聖女的、娼婦的、悲劇的側面を描いた「女性三相」、

女性の性と生そして死が同居しているかのような「マドンナ」


といった作品群である。

ムンクが死の床につくまでベットの横にあったというダグニー・ユールの肖像画、そんな彼女は恋人であったロシアの男性に銃殺されるという悲劇的な運命をたどったという。
http://blog.goo.ne.jp/masamasa_1961/e/fb21380850f2d00f19b4967e00b46542

ダグニー・ユール

まず、この一枚の絵をみていただこう ムンク作「嫉妬」

ムンク「嫉妬」

そして、この写真
ダグニー・ユールと夫ブシェビシュフスキー


左は、ムンクの友人ブシビシェフスキー、そして右がダグニー・ユール

明らかに、嫉妬の焔に身を焦がしているのは、彼
そして、背後に男性といるのは、ダグニー

「二人の姉妹」で、画家に後ろを向けてピアノを弾いていた女性である。

☆  ☆  ☆

1863年ノルウェイに生まれたムンクは父の血統から精神的な不安定さを、母の血統からは身体の虚弱を受け継いだ

画家を志し、修行に出たベルリンで「黒豚亭」という居酒屋に集まるグループに入り作家および神秘家のストリンドベリやブシビシェフスキーらと親交を結ぶようになる

このグループのミューズ的存在であったのが、ダグニー・ユールだった

裕福な医師の娘で、ノルウェイの首相の一族でもある彼女はその美貌と奔放な言動でグループ構成員の憧れの的だった。ムンクも、言わずもがな、である。

「二人の少女」に見られるように、ムンクと彼女の関係はある親密さをたたえたものだったと思われる。

家庭に入り込み、その妹を含めたくつろぎの時間を画架に留めていく
それはいつしか、自分とダグニーの「家庭」の光景に変わるかもしれない。
そうムンクはひそかに思い定めていたのではないだろうか。

ところが、彼女はブシビシェフスキーと結婚してしまう。
しかも、結婚の条件として、「性的な自由」を与えるという夫の言質をとって。

同じくノルウェイ出身のイプセンの「新しき女」がそれまでのヴィクトリア朝の四角四面の道徳に縛られた世界に大きな衝撃を与えたように彼女(ダグニー)も、「新しき女」として存在したかったのだろうか。

結婚した後も、ダグニーは幾人ものボーイフレンドをもち奔放な生活を謳歌したという

そして、悲劇が訪れる

ダグニーは、交際のもつれから、ボーイフレンドに射殺されてしまう。


ムンク「叫び」

ムンクにとって、世界は耐え難いものに変貌を遂げる。
彼の絵に繰り返し表れる女性の背信、死のイメージ、ねじまがった空間
それは、このファム・ファタル(運命の女)、ダグニーが齎したものではなかっただろうか。

そういえばその最初から、彼女は画家に背を向けて、その画像に姿を現していたのである。
http://plaza.rakuten.co.jp/eyasuko/diary/200807040000/#comment

ベルリン分離派展(1902)で初めて展示された(生命のフリーズ〉の22点はムンクの代表作。

血のように赤い女の髪が蹲る蒼い顔の男を覆う(吸血鬼〉(1893ー94)。

左手で頭を押さえる蒼白の男と、両手を頭の上で組み、胸をはだけて赤い下着を露出させた女を左右に対比した(灰〉(1925ー29)。

精神を病んだ妹ラウラが椅子に坐る、丸テーブルの赤い模様が脳の断面図を想わせる(メランコリー、ラウラ〉(1899)。

赤い空と青灰色のフィヨルド、左上から右下へ斜断する橋の上の人物‥‥
(叫び〉(1893)と同じ構図と色彩で描かれた(絶望〉(1893ー94)と(不安〉(1894)。

両手を後ろで組んだ赤いドレスの女と、その左後ろで海を眺める白いドレスの金髪女を対比する(赤と白〉(1894)。

左にクリーム色のドレスの女(オーセ)、中央に脚を開いて両手を頭の後ろで組んだヌードの女、右に青白い顔の黒服女‥‥少女〜壮年〜老年期を象徴する3人の女たちが右端の男を誘惑する(女性、スフィンクス〉(1893ー94)。

全裸の男女(ムンクとトゥッラ)が「生命の木」の右と左に立つ(メタボリズム〉(1899ー1903)は凝った造りの木の額(上部に風景、下部に骸骨と木の根が描かれている)に填められている。

左に白いドレスの女(トゥッラ)、中央で黒服と赤いドレスの男女が踊り、右端の黒いドレスの女が(嫉妬の眼差しで)見つめる(その間の奥では欲情した男が女を抱きしめてキスを強要している)(生命のダンス〉(1925ー29)は、男女の自由恋愛の遍歴と苦悩を左から右へ描く。

両手を後ろに回して胸を突き出した女性が目を閉じてキスを誘う(声 / 夏の夜〉(1893)のモデルは、ムンクの初恋の人ミリー・タウロウ(遠縁の従兄の妻)‥‥

(生命のダンス〉にも描かれていた水面に映る黄色い月の光の柱、セックスを暗示する「魔術的なシンボル」(ウルリヒ・ビショフ)が輝く。
                    *
彼は彼女の腰に腕をまわして坐っていた──彼女の頭は彼のすぐそばだった──
彼女の眼や口や胸がこんなにぴったり寄せられているのは何とも奇妙な感じだった──
彼は1本1本のまつ毛を眺めた──眼球の緑がかった色あいを眺めた──
それは海のようにすきとおっていた──ひとみは大きくて、半ば暗くかげっていた──
彼は指先で彼女の口に触れた──やわらかな唇の肉は彼が触れるがままにへこんだ──そしてその唇はほほえみへと変わっていった 

その青灰色の大きな眼がじっと自分を見つめるのを感じているうちに──彼は赤い光を映している彼女のブローチをしげしげと眺めた──ふるえる指先で触ってみた
それから顔を彼女の胸に押し当てた──血管の中で血が激しく流れるのが感じられた──

彼女の鼓動に耳をすました──彼女の膝に顔を埋めた 

燃えるような2つの唇が首筋に触れるのが感じられた──凍えるような冷たさが身内をつらぬいた──

凍えるような欲情が──それから彼女を力いっぱい引き寄せた 自分の方へ
エドヴァルド・ムンク 「間奏曲」


(吸血鬼〉(1916ー18)は一番最初に展示されていた同名作品の野外拡大ヴァージョン。

ムンクは同じテーマやモティーフ、構図の絵画を繰り返し何回も描いているし、タイトルにも制作年にも頓着しない。

(吸血鬼〉は(愛と苦痛〉という題名をプシビシェウスキが「象徴派風のより煽情的なタイトルに変更したもの」である。

別れた女の金髪が長く靡いて失意の男に絡み着く(別離〉(1896?)。

紅い果樹の下で密会する男女(ムンクとダグニー)に嫉妬する夫スタチュ(スタニスラウ・プシビシェウスキ)を前景に描いた(嫉妬〉(1895)の続編とも言うべき(赤い蔦〉(1898ー1990)

──赤い不吉なアメーバに覆われたヒョステルー邸が気味悪い──は「ダグニー殺害を象徴的に記念する」。

左下に紫色のフードを被った男が描かれた(嫉妬、庭園にて〉(1916ー20)も、妻の浮気に嫉妬する夫というモティーフのヴァリエーションの1つでしょう。

青い色調が美しい(星月夜 1〉(1922ー24)。

「魂の絵画」の第1作目で「後に表現主義の最初の傑作として知られることになる」(病める子供〉(1925)の初期ヴァージョンがオスロ秋季展(1886)に展示された時は「物笑いの種」にされた。

《ムンクの気違いじみた絵の前に行って大笑いするのは市民のお気に入りの気晴らしとなった》(スー・プリドー)という。

籐椅子に坐っている瀕死の少女ソフィエの傍らで頭を下げて泣く母ラウラという構図だが、現実では娘の死の前に母親は既に病死している。母親役のモデルを務めたのはカーレン叔母で、ソフィエ役は赤毛の少女ベッツイ・ニールセン(12歳)である。

19世紀末のノルウェー市民や美術批評家の多くは、ムンクの20世紀的な「魂の絵画」を全く理解出来なかった。同じ主題の絵でも鑑賞者1人1人によって感じ方が違う。《ムンクは主観性の放棄を否定した》のである。

「人魚:アクセル・ハイベルグ邸の装飾」は1896年の夏、ムンクがハイベルグ邸に短期滞在して描いた人魚のパネルで、《月光が縞をなす海辺から人魚がオースゴールストランの浜辺に姿を現わす》というもの。

(リンデ・フリーズ〉はドイツ人の眼科医マックス・リンデ博士の4人の息子の子供部屋のために制作された横長の連作(11点)だったが、子供らしいテーマの風景画という依頼主の期待に応えられなかった。

なぜなら、性愛や孤独や死という実存テーマが隠れていたから‥‥。
実体験に基づく実存的な絵画しか描けないムンクに、子供たちに夢を与える絵を注文すること自体に無理があったのではないか。

(果物を収穫する少女たち〉(1904)も額面通りに受け取れない深淵が覗く。

(ラインハイト・フリーズ〉は劇団を主宰するマックス・ラインハルトの依頼で制作したテンペラ画12点で、小劇場2階のロビーに飾られた。

「オーラ:オスロ大学講堂の壁画」は創立100周年を記念して建設された講堂の壁画で、大小11点のフリーズが制作された。

海から昇る白い大陽が放射状の黄色い光線を放つ(太陽(習作)〉(1912)。

海辺で老人が幼い少年に「歴史」を語る(歴史〉(1914)。

「恵の母」「母校」という意味の(アルマ・マテール〉(1914)は《赤子を胸に抱く頑強そうな体格の若い母親が未来を象徴する》。

(フレイア・フリーズ〉はノルウェーのチョコレート製造会社フレイアの社員食堂のための装飾画。

《ムンクは「チョコレート好きの少女」たちが昼食をとりながら眺めて喜びそうなものをすべて採り入れて、心の浮き立つ陽気な浜辺の情景をフリーズに描いた》。

(労働者フリーズ〉はオスロ新市庁舎のための壁画プロジェクト。

(雪の中の労働者たち〉(1909ー10)、(疾駆する馬〉(1910ー12)、(労働者と馬〉(1920?)‥‥というタイトル通り、「労働者」と「馬」と「雪」が主役になっている。
                    *

宵に宵を継いで意識は流れ、夢は夢を生み、新しい詩、本、戯曲、あるいはカンヴァス、錬金術の実験、科学の発見をうながす霊感を呼び起こす。

そこで語られた話題は

夢、催眠術、連想、カラー写真、「モーターを駆動する空気中の電気」、
魔術、呪術、遠隔操作で敵を殺す方法、悪魔を呼び出す方法、
石炭からヨウ素を採取する方法、卑金属から金や銀を製造する錬金術、
植物には神経があるか(ストリンドベリは果実にモルヒネを注入して近在の果樹園主を仰天させた)、
光のスペクトル分析、物理学、蚕抜きに水性の絹を製造する方法、
象徴が作用する仕組み、脳に対するまじないと薬品の効き目、性愛の力学

などがある。かれらの試みはむこうみずなくらい大胆で、それなりの自己犠牲も伴った。度を越したことは、肉体、精神、心理にどのような負担を強いようともエネルギーを産む源と考えられていた。
    スー・プリドー 『ムンク伝』


ムンクに大きな影響を与えた2人の人物にも触れておこう。

ハンス・イェーガーは無政府主義のニヒリストで「クリスティアニア(現オスロ)のボヘミアン」の首領。同世代の若者を「堕落させるか自殺に追い込むのが目標」で、信奉者の1人ヨハン・セックマン・フレイシャーが書いた戯曲を貶して、彼をピストル自殺に追い遣った。

ボヘミアン・グループの9戒は

「1. 汝、自らの人生を記せ」‥‥「9. 汝、自らの生命を奪え」

である。

アウグスト・ストリンドベリはベルリンのワイン・バー「黒豚亭」の常連。

ムンクと意気投合して、お互いに絵画を「共同制作」するなど親密な交際を続ける。

黒豚亭では悪魔主義の占星術師スタニスラウ・プシビシェスキを中心に、夜を徹して白熱した議論が交された。ニーチェ、イプセン、マラルメ、ドストエフスキー‥‥もムンクの創作活動に影響を与えた。

若い頃の写真を見れば分かるように美青年のムンクは女性にモテた。

人妻のミリー・タウロウ、司法長官の娘オーダ・クローグ、医者の娘でノルウェー首相の姪のダグニー・ユール、絵描き仲間のオーセ・ヌッレガール、ヴァイオリン奏者のエヴァ・ムドッチ、ワイン商の娘トゥッラ・ラーセン‥‥

トゥッラはムンクを追い回して辟易させた(女ストーカー?)。

彼女たちは絵のモデルになって名を残したが、終の住処であるエーケリーの屋敷ヘ移り住んだ後も、家政婦兼モデル志願の若い女性たちがムンクの許を訪れた。

カーレン・ボルゲン、インゲボルグ・カウリン(モスピッケン)、セリーヌ・クーヴィリエ、ヘルガ・ログスター、フロイディス・ミョルスタ、アンニ・フィエルブ、カティア・ヴァリエル、ビルギット・プレストー‥‥

《娘たちは玄関の呼び鈴を鳴らし続ける》。

ムンクは自分の絵を「子供たち」と呼び、売らずに手許に残して置きたがったが、「娘たち」にも恵まれていたわけである。
http://sknys.blog.so-net.ne.jp/2008-05-01

Edvard Munch. By the Fireplace. 1890-94. Pencil and Indian ink. 35.1 x 26.2 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch79.html

By the Deathbed (Fever). 1893. Pastel on board. 60 x 80 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch89.html

Edvard Munch. Dagny Juel Przybyszewska. 1893. Oil on canvas. 148.5 x 99.5 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch90.html#note

Edvard Munch. The Scream. 1893. Oil, tempera and pastel on cardboard. 91 x 73.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch32.html

Edvard Munch. The Voice. 1893. Oil on canvas. 87.5 x 108 cm. The Museum of Fine Arts, Boston, MA, USA
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch19.html

Edvard Munch. Moonlight. 1893. Oil on canvas. 140.5 x 135 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch22.html

Edvard Munch. The Hands. c. 1893. Oil on board. 91 x 77 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch134.html

Edvard Munch. Stormy Night. 1893. Oil on canvas. 91.5 x 131 cm. The Museum of Modern Arts, New York, NY, USA.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch24.html

Edvard Munch. Anxiety. 1894. Oil on canvas. 94 x 73 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch93.html

Edvard Munch. Madonna. 1894-95. Oil on canvas. 91 x 70.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch18.html
https://www.google.co.jp/search?q=Edvard+Munch+-+Madonna&lr=lang_ja&sa=N&hl=ja&tbs=lr:lang_1ja&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=cdAVUsQPy_-UBfWkgJgI&ved=0CCgQsAQ4Cg&biw=1002&bih=919#fp=114a45c7fbf5bb70&hl=ja&lr=lang_ja&q=Edvard+Munch++Madonna&tbm=isch&tbs=lr:lang_1ja&imgdii=_

Edvard Munch. Puberty. 1894. Oil on canvas. 151.5 x 110 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch21.html

Edvard Munch. Eye in Eye. 1894. Oil on canvas. 136 x 110 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch74.html

Edvard Munch. The Day After. 1894-95. Oil on canvas. 115 x 152 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch27.html

Edvard Munch. Ashes. 1894. Oil on canvas. 120.5 x 141 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch28.html

Edvard Munch. The Three Stages of Woman (Sphinx). c. 1894. Oil on canvas. 164 x 250 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch29.html

Edvard Munch. Red and White. 1894. Oil on canvas. 93.5 x 129.5 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch173.html

Edvard Munch. Melancholy. 1894-95. Oil on canvas. 81 x 100.5. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch30.html

Edvard Munch. Salome Paraphrase. 1894-98. Watercolor, ink and pencil. 46 x 32.6 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch136.html

Edvard Munch. House in Moonlight. 1895. Oil on canvas. 70 x 95.8 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch23.html

Edvard Munch. Stanislaw Przybyszewski. 1895. Tempera on canvas. 75 x 60 cm. Munch Museum, Oslo, Norway
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch103.html#note

Edvard Munch. Self-Portrait with Burning Cigarette. 1895. Oil on canvas. 110.5 x 85.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch2.html

Edvard Munch. Moonlight. 1895. Oil on canvas. 93 x 110 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch20.html

Edvard Munch. The Death Bed. 1895. Oil on canvas. 90 x 120.5 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch33.html

Edvard Munch. Death in the Sick Chamber. 1895. Oil on canvas. 150 x 167.5 cm. Nasjonalgalleriet, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch34.html

Edvard Munch. The Kiss. 1895. Etching, aquatint and drypoint. 32.9 x 26.2 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch96.html

Edvard Munch. The Scream. 1895. Lithograph. 35.5 x 24.4 cm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch100.html

Edvard Munch. Self-Portrait with Skeleton Arm. 1895. 45.5 x 31.7 cm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://www.abcgallery.com/M/munch/munch99.html

Edvard Munch. Jealousy. 1895. Oil on canvas. 67 x 100 cm. Rasmus Meyer Collection, Bergen, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch101.html

Edvard Munch. Madonna. 1895. Lithograph. 443 x 434 mm. Munch Museum, Oslo, Norwayhttp://hotelmagazine.dk/blog/articles/twin-peaks/
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch170.html

Edvard Munch. Vampire. 1895-1902. Combined woodcut and lithograph. 38.5 x 55.3 cm. Munch Museum, Oslo, Norway.
http://www.abcgallery.com/M/munch/munch104.html

2. 中川隆[-13524] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:18:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1380] 報告

ドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか 2019年4月19日
アレクサンドラ・グゼワ
https://jp.rbth.com/arts/81919-dosutoefusuki-ha-edovarudo-munku-ni-donna-eikyou-wo-ataeta-ka


 ムンクの陰気な絵は、実は、ドストエフスキーの陰気な作品のために用意された挿絵なのではないかいう気はしないだろうか?我々はそんな気がする、それで、それはやはり何か理由があるという裏付けを探し出した。


 4月にトレチャコフ美術館で、世界的に有名なノルウェー人、エドヴァルド・ムンクのロシア初の大きな展覧会が開かれている。ロシアでは、ムンクの作品はそれほど多くは知られていないにもかかわらず、彼の創作は、我々が推定しうるよりももっとロシアと大きな結びつきがある。ムンクが崇拝し、彼にインスピレーションを与えたのはドストエフスキーだった。ムンクのもっとも有名な作品『叫び』は、ドストエフスキーの悪霊の一人を絵画の中に住まわせたかのようにも見える。


エドヴァルド・ムンク、「叫び」、1893


 オスロのムンク美術館と数年間にわたって交渉を行ってきたトレチャコフ美術館の館長は、芸術においてムンクが成し遂げたことは、文学においてドストエフスキーが成し遂げたことと同じだという。「人間の心を裏返し、その奥にあるものをすべて、人間を苛む熱情の深みを描写し、人間の本性の複雑さを見せてくれたんだ」

ムンクはドストエフスキーの文学の才能に酔いしれていた

 若きムンクもその一員だった1880年代のオスロのボヘミアンは、クリエイティヴなアナーキストたちの集まりで、ちょうどその頃ノルウェー語に訳されたドストエフスキーを貪るように読んでいた。


エドヴァルド・ムンク。彼のワークショップにて。ノルウェー、1938年。


 「いつ、誰があの時代を描写できるだろうか?ドストエフスキーが例えばロシアのシベリアの町でうまくやったように、かなりの説得力をもってクリスチャニア(オスロの古い名)のつまらない生活を描き出すには、ドストエフスキー本人か、せめて、クローグ(画家、ムンクの教師)とイェーゲル(スキャンダルを巻き起こしたアナーキスト作家)と私自身を混ぜ合わせたものが必要だろう、当時だけでなく、今現在も」とムンクは書いている。

お気に入りの作品は『おとなしい女』

 ドストエフスキーのあまり有名でない(ともかく、他の長編小説の栄光の陰に隠れている)中編の『おとなしい女』は、おそらく、ムンクにもっとも大きな影響を与えている。これは、貧しさゆえに、軽蔑している質屋と結婚した不幸な女性の自殺をめぐる短編だ。

 もっとも有名なムンクの自画像のひとつで、裸の女性の姿が描かれている『柱時計とベッドの間の自画像』を、実は鑑定人たちは『おとなしい女』の挿絵だと考えている。


エドヴァルド・ムンク。『柱時計とベッドの間の自画像』1940-1943。


 病人や貧窮した若い女性たちへの芸術的な弱さを描くことが、ムンクとドストエフスキーに共通の特徴だ。ムンクのもっとも有名な絵のひとつ――『病気の子ども』、または『病気の少女』は、“未完成”だとして批評家たちの不評の嵐を呼んだが、大好きだった姉の結核による死をめぐる画家の悲しみが反映されている。

エドヴァルド・ムンク。「病気の少女」、1885-1886。

 「もっとも、なぜ自分が当時、彼女にかかずらっていたのかわからないんだ。彼女がいつも病気だったからという気がする…。彼女が足をひきずっていたり、背中がひどく曲がっていたりしていたら、自分は、もっと彼女を愛せたような気がするんだ…」とラスコーリニコフは言った。

ムンクの絵は、ドストエフスキーの主人公のように苦しんでいた

 ムンクの伝記作家ステネルセンは奇妙な手法について記述している。それは、自分の絵を自身の子どもたちだとみなした画家が、それゆえに絵たちを「育てよう」としたが、うまくいかなかったというのだ。彼は、自分の絵を雨や風の中、雪の下に置き、いくばくかの時間が経ってから回収していた。まさにこうして彼は『別離』という作品を創作したため、この絵はひどく損傷していることはよく知られている。偶然に現れたシミ、例えば、鳥のフンの痕などが絵の一部になっている。

エドヴァルド・ムンク。「別離」、1896


 この手法を、ムンクは「ヘステクールhestekur」と呼んでいた、「馬の治療」という意味だ。鑑定人たちは、これはラスコーリニコフの夢を示唆していると考えている。その夢の中で幼い主人公は、男が弱りきった痩せ馬を、「自分のもの」だからというだけで殴っているのを見る。かたや野次馬は「くたばるまでぶったたけ」と言っている。

ムンクは自分を作家と同一視していた


エドヴァルド・ムンク、自画像


 ムンクはおそらく、現代ではファンアートと呼ばれる、小説のファンが好きな作品をもとに作る芸術を創作したのかもしれない。無数にある自分の自画像の中のひとつに、ムンクは骸骨の手をした自分の姿を描いている。この作品のインスピレーションをムンクに与えたのは、スイスの画家フェリックス・ヴァロットンが似た手法で描いたドストエフスキーの肖像だったという意見もある。

フェリックス・ヴァロットン。ドストエフスキーの肖像。

ムンクはドストエフスキーの本と共に亡くなってるところを発見された

 この展覧会には画家が所有していた小さな本が一冊展示されており、それはショーケースの中のディアギレフがムンクに宛てた手紙の横に置かれている。この本は『Djasvlene』――ノルウェー語で小説『悪霊』の題名だ。1944年、オスロ近くにある郊外の自身の領地で、まさにベッド横の小机の上にあったこの本と共にムンクは亡くなっているところを発見された。

*ロシア・ビヨンドは、この資料の準備を助けてくれた、文化学者でジャーナリストで公開公演局「プリャマヤ・レーチ」の講師、そしてポッドキャスト「少年のための芸術」の作家で司会でもあるアナスタシア・チェトヴェリコワに感謝を申し上げる。


https://jp.rbth.com/arts/81919-dosutoefusuki-ha-edovarudo-munku-ni-donna-eikyou-wo-ataeta-ka  

3. 中川隆[-13523] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:28:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1381] 報告

世紀末の音楽 アルノルト・シェーンベルク 『浄められた夜』


Schonberg “Verklärte Nacht” Karajan & BPO, 1974



Arnold Schönberg Pelleas und Melisande, Op. 5 (Karajan, Berliner Philharmoniker)



Schonberg “Variations for Orchestra, op 31” Herbert von Karajan & Berliner Philharmoniker, 1974



▲△▽▼


Second Viennese School Orchestral Works [ H.V.Karajan Berlin-PO ] (1972~74)





1. Schoenberg "Pelleas und Melisande" (00:00)
2. Schoenberg "Variation for Orchestra" (43:25)
3. Schoenberg "Verklarte Nacht" (1:05:51)
4. Webern "Passacaglia for Orchestra" (1:35:39)
5. Webern "Six Pieces for Orchestra" (1:47:51)
6. Webern "Symphony" (2:00:51)
7. Berg "Three Pieces for Orchestra" (2:11:08)
8. Berg "Three Pieces from the 'Lyric Suite" (2:42:14)


▲△▽▼


Schoenberg Gurre 1988 08 08 Berlin Abbado - YouTube




8-8-1988 Philharmonie Berlin
Arnold Schönberg Gurrelieder
European Community Youth Orchestra; Gustav Mahler Jugendorchester; Enrst Senff Chor Berlin; Philharmonischer Chor Berlin; Wiener Jeunesse Chor
Claudio AbbadoClaudio Abbado

Jessye Norman (Sopran)
Brigitte Fassbaender (Mezzosopran)
George Gray (Tenor)
Helmut Wildhaber (Tenor)
Hartmut Welker (Bariton)
Barbara Sukowa (Sprecherin)

▲△▽▼
▲△▽▼

若い頃のシェーンベルクはブラームスに傾倒していたが、のちツェムリンスキーに師事し、師の影響でヴァーグナーの音楽にも目覚め、また、ツェムリンスキーとともにマーラーの家に出入りして音楽論をたたかわせたり、彼の交響曲について好意的な論文を記述したこともある。ブラームスとヴァーグナーという異なる傾向を結びつけるような音楽を書いた点はツェムリンスキーと共通している。

初期は『ペレアスとメリザンド』や『浄められた夜』など、後期ロマン主義の作品を書いていたが、その著しい半音階主義からやがて調性の枠を超えた新しい方法論を模索するようになる。

『室内交響曲第1番』は後期ロマン派の大規模な管弦楽編成からあえて室内オーケストラを選び、4度を基本とした和声を主軸とした高度なポリフォニーによる作品となっている。

これ以降、彼の実験は更に深められ、次第に調性の放棄=無調による作品を志向するようになっていく。

1900年から書き始められ1911年に完成した『グレの歌』は、巨大な編成と長大な演奏時間をもち、カンタータ、オペラ、連作歌曲集などの要素が融合した大作である。しかし、基本的な構想は1901年までに書かれているため、音楽的には『ペレアスとメリザンド』などと同様後期ロマン派の様式となっており、ある意味、後期ロマン派音楽の集大成であり頂点であるともいえる。しかし、楽器法などには中期のスタイルがみられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


マーラー(1860年7月7日 - 1911年5月18日)と シェーンベルク(1874年9月13日 - 1951年7月13日)の関係

マーラーは14歳年下であるアルノルト・シェーンベルクの才能を高く評価し、また深い友好関係を築いた。

彼の『弦楽四重奏曲第1番』と『室内交響曲第1番ホ長調』の初演にマーラーは共に出向いている。

前者の演奏会では最前列で野次を飛ばすひとりの男に向かい「野次っている奴のツラを拝ませてもらうぞ!」と言った。この際は相手から殴りつけられそうになったものの、マーラーに同行していたカール・モル(英語版)が男を押さえ込んだ。男は「マーラーの時にも野次ってやるからな!」と捨て台詞を吐いた。

後者の演奏会では、演奏中これ見よがしに音を立てながら席を立つ聴衆を「静かにしろ!」と一喝し、演奏が終わってのブーイングの中、ほかの聴衆がいなくなるまで決然と拍手をし続けた。この演奏会から帰宅したマーラーは、アルマに対しこう語った。

「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」

シェーンベルクの側でも、当初はマーラーの音楽を嫌っていたものの、のちに意見を変え「マーラーの徒」と自らを称している。1910年8月には、かつて反発していたことを謝罪し、マーラーのウィーン楽壇復帰を熱望する内容の書簡を連続して送っている。

ある夜、マーラーがシェーンベルクとツェムリンスキーを自宅に招いたとき、音楽論を戦わせているうち口論となった。反発するシェーンベルクに怒ったマーラーは「こんな生意気な小僧は二度と呼ぶな!」とアルマに言い、シェーンベルクとツェムリンスキーはマーラー宅を「もうこんな家に来るものか!」と出て行った。だが、数週間後にマーラーは「あのアイゼレとバイゼレ(二人のあだ名)は、なぜ顔を見せないのだろう?」とアルマに尋ねるのだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC#%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%A2%E4%BF%82


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アルノルト・シェーンベルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7

アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874年9月13日 - 1951年7月13日)は、オーストリアの作曲家・指揮者・教育者。 調性音楽を脱し無調に入り、十二音技法を創始したことで知られる[1]。アメリカに帰化してから1934年以降は、「アメリカの習慣を尊重して」[2]"ö"(o-ウムラウト)を"oe"と表記したSchoenbergという綴り[3]を自ら用いた。アメリカでは「アーノルド・ショーンバーグ[4]」と呼ばれた。

父シャームエル・シェーンベルク(Sámuel Schönberg 1838年 - 1889年 [1])は代々ハンガリーのノーグラード県セーチェーニに住むユダヤ人で、靴屋を営んでいた。母パウリーネ・ナーホト(Pauline Náchod 1848年 - 1921年)もボヘミア(現・チェコ)プラハ出身のユダヤ人であった。

ウィーンにて生誕。初めはウィーン人らしくカトリックのキリスト教徒として育てられる。8歳よりヴァイオリンを習い始める。その後チェロを独学で学ぶ。15歳の時、父が亡くなり、経済的に立ち行かなくなった彼は、地元の私立銀行に勤め始め、夜間に音楽の勉強を続けていた。その後作品を発表し始めたころに彼の余りにも前衛的な態度のため、激怒した聴衆によってウィーンを追い出され、ベルリン芸術大学の教授に任命される時、プロテスタントに改宗、その後ナチスのユダヤ政策に反対して1933年、ユダヤ教に再改宗している。


無調への試み

若い頃の彼はブラームスに傾倒していたが、のちツェムリンスキーに師事し、師の影響でヴァーグナーの音楽にも目覚め、また、ツェムリンスキーとともにマーラーの家に出入りして音楽論をたたかわせたり、彼の交響曲について好意的な論文を記述したこともある。ブラームスとヴァーグナーという異なる傾向を結びつけるような音楽を書いた点はツェムリンスキーと共通している。

初期は『ペレアスとメリザンド』や『浄められた夜』など、後期ロマン主義の作品を書いていたが、その著しい半音階主義からやがて調性の枠を超えた新しい方法論を模索するようになる。『室内交響曲第1番』は後期ロマン派の大規模な管弦楽編成からあえて室内オーケストラを選び、4度を基本とした和声を主軸とした高度なポリフォニーによる作品となっている。これ以降、彼の実験は更に深められ、次第に調性の放棄=無調による作品を志向するようになっていく。1900年から書き始められ1911年に完成した『グレの歌』は、巨大な編成と長大な演奏時間をもち、カンタータ、オペラ、連作歌曲集などの要素が融合した大作である。しかし、基本的な構想は1901年までに書かれているため、音楽的には『ペレアスとメリザンド』などと同様後期ロマン派の様式となっており、ある意味、後期ロマン派音楽の集大成であり頂点であるともいえる。しかし、楽器法などには中期のスタイルがみられる。

1908年、弦楽四重奏曲第2番(1907年〜1908年)のソプラノ独唱付きの終楽章と、歌曲集『架空庭園の書』(1908年〜1909年)で初めて無調に到達した、とされることも多い。 1909年に書かれた『3つのピアノ曲』op. 11や『5つの管弦楽のための小品』op. 16、モノドラマ『期待』op. 17では、多少調性の香りを残していたが、無調の様々な可能性が試みれられた。『6つの小さなピアノ曲』op. 19(1911年)で、調性をほぼ完全に放棄するに至った、とする見解もある。これらの実験から傑作歌曲集『月に憑かれたピエロ』(ピエロ・リュネール)が生まれる。

『月に憑かれたピエロ』は『期待』の成果を更に推し進めて生み出されたと言ってよいかも知れないが、着想などは更にユニークである。ラヴェルやストラヴィンスキーに影響を与え、前者が『マラルメによる3つの歌』を、そして後者が紀貫之の短歌等による『日本の3つの抒情詩』を作るきっかけとなった。そして後のブーレーズらにも影響を与えた傑作である。物語の朗唱を室内楽で伴奏をするという方法が、かつてなかったとは言えないまでも、これほどにまで高められた作品は皆無で、またかつて無い効果をあげた伴奏の書法も全くユニークな傑作であった。

ただ、時代は無調の音楽に対する準備が出来ていたとは言えなかった。ストラヴィンスキーの『春の祭典』で大騒ぎとなるような時代で、無調の音楽は一部のサークルの中だけのことであった。ウィーンの私的演奏会で聴衆が怒り出してパニックになったり帰る人が続出したのは当然であった。しかし、指揮者のシェルヘンなどが積極的にこれらの音楽を後押しし、演奏してまわったことで、シェーンベルクなどの音楽が受け入れられるようになっていく。

同じ頃、弟子のアルバン・ベルクは『クラリネットとピアノのための5つの小品』op. 5や『管弦楽のための3つの小品』op. 6などで、無調(あるいは拡大された半音階主義)の作品を発表し、アントン・ヴェーベルンも師シェーンベルクにならって『6つの小品』op. 6を書いているが、シェーンベルクはバランス感覚に優れ、ベルクはより劇的で標題性を持ち、ヴェーベルンは官能的なまでの音色の豊穣さに特徴があり、明確な個性の違いがあるのは興味深い。

12音音楽の確立

1910年代後半、シェーンベルクは大作『ヤコブの梯子』に挑むが、第一次世界大戦で召集されたためにその他の多くの作品と共に未完のままに終わった。同じ頃、弟子のベルクは歌劇『ヴォツェック』Op.7を完成する。シェーンベルクらと始めた無調主義による傑作オペラの登場である。無調主義が次第に市民権を持ちはじめると共に、無調という方法に、調性に代わる方法論の確立の必要性を考えるようになっていった。それが12音音楽であった。

12の音を1つずつ使って並べた音列を、半音ずつ変えていって12個の基本音列を得る。次にその反行形(音程関係を上下逆にしたもの)を作り同様に12個の音列を得る。更にそれぞれを逆から読んだ逆行を作り、基本音列の逆行形から12個の音列を、そして反行形の逆行形から12個の音列を得ることで計48個の音列を作り、それを基にメロディーや伴奏を作るのが12音音楽である。一つの音楽に使われる基本となる音列は一つであり、別の音列が混ざることは原則としてない。したがって、この12音音楽は基本となる音列が、調性に代わるものであり、またテーマとなる。そして音列で作っている限り、音楽としての統一性を自然と得られる仕組みとなっている。

この手法でシェーンベルクが最初に書いたのが、全曲12音技法で書かれた『ピアノ組曲』op.25(1921年〜1923年)の「プレリュード」(1921年7月完成)である。作品番号では『5つのピアノ曲』op.23(1920年〜1923年)が先立っているが、12音技法による第5曲「ワルツ」は1923年2月の完成とされている。ヴェーベルンも1924年、『子どものための小品』の中で12音音列を使った作品を書き、ベルクもすぐにその技法を部分的にとり入れた。

ただし、12音の音列による作曲法はシェーンベルクの独創とは言えない。ウィーンの同僚であったヨーゼフ・マティアス・ハウアーが、シェーンベルクより2年ほど前にトローペと言われる12音の音列による作曲法を考案している。1919年にハウアーが作曲した『ノモス』は、最初の12音音楽と見なされている。この年、シェーンベルクはこの作品を自身の演奏会で紹介しているが、ハウアーが12音音楽の創始者であることに固執したこともあり、シェーンベルクと、その理解者でベルクの弟子でもある哲学者・音楽学者のテオドール・アドルノの2人から酷評される。また、1930年代のナチスの台頭により退廃音楽家として排斥され、戦後に再評価されるまで全く忘却されてしまったこともあり、ハウアーが1920年代に果たした役割が過小評価されていることは否めない。

弟子のヴェーベルンが音楽をパラメータごとに分解してトータル・セリエリズムへの道を開き、形式上の繰り返しを否定し変容を強調したのに対し、シェーンベルクは無調ながらもソナタや舞曲など従来の形式を踏襲している。また初期の無調音楽は部分的には機能和声で説明できるものが多く、マーラーやツェムリンスキーなど高度に複雑化した和声により調性があいまいになっていた後期ロマン派音楽の伝統と歴史の延長線上に位置する。

厳格でアカデミックな(ただしかなり偏った解釈でもあった)教育方針は古典作品の徹底的なアナリーゼを基礎としていた。12音技法の開拓後はリズム、形式面で古典回帰が顕著で、彼自身も新古典主義との係わりを避けることは出来なかった。

美術をはじめとする芸術一般にも興味を持ち相互に影響した。シェーンベルクの描いた表現主義的な『自画像』は(メンデルスゾーンなどと同じく)画家としての才能も示している。ロシアの画家カンディンスキーはシェーンベルクのピアノ曲演奏風景をそのまま『印象・コンサート(1911年)』という作品にしている。

亡命と晩年

ナチス・ドイツから逃れて1934年にアメリカに移住する。移住後も南カリフォルニア大学(USC)とカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)にて教育活動を精力的に行い、弟子にはジョン・ケージ、ルー・ハリソンなど、アメリカ現代音楽を代表する作曲家も含まれる。(アメリカでの教育活動は、アメリカの音楽教育に大きな革新をもたらしたが、反対にある種「後遺症」ともいうべき偏ったアカデミズムが長く根付くこととなった。) USCには彼の名をちなんだリサイタルホールを擁する「アーノルド・シェーンバーグ研究所」(Arnold Schoenberg Institute)があり、UCLAには彼の生前の功績をたたえ、記念講堂が建造されているが、実際のアメリカのシェーンベルクの家財道具などにアメリカでは管理費などの寄付が全く集まらず、母国のオーストリアがすべて輸入して引き取り、現在ウィーン市にシェーンベルク・センターとして情報の公開に多大の寄与をしている。

移住後は、『室内交響曲第2番』『主題と変奏』などの調性を用いた先祖帰りの作品も作曲しているが、大半が旧作の完成か、アメリカの大学の委嘱などで学生でも演奏ができるように書いた作品である。

また、他界する直前まで合唱曲『現代詩篇』を作曲していたが、未完に終った。戦後始まった第1回ダルムシュタット夏季現代音楽講習会からも講師として招待されたが、重い病気のためキャンセルした。

1951年7月13日、喘息発作のために、ロサンゼルスにて死去した。76歳。故郷ウィーン中央墓地の区に葬られており、墓石は直方体を斜めに傾けた形状である。


主な作品

詳細は「シェーンベルクの楽曲一覧」を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7


歌劇

期待 op.17(1909)
幸福な手 op.18(1908-1913)
今日から明日まで op.32(1928-1929)
モーゼとアロン (1930-1932、未完)



管弦楽曲

交響詩「ペレアスとメリザンド」 op.5(1903/1913、1918改訂)
室内交響曲第1番 op.9(1906/1923改訂/1914、1935管弦楽版)
室内交響曲第2番 op.38(1906-1916、1939-1040)
5つの管弦楽曲 op.16(1909/1922改訂/1949小管弦楽版)
浄められた夜 op.4 (1917、1943弦楽合奏版)
管弦楽のための変奏曲 op.31(1926-1928)
映画の一場面への伴奏音楽 op.34(1929-1930)
組曲ト長調(弦楽合奏)(1934)
主題と変奏 op.43a(吹奏楽版:1943)/op.43b(管弦楽版:1944)




協奏曲

ヴァイオリン協奏曲 op.36(1934-1936)
ピアノ協奏曲 op.42(1942)



室内楽曲

浄められた夜 op.4(弦楽六重奏版:1899)
弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 op.7(1905)
弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 op.10(1907-1908/1929弦楽合奏版) ※ソプラノ独唱付き、調性から無調への過渡期の作品
弦楽四重奏曲第3番 op.30(1927)
弦楽四重奏曲第4番 op.37(1936)
弦楽四重奏曲第5番(断片)
弦楽四重奏、五重奏、七重奏、三重奏の数々の断片
弦楽三重奏曲 op.45(1946)
鉄の旅団(1916)
セレナード op.24(1920-1923)
クリスマスの音楽(1921)
管楽五重奏曲 op.26(1923-24)
7楽器の組曲 op.29(1924-1926)
ヴァイオリンのためのピアノ独奏付き幻想曲 op.47(1949)



ピアノ曲

3つのピアノ曲 op.11(1909)
6つのピアノ小品 op.19(1911)
5つのピアノ曲 op.23(1920-1923)※無調から12音への過渡期の作品
ピアノ組曲 op.25(1921-1923)
ピアノ曲 op.33a(1928)
ピアノ曲 op.33b(1931)



独唱曲

月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール) op.21(1912)
2つの歌 op.14(1907-1908)
架空庭園の書 op.15(1908-1909)
心のしげみ op.20(1911)
4つのオーケストラ歌曲 op.22(1913-1916)
ナポレオンへの頌歌 op.41(1942)



合唱曲

地上の平和 op.13(1907)
グレの歌 (1900-1911)
ヤコブの梯子(1917-1922、未完)
4つの混声合唱曲 op.27(1925)
3つの風刺 op.28(1925)
6つの無伴奏男声合唱曲 op.35(1929-1930)
コル・ニドレ op.39(1938)
ワルシャワの生き残り op.46(1947)
千年を三たび op.50a(1949)
深き淵より op.50b(1950)



編曲
チェロ協奏曲ト短調(モンの協奏曲による)(1912)
チェロ協奏曲(モンのチェンバロ協奏曲による)(1932-1933)
弦楽四重奏と管弦楽のための協奏曲(ヘンデルの合奏協奏曲op.6-7による)(1933)
バッハ:コラール前奏曲BWV631の管弦楽編曲(1922)
バッハ:コラール前奏曲BWV654の管弦楽編曲(1922)
ヨハン・シュトラウス2世:皇帝円舞曲の室内楽編曲(1925)
バッハ:前奏曲とフーガ変ホ長調BWV552「聖アン」の管弦楽編曲(1928)
ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番の管弦楽編曲(1937)
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲の室内楽編曲(10人編成)



著作

ここでは日本で出版されたものを紹介する。
『和声学 第1巻』(山根銀二訳、「読者の為の翻訳」社、1929) 第2巻が出版されたかは不明。
『作曲法入門』(中村太郎訳、カワイ楽譜、1966)
『和声法』(上田昭訳、音楽之友社、1968、新版1982)
『作曲の基礎技法』(G.ストラング、L.スタイン編、山県茂太郎、鴫原真一訳、音楽之友社、1971)
『音楽の様式と思想』(上田昭訳、三一書房、1973) 1950年にアメリカで出版されたStyle and Ideaからの抄訳。
『対位法入門』(山県茂太郎、鴫原真一訳、音楽之友社、1978)
カンディンスキーと共著『出会い――書簡・写真・絵画・記録』(J.ハール=コッホ編、土肥美夫訳、みすず書房、1985)
『シェーンベルク音楽論選 様式と思想』(上田昭訳、ちくま学芸文庫、2019)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF


4. 中川隆[-13522] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:34:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1382] 報告

詳細は

アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html  

5. 中川隆[-13521] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:36:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1383] 報告

シェーンベルクに一番強い影響を与えたのはブラームスですが、ブラームスは若い時から世紀末的な暗鬱で救いの無い音楽ばかり書いていたのですね:


ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html

ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/869.html

ヨハネス・ブラームス 『雨の歌 Regenlied ・ 余韻 Nachklang』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/870.html

ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/871.html

ブラームス 『ドイツ・レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/840.html

ブラームス最晩年のクラリネット曲に秘められたメッセージとは
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/434.html  


6. 中川隆[-13520] koaQ7Jey 2020年3月23日 11:43:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1384] 報告

ヨハネス・ブラームス 『余韻 Nachklang』


Brahms: Nachklang, op.59, No.4
Mischa Maisky - Song of the Cello





8 Lieder und Gesänge, Op. 59: No. 4, Nachklang





▲△▽▼


ヨハネス・ブラームス 『5つの歌曲 Op.105-2 我が まどろみ はますます浅くなり』
Kathleen Ferrier Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer, Op.105, No.2





Edinburgh recital 1949, pianist is Bruno Walter.



▲△▽▼


ヨハネス・ブラームス 『4つの厳粛な歌』
Kathleen Ferrier; "Vier ernste Gesänge"; op. 121; Johannes Brahms






Kathleen Ferrier, contralto
John Newmark, piano
Rec.12-14 July, 1950
7. 中川隆[-13519] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:01:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1385] 報告

世紀末の音楽 ブラームス


brahms Clarinet Trio, Wlach & Kwarda & Holetschek (1952)
ブラームス クラリネット三重奏曲 ウラッハ&クヴァルダ




brahms Clarinet Quintet, Wlach & Vienna Konzerthaus Quartet (1952) ブラームス クラリネット五重奏曲 ウラッハ




brahms Clarinet Quintet in bm-Op115-Lener Quartet & Charles Draper




brahms Clarinet Sonata No. 1, Wlach & Demus (1953)
ブラームス クラリネットソナタ第1番 ウラッハ&デムス




brahms Clarinet Sonata No. 2, Wlach & Demus (1953)
ブラームス クラリネットソナタ第2番 ウラッハ&デムス





ブラームス: 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品111 アルバン・ベルク四重奏団 1998


https://www.youtube.com/watch?v=Qc7f1_2_oU4


brahms Trio in E flat major for Piano, Violin and Horn, Op. 40 - Busch - Brain - Serkin


8. 中川隆[-13518] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:15:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1386] 報告

世紀末の画家 グスタフ・クリムト



愛と官能の画家 「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」 絵画集





デッサンの魅力「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」素描 T 人物




デッサンの魅力「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」素描U 裸婦




テキスタイルの美「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」





グスタフ・クリムト(1862年7月14日 - 1918年2月6日)は、オーストリアの世紀末ウィーンを代表する象徴主義、アール・ヌーヴォーの画家。ウィーン分離派の創始者の一人。

女性の裸体、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描く、センセーショナルな画家として知られるクリムトだが、多くの風景画も残しています。
この動画は人物画、風景画、写真など145点をまとめて紹介する動画になります。

グスタフ・クリムトは1862年にウィーン郊外のバウムガルテンで銅版彫刻家の家に生まれた。

クリムトは1894年にウィーン大学大講堂の壁画「医学」、「哲学」、「法学」を制作しました。その作品では闇と死、心の奥底に潜む不安を描き出し、クリムトの独自の世界観を表現しました。
1897年にクリムトを中心に新しい造形表現を追求したウィーン分離派が結成され、その初代会長を務めてました。

1900年以降、ラヴェンナの黄金モザイク壁画と日本の琳派に影響を受けました。
1902年に「ベートーヴェン・フリーズ」を始めとして、金箔などを用いる装飾的な独自の「黄金様式」を形成しました。その「黄金の時代」の体表作品「接吻」はよく知られます。

1905年に写実派との対立ため、ウィーン分離派を脱退しました。

晩年の作品には黄金色から華麗な色彩へ移しました。花のモティーフを基調とした肖像画、生命とエロスを主題としたものを主に制作しました。
1918年に55歳で脳梗塞と肺炎により亡くなります。

クリムトの絵画は、エゴン・シーレら弟子たちや20世紀の美術に大きな影響を与えました。



9. 中川隆[-13517] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:16:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1387] 報告



世紀末の画家 エゴン・シーレ


天才画家 「エゴン・シーレ Egon Schiele」1906年−1911年の絵画まとめ






エゴン・シーレ「Egon Schiele」(1912−1918) 絵画集 U





デッサンの魅力「エゴン・シーレ Egon Schiele」素描 裸婦







エゴン・シーレ(1890年6月12日 - 1918年10月31日)は、オーストリアのウィーン分離派の象徴主義、表現主義の画家。

シーレは28歳という若さで世を去ったがその短い生涯で大量のドローイングや水彩画、油彩画を残っている。

1906年はウィーン美術アカデミーに入学した。

1907年にクリムトとの出会って、シーレに初期の作品は影響を与えられた。

1909年、アカデミーを正式に退校して、本格的に独自の活動を開始した。
その後ゴッホやドイツ表現主義の画家達(ヤン・トーロップ、エドヴァルド・ムンク)の絵画を目の当たりにし、自らの芸術観に多大な影響を与えられた。

1910年から1911年に、女性だけでなく子供や自分ヌードの自画像も急増した。
10. 中川隆[-13516] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:18:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1388] 報告

世紀末の画家 オーブリー・ビアズリー


「白黒ペン画の鬼才」オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley)の挿絵集





オーブリー・ビアズリー(1872年8月21日 - 1898年3月16日)は、耽美主義、アール・ヌーヴォーの代表的画家、イギリスの挿絵画家(イラストレーター)、詩人、小説家。

結核のゆえに25歳の若さで夭折した白黒のペン画天才。

ビアズリーの作品は、ラファエル前派の複雑な構成と装飾的な様式、
なめらかな線と、対照的な白黒、および日本の浮世絵のエロティックなデザインが特徴です。

この動画は挿絵白黒ペン画の先駆者、オーブリー・ビアズリーの挿絵、『イエロー・ブック』、『サロメ』、『女の平和』『ピエロの図書館』、『サヴォイ』誌創刊等を紹介する動画になります。
11. 中川隆[-13515] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:21:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1389] 報告

戦争より恐れられた病 Posted October. 25, 2018 09:24,


昨今、インフルエンザは、1本のワクチン接種でそれほど心配しなくて済む病気だが、100年前までは、人類の歴史を揺るがした恐怖の病気だった。特に1918年に発生したスペイン風邪は、第1次世界大戦とかみ合って流行し、5000万人以上の命を奪った大災害だった。オーストリアの将来を嘱望されていた若い画家エゴン・シーレも、その災いを避けることができなかった。

シーレは、クリムトを凌ぐ才能が認められた天才画家であり、赤裸々なエロヌード画で20世紀の初め、ウィーン美術界を揺るがした問題作家でもあった。死への不安と恐怖、性的欲望をよどみなく表わした彼のヌード画は、しばしば芸術とわいせつの間で激しい論争をまき起こした。

1915年、シーレは4年間一緒に暮らした貧しい恋人の代わりに、中間層出身のエディトと結婚した。結婚から4日後、第1次世界大戦に徴兵されたが、軍でも才能を認められ、いくつかの展示会に参加して名前を知らせた。1918年は彼の名声がピークに達した年だった。ウィーン美術界の巨匠クリムトの死亡後、3月に開催された「分離派」の展示会で、シーレは作家として大成功を収めた。絵の価格が高騰し、肖像画の注文が殺到した。ようやく経済的にも精神的にも安定した時期を迎えたのだ。さらに嬉しいことに、妻が結婚から3年ぶりに妊娠したことだった。

この絵は、まもなく生まれてくる子供を待つ喜びで、シーレが描いた家族画である。母にすがりつく赤子と、その赤子と同じ場所から見つめる母、そして家長として家族を守るというジェスチャーを取っている画家自身の姿が描かれている。何もかけていない純粋で無邪気な家族の肖像である。

しかし、幸せもつかの間。同年10月28日、ウィーンにまで広がったスペイン風邪で、エディトが妊娠6カ月のお腹の子供と一緒にこの世を去った。3日後、シーレもインフルエンザに感染して、この世を去った。彼がわずか28歳の時だった。当時スペイン風邪の犠牲者数は、第1次世界大戦の死者の3倍を超えた。戦争より恐ろしい災害は、まさにインフルエンザだったのだ。
http://www.donga.com/jp/article/all/20181025/1516046/1/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%88%E3%82%8A%E6%81%90%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%97%85

▲△▽▼

スペイン風邪(1918-1919流行、死者三千万人)で死んだ著名人

ギヨーム・アポリネール(文学者)
マックス・ヴェーバー(政治学者)
グスタフ・クリムト(画家)
エゴン・シーレ(画家)
ヴェストマンランド公エーリク(スウェーデン王子)
ヤーコフ・スヴェルドロフ(政治家)
エドモン・ロスタン(劇作家)
チャールズ・ヒューバート・パリー(作曲家)

竹田宮恒久王(皇族)
末松謙澄(政治家、元内務大臣)
徳大寺実則(公爵、元内大臣)
島村抱月(劇作家)
村山槐多(画家)
野村朱鱗洞(俳人)
辰野金吾(建築家)

12. 中川隆[-13514] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:22:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1390] 報告

額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

【題名】額縁をくぐって物語の中へ「エゴン・シーレ 死と乙女」
【放送】NHK−BSプレミアム
    平成24年2月9日(木)19時15分〜19時30分
【司会】ふせえり

ここ数日、肌寒い日が続いていますが、もう直にジメジメと湿気の多い梅雨の季節になるのかと思うと、うっとおしい限りです。雨の日は美術館の来場者が減ってゆっくり絵画を鑑賞することができることが多いので、個人的に雨の日の美術館巡りを好んでいます。未だ病気が完全に本復した訳ではないので、家で美術館関係の映像を見て過しています。


https://f.hatena.ne.jp/bravi/20120613192142
エゴン・シーレ作「死と乙女」(1915年)

先日、グスタフ・クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」等の作品について記事を書きましたが、今日はクリムトの愛弟子で世紀末ウィーンで活躍した表現主義の画家エゴン・シーレの「死と乙女」について書きたいと思います。最愛の恋人との別離を描いた「死と乙女」はエゴン・シーレの最高傑作と言われ、ゴツゴツした岩の上で抱き合う二人はシーレと彼のモデルで恋人でもあったヴァリー・ノイツィルを描いたものですが、1911年にシーレはクリムトから彼のモデルであったヴァリーを譲り受け、その後4年間に亘ってシーレのモデルを務めますが、この間にバリーの代表作の殆どが創作されています。

上述のとおり、この絵は最愛の恋人との別離を描いたもので、死と別離がテーマになっています。この絵の男性はシーレで「死」を象徴し、女性はヴァリーで「女神」(シーレにとってヴァリーは出世作を数多く生み出す契機となった運命の女神)を象徴しています。シーレは跪いている男性モデルを正面から描写していますが、寝そべっている女性モデルは脚立の上から描写しています。この2つの異なる視点から描いた男性モデルと女性モデルを1つの絵として合体することによって、この絵を見る者に不安定な印象を与えています。

これは2人の別れを暗示するために意図的にこのような描き方がされたものです。なお、この絵はシーレがヴァリーに別れを告げて、ヴァリーがシーレに泣きついているところを描いたものですが、男性の右手は女性を突き放そうとし、また、男性の背中に回している女性の両指はきつく結ばれず別れを拒絶していないように見えます。シーレは、他の資産家の娘(エディット)と結婚するためにヴァリーに別れを告げていますが、その際、毎年夏に一緒に休暇を過そう(即ち、愛人として関係を続けよう)とヴァリーに持ち掛けたところ、ヴァリーはこの提案をきっぱりと断って涙を見せずに立ち去ったそうです。これにシーレはショックを受けますが、この絵の男性モデルの見開かれた目はその時の驚きを表現したものです。このようにシーレは被写体の内面までもキャンバスに描き込んだ作家であり、この絵が見る者に強い印象(メッセージ性)を与える理由はそこにあるのかもしれません。

https://f.hatena.ne.jp/bravi/20090712074119
エゴン・シーレ作「縞模様の服を着たエディット・シーレ」(1915年)

※上掲の「死と乙女」と比べると、同じ作家が描いたとは思えないほど被写体によって画力に違いがあります。

なお、「死と乙女」という標題は、若い娘が清らかなままあの世に召されることを意味し、当時、絵画や文学の主題として数多く用いられてきましたが、その標題のとおり1917年にヴァリーは23歳の若さで従軍看護婦として戦地で病死します。(因みに、同年にクリムトも他界しています。)更に、その翌年、シーレの妻エディットがスペイン風邪で病死し、その3日後にシーレもスペイン風邪でこの世を去っており、この絵はシーレとヴァリーの運命も占っていた怖い絵とも言えそうです。「一枚の絵は百の言葉を語る」という諺がありますが、この絵はシーレとヴァリーの人生をも語る含蓄深い一枚と言えると思います。
https://bravi.hatenablog.com/entry/20120613/p1

13. 中川隆[-13513] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:27:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1391] 報告

世紀末の音楽 グスタフ・マーラー

グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html

グスタフ・マーラー 交響曲第10番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/892.html  

14. 中川隆[-13512] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:30:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1392] 報告


MAHLER - ADAGIETTO SYMPHONY 5 - BRUNO WALTER 1938.flv






Mengelberg Mahler : Symphony No. 5 W - Adagietto


15. 中川隆[-13511] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:34:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1393] 報告

Mahler: Das Lied von der Erde, Walter & VPO (1936)





【高音質復刻】Bruno Walter & VPO - Mahler: Das Lied von der Erde (1952.5.14-16)



16. 中川隆[-13510] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:36:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1394] 報告

ブルーノ・ワルター指揮 マーラー 交響曲第9番

【高音質復刻】Walter & VPO - Mahler: Sym No 9 (1938.1.16)



17. 中川隆[-13509] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:53:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1395] 報告

世紀末の作家 アントン・チェーホフ. Anton Chekhov.


戯曲『かもめ (The Seagull)』 第1幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull01.html

登場人物

アルカージナ:大袈裟でわがままで、年齢を超越してる大女優

トレープレフ:神経質で自意識の強い作家志望のマザコン息子

ソーリン:気弱で病弱で死にそうで、失望している退職ジジイ

ニーナ:華やかな世界を夢見る女優志望の、せっかちな田舎娘

シャムラーエフ:ごうつく張りで頑固で芝居好きの農場経営者

ポニーナ:若き日のあこがれを諦めきれない、不埒なオバサン

マーシャ:黒服にウォッカを飲み、嗅ぎタバコをする陰気な女

トリゴーリン:実生活を知らず、優柔不断で自信ない流行作家

ドールン:遊びすぎた人生に不足を感じている、冷めた町医者

ドヴェジェンコ:貧乏で内気でいじけた、理屈っぽい学校教師


場所

森と湖のある避暑地の、ソーリンの屋敷。


第1幕


劇場。湖に面している(らしい)。イス数脚に、ベンチなど。正面に組み立て中の仮設舞台。
黒い服の裏方たちが、ナグリを持って、灯体をもって右往左往している。騒々しい音。時間がなくて、イライラしている空気。


1 喪服


マーシャ、ここにいない誰かを探している。
メドヴェジェンコ、マーシャの心を探している。

メドヴェジェンコ:どうして? ねえ、どうしていつも黒い服なわけ?

マーシャ:人生お先真っ暗で、幸せなんかどこにもないからでしょ。

メドヴェジェンコ:そうなの? そうかなァ? だってあなた、病気じゃないし、お父さんは金持ち、ってわけでもないけど、でも苦労なんか知らないじゃない。僕なんかひどいよ。月二十三ルーブルの安月給から、保険だの退職金の積み立てだのさっ引かれてさ。それでも喪服なんか着ないよ。

マーシャ:お金の問題じゃないでしょ。貧乏してたって幸せな人はいるでしょ。

メドヴェジェンコ:理屈だなァ。そういう奴もいるかもしれない。けど、そうじゃないよ、現実は。僕なんか、おふくろと妹ふたりと、まだチビの弟といてさ、月たったの二十三ルーブルだよ。なのに人間、食わなきゃいけない、飲まなきゃいけない、ね。お茶もいる。お砂糖もいる。煙草も吸う。どうもこうも、どうにもならないんだよ。

マーシャ:(仮設舞台を見て)もうすぐ始まるわ。

メドヴェジェンコ:ああ、そうだね。主演はニーナ、作・演出はコースチャ。うまくやってるよなァ、あいつら。今夜はきっと、二人の魂が一つの芸術作品で結ばれるってわけだ。だけど、ねえマーシャ、僕と君の魂は……。ああ、チクショウ! 家にいても落ち着かなくってさ、行きに6マイル、帰りにも6マイル、毎日毎日エッチラオッチラやってきて、揚げ句の果てに無視されて。いいよ。わかってるよ。金はないし、家族は多いし、誰がこんな男と結婚するんだっていうんだろ?

マーシャ:バカみたい。(嗅ぎタバコを吸う)わかるけど、どうしようもないでしょう。(嗅ぎタバコを差し出して)どう?

メドヴェジェンコ:そんな気分じゃないよ。


間。

マーシャ:蒸すわね、今夜はきっと嵐だわ。理屈はもうたくさん。それから、お金の話も。貧乏じゃなくったって、世の中には不幸なことがいっぱいあるわ。みじめな生活のほうが五百倍も気が楽かもしれない。あなたになにがわかるのよ。

2 田舎暮らし

ソーリン、わがままな妹の不機嫌に、夢の中まで追い掛けられている。
トレープレフ、本番前の緊張と成功への期待に興奮している。

トレープレフ:(作業をしている裏方を見守っている)

ソーリン:わしゃホント苦手じゃ、田舎という奴ァ。(ステッキ突いて、うろうろしながら)これから先も、もう慣れるってことはないんじゃろうなってなあ。夕べだって10時には寝た。だのに目が覚めたのは9時だぞ。ハッハッハ! あんまり寝過ぎて、脳味噌が頭蓋骨の内側にくっついちまったわ! なのに昼メシ食ってからまた寝ちまって、結局疲れた。……悪夢というかなんちゅうか、まあ、そういうことじゃろ。

トレープレフ:おじさんは根っから都会的なんですよ。(マーシャとメドヴェジェンコに)言ったじゃないか! 始める時には呼ぶから、それまでは向こうに行っててくれ!

ソーリン:マーシャ。犬の鎖をほどくようにって、お父さんに言ってくれ。ああ吠えられた日にゃ、妹だって眠れやしない。

マーシャ:ご自分でおっしゃってください。ごめんだわ、あたしは。(メドヴェジェンコに)ホラ行くわよ!

メドヴェジェンコ:呼んでくれよ、始まる時には。


マーシャとメドヴェジェンコ、出ていく。

ソーリン:ってことはだ、また夜どおし吠えられるってわけか。なんていうか、ここじゃなにひとつ思う通りになりゃせん。昔もよく、バカンスといっちゃここへ来たもんだったが、いつもくだらんことにうんざりさせられてな。ハッハッハ! 着いたそうそうもう帰りたい! っちゅうかなんちゅうか、ホント、帰るとなったらそりゃあ嬉しくてなあ……、それがどうも、退職してからこっち、ほかに行き場がない。嫌でもここしかない、とまあそういうことじゃろ……。


トレープレフ:(裏方連中に)よーし! あと10分で本番だ! 休憩にしてくれ。


騒々しい音が止む。

トレープレフ:(仮設舞台を指して)さあ、これが僕の劇場です! カーテンと両袖だけ。装置はなにもなし! 一切なし! 見渡すかぎりの湖と地平線。開演は9時半だ。ちょうど月が昇る時刻。

ソーリン:立派なもんだ!

トレープレフ:でもニーナが遅れたら、すべてがオジャンだ。もう来てもいい時間なんだけど……。あいつ、親父とママ母がうるさくて、脱獄するみたく家を抜け出して来なくちゃならないんです。ひどいなあ、おじさん。その頭、グシャグシャだ。(と、ネクタイを直してやって)切ったほうがいいよ。

ソーリン:(クシで髪をなでつけながら)人生の悲劇ってやつじゃ。ハッハッハ! 若い時分から、酒飲みのロクデナシじゃったから! っちゅうかなんちゅうか、ちっとも女にゃモテんかった。(と、座る)妹の奴、今日はなんでああ不機嫌なんじゃろ?

トレープレフ:決まってますよ。退屈だからでしょう。(と、隣に座って)それに嫉妬。面白くないんです、僕のことが。僕の芝居が、僕の脚本が。なにもかも。主役がニーナで自分じゃないってだけで。まともに僕のものを読んだこともないくせに!

ソーリン:そりゃ、考え過ぎじゃろ。

トレープレフ:なんであたしじゃないの! あたしよ、注目されるべきなのは! フン。こんなちっぽけな舞台なのに。(と、時計を見て)心理学的にみても異常なんです、僕の母親って人は。確かに頭もいいし、才能もあるし、本を読めば泣いちまうし、ネクラーソフの詩なんかぜんぶ暗唱できるし、病人を思いやる心はまるで天使だ。……けど、他の女優の話でもしようもんなら、ウヘ! 話題になるのはあの人だけ。評価されるのもあの人だけ。あの人の「椿姫」だけが永遠にチヤホヤされて、いつまでも騒がれなくちゃ気にいらない。ところがどっこい。こんな田舎にはそんな、あの人を酔わせるような刺激はなにもない。だから退屈だ。ムシャクシャする。誰も彼もが気に入らない。……それにケチだし。知ってますよ、おじさん。あの人、オデッサの銀行に7万も預金があるんでしょ。なのに、ちょっと貸してくれって言っただけで、突然泣き出すんだ。

ソーリン:あいつがおまえの芝居を嫌ってるなんて、そんな、思い込みじゃろ。おまえの方こそ、勝手にふてくされてるっていうのがホントじゃないのかい? あいつはな、おまえが愛おしくってしようがないんだよ。

トレープレフ:(花びらをむしりながら)好き……嫌い……好き……嫌い……好き、ホラね! 見なよ! 当然さ。あの人は、生きたい、恋がしたい、きれいな服を着たい。……ところが息子の僕はもう25で、それだけで、若くないってことがばれちまう。僕がいなけりゃ、32でいられるところを、僕がいると43だ。だから嫌いなんですよ、僕のことなんか……

ソーリン:いやいや。

トレープレフ:僕はね、おじさん。劇場てものを否定してるんです。でもあの人は劇場が大好きで、自分の芸術が人類に貢献をしているんだと思い込んでる。でも僕に言わせりゃ今の劇場なんて! くだらない! ぜんぜん新しいことなんかない! 幕が開く。人工的な照明。部屋を囲こむ三枚の壁。俳優たちはみんなのあこがれで、キャーキャー騒がれて、やることといったら、空々しい会話、中味のないストーリー……観る方は、そんな中から、少しでも元気のでるところを持ち帰ろうと躍起になってて……バカバカしい! くだらない! みんなくり返しだ! ああ、僕は逃げ出したいんです! そんなことの一切から!

ソーリン:しかし劇場がなけりゃ、しようがないじゃろう?

トレープレフ:だから新しい形式なんですよ。新しい方法なんです。それがないなら、なにもないほうがマシですよ!(と、時計を見る)……それでも自分の母親ですから、そりゃ好きです。大好きです。でも、だけど、あの人の生活は一言で言えば、愚かです。あんな小説家とイチャついて、マスコミにいつもスキャンダルを叩かれて……。たまんないですよ、こっちは。

ソーリン:うんうん。(半分寝ている)

トレープレフ:でも、ときどき思うんです。自分の母親が女優なんかじゃなくって、人並みの、普通の女だったら、どんなに幸せだったろうって。……ねえ、おじさん。

ソーリン:ん? なんだい……?

トレープレフ:これ以上、不幸な境遇ってありますか? あの人の部屋にはいつも有名な芸術家たちが集まってた。作家やら俳優やら……。そいつらに囲まれて、僕だけがなんでもない人間だったんです。その場にいられるのも、あの人の息子だからだってだけで。いったい僕は誰ですか? 何者なんですか? 才能もなし、金もなし……。僕はもう、たまらなかった。僕を見る作家や俳優たちのまなざしに、おまえは無能だと言われてるような気がして……。

ソーリン:ところで、例のあの、作家さんじゃが、ありゃ、どういう御仁だい? ええ? どうにもつかみどころがなくってな、いつもだんまりで。

トレープレフ:頭のいい奴です。まあ、ちょっとメランコリックなところがあるけど。まだ40前にして、すでに作家としての地位は確立しているし、人生に飽きてるんでしょう。だけど書くものと言ったら、そう、トルストイやゾラを読んだ後じゃあ、ちょっと読む気になれないって程度のもんですよ。

ソーリン:いや、わしゃどうも若い時分から、作家ちゅうのに弱くてなあ。これでも昔は夢が二つあった。一つは女房をもらうこと。もう一つは作家になること。……じゃが、どっちも結局はだめだった、ってわけじゃ。まあ、売れんでもいいから、ちょっとした物書きにでもなれてたら、さぞや人生、面白かったろうがなァ……。まあそういうことじゃろ……。

3 僕の悪魔

ニーナ、牢獄から解放された自由を味わっている。

トレープレフ:(耳をすまして)あの足音!(伯父に抱きついて)おじさん。僕はあの子なしでは生きていけないんです。……ステキだ、足音までがステキだ……、ああ、僕はなんてしあわせなんだろう……頭が変になりそうだ……


トレープレフ、迎えに走る、とニーナが入ってくる。

トレープレフ:ああ、美しい、僕の悪魔! 僕の夢!

ニーナ:(大きな声で)あたし、遅れなかった? ねえ、遅れなかった?

トレープレフ:(手にキスして)大丈夫だよ、大丈夫。

ニーナ:今日一日、あたし、ずっとせかせかしちゃって、心配だったの。パパが出してくれないに決まってるから。でもさっき、やっと継母と出かけてくれて、でももう空は赤いし、月は昇りそうだったし、馬を駆け通し駆けさせて、もうタイヘン!(と、笑って)よかった!(と、ソーリンの手を握る)

ソーリン:(笑って)おやおや泣いてるのかい? 泣くことはないじゃろ。

ニーナ:違うわ。ホラ、息がこんなに上がっちゃってるだけ。ねえ、あたし、30分しかいられないの。急ぎましょ。引き止めちゃダメよ。パパには内緒で来てるんだから。

トレープレフ:とにかく、じゃあ始めよう。みんなを呼んで来なきゃ。

ソーリン:どれどれ、それじゃあわしが、と。(立って大声で)「全体、進め!」なんちゅってな。(と、シューマンの「二人の擲弾兵」を歌いながら去りかけて)……いつだったか、わしが歌い出したら、ある検事補佐官が、こう言いおったよ。「閣下。実に力強いお声でございますな」。でもそれからちょっと考えて、こうつけ加えたな。「しかし、なんとも、うっとおしい限りで」アッハッハ!(去る)

ニーナ:パパも継母もね、あたしがここに来ていること、知らないの。二人ともここはバカどもの集まりだって……、恐いのよ、あたしが女優になったりするんじゃないかって。でもあたしはここが好きなの。この湖が、かもめのように。(と、あたりを見回す)

トレープレフ:僕たち以外、誰もいないよ。

ニーナ:誰かいるみたい……。


二人、キスをする。

ニーナ:あの木、なんていう木?

トレープレフ:楡の木。

ニーナ:なんであんなに黒いの?

トレープレフ:黄昏れだから。なにもかもすべてが黒く見えるんだ。……なあ、急がなくてもいいだろ? 

ニーナ:ダメ。

トレープレフ:じゃあ僕のほうから行くってのは? 一晩中、君の部屋の窓の下で、君のことを眺めてるってのは?

ニーナ:無理よ。門番がいるわ。それにうちの犬はあなたに慣れてないから、吠えられるわよ。

トレープレフ:ねえニーナ、きみが好きだ。

ニーナ:シーッ、黙って……。

トレープレフ:(足音を聞いて)誰だ? ヤーコフか?

ヤーコフの声:(舞台裏から)へい!

トレープレフ:スタンバイしてくれ。始めよう。月は出てるかい?

ヤーコフの声:へい!

トレープレフ:アルコールは大丈夫か? 硫黄は? 赤い目玉のところだからな、あそこで硫黄の匂いを出すんだ。(ニーナに)さあ準備はOKだ。緊張してる?

ニーナ:だって、あなたのお母さま、いらっしゃるんでしょ……。ううん、あの人はいいの、大丈夫なの。でもあたし、トリゴーリンさんも来てるんでしょ? なんだか恥ずかしくって。有名な作家さんだし。まだ若い人なの?

トレープレフ:ああ、うん。

ニーナ:ドキドキしちゃうわ、あたし、あの人の小説読むと。

トレープレフ:(冷たく)そお? 僕は読んでないから。

ニーナ:だって、あなたの劇って、まるで生きてる人間が出てこないんだもの。

トレープレフ:なんだよお、生きてる人間て! ダメなんだよ! あるがままの人生なんか描いたって。いいかい、なによりも大切なのは、夢に見るように描くことなんだ。

ニーナ:でも動きがないでしょう、朗読みたいなんだもの。あたし、お芝居って絶対恋愛が要ると思うけどな!


二人、仮設舞台の裏側に消える。

4 人生の黄昏れ

ドールン、自分の人生でついぞつかめなかった何かを探している。
ポリーナ、自分の人生で結局つかめなかった何かを探している。
つまり、二人は「残りの人生」という暗闇の前にいるのだ。

ポリーナ:湿っぽくなってきたわ。戻ってコートを取ってきた方がよかない?

ドールン:暑いよ、僕は。

ポリーナ:もう。あなたって人は、自分の体にはぜんぜん気を配らないんだから。お医者さんなのに……、強情屋さん! 湿った風が、体に良くないことくらいわかってるくせに。そんなに、あたしに心配かけさせたいの? 夕べだって、これ見よがしに一晩中テラスに出てらしたりして。

ドールン:「♪言わないで、もう青春が終わったなんて……」

ポリーナ:楽しかった? ねえ、奥さまとのおしゃべりは? 寒いのも忘れるくらいだった? 白状しなさいよ。好きなんでしょ、奥さんのことが?

ドールン:僕はもう50過ぎだよ。

ポリーナ:だからなに? 男の人に年なんて関係あるの? あなたはまだステキだわ、まだ十分モテるわ。

ドールン:で、僕にどうしろって?

ポリーナ:だからよ、だからキレイな女の人の前に出るとすぐデレデレするのよ。いつだってそうなのよ、あなたは。

ドールン:「♪ああ、もう一度、あなたの前に跪き……」。まあ、よしんば世間がだ、俳優というものを贔屓にして、一般庶民なんかと差別して扱ったとしてもだ、それが自然の道理なんじゃないかな。……まあ、つまりは現実逃避なんだが。

ポリーナ:じゃ、女という女がみんな、あなたを求めて、あなたの跡を追い掛けたのも、あれも、現実逃避だったの?

ドールン:(肩をすくめて)さあ、どうかな? まあ確かに、僕は女には恵まれてきた。でもそれは、僕が一流の医者だったからだ。そうだろう。2、30年前までこの田舎には、まともな産婦人科医は僕しかいなかったんだから。それにもちろん、僕は誠実な人間だったしね。

ポリーナ:(ドールンの手を取って)ねえ、あなた……。

ドールン:シッ、誰か来る。

5〈みんな仲良く〉その1


アルカージナとソーリンが腕を組んで。続いてトリゴーリン。シャムラーエフ。メドヴェージェンコ。マーシャがやってくる。
アルカージナ、人の芝居を見るなんて、退屈で不機嫌。
シャムラーエフ、経営者として演劇通として我が者顔で得意気。

シャムラーエフ:いやァ、今でも覚えてますがね、73年のポルタヴァ祭り。あそこであの女優が見せた芝居ときたら、いやすごかった。あたしは震えましたねェ。(アルカージナに)奥さん、ところで、あのシャージンはどこでどうしてますかねぇ? あのシャージンは? 「クレチンスキーの結婚」で、主役をやらせたら右に出る者はいなかったなァ。サドーフスキーなんか目じゃなかったですよ。いやホント、奥さん。ああ、あわれ奴は、今いずこにかあらん?

アルカージナ:そんな大昔の話をなんであたしが?(と、座る)

シャムラーエフ:(大きな溜め息)ああ、シャージン! ああいう才能には、今やとんとお目にかかれなくなりましたなァ。演劇界もおしまいですかなァ。ねえ、奥さん。あの樫の木のごとく、天をつんざく才能の群れが、今やドングリの背比べ。

ドールン:まあ確かに、一時代を画するような天才はいなくなりましたが、中堅どころは全体にレベルが上がってますよ。

シャムラーエフ:反対ですなあ、その意見には。いや、好みの問題でしょうがね。森を見て、木を見ず、というやつですな。


トレープレフが仮設舞台の裏から出てくる。

アルカージナ:(息子に)まだなの?

トレープレフ:もうすぐです。

アルカージナ:「おお、ハムレットよ! もう何も言うな!
おまえはわたしの目を心の内へと向けさせる、
けれど、そこに見えるのは、ギラリとしたドス黒いシミ、
洗っても洗っても、決して落ちないわ!」

トレープレフ:「ええ、ママ。落ちるものですか。
脂ぎった体臭まみれのフシドの中で、欲望に駆られた
生活を送っている限りは。だって、抱いて抱かれる、
その相手は善悪の判断もつかぬ豚じゃないですか!」


プウォーと、開演を知らせる角笛の音。

さて、みなさん。始まりです。どうかお静かに!


間。

ソリャ!(と、バチで太鼓をドンドコドン!)オオ、怖レ多キ、イニシエノ影タチヨ! 夜毎コノ湖ヲサマヨウ、影タチヨ! イザ、我ラヲ眠リヘトイザナイタマエ! シテ、20万年後ノ世界ヲ夢見サセタマエ!

シャムラーエフ:20万年後には何もないだろうな。

トレープレフ:だからその、何もなっていうのがミソなんです!

アルカージナ:はいはい、どうぞ。あたしたちは寝てますから。


幕が上がると、湖の景色が立ち上がる。地平線の月が湖面に映っている。白い衣装のニーナ。

ニーナ:人もライオンもワシも雷鳥も、角のある鹿もガチョウもクモも、水の中の物言わぬ魚もヒトデも目に見えぬ微生物も……つまりは、命あるものすべて、すべてその悲しい輪廻から逃れて、消え失せて……もはや何千年もの間、この地球には生命は生まれず、あの哀れな月だけが虚しく明かりをともして久しい。草原には目覚めた鶴の声もなく、菩提樹の林にはコガネムシの羽音も絶えた。寒いよ。寒いよ……ああ、むなしいよ。むなしいよ……こわいよ。こわいよ。


間。

すべて肉体はチリと化し、永遠の物質がそれを石に、水に、雲に変えてしまったが、魂だけは溶け合わさって一つになった。唯一にして全なる魂、それが、私だ。この、私だ……アレクサンダー大王の魂も、シェークスピアの魂も、ナポレオンの魂も、ちっぽけなカエルの魂も、この、私とともにある! 私とともに、人の意識と動物の本能とが融合している! あらゆる、すべての個々の人生が、私の中で、新しく生き直されるのだ!


鬼火が現れる。

アルカージナ:(声をひそめて)なんだか、退廃的だわね。

トレープレフ:(訴えるように責めて)ママあ!

ニーナ:孤独だ! 百年に一度、口を開いてものを言うが、声は虚しく、虚空に響くだけ。聞く者もいない。……おまえもだ、青白い鬼火たちよ、おまえらとて、この声を聞いてはいないのだ。……夜明けと共に、沼の瘴気から生まれ、朝日がさすまで彷徨い歩くおまえたちには、考える力もなければ、意志もなく、命の揺らめきすらもない。悪魔は永遠の物質の父として、おまえたちの中に命の目覚めるのを怖れ、石や水と同じように、絶え間のない原子の組み替えを施している。だから、おまえたちは、いつまでも流転してゆくだけなのだ。森羅万象すべてのうちで、ただひとつ、魂だけが永遠不変、変わらないのだ!


間。

深い、なにもない井戸へと投げ込まれた囚人のように、わたしはどこにいるのか、これからどこへ行くのかを知らない。私にわかることは、悪魔との激しい戦いの中で、やがて物質の力に勝利した暁に、物質と精神との美しい調和、宇宙的意志の支配する王国がもたらされる、ということだけだ。しかしてそれは、千年の、またさらなる千年ののちの、あの月も、輝くシリウスも、地球もすべてチリと化した後のこと。それまではただ恐ろしい……。


間。湖の奥に二つの赤い点が現れる。

来たか! 我が宿敵、悪魔よ! まさに、身の毛もよだつ、あの二つの目!

アルカージナ:(鼻をつまんで)なにコレ、硫黄? こんなことする必要あるの?

トレープレフ:あるんです。

アルカージナ:アハハハ! そお! 舞台効果ってわけ?

トレープレフ:ママぁ!

ニーナ:奴は人間なしで、退屈なのだ……。

ポリーナ:(ドールンに)ダメよ、脱いじゃ。かぶりなさい。風邪を引くわ。

アルカージナ:ドクターも悪魔には脱帽ってわけね!

トレープレフ:(カッなって大声で)やめろ! もういい! もうたくさんだ! おわりにしよう!

アルカージナ:なに怒ってるの、この子は?

トレープレフ:もういいよ! おしまいだ! (床を踏んで)おしまい!


幕が下りる。

……失礼しました。僕は忘れてました、芝居を書いたり、演ったりするのは、少数の選ばれた人たちだけの特権だってことを。僕は、それを忘れて……僕は……僕は……(言葉が出なくなり、逃げるように手を振って去る)

アルカージナ:なに、あの子? どうしたの?

ソーリン:なあ、イリーナよくないよ、あんなふうに若い者のプライドを傷つけちゃあ……

アルカージナ:あたしがあの子に何を言ったっていうの?

ソーリン:傷つけたんだよ、あの子を。

アルカージナ:だってあの子、自分で言ったのよ、これはほんの余興だって。だからあたしはそのつもりだったの。

ソーリン:まあ、そういうことじゃが……

アルカージナ:それが蓋を開けてみたら、なに、たいへんな芸術作品だったってわけ! 冗談でしょ! なにが余興なもんですか。(と、まわりの空気を手で払って)こんな、硫黄の匂いまでプンプンさせて、あれであの子は、あたしたちに芝居の書き方と演じ方を、ご教授しようってつもり? うんざりだわ。なにかっていうと、いちいちつっかかってきて。どうやって我慢しろっていうの? あんな、自意識過剰のうぬぼれボウヤ!

ソーリン:おまえを喜ばせたかったんじゃろ、あいつは。

アルカージナ:あら、そうお? だったら、もっとマトモなものを見せてほしかったわ。あんな一人よがりを押しつけられたって。余興だったら、いくらだってつき合ってあげますけど。けど、新しい形式だの、新しい演劇だの、そんなタワゴトをわめかれたって、あんなもん、あたしに言わせりゃ、新しくもなんともないわよ、ただのへそ曲がりの屁理屈でしょ。

トリゴーリン:誰だって、書けることを書きたいように書くんだよ。

アルカージナ:ええどうぞ、書けることを書きたいように書いて結構。けどあたしの関係ないところでやってほしいわ。

ドールン:おお、わがジュピターよ! 怒りたもうな!

アルカージナ:あたしはジュピターじゃないわ、女よ。(煙草に火をつけて)それに怒ってもいないわ。腹立たしいだけよ……。若い人が暇つぶしにすることじゃないでしょ、あんな……、いいわ、別に、傷つけるつもりじゃなかったのよ。

メドヴェジェンコ:そもそも、魂と物質を分ける根拠はないんですよ。というもの、魂もまた原子の組み合わせでできているんですから。(と、勢いよく、トリゴーリンに)それよりもね、先生、お芝居にすべきは、われわれような生活じゃないですか、あ、私は教師をしてる者ですが、そりゃもう、しんどいですわ、ホントしんどいですわ。

アルカージナ:ホントそうね。さあ、お芝居の話も、原子の話もおしまい。……ステキな夜だなんだもの。ほら、聞こえて? 誰かが歌ってる……。


みんな、耳をすます。

いいわねえ。

ポリーナ:向こう岸からですわね。


間。

アルカージナ:(トリゴーリンに)ねえ、こっちに来て。この湖にはね、10年前までは、いつも音楽や歌声が流れていたの、ほとんど毎晩のように。……岸辺に地主のお屋敷が6つもあってね。……覚えてるわ、笑い声や、ざわめきや、銃声の響き……。それにいつだって、みんな恋をしていた、誰かにね……、そうそう、その恋愛ゲームの主役で、どこへ行ってもアイドルだったのが、紹介するわね、(ドールンにうなずいて)ドクター・ドールン。いまでもステキだけれど、往年はそれこそ、うっとりさせるような魅力があったのよ。……でも、あたし、なんだか今ごろになって気がとがめてきたわ、なんだってあの子のハートを傷つけたりしたんでしょう? 心配だわ。(大声で)コースチャ! ねえ、コースチャ!

マーシャ:あたし行って、探してきます。

アルカージナ:頼むわ。

マーシャ:コースチャ! コースチャ!


マーシャ、去る。ニーナが仮設舞台の裏から出てくる。

ニーナ:あの……、あたしもう、出てってもいいかしら? あ、はじめまして。(と、アルカージナとポリーナに挨拶する)

ソーリン:いやあ、よかったよかった!

アルカージナ:ステキだったわ! みんなであなたのこと誉めてたのよ。可愛らしいお顔をしてるし、声もいいし。ダメよ、こんな田舎にいたら。あなたには才能がある。うん、そうよ。あたしが保証してあげるわ。あなた、舞台に立つべきだわ!

ニーナ:え、あ、はい。それがあたしの夢なんです。でも、(溜め息)無理なんです。

アルカージナ:なに言ってるの。さあ、紹介するわ。こちらがトリゴーリン。ボリス・アレクセーエヴィッチ・トリゴーリン!

ニーナ:あ、はい、……あの、お会いできて光栄なんです。あたし、(どぎまぎして)いつもご本を拝見させてもらって……

アルカージナ:(ニーナを脇に座らせて)そんな、緊張しなくたっていいのよ。この人、有名人だけど、さばさばした人なんだから、ほら、彼のほうが緊張しちゃってるじゃない。

ドールン:もう幕を上げてもいいんじゃないかな、うっとしいだろう。

シャムラーエフ:(舞台奥に)ヤーコフ! 幕を上げろ!


幕が上がる。

ニーナ:(トリゴーリンに)変なお芝居だったでしょ?

トリゴーリン:さっぱり理解できませんでした。いや、けど楽しんで見させてもらいましたよ。あなたは真剣に演じてらしていたし、借景の湖も美しかったしね。


間。

魚がたくさんいそうだなあ。

ニーナ:はい。

トリゴーリン:僕は釣りが好きなんです。夕暮れ時に、川辺に腰をおろして、浮子を眺めていることくらい楽しいことはない。

ニーナ:でも、あたし、一度創造の楽しみを味わったら、それ以外の楽しみなんてなくなってしまうんじゃないかと思うんですけど。

アルカージナ:アッハッハッハ! ダメよ、そんなこと言っちゃ。この人、冷やかされるとカメみたく黙っちゃうんだから。

シャムラーエフ:そうです、そうです。いや、思い出しましたよ! いつだったかモスクワのオペラ座で、あの有名なバス歌手のシルヴァが、ものすごい低いドの音を出しましてねえ。ところが、偶然その夜の天井桟敷に、聖歌隊のバス歌手がいまして、それで、いやあ、あれはびっくりしたなあ、突然、天井桟敷から「ブラヴォー! シルヴァ!」って、さらにオクターヴ低いドの音で、いいですか、こんなふうに「ブラヴォー! シルヴァ!」って、それでもう、場内しーんと静まり返ってしまいましたよ!


間。

ドールン:お、天使が通った、かな。

ニーナ:あたし、もう帰らなきゃ。ごめんなさい。

アルカージナ:まあ、どうして? ダメよ。まだ早いわ。

ニーナ:父が待ってるんです。

アルカージナ:そう、ひどいお父さまね! 


二人、別れの挨拶をする。

アルカージナ:仕方ないわねえ。でもホント、本当に帰ってほしくないのよ。

ニーナ:ええ、残念ですけど。

アルカージナ:だけど、こんなにかわいいお嬢さんを一人で帰らせるわけにもいかないわね。

ニーナ:そんな、大丈夫です!

ソーリン:(ニーナに心から)まだいとくれよ……。

ニーナ:ダメなんです。

ソーリン:せめてあと一時間だけ、どうだい、っちゅうかなんちゅうか、なあ?

ニーナ:(しばらく考えて、悲し気に)ダメなんです。


ニーナ、ソーリンに手を取って離すと、走り去る。

アルカージナ:かわいそうな子なのよ。母親がたいへんな遺産を夫に残して死んだらしいんだけど、あの子にはぜんぜん。結局、父親は、全財産を連れの女に譲るつもりらしいから……。ひどい話だわ。

ドールン:ええ。あんなひどい男はいませんよ。

ソーリン:(冷えきった手をこすり合わせながら)そろそろ、どうだい? 湿っぽくなってきたし、脚も痛み出してきた。

アルカージナ:まあまあ! ピノキオだものね、お兄さんの脚は。……帰りましょう。かわいそうなピノ伯父さん!(手を取る)

シャムラーエフ:(ポリーナに腕を差し出して)行こうか。

ソーリン:また吠えてる。(シャムラーエフに)犬を、放すように言ってくれるとありがたいんだがね……。

シャムラーエフ:無理ですなあ、それは。穀物倉に泥棒が入るといけませんので。今、ちょうどキビが収まってるところでね。(と、メドヴェジェンコに、並んで歩きながら)いや、それがだぞ、完璧に1オクターブ低いドだなんだ。「ブラヴォ! シルヴァ!」って、……オペラ歌手じゃないんだから、ただの聖歌隊のメンバーだぞ!

メドヴェジェンコ:でも、聖歌隊ってどれくらいもらうんですか、給料?


一同退場。

6 魂の翼


ドールン、一人。

ドールン:なんなんだあ? ええ? どうしたんだ、俺は? 気が変になったのか? ……あの芝居が、どうやら気に入ってしまったらしい。何かがある、あそこには。あの娘が、孤独だと言った時、それからあの、悪魔の赤い目が現れた時、図らずも感動でこの手が震えた。新鮮な、見せ掛けだけじゃないものだった。……ン、こっちに来る。ちょっとでもいいから、慰めてやれるといいんだが……。


トレープレフ、入ってくる。

トレープレフ:みんな行きました?

ドールン:私以外はね。

トレープレフ:マーシャが、僕を探して、そこらじゅうをうろついてるんです。うっとうしいったらない!

ドールン:気に入ったよ、君の芝居。……いや本当にさ。確かにちょっと変わってるし、最後までは見られなかったけど、深い印象を受けた。君には才能がある、続けるベきだ。

トレープレフ:ああ!(と、思わず、ドールンの手を取って、抱きつく)

ドールン:ああ、なんて純粋な少年なんだ。涙まで浮かべて……、あん? 俺は何を言おうとしてたんだ? そう。そうだった、いいかい、君は抽象観念の世界に主題を選んだ。それは正しかった。なぜなら芸術は常に、本質的な思想を伝えなければならないからだ。より高い感覚を感じさせるものだけが美しいからだ。……どうした? 顔色が悪いぞ。

トレープレフ:僕は、続けるべきだと、そう言うんですね?

ドールン:そうだよ! でもいいかい、本当のことだけを、永遠のことだけを描かなくちゃダメだ。私の人生なんか、まあ確かに、退屈ではなかったし、自分らしいものではあったけれど、いや満足さえしてるんだが、だけどもしも、もしも芸術家が何かを創り出す時に味わうような、魂の高揚を経験できていたら、こんな体の、物質的な問題などすべて放り出して、僕の魂は翼が生えたように高みを目指していたことだろう。

トレープレフ:すみません。ニーナはどうしました?

ドールン:それともう一つ。書くべきものは、常に、明晰かつ判明な思想でもって裏づけられていなければならないってことだ。君は自分が書く目的をハッキリ知らなければならない。どこへ行き着くのかわからずにダラダラ書くだけじゃ、才能はいずれ枯れることになるからね……。

トレープレフ:(イライラして)ニーナはどうしたんでしょうか?

ドールン:帰ったよ、家に。

トレープレフ:(絶望が襲って)ああ、どうしよう? 会いたい。ニーナに会いたい。いや、会わなくちゃ……。


マーシャが入ってくる。

ドールン:(トレープレフに)おい君、落ち着きなさい。

トレープレフ:とにかく、行かなくちゃ。

マーシャ:うちに戻ってください。お母さまが心配してらっしゃいます。

トレープレフ:出かけたって言ってくれ! 頼むよ、マーシャ。おまえも、それに

んなも、僕のことは放っといてくれ! 放っといてくれよ! ついてくるな!

ドールン:君、……それはよくないよ、そんな言い方は……

トレープレフ:(泣きながら)すみません、ドクター。ありがとうございました。


トレープレフ、出ていく。

ドールン:(溜め息)ふう……、若さはみずからの道をゆく、か。

マーシャ:ほかにどうすることもできないと、みんな若さのせいにするんです。(と、嗅ぎタバコを吸う)

ドールン:(と、それを取り上げて、草むらに投げ捨てる)みっともない!


間。

さあ、うちに入ろう。

マーシャ:待ってください。

ドールン:なんだい?

マーシャ:あなたに、言いたいことがあるんです。……お話したいんです。(興奮して)あたし、父は嫌いなんです。でも、あなたのことはなんだか、……気になって、なぜだか、身近に思えて……。助けてください。助けて。でないとあたし、バカなことをしてしまいそうで、自分を見捨ててしまいそうで、めちゃくちゃにしてしまいそうで……、もう、こんなの嫌なんです!

ドールン:しかし、なにを、どう私に助けろと?

マーシャ:あたし、不幸なんです。誰にもわかってもらえないんです、あたしの、この不幸を。わたし、好きなんです……(と、彼の胸に頭をもたせかけて、ゆっくりと)トレープレフのことが……。

ドールン:かあ! どうなってるんだ、今夜は! 湖にかけられた魔法なのか! 誰も彼もが恋に狂ってる!(しかし、やさしく)……でもしかし、この僕になにができるだろう? 教えてくれ? なにができるんだ?


http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull01.html

18. 中川隆[-13508] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:55:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1396] 報告

第2幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull02.html


真昼のまばゆい陽射し。湖の上。木陰の下、凍った水の上に、ベンチとイス。下手が家へ。


7 どっちが若い?


三人並んで、中央にアルカージナ、上手にドールン、下手にマーシャが、ベンチに座っている。
アルカージナ、妙にソワソワ。マーシャ、ボンヤリ。
ドールンは本を手に二人を見たり前を見たり……。

アルカージナ:(命令口調でマーシャに)立って。


二人、立つ。

並んで。あんたは22。あたしは、まあ、その倍。(間)ドクター、どっちが若く見えて?

ドールン:もちろん、あなたです。

アルカージナ:(嬉しい)ホラね! なぜだかわかる? 働いてるからよ! いろんな人に会って、気を使って、ポジティブに生きてるからよ! ところがあんたときたら、四六時中、家ン中にこもってて、ちっとも生きちゃいないのよ。あたしはね、先のことは考えないって主義なの! 年をとるったって、死ぬったって、なるようにしかならないんだから。

マーシャ:(ぼんやりと)なんだかあたし、自分が大昔から生きているような、ズルズル長いドレスの裾を引きずって生きてるような感じなんです……。ときどき生きてるのも嫌になって……(と、腰をおろす)いいんです、そんなこと。さ、気合い入れなきゃ、バシッと行こう、バシッと。

ドールン:「♪ことづてよ、おお、花々……」(オペラ「ファウスト」第三章、ジルベールのアリアより)

アルカージナ:それからね、あたしは自分に特別厳しいの。イギリス人みたいに、いつも背筋をシャンとさせて、服にも髪にもちゃんと気を使うのよ。今までに、あたしが外へ出るとき、こんな庭ですらよ、部屋着のままで、髪もボサボサで、なんてことあった? ないでしょ!(なかば観客に)そういうこと。そこいらのオバサンみたいにルーズになって、自分を甘やかせたりしないの。ほらあ、どう?(と、腰に手をあてて、スキップして)見て。小鳥のリズムよ。少女の役だってまだできるわ。

ドールン:ええっと、先を続けましょうか?(本を取って)粉屋とネズミのところでしたね?

アルカージナ:ちゅうちゅう、ネズミネズミ。続けましょう。(と、座って)貸して。あたしの読む番。(本を奪い取って、続きを探す)ネズミネズミと……、ちゅうちゅうちゅう……。「――だから当然、社交界のご婦人方が小説家を贔屓にして、これを身近に近づけるのは、粉屋が納屋にネズミを飼っておくようなものです。なのに依然として小説家はモテますし、女はこれぞとおぼしき作家に狙いをつけたら最後、彼を手なずけるまで、もう、お世辞、お愛想、お色気の限りを浴びせかけるのです――」……そうお? そうかしら? フランスじゃそうかもしれないけど、ロシアじゃあ、狙いもへったくれもないわよ。手に入れようなんて考える前に、自分のほうからメロメロになっちゃうんだから。そうでしょ? あたしとトリゴーリンがいい例よ……。


8 お昼寝日和(人生談義1)

下手から、ニーナとメドヴェジェンコに介助されて、ソーリンが杖を担いでやってくる。三人とも妙にハッピー。
ドールンとマーシャは、申し合わせたように席を立つ。

ソーリン:(孫を可愛がるジジイのように、ニーナに)ン、ン、ン? なんだいなんだい? そうかい! そりゃハッピーじゃろうなァ!(アルカージナに)いやいやハッピーなんじゃよ。そりゃそうさ、お父さんもお母さんもトヴェーリへ出かけて、まるまる3日も、この子は自由の身なんだぞ。

ニーナ:(アルカージナに隣に座って)そうなんです! あたし、みなさんとずっと一緒にいられるんです!

ソーリン:今日はまた一段と可愛らしいだろ、この子は。

アルカージナ:ホントね、ずいぶんオシャレして……。カワイイお嬢さんだこと。(とニーナにキス)誉めすぎると、幸運の女神が嫉妬するわね。トリゴーリンはどこかしら?

ニーナ:浜辺で釣りをしてました。

アルカージナ:まぁ、よくもあきずに。(と、本を開く)

ニーナ:なんですの?

アルカージナ:モーパッサンの「水の上」


と、ページを眺める。間。

まぁ、嘘ばっかり! ああ、落ち着かない!(閉じる)ねえ、どうしちゃったのかしら、うちの息子は? なんで、あんなにつまらなそうな顔でふさぎ込んでるの? 一日中ずっと湖で、あたし、ろくに顔も見てないわ。

マーシャ:ムシャクシャしてるんですわ。(やさしくニーナに)ねえ、あの人の戯曲をなにか読んでくれない?

ニーナ:(肩をすくめて)あたしがですか? つまんないですよ、あんなの?

マーシャ:(こみ上げてくる興奮を抑えながら)あの人! 自分で朗読すると、目が燃えるようになるのよ! 顔は青ざめて、悲しそうな、済んだ声はまるで本物の詩人だわ!

ソーリン:(いびき)グーグーグー。

ドールン:いい、お昼寝日和ですな。

アルカージナ:ねえ、ちょっと!

ソーリン:ン?

アルカージナ:寝てたの?

ソーリン:(慌てて)あいや、いやいや……。


間。

アルカージナ:ねえ、兄さん、ちゃんと治療は受けてるの? ダメよ、ほったらかしにしたら。

ソーリン:そりゃ、こっちが聞きたいよ! ドクター、あたしゃもう治療を受けるのも無駄ってことですか?

ドールン:(驚いて)治療? 60にもなって?

ソーリン:60だろうが80だろうが、生きたいに決まっとる!

ドールン:(吐き捨てるように)じゃあ、カノコ草でも飲んだらいい。

アルカージナ:どこか温泉にでも行ってきたらどうかしら?

ドールン:そう、それもいいでしょうが……、まあ、よくもないでしょう。

アルカージナ:よくわからないわね。

ドールン:わからないことはない。ハッキリしてますよ。


間。

メドヴェジェンコ:タバコをやめたらどうなの?

ソーリン:バカバカしいわい。

ドールン:バカバカしくはない。タバコも、酒も、あなたからあなた自身を奪い取るんです。ウォッカを一杯、タバコを一服。それであなたは、もはやソーリン・ニコライェヴィッチではなくなって、ソーリン・ニコライェヴィッチ、プラス誰かになってる。自分てものをなくして、どこか知らない誰かになってるんです。

ソーリン:ワッハッハ! 言いたいことをいいおるわ。自分はさんざ遊んで生きてきたくせに。じゃが、わしゃどうだ? 法務局に28年務め上げたァいいが、楽しいことなんかなんも、なんも知らんまんまじゃ、っちゅかなんちゅうか、まだまだ生きたいわい! 当たり前じゃろ。あんたはいいさ、あんたはそうやってのうのうと屁理屈並べてりゃいい。じゃが、わしゃまだ生きたいんじゃ。じゃから晩にはシェリーを飲むし、タバコもふかすんだ! それに……、まあ、そういうことじゃ。

ドールン:人生はマジメに生きるべきものですよ。こういっちゃなんですが、60にもなって治療してくれだの、若いときに遊べなかったのが口惜しいだの、愚かさですな。

マーシャ:そろそろお昼じゃないかしら?(と、立って、歩き出そうとして)あ……(と、よろよろする)足がしびれちゃった……。


マーシャ、去る。

ドールン:ああやって、食事の前に一杯だ。

ソーリン:「貧しき者こそ幸せなり」、なんて、どうせ嘘さね。

ドールン:なんてことを! それが法務省に務めていた人間の言うことですか?

ソーリン:そんなのはみんな人生に満足している者のセリフじゃ!

アルカージナ:ああ、つまらないわねえ! 何がつまらないって、この田舎のつまらなさに勝るものといったらないわね! 暑いし、静かだし、みんな何にもしないで、理屈ばっかりこね回してて……。あたし、みなさんと一緒にいるのは好きですし、みなさんのお話を拝聴してるのも、身にあまる光栄だとは思いますけど、ホテルの部屋で、台詞の稽古でもしてたほうがよっぽど有意義だわ。

ニーナ:(大きく)わかります! そうでなんでしょうね! 

ソーリン:(オロオロして)そりゃおまえ、あたりまえじゃろ。都会のデスクに座っててみ、取次ぎなしにゃ誰も通さんし、電話もあるし……、街にゃタクシーも走ってるしな、とまあ、そういうことじゃろ……

ドールン:「♪ことづてよ、おお、花々……」

9〈みんな仲良く〉その2

上手から、シャムラーエフ、入ってくる。追い詰められたその顔は、笑ってるのか、怒っているのかわからない。
それを追い掛けて、ポリーナ。

ポリーナ:ちょっと、あんた!

シャムラーエフ:(無視して)どうもみなさん! 本日はお日柄もよろしゅう。(と、アルカージナに挨拶して)いやいや、奥さんに置かれましては、実にご機嫌うるわしゅう。なんでも、今、家内に聞いたところよりますと、今日はまた、家内を連れて、町までお出掛けになるご予定で?

アルカージナ:ええそうよ、そういう予定よ。

シャムラーエフ:ホウ! それはそれは(周囲を見回し)、結構ですなあ……、しかし奥さん、いったいどうやってお出掛なさるおつもりで? いや、というもの今日は、わたくしどもみんな麦の荷出しにてんてこ舞いでして、いったいどの馬を使うおつもりで?

アルカージナ:どの馬なんて、そんなこと、あたしの知ったこっちゃないわ。

ソーリン:荷車用のがあるだろ、荷車用のが。

シャムラーエフ:(キレて)荷車用だあ? じゃあ、その馬具はどこにあるっていうんだ? ええ、いったいどこに? バカも休み休み言ってほしいもんだ。……ねえ、奥さん! あたしゃね、奥さんの才能にはまったく、真実、敬服しているもんですが、ああ、もう、残りの命を10年分、捧げてもいいと思ってるくらいですがねえ。でも、いっさい馬は出せませんよ!

アルカージナ:(笑って)でも、どうしても出掛けなくちゃいけないとしたら? バカじゃないの!

シャムラーエフ:奥さん! あなたには農場経営というものがてんでわかってない!

アルカージナ:(突然、烈火の如く)なによ、冗談じゃないわ! あたし帰るわ、モスクワに。村に行って馬を用意してちょうだい! でなきゃ駅まで歩くわよ!

シャムラーエフ:あたしだって、辞めますよ、こんなところ! 別の人間を雇えばいいんだ!


シャムラーエフ、上手へ出ていく。

アルカージナ:いつもこう! いつもいつもこうなのよ! 毎年毎年、なんであたしが侮辱されなきゃならないの! 二度と来ないわ、こんなところへは!


アルカージナ、下手へ出ていく。(この後、浜辺まで行ってトリゴーリンを連れて家へ戻る姿が見える、らしい)

ソーリン:(いまさらキレて)なんちゅうか、この……、まったく……、信じられんぞ! ええ! 馬という馬をいますぐここに連れて来い!

ニーナ:(一緒になって、ポリーナに)あの人は大女優なんですよ! わかってるんですか? あの人の言うことは、どんなお願いだって、たとえわがままだって、農場の経営なんかよりずっと大切なはずだわ! 

ポリーナ:(がっくりして)あたしに何ができるんです? あたしに?

ニーナ:信じられない!

ソーリン:(ニーナに)さあ、行って、あいつに、帰らないよう説得して来よう。(と、立ち上がろうとする)

ニーナ:(立とうとするソーリンを助けて)ええ。行きましょう。

メドヴェジェンコ:(オロオロしながらも同じく助ける)

ソーリン:(シャムラーエフの去った方を見て)ったく信じられん! なんて失礼な奴なんだ!

ニーナ:(ソーリンを抱えながら)ほんとサイテー!

ソーリン:サイテーじゃ。……じゃが、なあに辞めはしたりはせんさ、わしがまた、話をつけるよ……。


三人、下手へ去る。

10 人生の黄昏れ・


ドールンとポリーナ。

ドールン:騒々しい連中だ……。まあ、あんたの亭主は雇われてる身だから、追い出されて当然なんだが、結局は、あのピノキオじいさんと大女優の方で詫びを入れて収まるのがオチだよ。

ポリーナ:荷車用の馬まで畑に駆り出しちまったのよ、ウチの人……(ドールンに寄って)気が狂っちまうわ、あたし。毎日毎日こんなんで、病気になりそう。あの人は下品で、ガサツだし……(マジになって)ねえ、あたしを引き取ってちょうだい……、あたしたちの時間はもう残り少ないわ。お互い若くもないし、これ以上、人目を避けたり、嘘をついたりしたくないの、せめて生涯の終わりだけでも……。


間。

ドールン:僕はもう50過ぎだ。生活を変えるには、遅すぎるよ。

ポリーナ:そうやって逃げるのも、好きなヒトが他にもいるからなのね。みんないっぺんに引き取るわけにはいかないものね。わかってるわ。ごめんなさい。退屈でしょ、あたしなんか。


ニーナが遠くに現れ、花を摘んでいる。

ドールン:そうじゃないさ。

ポリーナ:嫉妬よ。あたし、嫉妬してるのよ。……わかってる、あなたはお医者さんだし、女の人を避けるわけにもいかないし……

ドールン:(近づいてくるニーナに)どうですか、むこうの様子は?

ニーナ:大女優さんは泣いてます。ピノおじさんは喘息の発作で……。

ドールン:(歩き出して)さて、行って、二人にカノコ草でも飲ませるとするか。

ニーナ:(ドールンに花を差し出して)あの、これ!

ドールン:やあ、ありがとう。

ポリーナ:(ドールンに寄って)まあ、可愛らしいお花ね!


ドールンとポリーナ、歩き出す。

(去り際で、声を落として)ちょっとよこしなさいよ! あたしによこしなさいってば!(花を奪って引きちぎると、投げ捨てる)


二人、去る。

11 カモメ


ニーナ一人、なかば観客に向かって。

ニーナ:変でしょお? 大女優があれしきのことで泣きわめいたりする? それに、あの作家さん。新聞にもよく出てるし、外国語に翻訳されたりもしてる作家さんなのに、一日じゅう釣り竿たらしてて、ちっちゃいフナ二匹。そんなんでいちいちはしゃいだりするの? あたし有名人て、もっとプライドが高くて、近づきにくい人種だって思ってた。一般人のことなんかこう、見下しててさ。お金だとか人づきあいだとか、狭いことに執着しているみんなをさ、こう、栄光と名声の高みから、見下して笑ってるんじゃないかって……、なのに、なにあれ。ぜんぜん、フツーじゃないの。


トレープレフがやってくる。銃とカモメの死体を持って。

トレープレフ:ひとり?

ニーナ:そうよ。


トレープレフ、カモメをニーナの足元に置く。

ニーナ:なにこれ、どういうイミ?

トレープレフ:今日、僕は恥ずべきことをした。このカモメを撃ち殺したんだ。これを君の足元に捧げよう。

ニーナ:あなた、どうしちゃったの?(と、カモメを取って眺める)


間。

トレープレフ:いまに僕は自分自身を撃ち殺すんだよ、こんなふうに。

ニーナ:……あなた、変わったわね。

トレープレフ:そうだよ! 君が変わったからだ。僕に対する君の態度。僕を見る君の冷たい目。今だってそうだよ、うっとうしいんだろ、僕の存在が。

ニーナ:それに怒りっぽくなったし、何を言いたいんだか、ちっともわからないし、こんな(と、カモメを見て)なにこれ? ごめんなさい、ぜんぜんわからない。(と、カモメをベンチに置いて)ついてけないわ、あたし単純だから。

トレープレフ:あの夜からだ。僕の芝居がコケにされた夜からだ……。女って奴は絶対に失敗を許さないんだ。あんな芝居、全部引き裂いて、焼き捨ててやった! ああ、僕が今、どんなにみじめか、わかるか! 信じられないよ! 君が急にそんなに冷たくなるなんて! まるである朝目が覚めたら、湖の水が全部干上がってたか、地面に吸い込まれてたみたいだ。(カモメを見て)……わからない? 単純だからついてこれないって? 単純だよ! あの芝居は失敗だった。だから君は、僕の才能を見限って、僕をそんじょそこらの低能と同じ目で見るようになった。単純じゃないか!(床を踏んで)クソ! クソ! クソ!(頭を抱えて)頭に釘を打ち込まれたみたいだ……、クソ! プライドがなんだ! クソだ! そんなもん!


トリゴーリンが見える。本を読みながらやってくる。

ホラ、本物の才能だ。本を片手に、まるでハムレットだ。(マネをして)「言葉……言葉……言葉……」それ見ろ、あの太陽の光のまだ届かぬうちに、君の顔はほころび始めた。まるでとろけそうだ。邪魔はしないよ。


トレープレフ、上手へ走り去る。

11 破滅


トリゴーリン:(手帳に書き込みをしながら)嗅ぎタバコを吸い、ウォッカを飲む女。うん。……いつも黒い服。……学校教師に好かれている。

ニーナ:こんにちは! トリゴーリンさん!

トリゴーリン:やあ。(と、笑ってニーナに近寄って)どうやら、僕ら今日中にここを発つことになりそうです。もうお会いできないかもしれませんね。(笑って)いや、あなたのような若いお嬢さんとお会いできるようなチャンスは、僕にはそう滅多にないもので……、自分が18、9だった頃のことなど覚えてもいないし、そのせいで僕の小説に出てくる女の子たちは、みんな作り物っぽいんです。一時間でもいい、あなたと入れ代われたら、あなたの考えていること、若いということはどういうことなのか、わかったのに、なんて思っていたんですが……。

ニーナ:あたしは、あなたと入れ代わってみたいなあ。

トリゴーリン:また、どうして?

ニーナ:有名で、才能のある作家になるのってどんな感じなのか知りたいの。どんな感じなんですか? 有名人って?

トリゴーリン:どんな感じって。(ちょっと考えて)どっちかでしょうね。あなたが僕の立場を大げさに考えているか、それとも僕が自分の立場に鈍感なのか。

ニーナ:でも、新聞とかで自分のことを読んだりしたら?

トリゴーリン:ホメられた時は嬉しいが、けなされれば2、3日は落ち込みますね。

ニーナ:いいなあいいなあ、うらやましいなあ! 

トリゴーリン:…………。

ニーナ:運命って人それぞれなんですね。クソ面白くもない、退屈な生活を引きずって生きている人たちもいるかと思えば、あなたみたいに、百万人に一人の、有意義な人生を生きている人がいる!

トリゴーリン:僕が?(肩をすくめて)有意義で、有名で、幸せな人生? そういう言葉は……、申し訳ないが、甘すぎるデザートと同じで、僕は絶対に口にしない。あなたは若い、それに優しすぎます。

ニーナ:ステキだわ、あなたの人生って!

トリゴーリン:どこが!(と、時計を見て)申し訳ありませんが、そろそろ仕事に戻らせてください。時間に追われているもので……。(と、立ち止まって)ハハハ、まいったな。痛いところを突かれた。どうも大人げもなく……、いいでしょう、お話しましょう、僕のその有意義な人生について。さて、どこから始めましょうか……。


間(二人はそれぞれの所在場所を発見する)。

強迫観念って、わかりますか? 昼も夜も四六時中、月なら月のことしか考えられなくなるっていうやつです。僕もそれなんですよ。いつも月に追われてるんです。書かなきゃ、書かなきゃ、書かなきゃって……。やっとの思いで書き上げたと思ったら、すぐにも次のに取りかからずにはいられない。そうやってまた次の、さらに次のと休む暇がない。教えてほしいくらいだ、こんな生活のどこが幸せなのか。むごい生活ですよ。……そう、今だって、君とこうして話しながら頭の中じゃ、机の上で待ってる書きかけの小説のことを考えてる。(例えば)ホラ、あそこにグランドピアノのような形の雲が見えるでしょう。僕はすぐ考える、あれはどこかに使えるって。「その時、空には、グランドピアノのような雲が浮かんでいた」。ホラ、このルリ草の匂い、これだって使える、「甘ったるい匂い……、未亡人が身にまとう紫色のドレス……、そして、夏の夕暮れ」。ね、こうして話しながら、飛び交う言葉の一言一句をつかまえては、片っ端から記憶の貯蔵庫にため込んでいるんです、いつか使えるだろうってね。……時には考えます、ひと仕事終えて、劇場に行ったり、釣りに行ったりすれば、のんびりと我を忘れていられるんだろうなあ。ところがそうはいかない、飛び込んで来た新しい素材が、頭の中で鉄の玉のように転がり始めると、やっぱり机に向かって書きまくってる。いつもこう。いつもいつも、こうなんです。名前も知らない読者のために、自分の大切な花を根こそぎにして、花びらをむしり取っては一生懸命、蜜をかき集めてるような、あわれな働きバチ……。これがマトモな人生だろうか? 友だちも親戚も、顔を会わせれば、きまって言うことは同じ。「書いてるかい?」「次はどんなのだい?」。たとえそれが、やさしい気遣いから出た言葉だったとしても、ぜんぶ見せかけに思えてくる。ある日突然、後ろから捕まえられて、ゴーゴリの「狂人日記」のように、精神病院に押し込められるんじゃないかと、不安に脅える日もある。……まださほど忙しくもない、かけ出しの新人だった頃も、そう、書くのは苦痛だったなあ。とにかく売れてないってだけで、自分が半端に思えてね。文学関係者のまわりをうろついては、相手にもされず、認められず、マトモに誰も見返せない。つらかったなあ、ホント、あれは苦痛だった。

ニーナ:でも、最高にしあわせな瞬間だってあるわけでしょ? インスピレーションが湧いて、ペンに勢いが乗ってる時とか。

トリゴーリン:うん。書いている時は楽しいし、校正も悪くない。けど……、ひとたび印刷されて本になると、もう耐えられない。こんなつもりじゃなかった、書くべきじゃなかった……。どうにも、みじめな気持ちになって……、ハハハッ、そんなものを読んで、世間じゃ言うんだ、「面白かった! よく書けてる! でもトルストイには及ばないかな」「いい作品だねぇ、でもツルゲーネフの『父と子』のほうが上だねぇ」。……きっと死ぬまで「いいねえ」「うまいねえ」のくり返し。死んだあとだって、友だちは僕の墓の前を通りながらこう言うだろう。「ここにトリゴーリン眠る。いい作家だったが、ツルゲーネフにはかなわなかった」


間。

ニーナ:(立って)あたし、聞いてられません。あなたきっと成功に甘えてるんです。

トリゴーリン:成功? この僕が? 作家としての自分に、不満ないのに? 気に入らないのに? ……ときどき、自分でも頭がボンヤリして、何を書いているのかわからなくなるのに……。だけど、こういう湖とか、木とか、空とか、僕は大好きだ。自然を見ていると書きたいという情熱が湧いてくる……。でも、僕は風景画家じゃない。世の中に揉まれて生きている、一人の人間なんだ。だから当然、作家として、世の中の苦しみや、みんなの将来のことを描きたいと思う。社会や科学のことを書きたいと思う。けど結局は、あっちへ逃げこっちへ逃げ、悪戦苦闘しているうちに、社会も科学もどんどん先へ進んでしまって、気がつくと、汽車に乗り遅れた田舎者のようにひとりホームに佇んでいる……。つまり、僕に書けるのは風景だけなんです。ほかはすべて嘘で固めた作り物。もう骨の随まで、偽物なんです。

ニーナ:仕事のしすぎなんじゃないでしょうか? あんまり急がしくって、自分の偉さを自覚できなくなってるんだと思います。自分で自分が気に入らなくったって、普通の人から見たら、あなたは断然、素晴らしいんです! 絶大な力を持ってるいるんです! ……もしも、私があなただったら、哀れな世の中のみんなのために、この命をぜんぶ捧げて一心不乱に仕事をするわ! そうしていつかみんなの現実が、私の描いた世界に追いついた時、きっと全世界が、私を担ぎ上げて国中をパレードするんだわ!

トリゴーリン:パレードかあ! まるでアガメムノンだ!


二人、ほほえむ。

ニーナ:あたし、作家とか女優とか、そういう幸せな人間になれるんだったら、家族に見放されたってかまわないわ。貧乏したって、苦労したって、屋根裏部屋で黒パンばかり齧ってたって! きっと最初は自分の未熟さにうんざりするかもしれない。けど、そんなの当たり前じゃない。そのかわり、あたしは要求するの! 栄光を! 本物の、目のくらむような栄光を……、(顔を手で覆って)ああ、くらくらする!

アルカージナ:(舞台裏から顔を出して遠くに呼び掛けるように)トリゴーリン!

トリゴーリン:お呼びだ。荷造りだな、きっと……、行きたくないなあ。(湖を見回して)ここは天国だ! ステキだよ!

ニーナ:向こう岸に家が見えるでしょ?

トリゴーリン:うん。

ニーナ:前はママのものだったの、死ぬまでは……。あたし、あそこで生まれたのよ。あそこで生まれて、ずっとこの湖のほとりで暮らしてきたの。

トリゴーリン:すばらしい。すばらしい場所だあ。(カモメに気づいて)これは?

ニーナ:カモメ。コースチャが撃ち殺したの。

トリゴーリン:美しい鳥だなあ。……ああ、行きたくない。もう少しいてくださいって、アルカージナを説得してくれないかな? ハハハ(と、手帳になにやら書き込む)

ニーナ:なにを書いてるの?

トリゴーリン:ちょっとね、浮かんだんだ。(手帳をしまって)短編の題材さ。子供の頃から湖のほとりで暮らしている、一人の少女、君のように、カモメのように、湖を愛して、自由で幸せだ。ところがある日、ふらりと現れた男が彼女に目をつけて、退屈まぎれに破滅させてしまう、ちょうどこのカモメのように。


間。


アルカージナ:(また顔を出して)トリゴーリン! どこなの?

トリゴーリン:いま行くよ!(歩き出すが、振り返ってニーナを見る。アルカージナに向かって)どうしたの?

アルカージナ:まだここにいることにするわ!


トリゴーリン、去る。

ニーナ:(舞台前に進んで、ちょっと考えて観客に)夢だわ!


http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull02.html

19. 中川隆[-13507] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:56:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1397] 報告

第3幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull03.html


朝の光に包まれた食堂。食器棚とテーブルとイス。
窓が一つ。床には出発の準備を伝えるスーツケースなど。


12 あたしの先生

トリゴーリン、一人で最後の朝食を食べている。
マーシャ、ウォッカのグラスを手にホロ酔い気分。

マーシャ:せんせぇ……。

トリゴーリン:(食べながら)ン。

マーシャ:こんなことをお話しするのも、先生が作家だからなのよ。よかったら、どこかで使ってくれてもかまわないの。……正直言ってあたしね、あの人の傷がもっとひどかったら、生きていなかったかもしれない。けど、決めたの、頑張ろうって。この気持ちを自分の中から消そうって! 根こそぎ引っこ抜いてやろうって!

トリゴーリン:でも、どうやって?

マーシャ:結婚するのよ、メドヴェジェンコと。

トリゴーリン:あの学校教師と?

マーシャ:そう。

トリゴーリン:それで、なんとかなりますか?

マーシャ:さあ? わかんないけど。でも、いつまでも望みのない恋をしてたって、何年も何年もただ待ってたってさ……。愛はないけど、結婚すれば新しい悩みも出てきて、古い悩みなんかきっと忘れられるでしょ? それだけでも変化よ。もう一杯どう?

トリゴーリン:大丈夫かい?

マーシャ:あら!(二つのグラスになみなみ注ぎながら)そんなふうに見ないでくださる? 先生がご想像なさってるより、女ってお酒、飲むんですよ。まあ、あたしみたいに大っぴらにやるのは少ないけど、でもみんな隠れて結構やってるわ。それも、たいていコニャックやウォッカ。(グラスを合わせて)お幸せに! あなたって親切な、いい方だわ。お別れするのが残念。


二人、飲む。

トリゴーリン:僕だって発ちたくはないんだ。

マーシャ:どうしてもっといようって言わないの?

トリゴーリン:ムダでしょう、今度ばかりは。息子があんなことをしでかしたんですから。……ピストル自殺の後、僕に決闘を申し込んだそうじゃないですか? なんともまあ、スネて、イジけて、最後は新形式のお説教だ。場所はまだ、たっぷりあるのに、新人にもベテランにも。なにもツノ突き合わせることはないんだ。

マーシャ:嫉妬もあるんだわ。……ま、あたしの知ったこっちゃないけどさ。


間。ニーナが入ってきて、窓辺に立つ。

……あたし、申し訳ないって気もするの。だって、あたしの、あの学校の先生は、頭は良くないけど、ノンキだし、貧乏だし、あたしのことが好きだから。……でも、じゃあね、せんせぇ、あたしのこと忘れないでね。(しっかりと握手して)いろいろとどうもご親切に。できたら今度、ご本を送ってくださいね、サインを添えて。

トリゴーリン:うん。

マーシャ:嫌よ、「敬愛なるマーシャさんへ」なんて、ありきたりじゃ。こう書いて、「生まれもわからず、なんのために生きてるのかもわからない、マーシャさんへ」って! さようなら!


マーシャ、出ていく。

13「昼と夜」


ニーナ:(トリゴーリンに握った片手を差し出して)偶数? 奇数?

トリゴーリン:偶数。

ニーナ:ハズレ。豆は一つ。あーあ、賭けてみたんだけどな、あたしが女優になれるかなれないか……、誰かハッキリさせてくれないかなぁ。

トリゴーリン:誰にもなんともできないでしょう、それは。


間。

ニーナ:お別れですね。……たぶん、あたしたちはもう二度と会えません。記念にコレ、あなたのイニシャルを彫らせたの。こっちには、あなたのご本のタイトル、「昼と夜」。

トリゴーリン:へえ、すごいなあ。(と、ペンダントにキスする)ありがとう。

ニーナ:ときどき思い出してね、あたしのこと。

トリゴーリン:思い出しますよ、とりわけあの晴れた日のあなたのことを。覚えてますか? 一週間ほど前、あなたは明るい色のワンピースを着ていた……。僕たちは話をしてて、ベンチには白いカモメが……。

ニーナ:(重々しく)そう、カモメが……。


間。

ダメ。誰か来る。行く前にあと2分、あたしにちょうだい、お願い!


ニーナ、上手に去る。

14 口笛吹いて


入れ代わりに、アルカージナとソーリンが入ってくる。
ソーリンは、燕尾服に勲章をつけている。

アルカージナ:家にいなさいよ。リューマチなんでしょ。そんなんで出歩く人がありますか。(トリゴーリンに)誰かいたの? ニーナ?

トリゴーリン:ええ。

アルカージナ:あーら、お邪魔だったかしら?(座って)ふう。なんとか荷造りは済んだようね。ああ疲れた。

トリゴーリン:(ペンダントの文字を読んで)「昼と夜」、121ページ、11、12行……? 何が書いてあったろう? (アルカージナに)この家に、僕の本あったかな?

アルカージナ:ええ。書斎の、角の本棚に。

トリゴーリン:121ページ、か……。


トリゴーリン、去る。

アルカージナ:ホントよ、家にいなさいよ。

ソーリン:家にいたって、つまらんよ、おまえは行っちまうし。

アルカージナ:町でなにかあるの?

ソーリン:特にはまあ、そういうことじゃが……(と、笑って)市庁舎の起工式があるわい! ……ちゅうかなんちゅうか、一時間でもいいんじゃ、こんな穴蔵で、古びたパイプみたいに埃をかぶってるよりゃ……、1時ンなったら、馬車を回すように言ってあるから、なあ、一緒に出掛けよう。


間。

アルカージナ:ここで暮らすよりほかないのよ、兄さんは。あんまり退屈がって、風邪なんかひかないでね。あの子のことはお願いします。面倒見てあげてちょうだい。


間。

……発ってしまえば、あの子がなぜ自殺なんかしようとしたのか、わからないままだわ。結局、嫉妬でしょ? だから少しでも早くここからトリゴーリンを連れ出したいのよ。

ソーリン:なんちゅうのかなぁ……、理由は他にもあったさ。そうじゃろ? あの子だってまだ若いし、才能もあるんだろうし、なのにこんな田舎で、金も地位も将来の見通しもないままじゃあ、なんもすることのないままじゃあ、腐ってくような気がするのさ、恐いのさ。わしゃ、あの子が好きじゃ。あの子もわしを慕ってくれとる。じゃがなんちゅうのかなぁ、ここにいるのが納得できないんじゃろなぁ、居候みたいな感じなんじゃろ。あの子にだってプライドがあるさ。

アルカージナ:ああ、ホント、苦労されられるわ!


間。

働きに出させたらどうかしら?

ソーリン:(あきれるが、ためらいがちに)それより何より……。なあ、おまえ、いくらかでも持たせてやったらどうじゃろ? 身なりをキチンとさせて、ちゅうか、見てごらん、年がら年中、同じ擦り切れたジャケットで、コートの一つも持っとらん!(と、笑って)旅行だって悪くないぞ。外国かどこかへ、なあ、金だってそんなにかからんじゃろうよ。

アルカージナ:そうねえ、着るものくらいだったら、でも外国となるとねえ……。ダメ。今はダメよ。着るものだって。(きっぱりと)お金なんかないわ。

ソーリン:(口笛を吹いて)

アルカージナ:ないのよ!

ソーリン:(口笛を吹いて)わかった。わかった。わしが悪かった。そうともさ、おまえは気立てのいい、やさしい女じゃよ。

アルカージナ:(泣いて)だってないんだから!

ソーリン:わしが持ってりゃなあ、それこそ、ポンと出してやるんだが、あいにくわしも一文なしだ。(と、笑って)わずかな年金も、牛だ、蜜バチだ、みんな農場に取られて、捨てるようなもんじゃ。牛は死ぬ、ハチも死ぬ、馬にすら使う金がない……。

アルカージナ:そりゃ少しはあるわ、でもあたしは女優よ。衣装代だけだって、破産しそうなのよ。

ソーリン:ああ、ああ、わかっとる、わかっとる、おまえの気持ちはわかっとるよ。そうともさ……、ああ、じゃがわしゃ何だか……(よろめいて)めまいが……(テーブルにもたれる)気分が悪い、とまあ、そういうことじゃろ!(倒れる)

アルカージナ:(驚いて)ちょっと!(助け起こそうとして)しっかりしてよ! (叫ぶ)誰か! 誰か来て!

15 ぼくのママ

頭に包帯を巻いて、コップの水を持ったトレープレフと、
杖を持った、メドヴェジェンコが駆けつける。

アルカージナ:気分が悪いって!

ソーリン:(起き上がって)なーんてな! ハッハッハ!(と、水を飲んで)ま、大丈夫大丈夫、そういうことじゃ。

トレープレフ:驚かなくてもいいよ、ママ。たいしたことじゃないんだ。このごろ伯父さん、すぐこうなるんだ。少し横になってれば、伯父さん?

ソーリン:うん、少しな……、でもわしゃ出かけるぞ、少し横になって、それから、出かけるんだ、だってそうじゃろう。


メドヴェジェンコから杖を受け取って立ち上がる。

メドヴェジェンコ:(ソーリンの腕を取って嬉しそうに)こんな謎なぞがあったね。朝は四本足、昼は二本足、夕方は三本足って。

ソーリン:それで夜にはバタンキューか! 一人で歩けるちゅうに。大丈夫じゃ、大丈夫大丈夫……。


メドヴェジェンコとソーリン、去る。

アルカージナ:驚かさないでよ、もう!

トレープレフ:田舎暮しがよくないんだ。気が滅入るんだよ。ママが突然、気前よくなって、2000くらい貸してあげたら、それで伯父さんも一年は町で暮らせるのに。

アルカージナ:ないわよ、お金なんか。あたしは女優よ、銀行家じゃないわ。


間。

トレープレフ:包帯を替えてくれない、ママ? ママは上手だから。

アルカージナ:(食器棚からヨードチンキと包帯を取り出して)遅いわね、ドクターも。

トレープレフ:10時には来るって言ってたんだけどな、もう12時だ。

アルカージナ:座りなさい。(頭の包帯をほどきながら)ふふふ、ターバンみたいね。昨日、お勝手に来てた人が、あんたのこと見て、あれは何人だって言ってたわよ。でも、ほとんど直ってる。ほんの少し、ほんのちょっと開いてるくらいだわ。(と、頭にキスして)あたしが行っちゃったら、あんなピストルごっこはもうしないで、いい?

トレープレフ:うん。あのときは本当に絶望しちゃって、自分でもどうしようもなかったんだ。二度と起こらないよ、あんなこと。(と、母の手にキスして)ちっちゃな、魔法の手だ……。ずっと昔、ママが国立劇場に出てて、僕はまだ子供だった頃、アパートの中庭でケンカがあったの、覚えてる? 一緒に住んでた洗濯屋の女の人がひどく殴られたの、覚えてる? あの人、気を失っちゃってさ……。ママ、何度もお見舞いに行ってあげてたよね。薬を持ってったり、子供たちを洗ってあげたり、覚えてない?

アルカージナ:そうねえ。(新しい包帯を巻いている)

トレープレフ:同じアパートにバレリーナが二人いて、よくお茶を飲みに来てたのは?

アルカージナ:それは覚えてる。

トレープレフ:二人とも、とても信心深かい人たちだったなあ。


間。

このところさ、ここ何日かさ、僕、ママのことが好きでしようがないんだ。子供の頃みたいに……。僕にはもう、ママしかいないんだ。なのに、なぜ、ママはあんな男と一緒にいるんだろう?

アルカージナ:あなたにはわかってないのよ。いい、あんなに立派な人はいないのよ。

トレープレフ:そのリッパな人が、僕に決闘を申し込まれたと聞くと、とたんに弱腰ンなって、逃げ出すんだもんなあ。情けねえよな!

アルカージナ:何言ってんのよ! あたしから出て行きましょうってお願いしたのよ!

トレープレフ:いやあ、リッパリッパ! そりゃ立派だねぇ! でも、こうやって僕たちが、あいつのことで言い合ってる間にも、あいつは客間か庭か、どこかそこらで僕たちのことをあざ笑ってるんだぜ。ニーナの頭に、自分がいかに立派かっていうことを吹き込もうとしてるんだぜ。

アルカージナ:あんた、そういうことを言って、自分が情けなくならないの? ……あたしは、彼を尊敬してるわ。信用しているんです。だから、あたしの前で、彼をけなすのはやめてちょうだい?

トレープレフ:でも、こっちはソンケイなんかしてませんから、あしからず。ママはあいつの才能を僕に認めさせたいんだろうけど、僕は嘘がつけなくってねえ! あいつの本なんかヘドが出るよ!

アルカージナ:負け犬の遠吠えねえ! 才能のないシロウトは、本物のプロフェッショナルを前にするとやたらめったら吠えるのよ。始末に負えないったらないわ!

トレープレフ:何がプロだぁ! 悪いけど、僕はおまえたちの誰よりも才能があるんだよ!(と、包帯を引き裂いて)カビのはえた、クソ石頭なおまえたちが、さんざおいしいところを独占して、自分たちだけを正当だと決めつけてるんじゃないか! それ以外のものは排除して、抹殺してるんじゃないか! 僕は認めないぞ、誰も! おまえも! あの野郎も!

アルカージナ:いいかげんになさい! 自分を何様だと思っての、このボウヤが? 退廃デカダンのくせに!

トレープレフ:てめえこそ、大好きな劇場にさっさと引っ込んで、みじめな三流芝居をやってろよ!

アルカージナ:悪いけどねえ、あたしゃ、そんな芝居に出た覚えは一度もないわ! あんたこそ、なにさ、マトモなコントの一つも書けないくせに! この、キエフの商売人! 貧乏人!

トレープレフ:ケチンボ!

アルカージナ:居候!

トレープレフ:ああっ……!(座り込んで静かに泣き出す)

アルカージナ:マザコンボウヤ!


アルカージナ、興奮して歩きまわる。

泣かないでよ……、泣かないで!(と、泣く)ねえ!(息子の額、頬、頭にキスキスキス!)お願いだから、いい子だから……。ひどい母親ね。かわいそうなのは、あたしなのよ……。

トレープレフ:(ママを抱いて)わかってよ、ママあ! 僕には何も残ってないんだ。ニーナは僕のことなんか愛してもいないし、僕にはもう何も書けないよ……。

アルカージナ:泣かないの! なにもかもよくなるからね。あの人がいなくなれば、あの子もまたおまえのところに戻ってくるわ。(涙をふいてやって)さあ、おしまい。仲直りよ。

トレープレフ:(ママの手にキスして)うん、ママ。

アルカージナ:(やさしく)彼とも仲直りしてね。もう決闘はなし。そうでしょ?

トレープレフ:うん……。でも、顔を会わせたくない。辛すぎるよ……。

16 私の王様

トリゴーリンがやってくる。

(それを見て)じゃあ……(急いで薬品を棚に戻しながら)後でドクターに巻いてもらうよ……。

トリゴーリン:(本をめくりながら)121ページ、11、12行……と、ここだ。「いつか私の命がお入り用でしたら、取りにいらして……」


トレープレフ、包帯を拾い上げて去る。

アルカージナ:(時計を見て)もうすぐ馬車が来るわよ。

トリゴーリン:(自分に)「いつか私の命がお入り用でしたら、取りにいらして」

アルカージナ:荷造りは出来てるの?

トリゴーリン:(イライラと)わかってるよ。(目を閉じて)この、純真な心の叫びの中に、俺には悲哀の声が聞こえる……。なぜだろう? なぜ、俺の胸はこんなにドキドキするんだろう?「いつか私の命がお入り用でしたら、取りにいらして」(アルカージナに)……ねえ、もう一日いよう!

アルカージナ:(首を振る)

トリゴーリン:あと一日、もう一日!

アルカージナ:わかってるわ、あなたが何に後ろ髪を引かれているのか。しっかりなさい! 酔ってるんでしょ。さあ、頭を冷まして。

トリゴーリン:きみこそ、頭を冷やしてくれ……。落ちついて、理性的になって、考えてくれ、本当の友だちとして。頼む。(と、アルカージナの手を握って)きみは自分を犠牲にできる、賢い女だ。そうだろう? 親友として、僕を自由にしてくれるだろう?

アルカージナ:(大きな声で)あんな田舎娘のどこがいいのよ?

トリゴーリン:魅かれてる! どうしようもなく! たぶん、僕には必要なんだ。

アルカージナ:あなた、自分を見失ってるわ……!

トリゴーリン:……人はときどき、歩きながら眠ることがある。こうして話をしながらも、僕はじつは眠っていて、あの子の夢を見ているのかもしれない……。うっとりとしながら、やるせない夢を……。お願いだ、行かせてくれ!

アルカージナ:(震えて)いやよ……、いやよ……、あたしは普通の女だわ……。やめて、そんな話し方……、あたしを苦しめないで、恐いの……。

トリゴーリン:その気になれば、きみだって賢い女になれるんだ……。ああ、夢のようにかぐわしい、狂おしい恋……。詩的でみずみずしい、魔力にあふれた愛……。ただそれだけ、ただそれだけがこの世でしあわせを与えてくれる。でもまだ、僕はそんな愛を味わったことがない……。若いころはあまりに忙しかったんだ。出版社の首にぶら下がって、ただただ貧乏と戦って……。それが今、向こうから手招きをして僕を誘っているんだよ。避ける理由がどこにあるんだ?

アルカージナ:狂ったのね!

トリゴーリン:それでもいい!

アルカージナ:ああ! なんで今日はみんなあたしをいじめるのォ!

トリゴーリン:(頭を抱えて)わかってくれない! わかってくれない!

アルカージナ:あたし、そんなにトシを取ったの? 醜くなったの? あたしの前で、平気で他の女の話をするなんて!(トリゴーリンを抱いて、キスして)気が狂ってしまったんだわ! あなた! ねえ、あなた! あたしの大事な、あなた! あたしの人生の最後の1ページ!(跪いて)あたしの喜び。あたしの誇り。あたしのしあわせ!(膝を抱いて)あなたに捨てられたら、一時間だって生きていけない。本当に気が狂ってしまう。あたしの大事な人、素敵なあなた、あたしの王様!

トリゴーリン:(びびって)誰か来るよ……。(女を起こそうとする)

アルカージナ:かまわないでしょう。あなたを愛することが恥ずかしいことなの?(男の両の手にキスして)宝物だわ。……あなたはバカなマネがしたいんでしょうけど、あたしが許しません。絶対に許しませんからね! ハッハッ! これはあたしのものよ! あたしのもの……、このおでこも、この目も、この柔らかい髪の毛も、全部あたしのもの……。あなたは本当の天才で、かしこくって、現代の最高の作家だわ。ロシアでただ一つの希望だわ。誠実で、まっすぐで、新鮮で、驚くようなユーモアがあって、たったひと筆で、風景や人間の本質を描き切る。あなたの描く人間は、生きている。読んで魅き込まれない人はいないくらい。嘘だと思うの? 見て、あたしの目を見て! これが嘘をついている目? どう! ……わかった? あたしだけよ、あなたの本当の価値を認めてあげられるのは。あたしだけ。あなたの真実を口にできるのは、そうでしょ。ステキよ、あなたは……。さあ、じゃ、一緒に行くわね?あたしを捨てないわね?

トリゴーリン:……俺には意志というものがないのか、俺には……。こんな、芯のない、愚にもつかない、なさけない男が、本当に女から愛されるのか? ……さあ、連れていけ、どこへなりと! だが一瞬でもそばから離すなよ!

アルカージナ:(小さく)これであたしのものだわ。(なにもなかったかのように)でも、行きたければ行ってもいいのよ? あたしは行くわ。あなたは後から来ればいいじゃない、一週間もしたら。急ぐ必要もないんでしょ?

トリゴーリン:いや、一緒に行くよ。

アルカージナ:お好きなように。……まあ、じゃ出かけましょ。


間。

トリゴーリン:(手帳を取り出して書きつける)

アルカージナ:なに?

トリゴーリン:今朝おもしろいフレーズを聞いたんだ、「処女の森」だってさ。これは使える……(伸びをして)あーあ、また汽車か。駅に、食堂車に、カツレツに、おしゃべりか……。

17 時間です!

シャムラーエフ、ごきげんに登場。
続いて、ポリーナ、メドヴェジェンコ、ソーリン、マーシャ。

シャムラーエフ:(なかば観客に)どうも、みなさん! 本日はご来場、マコトにお日柄もよく、残念ながらご報告申し上げねばなりません。奥さん、馬の用意ができました。時間です。さあ、駅へと向かいましょう。汽車の時間は2時5分。……ところで奥さん、お忘れではござんせんでしょうなあ、例の件。あの、「名優スーズダリチェフや、今どこに?」。ぜひともお調べくださるよう。はたして、奴は今も生きているのか? 健在なのか? いやあ、昔よく一緒に飲み歩いた仲でしてね。「郵便強盗」じゃあ、天下一品の芸を見せてくれたもんでした。よくコンビを組んでた、あの、悲劇役者のイズマイロフ、こいつもなかなかの男でしたが……、いやいや、そうお急ぎにならずとも、あと5分は大丈夫。……そうそう、とあるメロドラマでしたか、二人は逃げる謀反人、不意を襲われあわや、という場面、「しまった! フクロのネズミだ」と言うところを、さてものイズマイロフ、なにを焦ったか「フクローの寝過ぎだ!」(と、大笑い)ガッハッハ! フクローの寝過ぎだ! って、ねえ、そりゃないでしょ? ホー! ホー!


とこう、シャムラーエフが喋っている間に、ポリーナ、マーシャは荷物を用意し、アルカージナは帽子、コートなど、旅支度。

ポリーナ:(カゴを差し出し)これ、スモモを。汽車ン中じゃ、こういうものが召し上がりたくなるんじゃないかと思いまして……。

アルカージナ:まあまあ、気を遣わせてしまって。

ポリーナ:奥さま、どうぞお元気で。なにかと行き届かない点があったとは思いますが、どうかお許しくださいませ。(と泣く)

アルカージナ:(管理人の妻を抱いて)完璧だったわ、申し分なしよ。あんたが泣いたりしなきゃねえ!

ポリーナ:もう残り少ないんです! あたしたちの時間は……。

アルカージナ:まあね、どうしようもないわね……。


ソーリンが帽子をかぶり、ステッキを手に現れ、

ソーリン:時間じゃ時間じゃ! 遅れるぞ! わしゃ先に行っとるからな、とまあそういうことじゃ。(と、出ていく)

メドヴェジェンコ:僕も行かなきゃ、なんせ駅まで歩きなんで。ではでは。(と、出ていく)

アルカージナ:では皆さん、ごきげんよう! さようなら! もし元気でしたら、また来年の夏にお会いしましょう。(と、観客に)さようなら! さようなら! あたしのこと忘れないでね。(と、観客に)ホラあんたたち、コレお駄賃。三人で分けるのよ!

シャムラーエフ:ぜひお便りを! あなたもさようなら、トリゴーリンさん。

アルカージナ:だけど、コースチャったらどこに行ったのかしら? もう行くからって、あの子に言ってちょうだい。さよならを言わなくっちゃ。それじゃあね、みなさん! ちゃんと三人でわけるのよ!


一同、退場。
舞台には誰もいなくなる。
と、ポリーナが戻ってきて、置き忘れたスモモのカゴを取って、

ポリーナ:ン、もう!(と出ていく)


と、トリゴーリンが戻ってくる。

トリゴーリン:俺はステッキだ。テラスだったかな?


上手に出ていこうとして、やにわに入ってきたニーナとぶつかる。

やあ、君か。僕らもう……

ニーナ:もう一度会えるって思ってた!(興奮して)あたし、決めたの! 賭けよ! 舞台に出るわ! 明日ここを出て、パパを捨てて、すべてを捨てて、新しい生活を始めるわ。モスクワへ行くの。あなたと同じように。……あたしたち、また会えるでしょ?

トリゴーリン:(みんなの去った方をチラッと見て)スラヴヤンスキー・バザールに泊まってる。待ってるよ……、住所は、モルチャーノフスカ通りのグロホーリスキ館……。さあもう行かなくちゃ……。


間。

ニーナ:もう少しだけ……

トリゴーリン:(声を落として)きれいだ。夢みたいだ、またすぐ会えるなんて……

ニーナ:(彼の胸に頭をあずける)

トリゴーリン:この目にも、この、うつくしい、やさしい笑顔にも……、このかぐわしさ、柔らかさ、天使のような純粋さ! 素敵だ……


長い長い、キス。



http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull03.html

20. 中川隆[-13506] koaQ7Jey 2020年3月23日 12:57:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1398] 報告

戯曲『かもめ (The Seagull)』 第4幕
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull04.html


二年が過ぎる。
暗い、湖の底のような夕闇。吹きすざぶ風。木々のざわめき。
今はトレープレフの仕事部屋になっている居間。舞台正面が窓。
ゆっくりと暗闇に目が慣れるように、下手に机、中央奥にソファ、上手にテーブルとイスなどが浮かんでくる。机の上には、山のような本、本、本。
夜番の拍子木の音がして……。


18 帰ろうよ、マーシャ!

マーシャ、ここにいない誰かを探している。
メドヴェジェンコ、マーシャの心を探している。

マーシャ:(叫んで)コースチャ! コースチャ!(まわりを見て)どこに行ったのかしら?(と、メドヴェジェンコを見る)

メドヴェジェンコ:(マーシャを見る、がすぐに目をそらす)


間。

マーシャ:だって、ここのピノ伯父さんなんか、しょっちゅう、どこだ? どこだ? コースチャはどこだ? って、あの人なしにはもうダメなのよ。

メドヴェジェンコ:みんな恐いんだよ、一人になるのが。


耳をすます。ひときわ強く風。

(興奮して)ひどいな! もう二晩続けてこんな調子だ!

マーシャ:(部屋のそこここにあるのロウソクを点けながら)湖がごうごう言ってるわ。

メドヴェジェンコ:(窓の外を見ながら前へ進み)真っ暗だ。むき出しのままでさ、壊すように言えばいいのになあ、あの舞台。だって、ガイコツみたいだよ。幕なんかバサバサ言って、気味が悪いよ。夕べ通りかかったら、中で誰かが泣いてるのかと思った。

マーシャ:だからなに?


間。

メドヴェジェンコ:帰ろう、マーシャ。

マーシャ:今夜はダメ。泊まるの。

メドヴェジェンコ:(泣いて)帰ろうよ! ミーシャも泣いてるよ!

マーシャ:なによ。マトリョーシュカがいるでしょ。


間。

メドヴェジェンコ:でも、かわいそうだ。3日もママがいなかったら。

マーシャ:あんたもつまんない男になっちゃったわねえ! 昔はなんだかんだ、理屈言ってたじゃないのさ。それが今は、帰ろうよ、泣いてるよ、帰ろうよ、泣いてるよ……。他のことは言えないの?

メドヴェジェンコ:(プレッシャーを感じつつも)帰ろうよマーシャ!

マーシャ:一人で帰んな。

メドヴェジェンコ:僕ひとりじゃ、お父さんが馬を貸してくれないよ。

マーシャ:くれるわよ、頼んでみれば。

メドヴェジェンコ:うん、じゃあ頼んでみるけど、でも、明日は帰ってくるだろ?

マーシャ:フン。明日ね……、うるさいわねえ!

19 憂鬱なワルツ

トレープレフは枕と毛布を、ポリーナはシーツを持って入ってくる。二人、それらをソファに置く。トレープレフはそのまま、自分の机に向かって座る。

マーシャ:なにソレ、ママ?

ポリーナ:ピノおじさんがさ、コースチャのそばに寝たいってきかないんだよ。

マーシャ:あたしやるわ。(ソファにベッドの用意をする)

ポリーナ:(溜め息)やれやれ。年とともに、子供に返っていくもんなのかねえ……(机のところへ行き、ひじを突き、原稿を見やる)


間。

メドヴェジェンコ:じゃ、僕はこれで。おやすみ、マーシャ。(妻の手にキス)おやすみ、お母さん(と義母の手を取ろうとして)

ポリーナ:さっさと帰っとくれ!

メドヴェジェンコ:おやすみ、コースチャ……。

トレープレフ:(黙ったまま手をあげる)


メドヴェジェンコ、去る。

ポリーナ:(原稿に目をやりながら)あんたがねえ、本物の作家さんになるなんて、誰が想像したろうねえ、コースチャ。今じゃ、雑誌社からお金が送られてくるんだからねえ、ありがたもんだねえ。(トレープレフの髪を撫でて)いい男になったしね……。ねえ、コースチャ、もう少しやさしくしてやっとくれ、マーシャにさ。

マーシャ:(ベッドを作りながら)ほっといてよ、ママ!

ポリーナ:あたしが言うのもなんだけど、いい娘なんだよ。


間。

女ってもんはねえ、コースチャ、ときどき優しく見つめてもらいさえすりゃ、あとはなんにもいらないんだ。このあたしがそうだったんだからさ。


トレープレフ、立って、何も言わずに出ていく。

マーシャ:ママあ! やめてよ! 嫌がってるでしょ。

ポリーナ:おまえが不憫でしょうがないんだよお。

マーシャ:大きなお世話よ。

ポリーナ:ああ、胸が痛むよ、この胸が! 何もかもお見通しさ、何もかもね。

マーシャ:やめてよ! 自分を甘やかしちゃダメなのよ。期待して待ってたって、潮の流れは変わらないわ! どっちにしたって、ウチの人、よそへ転勤になるらしいから、そうしたらあたし、ぜんぶ忘れる。なにもかもぜんぶこの胸から根こそぎ引っこ抜いてやるわ!


憂鬱なワルツが、向こうの部屋から聞こえてくる。

ポリーナ:コースチャだ、あの子も悲しいんだねえ。

マーシャ:(音も立てずにワルツを踊りながら)大切なのはね、ママ、目の前からあの人がいなくなるってこと! ウチの人が転勤したら、あたし、なにもかもひと月で忘れてみせるわ。みんな、みんな、くだらないことよ!

20 なりたかった男(人生談義2)

ドールンとメドヴェジェンコが、ウトウトしているソーリンを担ぎながら入ってきて、

メドヴェジェンコ:……だけど、ウチはいま六人家族なのに、小麦粉1キロ2コペイカもするんですよ。

ドールン:なるほど、そりゃタイヘンだァ。

メドヴェジェンコ:いいですよ、あなたは。笑ってられるんだから、お金があるんだから。

ドールン:お金ねえ? 僕かァね、きみ、この30年、昼も夜も人の言いなりになって、来る日も来る日も診察を続けてきてだよ、残った金なんか、ただの2000ルーブルだよ。それもこないだの外国旅行でスッカラカン。一文なしだ。


と、喋りながら二人、ソーリンをソファへ寝かせる。
ポリーナ、マーシャもソファへ寄って来て、みんな、なんとなくソーリンを中心に、しだいに記念写真を撮るような配置になっていく。

マーシャ:(夫に)帰ったんじゃなかったの?

メドヴェジェンコ:(申し訳なさそうに)だって、馬を出してくれないって。

マーシャ:(イラついて、低い声で)顔も見たくない!

メドヴェジェンコ:(ガックリして、マーシャの反対側へ逃げる)


夜番の拍子木の音。

ソーリン:(目を覚まして)妹の奴はどこじゃ?

ドールン:駅までトリゴーリンをお迎えです。すぐ戻りますよ。

ソーリン:お迎えは、わしもじゃろ、あんたが妹を呼び寄せたとなると……。


気まずい沈黙。

なのに、おかしいじゃろお! こん医者は! 薬のひとつもくれんで!

ドールン:さてさて、何をお望みで? カノコ草ですか? 炭酸ソーダ? それともキニーネで?

ソーリン:来た来た、屁理屈。やってられんよォ!(と、自分の居る場所を認識して)なに? ここで寝ろっちゅうのか?

ポリーナ:ご自分でこうしたいっておっしゃったんですよ。

ソーリン:そりゃそりゃ、どうもどうも。

ドールン:(聞き取れない声で)「♪月ノ光ハ夜空ニ浮カビ……」

ソーリン:どらひとつ、コースチャに小説のネタでもやろうかな! お題は、と……、うん。「なりたかった男」……。わしゃ、若い時分、作家になりたかった。じゃがなれんかった。喋りの上手い男にもなりたかった。じゃが、わしの喋りときた日にゃ(と、身振り手振り、自分をマネて)「……っちゅうかなんちゅうか……つまりは……とまあ、そういうことじゃろ……」てな具合でなァ。なかなか話のまとまりがつけられんで、ひや汗タラタラじゃったわ。ハッハッハッ! 女房も欲しかったが、それもかなわんかったし、最後にゃ、都会で暮らしたかったが、こうして田舎で終わろうとしとるし、……とまあ、そういうことじゃろ。

ドールン:あなたは法務局のお役人になりたかった、そして、なれた。

ソーリン:なりたくてなったわけじゃない。事故みたいなもんじゃ。

ドールン:62にもなって人生に不満を言ったって、こう言っちゃなんですが、愚かなだけですよ。

ソーリン:わからん奴じゃあ! わしゃ生きたいと言っとるだけじゃ!

ドールン:それが愚かだというんです。どんな命にも終わりがある。自然の法則です。

ソーリン:なにを! さんざ遊びまわった奴がよう言いくさるわ! てめえの腹はいっぱいなもんで、他人は死のうが生きようがどうでもっていいわけじゃろ! そうじゃろ! じゃがな、あんただっていざ死ぬって時にゃビビるに決まっとる!

ドールン:死を恐れるのは動物的な本能で、そんなものは克服できるんです。……ただ、永遠の命を信じている人たちだけが、本当に死を恐れるんですよ、自分の罪を恐れる人たちだけが……。でも、あなたはそうじゃない。あなたは信仰を持ってはいないし、それにどんな罪を犯したっていうんです? あなたは法務局に25年間務めた、それだけでしょう。

ソーリン:ハッハッハ! 28年じゃ!

21 世界霊魂

トレープレフが入ってきて、ソーリンの足元に座る。
マーシャはずっと彼を見ている。

ドールン:仕事のおジャマかな?

トレープレフ:かまいませんよ。

メドヴェジェンコ:(手を挙げて)はい。質問。ドクターは、どの国がいちばんよかったですか? 外国じゃ?

ドールン:……ジェノバだな。

メドヴェジェンコ:ジェノバ、なぜ?

ドールン:あの街は、庶民が生きてるんだ。……夕方、ホテルを出ると、大通りいっぱいに人の波でね、それに飲まれるように、あてどなく、気の向くままに流されていくと、いつしか彼らと生活を共にし、魂までが一つに融け合っているような気がしてくるんだなァ。そして、一つの世界霊魂というものが、……ちょうどそう、いつだったか、君のお芝居で、ニーナさんが演じたような、ああいうものが、存在しているんだなァということがわかる。……ところで、ニーナさんは? 今どうしてますか?

トレープレフ:元気ですよ、僕の知るかぎり。

ドールン:なんだか妙な具合になってるという話も聞いたけど、どうなの?

トレープレフ:話すと長くなりますよ。

ドールン:まあ、手短に頼むよ。


間。みんななんとなく姿勢を正す。

トレープレフ:彼女は家を出ました。それからトリゴーリンといっしょになって……、そこまでは知ってますね?

ドールン:知ってるよ。

トレープレフ:子供ができました。その子は死にました。トリゴーリンの彼女への愛は冷め、やがて元のさやへと収まりました。なにもかも最初から予想していた通りに。もっとも、あの男が元の女を捨てたためしなんかなくて、ただ気弱な性格からあっちにもこっちにも引きずられていただけなんです。まあ僕の知るかぎり、ニーナの生活は最低でした。

ドールン:舞台はどうだったの?

トレープレフ:もっとひどかったんじゃないかな。モスクワ郊外の小さな小屋で初舞台を踏んで、それから地方の旅に出たんです。そのころ僕はずっと目を離さずにいて、巡業先へはどこへでも追い掛けて行ったんですけど、デカい役ばかりもらってた割には、芝居は幼稚で大袈裟で、やたらめったらわめいてるだけでした。時折、叫んだり死んだりする瞬間に、ハッとすることもあったんですが、ほんの時たまだけで。

ドールン:でも、才能はあるんだろ?

トレープレフ:難しいところでしょうね。多分あるんでしょうけれど。こっちじゃ顔を見てるけど、向こうは会おうともしません。ホテルに行ってもメイドが通してくれなくて。ま、気持ちはわかりますからね、僕も無理に会おうとはしなかったけど……、


間。

あとはなんだろう? そう、家に戻ってから、手紙をもらいました。理知的で心のこもった、いい手紙でした。泣き言は一言もなくて。けど僕にはわかったんです、彼女の深い悲しみが。行間に滲んでいる痛んだ神経が……。頭も少しおかしくなってたかもしれません。サインがいつも「カモメ」なんです。プーシキンの「川の妖精」に、自分のことをカラスだという粉挽きじいさんが出てくるんですが、あんな感じで、手紙の中でも自分は「カモメ」だって……、ところで今、彼女ここに来てますよ。

ドールン:ここって?

トレープレフ:町にです。町のホテルにも4、5五日は泊まってます。僕も訪ねようとは思ってるんだけど、先に行ったマーシャによれば、誰にも会いたくないって。でも、(メドヴェジェンコに)昨日の夕方会ったんだろ? 原っぱで?

メドヴェジェンコ:会ったよ。町へ帰る途中みたいだったなあ。「みんなに会いにきてくださいよ」って言ったら、「そのうちに」って言ってたけど。

トレープレフ:来やしないさ。


間。

(立って机へ)父親も義理の母親も、もう知らん顔ですよ。家に近づかないようにって、見張りまで置いて……。

ドールン:(トレープレフを追う)


みんな、なんとなくバラける。

(ドールンに)小説と違って、現実は難しいもんですね。

ソーリン:いい子じゃったのになァ。

ドールン:なんです?

ソーリン:いい子じゃった。いっときは、この元法務局のピノじいさんまでがご執心じゃったわ!

ドールン:老いたるドンファンですか!

22〈みんな仲良く〉その3

吹き抜ける風の音。舞台裏からシャムラーエフの笑い声。

ポリーナ:お帰りになったんじゃないかしら?

トレープレフ:うん。ママの声だ。


アルカージナとトリゴーリンが入ってくる。続いて、シャムラーエフ。

シャムラーエフ:ハッハッハ! トシにゃ勝てませんなァ、まったく、自然の脅威ですなァ! ところがどうだ、奥さんはァ、相も変わらずお若い! 目の冴えるような、その小粋なブラウス、その優雅な物腰!

アルカージナ:嘘おっしゃい! 心にもないことを。

トリゴーリン:(ソーリンに)いやあ、お久し振りです、また何かご病気で? タイヘンだなァ!(マーシャを見つけて嬉しそうに)やあ、マーシャ!

マーシャ:覚えててくれました?(握手)

トリゴーリン:もう結婚したの?

マーシャ:とっくの昔にね。

トリゴーリン:いやあ、しあわせそうだなァ。


トリゴーリン、続けてドールンとメドヴェジェンコに挨拶して、ためらいがちにトレープレフのところへ。

アルカージナに聞ききましたが、もう昔のことは水に流していただけたようで……。

トレープレフ:(手を差し出す)

アルカージナ:(息子に)ホラ、おまえの新作が載ってるって、持ってきてくれたのよ。

トレープレフ:(雑誌を受け取って、トリゴーリンに)どうも、ご親切に。

トリゴーリン:(座りながら)いやあ、ペテルブルグでもモスクワでも、もうあなたの話で持ち切りですよ。いったい全体どんな人間なんだって。いつも聞かれるんです、いくつぐらいなんだ? おい、髪は黒いのか、明るいのか? それがどうしてだか、みんないい年のオヤジだと思ってるんです、あなたのことを。本名さえ知らないんですからねぇ。いつもペンネームを使うでしょ? どうにもミステリアスな存在ってわけですよ。

トレープレフ:しばらくいるんですか?

トリゴーリン:いや、明日にはモスクワに。しようがないんです。すぐにも仕上げないといけないのが一本あるし、短編集にも一つ書く約束をしてるし。まあ要するに、相変わらずですよ。


とこう話している間に、アルカージナとポリーナは、テーブルにトランプの用意。シャムラーエフはイスなどを並べている。

天気の方じゃ、僕を歓迎してないようですけどね。ひどい風だな。もしこれがおさまったら、明日は朝からまたコレ(釣り)に行きたいと思ってるんだけど、それにここの庭も見ておきたいし、ホラ、あのあなたがお芝居を演った場所、覚えてるでしょう? まあ、モチーフは固まってきてるんだけど、背景となる場所の記憶をもう一度新たにしておこうと思ってね……。

マーシャ:(父親に)パパあ、馬を出したげてよ、帰るって言ってるだから。

シャムラーエフ:(マネして)「馬を出したげてよ、帰るって言ってるだから」(きっぱりと)バカ言え、今駅まで行ってきたばかりだぞ。

マーシャ:ほかの馬だってあるじゃない……

シャムラーエフ:(娘を無視する)

マーシャ:(お手上げ)ムダだわ。

メドヴェジェンコ:大丈夫だよ、マーシャ、歩くよ……。

ポリーナ:(あきれて)歩く! この風ん中を!(テーブルについてトランプを並べ出す)さあどうぞ、皆さん。

メドヴェジェンコ:なに、たったの4マイルですから……、おやすみ(と妻の手にキス)。お母さんも……

ポリーナ:(しぶしぶ手を出してキスを受ける)

メドヴェジェンコ:あの……、みなさんにご心配はおかけたくないんですけどね、家で赤ん坊が待ってるもんで……(みんなに礼して)すみません。


メドヴェジェンコ、トボトボと帰っていく。

シャムラーエフ:なあに、歩けるさ! 将軍様じゃあないんだから!

ポリーナ:(テーブルを叩いて)さあさ、始めましょう! 時間をムダにしないように。すぐにお夜食の知らせが来ますからね!


シャムラーエフ、マーシャ、ドールン、テーブルにつく。

アルカージナ:(トリゴーリンと一緒にテーブルへつきながら)秋の夜長にはね、ウチじゃいつもコレをやるの。あなたもどう? お夜食の前に。他愛のないゲームだけど、慣れるとそう悪くもないのよ。(と、みんなにカードを配る)

トレープレフ:(雑誌のページをめくりながら)自分のところは読んでるけど、僕のページは切ってもいない。(雑誌を机に置いて、上手へ。途中、母の頬にキスする)

アルカージナ:おまえもどう、コースチャ?

トレープレフ:気がのらないんで、ちょっとブラついて来ます。


トレープレフ、出ていく。

アルカージナ:掛け金は10コペイカからよ! ドクター、あたしの分、出しといて。

ドールン:はいはい。

マーシャ:みなさん、出しました? じゃあ行きましょう! 22!

アルカージナ:どうぞ!

マーシャ:3!

ドールン:来た来た!

マーシャ:よろしいですか、3で? 8! 81! 10!

シャムラーエフ:待てよ、早いぞ!

アルカージナ:大変な歓迎振りだったのよ、ハリコフじゃ! 頭がくらくらしたわ!

マーシャ:34!


憂鬱なワルツが、向こうの部屋から聞こえてくる。

アルカージナ:学生たちがもう総立ちの拍手! 花カゴ3つに、花輪が2つ! それにコレ見て。(胸のブローチをはずしてテーブルに投げる)

マーシャ:50!

ドールン:50ねぇ。

シャムラーエフ:こりゃこりゃ! 値打ちもんでしょう?

アルカージナ:ドレスだって最高だったのよ……、少なくとも着こなしは。

ポリーナ:あのピアノ、コースチャね。悩んでるんだわ、かわいそうに。

シャムラーエフ:新聞じゃ、だいぶ叩かれてたなァ。

マーシャ:77!

アルカージナ:気にすることないのよ!

トリゴーリン:まあ、運もあるんだが、まだ自分の文体も見つけてないんだな。変にあいまいなところがあって、ときどき狂人のたわごとのようになる。なにより人間が生きてない!

マーシャ:11!

アルカージナ:(ソーリンの方をうかがって)兄さん! 元気?


間。

寝ちゃってるわ!

ドールン:法務局のピノじいさんはご就寝と。

マーシャ:7! 

トリゴーリン:こんな、湖のほとりで暮らしてたら、僕はとてもモノを書こうなんて気にはなれないなあ。

マーシャ:90!

トリゴーリン:そんな情熱はうっちゃって、毎日釣り三昧だ。

マーシャ:28!

トリゴーリン:マスやスズキが上がる、しあわせだなァ!

ドールン:僕はコースチャを信じますね。奴には何かがある、何かが! 奴はイメージでもって考える。だから、奴の世界は鮮明で、色鮮やかで、力強い。しかし悲しいかな、何に向かって書いているのかがいま一つ曖昧なんだ。或る印象はあるんだが、それがこっちに差し迫って来ない。(アルカージナに)でも、どうですか? 作家の息子さんを持って嬉しいでしょ?

アルカージナ:それがね、まだ読んだことがないのよ、忙しくって。

マーシャ:26!


トレープレフ、足早に入ってきて、机に向かう

シャムラーエフ:(トリゴーリンに)ところでトリゴーリンさん、あなたからお預かりしてたものがございましたよ。

トリゴーリン:なんでしょう?

シャムラーエフ:かもめですよ、かもめ。いつぞやコースチャの撃ち落とした、あなた、あれを剥製にしてくれないかって……。

トリゴーリン:僕かァ、覚えてないなァ。(考えながら)いや。覚えてないよォ。

マーシャ:61! 1!


トレープレフが窓を開け放つ! 風がヒューと吹き込んでくる。

アルカージナ:コースチャ! 窓を閉めて! 風が吹き込むじゃない!


トレープレフ、閉める。

マーシャ:88!

トリゴーリン:揃ったァ! 

アルカージナ:(明るく)すごい! すごい!

シャムラーエフ:いやあ、お見事!

アルカージナ:この人ったらホントついてるのよ、いつでも、どこでも。(立って)さあ休憩! なんか食べましょ。このご高名な作家先生は、今日はまだマトモな食事をとっていらっしゃらないようよ。(机の息子に)コースチャ、ひと休みしてあなたも食べたら?

トレープレフ:いいよ、ママ。お腹すいてないんだ。

アルカージナ:なら好きにしなさい。(ソーリンを起こして)兄さん、お夜食よ。(ソーリンの腕を取って)ハリコフでの歓迎ぶりを話してあげましょうねえ……。


一同、上手から出ていく。
ポリーナ、ろうそくを消して、ドールンとともに出ていく。

23 十字架

トレープレフ、一人残される。

トレープレフ:(書こうとして、今まで書いたものに目を通して、なかば観客に)これまで、俺は、芸術に新しい形式を訴えてきました。それがだんだんとパターンにハマって来ている気がするんです。(読む)「壁のポスターが告知している……黒髪に縁取られた青ざめた顔」……告知している、……黒髪に縁取られた、……ダメだ!(線で消す)主人公が雨音の中で目覚めるとこからにしよう。あとはカットだ。月夜の描写も長ったらしいし、クドい。トリゴーリンだったらきっと、例の小技でやっつけちまうでしょう。「土手にきらめく割れた瓶と、水車の黒い影」……これで月夜ができちまう。なのに俺のは、たゆたう光、もの言わぬ星のまたたき、かぐわしい静寂の中に消えゆくピアノの調べ……。ああ、頭が痛い。


間。

見えて来た! そうなんだ! 形式が新しいとか古いとかじゃないんだ。形式なんかにとらわれずに、おのれの中から自由に湧き出てくるものを書けばいいんだ!


窓を叩く音がする。

なんだろう?(窓をのぞく)見えないな。(開けて庭を見まわす)だれだろ? 階段を降りてく。おーい?(出ていく)


しばらく間。
やがて興奮しながら、トレープレフがニーナを連れて戻ってくる。

ニーナ! ニーナ!

ニーナ:(トレープレフの胸に頭を預けて震えて泣いている)

トレープレフ:ニーナだあ! ニーナだあ! ニーナだあ! そんな予感がしてたんだ。(帽子とショールを取ってやって)僕の大事なニーナ! 大好きなニーナ! 帰ってきたんだね。泣くなよ! 泣くな!

ニーナ:誰かいる。

トレープレフ:誰もいないよ。

ニーナ:カギを閉めて、誰か入ってくる。

トレープレフ:誰も来ないって。

ニーナ:お母さまがいらしてるんでしょ、カギを閉めて。

トレープレフ:(下手のドアにカギを掛け、上手のドアまで行って)カギがないや。これで塞いどこう。(ドア前にイスを押し付けて)心配ないって。誰も来ないよ

ニーナ:(彼の顔をじっと見つめて)顔を見せて。(あたりを見まわして)あったかい。いいわね、ここは……。あたし、変わった?

トレープレフ:うん、そうだな。やせて、目が大きくなった。でも、ニーナ、変な感じだよ、君と会えるなんて! なぜ会ってくれなかったの? もっと早く来てくれればよかったのに。町にいたんだろ? 僕は君を訪ねて、一日に何度も宿まで行ったよ。宿の、君の窓の下に立って、呼んでたのに、乞食みたいに。

ニーナ:あなた、あたしのこと憎んでるでしょ……。恐かったのよ、毎晩夢の中で、あなたが、あたしを見ながらあたしだって気づいてくれないのよ。お願いわかって! ……ここに来てすぐ、湖のまわりを歩いてみたの、あなたの家のそばにも何度も来たの、でも入れなかったの。座りましょ。


二人、ソファに座る。間。

いいわねえ、ここはあったかくって、快適ねえ。


間。遠くで風の音。

……ツルゲーネフにこんなフレーズがあるわ、「仕合わせとは、こんな夜に身を守ってくれる屋根と、暖めてくれる平和な場所を持つ人のことだ」……あたしはかもめ……違う!(額をコシコシする)なんの話だっけ? そう、ツルゲーネフ、「だから、天よ、身寄りなき旅人を助けたまえ!」ああ!(とむせび泣く)

トレープレフ:泣かないでよ、ニーナ! 泣かないでよ!

ニーナ:大丈夫、これで楽になれるから……。この二年間、一度も泣かなくことなんかなかったけのに、あたし夕べ、庭をのぞきに来たの、あのあたしたちの舞台がまだあるかと思って、そしたら、まだあったのね、泣いちゃった、二年振りに。そしたらつかえたものがスーととれて楽になったの。ホラ、もう泣いてないでしょ。(彼の手を取る)で、あなたは作家になった。あなたは作家に、あたしは女優に。二人とも過酷な世界に身を投げ込んだ……。あたし、あのころは子供のように幸せだったのね。朝目が覚めるともう歌い出してた。あなたのことが大好きで、栄光への道にあこがれて……、でも今は? 明日の朝、あたしはイェレーツ行きの汽車に乗る、庶民的な、汚らしい三等車。そして、イェレーツへ着くと、厭らしいオヤジたちにつきまとわれる生活! 最低の生活!

トレープレフ:なんでイェレーツなんかに?

ニーナ:この冬のシーズンの契約をしたから、もう行かなくちゃ。

トレープレフ:ニーナ、たしかに僕は君を呪った、憎んだ、君の手紙も、写真も、ぜんぶ引き裂いた! でもいつも、魂がどこかで君とつながっているのを感じてた! 君を愛するのをやめるなんて不可能だ、ニーナ。……君を失って、自分の書いたものが活字になるようになって、僕にはもう、どうにも人生が耐えられなくなった、みじめだよ……。突如、若さを奪い取られて、もう100年もこの世に生きさらばえて来た老人のような気がする……。君の名前を呼びながら、君の歩いた大地にくちづけしながら、どこを見ても浮かぶのは、君の顔、やさしい微笑み、ああ、僕の人生の最高の瞬間……。

ニーナ:(動揺して)なんでそんなこと言うの! なんで!

トレープレフ:淋しいんだ。誰も僕を温めてくれない、誰も。僕は、冷たくひからびて墓穴の中で腐ってる死体だ。いくら何を書いたって、どこにも行き着かない、窒息しそうなんだ! いてくれ、ニーナ! お願いだ。でなきゃ僕が君と一緒に……。

ニーナ:(すばやく帽子とショールをつける)

トレープレフ:ニーナ! どうして? 頼むよ、ニーナ!(しかし、ただ、ニーナが身支度するのを見ている)


間。

ニーナ:門に馬車を待たせてありますの。送ってくださならなくっても結構よ。一人で行けますから。(泣いて)……水をちょうだい。

トレープレフ:(あわてて水をコップについで渡す)どこへ行くの?

ニーナ:町よ。


間。

お母さま、いらっしゃてるんでしょ?

トレープレフ:うん。火曜日に伯父さんが倒れて、それで電報で知らせたんだ。

ニーナ:……なんでそんなことを言うの? あたしの歩いた大地にくちづけしたなんて。あたしなんか殺されても仕方がないのに。(ふっとよろめいて、テーブルにもたれる)……疲れたの、少しだけ、休ませて……、少しだけ……。(と、頭をあげて)あたしはかもめ……違う! 女優よ、女優!

「アッハッハッハ!」という笑い声が聞こえる。アルカージナとトリゴーリンである。

(ハッとして、上手のドアまで行ってカギ穴からのぞいて)あの人もいるの!(トレープレフのところに戻りながら)そりゃそうよねえ! あたりまえだわ! あの人、芝居なんかまったく軽蔑してたのよ、いつもバカにしてたのよ、あたしの夢を。それでいつのまにか、あたしも疲れてしまって……、結局、恋だのなんだの、それに、子供のことだっていつも気掛かりで、だから、あたし、つまらない女になっちゃったのよ! 芝居だって最悪! 手の使い方も知らない、どう立ってればいいのかもわからない! 声ひとつ満足に出せやしない! わかる? ヒドいなって、演ってて自分でわかるのがどんな気持ちか? あなたにわかる? あたしはかもめ……違う! ……。覚えてる? かもめ、あなたが撃ち落とした……、「ふらりと現れた男が目をつけて、退屈まぎれに破滅させてしまう、一人の少女」「短編の題材だよ」……違う!(額をコシコシする)なんの話だっけ? そう、お芝居の話ね! フフフ、私は変わったのよ、もう女優なの、私は、本物の! だから、演じるのが好き! 大好き! 夢中なの。舞台に立つと、ゾクゾクして自分が美しいって思えるの。今もね、ここに来てから、歩いて、考えて、歩いて、考えて、一日一日、自分がたくましくなっていくのを感じてたわ……。それでね、コースチャ、あたしわかったの、あたしたちの仕事ってね、演じるのも書くのも、大切なのは……、有名になることでも、売れることでもない。どうやったら生き延びてゆけるかってこと。どうやったら自分の十字架を背負いながら、それを信じていけるかってこと。あたしは信じてる。だから辛くはないし、これが人生だと思えば、生きるのも恐くない。

トレープレフ:(悲しい)君は……、君の道を見つけたんだね。どうやって進めばいいのかもわかってるんだ。でも僕は、まだ夢と幻想の渾沌とした世界で、それがなんのためなのかもわからない。信じられない。これが人生だなんて、信じられない。

ニーナ:シーッ! もう行くわ。さようなら。いつか、私が大女優になったら、そしたら見に来て、約束よ……(彼の手を強く握る)あーあ、遅くなっちゃった。もう立ってるのがやっとって感じ。疲れてるし、お腹もすいてるし。

トレープレフ:待ってて、なんか持ってくるよ。

ニーナ:いらない。送ってくださならなくっても結構よ。一人で行けますから。馬車はすぐそこです。……お母さまが、あの人を連れてきたの? いいの、わかってるから、あの人には何も言わないで……、あたし、あの人が好き! 前よりもずっと好き! 短編の題材……、好きなのよ! どうしようなく好きなのよ! 死ぬほど好きなのよ! ……昔はよかったわねえ、コースチャ、覚えてる? のどかで、あたたかで、楽しくって、無邪気だった、わたしたちの人生。やさしい、あでやかな花のような感受性。覚えてる? ……「人人もライオンもワシも雷鳥も、角のある鹿もガチョウもクモも、水の中の物言わぬ魚もヒトデも目に見えぬ微生物も……つまりは、命あるものすべて、すべてその悲しい輪廻から逃れて、消え失せて……もはや何千年もの間、この地球には生命は生まれず、あの哀れな月だけが虚しく明かりをともして久しい。草原には目覚めた鶴の声もなく、菩提樹の林にはコガネムシの羽音も絶えた――」


発作的にトレープレフを抱きしめて、窓から走り去る。

トレープレフ:(しばらくぼんやりして)誰かに見つかって、ママに話されるとマズいなァ。またママが傷つく……。


そのまま二分間の沈黙。それから、トレープレフは黙ったまま、自分の原稿を引き裂くと引き出しに投げ込んで、下手へ出ていく。

24 破裂、あるいは本当の破滅


ドールン:(上手のドアを開けようとして)変だなァ。カギでもかかってるのかな?(イスを押しやって入ってくる)障害物競争だ。


アルカージナとポリーナ、みんなの飲み物を持ってマーシャ、続いてシャムラーエフ、トリゴーリンが入ってくる。

アルカージナ:あたしはワイン。(トリゴーリンに)ホラ、あなたのビールもあるわよ。今度は飲みながら行きましょうか。さあ、みなさん、座って!

ポリーナ:あとでお茶もお持ちしますわ。(ろうそくを点けて座る)

シャムラーエフ:(トリゴーリンを引っ張って行って)これですよ。さっきお話した。(かもめの剥製を持って)あなたから頼まれたんですから。

トリゴーリン:(剥製を見て)僕かァ、覚えてないなァ。(考えながら)いやあ、覚えてないよォ!


バンッ! 銃声。全員、立ち上がる。間。

アルカージナ:なにかしら?

ドールン:なんでもないでしょう。私のカバンの中で、何か薬品が破裂したんです。ご心配なく。(下手のドアから出ていく)


一同、不動のまま。やがてドールンが戻って来て、

思ったとおりでした。エーテルの瓶が飛び散ってました。


 一同、ホッとしてもとのなごやかさに戻る……。

(聞こえないような声で)「♪ああ、もう一度、あなたの前に……」

アルカージナ:(テーブルに座って)もうおどかさないでえ。あのときのことを思い出しちゃったわ。(両手で顔を覆って)一瞬目の前が暗くなったわよ。

ドールン:(雑誌のページをめくりながら、トリゴーリンに)これですが、2か月ほど前でしたか、これにある記事が載ってましてね、確かアメリカからのレポートだったんですが、ちょっとあなたにお聞きしたくって……(と、トリゴーリンの背中に腕を回して舞台前へと連れて来て)いや、どうにも気になりましてね。(声を落として)アルカージナさんを、どこかへ連れ出してください。実は、コースチャが自殺したんです……。(と、雑誌のページを閉じる)


幕 
http://www.ilaboyou.jp/text/text_seagull04.html

21. 中川隆[-13505] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:08:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1399] 報告
『かもめ』(ロシア語で「チャイカ」、Чайка)は、ロシアの作家アントン・チェーホフの戯曲である。

チェーホフの劇作家としての名声を揺るぎないものにした代表作であり、ロシア演劇・世界の演劇史の画期をなす記念碑的な作品である。

後の『ワーニャ伯父さん』、『三人姉妹』、『桜の園』とともにチェーホフの四大戯曲と呼ばれる。
その動きの少なさから、5プードの恋とチェーホフは述べた。


「モスクワ芸術座版『かもめ』」も参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/モスクワ芸術座版『かもめ』


湖畔の田舎屋敷を舞台に、芸術家やそれを取り巻く人々の群像劇を通して人生と芸術とを描いた作品で、1895年の晩秋に書かれた。

『プラトーノフ』(学生時代の習作)、『イワーノフ』、『森の精』(後に『ワーニャ伯父さん』に改作)に続く長編戯曲で、「四大戯曲」最初の作品である。

初演は1896年秋にサンクトペテルブルクのアレクサンドリンスキイ劇場(ru)で行われた[2]が、これはロシア演劇史上類例がないといわれるほどの失敗に終わった。その原因は、当時の名優中心の演劇界の風潮や、この作品の真価を理解できなかった俳優や演出家にあるともいわれている。チェーホフは失笑の渦と化した劇場を抜け出すと、ペテルブルクの街をさまよい歩きながら二度と戯曲の筆は執らないという誓いを立てた。妹のマリヤは後のチェーホフの結核の悪化の原因をこの時の秋の夜の彷徨に帰している。

しかし2年後の1898年、設立間もないモスクワ芸術座が逡巡する作者を説き伏せて再演する[3]と、俳優が役柄に生きる新しい演出がこの劇の真価を明らかにし、今度は逆に大きな成功を収めた。この成功によりチェーホフの劇作家としての名声は揺るぎないものとなり、モスクワ芸術座はこれを記念して飛翔するかもめの姿をデザインした意匠をシンボル・マークに採用した。

作品

主要な登場人物の一人であるニーナにはモデルがあり、妹のマリヤの友人のリジヤ・ミジーノワがその人である。リカと呼ばれたこの女性はチェーホフ家に出入りするうちにチェーホフに恋したが報われず、チェーホフ家で出会った別の妻子ある作家、イグナーチイ・ポターペンコと駆け落ちした。娘も生まれたもののやがてポターペンコに捨てられ、まもなくその娘にも死なれたこの女性をめぐる顛末が劇中のニーナの悲恋の元になっている。

このほかにも『かもめ』には作者の身辺に実際に起きた出来事がいくつも盛り込まれており、チェーホフの「最も私的な作品」とも呼ばれている。第3幕でニーナがトリゴーリンに作品のタイトルとページ数を記したロケットを贈るシーンは、チェーホフと一時恋愛関係にあった人妻の女流作家、リジヤ・アヴィーロワから実際にそうしたロケットを贈られた出来事を元にしている。また、劇中でトリゴーリンやコスチャなどによってたたかわされる芸術論はしばしば作者自身の芸術観を代弁するものとなっており、特にトリゴーリンが吐露する作家生活の内情はチェーホフ自身の姿が投影されたものである。

第1幕で上演されるコスチャの劇中劇は当時流行していたデカダン芸術のパロディといわれている。この劇中劇が受ける冷笑的な扱いは作者自身のこうした芸術への態度の表れでもあり、チェーホフは以前にも短篇小説「ともしび」(1888年)で登場人物にこうした虚無的思想傾向への批判を語らせていた。

ニーナがたどった運命と同様のテーマは、すでに中期の小説「退屈な話」(1889年)でも扱われていた。そこではやはり女優志望の若い娘、カーチャが挫折して絶望に陥り、養父の老教授に「私はこれからどうすればいいのか」と尋ねたのに対し、老教授は「私にはわからない」としか答えられず、カーチャは寂しく立ち去っていった。この結末は人生の意義を見失い疲弊した当時のチェーホフの心境を映し出すものでもある。

しかし『かもめ』におけるニーナはカーチャとは異なり、終幕において自分の行くべき道を見出している。名声と栄光にあこがれて女優を志したニーナが全てを失った後に終幕で語る忍耐の必要性は、まさにチェーホフが苦悶の末にたどり着いた境地にほかならない。カーチャからニーナへの成長は、サハリン島旅行(1890年)を経て社会的に目覚めていったチェーホフの進境を示すものであり、本作に提示された忍耐の必要性というテーマはさらに「絶望から忍耐へ」、「忍耐から希望へ」というモティーフへと発展を遂げ、後の作品に引き継がれていくことになる。

登場人物

コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ・トレープレフ
コスチャ。作家志望の青年。

イリーナ・ニコラーエヴナ・アルカージナ
トレープレフの母。大女優。

ボリス・アレクセーエヴィチ・トリゴーリン
流行作家。アルカージナの愛人。

ニーナ・ミハイロヴナ・ザレーチナヤ
裕福な地主の娘。女優志望。

ピョートル・ニコラーエヴィチ・ソーリン
アルカージナの兄。

イリヤ・アファナーシエヴィチ・シャムラーエフ
ソーリン家の支配人。退役中尉。

ポリーナ・アンドレーエヴナ・シャムラーエワ
シャムラーエフの妻。

セミョーン・セミョーノヴィチ・メドヴェージェンコ
教師。

エヴゲーニイ・セルゲーエヴィチ・ドールン
医師。

マリヤ・イリイニチナ・シャムラーエワ
マーシャ。シャムラーエフの娘。いつも黒い服を着ている。

ヤーコフ
下働きの男。

料理人

小間使い

あらすじ


第1幕

ソーリンの湖畔の領地、湖に面した屋外に急設された舞台の前。アルカージナが愛人のトリゴーリンとともに久しぶりに滞在している。コスチャが恋人のニーナを主役に据えた劇の上演を準備している。

メドヴェージェンコがマーシャに言い寄るが、マーシャはつれない。コスチャはソーリンに母への鬱屈した思いや芸術の革新の必要性について語る。「必要なのは新しい形式です。それがないくらいなら、何にもない方がましです」

両親の厳しい監視の目を抜け出してきたニーナが到着する。コスチャは二人きりになるとニーナにキスする。ポリーナとドールンが連れ立って現れる。ポリーナはドールンに色目を使うがドールンはやり過ごす。さらにアルカージナやトリゴーリンなど一同も姿を現し、観客が揃う。

折よく月も顔を出し、いよいよコスチャの劇が幕を開ける。「人も獅子も鷲も鸚鵡も、生きとし生けるものはみな、悲しい循環を終えて消えてしまった。もう何十万年もの間、大地は生命を宿すこともない…」

しかしアルカージナはコスチャの試みをまじめに受け取ろうとせず、芝居の趣向を揶揄する。度重なる嘲笑にコスチャはかっとなって芝居を中断し、いたたまれなくなって姿を消す。ニーナは芝居を続けなくてよくなったらしいことを確認すると一同の前に現れる。一同はニーナを喝采で迎え、アルカージナはぜひとも女優になるべきだとそそのかし、トリゴーリンに引き合わせる。

やがて一同が去り、ドールンが一人残っているところにコスチャが現れる。ドールンはコスチャの劇に可能性を感じたことを話し、創作を続けるよう励ます。感激して涙ぐむコスチャだが、ニーナが家に帰ったことを聞かされると打ちひしがれる。コスチャを探していたマーシャが現れて家に帰るよう言い聞かされるが、コスチャは邪険にはねつけて去っていく。マーシャはドールンにコスチャを愛していることを打ち明ける。

第2幕

真昼の屋外。

アルカージナ、ドールン、マーシャが話している。厳しい両親が旅行に出て束の間の自由を手にしたニーナがソーリンなどとともに現れる。アルカージナは外出用の馬車をめぐって支配人のシャムラーエフと口論になり、アルカージナは泣き出してモスクワへ帰ると言い出す。ポリーナは相変わらずドールンに言い寄っている。

一人になったニーナのもとに銃を持ったコスチャが現れ、撃ち落としたかもめをニーナの足元に捧げる。「今に僕はこんなふうに自分を撃ち殺すのさ。」コスチャは芝居の失敗の後に心変わりしたニーナを詰るが、ニーナは冷たく突き放す。トリゴーリンが現れるのを見たコスチャは立ち去る。

ニーナは名声への憧れをトリゴーリンに語る。「有名ってどんな心地がするものなんでしょう? ご自分が有名であることをどうお感じになります?」それに対しトリゴーリンは作家として生きることの苦渋に満ちた感慨を吐露する。「昼も夜も、一つの考えが頭から離れないのです。書かなければならん、書かなければならん、書かなければ…。何というすさんだ人生でしょう」

トリゴーリンはふと撃ち落とされたかもめに目を止めると、新しい短編の題材を思いつき手帳に書きとめる。「湖のほとりにあなたみたいな若い娘がかもめのように自由で幸せに暮らしている。ところがふとやってきた男が退屈まぎれにその娘を破滅させてしまう。このかもめのように」

アルカージナが現れ、モスクワへの出立を取りやめたことを告げる。



第3幕

ソーリン家の食堂、昼前。コスチャは自殺未遂をした後、トリゴーリンに決闘を申し込む騒ぎを起こしている。アルカージナはニーナとトリゴーリンを引き離すためにトリゴーリンとともにモスクワへ帰る算段をしている。

食事をするトリゴーリンに、マーシャがメドヴェージェンコと結婚する決意をしたことを打ち明ける。「この恋を胸から根こそぎ引き抜いてみせますわ。」

トリゴーリンが食事を済ませるとニーナがロケットを贈る。ロケットには彼の著作のタイトルとページ数、行数が書かれている。トリゴーリンは書棚に自分の本を探しに行く。

コスチャはアルカージナに包帯を取り替えてもらいながら打ち解けて話すが、話題がトリゴーリンのことに移ると途端に激しい口論になってしまう。泣き出すコスチャとなだめるアルカージナ。アルカージナはコスチャに決闘は思いとどまるよう諭す。

トリゴーリンは本の該当の場所を探し当てる。「もしいつか私の命が必要になったら、いつでも差し上げます。」トリゴーリンは滞在を引き延ばそうとするが、アルカージナはうまく丸め込んでその日のうちに発つことを承諾させる。
モスクワに発とうとするトリゴーリンに、ニーナは自分もモスクワに出て女優になる決心をしたことを告げる。トリゴーリンは自分のモスクワでの連絡先を教える。二人は長いキスを交わす。



第4幕

2年後、ソーリン家の客間。現在はコスチャの書斎として使われている。コスチャは作品が首都の雑誌に掲載されるようになり、気鋭の作家として注目を集めるようになっている。

メドヴェージェンコがマーシャに家へ帰って赤ん坊の面倒を見なければ、とさとすがマーシャは取り合わない。ポリーナは今もコスチャへの思いを捨て切れずにいる娘を不憫に思い、仲を取り持とうとするがコスチャの機嫌を損ねてしまう。マーシャは母の余計なお節介を詰る。「胸の中に恋が芽生えてきたら、捨ててしまうだけのことよ。」

コスチャはドールンに尋ねられニーナのその後を話して聞かせる。ニーナはトリゴーリンと一緒になり、子供をもうけたもののトリゴーリンに捨てられ、子供にも死なれてしまっている。女優としても芽が出ず、今は地方を巡業して回る日々を過ごしている。「手紙にはいつもかもめと署名してあるんです。彼女は今この近くにいますよ。」

ソーリンの容体が悪くなったために呼び寄せられたアルカージナがトリゴーリンとともに訪ねてくるが、ソーリンは小康を得ていて一同はロトに興ずる。シャムラーエフがトリゴーリンにコスチャが撃ったかもめを剥製にするよう頼まれていたことを話題にするが、トリゴーリンは思い出せない。

やがて一同は食事のために部屋を出ていくが、コスチャは一人残り仕事を続ける。かつて新しい形式の必要を訴えていたコスチャは、今では自分が型にはまりつつあることを感じとる。「問題は新しいとか古いとかいう形式にあるのではなくて、形式になんかとらわれずに書く、魂から自由にあふれ出るままに書くということなんだ。」

そこへ巡業で近くまで来ていたニーナが訪ねてくる。病的に張りつめた様子のニーナは何度も「私はかもめ」と繰り返し、トリゴーリンとのいきさつをほのめかす一方で、その度に「私は女優」と言い直す。「大切なのは名誉でもなければ成功でもなく、また私がかつて夢見ていたようなものでもなくて、ただ一つ、耐え忍ぶ力なのよ。私は信じているからつらいこともないし、自分の使命を思えば人生もこわくないわ。」片やコスチャは今も信じるべきものを見つけ出すことができずにいる。「僕には信じるものもなく、何が自分の使命なのかもわからずにいるんだ。」

何か食べるものを、というコスチャの申し出を断り、懐かしむように2年前の失敗した芝居のセリフをひとしきりそらんじてみせると、ニーナはコスチャを抱き締め、外へ駈け去っていく。コスチャはしばらくの沈思の後に自分の原稿を尽く引き裂き、部屋の外へ出て行く。

食事を終えた一同が部屋に戻るとシャムラーエフが完成したかもめの剥製を見せるが、それでもトリゴーリンは思い出せない。やがて外で一発の銃声が鳴り響く。調べに出て戻って来たドールンは「エーテルの薬瓶が破裂した」と説明して怯えるアルカージナを落ち着かせたあと、トリゴーリンに小声で「コンスタンティントレープレフが自分自身を撃った」と告げる。

本稿の参照文献

神西清訳 『かもめ・ワーニャ伯父さん』 新潮文庫、改版2004年。解説池田健太郎
近年刊の日本語訳書[編集]
浦雅春訳『かもめ』 岩波文庫[4]、2010年
沼野充義訳『かもめ』 集英社文庫、2012年
中本信幸訳『かもめ』 新読書社(新書版)、2006年
堀江新二訳『かもめ 四幕の喜劇』 群像社、2002年
小田島雄志訳『かもめ ベスト・オブ・チェーホフ』 白水社、1998年(英訳版をもとにした上演用訳書)
松下裕訳『チェーホフ戯曲選』 水声社、2004年。旧版は『チェーホフ全集(11)』(筑摩書房+ちくま文庫)

映画

映画化された作品は以下の通り。

『The Sea Gull』(1968年、監督:シドニー・ルメット)[5]
『チェーホフのかもめ』(1971年、 ソビエト連邦)[5]
『リリィ』(2003年、監督:クロード・ミレール。設定を現代のフランスに置き換えている)

https://ja.wikipedia.org/wiki/かもめ_(チェーホフ)

22. 中川隆[-13504] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:45:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1400] 報告

『チェーホフのかもめ』(1971年、 ソビエト連邦)[5]
Чайка / The Sea-Gull





スタッフ



監督
ユーリー・カラーシク

原作
アントン・チェーホフ

脚本
ユーリー・カラーシク

撮影
ミハイル・スースロフ

音楽
アレクサンダー・シニートケ


キャスト


Arkadina
アッラ・デミートワ

Treplev
ウラジミール・チェトヴェリコフ

Sorin
ニコライ・プロートニコフ

Nina
リュドミラ・サベーリエワ

23. 中川隆[-13502] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:53:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1402] 報告

チェーホフ「かもめ」の劇中劇について 2010-01-21
https://blog.goo.ne.jp/khar_ms/e/c73cc06fb80002c5442b55e478dd08e4


ちょっと小難しいタイトルをつけましたが、まず前提となる解説をしておくと、チェーホフの書いた有名な戯曲「かもめ」の前半には、劇中劇が存在します。劇の中で上演される劇、ということですね。このことから、「かもめ」はしばしば『ハムレット』と比較されます。というのも、後者にもやはり劇中劇が存在するからです。

ロシア文学研究者の池田健太郎は、『「かもめ」評釈』において、チェーホフの劇中劇の特徴を3つ挙げています。

一つ目は、それがトレープレフ(劇中劇を書いた「かもめ」の主人公)の前衛性を示していること。具体的には、象徴主義の手法を取り入れていること。

二つ目は、そこにロシアの神秘哲学者ソロヴィヨーフの思想の一端が書き込まれていること。

三つ目は、それがチェーホフ自身の小説「ともしび」と関連性があること。

さらに補足として、ロシアの研究者エルミーロフの解釈を紹介しています。


劇中劇は、場合によってはその劇の本質や性格を縮約して表現しえていることがあり、見逃すことができませんが、「かもめ」の場合は、恐らくそういった解釈とは別の解釈が求められているような気がします。それはデカダン文学のパロディである、ということは多くの評者が指摘しているようですが、大いにありうることでしょう。象徴主義やデカダン文学が隆盛していたころに「かもめ」は執筆されているのです。

ただ、これはぼくの勝手な印象ですが、それだけではないような気もしています。この劇中劇は20万年後の世界が舞台であり、生あるものは流転した末に肉体は滅び、ただその霊魂だけが一つに集まって存在しています。ぼくはこの「流転」という点にひっかかっているのです。20世紀初頭のロシアで活躍した作家グループにオベリウというのがありますが、あるロシアの研究者は、オベリウの芸術思想とは「変転」という言葉で性格づけられるのではないか、という意味のことを言っています。変転というのは、ここではメタモルフォーゼや流転といった意味で使われているようです。一切は一切に変転しうる、という原始的な思想がそこにも認められると言うのです。

この流転という思想は、とても興味深い。もちろん輪廻転生とも関連してくるでしょう。オベリウのメンバーであるハルムスの仏教への関心をも考慮すれば、非常に重要なファクターであるように思えてきます。もしもオベリウにおいてメタモルフォーゼや流転といった概念が根幹にあるのだとしたら、それはなぜなのか。当時のロシア思想界にそのような概念が浸潤していたのか、もしくは生成される土壌があったのか。恐らく、ここにソロヴィヨーフの名前が挙げられる余地があります。彼の永遠の世界や時間の世界といった概念を検討してみる価値はありそうです。とすれば、チェーホフの劇中劇というのは、実はこの流転という考え方を焦点化したものではなかったのか、という仮説も生まれます。既に池田健太郎が述べているように、ここにはソロヴィヨーフの思想の一端が垣間見られるのであれば、それもありえそうなことです。

ということは課題としては、

1、流転の思想が19世紀末から20世紀初頭のロシア社会に芽生えていたのか。

2、ソロヴィヨーフの思想の検討。

3、オベリウと流転の思想との関連性。


などが挙げられます。当然フョードロフの思想も再検討してみなくてはいけないでしょうね。

かなり巨大なテーマですが、おもしろそうです。現段階では分からないことだらけですが、実際に調べてみる日も近い・・・のか?

https://blog.goo.ne.jp/khar_ms/e/c73cc06fb80002c5442b55e478dd08e4

24. 中川隆[-13501] koaQ7Jey 2020年3月23日 13:56:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1403] 報告

「かもめ」評釈 (中公文庫) 文庫 – 1981/4/10
池田 健太郎 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/product/4122008239/ref=as_li_tf_tl?camp=247&creative=1211&creativeASIN=4122008239&ie=UTF8&linkCode=as2&tag=asyuracom-22

三輪そーめん 5つ星のうち5.0

「かもめ」の演出ノート

遥か昔に絶版していますが、「かもめ」の評論本としては最高の本。

形式的には演出ノートっぽい作りになっています。
場面や台詞の区切りでかもめ本文(日本語訳)を切っていて、解説するという角川の「クラッシックスビギナーズ」のような構成になっています。

当時のロシアの社会情勢や風俗も少し書いてあります。

また、ニーナのモデルの女性や、「かもめ」初演(チェーホフ存命時)の記録レポなど資料性が高い作品。

難点を一つ言えば、各場面の登場人物の心理状況の解釈がやや著者の主観が入っていることでしょうか?

それも些細な欠点で、「かもめ」や著者を理解するのに非常に役に立つ御本です。

かもめの訳文は非常に読みやすいです。
著者の池田さんは神西清(新潮版「かもめ」の訳者)さんと親交があった所為か
神西さんの文体に近いものでした。

25. 中川隆[-13500] koaQ7Jey 2020年3月23日 14:02:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1404] 報告
読むだけで演技が上手くなる!チェーホフ作「かもめ」のあらすじ
https://shirokuroneko.com/archives/741.html


この「かもめ」という戯曲は、まさに演劇なんです!
初めて読んだ時はよく分からなかったのですが、役者として舞台に立つようになってから突然、読めるようになりました。

登場人物が(たくさん出てくるわけですが)みんなお喋りで、いつだって会話がかみ合わないのは、それぞれが別のことを考えているから。笑

「なんてみんな神経質なんだ!どこもかしこも恋ばかしだ」と嘆くセリフにもある通り、分かり合えない人達が同じ場所に集まっているせいで(笑)、、、男と女、大人と子供、恋人同士、母親、芸術家などなど、相手やその時の立場によってころころ変わる自分を、一つの場面で同時に演じなきゃならないわけです。(これは、忙しい!)

ただ心情を語るんじゃない。役者にとって最も豊かな台本と呼びたいです!
なので、本としてではなく、とりあえずでも人物に寄り添ってセリフとして読んでみてください。いつのまにか呼吸が合ってきて心が勝手に動いてしまうような、不思議な体験が待っているはずです。

■ 目次 [非表示]
1 普通じゃない!「かもめ」のあらすじ
2 第一幕
3 第二幕
4 第三幕
5 第四幕
6 おわりに
普通じゃない!「かもめ」のあらすじ

それでいて、ストーリーと呼べるものがあるのかどうか。

大まかに言いますと、湖畔の田舎屋敷を舞台に、芸術を志す若い男女(恋人同士)が、そこに集まって来る大人達に翻弄されるお話です。

この田舎屋敷というのが面白くて、とにかく何をしていても次から次へと人が入ってくる。笑
そして登場人物の大半がそれぞれ誰かに想いを寄せていて、まぁそのほとんどが片想い!
そんな、田舎の「風通しの良さ」に対して、みんなが信じられないほど「すれ違う」ことが物語の全てなんです。

普通の戯曲だったら、登場人物がストーリーに翻弄されることが多いと思うんですが、この戯曲では、登場人物がぐずぐずしているだけで、芸術を志すために乗り越えなければならない壁だとか、血の滲むような努力だとか、一世一代の大勝負だとか、ドラマチックなことは何も起きません。ちょっとした事件も、場面と場面の間で起っているせいで、見れないんです。笑

全部で四幕。ほぼ同じ場所。夏季休暇を田舎で退屈に過ごしている人達が、夢のように漂っている「かもめ」の世界を、一幕ずつご紹介したいと思います!

第一幕

とある有名女優アルカージナが、知り合いのこれまた有名作家トリゴーリンを連れて、田舎屋敷に夏季休暇として滞在しています。そこには、屋敷の所有者である兄と、自分の息子であるトレープレフ、ほか使用人達が住んでいます。

この日の夜は、劇作家志望のトレープレフが、庭先で自作の舞台を上演することになっており、家の者達や、昔から付き合いのある医者や、教員などが集まっています。

冒頭から、マーシャ(屋敷の管理人の娘)と、メドヴェージェンコ(マーシャに想いを寄せる教員)が不幸せについて話しているのですが、それぞれの思惑が違うため、会話がかみ合っていません。(終始、この調子だと思ってください!)

この後に登場する我らがトレープレフ(恐らく主人公と呼べる人物)は、劇作家を目指す青年で、伯父のソーリン(高齢で杖をついている)に対し、今から上演する演劇の新しさ、自分の悩み、母への愛や文句など、好き勝手に語るのですが、上演時間が迫っているため、ちょいちょい時計を気にしています。(とても演劇的です!)

そして、ソーリンが「自分も昔は・・・」と話しだした途端に、誰かが走って来る音が聞こえ、耳をすまします。(とても演劇的です!)

ここで息を切らして駆け込んで来るのがもう一人の主人公であり、今から上演する舞台の主役でもある我らがニーナ譲(トレープレフの恋人で大女優を夢見る少女)は、父親に内緒で来ており、30分で帰らなければならないと大急ぎ。

上演前、二人きりで接吻を交わすのですが、緊張はしてるし、急いでるし、周りは気になるしで、会話もおかしなことになってます。(演じたら絶対面白いですよ!)
しかも母が連れて来た有名作家の作品をニーナが誉めるものだから、トレープレフは不機嫌に。笑

まぁそれとは関係なく、いよいよ開演した舞台は大失敗!

みんなが(特に母が!)まじめに観てくれないので、トレープレフは怒って本番中に幕を下ろし、どこかへ行ってしまいます。

母親も母親で、息子がいなくなったあとも、舞台を全否定。
そして、みんなで普通にお喋り。話題が昔話になったところで、急に息子を思い出したのか、えらく心配を始めるという不完全な存在なのです。

そのうち、最初に出て来たマーシャ(管理人の娘)が、実はトレープレフを愛しているという相談をこそこそし始め、とても面倒くさい雰囲気が充満したところで第一幕が終わります。

第二幕
それから数日後の真昼。木陰のベンチで、数人がお喋りをしています。
退屈で、暑くて、静か。

起きることと言えば、町へ遊びに行くための馬車を出すか出さないかで、アルカージナと管理人が喧嘩したり、その管理人の妻から、屋敷の主治医が言い寄られていたり。
そんな昼下がり。(どんなに静かでも、火種は常にあるみたいです)

あの夜の舞台以降、トレープレフとニーナの関係はぎくしゃくしている様子で、そのせいなのか、トレープレフは「猟銃でかもめを撃ち落とした」と、ニーナの元に持って来るという意味不明な凶行に走ります。

屋敷へ遊びに来ていたニーナがちょうど、花摘みをしながら「芸術家(休暇を楽しむアルカージナ達の事)と言っても、泣いたり笑ったり、みんなと違わないわ」とつぶやいた直後でした。笑

トレープレフは、ぐずぐずと舞台の失敗の事や、有名作家への嫉妬を口にして去っていきますが、ニーナはニーナで、そんな事にはお構いなし。
トレープレフと入れ替わりでやって来た、有名作家トリゴーリンに夢中です。
夢見る少女と、忙しい日々に追われる作家の、かみ合わないやりとりの始まりです。

ここで、トリゴーリンの話す内容がとても面白くて、「こうやって話に夢中になりながらも、締め切りを気にして、後ろに見える背景を描写し、相手の言葉をストックしている自分がいて、心が休まらない」と語るのです。(演技の極意という気がします!)

さて、二人が少しだけ打ち解けたところで、撃ち落とされた「かもめ」を見つけたトリゴーリンが小説の短編を思いつきます。

「湖のほとりで幸福に暮らしている若い娘を、ふとやってきた男が退屈まぎれに破滅させてしまう。このかもめのようにね」

少しだけ、不穏な空気が漂ってきました。
このあと、アルカージナに呼ばれて立ち去るトリゴーリンが、ニーナの方を振り返るという、見事な三角関係が描かれて、第二幕は終了します。

第三幕

一週間が経ちました。ここは屋敷の食堂。バタバタとみんなが帰り支度をしています。
どうやら、トレープレフがピストルで自殺未遂をしでかしたので、母親がトリゴーリンを連れて、一刻も早くここから出て行こうというわけです。

トリゴーリンは、優雅にお食事中。
管理人の娘マーシャが、お給仕をしながら、教員の元へお嫁に行く決心をしたことを告げます。本当はこの屋敷のお坊ちゃん、トレープレフを愛しているのですが、こんな騒ぎがあったのでは身が持たないと思ったようです。

ところがそんな彼女らを尻目に、ニーナとトリゴーリンは急接近。
お別れにやってきたニーナが、トリゴーリンに贈り物を渡して去っていきます。
(この間にも使用人達が行ったり来たりしているので、この場所が常に周りに開かれていて、とても演劇的なんです!)

その頃、(頭に怪我をしている)トレープレフは、母親のアルカージナに包帯を直してもらいながら、トリゴーリンの事で大喧嘩。壮絶な罵り合いになります。笑
何とか仲直りをして息子は去りますが、入れ替わりでやってきたトリゴーリンが、どこからどう見ても恋をしていて、帰りたくないオーラが全開だったので、またもや危険な雰囲気に。

激情したアルカージナが、震えたり、怒ったり、泣いたりしながら、「あなたは、わたしのもの」と全力で説き伏せると、トリゴーリンも夢から覚めたように大人しくなって、一緒に帰ると言ってくれます。
(みんな何をやっているのか!?笑)

そうこうしている間に帰り支度も整い、お別れをしてようやく出発へ!
「ステッキを忘れた」と部屋に戻ってきたトリゴーリンの前に、再び現れたニーナがとんでもない事を言い出します。家を出て、一切を捨てて、モスクワで女優を目指す決心をしたので、またあちらでお目にかかりましょうと。

トリゴーリンは、周りを気にしながら滞在先だけ告げると急いで去ろうとしますが、ニーナの「もう一分だけ・・・」の一言に、再び火が付きます!

二人の愛が一瞬スパークしたところで、第三幕が終わります。

第四幕
あれから二年が経過しています。風の強い晩。
この日は、また第一幕のように、みんなが屋敷に集まっています。ニーナ以外は。

色々なことが変わっていて、管理人の娘マーシャには赤ん坊が生まれましたが、夫婦仲は昔以上に悪化しています。
トレープレフはなんと売れっ子小説家に。

どうも伯父のソーリンの具合があまり良くないらしく、それでみんなが集まっている様子。ソーリンは、自分も文学者になりたかったことや、もっと弁舌さわやかになりたかったこと、家庭を持ちたかったこと、都会で暮らしたかったことなどを語ります。
(だからと言って、特に何もありませんが。笑)
ソーリンは、いつもみんなをフォローしてくれる優しい伯父さんです。

ニーナの話題になると、どうやら地方巡業の女優をやっているようで、トリゴーリンとは別れ、生まれた子供とも死別したみたいなんです。
ところが、アルカージナもトリゴーリンも、トレープレフと普通に接してきます。

トレープレフももう怒ったりはしませんが、賑やかなお喋りから抜け出し、遠くで静かにワルツを弾いています。母親達はテーブルゲームに興じていて、マーシャだけがそれに耳を傾けているという悲しい夜。

そのうち、お夜食だと言ってみんないなくなり、一人、書斎で執筆するトレープレフ。筆は進まず。

そこへ、窓からこっそりニーナが訪ねてきます!

ニーナが周りを気にするので、ドアには鍵をかけ、椅子で塞ぎ、はじめて二人だけの空間に。
トレープレフは歓喜し再び恋心を訴えますが、ニーナには届きません。

「わたしは―――かもめ。・・・いいえ、そうじゃない。わたしは―――女優」
ニーナは今、「破滅するかもめ」と「女優」のはざまでもがき苦しんでいます。

自分の酷かった話をふり返りながらも、生きていくための信念と覚悟を見せつけるニーナと、自分が何者なのか分からずにいるトレープレフが対照的に描かれます。

ニーナは、それでもトリゴーリンを愛していることを告げ、昔は晴れやかで、清らかだったねと、二人で上演したあの日の舞台を再現してみせ、発作的にトレープレフを抱きしめると、ガラス戸から走り出て行きます。

幸か不幸か。密室に一人残されたトレープレフ。
物語は一発の銃声と共に唐突に幕を下ろします。

おわりに

とても書ききれませんが、他にもたくさんの登場人物が出てきて、それぞれの心情が複雑に絡み合います。
でも、そのほとんどが他愛のないエピソード!
だらだらとお喋りを続けるせいですれ違い、ふと日常が一変する様子がなんとも可笑しいのです。

このお話の決め手は、なんといってもニーナです。最初に駆け込んで来たのを覚えていますか?そして、最後には走り去って行きます。どうにもこうにもまっすぐに歩けない人達の中で、ニーナだけが走っていきます。
バランスがとれないなら走ればいいというシンプルな機動力!
彼女の足取りこそが、最も演劇的な瞬間だったのではないでしょうか。

それでは最後に、このお話で最も他愛のないシーンをご紹介します。

‐‐‐‐‐‐‐‐

ソーリン(アルカージナの兄)のいびきが聞こえる。

アルカージナ  「ねぇ?」
ソーリン  「ああ?」
アルカージナ  「寝てらっしゃるの?」
ソーリン  「いいや、どうして」

‐‐‐‐‐‐‐‐


参考文献
神西清訳 『かもめ・ワーニャ伯父さん』 新潮文庫


https://shirokuroneko.com/archives/741.html

26. 中川隆[-13496] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:04:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1408] 報告
かもめ ЧАЙКА
――喜劇 四幕――
アントン・チェーホフ Anton Chekhov
神西清訳


人物
アルカージナ(イリーナ・ニコラーエヴナ) とつぎ先の姓はトレープレヴァ、女優
トレープレフ(コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ) その息子、青年
ソーリン(ピョートル・ニコラーエヴィチ) アルカージナの兄
ニーナ(ミハイロヴナ・ザレーチナヤ) 若い処女、裕福な地主の娘
シャムラーエフ(イリヤー・アファナーシエヴィチ) 退職中尉
ちゅうい
、ソーリン家の支配人
ポリーナ(アンドレーエヴナ) その妻
マーシャ その娘
トリゴーリン(ボリース・アレクセーエヴィチ) 文士
ドールン(エヴゲーニイ・セルゲーエヴィチ) 医師
メドヴェージェンコ(セミョーン・セミョーノヴィチ) 教員
ヤーコフ 下男
料理人
小間使

ソーリン家の田舎屋敷でのこと。――三幕と四幕のあいだに二年間が経過
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第一幕

ソーリン家の領地内の廃園の一部。広い並木道が、観客席から庭の奥のほうへ走って、湖に通じているのだが、家庭劇のため急設された仮舞台にふさがれて、湖はまったく見えない。仮舞台の左右に灌木
かんぼく
の茂み。椅子
いす
が数脚、小テーブルが一つ。

日がいま沈んだばかり。幕のおりている仮舞台の上には、ヤーコフほか下男たちがいて、咳
せき
ばらいや槌
つち
音が聞える。散歩がえりのマーシャとメドヴェージェンコ、左手から登場。

メドヴェージェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわけです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
メドヴェージェンコ なぜです? (考えこんで)わからんですなあ。……あなたは健康だし、お父さんにしたって金持じゃないまでも、暮しに不自由はないし。僕なんか、あなたに比べたら、ずっと生活は辛
つら
いですよ。月に二十三ルーブリしか貰
もら
ってないのに、そのなかから、退職積立金を天引きされるんですからね。それだって僕は、喪服なんか着ませんぜ。(ふたり腰をおろす)
マーシャ お金のことじゃないの。貧乏人だって、仕合せにはなれるわ。
メドヴェージェンコ そりゃ、理論ではね。だが実際となると、そうは行かない。僕に、おふくろ、妹がふたり、それに小さい弟――それで月給がただの二十三ルーブリ。まさか食わず飲まずでもいられない。お茶も砂糖もいりますね。タバコもいる。そこでキリキリ舞いになる。
マーシャ (仮舞台のほうを振向いて)もうじき幕があくのね。
メドヴェージェンコ そう。出演はニーナ嬢で、脚本はトレープレフ君の書きおろし。ふたりは恋仲なんだから、今日はふたりの魂が融合して、同じ一つの芸術的イメージを、ひたすら表現しようという寸法でさ。ところが僕とあなたの魂には、共通の接点がない。僕はあなたを想
おも
っています。恋しさに家
うち
にじっとしていられず、毎日一里半の道を、てくてくやって来ては、また一里半帰っていく。その反対給付といえば、あなたのそっけない顔つきだけです。それも無理はない。僕には財産もなし、家族は大ぜいときてますからね。食うや食わずの男と、誰が好きこのんで結婚なんかするものか?
マーシャ つまらないことを。(かぎタバコをかぐ)お気持はありがたいと思うけれど、それにお応
こた
えできないの。それだけのことよ。(タバコ入れを差出して)いかが?
メドヴェージェンコ 欲しくないです。(間)
マーシャ 蒸し蒸しすること。晩
おそ
くなって、ごろごろザーッときそうね。あなたはしょっちゅう、理屈をこねるか、お金の話か、そのどっちかなのね。あなたに言わせると、貧乏ほど不仕合せなものはないみたいだけれど、あたしなんか、ボロを着て乞食
こじき
ぐらしをしたほうが、どんなに気楽だか知れやしないわ。……あなたには、わかってもらえそうもないけど……

右手から、ソーリンとトレープレフ登場。

ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎
いなか
が苦手でな、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染
なじ
めまいよ。ゆうべは十時に床へはいって、けさ九時に目がさめたが、あんまり寝すぎたもんで、脳みそが頭蓋骨
ずがいこつ
に、べったりくっついたような気がした――とまあいった次第でな(笑う)。ところが昼めしのあとで、ついまた寝こんじまって、今じゃ全身へとへと、夢にうなされてるみたいな気持さ、早い話がね……
トレープレフ そりゃもちろん、伯父さんは都会に住む人ですよ。(マーシャとメドヴェージェンコを見て)皆さん、始まる時には呼びますよ。今ここにいられちゃ困るな。暫時
ざんじ
ご退場を願います。
ソーリン (マーシャに)ちょいとマーシャさん、あの犬の鎖を解いてやるように、ひとつパパにお願いしてみてはくださらんか。やけに吠

えるでなあ。おかげで妹は、夜っぴてまた寝られなかった。
マーシャ ご自分で父におっしゃってくださいまし、あたしはご免こうむります。あしからず。(メドヴェージェンコに)さ、行きましょう!
メドヴェージェンコ (トレープレフに)じゃ、始まる前に、知らせによこしてください。

ふたり退場。

ソーリン すると、夜どおしまた、吠えられるのか。さあ、事だぞ。わたしは田舎へ来て、思う通りの暮しのできた例
ため
しがない。前にゃよく、二十八日の休暇を取っちゃ、ここへやって来たもんだ。骨休めや何やら――とまあいった次第でな。ところが、くだらんことに責め立てられて、着いたその日から、逃げ出したくなったよ(笑う)。引揚げる時にゃ、やれやれと思ったもんだ。……だが今じゃ、役を退

いてしまって、ほかに居場所がない――早い話がね。いやでも、ここに釘
くぎ
づけだ……
ヤーコフ (トレープレフに)若旦那
わかだんな
、〔わっしら〕ちょいと一浴びしてきます。
トレープレフ いいとも。だが十分したら、みんな持ち場にいてくれよ。(時計を見て)もうじき始まりだからな。
ヤーコフ 承知しやした。(退場)
トレープレフ (仮舞台を見やりながら)さあ、これが僕の劇場だ。カーテン、袖
そで
が一つ、袖がもう一つ――その先は、がらんどうだ。書割りなんか、一つもない。いきなりパッと、湖と地平線の眺めが開けるんだ。幕あきは、きっかり八時半。ちょうど月の出を目がけてやる。
ソーリン 結構だな。
トレープレフ 万一ニーナさんが遅刻しようもんなら、舞台効果は吹っ飛んじまう。もうくる時分だがなあ。あのひとは、お父さんやまま母の見張りがきびしいもんで、家
うち
を抜け出すのは、牢
ろう
破りも同様、むずかしいんですよ。(伯父のネクタイを直してやる)伯父さんは、頭も髯
ひげ
ももじゃもじゃだなあ。ひとつ、刈らせるんですね。……
ソーリン (髯をしごきながら)これで一生、たたられたよ。わたしは若い時分から、飲んだくれそっくりの風采
ふうさい
――とまあいった次第でな。ついぞ女にもてた例
ため
しがない。(腰かけながら)妹のやつ、なぜああ、おかんむりなんだろう?
トレープレフ なぜかって? 淋
さび
しいんですよ。(ならんで腰をおろしながら)妬

けるんでさ。おっ母

さんはてんからもう、この僕にも、今日の芝居にも、僕の脚本にも、反感を持ってるんだ。というのも、演

るのが自分じゃなくて、あのニーナさんだからなんです。僕の脚本も見ない先から、眼の敵
かたき
にしてるんだ。
ソーリン (笑う)まさか、そう気を回さんでも……
トレープレフ おっ母さんはね、この小っぽけな舞台で喝采
かっさい
を浴びるのが、あのニーナさんで、自分じゃないのが、癪
しゃく
のたねなんですよ。(時計を見て)ちょいと心理的な変り種でね――おっ母さんは。そりゃ才能もある、頭もいい、小説本を読みながら、めそめそ泣くのも得意だし、ネクラーソフの詩だって、即座に残らず暗誦
あんしょう
できるし、病人の世話をさせたら――エンジェルもはだしですよ。ところが、例しにあの人の前で、エレオノラ・ドゥーゼでも褒

めてごらんなさい。事ですぜ! 褒めるなら、あのひとのことだけでなくてはならん。劇評も、あの人のことだけ書けばいい。『椿姫
つばきひめ
』だの『人生の毒気』(訳注 ロシア十九世紀の傾向的作家マルケーヴィチの戯曲)だのをやる時のあの人の名演技を、わいわい騒ぎ立てたり、感激したりしなくてはならん。ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。そこで、淋しいもんだから苛々
いらいら
する。われわれがみんな悪者で、親のカタキだということになる。おまけに、あの人は御幣
ごへい
かつぎで、三本蝋燭
ろうそく
(訳注 死人のほとりを照らす習慣)をこわがる、十三日と聞くと顔いろを変える。しかも、けちんぼときている。オデッサの銀行に、七万も預けてあることは――僕ちゃんと知ってるんだ。だのに、ちょいと貸してとでも言おうもんなら、めそめそ泣きだす始末だ。
ソーリン お前さんは、自分の脚本がおっ母さんの気に入らんものと、頭から決めこんで、しきりにむしゃくしゃ――とまあいった次第だがな。案じることはないさ――おっ母さんは、君を崇拝しているよ。
トレープレフ (小さな花の弁をむしりながら)好き――嫌
きら
い、好き――嫌い、好き――嫌い。(笑う)そうらね、おっ母さんは僕が嫌いだ。あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が着たい。ところがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭
いや
でも、自分の年を思い出さざるを得ない。僕がいなけりゃ、あの人は三十二でいられるが、僕がいると、とたんに四十三になっちまう。だから僕が苦手なんですよ。それにあの人は、僕が劇場否定論者だということも知っている。あの人は劇場が大好きで、あっぱれ自分が、人類だの神聖な芸術だのに、奉仕しているつもりなんだ。ところが僕に言わせると、当世の劇場というやつは、型にはまった因襲にすぎない。こう幕があがると、晩がたの照明に照らされた三方壁の部屋のなかで、神聖な芸術の申し子みたいな名優たちが、人間の食ったり飲んだり、惚

れたり歩いたり、背広を着たりする有様を、演じてみせる。ところで見物は、そんな俗悪な場面やセリフから、なんとかしてモラルをつかみ出そうと血まなこだ。モラルと言っても、ちっぽけな、手っとり早い、ご家庭にあって調法――といった代物
しろもの
ばかりさ。そいつが手を変え品を変えて、百ぺん千べん、いつ見ても種は一つことの繰返しだ。そいつを見ると僕は、モーパッサンみたいに、ワッと逃げ出すんです。エッフェル塔の俗悪さがやりきれなくなって、命からがら逃げ出したモーパッサン(訳注 その小説『さすらい』参照)みたいにね。
ソーリン 劇場がないじゃ、話になるまい。
トレープレフ だから、新しい形式が必要なんですよ。新形式がいるんで、もしそれがないんなら、いっそ何にもないほうがいい。(時計を見る)僕は、おっ母さんが好きです、とても好きです。だが、あの人の生活は、なんぼなんでも酷
ひど
すぎる。しょっちゅう、あの小説家のやつとべたべたしちゃ、のべつ新聞に浮名をながしている。これにゃまったく閉口ですよ。時によると、人間の悲しさで、僕だって人なみのエゴイズムが、むらむらっと起きることもある。つまり、うちのおっ母さんが有名な女優なのが、くやしくなるんです。もし普通の女でいてくれたら、僕もちっとは幸福だったろうにな、ってね。ね伯父さん、これほど情けない、ばかげた境遇があるもんでしょうか。おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずらり顔をならべたもんです――役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だけが、名も何もない雑魚
ざこ
なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人の息子
むすこ
だからというだけのことに過ぎん。僕は一体誰だ? どこの何者だ? 大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告によくある、例の「さる外部事情のため」(訳注 当時の雑誌などが、思想の弾圧のため発禁になった時に使う慣用句)って奴
やつ
でさ。しかも、これっぱかりの才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ――キーエフの町人と書いてある。なるほどうちの親父
おやじ
は、有名な役者じゃあったが、元をただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼
まなこ
を僕にそそいでくれるごとに、僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたいな気がした、――向うの気持を推量して、肩身の狭い思いをしたもんですよ……
ソーリン 事のついでに、ちょっと聞かしてもらうが、あの小説家は全体何者かね? どうも得体の知れん男だ。むっつり黙りこんでてな。
トレープレフ あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、メランコリックな男ですよ。なかなかりっぱな人物でさ。まだ四十には間

があるのに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめのご身分だ。……書くものはどうかと言うと……さあ、なんと言ったらいいかなあ? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし……トルストイやゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね。
ソーリン ところでわたしは、文士というものが好きでな。むかしはこれでも、あこがれの的が二つあった。女房をもらうことと、文士になることなんだが、どっちも結局だめだったな。そう。小っちゃな文士だっても、なれりゃ面白かろうて、早い話がな。
トレープレフ (耳をすます)足音が聞える。……(伯父を抱いて)僕は、あの人なしじゃ生きられない。……あの足音までがすばらしい。……僕は、めちゃめちゃに幸福だ! (足早に、ニーナを迎えに行く。彼女登場)さあ、可愛
かわい
い魔女が来た、僕の夢が……
ニーナ (興奮のていで)あたし、遅れなかったわね。……ね、遅れやしないでしょう。……
トレープレフ (女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫……
ニーナ 一日じゅう心配だった、どきどきするくらい! 父が出してはくれまいと、気が気じゃなかったわ。……でも父は、今しがた継母
はは
といっしょに出かけたの。空が赤くって、月がもう出そうでしょう。で、あたし、一生けんめい馬を追い立てて来たの。(笑う)でも、嬉
うれ
しいわ。(ソーリンの手を握りしめる)
ソーリン (笑って)どうやらお目
めめ
を、泣きはらしてござる。……ほらほら! 悪い子だ!
ニーナ ううん、ちょっと。……だって、ほら、こんなに息がはずんでるんですもの。三十分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの。後生だから引きとめないでね。ここへ来たこと、父には内緒なの。
トレープレフ ほんとに、もう始める時刻だ。みんなを呼んでこなくちゃ。
ソーリン では、わたしがちょっくら、とまあいった次第でな。はいはい、ただ今。(右手へ行きながら歌う)「フランスをさして帰る、兵士のふたりづれ」(訳注 ハイネの『ふたりの擲弾兵』より)……(振返って)いつぞや、まあこういった具合に歌いだしたらな、ある検事補のやつめが、こう言いおった――「いや閣下、なかなか大した喉
のど
ですな」……そこで先生、ちょいと考えて、こう付け足したよ――「しかし……厭
いや
なお声で」(笑って退場)

ニーナ 父も継母
はは
も、あたしがここへくるのは反対なの。ここは、ボヘミアンの巣窟
そうくつ
だって……あたしが女優にでもなりゃしまいかと、心配なのね。でもあたしは、ここの湖に惹

きつけられるの、かもめみたいにね。……胸のなかは、あなたのことでいっぱい。(あたりを見回す)
トレープレフ 僕たちきりですよ。
ニーナ 誰かいるみたいだわ……
トレープレフ いやしない。(接吻
せっぷん

ニーナ これ、なんの木?
トレープレフ にれの木。
ニーナ どうして、あんなに黒いのかしら?
トレープレフ もう晩だから、物がみんな黒く見えるのです。そう急いで帰らないでください、後生だから。
ニーナ だめよ。
トレープレフ じゃ、僕のほうから行ったらどう、ニーナ? 僕は夜どおし庭に立って、あなたの部屋の窓を見てるんだ。
ニーナ だめ、番人にみつかるわ。それにトレゾール
うちのいぬ
は、まだお馴染
なじみ
じゃないから、きっと吠えてよ。
トレープレフ 僕は君が好きだ。
ニーナ シーッ。
トレープレフ (足音を耳にして)誰だ? ヤーコフ、お前か?
ヤーコフ (仮舞台のかげで)へえ、さようで。
トレープレフ みんな持ち場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
ヤーコフ へえ、さようで。
トレープレフ アルコールの用意はいいね? 硫黄
いおう
もあるね? 紅い目玉が出たら、硫黄の臭
にお
いをさせるんだ。(ニーナに)さ、いらっしゃい、支度はすっかりできています。……興奮
あが
ってますね?……
ニーナ ええ、とても。あなたのママは――平気ですわ、こわくなんかない。でも、トリゴーリンが来てるでしょう。……あの人の前で芝居をするのは、あたしこわいの、恥ずかしいの。……有名な作家ですもの。……若いかた?
トレープレフ ええ。
ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演

りにくいわ。生きた人間がいないんだもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少なくて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ……(ふたり、仮舞台のかげへ去る)

ポリーナとドールン登場。

ポリーナ しめっぽくなってきたわ。引返して、オーバーシューズをはいてらしたら?
ドールン 僕は暑いんです。
ポリーナ それが、医者の不養生よ。頑固
がんこ
というものよ。職掌がら、しめっぽい空気がご自分に毒なことぐらい、百も承知でいらっしゃるくせに、まだ私をやきもきさせたいのねえ。ゆうべだって、わざと一晩じゅう、テラスに出てらしたり……
ドールン (口ずさむ)「言うなかれ、君、青春を失いしと」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)
ポリーナ あなたは、アルカージナさんと話に身が入りすぎて……つい寒いのも忘れてらしたのね。白状なさい、あのひと、お好きなのね……
ドールン 僕は五十五ですよ。
ポリーナ そんなこと――男の場合、年寄りのうちに、はいらないわ。まだそのとおりの男前なんだから、結構おんなに持てますわ。
ドールン そこで、どうしろとおっしゃる?
ポリーナ 相手が女優さんだと、いつだって平蜘蛛
ぐも
みたい。いつだってね!
ドールン (口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」(訳注 ネクラーソフの詩の一節)……よしんば世間が、役者をひいきにして、商人なんかと別扱いにするとしても、まあ理の当然ですな。それが――理想主義というもので。
ポリーナ 女のひとが、いつもあなたに惚れこんで、首っ玉にぶらさがってきた。これもその、理想主義ですの?
ドールン (肩をすくめて)へえね? 婦人がたは、結構僕を尊重してくれましたよ。それも主として、腕のいい医者としてでしたな。十年、十五年まえには、ご承知のとおりこの僕も、郡内でたった一人の、産科医らしい産科医でしたからね。それに僕は、実直な男だったし。
ポリーナ (男の手をとらえる)ねえ、あなた!
ドールン シッ、ひとが来ます。

アルカージナがソーリンと腕を組んで、つづいてトリゴーリン、シャムラーエフ、メドヴェージェンコ、マーシャが登場。

シャムラーエフ 〔一八〕七三年のポルタヴァの定期市
いち
で、あの女優はすばらしい芸を見せましたっけ。ただ驚嘆の一語に尽きます! 名人芸でしたな! それから、これも次手
ついで
に伺いたいですが、喜劇役者のチャージン――あのパーヴェル・セミョーヌィチですが、あれは今どこにいますかな? ラスプリューエフ(訳注 スホーヴォ・コブイリンの喜劇『クレチンスキイの結婚』中の人物)を演

らせたら天下無類でね、サドーフスキイ(訳注 モスクワ小劇場の名優、一八七二年死)より上でしたな。いやまったくですよ、奥さん。あわれ彼、今いずくにか在る?
アルカージナ あなたはいつも、大昔の人のことばかりお訊

きになるのね。わたしが知るもんですか! (腰をおろす)
シャムラーエフ (ふーっとため息をして)パーシカ・チャージン! 今じゃあんな役者はいない。舞台の下落ですな、アルカージナさん! 昔は亭々
ていてい
たる大木ぞろいだったものだが、今はもう切株ばかしでね。
ドールン いかにも、光輝さんぜんたる名優は少なくなった。だがその代り、中どころの役者は、ずっとよくなったです。
シャムラーエフ お説には賛成しかねますな。もっとも、これは趣味の問題で。De gustibus aut bene, aut nihil
みるひとのこころごころに
ですて。(訳注 この引用句は、ラテンのことわざを二つ、つきまぜたおかしみがある)

トレープレフ、仮舞台のかげから登場。

アルカージナ (息子に)ねえ、うちの坊っちゃん、一体いつ幕があくの?
トレープレフ もうすぐです。ざんじご猶予
ゆうよ

アルカージナ (『ハムレット』のセリフで)おお、ハムレット、もう何も言うてたもるな! そなたの語
ことば
で初めて見たこの魂のむさくろしさ。何
なん
ぼうしても落ちぬ程
ほど
に、黒々と沁込
しみこ
んだ心の穢
けが
れ! (訳注 第三幕第四場逍遥の訳による)
トレープレフ (『ハムレット』のセリフで)いや、膏
あぶら
ぎった汗臭い臥床
ふしど
に寝
まろ
びたり、豕
いのこ
同然の彼奴
あいつ
と睦言
むつごと
……(訳注 おなじく。ただしこのくだり、チェーホフはかなり上品に言い直されたロシア訳を踏襲している。いま訳者は、シェイクスピアの原意に近い逍遥訳を採った)

仮舞台のかげで角笛の音。

トレープレフ さあ皆さん、始まります。静粛にねがいます。(間)では、まず私から。(細身の杖
つえ
を突き鳴らし、大声で)おお、なんじら、年ふりし由緒
ゆいしょ
ある影たちよ。夜ともなれば、この湖の上をさまよう影たちよ。わたしたちを寝入らせてくれ。そして、二十万年のちの有様を、夢に見させてくれ!
ソーリン 二十万年したら、なんにもないさ。
トレープレフ だから、そのないところを見させるんですよ。
アルカージナ どうともご随意に。わたしたちは寝るから。

幕があがって、湖の景がひらける。月は地平線をはなれ、水に反映している。大きな岩の上に、全身白衣のニーナが坐
すわ
っている。

ニーナ 人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚
さかな
も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音

ずれもない。寒い、寒い、寒い。うつろだ、うつろだ、うつろだ。不気味だ、不気味だ、不気味だ。(間)あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊魂だけは、溶

け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂――それがわたしだ……このわたしだ。……わたしの中には、アレクサンドル大王の魂もある。シーザーのも、シェイクスピアのも、ナポレオンのも、最後に生き残った蛭
ひる
のたましいも、のこらずあるのだ。わたしの中には、人間の意識が、動物の本能と溶け合っている。で、わたしは、何もかも、残らずみんな、覚えている。わたしは一つ一つの生活を、また新しく生き直している。

鬼火があらわれる。

アルカージナ (小声で)なんだかデカダンじみてるね。
トレープレフ (哀願に非難をまじえて)お母さん!
ニーナ わたしは孤独だ。百年に一度、わたしは口をあけて物を言う。そしてわたしの声は、この空虚
うつろ
のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞く者はない。……お前たち、青い鬼火も、聞いてはくれない。……夜あけ前、沼の毒気から生れたお前たちは、朝日のさすまでさまよい歩くが、思想もなければ意志もない、生命のそよぎもありはしない。お前のなかに、命の目ざめるのを恐れて、永遠の物質の父なる悪魔は、分秒の休みもなしに、石や水のなかと同じく、お前のなかにも、原子の入れ換えをしている。だからお前は、絶えず流転
るてん
をかさねている。宇宙のなかで、常住不変のものがあれば、それはただ霊魂だけだ。(間)うつろな深い井戸へ投げこまれた囚
とら
われびとのように、わたしは居場所も知らず、行く末のことも知らない。わたしにわかっているのは、ただ、物質の力の本源たる悪魔を相手の、たゆまぬ激しい戦いで、結局わたしが勝つことになって、やがて物質と霊魂とが美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統

べる一つの意志の王国が出現する、ということだけだ。しかもそれは、千年また千年と、永い永い歳
とし
つきが次第に流れて、あの月も、きららかなシリウスも、この地球も、すべて塵
ちり
と化したあとのことだ。……その時がくるまでは、怖
おそ
ろしいことばかりだ。……(間。湖の奥に、紅
あか
い点が二つあらわれる)そら、やって来た、わたしの強敵が、悪魔が。見るも怖ろしい、あの火のような二つの目……
アルカージナ 硫黄の臭
にお
いがするわね。こんな必要があるの?
トレープレフ ええ。
アルカージナ (笑って)なるほど、効果だね。
トレープレフ お母さん!
ニーナ 人間がいないので、退屈なのだ……
ポリーナ (ドールンに)まあまあ、帽子をぬいで! さあさ、おかぶりなさい、風邪
かぜ
を引きますよ。
アルカージナ それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱帽なすったのさ。
トレープレフ (カッとなって、大声で)芝居はやめだ! 沢山だ! 幕をおろせ!
アルカージナ お前、何を怒るのさ?
トレープレフ 沢山です! 幕だ! 幕をおろせったら! (とんと足ぶみして)幕だ! (幕おりる)失礼しました! 芝居を書いたり、上演したりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つい忘れていたもんで。僕はひとの畠
はたけ
を荒したんだ! 僕が……いや、僕なんか……(まだ何か言いたいが、片手を振って、左手へ退場)
アルカージナ どうしたんだろう、あの子は?
ソーリン なあ、おっ母さん、こりゃいけないよ。若い者の自尊心は、大事にしてやらなけりゃ。
アルカージナ わたし、あの子に何を言ったかしら?
ソーリン だって、恥をかかしたじゃないか。
アルカージナ あの子は、これはほんの茶番劇でと、自分で前触れしていましたよ。だからこっちも、茶番のつもりでいたんだけれど。
ソーリン まあさ、それにしたって……
アルカージナ ところが、いざ蓋
ふた
をあけてみたら、大層な力作だったわけなのね! やれやれ! あの子が、今夜の芝居を仕組んで、硫黄の臭いをぷんぷんさせたのも、茶番どころか、一大デモンストレーションだった。……あの子はわたしたちに、戯曲の作り方や演

り方を、教えてくれる気だったんだわ。早い話が、ま、うんざりしますよ。何かといえば、一々わたしに突っかかったり、当てこすったり、そりゃまああの子の勝手だけれど、これじゃ誰にしたってオクビが出るでしょうよ! わがままな、自惚
うぬぼ
れの強い子だこと。
ソーリン あの子は、お前のつれづれを慰めようと思ったんだよ。
アルカージナ おや、そう? そんなら、何か当り前の芝居を出せばいいのに、なぜ選

りに選って、あんなデカダンのタワ言を聴

かせようとしたんだろう。茶番のつもりなら、タワ言でもなんでも聴いてやりましょうけれど、あれじゃ野心満々、――芸術に新形式をもたらそうとか、一新紀元を画そうとか、大した意気ごみじゃありませんか。わたしに言わせれば、あんなもの、新形式でもなんでもありゃしない。ただ根性まがりなだけですよ。
トリゴーリン 人間誰しも、書きたいことを、書けるように書く。
アルカージナ そんなら勝手に、書きたいことを、書けるように書くがいいわ。ただ、わたしには、さわらずにおいてもらいたいのよ。
ドールン ジュピターよ、なんじは怒
いか
れり、か……(訳注 つづいて「されば非はなんじにあり」というラテンのことわざ。ドールンはこの句で、暗にアルカージナを諷したのであろうが、彼女は気づかずに――)
アルカージナ わたしはジュピターじゃない、女ですよ。(タバコを吸いだす)あたし、怒
おこ
ってなんかいません。ただね、若い者があんな退屈な暇つぶしをしているのが、歯がゆいだけですよ。あの子に恥をかかすつもりはなかったの。
メドヴェージェンコ 何がなんでも、霊魂と物質を区別する根拠はないです。そもそも霊魂にしてからが、物質の原子の集合なのかも知れんですからね。(語気をつよめて、トリゴーリンに)で一つ、どうでしょう、われわれ教員仲間がどんな暮しをしているか――それをひとつ戯曲に書いて、舞台で演じてみたら。辛
つら
いです、じつに辛い生活です!
アルカージナ ごもっともね。でももう、戯曲や原子のはなしは、やめにしましょうよ。こんな好

い晩なんですもの! 聞えて、ほら、歌ってるのが? (耳をすます)いいわ、とても!
ポリーナ 向う岸ですわ。(間)
アルカージナ (トリゴーリンに)ここへお掛けなさいな。十年か十五年まえ、この湖じゃ、音楽や合唱がほとんど毎晩、ひっきりなしに聞えたものですわ。この岸ぞいに、地主屋敷が六つもあってね。忘れもしない、にぎやかな笑い声、ざわめき、猟銃のひびき、それにしょっちゅう、ロマンスまたロマンスでね。……そのころ、その六つの屋敷の花形
ジュヌ・プルミエ
で、人気の的だったのは、そら、ご紹介しますわ(ドールンをあごでしゃくって)――ドクトル・ドールンでしたの。今でもこのとおりの男前ですもの、そのころときたら、それこそ当るべからざる勢いでしたよ。それはそうと、そろそろ気が咎
とが
めてきた。可哀
かわい
そうに、なんだってわたし、うちの坊やに恥をかかしたのかしら? 心配だわ。(大声で)コースチャ! せがれや! コースチャ!
マーシャ あたし行って、捜してみましょう。
アルカージナ ええ、お願い。
マーシャ (左手へ行く)ほおい! トレープレフさん!……ほおい! (退場)
ニーナ (仮舞台のかげから出てきながら)もう続きはないらしいから、あたし出て行ってもいいのね。今晩は! (アルカージナおよびポリーナとキスを交す)
ソーリン ブラボー! ブラボー!
アルカージナ ブラボー! ブラボー! みんなで、感心していたんですよ。それだけの器量と、あんなすばらしい声をしながら、田舎に引っこんでらっしゃるなんて罪ですよ。きっと天分がおありのはずよ。ね、いいこと? 舞台に立つのは、あなたの義務よ!
ニーナ まあ、あたしの夢もそうなの! (ため息をついて)でも、実現しっこありませんわ。
アルカージナ そんなことあるもんですか。さ、ご紹介しましょう――こちらはトリゴーリンさん、ボリース・アレクセーエヴィチ。
ニーナ まあ、うれしい……(どぎまぎして)いつもお作は……
アルカージナ (彼女を自分のそばに坐らせながら)そう固くならないでもいいのよ。有名な人だけれど、気持のさっぱりしたかたですからね。ほら、あちらが却
かえ
って、あがってらっしゃるわ。
ドールン もう幕をあげてもいいでしょうな、どうも気づまりでいかん。
シャムラーエフ (大声で)ヤーコフ、ちょっくら一つ、幕をあげてくれんか! (幕あがる)
ニーナ (トリゴーリンに)ね、いかが、妙な芝居でしょう?
トリゴーリン さっぱりわからなかったです。しかし、面白く拝見しました。あなたの演技は、じつに真剣でしたね。それに装置も、なかなか結構で。(間)この湖には、魚がどっさりいるでしょうな。
ニーナ ええ。
トリゴーリン 僕は釣りが好きでしてね。夕方、岸に坐りこんで、じっと浮子
うき
を見てるほど楽しいことは、ほかにありませんね。
ニーナ でも、いったん創作の楽しみを味わった方には、ほかの楽しみなんか無くなるんじゃないかしら。
アルカージナ (笑い声を立てて)そんなこと言わないほうがいいわ。このかた、ひとから持ちあげられると、尻
しり
もちをつく癖がおありなの。
シャムラーエフ 忘れもしませんが、いつぞやモスクワのオペラ座でね、有名なあのシルヴァ(訳注 イタリアの歌手)が、うんと低いドの音を出したんです。ところがその時、折も折ですな、クレムリンの合唱隊のバスうたいが一人、天井桟敷
さじき
に陣どって見物してたんですが、とつぜん藪
やぶ
から棒に、いやどうも驚くまいことか、その天井桟敷から、「ブラボー、シルヴァ!」と、やってのけた――それが完全に一オクターブ低いやつでね。……まず、こんな具合、――(低いバスで)ブラボー、シルヴァ。……満場シーンとしてしまいましたよ。(間)
ドールン 静寂
しじま
の天使とびすぎぬ。(訳注 一座が急にシーンとしたときに言うことば)
ニーナ わたし、行かなくちゃ。さようなら。
アルカージナ どこへいらっしゃるの? こんなに早くから? 放しちゃあげませんよ。
ニーナ パパが待ってますから。
アルカージナ なんてパパでしょうね、ほんとに……(キスを交す)じゃ、仕方がないわ。お帰しするの、ほんとに残念だけれど。
ニーナ わたしだって、おいとまするの、どんなに辛いかわかりませんわ!
アルカージナ 誰かお送りするといいんだけれど、心配よ。
ニーナ (おどおどして)まあそんな、いいんですの!
ソーリン (哀願するように彼女に)もっと、いてくださいよ!
ニーナ 駄目
だめ
なんですの、ソーリンさん。
ソーリン せめて一時間――とまあいった次第でね。いいじゃありませんか、ほんとに……
ニーナ (ちょっと考えて、涙声で)いけませんわ! (握手して、足早に退場)
アルカージナ 気の毒な娘さんだこと、まったく。人の話だと、あの子の母親が亡

くなる前、莫大
ばくだい
な財産を一文のこらず、すっかりご主人の名義に書きかえたんですって。それを今度はあの父親が、後添いの名義にしてしまったもので、今じゃあの子、はだか同然の身の上なのよ。ひどい話ですわ。
ドールン さよう、あの子の親父
おやじ
さんは相当な人でなしでね、一言の弁解の余地もありませんや。
ソーリン (冷えた両手をこすりながら)われわれももう行こうじゃありませんか、皆さん。だいぶじめじめしてきたわい。わたしゃ、脚
あし
がずきずきする。
アルカージナ あんたの脚は、まるで木で作ったみたい。歩くのもやっとなのね。さ、参りましょう、みじめなお爺
じい
さん。(彼の腕をささえる)
シャムラーエフ (妻に片手をさしのべて)マダーム?
ソーリン ほら、また犬が吠

えている。(シャムラーエフに)お願いだが、なあシャムラーエフさん、あの犬を放してやるように言ってくださらんか。
シャムラーエフ 駄目ですな、ソーリンさん、穀倉に泥棒がはいると困りますからな。なにしろわたしのキビが納めてあるんでね。(並んで歩いているメドヴェージェンコに)完全に一オクターブ低いやつでね、「ブラボー、シルヴァ!」それが君、専門の歌手じゃなくて、たかが教会の歌うたいなんですからね。
メドヴェージェンコ 給料はどれくらいでしょうかね、クレムリンあたりの歌うたいだと?

ドールンのほか一同退場。

ドールン (ひとり)ひょっとすると、おれは何にもわからんのか、それとも気がちがったのかも知れんが、とにかくあの芝居は気に入ったよ。あれには、何かがある。あの娘が孤独のことを言いだした時や、やがて悪魔の紅
あか
い目玉があらわれた時にゃ、おれは興奮して手がふるえたっけ。新鮮で、素朴だ。……ほう、先生やって来たらしいぞ。なるべく気の引立つようなことを言ってやりたいものだ。
トレープレフ (登場)もう誰もいない。
ドールン 僕がいます。
トレープレフ 僕を庭じゅう捜しまわってるんだ、あのマーシャのやつ。やりきれない女だ。
ドールン ねえトレープレフ君、僕は君の芝居が、すっかり気に入っちまった。ちょいとこう風変りで、しかも終りのほうは聞かなかったけれど、とにかく印象は強烈ですね。君は天分のある人だ、ずっと続けてやるんですね。

トレープレフはぎゅっと相手の手を握り、いきなり抱きつく。

ドールン ひゅッ、なんて神経質な。涙をためたりしてさ。……僕の言いたいのはね、いいですか――君は抽象観念の世界にテーマを仰いだですね。これは飽

くまで正しい。なぜなら、芸術上の作品というものは必ず、何ものか大きな思想を表現すべきものだからです。真剣なものだけが美しい。なんて蒼
あお
い顔をしてるの!
トレープレフ じゃあなたは――続けろと言うんですね?
ドールン そう。……しかしね、重要な、永遠性のあることだけを書くんですな。君も知ってのとおり、僕はこれまでの生涯を、いろいろ変化をつけて、風情
ふぜい
を失わずに送ってきた。僕は満足ですよ。だが、まんいち僕が、芸術家が創作にあたって味わうような精神の昂揚
こうよう
を、ひょっと一度でも味わうことができたとしたら、僕はあえて自分をくるんでいる物質的な上
うわ
っ面
つら
や、それにくっついている一切を軽蔑
けいべつ
して、この地上からスーッと舞いあがったに相違ないな。
トレープレフ お話中ですが、ニーナさんはどこでしょう?
ドールン それに、もう一つ大事なのは、作品には明瞭
めいりょう
な、ある決った思想がなければならんということだ。なんのために書くのか、それをちゃんと知っていなければならん。でなくて、一定の目当てなしに、風景でも賞しながら道を歩いて行ったら、君は迷子になるし、われとわが才能で身を滅ぼすことになる。
トレープレフ (じれったそうに)どこにいるんです。ニーナさんは?
ドールン うちへ帰ったですよ。
トレープレフ (絶望的に)ああ、どうしよう? 僕はあの人に会いたいんだ。……ぜひ会わなくちゃ。これから行ってこよう……

マーシャ登場。

ドールン (トレープレフに)まあ落着きたまえ、君。
トレープレフ とにかく行ってきます。行かなくちゃならんのです。
マーシャ うちへおはいりになって、ねトレープレフさん。お母さまがお待ちかねよ。心配してらっしゃるわ。
トレープレフ そう言ってください、ぼくは出かけたって。君たちみんなも、どうぞ僕をほっといてくれたまえ! ほっといて! あとをつけ回さないでさ!
ドールン まあまあまあ、君……そんな滅茶
めちゃ
な。……いけないなあ。
トレープレフ (涙声で)さようなら、ドクトル。感謝します……(退場)
ドールン (ため息をついて)若い、若いなあ!
マーシャ ほかに言いようがなくなると、みなさんおっしゃるのね――若い、若いって……(かぎタバコをかぐ)
ドールン (タバコ入れを取上げて、茂みの中へ投げる)けがらわしい! (間)うちの中では、カルタをやってるらしい。どれ、行くとするか。
マーシャ ちょっと待って。
ドールン なんです?
マーシャ もう一ぺん、あなたに聞いて頂きたいことがあるの。ちょっと聞いて頂きたいの。……(興奮して)わたし、うちの父は好きじゃないけれど……あなたには、おすがりしていますの。なぜだか知らないけれど、わたし心底から、あなたが親身
しんみ
なかたのような気がしますの。……どうぞ助けてください。ね、助けて。さもないとわたし、ばかなことをしたり、自分の生活をおひゃらかして、滅茶々々にしちまうわ。……もうこれ以上わたし……
ドールン どうしたんです? 何を助けろと言うんです?
マーシャ わたし辛
つら
いんです。誰も、誰ひとり、この辛さがわかってくれないの! (相手の胸に頭を押しあて、小声で)わたし、トレープレフを愛しています。
ドールン なんてみんな神経質なんだ! なんて神経質なんだ! それに、どこもかしこも恋ばかしだ。……おお、まどわしの湖よ、だ! (やさしく)だって、この僕に一体、何がしてあげられます、ええ? 何が? え、何が?
――幕――
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第二幕

クロケットのコート。右手奥に、大きなテラスのついた家。左手には湖が見え、太陽が反射してきらきらしている。そこここに花壇。まひる。炎暑。コートの横手、菩提樹
ぼだいじゅ
の老木のかげにベンチが一脚。それにアルカージナ、ドールン、マーシャがかけている。ドールンの膝
ひざ
には、本が開けてある。

アルカージナ (マーシャに)じゃ、立ってみましょう。(ふたり立ちあがる)こうして並んでね。あんたは二十二、わたしはかれこれその倍よ。ね、ドールンさん、どっちが若く見えて?
ドールン あなたです、もちろん。
アルカージナ そうらね……で、なぜでしょう? それはね、わたしが働くからよ、物事に感じるからよ、しょっちゅう気を使っているからよ。ところがあんたときたら、いつも一つ所にじっとして、てんで生きちゃいない。……それにわたしには、主義があるの――未来を覗
のぞ
き見しない、というね。わたしは、年のことも死のことも、ついぞ考えたことがないわ。どうせ、なるようにしかならないんだもの。
マーシャ わたしは、こんな気がしますの――まるで自分が、もうずっと昔から生れているみたいな。お儀式用のあの長ったらしいスカートよろしく、自分の生活をずるずる引きずってるみたいな気がね。……生きようなんて気持が、てんでなくなることだってよくありますわ。(腰をおろす)でも、くだらないわね、そんなこと。奮起一番、こんな妄念
もうねん
は叩
たた
きださなくちゃいけないわ。
ドールン (小声で口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……(訳注 グーノーの歌劇『ファウスト』第三幕、ジーベルの詠唱より)

アルカージナ それにわたしは、イギリス人みたいにキチンとしているわ。わたしはね、いいこと、いわばピンと張りつめた気持でね、身なりだって髪かたちだって、いつも Comme il faut
しゃんとして
いますよ。一あし家
うち
を出るにしたって、よしんば、ほら、こうして庭へ出る時でも、――部屋着
ブルーズ
のまま髪も結わずに、なんてことがあったかしら? とんでもない。わたしがこうしていつまでも若くていられるのは、そこらの連中みたいにぐうたらな真似
まね
をしたり、自分を甘やかしたりしなかったおかげですよ。……(両手を腰にあてて、コートを歩きまわる)ほらね、――ピヨピヨ雛
ひよ
っ子よ。十五の小娘にだってなって見せるわ。
ドールン まあまあ、それはそうとして、僕は先を続けますよ。(本を手にとって)ええと、粉屋と鼠
ねずみ
のとこでしたね。……
アルカージナ その鼠のところ。読んでちょうだい。(腰かける)でも、貸してごらんなさい、わたしが読むわ。こんどはわたし。(本をうけ取って、眼でさがす)鼠と……ああここだ。……(読む)「だからもちろん、社交界の婦人たちが小説家をちやほやして、これを身辺へ近づけるがごときは、その危険なること、粉屋が鼠を納屋
なや
に飼っておくのと一般である。にもかかわらず、小説家は依然としてヒイキにされる。かくて、女性がこれぞと思う作家に狙
ねら
いをつけて、これをサロンに手なずけておこうという段になると、彼女はお世辞、お愛想、お追従
ついしょう
の限りをつくして包囲攻撃を加える」……ふん、フランスじゃそうかも知れないけれど、このロシアじゃ、そんな目論見
もくろみ
もへったくれもありゃしない。ロシアの女はまず大抵、作家を手に入れる前に、自分のほうが首ったけの大あつあつになっちまう。いやはやだわ。手近なところで、たとえばこのわたしとトリゴーリンだっても……

ソーリンが杖
つえ
にたよりながら登場。ならんでニーナ。そのあとからメドヴェージェンコが、空っぽの肘
ひじ
かけ椅子
いす
(訳注 車のついた)を押してくる。

ソーリン (子供をあやすような調子で)ああ、そうなの? 嬉
うれ
しくって堪
たま
らないの? 今日はみんな浮き浮きってわけかな、早い話が? (妹に)嬉しいことがあるんだよ! お父さんと、ままおっ母

さんが、トヴェーリへ行っちまったんで、ぼくたちまる三日というもの、のうのうと羽根がのばせるんだ。
ニーナ (アルカージナの隣に腰かけ、彼女に抱きつく)わたしほんとに幸福! これでもうわたし、あなた方のものですわ。
ソーリン (自分の肘かけ椅子にかける)今日はこの人、じつにきれいだなあ。
アルカージナ おめかしして、ほれぼれするみたい。(ニーナにキスする)でも、あんまり褒

め立てちゃいけないわ、鬼が妬

きますからね。トリゴーリンさんはどこ?
ニーナ 水浴び場で、釣りをしてらっしゃるの。
アルカージナ よく飽きないものねえ! (つづけて読もうとする)
ニーナ それ、なんですの?
アルカージナ モーパッサンの『水の上』よ。(二、三行ほど黙読する)ふん、あとはつまらない嘘
うそ
っぱちだ。(本を閉じる)わたし、なんだか気持が落着かない。うちの子は、一体どうしたんでしょうねえ? どうしてあんなつまらなそうな、けわしい顔つきをしてるんだろう? あの子はもう何日も、ぶっ続けに湖へばかり行っていて、わたしおちおち顔を見る時もないの。
マーシャ くさくさしてらっしゃるんですわ。(ニーナに向って、おずおずと)ねえ、あの人の戯曲をどこか、読んでくださらない!
ニーナ (肩をすくめて)あら、あれを? とてもつまんないのよ!
マーシャ (感激をおさえながら)あの人が自分で何か朗読なさると、眼が燃えるようにきらきらして、顔が蒼
あお
ざめてくるんですわ。憂
うれ
いをふくんだ、きれいな声で、身のこなしは詩人そっくり。

ソーリンのいびきが聞える。

ドールン ごゆるりと!
アルカージナ ねえ、ペトルーシャ!
ソーリン ああ?
アルカージナ 寝てらっしゃるの?
ソーリン いいや、どうして。

間。

アルカージナ あなたは療治をなさらない、いけないわ、兄さん。
ソーリン 療治したいのは山々だが、このドクトルが、してやろうとおっしゃらん。
ドールン 六十の療治ですか!
ソーリン 六十になったって、生きたいさ。
ドールン (吐き出すように)ええ! じゃ、カノコ草
そう
の水薬(訳注 カノコ草の根から製した鎮静剤)でもやるですな。
アルカージナ どこか、温泉にでも行ったらいいんじゃないかしら。
ドールン ほほう? 行くのもよし、行かないのもまたよしですな。
アルカージナ ややこしいわね。
ドールン ややこしいも何もない。はっきりしてますよ。

間。

メドヴェージェンコ ソーリンさんは、タバコをやめるべきでしょうな。
ソーリン くだらん。
ドールン いや、くだらんどころじゃない。酒とタバコは、個性を失わせますよ。シガー一本、ウオトカ一杯やったあとのあなたは、もはやソーリン氏ではなくて、ソーリン氏プラス誰かしら、なんです。自我がだんだんぼやけて、あなたは自分に対して、あたかも第三者――つまり“彼”に対するような態度になるわけです。
ソーリン (笑って)あんたは勝手に理屈をならべるがいいさ。人生の盛りを楽しんだ人だからね。ところが僕はどうだ? 司法省に二十八年も勤めはしたが、まだ生活をしたことがない、何一つ味わったことがない、早い話がね。だからさ、生きたくって堪らないのは、わかりきった話じゃないですか。あんたは腹がいっぱいで、泰然と構えていなさる。それで哲学に趣味をもちなさる。ところが僕は、生きたいものだから、夕食にシェリー〔酒〕をやったり、シガーをふかしたり、とまあいった次第でさ。それだけの事ですよ。
ドールン 命というものは、もっと大事に扱うものです。六十になって療治をしたり、若い時の楽しみが足りなかったと悔んだりするのは、失礼ながら軽率というものですよ。
マーシャ (立ちあがる)もう午食
おひる
の時間よ、きっと。(だらけた気力のない歩き方をする)足がしびれたわ。……(退場)
ドールン ああして行って、午食の前に〔ウオトカを〕二杯ひっかけるんだ。
ソーリン わが身に仕合せのない娘

だからね、可哀
かわい
そうに。
ドールン つまらんことを、ええ閣下。
ソーリン そらそれが、腹いっぱい食った人の理屈さ。
アルカージナ あーあ、およそ退屈といったら、この親愛なる田舎
いなか
の退屈さに、まさるものなしだわね! 暑くて、静かで、誰もなんにもせずに、哲学ばかりやって。……ねえ皆さん、こうしてごいっしょにいるのもいいし、お話を伺ってるのも楽しいわ。だけど……ホテルの部屋に引っこもって、書き抜きを詰めこむ時のほうが――どんなにましだか知れやしない!
ニーナ (感激して)すばらしいわ! わたし、わかりますわ。
ソーリン むろん、都会のほうがいいさ。書斎に引っこんでる。取次ぎなしには誰も通しはせん。用事は電話……往来にゃ辻
つじ
馬車が通る、とまあいった次第でな……
ドールン (口ずさむ)「ことづてよ、おお、花々」……

シャムラーエフ登場。つづいて、ポリーナ。

シャムラーエフ ほう、皆さんお揃
そろ
いだ。こんにちは! (アルカージナの手に、つづいてニーナの手に接吻
せっぷん
する)ご機嫌うるわしくて何よりです。家内の話では、あなたのお伴
とも
をして今日、町へ出かけるそうですが、ほんとでしょうか?
アルカージナ ええ、そのつもりなの。
シャムラーエフ ふむ。……それも結構ですが、しかし何に乗って行かれますかな、奥さま? 今日はライ麦を運ぶ日なので、男衆はみんな手がふさがっております。それに一体、どんな馬を使うおつもりですな、ひとつ伺いたいもんで。
アルカージナ どんな馬? 知るもんですか――そんなこと!
ソーリン うちには、よそ行きのやつがあるはずだが。
シャムラーエフ (興奮して)よそ行きの? では、頸輪
くびわ
はどうすればいいのです? どこから持ってくればよろしいんです? こりゃ驚いた! さっぱりわからん! ねえ奥さん! 失礼ながら、わたしはあなたの才能を崇拝して、あなたのためなら、十年の命を投げだすのもいといませんが、しかし馬は絶対ご用だてできません!
アルカージナ でも、わたしがどうしても出かけなけりゃならないとしたらどう? 妙な話だこと!
シャムラーエフ 奥さん! あなたはわかっておいでなさらん、農家の経営というものが!
アルカージナ (カッとして)また例の御託
ごたく
が始まった! そんならよござんす、わたし今日すぐモスクワへ帰るから。村へ行って、馬をやとってくるよう言いつけてください。それも駄目なら、駅まで歩いて行きます!
シャムラーエフ (カッとして)そういうことなら、わたしは辞職します! べつの支配人をおさがしなさい! (退場)
アルカージナ 毎とし夏になると、こうだわ。毎夏、わたしはここへ来て厭
いや
な目にあわされるんだわ! もうここへは足ぶみもしない! (左手へ退場。そこに水浴び場がある気持。やがて、彼女が家に歩いて行くのが見える。そのあとにトリゴーリンが、釣竿
つりざお
と手桶
ておけ
をさげてつづく)
ソーリン (カッとして)理不尽にもほどがある! 一体なんたることだ! つくづくもう厭になったよ、早い話がな。即刻ここへ、ありったけの馬を出させるがいい!
ニーナ (ポリーナに)アルカージナさんのような、有名な女優さんにさからうなんて! そのお望みとあれば、たとえ気まぐれにしたって、お宅の経営よりか大切じゃありませんの? 呆
あき
れて物も言えないわ!
ポリーナ (身も世もあらず)どうしろとおっしゃるの? わたしの身にもなってちょうだい、どうすればいいと仰しゃるの?
ソーリン (ニーナに)さ、妹のところへ行きましょう。……みんなで、あれが発

って行かないように、頼んでみましょう。ね、どうです? (シャムラーエフの去った方角を見やって)まったくやりきれん男だ! 暴君だ!
ニーナ (彼の立とうとするのを遮
さえぎ
りながら)坐
すわ
ってらっしゃい、坐って。……わたしたちがお連れしますわ。……(メドヴェージェンコと二人で椅子を押す)ああ、ほんとに厭だこと!……
ソーリン そう、まったく厭なことだ。……でもね、あの男は出て行きはしない。わたしが今すぐ、話をつけるからね。(三人退場。ドールンとポリーナだけ残る)
ドールン 厄介
やっかい
な連中だなあ。本来なら、あんたのご亭主をポイとおっぽり出せばいいものを、それがとどのつまりは、あの年寄り婆
ばあ
さんみたいなソーリン先生が、妹とふたりがかりで、詫

びを入れるのが落ちですよ。まあ見てらっしゃい!
ポリーナ あの人は、よそ行きの馬まで野良
のら
へ出したんですの。それに、こんな行き違いは毎日のことなのよ。そのためどれほどわたしが苦労するか、わかってくだすったらねえ! これじゃ病気になってしまうわ。ほらね、顫
ふる
えがついてるわ。……わたし、あの人のがさつさには愛想がつきた。(哀願するように)エヴゲーニイ、ね、大事ないとしいエヴゲーニイ、わたしを引取ってちょうだい。……わたしたちの時は過ぎてゆくわ、おたがいもう若くはないわ。せめて一生のおしまいだけでも、かくれたり、嘘
うそ
をついたりせずにいたい……(間)
ドールン 僕は五十五ですよ、今さら生活を変えようたってもう遅い。
ポリーナ わかってるわ、そう言って逃げをお打ちになるのも、わたしのほかに、身近な女の人が、幾らもおありだからよ。みんな引取るわけにはいきませんものね。わかってますわ。こんなこと言ってご免なさい、もう飽きられてしまったのにね。

ニーナが家のほとりに現われる。彼女は花を摘む。

ドールン そんなばかなことが。
ポリーナ わたし、嫉妬
しっと
でくるしいのよ。そりゃ、あなたはお医者さんだから、婦人を避けるわけにはいかない。それはわかるけれど……
ドールン (近づいて来たニーナに)どうです。あちらの様子は?
ニーナ アルカージナさんは泣いてらっしゃるし、ソーリンさんはまた喘息
ぜんそく
よ。
ドールン (立ちあがる)どれ行って、カノコ草の水薬でも、ふたりに飲ませるか。……
ニーナ (彼に花をわたして)どうぞ!
ドールン こりゃどうも
メルシ・ビエン
。(家のほうへ行く)
ポリーナ (いっしょに行きながら)まあ、可愛
かわい
らしい花だこと! (家のほとりで、声を押し殺して)その花をちょうだい! およこしなさいったら! (花を受けとり、それを引きむしって、わきへ捨てる。ふたり家にはいる)
ニーナ (ひとり)有名な女優さんが、それもあんなつまらないことで泣くなんて、どう見ても不思議だわねえ! もう一つ不思議と言えば、名高い小説家で、世間の人気者で、わいわい新聞に書き立てられたり、写真が売りだされたり、外国で翻訳まで出ている人が、一日じゅう釣りばかりして、ダボハゼが二匹釣れたってにこにこしてるなんて、これも変てこだわ。わたし、有名な人って、そばへも寄れないほどえばりくさって、世間の人間を見くだしているものと思っていた。家柄だの財産だのを、無上のものと崇
あが
め奉
たてまつ
る世間にたいして、自分の名誉やぱりぱりの名声でもって、仕返しをする気なのだろうと思っていた。ところがどうでしょう、泣いたり、釣りをしたり、カルタをやったり、笑ったり、一向みんなと違やしない。……
トレープレフ (無帽で登場。猟銃と、鴎
かもめ
の死骸
しがい
を持つ)一人っきりなの?
ニーナ ええ、そう。

トレープレフ、鴎を彼女の足もとに置く。

ニーナ どういうこと、これ?
トレープレフ 今日ぼくは、この鴎を殺すような下劣な真似
まね
をした。あなたの足もとに捧
ささ
げます。
ニーナ どうかなすったの? (鴎を持ちあげて、じっと見つめる)
トレープレフ (間をおいて)おっつけ僕も、こんなふうに僕自身を殺すんです。
ニーナ すっかり人が違ったみたい。
トレープレフ ええ、あなたが別人みたいになって以来。あなたの態度は、がらり変ってしまいましたね。目つきまで冷たくなって、僕がいるとさも窮屈そうだ。
ニーナ 近ごろあなたは怒りっぽくなって、何か言うにもはっきりしない、へんな象徴みたいなものを使うのね。現にこの鴎にしたって、どうやら何かの象徴らしいけれど、ご免なさい、わたしわからないの。……(鴎をベンチの上に置く)わたし単純すぎるもんだから、あなたの考えがわからないの。
トレープレフ ことの起りはね、僕の脚本があんなぶざまな羽目になった、あの晩からなんです。女というものは、失敗を赦
ゆる
しませんからね。僕はすっかり焼いちまった、切れっぱし一つ残さずにね。僕がどんなにみじめだか、あなたにわかったらなあ! あなたが冷たくなったのが、僕は怖
おそ
ろしい、あり得べからざることのような気がする。まるで目がさめてみると、この湖がいきなり干あがっていたか、地面へ吸いこまれてしまっていたみたいだ。今しがたあなたは、単純すぎるもんだから僕の考えがわからない、と言いましたね。ああ、なんのわかることがいるもんですか あの脚本が気にくわない、それで僕のインスピレーションを見くびって、あなたは僕を、そのへんにうようよしている平凡なくだらん奴
やつ
らといっしょにしてるんだ。……(とんと足ぶみして)わかってるさ、ちゃんと知ってるんだ! 僕は脳みそに、釘
くぎ
をぶちこまれたような気持だ。そんなもの、僕の血をまるで蛇
へび
みたいに吸って吸って吸いつくす自尊心もろとも、呪
のろ
われるがいいんだ。……(トリゴーリンが手帳を読みながら来るのを見て)そうら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ、やっぱり本を持ってね。……(嘲弄
ちょうろう
口調で)「言葉、ことば、ことば」か……まだあの太陽がそばへこないうちから、あなたはもうにっこりして、目つきまであの光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ。(足早に退場)
トリゴーリン (手帳に書きこみながら)かぎタバコを用い、ウオトカを飲む。……いつも黒服と。教師が恋する……
ニーナ ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
トリゴーリン ご機嫌よう。じつは思いがけない事情のため、われわれはどうやら今日発

つことになりそうです。あなたとまたいつお会いできるかどうか。いや、残念です。わたしは、ごくたまにしか若いお嬢さん――若くてしかもきれいなお嬢さんに、会う機会がないもので、十八、九の年ごろには一体どんな気持でいるものか、とんと忘れてしまって、どうもはっきり頭に浮ばんのです。だから、わたしの作品に出てくる若い娘たちは、大抵作りものですよ。わたしはせめて一時間でもいいから、あなたと入れ代りになって、あなたの物の考え方や、全体あなたがどういう人かを、とっくり知りたいと思いますよ。
ニーナ わたしは、ちょいちょいあなたと入れ代りになってみたいわ。
トリゴーリン なぜね?
ニーナ 有名な、りっぱな作家が、どんな気持でいるものか、知りたいからですわ。有名って、どんな気がするものかしら? ご自分が有名だということを、どうお感じになりまして?
トリゴーリン どうって? まあ別になんともないでしょうね。そんなこと、ついぞ考えたこともありませんよ。(ちょっと考えて)二つのうち、どっちかですな――わたしの名声をあなたが大げさに考えているか、それとも、名声というものがおよそ実感としてピンとこないかね。
ニーナ でも、自分のことが新聞に出ているのをご覧になったら?
トリゴーリン 褒

められればいい気持だし、やっつけられると、それから二日は不機嫌を感じますね。
ニーナ すばらしい世界だわ! どんなにわたし羨
うらや
ましいか、それがわかってくだすったらねえ! 人の運命って、さまざまなのね。退屈な、人目につかない一生を、やっとこさ曳

きずっている、みんな似たりよったりの、不仕合せな人たちがいるかと思うと、一方にはあなたのように、――百万人に一人の、面白い、明るい、意義にみちた生活を送るめぐり合せの人もある。あなたはお仕合せですわ。……
トリゴーリン わたしがね? (肩をすくめて)ふむ。……あなたは、名声だの幸福だの、何かこう明るい面白い生活だのと仰しゃるが、わたしにとっては、そんなありがたそうな言葉はみんな、失礼ながら、わたしが食わず嫌いで通しているマーマレードと同じですよ。あなたはとても若くて、とても善良だ。
ニーナ あなたの生活は、すてきな生活ですわ!
トリゴーリン べつにいいとこもありませんねえ。(時計を出して見る)わたしは、これから行って書かなければならん。ま赦
ゆる
してください、暇がないんです。……(笑う)あなたはね、世間で言う「人の痛い肉刺
まめ
」を、ぐいと踏んづけなすった。そこでわたしは、このとおり興奮して、いささか向っ腹を立てているんです。だがまあ、しばらくお話しましょうか。そのわたしの、すばらしい、明るい生活のことをね。……さてと、何から始めたものか? (やや考えて)強迫観念というものがありますね。人がたとえば月なら月のことを、夜も昼ものべつ考えていると、それになるのだが、わたしにもそんな月があるんです。夜も昼も、一つの考えが、しつこく私にとっついて離れない。それは、書かなくちゃならん、書かなくちゃ、書かなくちゃ……というやつです。やっと小説を一つ書きあげたかと思うと、なぜか知らんがすぐもう次のに掛からなければならん、それから三つ目、三つ目のお次は四つ目……といった具合。まるで駅逓
えきてい
馬車みたいに、のべつ書きどおしで、ほかに打つ手がない。そのどこがすばらしいか、明るいか、ひとつ伺いたいものだ。いやはや、野蛮きわまる生活ですよ! 今こうしてあなたとお喋
しゃべ
りをして、興奮している。ところがその一方、書きかけの小説が向うで待っていることを、一瞬たりとも忘れずにいるんです。ほらあすこに、グランド・ピアノみたいな恰好
かっこう
の雲が見える。すると、こいつは一つ小説のどこかで使ってやらなくちゃ、と考える。グランド・ピアノのような雲がうかんでいた、とね。ヘリオトロープの匂
にお
いがする。また大急ぎで頭
ここ
へ書きこむ。甘ったるい匂
にお
い、後家さんの色、こいつは夏の夕方の描写に使おう、とね。こうして話をしていても、自分やあなたの一言一句を片っぱしから捕
つか
まえて、いそいで自分の手文庫のなかへほうりこむ。こりゃ使えるかも知れんぞ! というわけ。一仕事すますと、芝居なり釣りなりに逃げだす。そこでほっと一息ついて、忘我の境にひたれるかと思うと、どっこい、そうは行かない。頭のなかには、すでに新しい題材という重たい鉄のタマがころげ回って、早く机へもどれと呼んでいる。そこでまたぞろ、大急ぎで書きまくることになる。いつも、しょっちゅうこんなふうで、われとわが身に責め立てられて、心のやすまるひまもない。自分の命を、ぼりぼり食っているような気持です。何者か漠然
ばくぜん
とした相手に蜜
みつ
を与えようとして、僕は自分の選

り抜きの花から花粉をかき集めたり、かんじんの花を引きむしったり、その根を踏み荒したりしているみたいなものです。それで正気と言えるだろうか? 身近な連中や知り合いが、果してわたしをまともに扱ってくれてるだろうか? 「いま何を書いておいでです? こんどはどんなものです?」聞くことと言ったら同じことばかり。それでわたしは、知り合いのそんな注目や、讃辞
さんじ
や、随喜の涙が、みんな嘘っぱちで、寄ってたかってわたしを病人あつかいにして、いい加減な気休めを言っているみたいな気がする。うかうかしてると、誰かうしろから忍び寄って来て、わたしをとっつかまえ、あのポプリーシチン(訳注 ゴーゴリの『狂人日記』の主人公)みたいに、気違い病院へぶちこむんじゃないかと、こわくなることもある。それじゃ、わたしがやっと物を書きだしたころ、まだ若くて、生気にあふれていた時代はどうかというと、これまたわたしの文筆生活は、ただもう苦しみの連続でしたよ。駆けだしの文士というものは、殊
こと
に不遇な時代がそうですが、われながら間の抜けた、不細工な余計者みたいな気のするものでしてね、神経ばかりやたらに尖
とが
らせて、ただもう文学や美術にたずさわっている人たちのまわりを、ふらふらうろつき回らずにはいられない。認めてももらえず、誰の目にもはいらず、しかもこっちから相手の眼を、まともにぐいと見る勇気もなく――まあ言ってみれば、一文なしのバクチきちがいといったざまです。わたしは自分の読者に会ったことはなかったけれど、なぜかわたしの想像では、不愛想な疑ぐりぶかい人種のように思えましたね。わたしは世間というものが恐
こわ
かった。ものすごい怪物のような気がした。自分の新作物が上演されるようなことになると、いつもきまって、黒い髪の毛の人は敵意を抱
いだ
いている、明るい髪の毛の人は冷淡な無関心派だと、そんな気がしたものです。思いだしてもぞっとする! じつになんとも言えない苦しみでした!
ニーナ ちょっとお待ちになって。でも、感興が湧

いてきた時や、創作の筆がすすんでいる時は、崇高な幸福の瞬間をお味わいになりません?
トリゴーリン それはそうです。書いているうちは愉快です。校正をするのも愉快だな。だが……いざ刷りあがってしまうと、もう我慢がならない。こいつは見当が狂った、しくじった、いっそ書かないほうがよかったのだと、むしゃくしゃして、気が滅入
めい
るんですよ。……(笑う)ところが、世間は読んでくれて、「なるほど、うまい、才筆だな」とか、「うまいが、トルストイには及びもつかんね」とか、「よく書けてる、しかしツルゲーネフの『父と子』のほうが上だよ」とか、仰
おお
せになる。といったわけで、結局、墓にはいるまでは、明けても暮れても「うまい、才筆だ」「うまい、才筆だ」の一点ばりで、ほかに何にもありゃしない。さて死んでしまうと、知り合いの連中が墓のそばを通りかかって、こう言うでしょうよ。「ここにトリゴーリンが眠っている。いい作家だったが、ツルゲーネフには敵
かな
わなかったね」
ニーナ でもちょっと。わたし、そんなお話は頂きかねますわ。あなたは、成功に甘えてらっしゃるんだわ。
トリゴーリン どんな成功にね? わたしはついぞ、自分でいいと思ったことはありませんよ。わたしは作家としての自分が好きじゃない。何よりも悪いことに、わたしは頭がもやもやしていて、自分で何を書いているのかわからないんです。……わたしはほら、この水が好きだ。木立や空が好きだ。わたしは自然をしみじみ感じる。それはわたしの情熱を、書かずにいられない欲望をよび起す。ところがわたしは、単なる風景画家だけじゃなくて、その上に社会人でもあるわけだ。わたしは祖国を、民衆を愛する。わたしは、もし自分が作家であるならば、民衆や、その苦悩や、その将来について語り、科学や、人間の権利や、その他いろんなことについても語る義務がある、と感じるわけです。そこでわたしは、何もかも喋
しゃべ
ろうとあせる。わたしは四方八方から駆り立てられ、叱
しか
りとばされ、まるで猟犬に追いつめられた狐
きつね
さながら、あっちへすっ飛び、こっちへすっ飛びしているうちに、みるみる人生や科学は前へ前へと進んで行ってしまい、わたしは汽車に乗りおくれた百姓みたいに、ずんずんあとにとり残される。で、とどのつまりは、自分にできるのは、自然描写だけだ、ほかのことにかけては一切じぶんはニセ物だ、骨の髄までニセ物だ、と思っちまうんですよ。
ニーナ あなたは過労のおかげで、自分の値打ちを意識するひまも気持も、ないんですわ。たとえご自分に不満だろうとなんだろうと、ほかの人にとってはあなたは偉大でりっぱな方なのよ! もしわたしが、あなたみたいな作家だったら、自分の全生命を民衆に捧
ささ
げてしまうわ。でも心のなかでは、民衆の幸福はただ、わたしの所まで向上してくることだと、はっきり自覚しますわ。すると民衆は、わたしを祭礼の馬車に乗せて引きまわしてくれるわ。
トリゴーリン ほう、祭礼の馬車か。……アガメンノンですかね、このわたしが! (ふたり微笑する)
ニーナ 女流作家とか女優とか、そんな幸福な身分になれるものなら、わたしは周囲の者に憎まれても、貧乏しても、幻滅しても、りっぱに堪えてみせますわ。屋根うら住まいをして、黒パンばかりかじって、自分への不満だの、未熟さの意識だのに悩んだってかまわない。その代り、わたしは要求するのよ、名声を……ほんとうの、割れ返るような名声を。……(両手で顔をおおう)頭がくらくらする……ああ!
アルカージナの声 (家の中から)トリゴーリンさん!
トリゴーリン わたしを呼んでいる。きっと荷づくりでしょう。だが、発

ちたくないなあ。(湖の方を振返って)なんという自然の恩恵だ!……すばらしい!
ニーナ 向う岸に、家と庭が見えるでしょう?
トリゴーリン ええ。
ニーナ あれが、亡

くなった母の屋敷です。わたし、あすこで生れたの。それからずっと、この湖のそばで暮しているものだから、どんな小さな島でもみんな知っていますわ。
トリゴーリン ここはまったくすばらしい! (鴎
かもめ
を見とめて)なんです、これは?
ニーナ かもめよ。トレープレフさんが射

ったの。
トリゴーリン きれいな鳥だ。いや、どうも発ちたくないなあ。ひとつアルカージナさんを説きつけて、もっといるようにしてください。(手帳に書きこむ)
ニーナ なに書いてらっしゃるの?
トリゴーリン ちょっと書きとめとくんです。……題材が浮んだものでね。……(手帳をしまいながら)ほんの短編ですがね、湖のほとりに、ちょうどあなたみたいな若い娘が、子供の時から住んでいる。鴎のように湖が好きで、鴎のように幸福で自由だ。ところが、ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、娘を破滅させてしまう――ほら、この鴎のようにね。

間。――やがて窓にアルカージナが現われる。

アルカージナ トリゴーリンさん、どこにいらっしゃるの?
トリゴーリン 今すぐ! (行きかけて、ニーナを振返る。窓のそばでアルカージナに)なんです?
アルカージナ わたしたち、このままいることにしますわ。

トリゴーリン、家へはいる。

ニーナ (脚光ちかく歩みよる。やや沈思ののちに)夢だわ!
――幕――
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第三幕

ソーリン家の食堂。左右にドア。食器棚
だな
。薬品の戸棚。部屋の中央にテーブル。旅行カバンが一つ、帽子のボール箱が幾つか。出立
しゅったつ
の用意が見てとられる。トリゴーリンが朝食(訳注 だいたい早おひるの時刻)をしたため、マーシャはテーブルのそばに立っている。

マーシャ これはみんな、作家としてのあなたにお話しするんです。お使いになってもかまいません。良心にかけて言いますけれど、あの人の傷が重傷だったら、わたし一分間たりと生きてはいなかったでしょう。でも、わたしはこれで勇気があります。だから、きっぱり決心しました。この恋を胸
ここ
から引っこ抜いてしまおうと。根ごと一思いにね。
トリゴーリン どんな具合にね?
マーシャ 嫁に行くんです。メドヴェージェンコのところへ。
トリゴーリン あの教師
せんせい
のところへね?
マーシャ ええ。
トリゴーリン わからんな。なんの必要があって。
マーシャ 望みもないのに恋をして、何年も何年も何か待っているなんて……。いったん嫁に行ってしまえば、もう恋どころじゃなくなって、新しい苦労で古いことはみんな消されてしまう。それだけでも、ね、変化じゃありませんか。いかが、もう一つ?
トリゴーリン 過ぎやしないかな?
マーシャ なあに、平気! (一杯ずつつぐ)そんなに人の顔を見ないでください。女というものは、あなたの考えてらっしゃるより、よく飲みますわよ。わたしみたいに大っぴらにやるのは少ないけれど、こっそり飲むのは大勢いますわ。そうよ。しかもきまって、ウオトカかコニャックですわ。(杯を当てて)プロジット! あなたは、さっぱりした方ね。お別れするの残念ですわ。(ふたり飲みほす)
トリゴーリン わたしだって、発

ちたくはないんだが。
マーシャ だからあの人に、もっといるようにお頼みになったら。
トリゴーリン いや、もういるつもりはないでしょう。なにしろあの息子
むすこ
が、でたらめばかりやらかすんでね。ピストル自殺をやりかけたと思えば、今度はこのわたしに、決闘を申しこむとかなんとかいう話だ。一体なんのためかな? ふくれたり、鼻を鳴らしたり、新形式論をまくし立てたり……。いや、座席はまだたっぷりあいている。新しいものにも古いものにもね、――何も押し合うことはない。
マーシャ それに嫉妬
しっと
も手伝ってね。でも、わたしの知った事じゃないわ。

間。ヤーコフが左手から右手へ、トランクをさげて通る。ニーナが登場して、窓ぎわに立ちどまる。

マーシャ わたしのあの教師
せんせい
は、大してお利口さんじゃないけれど、なかなかいい人だし、貧乏だし、それにとてもわたしを愛してくれるの。いじらしくなりますわ。年とったお母さんも、可哀
かわい
そうだし、では、ご機嫌よろしゅう。わるくお思いにならないでね。(かたく握手する)ご親切にいろいろありがとうございました。ご本が出たらお送りくださいね、きっと署名なすってね。ただ、「わが敬愛する」なんてしないで、ただあっさり、「身もとも不明、なんのためこの世に生きるかも知らぬマリヤへ」としてね。さようなら! (退場)
ニーナ (握り挙
こぶし
にした片手を、トリゴーリンのほうへさしのべながら)偶数? 奇数?
トリゴーリン 偶数。
ニーナ (ため息をついて)いいえ。手の中には、豆が一つしかないの。わたし占ってみたのよ、女優になろうか、なるまいかって。誰か、こうしたらと言ってくれるといいんだけれど。
トリゴーリン そんなこと、言える人があるものですか。(間)
ニーナ お別れですわね……多分もう二度とお目にかかる時はないでしょう。どうぞ記念に、この小さなロケットをお受けになって。あなたの頭文字
かしらもじ
を彫らせましたの……こちら側には『昼と夜』と、あなたのご本の題をね。
トリゴーリン じつに優美だ! (ロケットに接吻
せっぷん
する)何よりの贈物です!
ニーナ 時にはわたしのことも思い出してね。
トリゴーリン 思い出しますとも。その思い出すのは、あの晴れた日のあなたの姿でしょうよ――覚えてますか?――一週間まえ、あなたが薄色の服を着てらした時のことを……いろんな話をしましたっけね……それにあの時、ベンチに白い鴎
かもめ
がのせてあった。
ニーナ (物思わしげに)ええ、かもめが……(間)もうお話してはいられません、人が来ます。……お発ちになる前、二分だけわたしにくださいまし、お願い。……(左手へ退場。同時に右手から、アルカージナ、燕尾服
えんびふく
に星章をつけたソーリン、それから荷作りに大童
おおわらわ
のヤーコフが登場)
アルカージナ お年寄りは、ここにじっとしてらっしゃいよ。そんなリョーマチのくせに、お客に出あるく法があるものですか? (トリゴーリンに)いま出て行ったのは誰? ニーナですの?
トリゴーリン ええ。
アルカージナ 失礼
パルドン
、お邪魔しましたわね……(腰をおろす)さあ、どうにかすっかり片づいた。へとへとよ。
トリゴーリン (ロケットの字を読む)『昼と夜』、百二十一ページ、十一と二行。
ヤーコフ (テーブルの上を片づけながら)釣竿
つりざお
もやはり入れますんで?
トリゴーリン そう、あれはまだ要

るからね。本はみな誰かにやってくれ。
ヤーコフ かしこまりました。
トリゴーリン (ひとりごと)百二十一ページ、十一と二行。はて、あすこには何が書いてあったっけ? (アルカージナに)この家に、わたしの本があったかしら?
アルカージナ 兄の書斎の、隅
すみ
っこの棚にありますよ。
トリゴーリン 百二十一ページと……(退場)
アルカージナ ね、ほんとにペトルーシャ、ここにじっとしていらっしゃいよ……
ソーリン お前たちが発

って行くと、あとにぽつねんとしてるのは辛
つら
くてな。
アルカージナ じゃ、町へ行けばどうなの?
ソーリン 格別どうということもないが、だがやっぱりな……(笑う)県会の建物の建て前もあるし、とまあいった次第でな。……せめて一時間でも二時間でも、この穴ごもりのカマス(訳注 シチェドリーンの童話『かしこいカマス』より)みたいな生活から飛び出したいんだよ。そうでもしないと、わたしは古パイプみたいに、棚のすみですっかり埃
ほこり
まみれだからな。一時に馬車を回すように言いつけたから、いっしょに出かけよう。
アルカージナ (間をおいて)じゃ、ここでお暮しなさいね、退屈がらずに、お風邪
かぜ
を召さずにね。あの子の監督をおねがいしますよ。よく気をつけてやってね。導いてやってね。(間)こうしてわたしが発ってゆけば、なぜコンスタンチンがピストル自殺をしようとしたのか、それも知らずじまいになるのね。どうやらわたしには、おもな原因は嫉妬
しっと
だったような気がする。だから一刻も早くトリゴーリンを、ここから連れ出したほうがいいのよ。
ソーリン さあ、なんと言ったものかな? ほかにも原因はあったろうさ。論より証拠――若盛りの頭のある男が、草ぶかい田舎
いなか
ぐらしをしていて、金もなければ地位もなく、未来の望みもないときてるんだからな。なんにもすることがない。そのぶらぶら暮しが、恥ずかしくもあり空怖ろしくもあるんだな。わたしはあの子が可愛
かわい
くてならんし、あれのほうでもわたしに懐
なつ
いてくれるが、だがやっぱり早い話が、あれは自分がこの家の余計もんだ、居候
いそうろう
だ、食客だという気がするんだ。論より証拠、だいいち自尊心がな……
アルカージナ あの子には、ほんとに泣かされるわ! (考えこんで)勤めに出てみたらどうかしら……
ソーリン (口笛を鳴らし、やがてためらいがちに)わたしはね、いちばんの上策は、もしもお前が……あの子に少しばかり金を持たしてやったらどうかと思うよ。何はさておき、あの子も人並の身なりはせにゃならんし、とまあいった次第でな。見てごらん、着たきり雀
すずめ
のぼろフロックを、これでもう三年ごし引きずって、外套
がいとう
も着てない始末じゃないか。……(笑う)それに若い者にゃ、少し気晴らしをさせるもよかろうて。……ひとつ外国へでも出してみるかな。……なあに、大して金もかかるまい。
アルカージナ でもねえ。……まあ、服ぐらいは作ってやれるでしょうけど、外国まではねえ。……いいえ、今のところは、服だって駄目だわ。(きっぱりと)わたし、お金がありません!

ソーリン笑う。

アルカージナ ないのよ!
ソーリン (口笛を鳴らす)なるほどな。いやご免ご免、堪忍
かに
しておくれ。お前の言うとおりだろうとも。……お前は気前のいい、鷹揚
おうよう
な女だからな。
アルカージナ (涙ぐんで)わたし、お金がありません!
ソーリン わたしに金さえありゃ、論より証拠、ぽんとあれに出してやるがな、あいにくとすってけてん、五銭玉一つない。(笑う)わたしの恩給は、のこらず支配人が取りあげおって、農作だ牧畜だ蜜蜂
みつばち
だと使いまわす。そこでわたしの金は、元も子もなくなっちまう。蜂は死ぬ、牛もくたばる。馬だって、ついぞわたしに出してくれたためしがない。……
アルカージナ それはわたしだって、お金のないことはないけれど、なにせ女優ですものね。衣裳
いしょう
代だけでも身代かぎりしちまうわ。
ソーリン お前はいい子だ、可愛い女だ。……わたしは尊敬しているよ。……そうとも。……だが、わたしはまた、どうもなんだか……(よろめく)目まいがする。(テーブルにつかまる)気持が悪い、とまあいった次第でな。
アルカージナ (仰天して)ペトルーシャ! (懸命に彼をささえながら)ペトルーシャ、しっかりして……(叫ぶ)誰か来て。誰か早く!……

頭に包帯したトレープレフと、メドヴェージェンコ登場。

アルカージナ 気持が悪くなったのよ!
ソーリン いやなに、なんでもない……(ほほえんで、水を飲む)もう直った……とまあいった次第でな。……
トレープレフ (母親に)びっくりしないで、ママ、べつに危険はないから。伯父さんは近ごろちょいちょい、これが起るんです。(伯父に)伯父さん、少し横になるんですね。
ソーリン うん、ちょっぴりな。……だが、とにかく町へは行くよ。……ひと休みして出かける……論より証拠だ……(杖
つえ
にすがりながら歩く)
メドヴェージェンコ (腕を支えてやりながら)こんな謎々
なぞなぞ
がありますよ。朝は四つ足、昼は二本足、夕方は三本足……
ソーリン (笑う)そのとおり。そして、夜にゃ仰向けか。いやありがとう、もう一人で行けますよ……
メドヴェージェンコ ほらまた、そんな遠慮を!……(彼とソーリン退場)
アルカージナ ああ、びっくりした!
トレープレフ 伯父さんには、田舎ぐらしが毒なんだ。くさくさするんですよ。もしママが、気前よくポンと千五百か二千貸してあげたら、あの人まる一年は町で暮せるのになあ。
アルカージナ わたしにお金があるもんですか。わたしは女優で、銀行家じゃないもの。

間。

トレープレフ ママ、包帯を換えてくれませんか。あなたは上手
じょうず
だから。
アルカージナ (薬品戸棚からヨードホルムと包帯箱を取り出す)ドクトルは遅いこと。
トレープレフ 十時ごろって言ってたのに、もうお午
ひる
だ。
アルカージナ お坐
すわ
り。(彼の頭から包帯をとる)まるでターバンをしてるみたいだねえ。きのう、よそ者が台所へ来て、お前のことをなに人
じん
かと聞いていたっけ。でも、ほとんどもう癒
なお
ったようだね。あとはほんのちょっぴりだ。(彼の頭に接吻
せっぷん
する)わたしがいなくなってから、またパチンとやりはしないだろうね?
トレープレフ やりゃしませんよ、ママ。あのとき僕、とてつもなく絶望しちまって、つい自制できなかったんです。もう二度とやりはしません。(母の手に接吻する)ああ、この手――お母さんは、じつにまめな人ですね。おぼえてますよ、ずっと昔のこと、あなたがまだ国立の劇場に出ていたころ、――僕はほんの子供だったけれど、――アパートの中庭でけんかがあって、店子
たなこ
の洗濯女がひどくなぐられたことがあったっけ。ね、おぼえてますか? 気絶したその女を、みんなで抱きあげて……それからお母さんは、しじゅうその女を見舞いに行って、薬を持ってってやったり、子供たちに桶
おけ
で行水を使わしたりしましたね。あれ、おぼえてないかしら?
アルカージナ 忘れたわ。(新しい包帯を巻いてやる)
トレープレフ うちと同じアパートに、あのころバレリーナが二人住んでいて……よくお母さんのところへ、コーヒーを飲みに来たっけ……
アルカージナ それは、おぼえていますよ。
トレープレフ ふたりとも、じつに信心ぶかい人でしたね。(間)このごろ、あれ以来の幾日かというもの、僕はまるで子供のころに返ったみたいに、甘えたいような気持で、ただもう一すじに、お母さんを愛しています。あなたのほかに、今じゃ僕には誰ひとりいないんです。ただね、なんだってお母さんは、あんな男に引きずり回されるんです、なぜです?
アルカージナ お前は、あの人がわからないんだよ。えコンスタンチン。あの人は、人格の高いりっぱな人ですよ……
トレープレフ ところが、僕が決闘を申しこもうとしていると人から聞くと、人格者たちまち変じて卑怯者
ひきょうもの
になっちまったってね。いよいよ発

つんでしょう。見ぐるしい脱走だ!
アルカージナ ばかをお言い! ここを発つように頼んだのは、このわたしですよ。
トレープレフ 人格の高いりっぱな人か! やっこさんのおかげで、このとおり母子
おやこ
げんかになりかけてるというのに、今ごろご本人は客間か庭のどこかで、われわれをせせら笑っていることでしょうよ……ニーナを大いに啓発して、彼こそ天才だということを、徹底的にあの子の胸に叩
たた
きこもうと、大童の最中でしょうよ。
アルカージナ お前は、わたしに厭
いや
がらせを言うのが楽しみなんだね。わたしはあの人を尊敬しているのだから、わたしの前じゃあの人のことを悪く言わないでもらいたいね。
トレープレフ ところが僕は尊敬していない。お母さんは、僕にまであの男を天才だと思わせたいんでしょうが、僕は嘘
うそ
がつけないもんで失礼――あいつの作品にゃ虫酸
むしず
が走りますよ。
アルカージナ それが妬
ねた
みというものよ。才能のないくせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこきおろすほかに道はないからね。結構なお慰みですよ!
トレープレフ (皮肉に)ほんものの天才か! (憤然として)こうなったらもう言っちまうが、僕の才能は、あんたがたの誰よりも上なんだ! (頭の包帯をむしりとる)あんたがた古い殻
から
をかぶった連中が、芸術の王座にのしあがって、自分たちのすることだけが正しい、本物だと極

めこんで、あとのものを迫害し窒息させるんだ! そんなもの、誰が認めてやるもんか! 断じて認めないぞ、あんたも、あいつも!
アルカージナ デカダン……!
トレープレフ さっさと古巣の劇場
こや
へ行って、気の抜けたやくざ芝居にでも出るがいいや!
アルカージナ 憚
はばか
りながら、そんな芝居に出たことはありませんよ。わたしにはかまわないどくれ! お前こそ、やくざな茶番
ボードビル
ひとつ書けないくせに。キーエフの町人! 居候
いそろう

トレープレフ けちんぼ!
アルカージナ 宿なし!

トレープレフ腰をおろして、静かに泣く。

アルカージナ いくじなし! (興奮してふらふら歩きながら)泣くんじゃない。泣かないでもいいの。……(泣く)いいんだよ。……(息子
むすこ
の額や頬や頭にキスする)可愛いわたしの子、堪忍
かに
しておくれ。……罪ぶかいお母さんを赦
ゆる
しておくれ。不仕合せなわたしを赦しておくれ。
トレープレフ (母親を抱いて)僕の気持がお母さんにわかったらなあ! 僕は何もかも、すっかり失

くしてしまった。あの人は僕を愛していない、僕はもう書く気がしない……希望がみんな消えちまったんだ……
アルカージナ そう気を落すんじゃない。……みんなうまく行きますよ。あの人は今すぐ発っていくし、あの子もまたお前が好きになるよ。(息子の涙を拭

いてやる)さ、もういい。これで仲直りよ。
トレープレフ (母親の手にキスして)ええ、ママ。
アルカージナ (やさしく)あの人とも仲直りしてね。決闘なんぞいるものかね。……ね、そうだね。
トレープレフ え、いいです。……ただね、ママ、あの男と顔を合せないで済むようにしてください。思っただけでも辛いんです……とても駄目なんです……(トリゴーリン登場)ほら来た。僕出ていきます。……(手早く薬品を戸棚にしまう)包帯はいずれ、ドクトルにしてもらいます……
トリゴーリン (本のページをさがしながら)百二十一ページ……十一と二行。……これだ。……(読む)「もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね」

トレープレフ、床の包帯をひろって退場。

アルカージナ (時計をちらと見て)そろそろ馬車が来ますよ。
トリゴーリン (ひとりごと)もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。
アルカージナ あなたの荷づくりは、もうできたでしょうね?
トリゴーリン (もどかしげに)ええ、ええ……(考えこんで)この清らかな心の呼びかけのなかに、なぜおれには悲哀の声が聞えるんだろう。なぜおれの胸は、切ないほどに緊

めつけられるんだろう?……もしいつか、わたしの命がお入り用になったら、いらして、お取りになってね。(アルカージナに)もう一日、いようじゃないか!

アルカージナ、かぶりを振る。

トリゴーリン ね、いようじゃないか!
アルカージナ あなた、何に後ろ髪を引かれてらっしゃるか、わたしちゃんと知っていますよ。でも、自制力がなくちゃ駄目。ちょっぴり酔ってらっしゃる、正気におなりなさい。
トリゴーリン 君もひとつ正気になってもらいたいな。聡明
そうめい
な、分別のある人間になって、お願いだから、この問題をじっくり見ておくれ、真実の友としてね。……(女の手を握って)君は犠牲になれる人だ。……僕の親友になってくれ、僕を行かせておくれ……
アルカージナ (すっかり興奮して)そんなに夢中なの?
トリゴーリン どうしても惹

きつけられるんだ! ひょっとすると、これこそ僕の求めていたものかも知れない。
アルカージナ たかが田舎娘の愛がね? あなたはなんて自分を知らないんでしょうね!
トリゴーリン 時どき人間は、歩きながら眠ることがある。まさにそのとおりこの僕も、こうして君と話をしていながら、じつはうとうとして、あの子の夢を見ているようなものだ。……なんともいえない甘い夢想の、とりこになってしまったんだ。……行かせておくれ。
アルカージナ (ふるえながら)厭
いや
、厭。……わたしは平凡な女だから、そんな話は、お門
かど
ちがいよ。……いじめないで、わたしを、ボリース。……わたし、こわい……
トリゴーリン その気になりさえすりゃ、非凡な女になれるんだ。幻の世界へ連れていってくれるような、若々しい、うっとりさせる、詩的な愛――この世でただそれだけが、幸福を与えてくれるのだ! そんな愛を、僕はまだ味わったことがない。……若いころは、雑誌社へお百度をふんだり、貧乏と闘ったりで、そんなひまがなかった。今やっとそれが、その愛が、ついにやってきて、手招きしているんだ。……それを避けなければならん理由が、どこにある?
アルカージナ (憤然と)気がちがったのね!
トリゴーリン それでもかまわん。
アルカージナ あんたがたは今日、言い合せたように、寄ってたかってわたしをいじめるのね! (泣く)
トリゴーリン (自分の頭をかかえて)わかってくれない! てんでわかろうとしないんだ!
アルカージナ ほんとにわたし、そんなに老

けて、みっともなくなってしまったの? わたしの前で、ほかの女の話を大っぴらにやれるなんて! (男を抱いてキスする)ああ、あなたは正気じゃないのよ! わたしの大事な、いとしいひと……。あなたこそ――わたしの一生の最後のページよ! (ひざまずく)わたしの悦
よろこ
び、わたしの誇り、わたしの無量の幸福……(彼の膝
ひざ
を抱く)たとえ一時間でもあなたに棄

てられたら、わたしは生きちゃいない、気がちがってしまう。わたしのすばらしい、輝かしい人、わたしの王さま……
トリゴーリン 人が来ますよ。(女をたすけ起す)
アルカージナ いいじゃないの。あなたを愛しているこの気持が、誰に恥ずかしいものですか。(男の両手にキスする)わたしの大事な宝もの、向う見ずな悪いひと、あなたはばかなまねがしたいんでしょうけれど、わたしは厭
いや
です、放しません。……(笑う)あなたは、わたしのものなの、わたしのものよ。この額
ひたい
もわたしのもの。この眼もわたしのもの。このきれいな、絹のような髪の毛も、やっぱりわたしのもの。……あなたはすっかり、わたしのもの。あなたは本当に天才で、聡明で、今のどの作家よりもりっぱで、ロシアのただ一つの希望なのよ。……あなたの筆には、まごころがこもって、じつにすっきりして、新鮮で、おまけに健康なユーモアがあるわ。……あなたはほんの一刷毛
はけ
で、人物や風景のカン所が出せるのね。あなたの人物は生きているわ。あなたのものを読んで、夢中になれずにいられるものですか! これがお世辞だと思うの? わたしのおべっかなの? さ、わたしの眼を見てちょうだい……よく見て……。わたしが嘘
うそ
つきに見えて? そらごらんなさい、あなたの偉さのわかるのは、わたしだけよ。本当のことをあなたに言うのも、わたしだけよ、ね、大事な、可愛
かわい
いひと。……発

つでしょうね? そうでしょ? わたしを棄てはしないことね?
トリゴーリン おれには自分の意志というものがない。……おれはついぞ、自分の意志をもった例
ため
しがないのだ。……気の抜けた、しんのない、いつも従順な男――一体これで女にもてるものだろうか? さ、つかまえて、どこへなり連れて行ってくれ。ただね、一足もそばから放すんじゃないぞ……
アルカージナ (ひとりごと)これで、わたしのものだ。(けろりと、どこを風が吹くといった調子で)でもね、もしお望みなら、お残りになってもいいことよ。わたしは一人で発つから、あなたはあとで、一週間もしたら帰ってらっしゃい。あなたはべつに、急ぐ用もないんですものね。
トリゴーリン いや、こうなったらいっしょに発とう。
アルカージナ お好きなように。いっしょならいっしょでいいわ。……(間)

トリゴーリン、手帳に書きこむ。

アルカージナ なんですの、それ?
トリゴーリン けさ、うまい言い方を聞いたもんでね。「処女の林……」だとさ。これは使える。(伸びをする)じゃ、出かけるんだね? また汽車か、停車場、食堂、カツレツ、おしゃべり……
シャムラーエフ (登場)まことに残念ながら、申しあげます、馬車をお回ししました。どうぞ奥さま、停車場へお出かけの時刻です。汽車は二時五分に着きます。それではアルカージナさま、おそれいりますが、役者のスズダーリツェフが今どこにいますか、お忘れなくお調べねがいますよ。生きているかな? 達者ですかな? むかしはいっしょに飲んだものでしたっけ。あの『郵便強盗』(訳注 十九世紀末のメロドラマの題)なんかやらせると、天下一品でしたな。……あれといっしょに、さよう、エリサヴェトグラードで悲劇役者のイズマイロフが出ておりましたが、これまたなかなかの傑物
えらぶつ
でしてな。……いや奥さま、そうお急ぎになることはありません、まだ五分は大丈夫です。あるメロドラマでね、連中が謀叛人
むほんにん
をやった時でしたが、不意に捕

り手が踏みこむところで「残念、ワナにかかったか」と言うべきところを、イズマイロフは――「残念、ナワにかかったか」とやってね……(哄笑
こうしょう
する)ナワにかかったか!

彼がしゃべっている間に、ヤーコフは旅行カバンの世話をやき、小間使は帽子やマントやコウモリや手袋を、アルカージナに持ってくる。皆々アルカージナの身支度を手伝う。左手のドアから料理人がのぞきこみ、しばらくためらった後、おずおずとはいってくる。ポリーナ、やがてソーリン、メドヴェージェンコ登場。

ポリーナ (手かごを持って)このスモモを、どうぞ道中めしあがって……。大そう甘うございますよ。何か変ったものも、欲しくおなりかも知れませんから……
アルカージナ まあ御

親切にね。ポリーナさん。
ポリーナ ご機嫌よろしゅう、奥さま! 不行届きのことがありましたら、お赦しくださいまし。(泣く)
アルカージナ (彼女を抱いて)みんな結構でしたよ、結構でしたよ。ただその、泣くのがいけないわ。
ポリーナ わたくしたちの時は過ぎて行きますもの!
アルカージナ 仕方のないことよ!
ソーリン (トンビに中折れ帽をかぶり、ステッキを持って左手のドアから登場。部屋を横ぎりながら)お前、もう時間だよ。おくれたら事だからな、早い話が。わたしは行って乗りこんでるよ。(退場)
メドヴェージェンコ 僕は停車場まで歩いて行きます……お見送りにね。ひとつ急いで……(退場)
アルカージナ さようなら、皆さん。……おたがい無事で達者だったら、また夏お目にかかりましょうね。……(小間使、ヤーコフ、料理人、それぞれ彼女の手にキスする)わたしを忘れないでね。(料理人に一ルーブリやって)この一ルーブリ、三人でお分け。
料理人 どうもありがとうございます、奥さま。道中ごぶじで! 何かとよくして頂きまして!
ヤーコフ どうぞ、ご息災で!
シャムラーエフ ちょいと一筆お手紙を頂きたいもので! ご機嫌よう、トリゴーリンさん!
アルカージナ どこだろう、コンスタンチンは? わたしは発

ちますって、あの子に言っておくれ。お別れをしなくては。じゃ皆さん、悪く思わないでね。(ヤーコフに)コックさん一ルーブリ渡しましたよ。あれは三人分だからね。

一同右手へ退場。舞台空虚。舞台うらで、見送りによくあるざわめき。小間使がもどってきて、テーブルからスモモの籠
かご
をとり、ふたたび退場。

トリゴーリン (もどってくる)ステッキを忘れたぞ。たしかテラスにあるはずだが。(行きかけて、左手のドアのところで、はいってくるニーナに出あう)ああ、あなたか? われわれはもう発ちます。
ニーナ まだお目にかかれるような気が、していましたわ。(興奮して)トリゴーリンさん、わたしきっぱり決心しました。賽
さい
は投げられたんです、わたし舞台に立ちます。あしたはもう、ここにはいません。父のところを出て、一切をすてて、新しい生活を始めます。……わたしも、あなたと同じに……モスクワへ発ちます。あちらでお目にかかりましょう。
トリゴーリン (ちらと後ろを振返って)宿は、「スラヴャンスキイ・バザール」(訳注 モスクワの有名なホテル)になさい。……そしてすぐ僕に知らせて……モルチャーノフカ、グロホーリスキイ館。……いまは急ぐから……(間)
ニーナ もう一分だけ……
トリゴーリン (小声で)あなたは、なんてすばらしい……。ああ、またすぐ会えるかと思うと、じつに幸福だ! (彼女は男の胸にもたれかかる)僕はまた見られるのだ――この魅するような眼を、なんとも言えぬ美しい優しい微笑を……この柔和な顔だちを、天使のように清らかな表情を。……僕の大事な……(長いキス)
――幕――

◯第三幕と第四幕のあいだに二年経過。
[#改ページ]

第四幕

ソーリン家の客間の一つ。今はトレープレフが仕事部屋に使っている。右手と左手にドアがあって、それぞれ奥の間へ通じる。正面はテラスへ出るガラス戸。ふつうの客間用の調度のほかに、右手の隅
すみ
に書きものデスク、左手ドア寄りにトルコ風の長椅子
ながいす
、書棚。窓や椅子のそこここに本。――宵
よい
。笠
かさ
つきのランプが一つともっている。薄暗い。木立のざわめきや、煙突のなかで風のうなる音がする。夜番の拍子木
ひょうしぎ
の音。メドヴェージェンコとマーシャ登場。

マーシャ (呼ぶ)トレープレフさん! トレープレフさん! (見まわしながら)だあれもいない。爺
じい
さんたら、のべつ幕なしに聞きどおしなんだもの、コースチャはどこにいる、コースチャはどこにいるって。……あの人がいないじゃ、生きてられないのね……
メドヴェージェンコ 孤独がこわいんだ。(耳をすます)なんて凄
すご
い天気だ! これでもう二昼夜だからな。
マーシャ (ランプの火を大きくして)湖には波が立ってるわ。大きな波が。
メドヴェージェンコ 庭はまっ暗だ。ひとつ毀
こわ
すように言わなけりゃいかんな、庭のあの小劇場はね。むき出しで、醜く立っているざまは、まるで骸骨
がいこつ
だ。幕は風でばたついているし。ゆうべ僕があのそばを通りかかったら、誰かなかで泣いてるような気がしたよ。
マーシャ また、あんなことを……(間)
メドヴェージェンコ うちへ帰ろう、マーシャ!
マーシャ (かぶりを振る)わたし、ここに泊るの。
メドヴェージェンコ (哀願するように)マーシャ、帰ろうよ! 赤んぼがきっと、腹をすかしてるよ。
マーシャ 平気よ。マトリョーナが飲ませてくれるわ。(間)
メドヴェージェンコ 可哀
かわい
そうだ。もうこれで三晩、おっ母

さんの顔を見ないんだからな。
マーシャ あんたも、退屈な人になったものね。以前は、哲学の一つも並べたものだけれど、今じゃのべつ、赤んぼ、帰ろう、赤んぼ、帰ろう、なんだもの、――ばかの一つ覚えみたい。
メドヴェージェンコ 帰ろうよ、マーシャ!
マーシャ ひとりで帰ったらいいわ。
メドヴェージェンコ お前のお父さん、僕にゃ馬を出してくれないよ。
マーシャ 出してくれてよ。願いますと言や、出してくれるわ。
メドヴェージェンコ まあ、頼んでみよう。じゃあすは帰るだろうね?
マーシャ (かぎタバコをかぐ)ええ、あしたはね。うるさいわねえ……

トレープレフとポリーナ登場。トレープレフは枕
まくら
と毛布を、ポリーナはシーツを持ちこみ、トルコ風の長椅子の上に置く。それからトレープレフは自分のデスクに行って、腰をおろす。

マーシャ それ、どうするの、ママ?
ポリーナ ソーリンさんが、コースチャの部屋に床
とこ
をとってくれとおっしゃるんだよ。
マーシャ わたしがするわ……(寝床をつくる)
ポリーナ (ため息をついて)年をとると、子供も同じだねえ……(デスクに近寄り、肘
ひじ
をついて原稿をながめる。間)
メドヴェージェンコ じゃ、僕は行こう。おやすみ、マーシャ。(妻の手にキスする)おやすみなさい、お母さん。(しゅうとの手にキスしようとする)
ポリーナ (腹だたしげに)いいからさ! さっさとお帰り。
メドヴェージェンコ おやすみ、トレープレフさん。

トレープレフ黙って手を出す。メドヴェージェンコ退場。

ポリーナ (原稿をながめながら)ねえ、コースチャ、あなたが本当の文士になるなんて、誰ひとり夢にも思いませんでしたよ。それが今じゃ、ありがたいことに、方々の雑誌からお金がくるようになりましたものね。(彼の髪を撫

でる)それに、男前も一段とあがって、……ねえ、可愛
かわい
いコースチャ、いい子だから、うちのマーシャに、もう少し優しくしてやってくださいね!……
マーシャ (床をのべながら)そっとしておいたげてよ、ママ。
ポリーナ (トレープレフに)これで、なかなか好い子さんですよ。(間)女というものはね、コースチャ、優しい目で見てもらいさえすりゃ、ほかになんにも要

らないものよ。わたしも身に覚えがあるけど。

トレープレフ、デスクから立ちあがり、黙って退場。

マーシャ ほら、怒らしちまった。うるさくするからよ!
ポリーナ わたしはお前が不憫
ふびん
なんだよ、マーシェンカ。
マーシャ ありがたい仕合せだわ!
ポリーナ お前のことで、わたしは胸を痛めつづけてきたよ。すっかり見てるんだものね、みんなわかってるんだものね。
マーシャ みんな、ばかげたことよ。望みなき恋なんて、小説にあるだけだわ。くだらない。ただ、よせばいいのよ――甘ったれた気持になって、待てば海路の日和
ひより
だかなんだか、ぽかんと何かを待っている、そんな態度をね。……心に恋が芽を出したら、摘んで捨てるまでのことよ。うちの人を、ほかの郡へ転任させてくれるって話になってるの。そこへ移ってしまえば、――きれいに忘れるわ……胸から根こぎにしてしまうわ。

ふた部屋ほど向うで、メランコリックなワルツが聞える。

ポリーナ コースチャが弾いている。気がふさぐんだね。
マーシャ (音を立てずに、二回り三回りワルツを舞う)肝心なのはね、ママ、目の前に見えないということなのよ。うちのセミョーンが転任になりさえすりゃ、あっちへ行って、ひと月で忘れてみせるわ。みんな、くだらないことよ。

左手のドアがあいて、ドールンとメドヴェージェンコが、車椅子のソーリンを押しながら登場。

メドヴェージェンコ 僕のところは、今じゃ六人家族でしてね。ところが粉は一プード(訳注 十六キロ余)七十コペイカもするんで。
ドールン そこでキリキリ舞いになる。
メドヴェージェンコ あなたは笑っていればいいでしょう。お金のうなってる人はね。
ドールン お金が? 開業して以来三十年、いいかね君、しかも昼も夜

も自分が自分のものでない、落ちつかぬ生活をしてきて、蓄

めた金がやっと二千だぜ。それもこのあいだ、外国旅行で使ってしまった。僕は一文なしさ。
マーシャ (夫に)まだ帰らなかったの?
メドヴェージェンコ (済まなそうに)どうしたらいいのさ? 馬を出してくれないもの!
マーシャ (さも忌々
いまいま
しそうに、小声で)あんたみたいな人、見たくもないわ!

車椅子は、室内左手の中央でとまる。ポリーナ、マーシャ、ドールン、そのそばに腰をおろす。メドヴェージェンコは悄気
しょげ
て、わきへしりぞく。

ドールン しかし、ここも変ったものですなあ! 客間が書斎になってしまった。
マーシャ トレープレフさんには、ここのほうがお仕事には都合がいいの。好きな時に庭へ出て、ものが考えられますものね。

夜番の拍子木の音。

ソーリン 妹はどこかな?
ドールン トリゴーリンを迎えに、停車場へね。もうじきお帰りでしょう。
ソーリン あんたが妹をわざわざ呼び寄せられたところをみると、わたしの病気は危ないというわけですな。(ちょっと黙って)どうも妙な話だ、病気が危ないというのに、薬一服くれないんだからね。
ドールン じゃ、何がお望みなんです? カノコ草の水薬ですか? ソーダですか! キニーネですか?
ソーリン ほらまた哲学だ。ああ、なんの因果だろう! (長椅子をあごでしゃくって)それ、わたしの寝床かね?
ポリーナ あなたのですわ、ソーリンさま。
ソーリン それは忝
かたじけ
ない。
ドールン (口ずさむ)「月は夜ぞらを渡りゆく」……
ソーリン わしはコースチャに、ひとつ小説の題材をやりたいよ。題は、こうつけるんだな――『なりたかった男』。つまり『ロンム・キ・ア・ヴーリュ』さ。若いころ、わたしは文学者になりたかった――が、なれなかった。弁舌さわやかになりたかった――が、わたしの話しぶりときたら、いやはやひどいものだった。(自嘲
じちょう
的に)「とまあいった次第で、つまりそのありまして、そのう、ええと……」といったざまでな、なんとか締めくくりをつけよう、つけようとして、大汗かいたものさ。家庭も持ちたかった――が、持てなかった。いつも都会で暮したかった――が、それこうして、田舎
いなか
で生涯を終ろうとしている、とまあいった次第でな。
ドールン 四等官になりたかった――それは、なれた。
ソーリン (笑う)それは別に望んだわけじゃないが、ひとりでにそうなった。
ドールン 六十二にもなって人生に文句をつけるなんて、失礼ながら、――褒

めた話じゃないですよ。
ソーリン なんという、わからず屋だ。生きたいと言っているのに!
ドールン それが浅はかというものです。自然律によって、一切の生は終りなからざるべからずですからね。
ソーリン それ、それが、腹いっぱい食った人の理屈さ。君はおなかがくちいものだから、人生に冷淡で、どうなろうと平気なんだ。だが、いざ死ぬときにゃ、君だって怖
こわ
くなろうさ。
ドールン 死の恐怖は――動物的恐怖ですよ。……それを抑
おさ
えなければね。死を意識的に怖
おそ
れるのは、永遠の生命を信じる人だけです。自分の罪ぶかさが怖くなるのです。ところがあなたは、まず第一に、不信心者ですね。第二に――どんな罪がおありですかな? あなたは二十五年、司法省に勤続された――だけのことでね。
ソーリン (笑う)二十八年……

トレープレフ登場して、ソーリンの足もとの小さな腰掛にかける。マーシャは終始彼から眼をはなさない。

ドールン われわれがこうしていちゃ、トレープレフ君の仕事の邪魔ですな。
トレープレフ いや、かまいません。

間。

メドヴェージェンコ ちょっとお尋ねしますが、ドクトル、外国の町のうち、どこが一等お気に入りました?
ドールン ジェノアですね。
トレープレフ なぜジェノアなんです?
ドールン あすこの街を歩いている群衆がすてきなんです。夕方、ホテルを出てみると、街いっぱい人波で埋まっている。その群衆にまじりこんで、なんとなくあちらこちらとふらついて、彼らと生活を共にし、彼らと心理的に融

け合ううちに、まさしく世界に遍在する一つの霊魂といったものが、あり得ると信じるようになってきますね。つまりほら、いつか君の芝居でニーナさんが演じたあれみたいなね。ところで、ニーナさんは今どこでしょうね? どこに、どうしているでしょうね?
トレープレフ たぶん健在でしょう。
ドールン 僕の聞いたところでは、あの人は何か曰
いわ
くのある生活をしたそうだが、どういうことなのかな?
トレープレフ それは、ドクトル、長い話ですよ。
ドールン それを君、てみじかにさ。(間)
トレープレフ あの人は家出をして、トリゴーリンといっしょになりました。これはご存じですね?
ドールン 知っています。
トレープレフ 赤んぼができる。その子が死ぬ。トリゴーリンはあの人に飽きて、もとのキズナへ帰ってゆく――とまあ、当然の経路をたどったわけです。もっとも、あの男はこれまでも、ついぞ元の女を棄

てた例
ため
しはないんで、ただ持ち前のぐらぐらな性格から、そこここでちょいと引っかけるだけでね。僕の耳にはいったところから判断すると、ニーナの私生活は全然失敗でしたよ。
ドールン 舞台のほうは?
トレープレフ どうやら、もっとひどいらしい。モスクワ郊外の別荘地の小屋で初舞台をふんで、それから地方へ回りました。そのころ僕は、いつもあの人から目を放さないでいて、しばらくは行く先々へついて回ったものです。大きな役ばかり引受けていましたが、演技はがさつで、味もそっけもなく、やたらに吼

え立てる、大仰
おおぎょう
な見得を切る、といった調子でした。時たま、なかなか巧
うま
い悲鳴をあげたり、上手な死に方を見せたりしましたが、それも瞬間だけのことでね。
ドールン すると、とにかく才能はあるんだな?
トレープレフ そこはよくわかりませんでした。まあ、あるんでしょう。こっちじゃ顔を見てるんですが、向うでは僕に会いたがらず、宿へ訪ねてゆくと女中が通してくれないんです。あの人の気持はわかるので、僕もむりに会おうとはしませんでした。(間)さてと、まだ何を話したらいいのかな? やがて僕がうちへ帰ってから、手紙が何通か来ましたっけ。聡明
そうめい
な、あたたかい、なかなかいい手紙でした。べつに愚痴
ぐち
をこぼしてはないのですが、これは並大抵の不仕合せじゃないなと感じられるほど、一行一行、病的な神経が張りつめていました。頭の向きようも、ちょっと変なんです。何しろ署名が、「かもめ」というのですからね。『ルサールカ』(訳注 『水の精』――プーシキンの物語詩。ダルゴムージスキイのオペラがある)の水車屋のおやじは、自分は大鴉
おおがらす
だと言い言いしますが、あの人の手紙にも、自分は「かもめ」だと、のべつに書いてある。今あの人は、ここに来てますよ。
ドールン 来てるって、そりゃまたどうして?
トレープレフ 町のね、はたご屋にいるんです。もう五日ほど、そこに泊ってる。僕も行ってみようと思ったんですが、このマーシャさんが訪ねてみたら、いっさい誰にも会わないということでした。メドヴェージェンコ君の話では、きのう夕方ちかく、ここから二キロほどの原っぱで、あの人に出あったそうです。
メドヴェージェンコ ええ、出あいました。あっち、つまり町のほうへ、歩いて行くところでした。僕が挨拶
あいさつ
して、なぜ遊びに来ないのですと聞くと、そのうち行きますという返事でした。
トレープレフ 来るもんか。(間)親父
おやじ
さんも、まま母も、てんから知らん顔で通しています。それどころか、方々に見張りをおいて、一歩も屋敷へ近づけない算段なんです。(ドクトルといっしょに、デスクのほうへ歩を移す)ねえドクトル、紙の上で哲学者になるのは易
やさ
しいが、実際となるとじつに難
むずか
しいですね!
ソーリン チャーミングな娘だったがな。
ドールン え、なんです?
ソーリン チャーミングな子だった、と言うのさ。四等官ソーリン閣下までが、ひところあの子に惚

れていたものな。
ドールン 老いたる女たらし
ロヴレス
(訳注 リチャードソンの小説『クラリッサ・ハーロウ』の人物の名から)か。

シャムラーエフの笑い声が聞える。

ポリーナ 皆さん停車場からお帰りのようですよ……
トレープレフ そう、ママの声もする。

アルカージナ、トリゴーリン、つづいてシャムラーエフ登場。

シャムラーエフ (はいりながら)われわれはみな、自然の暴威のもとに老いさらばえていきますが、奥さんは相変らず、じつにお若いですなあ。……薄色の〔短〕上衣
うわぎ
を召して、颯爽
さっそう
としてらっしゃる。……典雅ですなあ……
アルカージナ ほらまた褒め立てて、鬼に妬

かせようとなさる、相変らずねえ!
トリゴーリン (ソーリンに)ご機嫌よう、ソーリンさん! また何かご病気ですか? いけませんなあ! (マーシャを見て、嬉
うれ
しそうに)やあ、マーシャさん!
マーシャ おわかりになって? (彼の手を握る)
トリゴーリン 結婚しましたか?
マーシャ もうとっくに。
トリゴーリン 幸福ですか? (ドールンやメドヴェージェンコと会釈
えしゃく
をかわしたのち、ためらいがちにトレープレフのほうへ歩み寄る)アルカージナさんのお話だと、あなたはもう昔のことは水に流して、ご立腹もとけたそうですが。

トレープレフ、彼に手をさし出す。

アルカージナ (息子に)ほら、トリゴーリンさんは、お前の新作の載っている雑誌を持ってきてくだすったんだよ。
トレープレフ (雑誌を受けながら、トリゴーリンに)おそれいります、ご親切に。(腰をおろす)
トリゴーリン あんたの崇拝者たちから、宜
よろ
しくとのことです。……ペテルブルグでもモスクワでも、概してあなたに興味をもっていて、僕はしょっちゅう、あんたのことを訊

かれますよ。どんな人だの、年は幾つだの、ブリュネットかブロンドかだの、といったふうにね。みんな、どうしたわけか、あなたを年配の人のように思っている。それに誰ひとり、あんたの本名を知る者がない。なにしろあんたは、いつもペンネームで発表するものだから。あんたは、あの『鉄仮面』(訳注 ルイ十四世の代にバスチーユで獄死した謎の人物。父デュマの小説などで有名)みたいに、神秘の人ですよ。
トレープレフ ずっとご逗留
とうりゅう
ですか?
トリゴーリン いや、あすはモスクワへ発

とうと思っています。やむを得ません。中編ものを一つ急いで書きあげなければならんし、ほかにまだ、ある選集にも何かやる約束になっているので、一口で言えば――相も変らず、ですよ。

彼らが話している間に、アルカージナとポリーナは部屋の中央にカルタ机をすえ、左右の翼
よく
を上げる。シャムラーエフは蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともしたり、椅子
いす
を並べたりする。戸棚からロトー(訳注 Loto 数字あわせの遊び。一から九〇までの数字を飛び飛びに記した盤を配っておき、一人が袋または筒から賽を一つずつ取出しながらそこに刻まれた数字を言う。盤上の数字が先に埋まった人が勝ち)の箱が取出される。

トリゴーリン せっかく来たのに、わるい天気にぶつかったものだ。すさまじい風ですな。あす朝もしおさまったら、湖へ釣りに出ますよ。ついでにお庭と、そらあの場所――ね、覚えてますか――あんたの芝居をやったあすこを、検分しなければならない。モチーフは熟しているんですが、ただ現場の記憶を新たにする必要があるんで。
マーシャ (父親に)パパ、うちの人に馬を出してやってちょうだい! うちへ帰らなくちゃならないんだから。
シャムラーエフ (口まねをして)馬を……帰らなくちゃ……(厳格に)その眼で見たろう――今しがた停車場へ行って来たばかりだ。そうそうこき使うわけにはいかん。
マーシャ ほかの馬だってあるじゃないの。(父親が黙っているのを見て、片手を振る)またけんかのたねね……
メドヴェージェンコ マーシャ、ぼく歩いて帰るよ。いいからさ……
ポリーナ (ため息をついて)歩いて、こんな天気に……(カルタ机に向って腰をおろす)さ、どうぞ、皆さん。
メドヴェージェンコ たかが六キロですからね。……(妻の手にキスをする)おやすみなさい、おっ母さん。(しゅうとはキスを受けるため渋々手を出す)僕はだれにも心配はかけたくないんですが、ただ赤んぼが……(一同に頭をさげる)おやすみなさい。……(退場。さも申し訳なさそうな物腰)
シャムラーエフ なんとか帰れるさ。将軍じゃあるまいし。
ポリーナ (机をたたく)さ、いかが、皆さん。時間が無駄ですよ、ぐずぐずしてると、お夜食をしらせに来ますわ。

シャムラーエフ、マーシャ、ドールン、カルタ机につく。

アルカージナ (トリゴーリンに)秋の夜ながになると、ここではロトーをして遊ぶんですよ。ほらね、ずいぶん古いロトーでしょう。なにしろわたしたちが子供だったころ、亡くなった母がいっしょに遊んでくれた道具ですものねえ。お夜食まで、いっしょに一勝負なさらない? (トリゴーリンとともに席につく)つまらない遊びだけど、馴

れるとこれで、悪くないものよ。(一同に三枚ずつ紙の盤をくばる)
トレープレフ (雑誌をめくりながら)自分の小説は読んでるくせに、僕のはページも切ってやしない。(雑誌をデスクに置き、左手のドアへ行きかける。母親のそばを通りかかって、その頭にキスする)
アルカージナ どう、お前も、コースチャ?
トレープレフ ご免なさい、なんだかしたくないんです。……ちょっと歩いてきます。(退場)
アルカージナ 賭

け金は十コペイカよ。ドクトル、わたしの分、たて替えておいてちょうだい。
ドールン 承知しました。
マーシャ みなさん、お賭けになった? じゃ始め。……二十二!
アルカージナ はい。
マーシャ 三!
ドールン はあい。
マーシャ 三をお置きになって? 八! 八十一! 十!
シャムラーエフ まあそう急ぐな。
アルカージナ わたし、ハリコフで受けた歓迎ぶりを思い出すと、今でも頭がくらくらするわ、皆さん!
マーシャ 三十四!

舞台うらで、メランコリックなワルツのひびき。

アルカージナ 大学生が、お祭さわぎをしてくれてね……花籠
はなかご
が三つ、花束が二つ、それからほら……(胸からブローチをはずして、机上に投げだす)
シャムラーエフ なるほど、こりゃ大したものだ……
マーシャ 五十!……
ドールン 五十きっかり?
アルカージナ わたしの舞台衣裳
いしょう
ときたら、豪勢なものでしたよ。……なんといっても、着付けにかけちゃ、わたしゃ負けませんからね。
ポリーナ コースチャが弾

いている。気がふさぐのね。可哀
かわい
そうに。
シャムラーエフ 新聞でひどく叩
たた
かれてるね。
マーシャ 七十七!
アルカージナ 気にしないでもいいのに。
トリゴーリン あの人はどうも運が向かない。未
いま
だに、ほんとの調子が出ないんですな。何かこう変てこで、あいまいで、時によるとウワ言みたいなところさえある。人物がさっぱり生きてない。
マーシャ 十一。
アルカージナ (ソーリンをふり返って)ペトルーシャ、あなた退屈? (間)寝てるわ。
ドールン 四等官殿はおねんねだ。
マーシャ 七! 九十!
トリゴーリン わたしがもし、こんな湖畔の屋敷に住んだとしたら、とても物を書く気にはなりますまいな。そんな欲望はうっちゃりにして、魚ばかり釣ってるでしょうよ。
マーシャ 二十八!
トリゴーリン ボラやマスを釣りあげるのは――なんとも言えんいい気持だ!
ドールン しかし僕は、トレープレフ君を信じていますよ。何かがある! 何かがね! あの人はイメージでもって思索する。だから小説が絵画的で、鮮明で、僕は強烈な感じを受けますね。ただ惜しむらくは、あの人には、はっきりきまった問題がない。印象を生みはするが、それ以上に出ない。なにせ印象だけじゃ、大したことにはなりませんからね。アルカージナさん、作家の息子さんを持って、嬉しいでしょうな?
アルカージナ それがね、あなた、まだ読んだことがないの。ひまがなくてね。
マーシャ 二十六!

トレープレフ静かに登場。自分のデスクへ行く。

シャムラーエフ (トリゴーリンに)そうそう、トリゴーリンさん、あなたの物が残っていましたっけ。
トリゴーリン はてな?
シャムラーエフ いつぞやトレープレフさんが射落した鴎
かもめ
ね。あれを剥製
はくせい
にしてくれって、ご注文でしたが。
トリゴーリン 覚えがない。(しきりに考えながら)覚えがないなあ!
マーシャ 六十六! 一!
トレープレフ (窓をパッとあけて、耳をすます)なんて暗いんだ! なぜこう胸さわぎがするのか、どうもわからん。
アルカージナ コースチャ、窓をおしめ、吹きこむじゃないの。

トレープレフ、窓をしめる。

マーシャ 八十八!
トリゴーリン はい、揃
そろ
いました。
アルカージナ (うきうきして)うまい、うまい!
シャムラーエフ ブラボー!
アルカージナ この人はね、いつどこへ行っても運がいいのよ。(立ちあがる)じゃあちらで、何かちょっと頂きましょう。うちの有名な先生は、今日は夕飯ぬきでしたからね。お夜食のあとで、またやりましょう。(息子に)コースチャ、原稿はやめて、食堂へ行きましょう。
トレープレフ 欲しくないよ、ママ、おなかがいっぱいだから。
アルカージナ ご勝手に。(ソーリンをおこす)ペトルーシャ、お夜食ですよ! (シャムラーエフと腕を組む)話してあげるわね、ハリコフでどんなに歓迎されたか……

ポリーナ、カルタ机の上の蝋燭を消してから、ドールンといっしょに椅子を押して行く。一同左手のドアから退場。舞台には、デスクに向ったトレープレフだけ残る。

トレープレフ (書きつづけようとして、今まで書いたところに目を走らせる)おれは口ぐせみたいに、新形式、新形式と言ってきたが、今じゃそろそろ自分が、古い型へ落ちこんでゆくような気がする。(読む)「塀
へい
のポスターに曰
いわ
く……。蒼白
あおじろ
い顔が、黒い髪の毛にふちどられて……」曰く、ふちどられて……。ふん、なっちゃいない。(消す)いっそ主人公が、雨の音で目をさますところから始めて、あとはみんな切っちまおう。月夜の描写が長たらしく、凝りすぎている。トリゴーリンは、ちゃんと手がきまっているから、楽なもんだ。……あいつなら、土手の上に割れた瓶
びん
のくびがきらきらして、水車の影が黒く落ちている――それでもう月夜ができあがってしまう。ところがおれは、ふるえがちの光だとか、静かな星のまたたきだとか、しんとした匂
にお
やかな空気のなかに消えてゆくピアノの遠音だとか……いや、こいつは堪
たま
らん。(間)そう、おれはだんだんわかりかけてきたが、問題は形式が古いの新しいのということじゃなくて、形式なんか念頭におかずに人間が書く、それなんだ。魂のなかから自由に流れ出すからこそ書く、ということなんだ。(デスクに最寄
もよ
りの窓を、誰かが叩
たた
く)なんだろう? (窓を覗
のぞ
く)なんにも見えない。……(ガラス戸をあけて、庭を見る)誰か石段を駆けおりたな。(呼びかける)誰だ、そこにいるのは? (出てゆく。彼がテラスを足早に歩く音がする。半分間ほどして、ニーナを連れもどってくる)ニーナ! ニーナ!

ニーナは頭を彼の胸におし当て、忍び音にむせび泣く。

トレープレフ (感動して)ニーナ! ニーナ! 君か……君だったのか……。僕は虫が知らしたのか、朝からずっと、胸がきりきりしてならなかった。(彼女の帽子と長外套
がいとう
をとってやる)ああ、僕の可愛
かわい
い、大事なひとが帰ってきた! 泣くのはよそう、泣くのは。
ニーナ 誰かいるわ。
トレープレフ 誰もいやしない。
ニーナ ドアの錠をおろして。はいってくると困るわ。
トレープレフ 誰も来やしない。
ニーナ 知ってるわ、アルカージナさんが来てること。だから閉めて……
トレープレフ (右手のドアの鍵
かぎ
をかけ、左手のドアに歩み寄る)ここには錠前がない。椅子
いす
でふさいでおこう。(ドアの前に肘
ひじ
かけ椅子を据える)さ、もう心配しないで、誰も来ないから。
ニーナ (彼の顔をじっと見つめる)ちょっと、お顔を見させて。(あたりを見回して)暖かくて、いい気持。……あのころ、ここは客間だったのね。わたし、ひどく変ったかしら?
トレープレフ そう……だいぶ痩

せて、眼が大きくなったな。ニーナ、こうして君を見ていると、なんだか不思議な気がする。どうしてあんなに、僕を寄せつけなかったの? どうして今まで来なかったの? 僕は知ってますよ、君がもう一週間ちかく、この土地にいることは。……僕は毎日、なんべんも君の宿まで行っては、君の窓の下に立っていた。乞食
こじき
みたいにね。
ニーナ あなたがさぞ、わたしを憎んでらっしゃるだろうと、それが怖
こわ
かったの。毎晩おなじ夢を見るのよ――それは、あなたがわたしを見ているくせに、わたしとは気がつかないの。この気持、知ってくだすったらねえ! ここへ着いたその日から、わたしはあすこ……湖のへんを歩いていたの。お宅の近くにもたびたび来たけれど、はいる勇気がなかったわ。さ、坐
すわ
りましょう。(ふたり腰をおろす)坐って、思いっきり話しましょう。ここはいいわ、ぽかぽかして、居心地がよくって……。あの音は……風ね? ツルゲーネフに、こういうところがあるわ、――「こんな晩に、うちの屋根の下にいる人は仕合せだ、暖かい片隅
かたすみ
を持つ人は」わたしは、かもめ。……いいえ、それじゃない。(額をこする)何を言ってたんだっけ? そう……ツルゲーネフね……「主
しゅ
よ、ねがわくは、すべての寄辺
よるべ
なき漂泊
さすらい
びとを助けたまえ」……いいの、なんでもないの。(むせび泣く)
トレープレフ ニーナ、君はまた……ニーナ!
ニーナ いいの、これで楽になるわ。……わたし、もう二年も泣かなかった。ゆうべおそく、こっそりお庭へはいって、あのわたしたちの劇場が無事かどうか、見に行きました。あれは、まだ立っていますわね。それを見たとき、二年ぶりで初めて泣いたの。すると胸が軽くなって、心の霧が晴れました。ほらね、わたしもう泣いていないわ。(彼の手をとる)で、こうして、あなたはもう作家なのね。……あなたは作家、わたしは――女優。お互いに、渦巻
うずまき
のなかへ巻きこまれてしまったのね。……あのころのわたしは、子供みたいにはしゃいで暮していたわ――あさ目がさめると、歌をうたいだす。あなたを恋してたり、名声を夢みたり。それが今じゃどう? あしたは朝早く、三等に乗ってエレーツへ行くのよ……お百姓さんたちと合乗りでね。そしてエレーツじゃ、教育のある商人連中が、ちやほや付きまとってくれるでしょうよ。むごいものだわ、生活って。
トレープレフ なんだってエレーツへなんか?
ニーナ この一冬、契約をしたの。もう帰らなければ。
トレープレフ ニーナ、僕は君を呪
のろ
いもし憎みもして、君の手紙や写真を破いてしまった。それでいて、僕の心は永久に君と結びついていると、毎分毎秒、意識していました。あなたへの恋が冷

めるなんて、僕にはできないことだ、ニーナ。あなたというものを失い、作品がぼつぼつ雑誌に載りだしてからこっち、人生は僕にとって堪えがたいものになった――受難の道になった。……自分の若さが急につみとられて、僕はこの世にもう九十年も生きてきたような気がします。僕はあなたの名を呼んだり、あなたの歩いた地面に接吻
せっぷん
したりしている。どこを向いても、きっとあなたの顔が見えるんだ。ぼくの生涯の一ばん楽しかった時代を照らしてくれた、あの優しい微笑がね。……
ニーナ (当惑して)なぜあんなことを言いだすのかしら。なぜあんなことを?
トレープレフ 僕はひとりぽっちだ。暖めてくれる誰の愛情もなく、まるで穴倉のなかのように寒いんです。だから何を書いても、みんなカサカサで、コチコチで、陰気くさい。ニーナ、お願いだ、このままいてください。でなけりゃ、僕もいっしょに行かせてください!

ニーナは手早く帽子と長外套を着ける。

トレープレフ どうして君は、ええニーナ? 後生だ、ニーナ……(彼女が身じたくするのを眺める。間)
ニーナ 馬車が裏木戸のところに待たせてあるの。送ってこないで、わたし一人で行けるから……(涙声で)水をちょうだいな……
トレープレフ (コップの水を与える)今からどこへ行くの?
ニーナ 町へ。(間)アルカージナさん、来てらっしゃるの?
トレープレフ そう。……この木曜、伯父さんの工合が変だったので、僕たちが電報で呼び寄せたんです。
ニーナ わたしの歩いた地面に接吻したなんて、なぜあんなことをおっしゃるの? わたしなんか、殺されても文句はないのに。(テーブルにかがみこむ)すっかり、へとへとだわ! 一息つきたいわ、一息! (首をあげて)わたしは――かもめ。……いいえ、そうじゃない。わたしは――女優。そ、そうよ! (アルカージナとトリゴーリンの笑い声を聞きつけて、じっと耳をすまし、それから左手のドアへ走り寄って、鍵穴からのぞく)あの人も来ている……(トレープレフのそばへ戻りながら)ふん、そう。……かまやしない。……そうよ。あの人は芝居というものを信用しないで、いつもわたしの夢を嘲笑
ちょうしょう
してばかりいた。それでわたしも、だんだん信念が失

せて、気落ちがしてしまったの。……そのうえ、恋の苦労だの、嫉妬
しっと
だの、赤ちゃんのことでしょっちゅうびくびくしたりで……わたしはこせついた、つまらない女になってしまって、でたらめな演技をしていたの。両手のもて扱い方も知らず、舞台で立っていることもできず、声も思うようにならなかった。ひどい演技をやってるなと自分で感じるときの心もち、とてもあなたにはわからないわ。わたしは――かもめ。いいえ、そうじゃない……。おぼえてらして、あなたは鴎
かもめ
を射落
うちおと
したわね? ふとやって来た男が、その娘を見て、退屈まぎれに、破滅させてしまった。……ちょっとした短編の題材……。これでもないわ。……(額をこする)何を話してたんだっけ?……そう、舞台のことだったわ。今じゃもうわたし、そんなふうじゃないの。……わたしはもう本物の女優なの。……わたしは楽しく、喜び勇んで役を演じて、舞台に出ると酔ったみたいになって、自分はすばらしいと感じるの。今、こうしてここにいるあいだ、わたしはしょっちゅう歩き回って、歩きながら考えるの。考えながら、わたしの精神力が日ましに伸びてゆくのを感じるの。……今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。わたしたちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよ――だわ。わたしは信じているから、そう辛
つら
いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。
トレープレフ (悲しそうに)君は自分の道を発見して、ちゃんと行く先を知っている。だが僕は相変らず、妄想
もうそう
と幻影の混沌
こんとん
のなかをふらついて、一体それが誰に、なんのために必要なのかわからずにいる。僕は信念がもてず、何が自分の使命かということも、知らずにいるのだ。
ニーナ (きき耳を立てて)シッ。……わたし行くわ。ご機嫌よう。わたしが大女優になったら、見にいらしてちょうだいね。約束してくださる? では今日は……(彼の手を握る)もう夜がふけたわ。わたしやっとこさで、立っているのよ。精も根も尽きてしまった、何か食べたいわ……
トレープレフ ゆっくりして行って、夜食ぐらい出すから……
ニーナ いいえ、駄目……。送ってこないでね、ひとりで行けるから。……馬車はついそこなんですもの。……じゃ、アルカージナさんはあの人を連れていらしたのね? なあに、どうせ同じことだわ。……トリゴーリンに会っても、なんにも言わないでね。……わたし、あの人が好き。前よりももっと愛しているくらい。……ちょっとした短編の題材か。……好きだわ、愛してるわ、やるせないほど愛してるわ。もとはよかったわねえ、コースチャ! なんという晴れやかな、暖かい、よろこばしい、清らかな生活だったでしょう。なんという感情だったでしょう――優しい、すっきりした花のような感情。……おぼえてらっしゃる?……(暗誦
あんしょう
する)「人も、ライオンも、鷲
わし
も、雷鳥も、角を生

やした鹿
しか
も、鵞鳥
がちょう
も、蜘蛛
くも
も、水に棲

む無言の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、――つまりは一切の生き物、生きとし生けるものは、悲しい循環
めぐり
をおえて、消え失

せた。……もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火
あかり
をともしている。今は牧場
まきば
に、寝ざめの鶴
つる
の啼

く音

も絶えた。菩提樹
ぼだいじゅ
の林に、こがね虫の音ずれもない」……(発作的にトレープレフを抱いて、ガラス戸から走り出る)
トレープレフ (間をおいて)まずいな、誰かが庭でぶつかって、あとでママに言いつけると。ママは辛いだろうからな。……

二分間ほど、無言のまま原稿を全部やぶいて、デスクの下へほうりこむ。それから右手のドアをあけて退場。

ドールン (左手のドアを、うんうん押しあけながら)おかしいぞ。錠がおりてるのかな……(はいって、肘かけ椅子を元の場所におく)障碍物
しょうがいぶつ
競走だ。

アルカージナ、ポリーナ、つづいてヤーコフは酒瓶
さかびん
(訳注 複数)をもち、それにマーシャ、あとからシャムラーエフ、トリゴーリン、それぞれ登場。

アルカージナ 赤ブドウと、トリゴーリンさんのあがるビールは、このテーブルに置いてちょうだいな。ロトーをしながら飲むんだからね。さ、坐りましょう、皆さん。
ポリーナ (ヤーコフに)すぐお茶を出しておくれ。(蝋燭
ろうそく
(訳注 複数)をともし、カルタ机に着席する)
シャムラーエフ (トリゴーリンを戸棚のほうへひっぱって行く)そらこれが、さっきお話しした品ですよ……(戸棚から鴎の剥製
はくせい
をとり出す)あなたのご注文で。
トリゴーリン (鴎を眺めながら)覚えがない! (小首をかしげて)覚えがないなあ!

右手の舞台うらで銃声。一同どきりとなる。

アルカージナ (おびえて)なんだろう?
ドールン なあに、なんでもない。きっと僕の薬カバンのなかで何か破裂したんでしょう。心配ありません。(右手のドアから退場して、半分間ほどで戻ってくる)やっぱりそうでした。エーテルの壜
びん
が破裂したんです。(口ずさむ)「われふたたび、おんみの前に、恍惚
こうこつ
として立つ」……
アルカージナ (テーブルに向ってかけながら)ふっ、びっくりした。あの時のことを、つい思い出して……(両手で顔をおおう)眼のなかが、暗くなっちゃった……
ドールン (雑誌をめくりながら、トリゴーリンに)これに二カ月ほど前、ある記事が載りましてね……アメリカ通信なんですが、ちょっとあなたに伺いたいと思っていたのは、なかでもその……(トリゴーリンの胴に手をかけ、フットライトのほうへ連れてくる)……なにしろ僕は、その問題にすこぶる興味があるもので……(調子を低めて、小声で)どこかへアルカージナさんを連れて行ってください。じつは、トレープレフ君が、ピストル自殺をしたんです。……
――幕――

底本:「かもめ・ワーニャ伯父さん」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年9月25日発行
   2004(平成16)年11月25日46刷改版
※楽譜は「世界文学大系46 チェーホフ」筑摩書房、1958(昭和33)年12月5日からとりました。

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27. 中川隆[-13494] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:15:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1410] 報告
チェーホフの『かもめ』における ニーナとトレープレフの運命
内 田 健 介

はじめに

アントン・チェーホフの戯曲『かもめ』は、その題名として用いられているカモメが2 人の主人公が歩む未来の象徴になっている。自らが猟銃で撃ち落としたカモメのように最 終的に拳銃自殺を遂げるトレープレフ、そしてそのトレープレフが撃ち落としたカモメを 短編の題材として思いついた物語、男に騙されてカモメのように不幸になるという短編を なぞるように不幸を経験するニーナである。 第1幕において恋人同士だったトレープレフとニーナは、トレープレフの母である女優 アルカージナとその恋人である作家トリゴーリンに翻弄され、互いの生き方を変えられて いく。作家としての名声を得ているトリゴーリンに惹かれたニーナはトレープレフの元を 離れ、トレープレフはニーナを奪われたショックなどから自殺未遂を引き起こす。その 後、ニーナはトリゴーリンを追ってモスクワに旅立ち女優になるという夢を叶え、2年が 経過した第4幕ではトレープレフも小説家としての夢を叶えている。 こうして作家志望と女優志望という立場から、作家と女優という立場で2人は最後の場 面で再会する。だが、2人の関係は再び元通りの恋人同士になるのではなく、ニーナはト レープレフを残して地方回りの女優として生きるために去っていく。そして、ニーナを見 送ったトレープレフが自殺し、『かもめ』は幕を閉じる。 互いに女優と小説家という夢を叶えた2人だが、ニーナは女優としては落ちぶれながら も耐え忍び生きることを選択するのに対し、トレープレフはトリゴーリンと同じ雑誌に掲 載されるほどの小説家になったにもかかわらず死を選択してしまう。象徴としてのカモメ に抵抗して生きるニーナと、象徴としてのカモメのように自殺するトレープレフ。これが 『かもめ』の結末である。 この2人の結末の差はいったい何が原因で生じたのか、この点について登場人物たちが 持っている「属性」 1 に着目することを一つの糸口としてこれまで様々な角度から論じられ てきた『かもめ』を新たに読み解いてみたい 2 。


1.トレープレフとニーナにおける家族という属性

『かもめ』の登場人物たちは、様々な属性を有している。例えばトレープレフはニーナ との関係においては「男」であり、アルカージナとの関係においては「息子」として存在 している。さらに彼はこうした人間関係によって生じる属性以外にも職業としての属性、 つまり「劇作家」という夢を登場時に持っており、第四幕に至ると実際に作家として活動 を開始している。こうした複層的な属性を『かもめ』の登場人物たちは持っており、さら にその属性に対してそれぞれが異なった価値観を持っている。 幕開きの時点で恋人同士であるトレープレフとニーナの家族という属性にまず注目する と、2人が似たような境遇にあることが分かる。その一つ目の特徴が、2人とも片親を亡 くしているという点である。トレープレフは父親を、ニーナは母親を亡くしており、その どちらの親も相手が死んだあとに新しい関係性を築いている。アルカージナはトリゴーリ ンと内縁の関係にあり、ニーナの父親は再婚している。 こうした環境のためかトレープレフとニーナは、自分たちの親に対して強い感情を抱い ている。浦雅春氏はトレープレフのアルカージナに対する態度について「母親に寄せるト レープレフの愛情は尋常ではない」 3 と指摘しているが、それは彼が最後に語る台詞に端 的に現われている。ニーナが去った後、これから拳銃自殺をしようとするトレープレフ は「もし誰かが庭でニーナに会ってママに言うと良くないな。ママを悲しませるだろうか ら…」 4 と今しがた去っていったかつての恋人ではなく、最後に母親のことを気にかけなが ら死を選ぶのである。 トレープレフの母親アルカージナに対する愛情は、その彼の登場する場面から既に始 まっている。伯父ソーリンと現われたトレープレフが最初に口にするのは、やはり母親に ついてである。「確かな才能があり、賢くて、本を読んですすり泣くこともできる。ネク ラーソフの詩をどこからだって暗誦できる。病人を看病させれば天使のようだ」 5 と彼女の 才能を認め、「僕は母を愛している、強く愛している」 6 とアルカージナへの愛を語り始め る。そして、彼は花占いで恋人のニーナとではなく、母親アルカージナとの関係を占うの である。 しかし、こうした愛情を示す一方で、トレープレフはスポットライトを浴びていなけれ ば我慢できないような母親の性格や、金を貯め込む蓄財癖を非難し始める。そして、彼は 母親にトリゴーリンという小説家の愛人がいることに対して強い嫌悪感を抱いていること を語り始める。彼は母親の才能は認めるものの、有名な女優であることや未だに恋をする 女であることに耐えられないのである。この初めてトレープレフが登場する場面ですでに 彼がアルカージナの持つ属性に対してどういった態度を取っているのか簡潔に示されてい る。トレープレフはアルカージナに「女優」という職業や愛人を持つ「女性」としてでは なく、「母親」としてのアルカージナを一番に求めているのである。トレープレフは「ぼ くの母は有名な女優だけど、もし母が普通の女性だったら僕はもっと幸せだったんじゃな いかって思うよ」 7 と語るが、まさにこれが彼の本心を示していると言えるだろう。


こうした背景を踏まえて考えると、トレープレフが新しい形式を求め、アルカージナが 女優として生きる舞台を旧時代と批判するのは、新しい形式を用いた作家になりたいとい う欲求だけでなく、彼女に母親として生きて欲しいという別の欲求も含まれているように 思われる。 母親に強い愛情を抱くトレープレフに対し、その恋人であるニーナは家族に対してどの ような態度を取っているのであろうか。ところが、彼女の家族は舞台上には登場せず、他 の登場人物たちの会話の中でその存在が示されるのみである。ニーナの父親について登場 人物の一人医師ドールンは悪党だと罵るが、その理由は男がニーナの母親が死んだあとに 新しい女性と結婚し財産を新しい妻に全て相続させてニーナから全てを奪い取ったためで ある。こうして新しい妻を得た父親は死んだ前妻の娘であるニーナの存在を疎ましく感じ ている。しかしながら、こうした父親に対してニーナが憎しみや怒りといったような感情 を抱いているわけではない。第一幕の劇中劇が終わって帰る際に彼女は「私をパパが待っ ているから」 8 と言って去っていく。また、第三幕ではトリゴーリンに対し女優になる決意 を語る場面でニーナは「明日になればもうここにはいません。父親の元を離れて、新しい 生活を始めます」 9 とわざわざ父親の元を離れるという言葉を使っている。こうした台詞は 彼女にとって父親の存在が大きなものであることを示している。トレープレフは母アル カージナに対して女優や女としてではなく母親としての存在を求めていたが、ニーナも同 じように父親に対し新しい妻を娶った男としてではなく自らの父親としての存在を求めて いるのかもしれない。 また、先ほど指摘したようにニーナの父親は舞台に登場しないが、他にも舞台に登場し ないトレープレフとニーナの家族が存在する。それが、既に死んだトレープレフの父親と ニーナの母親である。シェイクスピアの『ハムレット』では父親が亡霊となって息子の前 に登場するが、彼らの親は亡霊として現われることはない。しかし、トレープレフとニー ナの亡き親は、その死後も亡霊のように大きな影響を子供たちに与えている。 まずニーナが父親に財産を奪われるきっかけを作ったのは、死んだ彼女の母親である。 彼女が自分の財産を全て夫に相続させなければ、その財産はニーナに渡るはずであった 10 。 ところが、彼女は娘のニーナを相続人として選ばず、夫を相続人として選んだのである。 そして、その財産を受け取ったニーナの父親は、正当な相続人の娘ではなく新しい妻に渡 そうと考えている。もしニーナの母親がこのような遺言を残さなければ、財産は全てニー ナに渡るはずであった。現在置かれている彼女の複雑な状況の原因を作ったのは死んだ母 親なのである。 第二幕のトリゴーリンとの会話の中で、ニーナは湖の向こうにある自分の家を「あれが 亡くなった母の屋敷です」 11 と回りくどい表現をする。通常、自分の家という表現する部分 を彼女はわざわざ「死んだ母親の屋敷」という言葉を使うのである。恐らく、その家は自 分のものではないことを彼女が強調しているのだと考えられる部分である。浦氏はチェー ホフ作品に描かれた家について「チェーホフの「家」は決して単純なる「家」ではない。 (中略)異質性、コミュニケーションの不在を顕在化させる場」 12 であると述べているが、舞台上には登場しないニーナの家もまさに異質性やコミュニケーションの不在を顕在化さ せる場なのである。 一方、トレープレフもニーナと同じように、亡くなった父親から強い影響を受けてい る。それが彼の持つ属性の一つ「階級」である。トレープレフは父親について「そりゃ僕 の父は有名な役者だったとはいえ、キエフの町人なんだ」 13 と、貴族よりも低い身分である ことを語っている。ロシアでは父親の身分を引き継ぐため、トレープレフも父親と同じく 町人階級である。それに対し、母親のアルカージナは貴族階級であり、2人は血の繋がっ た親子でありながら所有する「階級」が異なっている。この身分の差はトレープレフのコ ンプレックスの原因の一つとなっており、彼は自分が有名な女優の息子としてしか周囲に 見られないことに苛立ちを感じている。 ニーナは母親から与えられるはずの遺産を受け継ぐことができず、トレープレフは母よ りも低い身分を父親から受け継いでしまった。2人は片親を亡くしたという境遇だけでな く、その既にこの世を去った親から不利益を被っているという共通点も持っているのであ る。彼らが残された親に対して執着するのは、自らが疎外されている家族という関係を修 復しようとするためだと考えられる。


2.親から見た子供たちの存在

トレープレフとニーナにとって残された親は大きなものであるが、対する親側からみた 子供の存在は作品の中でどのように扱われているのであろうか。ニーナの父親については 若い妻と結婚後、前妻の娘であるニーナを邪魔者扱いし、財産を全て奪っているように全 くと言っていいほど娘に対して愛情を注いでいないことは明らかである。 そして、トレープレフの母であるアルカージナが息子に対してどのような態度を取って いるのかに注目すると、彼女もニーナの父親ほどではないものの息子に対する愛情は薄い ことが分かる。そうした態度がはっきりと現れているのが、トレープレフの作った劇に対 するアルカージナの態度である。彼女はトレープレフの劇が始まるとすぐに口を挟み始 め、劇が進行中にもかかわらず演出や脚本に文句を付けてヤジを飛ばし、最終的に怒った トレープレフは劇を途中で中断しその場を立ち去ってしまう。常識的に考えれば、息子の 自作の劇を披露しようとしたことに対して、母親が野次を飛ばして妨害するのは異常な行 動である。それでは、なぜアルカージナは息子の劇に対して妨害としか思えないような行 為を取ったのであろうか。その背景には彼女が持つ「女優」という属性が大きく関わって いる。 それはトレープレフが言うような女優として舞台に立っているニーナに対しての嫉妬で はない。これは彼女による批判が全て演出に対するものであり、ニーナの演技に対してで はないことから判断できる。このとき明らかに彼女の敵意はニーナではなくトレープレフ に向いているのである。トレープレフが披露した劇はアルカージナがデカダンだと言うよ うに彼女が所属している舞台の世界を旧時代のものとして真っ向から否定し、新しい形式を求めた作品である。その自分の女優として生きる世界に対する挑戦が、例え息子であっ たとしても彼女は許せなかったのである。 トレープレフがアルカージナに対して「母親」としての存在を強く求めていることを先 ほど指摘したが、アルカージナにとって「母親」という属性は他の「女優」や「女性」と しての属性よりも優先順位が低いものとして扱われている。それは劇中の彼女の関心と行 動の推移によって示されている。第一幕の劇中劇が中断されたあと、アルカージナはまず 上演された劇に対する批判を始める。ここで、ドールンが冗談交じりに「ジュピターよ。 汝は怒れり…」 14 と言うと、アルカージナは怒って「私は女です」と答える。ここから「女 性」としてのアルカージナの語りが始まり、湖の向こうから聞こえる音楽をきっかけに過 去のロマンスを周りに語り始める。彼女が舞台を中断して立ち去った息子を「母親」とい う立場で気にかけるのはこの舞台と恋の話が終わってからである。 これは第二幕の冒頭でも繰り返されている。第二幕の幕開けは次のようになっている。 最初にアルカージナはドールンに自分とマーシャのどちらの方が若く見えるのかとドール ンに質問する。このときのドールンの本心は定かではないが、彼はアルカージナの方が若 く見えると答える。すると上機嫌になったアルカージナは、その原因が女優として働いて いるためだとマーシャに働くことの重要性を説き始める。その後、持っていた本を読み始 めたアルカージナは、女優と小説家の恋を書いた小説に触発されて、トリゴーリンと自分 の関係についての話を始める。ここでも彼女の関心は、女優としての自分、恋をしている 自分の順番で流れていき、ようやく彼女が息子トレープレフのことを話題にするのは、そ の本を閉じた後である。演劇作品では小説とは異なり物語の書かれた文章を戻って読むこ とはできないため、時間の流れが重要な意味を持っている。チェーホフはアルカージナが 女優、恋愛、家族といった順番で関心を推移させていくことで、彼女が自分の持つ属性を どのような順番で重要視しているかを示しているのだと考えられる。 このように母親としての属性を求めるトレープレフと、女優として女性として生きるこ とを重要だと考えるアルカージナの2人は決して分かりあうことができない。劇中の彼ら の噛み合わない会話には、2人の属性に対する価値観の隔たりが背景にあるのである。 そして、劇中においてこの母と子の会話は第二幕では一切なく、第一幕と第四幕の会話 もわずかしかない。2人の会話は親子が2人きりになる第三幕の包帯を替える場面に集中 している。アルカージナと2人きりになったトレープレフが母親に対して包帯を新しくし て欲しいと頼むと、彼女はその頼みを聞き入れて新しい包帯を息子の頭に巻き始める。こ の場面でトレープレフは母親に包帯を替えてもらいながら、かつて家族で一緒に住んでい た頃の話を始める。しかし、2人の記憶は噛み合わない。トレープレフが覚えているのは 当時の優しかった母の思い出だが、当人のアルカージナは全く覚えておらず、彼女の記憶 にあったのは自分と同じ劇場に上がるバレリーナのことだけである。やはり、古い記憶の 中でもトレープレフは母親として、アルカージナは女優としての記憶を持っている。 ここでトレープレフが頭に巻いている包帯は、第二幕と第三幕のあいだに自殺未遂を起 こしたことを示している。この自殺未遂について「母親の愛情をつなぎ止めようとするだだっ子の甘えの行動とも取れる」 と浦氏は述べているが、この場面の2人のやり取りはこ の指摘を証明するものとなっている。 包帯を巻く母親に対しトレープレフは「近頃、あの子供の頃のようにママをたまらなく 愛しているんだ。ママ以外、僕にはもう誰もいない」 16 と語りかける。第一幕での劇中劇で の失敗からニーナの心はトレープレフから離れ、小説家として活躍しているトリゴーリン の方へ向いてしまった。彼はニーナをトリゴーリンに奪われたことで男としても作家とし ても負けたのである。そのため、彼に唯一残された立場は、「息子」という属性だけであ る。トレープレフの「ママ以外、僕にはもう誰もいない」という言葉は、まさに彼が「作 家」としての属性と「男性」としての属性を失い、息子としての属性に拠り所を見出して いることを示している。だがしかしアルカージナにとって「母親」という属性はここまで 見てきたように他の属性よりも低い位置を占めている。そのためトレープレフがトリゴー リンに対する非難を口にしたとたん彼女の態度は豹変し、2人は言い争いを始めてしまう。 結局、トレープレフが求める「母親」としてのアルカージナと実際のアルカージナの生き 方には大きな隔たりが存在しているため重なりあう部分は無く、2人の争いはトレープレ フの涙によって幕が降りる。彼は「自分が何者なのか」という問いを発しているが、彼は 男にも劇作家にもなれず、息子であることすらできなかったのである。

3.定められた属性によって人生の喪服を着るマーシャ

『かもめ』にはニーナとトレープレフ以外にも、数多くの重要な役割を持った人物が登 場する。その一人がいつも黒い服を着たマーシャである。彼女には父親シャムラーエフと 母親ポリーナという家族が存在し、そのため「娘」という属性をマーシャは有している。 トレープレフやニーナにとって家族の中の「子供」であることは大きな意味を持っていた が、マーシャにとって「家族」は逆に嫌悪する対象となっている。母のポリーナは夫シャ ムラーエフを愛しておらず、医師ドールンを愛しており既に夫婦関係は崩壊している。そ うした冷め切った夫婦関係を示すように、舞台上で2人が会話を交わす場面は、劇全体を 通して一度も存在していない。また、マーシャも母と同じように父親を愛しておらず、第 一幕の終わりでドールンに恋の相談するさいに「私は自分の父が好きではありません」 17 と 口にしている。 このマーシャを愛しているのが教師のメドヴェジェンコである。『かもめ』はメドヴェ ジェンコのマーシャに対する愛の告白から始まっている。しかし、第一幕の終わりでドー ルンに告白しているように彼女はトレープレフを愛しているため、メドヴェジェンコの告 白に答えようとはしない。 ロシアのチェーホフ研究者パペルヌイはメドヴェジェンコとトレープレフを正反対の 人物として捉え、「トレープレフにとって人生が夢であるとすれば、メドヴェジェンコに とっての人生とはひとかけらのパンに心を砕くことだ」 18 と述べている。確かに作家という 希望を持ったトレープレフと生活のことに愚痴をこぼしてばかりのメドヴェジェンコでは、天秤にかけるまでも無いことであろう。 マーシャにとってメドヴェジェンコの結婚の申し込みは苦痛でしかない。自分自身の家 庭が崩壊しているマーシャにとって、新しい家庭を作る結婚という行為は望んでいなかっ たはずだからである。そうしたマーシャにメドヴェジェンコは「あなたは健康だし、お父 さんだって大金持ちではないけれど十分な暮らしだ」 19 と彼女が嫌う父を話題に出してし まっている。 また、メドヴェジェンコはマーシャが人生の喪服として黒い服を着ていることを理解し ようともしない。パペルヌイはトレープレフとメドヴェジェンコにとっての人生が対極で あることを指摘していたが、マーシャにとって人生とは彼女の喪服が示すように既に死ん でいるのである。なぜなら、彼女は作家を目指すトレープレフや女優を志すニーナのよう な夢や希望を持っていない。彼女は学校に行っているわけでも、働いているわけでもない ためである。第二幕の冒頭で彼女はアルカージナに働くことの重要性を説かれるが、彼女 は働こうにもその可能性を最初から有していない。池田健太郎氏はマーシャを『ワーニャ 伯父さん』のエレーナと同様に無為な女性と考えているが 20 、女学校に通っていたエレーナ と田舎でそうした機会も無く生きているマーシャを同じように考えるのは明らかに誤って いる。マーシャに残された道とは、誰かと結婚することぐらいなのである。つまり、メド ヴェジェンコの結婚の申し込みは、彼女に選択の余地の無い残酷な未来を突きつけている も同然と言える。 ところが、最終的にマーシャはメドヴェジェンコとの結婚を選択してしまう。彼女は母 親ポリーナと同じく、愛情の無い結婚をするという過ちを繰り返すのである。第三幕から 2年の月日が経過した第四幕では、結婚したマーシャとメドヴェジェンコのあいだに子供 が生まれている。しかし、2人の関係は2年前と全く変わっておらず、夫婦関係が順調で ないことは、最初に繰り広げられる会話が2年前とほぼ変わっていないのを見れば明らか である。マーシャはトレープレフへの恋心を、メドヴェジェンコとの結婚によって捨てら れると考えていたが、結局トレープレフに対する愛情を捨て切れず、かつてメドヴェジェ ンコがマーシャと会うために通った6キロの道をやって来ているのである。その後、彼女 は夫の転勤によってこの地を離れることでようやく自分の恋に決着を付けられると語って いるが、彼女の恋の決着はトレープレフの死によって訪れてしまった。 トレープレフは「息子」という家族の中での属性が得られないという苦しみを味わって いたが、マーシャは逆に「娘」から「妻」そして「母親」という属性から逃れられないと いう運命に苦しめられている。

4.『かもめ』における家族について

『かもめ』に登場する女性に注目すると、その全員が母親という属性を有していること に気がつかされる。アルカージナがトレープレフの母親であることはもちろんのこと、ポ リーナもマーシャの母親である。その娘マーシャも第四幕では子供が生まれ、母親としての役割を得ている。そして、ニーナも女優を目指して旅立ったあと、トリゴーリンとの間 に子供が産まれ母親となっている。アルカージナ、ポリーナ、マーシャ、ニーナ、この 『かもめ』に登場する4人の女性は必ず一度は母親になっているのである。 ところが、彼女たちの行動に着目すると、共通して母親としての立場を重要視していな いことが分かる。アルカージナについてはこれまで論じてきた通りで、息子トレープレフ よりも女優としての生活やトリゴーリンとの関係の方が重要である。この特徴はポリーナ とマーシャについても当てはまる。ポリーナは家庭よりもドールンとの関係を、マーシャ もメドヴェジェンコと結婚したにもかかわらずトレープレフとの関係を家庭よりも重要に 考えている。彼女たちは生物学的には「母親」という属性を得るのだが、母親という属性 よりも別の属性を優先して考えているのである。堀江氏や浦氏はチェーホフ作品には父親 の存在が欠けていると指摘しているが 21 、『かもめ』では指摘されているような父親の存在 が希薄なだけでなく、母親としての役割を果たしている人物がいないと言えるだろう。 そして、その母親よりも女性としての立場を重要視する『かもめ』の女性たちが愛情を 抱く相手の男性たちにも一つの共通点を有している。ポリーナの愛するドールン、マー シャの愛するトレープレフ、アルカージナとニーナが愛するトリゴーリン、その全員が家 庭とは無縁な男という点である。逆に、夫として家庭を持つシャムラーエフとメドヴェ ジェンコは誰からも愛されていない。 また、アルカージナと家族関係にあるトレープレフだけでなく、兄のソーリンも孤独な 存在である。大臣としての職をまっとうしたソーリンだが、本当にやりたかったことは何 一つ実現せず、田舎で「なりたかった男」として一生を終えようとしている。『かもめ』 における男性たちは、劇中家族関係のあいだでは他の人物から話を聞いてもらえない。 チェーホフ劇に特徴的な噛み合わない会話だが、その多くは彼ら孤独な男性たちによる台 詞である。

5.トレープレフとニーナが迎える結末

『かもめ』では第三幕と最終幕となる第四幕のあいだに2年の時間が経過し、その舞台 上では見ることのできない時間でマーシャとメドヴェジェンコの結婚など様々な出来事が 起こっている。そして、ニーナとトレープレフは女優と小説家という夢を実現させ、2年 前とは違った立場で再会する。だが、2人が迎える結末はあまりに異なったものである。 トレープレフが拳銃自殺するのに対し、ニーナは女優としては落ちぶれながらも耐え忍び 生き続けることを選択する。 『かもめ』では第四幕に至るまでにトレープレフとニーナはそれぞれの運命が「カモメ」 によって象徴されていた。トレープレフは第二幕で「カモメ」を撃ち落とし、いつの日か その「カモメ」のように自分を撃ち殺すだろうとニーナに語る。そして、彼はその通り拳 銃自殺を遂げてしまう。一方、ニーナはその「カモメ」をヒントにしてトリゴーリンが思 いつく物語、若い女性がこの撃ち落とされた「カモメ」のように男に破滅させられるという物語によって運命が暗示され、実際にそのトリゴーリン本人によって破滅させられてし まう。しかし、ニーナは最後にその「カモメ」に象徴された人生ではなく、「私は女優」 という言葉を残して旅立っていく。彼女は「カモメ」に象徴された破滅するという物語に 抵抗し、耐えて生き続けることを選択するのである。 また、トレープレフの自殺は彼が撃ち落とした「カモメ」だけではなく、ニーナが経験 した赤ん坊の死によっても重ねて暗示されている。ニーナは女優になるためにトリゴーリ ンを追ってモスクワに行き、そこでトリゴーリンとの赤ん坊を産んでいる。この彼女の軌 跡は、『かもめ』に登場する別の女性の軌跡と良く似ている。それがトレープレフの母ア ルカージナである。アルカージナがトレープレフを産んだのは、トレープレフが25歳で ありアルカージナが43歳あることから、18歳の時であることが分かる。ニーナはまさに この18歳の乙女として登場する。もしニーナとトリゴーリンのあいだに産まれた子供が モスクワに彼女が行った年に産まれたならば、18歳で子供を産んだアルカージナと重な るのである。そして、アルカージナはトレープレフの父親と正式な結婚をせずに子供を産 んだ可能性についてロシアのチェーホフ研究者ヴォルチケヴィチが指摘しているが 22 、これ はニーナとトリゴーリンにおいても同じように正式な婚姻関係は結ばれていなかったと考 えられる。こうした共通点から、ニーナの赤ん坊の死もトレープレフの死の暗示する一つ の出来事として考えることができる。 それでは、なぜニーナが耐え忍び生きることが可能だったのに、トレープレフは耐え忍 び生きることができずに自殺を選択したのであろうか。イギリスのロシア文学研究者のマ ガーシャクはトレープレフの自殺の原因を「ニーナが彼の愛に報いて救ってくれるという 最後の希望に破れて自殺する」 23 とニーナにその最終的な原因を求めているが、はたしてそ うなのであろうか。もしニーナを失ったことがトレープレフの自殺の根本的な原因である のならば、トリゴーリンにニーナを奪われた第三幕の自殺未遂は失敗に終わらず成功して いたはずである。 一方、トレープレフが起こした2度の自殺についてチェーホフ研究者のエルミーロフ は「最初の自殺は不幸な、かなわぬ恋のテーマに関連していた。二回目の自殺はすでに別 のテーマ――不幸な、かなわぬ才能のテーマ」 24 と違いを指摘している。つまり、トレープ レフの小説家としての才能とニーナの女優としての才能の差が、2人の結末を分けたとエ ルミーロフは考えているのである。しかしながら、地方回りをするような三流女優にまで 落ちぶれたニーナとトリゴーリンと肩を並べて同じ雑誌にまで掲載されるようになったト レープレフを比べた場合、才能を持っているのはニーナよりもトレープレフの方であるよ うに思われる。 むしろ問題は2人の才能ではなく、2人にとって女優と作家という夢の持っていた意味 に差があったことが最終的に2人の運命を分けた原因なのではないだろうか。2年の月日 はトレープレフとニーナに作家と女優という属性を与えたが、2人はそれ以外の属性を全 て失ってしまっている。物語が進む中でトレープレフはトリゴーリンに母アルカージナと 恋人ニーナを奪われたことで「息子」という属性と「男」としての属性を奪われてしまっている。一方のニーナもトリゴーリンを追ってモスクワに旅立ったあと男に棄てられ、ト リゴーリンとのあいだに産まれた子供も死んでしまっている。彼女も「女」そして「母 親」という属性を失っているのである。また、これは最終幕でも繰り返されている。第四 幕でアルカージナは作家となった息子トレープレフと再会するが、彼女はそのことにわず かばかりの関心も無く、夢を叶えた息子の作品を読んだことすらないことが明らかにされ る。そして彼女はトレープレフの弾く悲しげなワルツに耳を傾けようともしない。一方で 2年ぶりに故郷に帰って来たニーナについても、親たちが彼女を屋敷に近づかせないよう に計らっていることがトレープレフによって観客に知らされる。2人が親から愛されてい ないことが最終幕では再び示されている。そもそもかつて恋人を奪い子供まで産ませた男 を連れてくるアルカージナの配慮の無さは異常としかいいようがない。第四幕で再会する 彼らに残されたものは、作家と女優という職業的属性だけが残っているのみである。 トレープレフと再会したニーナは、自分が女優として生きていくことを信じ、その使命 を思えば人生も怖くはないと語りかける。女優以外の属性を失ったニーナだが、最後に 残った女優という立場が彼女を支え生き続けることを可能にしているのである。対するト レープレフはこの彼女の言葉を受けて「僕は何が自分の使命なのか分からないし、それを 信じることもできない」 25 と答える。つまり、トレープレフにとって作家という属性は彼を 支えることができなかったのである。チェーホフ研究者のベールドニコフはこのトレープ レフの言葉に対し、「自分の内部に復活の可能性をまったく見出せなかった」 26 と述べてい るが、この自己の内部という指摘は2人が得た女優と作家という属性が自分自身の存在に かかっているものであることに気が付かせてくれる。2人が失った家族の中での立場や男 や女という属性は、自分だけではなく他の誰かとの関係性によって生じるものである。そ れに対し、作家や女優という立場は他の誰かに左右されるものではなく、自分自身によっ て得ることができるものである。トレープレフは信念を語るニーナの言葉に対し、自分の ことが「何のために必要なのか、誰のために必要なのか分からない」 27 と答えているが、そ れを必要とすべきなのはトレープレフ自身なのである。ニーナとトレープレフの運命を最 終的に分けたものは、それぞれが作家と女優という属性を信じることができたかどうか だったのである。 実はこのことをトレープレフはニーナが部屋を訪れる前に自分で気が付いている。ロト 遊びをしていたアルカージナたちが食事に向かった後、トレープレフは自室で原稿を書き 始める。そこでトレープレフは小説を書くことについて「問題は形式が新しいか古いか じゃない。人は形式について何一つ考えずに、その魂から自由に流れ出るからこそ書くん だ」 28 と自分の内部から湧き上がるものに従って書けばいいということに気が付いているの である。しかしながら、この発見もトレープレフを自殺から救うことはできなかったこと になる。それゆえ、トレープレフが自殺を選択した理由を導き出すために、彼の湧き上が る源泉について目を向ける必要があるだろう。 自殺する直前、トレープレフは最初に指摘した通り、「もし誰かが庭でニーナに会って ママに言うと良くないな。ママを悲しませるだろうから…」 29 とつぶやき、原稿を破り捨て部屋から出ていく。死を決意した最後の瞬間に彼が口にしたのは、ニーナのことではなく 母アルカージナのことである。このトレープレフの最後の台詞はいくつかの疑問を呼び起 こす。なぜ彼は母親が悲しむと考えたのか、そして、母親を悲しませるものとはいったい 何なのかという疑問である。 一見すると、ここでトレープレフが母親を悲しませると考えているものは、自分がこれ から起こす自殺のことのようにも思える。しかし、トレープレフは自らの死が母親を悲し ませるとは考えていないはずである。なぜならば自分の存在が彼女にとって重要ではない ことは、これまでの経験によって明らかになっている。小説家になるという夢を叶え、ト リゴーリンと同じ雑誌に載るようになっても母親の態度はまったく変わらず、自分に対し て目を向けてくれることは全くなかった。今でも母親にとって重要なのは女優としての職 業やトリゴーリンの存在だけである。それゆえ、母親を悲しませるものは自らの死ではな く、台詞にあるニーナの存在だとトレープレフは考えていたのではないだろうか。2年前、 ニーナはアルカージナから愛人のトリゴーリンを奪い、その子供まで産んだ恋敵である。 そして、彼女がモスクワの舞台に立つことができたのは、トリゴーリンの後ろ盾があった ためであろう。これは女としても女優としてもアルカージナにとって大いなる屈辱だった に違いない。もし母がニーナが来ていたことを知れば、かつて味わった屈辱を再び思い出 させてしまうことになる。それこそがトレープレフの心配だったのではないだろうか。そ して、最後の最後まで母親について気にかけながら死ぬほど、トレープレフにとってアル カージナの存在は大きかったのである。 そもそも、トレープレフがなぜ劇作家を目指し、ニーナを主役にした舞台を披露しよう としたのかを考えると、それは女優である母親に認められるためであり、作家として愛人 のトリゴーリンよりも才能があることを示すためだったと考えられる。何より彼が作家と して初めての作品を披露したのは、一般の観客ではなく自分の母親に対してである。不可 思議なトレープレフの作った象徴的な劇も、その対象が自らを愛してくれない母親だと考 えればそこには彼が感じている孤独感に満たされている。 また、このトレープレフの舞台は、才能を認められるためだけではなく、新しい象徴的 な戯曲や演出によって新たな形式を古い演劇の代表者である母親に見せつけるという反抗 としての意味合いも持っている。父親の束縛から逃れるようにして舞台に立つニーナと女 優である母親に対して挑戦するトレープレフ、舞台はこの2人の若者の親に対する反抗な のである。ところが、トレープレフはアルカージナから浴びせられるヤジに耐えかねて、 ニーナが演じているにもかかわらず劇を中断してしまう。メドヴェジェンコは舞台が始ま る前のマーシャとの会話の中で、この舞台でトレープレフとニーナの魂が一つに溶け合う のだと語っているが、トレープレフは自らの手でその機会を壊してしまったのである。そ して、自らの初舞台を途中で止められてしまったニーナは、このときトレープレフにとっ て自分よりも母親の存在の方が重要であることに気が付いたに違いない。ニーナのトレー プレフに対する恋心が一瞬で冷めきったのは当然である。 このようにトレープレフの作家としての夢は、その出発点から母アルカージナやその愛人トリゴーリンと関わっている。多少うがった見方だが、彼が劇作家ではなく小説家とわ ずかな方向転換をして表現媒体を変えているのは、一度失ったニーナとアルカージナの目 を再び自分に向けさせようという意図が彼の心の中にあったためと考えることもできる。 彼の夢であったもの、そして現実に手に入れた作家という属性は独立したものではなく他 の属性に依存したものなのである。 それに対し、ニーナがかつて夢見ていた、そしてこれからも歩み続ける女優の道は彼女 自身が選んだものであり、誰かのためのものではない。家族のもとを離れて一人で生きて いくために自ら選んだ道である。彼女は第二幕でトリゴーリンに対して芸術家の使命を語 り、第四幕ではトレープレフに対して女優としての使命やあるべき姿を語る。それは、誰 のためでもなく、自分自身のためである。最後のトレープレフとの会話で彼女は、自分が 女優として失敗を繰り返し満足できなかった時期について悲壮な様子で語り続ける。彼女 の「私はかもめ。いいえ、私は女優」 30 という台詞からは、彼女がトリゴーリンの小説の題 材という呪縛から逃れ、自分自身の道を進もうと必死にあがいていることが分かる。家族 から疎ましく思われ、男に捨てられ、子供にも死なれた彼女に残されたものは女優として の己だけなのである。 ニーナが自分自身の手で掴んだ女優という属性は彼女が耐え忍び生きる力を与えたのに 対し、息子や男としての立場に依存した彼の作家という属性はトレープレフが生き続ける ことを支える力を持っていなかった。トレープレフは最後の最後に、作家は形式など気に せず魂から流れ出るように自由に書けばいいと気が付くのだが、その流れ出る源泉はすで に枯れてしまっていたのである。母親は自分の小説を読みもせず、ニーナはトリゴーリン を変わらず愛していると言って去っていく。彼はもう息子としても男としてもいられない ことを再度突きつけられ、彼に残されたものは小説家としての存在だけである。それを必 要としているのは他の誰でもなくトレープレフ自身である。だが、小説家として生きよう とする信念が独立したものではないゆえに、トレープレフは生きる意味を見出すことがで きず死を選んでしまうのである。

結  論

トレープレフの自殺とニーナの旅立ちによって幕が降りる『かもめ』。そのトレープレ フとニーナの運命を分けた背景には2人が持つ様々な属性が大きく関わっていた。物語が 進むにつれ2人は所有していた属性を次第に失い、最後には女優と作家という立場しか残 されていない状況に追い込まれてしまう。しかし、この2人にとって最後に残ったこの属 性は、その根本の部分で大きく異なっている。ニーナにとって女優であることは生きてい くことそのものであり、女優としての存在を他の誰でもない自分自身が必要としているこ とで苦しみに耐え生き続けることを可能にしている。だが、トレープレフの作家という夢 は他の存在を求めるため、それ自体が単独で彼を支えることができなかった。それゆえ、 彼はニーナと違い作家という存在を自分自身に求めることができずに死を選択してしまうのである。 本論で明らかにしてきたような属性に対する視線やその関係性の活かし方は『かもめ』 においてのみ際立ったものである。『かもめ』以外の戯曲作品である『ワーニャ伯父さん』 や『三人姉妹』、また小説作品を見ても職業や階級、性別などの属性がテーマとして扱わ れることはあるものの『かもめ』において見られたような属性の活用は含まれてはいな い。この『かもめ』における属性の活用が、構想や創作段階において作者チェーホフが意 識的であったのかについては彼自身何も語っていないのではっきりとした結論を出すこと はできない。だが、夢を抱き共に一つの舞台を作り上げようとした若者に、生と死という 対極の結果を与えたこの『かもめ』の結末とそこに至る過程には、才能や人間の生き方に 対する作者チェーホフの考えが凝縮されていると言えるだろう。

注 1 本論で用いられている属性という言葉は哲学分野で用いられる「否定しうることのできな い存在の性質」という意味ではなく、人物の持つ性別、家族、階級、職業といった特性や性 質を示す意味で用いている。 2 『かもめ』に対する研究はまずバルハートゥイ( БалухатыС ЧеховдраматургМ
 Художе стве нн ая  литер атур а1936)、エルミーロフ( ЕрмиловВ Др аматур гия Чехо ва М
 Со в е т с кий  пи с а т е л ь 1948)、ベールドニコフ( БердниковГ Чехо в др аматур гЛ
Искус ство  1957)というソ連時代を代表するチェーホフ研究者による研究が挙げられる。これらの研究 では『かもめ』一作品だけではなく他の劇作品とあわせた分析を通じてチェーホフの劇作品 の評価や批評が行われており、『かもめ』のテクスト分析よりもその作品が持つ社会的意義や 劇作の特徴の分析に重点が置かれている。『かもめ』のテクストや内容に関しての研究は主な ものとしてマガーシャク(.BHBSTIBDL%5IF3FBM$IFLIPW"O*OUSPEVDUJPOUP$IFLIPWT-BTU 1MBZT-POEPO(FPSHF"MMFO6OXJO
-UE1972)、池田健太郎(『「かもめ」評釈』中央公論社、 1978)、パペルヌイ( ПаперныйЗ jЧайкаxАПЧеховаМ
Художе ственная  литератул а 1980)による研究が挙げられる。また本論で扱った家族について論じた先行研究として浦雅 春(『チェーホフ』岩波新書、2004。「チェーホフ:その「家」のクロノトポス」『ポリフォ ニア』第2号、1989年。浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」『ロシア手帖』第34号、ロシ ア手帖の会、1992。)、キャロル($BSPM"5IF4FBHVMM5IFTUBHFNPUIFS
UIFNJTTJOHGBUIFS
BOE UIFPSJHJOTPGBSU.PEFSOESBNBWPM421999)、ヴォルチケヴィチ( Волчкевич М А jЧайкаx комедия  з аблуждений М
Муз ей  чел о века2005)による研究に多くの示唆を与えられた。 3 浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」『ロシア手帖』第34号、ロシア手帖の会、1992、54 頁。 4  ЧеховАП Полное  собрание  сочинений  и  писем  в 30ти  томах
сочинения Том 13М
 Наука
1978С 59 5 Там  же С7 6 Там  же С8 7 Там  же  8 Там  же$17 9 Там  же С44


10 この時代のロシアでは血族で財産が相続されるため、血の繋がりのない夫よりも血の繋が りのある娘が遺産相続では優先される。 11 Чехо в АППолно е  с обр ание  с очиненийТом 13С31 12 浦雅春「チェーホフ:その「家」のクロノトポス」『ポリフォニア』第2号、1989、9頁。 13  ЧеховАП Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С9 14 Там  же С15 15 浦雅春「永遠に成熟を奪われた人々」、54頁。 16  ЧеховАП Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С38 17 Там  же С20 18  ПаперныйЗ jВопр еки  вс ем  пр авил амxПь е сы  и  воде вили Чехо ваМ
Искус ство 1982 С134 19  ЧеховАП Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С 5 20 池田健太郎『「かもめ」評釈』中公文庫、1981、15頁。 21 浦雅春『チェーホフ』岩波新書、2004、28頁。堀江新二『演劇のダイナミズム・ロシア史 の中のチェーホフ』東洋書店、2004、24頁。井桁貞義編『はじめて学ぶロシア文学史』ミネ ルヴァ書房、2003、255頁。 22  ВолчкевичМ А jЧайкаxкомедия  з аблужденийМ
Муз ей  чел о века2005С7¦8 23 .BHBSTIBDL%5IF3FBM$IFLIPW"O*OUSPEVDUJPOUP$IFLIPWT-BTU1MBZT-POEPO(FPSHF "MMFO6OXJO
-UE1972Q69 24 エルミーロフ(牧原純訳)『チェーホフの四大戯曲』未来社、1960、116頁。 25  ЧеховА П Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С58¦59 26 ベールドニコフ(芹川嘉久子訳)『劇作家チェーホフ』未来社、1965、137頁。 27  ЧеховА П Полно е  с обр ание  с очиненийТом 13С59 28 Там  же С56 29 Там  же С59 30 Там  же С58
※本論文は文部科学省「特色ある共同研究拠点の整備の推進事業」("09351900)平成23年度公 募研究「近代日露交流とその文脈」(研究代表者:上田洋子)による研究成果の一部である。

28. 中川隆[-13493] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:17:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1411] 報告

私かもめなの。ニーナの叫びは日本語に訳せるのか。

utiken (内田健介)2019/02/07


Я - чайка. 私はかもめ。チェーホフの戯曲『かもめ』に登場するヒロインニーナのあまりにも有名な台詞だ。

主人公トレープレフは恋人のニーナを、母親の愛人トリゴーリンに奪われるという寝取られ作品の『かもめ』。

トレープレフは空を飛んでいるカモメを撃ち落とし、ニーナの前に横たえる。振られたことに対する単なる嫌がらせだが、それを見つけた小説家のトリゴーリンは、一人の破滅する若い女性を描く作品を思いつく。この死んだカモメのように、美しく羽ばたいていた女性が撃ち落とされる物語。

その作品はニーナに強い印象を残し、実際にトリゴーリンに捨てられてドサ回りをするような落ちぶれた女優になった彼女は、かつての恋人トレープレフにかもめと署名した手紙を送る。

そして、2年後にトレープレフと再開したニーナは、私はかもめ、いいえ、違う、私は女優。と口にし、精神的にかなり衰弱している様子が誰の目にも明らかになる。
長々と書いてきたが、今回の話題は、この「私はかもめ」という台詞だ。ロシア語を訳すとすると、これ以外に訳しようがないのだが、ロシア語が持っているニュアンスが、日本語にしたときに抜け落ちてしまっているのではないかと、最近ロシア語を教えるようになって考えたのだ。

仮定法という文法を英語の授業で習ったと思うのだが、ロシア語にも仮定法は存在する。助詞のбыを付けて、時制をわざと過去にして間違うことで、現実ではないことを表す表現方法だ。英語でも時制を過去にしてわざと間違うことで違和感を呼び、現実ではないことを表現するが、ロシア語もほぼ同じ構造を持っている。

もちろん、ニーナは女優であれど、人間であって、かもめなわけはない。だから、ここでそのまま、私はかもめ、という言葉それ自体が持つ意味が仮定法のある言語と無い言語では、かなり感じるものが違うのではないかと思ったのだった。

これは、チェーホフの別の作品「熊」でも言えるかもしれない。あなたはまるで熊よ、ではなく、あなたは熊よ! と言われた際の侮辱度は全然違うのではないだろうか。

こうした各言語の特徴的な文法が使われた文章の翻訳について、その意味をより正確に翻訳しようとする場合、どうやって解決できるのだろう。

https://note.com/utiken/n/n9e9e06ca6265

29. 中川隆[-13492] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:21:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1412] 報告
チェーホフの戯曲『かもめ』を読む(清水正)連載@
清水 正
https://www.shimi-masa.com/?p=350

チェーホフの戯曲『かもめ』を読む
2006年6月17日(土曜)

『かもめ』を読み終わったのは二〇〇六年四月三十日。『ワーニャ伯父さ
ん』も同年四月三十日。『三人姉妹』は同年五月二日。『桜の園』は同年
五月四日に読み終えた。今回初めてチェーホフの戯曲をまとめて読んで、
すぐに批評衝動に駆られ、『イワーノフ』に関してはすでに書き終えた。
次に『かもめ』を批評しようとして、面白いことに気づいた。単なるボケ
現象と言ってしまえばそれだけのことであるが、『かもめ』の内容を何一
つ思い出せない。読んでいる時は確かに、これは面白いと思ったはずなの
に、いざ批評しようとして何一つ思い出せないというのはどういうことだ
ろう。「かもめ」は鳥である。それしか想像できないというのは余りにも
面白い。ここに何か、チェーホフの戯曲の特質性が潜んでいるのではない
かと思えるほどだ。何も思い出せない状況の中で、批評を展開してしまお
う。

チェーホフの戯曲は〈夢〉と似ているのではないか。〈夢〉は、それを
見ている時には実によくその内容が分かっているのに、いざ眼がさめると
さっぱり思い出せないことがある。一度、記憶が失われた〈夢〉の内容を
思い起こすのは容易ではない。むかし、もう三十年近くにもなるが、赤ん
坊のように睡眠時間をとって〈夢〉を見、起きたらその〈夢〉を記述する
ことに情熱を傾けていた男がいた。彼は〈夢〉の記述に関して、その極意
を語ったことがある。すぐに起きてはいけない。ゆっくり、なだらかに、
〈夢〉の世界から、〈現実〉の世界へと移行しなければいけない。とつぜ
ん目覚めたりすると、〈夢〉の世界はたちまち消えてしまうというのであ
った。彼は一日十五時間以上寝て、大半の時間を〈夢〉の世界に遊んでい
た。おそらく彼にとっては現実の世界もまた夢の延長のような世界だった
のだろう。今、彼がどのように生きているのか、すでに死んでしまったの
か、さっぱり分からない。もし、生きているのだとすれば、彼は現実の世
界をしっかりと生きているはずである。六十近くなった男を、いつまでも
夢みさせておくほど現実は甘くない。もし死んでしまったのなら、彼は生
の世界から死の世界へとなだらかに移行したのかもしれない。
〈夢〉は奇妙に現実的であり、現実よりもはるかに先鋭的であったりす
る。チェーホフの戯曲は、読み終えてすぐに、その内容をしかと確認し、
その上で批評しなければ、アッという間に、忘却の彼方へと消え去ってし
まうのかもしれない。空を飛ぶ「かもめ」が、空の色に溶け込み、その姿
を消してしまうようにである。
思い出せない〈夢〉は、もう取り返しがつかないが、『かもめ』は戯曲
であるから、たとえきれいさっぱりその内容を忘れてしまっても、再び読
めば、その内容を知ることはできる。このまま放っておきたい気持もある
が、チェーホフの五大戯曲に関しては、徹底的に批評すると決めてしまっ
たので、これからはテキストに沿って『かもめ』の世界を検証することに
したい。
第一幕、教員のメドヴェーヂェンコと、ソーリン家の支配人シャムラー
エフの娘マーシャの対話を見てみよう。
2006年6月18日(日曜)
メドヴェーヂェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわ
けです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
メドヴェーヂェンコ なぜです?(考えこんで)わからんですなあ。…
…あなたは健康だし、お父さんにしたって、金持じゃないまでも、暮しに
不自由はないし。僕なんか、あなたに比べたら、ずっと生活は辛いですよ。
月に二十三ルーブリしか貰ってないのに、そのなかから、退職積立金を天
引きされるんですからね。それだって僕は、喪服なんか着ませんぜ。(ふ
たり腰をおろす)
マーシャ お金のことじゃないの。貧乏人だって、仕合せにはなれるわ。
メドヴェーヂェンコ そりゃ、理論ではね。だが実際となると、そうは
行かない。僕に、おふくろ、妹がふたり、それに小さい弟・・それで月給
が只の二十三ルーブリ。まさか食わず飲まずでもいられない。お茶も砂糖
もいりますね。タバコもいる。そこでキリキリ舞いになる。
マーシャ (仮舞台の方を振り向いて)もうじき幕があくのね。
メドヴェーヂェンコ そう。出演はニーナ嬢で、脚本はトレーブレフ君
の書きおろし。ふたりは恋仲なんだから、今日はふたりの魂が融合して、
同じ一つの芸術的イメージを、ひたすら表現しようという寸法でさ。とこ
ろが僕とあなたの魂には、共通の接点がない。僕はあなたを想っています。
恋しさに家にじっとしていられず、毎日一里半の道を、てくてくやって来
ては、また一里半帰っていく。その反対給付といえば、あなたの素気ない
顔つきだけです。それも無理はない。僕には財産もなし、家族は大ぜいと
来ていますからね。……食うや食わずの男と、誰が好きこのんで結婚なん
かするものか?
マーシャ つまらないことを。(嗅ぎタバコをかぐ)お気持ちは有難い
と思うけれど、それにお応えできないの。それだけのことよ。(タバコ入
れを差出して)いかが?
メドヴェーヂェンコ 欲しくないです。(間)
マーシャ 蒸し蒸しすること。晩くなって、ごろごろザーッと来そうね。
あなたはしょっちゅう、理屈をこねるか、お金の話か、そのどっちかなの
ね。あなたに言わせると、貧乏ほど不仕合せなものはないみたいだけれど、
あたしなんか、ボロを着て乞食ぐらしをした方が、どんなに気楽だか知れ
やしないわ。……あなたには、わかってもらえそうもないけど……
メドヴェーヂェンコはマーシャが好きで、できれば結婚したいと願って
いる。しかしマーシャにはその気はない。メドヴェーヂェンコの言葉を借
りれば「僕とあなたの魂には、共通の接点がない」ということになる。二
人の魂に共通の接点がないのに、なぜメドヴェーヂェンコはマーシャを好
きになってしまったのか。魂に何の共通点などなくても、男は女を、女は
男を好きになる場合がある。メドヴェーヂェンコの場合もそうだったのだ
ろう。ここに引用した場面に限れば、マーシャはメドヴェーヂェンコを愛
してはいないが、友達の一人としては心を許していたのであろう。
メドヴェーヂェンコはマーシャが結婚を承諾しない理由を、彼の貧しさ
にあると考えている。母と妹二人と小さい弟の生活は彼一人の稼ぎにかか
っている。月給二十三ルーブリで一家五人が暮らしていくのは容易ではな
い。マーシャは「貧乏人だって、仕合せにはなれるわ」と言うが、メドヴ
ェーヂェンコにはそれは恵まれた者の理屈としか思えない。金を優先させ
るメドヴェーヂェンコと、金よりも精神的なことを優先させるマーシャが、
お互いに深く理解しあえるはずはない。マーシャはメドヴェーヂェンコに
面と向かって「あなたはしょっちゅう、理窟をこねるか、お金の話か、そ
のどっちかなのね」と言う。
世の中には金がなくてもそのことをあまり気にもせずに、自分の〈仕
事〉に没頭するタイプの人間がいる。芸術家や文学者が、金を意識しだし
たらろくなものを創造できないだろう。昔から芸術・学問と貧乏はセット
であった。結果として金が入る場合もあろうが、芸術・学問が金目当てに
なってしまったら、自分で自分の首をしめるようなものである。メドヴェ
ーヂェンコは教師であるから、子供たちに対する教育に情熱を注がなけれ
ばならない。しかし、この場面における彼の発言は、マーシャの言うよう
に金にまつわるつまらない話ばかりである。まずこういう男は女に持てな
い。マーシャに恋い焦がれて毎日一里半の道を通ってきても、決してマー
シャの魂を虜にすることはできない。マーシャがメドヴェーヂェンコに魅
力を感じないのは、彼に財産がないからでも、大勢の家族がいるからでも
ない。理窟をこねるか金の話しかできない男は、暮らしに何不自由のない、
若くて健康な娘、にもかかわらず自分を〈不仕合せな女〉と見なしている
娘の魂を震わせることはできない。メドヴェーヂェンコは一口で言ってし
まえば詰まらない男なのである。
マーシャは自分との結婚を願っている男に対して「お気持ちは有難いと
思うけれど、それにお応えできないの。それだけのことよ」と言っている。
このセリフは穏やかな口調で発せられているが、それだけに拒否の意志は
決定的である。ここまで言われても、友達感覚で一里半の道のりを通って
くるメドヴェーヂェンコには、単なる詰まらない男を越えて、どこか押し
の強いずうずうしさを感じる。ソーニャに冤罪事件を仕掛けたルージンの
ような卑劣漢ではないにしても、メドヴェーヂェンコが俗物中の俗物、神
の口から吐きだされてしまう〈生温き〉教師であることは疑いない。
2006年6月19日(月曜)
さて、この『かもめ』の最初の場面からしてまったくわたしの記憶にと
どまっていないのはどういうことだろうか。これは単にボケ現象がはじま
ったというよりも、ここに書かれたようなこと、つまり余りにも日常的な、
おそらく世界のいたるところで交わされているようなありふれた会話に、
脳が敢えて記憶する必要を感じなかったのではないかと思う。『イワーノ
フ』でイワーノフとアンナは熱烈な恋愛の最中に〈永遠の愛〉を誓って結
婚した。しかしチェーホフは二人のその熱烈な場面をいっさい描かなかっ
た。描かなくても、若い男女の熱烈な愛の姿など似たり寄ったりであるか
ら、読者は十分にそのことを想像することができる。ここに描かれたメド
ヴェーヂェンコとマーシャの対話なども、別に新しいことは何一つない。
男は相手の女を想って通い詰めるが、当の女は男に友情以外の感情を抱い
ていない。こんな男女の関係など世界には吐き捨てるほどある。別にチェ
ーホフの戯曲を読まなくても、現実のいたるところに転がっている、実に
ありふれた関係である。
わたしは長いことドストエフスキーを読んできた。そこには主人公の発
狂やら人殺しやらが描かれている。まさにドストエフスキーの文学は非日
常的な出来事の宝庫で、読者は否応もなく、そのカオスの世界へと巻き込
まれていく。主人公の狂気や殺意は読者にも感染する強烈な毒を持ってい
て、油断も隙もない。ところがチェーホフの文学においては、舞台は日常
と地続きの所に設置されている。時代や民族、宗教は異なっていても、メ
ドヴェーヂェンコとマーシャは、時空を越えた〈お隣さん〉なのである。
それでは再び〈お隣さん〉の世界へと舞い戻ることにしよう。メドヴェ
ーヂェンコの悩みの種は大勢の家族と薄給、そのために愛するマーシャと
の結婚が阻まれていると考えていることにある。一方、マーシャは「ボロ
を着て乞食ぐらしをした方が、どんなに気楽だか知れやしない」と考えて
いる。ということは、マーシャは〈貧乏〉などは取るに足らない、彼女の
心を悩ます問題を抱えているということである。マーシャは〈……〉の後、
「あなたには、わかってもらえそうもないけど……」と続けて口を閉ざす。
メドヴェーヂェンコが想像力のある感性豊かな青年であったなら、マーシ
ャのこの言葉に込められた様々なメッセージを読むことができたろう。し
かし、メドヴェーヂェンコには決定的にこの想像力が欠けている。彼はマ
ーシャの内部世界に参入することができない。
メドヴェーヂェンコは最初に「あなたは、いつ見ても黒い服ですね。ど
ういうわけです?」とマーシャに訊いた。マーシャは「わが人生の喪服な
の。あたし、不仕合せな女ですもの」と答えていた。もしメドヴェーヂェ
ンコに豊かな想像力が備わっていたなら、すぐにマーシャの〈不仕合せ〉
の内実に肉薄し、その核心を掴むことができたであろう。しかしメドヴェ
ーヂェンコは人間の幸、不幸を外的条件で推し量ろうとし、精神世界に求
めようとしない。この時点でメドヴェーヂェンコはマーシャの女心をつか
むことはできない。メドヴェーヂェンコにできるのは薄給や退職積立金の
話などで、つまり彼が関心を持っているのは日々の辛い暮らし向きのこと
ばかりなのである。こんな話はマーシャにとっては退屈以外のなにもので
もない。ところがメドヴェーヂェンコには想像力が欠けているから、相手
が自分の話に飽き飽きしていることにも気づかない。こういう男は、いつ
も相手の柵の外側にいて、自分の不幸を嘆いているよりほかはない。
次の場面を見てみよう。
ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎が苦手で
な、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染めまいよ。ゆうべは十時
に床へはいって、けさ九時に目がさめたが、あんまり寐すぎたもんで、脳
味噌が頭蓋骨に、べったり喰っついたような気がした・・とまあいった次
第でな。(笑う)ところが昼めしのあとで、ついまた寐込んじまって、今
じゃ全身へとへと、夢にうなされてるみたいな気持さ、早い話がね……
トレープレフ そりゃ勿論、伯父さんは都会に住む人ですよ。(マーシ
ャとメドヴェーヂェンコを見て)皆さん、始まる時には呼びますよ。今こ
こにいられちゃ困るな。暫時ご退場を願います。
ソーリン (マーシャに)ちょいとマーシャさん、あの犬の鎖を解いて
やるように、ひとつパパにお願いしてみては下さらんか。やけに吠えるで
なあ。おかげで妹は、夜っぴてまた寐られなかった。
マーシャ 御自分で父に仰しゃって下さいまし、あたしは御免こうむり
ます。あしからず。(メドヴェーヂェンコに)さ、行きましょう!
メドヴェーヂェンコ (トレープレフに)じゃ、始まる前に、知らせに
よこして下さい。(94〜95)
ソーリンは主人公アルカージナの兄、トレープレフはアルカージナの息
子である。舞台はソーリン家の田舎屋敷に設定されている。ソーリンは田
舎が苦手と嘆き、甥のトレープレフは「伯父さんは都会に住むひと」だと
言う。今のところ、なぜソーリンが田舎にとどまっているのかその理由は
分からない。分かっているのは、ソーリンが自分の望むこととは裏腹な生
活を強いられているということである。マーシャは健康で金に不自由のな
い生活の中にあって〈不仕合せ〉であり、メドヴェーヂェンコは愛するマ
ーシャに拒まれていることで不仕合せである。どうやら、この戯曲の登場
人物たちは、少なくともメドヴェーヂェンコ、マーシャ、そしてソーリン
の三人は自分を〈不仕合せ〉と思っているらしい。
次の場面を見てみよう。
ソーリン すると、夜どおしまた、吠えられるのか。さあ、事だぞ。わ
たしは田舎へ来て、思う通りの暮しのできた例しがない。前にゃよく、二
十八日の休暇を取っちゃ、ここへやって来たもんだ。骨休めや何やら・・
とまあいった次第でな。ところが、くだらんことに責め立てられて、着い
たその日から、逃げだしたくなったよ。(笑う)引揚げる時にゃ、やれや
れと思ったもんだ。……だが今じゃ、役を退いてしまって、ほかに居場所
がない・・早い話がね。いやでも、ここに釘づけだ……(95)
ソーリンがマーシャに犬の鎖を解いてくれるようパパに頼んでくれ、と
言ったそのパパとはマーシャの父親シャムラーエフでソーリン家の支配人
である。マーシャは直接、父に頼んでくれと言ってにべもなく断る。ソー
リンは自分の領地に住んでいて、なぜ支配人に遠慮しなければならないの
であろうか。マーシャは、なぜソーリンの要望を無下に拒否できるのであ
ろうか。領主と支配人が、すでに主従の関係を保てなくなっていたのであ
ろうか。いずれにせよ、ソーリンは犬の吠え声に悩まされなければならな
い。ソーリンは、かつては骨休みのために二十八日の休暇をとって田舎の
屋敷に来たこと、しかしすぐに逃げ出したくなったと語る。おそらく都会
で何らかの役職に就いていたのであろう。田舎に飽きれば、すぐに都会へ
と舞い戻ることができたソーリンも、今や役を退いて、この田舎屋敷の他
には〈居場所〉がない。唯一の〈居場所〉が居心地のいい所であれば何ら
問題はない。ソーリンは決して馴染むことのできない田舎の領地にとどま
って、様々な不満を抱えて生きていく他はない。夜通し犬の吠え声に悩ま
されるのは、一種の刑罰であり地獄である。ふつうなら、どう考えても領
主を慮って犬の鎖を解くなり、他に移すなりするだろう。支配人のシャム
ラーエフの無配慮と、その娘マーシャの拒絶は、まさに領主を領主とも思
わぬ輩のすることと同じである。ソーリンは領地の者に対する支配力をま
ったく失った名ばかりの領主であったのだろうか。
ヤーコフ (トレープレフに)若旦那、〔わっしら〕ちょいと一浴びし
て来ます。
トレープレフ いいとも。だが十分したら、みんな持場にいてくれよ。
(時計を見て)もうじき始まりだからな。
ヤーコフ 承知しやした。(退場)
トレープレフ (仮舞台を見やりながら)さあ、これが僕の劇場だ。カ
ーテン、袖が一つ・・その先は、がらんどうだ。書割りなんか、一つもな
い。いきなりパッと、湖と地平線の眺めが開けるんだ。幕あきは、きっか
り八時半。ちょうど月の出を目がけてやる。
ソーリン 結構だな。
トレープレフ 万一ニーナさんが遅刻しようもんなら、舞台効果は吹っ
飛んじまう。もう来る時分だがなあ。あのひとは、お父さんやまま母の見
張りがきびしいもんで、家を抜け出すのは、牢破りも同様、むずかしいん
ですよ。(伯父のネクタイを直してやる)伯父さんは、頭も髯ももじゃも
じゃだなあ。ひとつ、刈らせるんですね。……
ソーリン (髯をしごきながら)これで一生、たたられたよ。わたしは
若い時分から、飲んだくれそっくりの風采・・とまあいった次第でな。つ
いぞ女にもてた例しがない。(腰かけながら)妹のやつ、なぜああ、お冠
りなんだろう?
トレープレフ なぜかって? 淋しいんですよ。(ならんで腰をおろし
ながら)妬けるんでさ。おっ母さんはてんからもう、この僕にも、今日の
芝居にも、僕の脚本にも、反感を持ってるんだ。というのも、演るのが自
分じゃなくて、あのニーナさんだからなんです。僕の脚本も見ない先から、
眼の敵にしてるんだ。
ソーリン (笑う)まさか、そう気を廻さんでも……
トレープレフ おっ母さんはね、この小っぽけな舞台で喝采を浴びるの
が、あのニーナさんで、自分じゃないのが、癪のたねなんですよ。(時計
を見て)ちょいと心理的な変り種でね・・おっ母さんは。そりゃ才能もあ
る、頭もいい、小説本を読みながら、めそめそ泣くのも得意だし、ネクラ
ーソフの詩だって、即座に残らず暗唱できるし、病人の世話をさせたら・
・エンジェルもはだしですよ。ところが、例しにあの人の前で、エレオノ
ラ・ドゥーゼでも褒めて御覧なさい。事ですぜ! 褒めるなら、あの人の
ことだけでなくてはならん。劇評も、あの人のことだけ書けばいい。『椿
姫』だの『人生の毒気』〔ロシヤ十九世紀の傾向的作家マルケーヴィチの
戯曲〕だのをやる時のあの人の名演技を、わいわい騒ぎ立てたり、感激し
たりしなくてはならん。ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。
そこで、淋しいもんだから苛々する。われわれみんな悪者で、親のカタキ
だということになる。おまけに、あの人は御幣かつぎで、三本蝋燭〔死人
のほとりを照らす習慣〕をこわがる、十三日と聞くと顔いろを変える。し
かも、けちんぼと来ている。オデッサの銀行に、七万も預けてあることは
・・僕ちゃんと知ってるんだ。だのに、ちょいと貸してとでも言おうもん
なら、めそめそ泣き出す始末だ。
ソーリン お前さんは、自分の脚本がおっ母さんの気に入らんものと、
頭から決めこんで、しきりにむしゃくしゃ・・とまあいった次第だがな。
案じることはないさ・・おっ母さんは、君を崇拝しているよ。
トレープレフ (小さな花の弁をむしりながら)好き・・嫌い、・・好
き・・嫌い、好き・・嫌い。(笑う)そうらね、お母さんは僕が嫌いだ。
あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が期待。とこ
ろがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭でも、自
分の年を思い出さざるを得ない。僕がいなけりゃ、あの人は三十二でいら
れるが、僕がいると、とたんに四十三になっちまう。だから僕が苦手なん
ですよ。それにあの人は、僕が劇場否定論者だということも知っている。
あの人は劇場が大好きで、あっぱれ自分が、人類だの神聖な芸術だのに、
奉仕しているつもりなんだ。ところが僕に言わせると、当世の劇場という
やつは、型にはまった因習にすぎない。こう幕があがると、晩がたの照明
に照らされた三方壁の部屋のなかで、神聖な芸術の申し子みたいな名優た
ちが、人間の食ったり飲んだり、惚れたり歩いたり、背広を着たりする有
様を、演じて見せる。ところで見物は、そんな俗悪な場面やセリフから、
なんとかしてモラルをつかみ出そうと血まなこだ。モラルと言っても、ち
っぽけな、手っとり早い、御家庭にあって調法・・といった代物ばかりさ。
そいつが手を変え品を変えて、百ぺん千べん、いつ見ても種は一つことの
繰り返しだ。そいつを見ると僕は、モーパッサンみたいに、ワッと逃げ出
すんです。エッフェル塔の俗悪さがやり切れなくなって、命からがら逃げ
出したモーパッサン〔その小説『さすらい』参照〕みたいにね。(全集95
〜98)
第一幕が始まる前に次のような舞台説明の文章があった・・「ソーリン
家の領地内の庭園の一部。広い並木道が、観客席から庭の方へ走って、湖
に通じているのだが、家庭劇のため急設された仮舞台にふさがれて。湖は
まったく見えない。仮舞台の左右に灌木の茂み。椅子が数脚、小テーブル
が一つ」。この舞台構成は、この戯曲の本質的なテーマを端的に表してい
ると言えよう。湖へと続く並木道をふさいでいるのは家庭劇を演ずるため
の仮舞台である。〈湖〉を平和、和解、明るい未来などの隠喩と見れば、
そこへと続く長い一本道が仮舞台によってふさがれているということは意
味深である。
2006年6月20日(火曜)
いったいこの仮舞台においてどのような家庭劇が演じられることになるの
か。演じられる前にすでに、トレープレフとその母アルカージナの確執が
露になっている。トレープレフは仮舞台を見て「これが僕の劇場だ」と言
っているから、舞台演出家なのであろうか。母親アルカージナはいつも自
分が讃美と喝采を浴びていなければ満足できないような女優である。とこ
ろが息子のトレープレフが主役に抜擢したのは裕福な地主の娘ニーナであ
る。読者・観客はこのニーナという〈女優〉の姿をまだ見ることはできな
い。読者・観客の言葉によれば、開幕はきっかり八場半ということである
から、それまでには必ず登場するであろう。ニーナが登場するまでに、ト
レープレフは母親について多弁を弄し、彼女の自己中心的な性格、ケチ、
劇場否定論者の彼に対する反感などを読者・観客にしっかりと植えつける。
どうやらトレープレフと母親との間にも修復不能の亀裂が走っているらし
い。まったくこの戯曲には、愛し愛される関係にある人物は一人も登場し
てこないのであろうか。否、メドヴェーヂェンコのセリフによれば、脚本
を書いたトレープレフと主演のニーナは〈恋仲〉で、今日は二人の魂が融
合するということであった。はたしてこの〈魂の融合〉はどこまで永遠性
を獲得できるのであろうか。何しろ『イワーノフ』においてはイワーノフ
とアンナの〈永遠の愛〉はわずか四年しかもたなかたのであるから。
劇場否定論者のトレープレフと、劇場大好き女優のアルカージナとの対
立・確執は、演劇における保守勢力と改革派の対立・確執のミニチュア版
といったところであろうか。トレープレフは仮舞台を見やりながら「カー
テン、袖が一つ、袖がもう一つ・・その先は、がらんどうだ。書割りなん
か、一つもない。いきなりパッと、湖と地平線が開けるんだ」と言ってい
る。トレープレフの演劇にはたいそうな建築物としての劇場などいっこう
に必要としないらしい。彼は自然(ここでは湖まで続くまっすぐな並木道
や、月など)を巧みに利用すれば、舞台に大金をかけることはないと考え
ている。彼は「当世の劇場というやつは、型にはまった因襲にすぎない」
と言い、観客は「俗悪な場面やセリフから、なんとかしてモラルをつかみ
出そうと血まなこだ」と批判する。彼は、新しい演劇の形式と、新しい観
客を求めて格闘しているらしい。劇場派の母親アルカージナは、トレープ
レフが戦わなければならない保守的陣営のシンボルでもある。従ってニー
ナが望む望まないにかかわらず、彼女もまたトレープレフの新思想のもと
にアルカージナと対立・葛藤しなければならないことになろう。未だ、ニ
ーナは登場していないが、はたしてどのように演技を展開するのか読者・
観客の興味は募る。
ソーリン 劇場がないじゃ、話になるまい。
トレープレフ だから、新らしい形式が必要なんですよ。新形式がいる
んで、もしそれがないんなら、いっそ何にもない方がいい。(時計を見
る)僕は、おっ母さんが好きです、とても好きです。だが、あの人の生活
は、なんぼなんでも酷すぎる。しょっちゅう、あの小説家のやつとべたべ
たしちゃ、のべつ新聞に浮名をながしている。これにゃまったく閉口です
よ。時によると、人間の悲しさで、僕だって人なみのエゴイズムが、むら
むらっと起きることもある。つまり、うちのおっ母さんが有名な女優なの
が、くやしくなるんです。もし普通の女でいてくれたら、僕もちっとは幸
福だったろうにな、ってね。ね伯父さん、これほど情ない、馬鹿げた境遇
があるもんでしょうか。おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずら
り顔をならべたもんです・・役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だ
けが、名も何もない雑魚なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人
の息子だからというだけのことに過ぎん。僕は一体だれだ?
2006年6月22日(木曜)
どこの何者だ? 大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告に
よくある、例の「さる外部事情のため」〔当時の雑誌などが、思想の弾圧
のため発禁になった時に使う慣用句〕って奴でさ。しかも、これっぱかり
の才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ・・キーエフの町
人と書いてある。なるほどうちの親父は、有名な役者じゃあったが、元を
ただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間
で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼を僕にそそいでくれるごとに、
僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたい
な気がした、・・向うの気持を推量して、肩身の狭い思いをしたもんです
よ……
ソーリン 事のついでに、ちょっと聞かしてもらうが、あの小説家は全
体に何者かね? どうも得体の知れん男だ。むっつり黙りこんでてな。
トレープレフ あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、
メランコリックな男ですよ。なかなか立派な人物でさ。まだ四十には間が
あるのに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめの御身分
だ。……書くものはどうかと言うと……さあ、なんと言ったらいいかな
あ? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし……トルストイや
ゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね。
ソーリン ところでわたしは、文士というものが好きでな。むかしはこ
れでも、あこがれの的が二つあった。女房をもらうことと、文士になるこ
となんだが、どっちも結局だめだったな。そう。小っちゃな文士だっても、
なれりゃ面白かろうて、早い話がな。
トレープレフ(耳を澄ます)足音がきこえる。……(伯父を抱いて)僕
は、あの人なしじゃ生きられない。……あの足音までが素晴らしい。……
めちゃめちゃに幸福だ!(足早に、ニーナを迎えに行く。彼女登場)さあ、
可愛い魔女が来た、僕の夢が……(98〜99)
アルカージナは大女優、息子のトレープレフは大学を三年で飛びだした
〈名も何もない雑魚〉である。トレープレフは母親に嫉妬し、母親の前で
自分が一匹の〈雑魚〉であることを不断に思い知らされている。トレープ
レフは息子として母親を誰よりも愛しているが、同時に「のべつ新聞に浮
名をながしている」母親に反感を抱いている。アルカージナは世間体など
気にせずにマイペースで生きている〈有名な女優〉で、彼女の客間には
〈天下のお歴々〉が顔を並べている。トレープレフはいつも肩身の狭い思
いで小さくなっている。トレープレフはソーリンに自分の母親に対する思
いを正直に話している。
トレープレフが新しい形式の演劇を模索し、将来、演劇界で活躍する野
望を抱いていたのであれば、アルカージナという女優は打倒しなければな
らない敵側の一人ということになる。おそらくトレープレフは素人娘のニ
ーナを抜擢することで保守的な大女優アルカージナに反抗し、新しい演劇
の夜明けを目指したのであろう。今後、その試みがどのような展開を見せ
るのか、観客の注目を集めるだけ集めたところで、いよいよトレープレフ
の〈夢〉である、〈可愛い魔女〉ニーナの登場とあいなる。
ニーナ (興奮のていで)あたし、遅れなかったわね。……ね、遅れや
しないでしょう。……
トレープレフ (女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫……
ニーナ 一日じゅう心配だった、どきどきするくらい! 父が出してく
れまいと、気が気じゃなかったわ。……でも父は、今しがた継母と一緒に
出かけたの。空が赤くって、月がもう出そうでしょう。で、あたし、一生
けんめい馬を追い立てて来たの。(笑う)でも、嬉しいわ。(ソーリンの
手を握りしめる)
ソーリン (笑って)どうやらお目を、泣きはらしてござる。……ほら
ほら! 悪い子だ!
ニーナ ううん、ちょっと。……だって、ほら、こんなに息がはずんで
いるんですもの。三十分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの。後生だから
引きとめないでね。ここへ来たこと、父には内緒なの。
トレープレフ ほんとに、もう始める時刻だ。みんなを呼んで来なくち
ゃ。
ソーリン では、わたしがちょっくら、とまあ言った次第でな。はいは
い、只今。(右手へ行きながら歌う)「フランスをさして帰る、兵士のふ
たりづれ。」〔ハイネの『ふたりの擲弾兵』より〕……(ふり返って)い
つぞや、まあこういった工合に歌いだしたらな、ある検事補のやつめが、
こう言いおった・・「いや閣下、なかなか大した喉ですな。」……そこで
先生、ちょいと考えて、こう附け足したよ・・「しかし……厭なお声で
。」(笑って退場)
ニーナ 父も継母も、あたしがここへ来るのは反対なの。ここはボヘミ
アンの巣窟だって……あたしが女優ににでもなりゃしまいかと、心配なの
ね。でもあたしは、ここの湖に惹きつけられるの、かもめみたいにね。…
…胸のなかは、あなたのことで一ぱい。(あたりを見まわす)
2006年6月26日(月曜)
トレープレフ 僕たちきりですよ。
ニーナ 誰かいるみたいだわ……
トレープレフ いやしない。(接吻)
ニーナ これ、なんの木?
トレープレフ ニレの木。
ニーナ どうして、あんなに黒いのかしら?
トレープレフ もう晩だから、物がみんな黒く見えるのです。そう急い
で帰らないで下さい。後生だから。
ニーナ だめよ。
トレープレフ じゃ、僕のほうから行ったらどう、ニーナ? 僕は夜ど
おし庭に立って、あなたの部屋の窓を見てるんだ。
ニーナ だめ、万人に見つかるわ。それにトレゾールは、まだお馴染じ
ゃないから、きっと吠えてよ。
トレープレフ 僕は君が好きだ。
ニーナ シーッ。
トレープレフ (足音を耳にして)だれだ? ヤーコフ、お前か?
トレープレフ みんな持場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
ヤーコフ (仮舞台のかげで)へえ、さようで。
トレープレフ アルコールの用意はいいね? 硫黄もあるね? 紅い目
玉が出たら、硫黄の臭いをさせるんだ。(ニーナに)さ、いらっしゃい、
支度はすっかり出来ています。……興奮ってますね?……
ニーナ ええ、とても。あなたのママは・・平気ですわ、こわくなんか
ない。でも、トリゴーリンが来てるでしょう。……あの人の前で芝居をす
るのは、あたしこわいの、恥かしいの。……有名な作家ですもの。……若
いかた?
戸 ええ。
ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演りにくいわ。生きた人間がいないん
だもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけ
ない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくち
ゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少くて、読むだけなんですもの。戯曲
というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ……
(ふたり、仮舞台のかげへ去る)(全集12・99〜101 )
2006年6月27日(火曜)
トレープレフの〈可愛い魔女〉〈夢〉であるニーナが登場。読者・観客
はニーナの発する言葉によって彼女の置かれている状況を把握する。母親
は継母で、父親はニーナのしつけに厳しく、夜に娘が外に出ることなど絶
対に許さない、たまたま両親が揃って出掛けた隙に馬を追い立てて約束の
場所へと着いたことになる。つまりニーナは父親に内緒でトレープレフの
所へと駆けつけ、約束の芝居をしてすぐに戻らなければならない。ニーナ
の両親は娘がトレープレフと付き合うことに反対している。両親にとって
トレープレフの所は〈ボヘミアンの巣窟〉で、ニーナが〈女優〉になるこ
となど大反対なのである。
しかしトレープレフとニーナは愛し合っている。愛する男と逢うために
親の眼を盗み、嘘をつくことなどどこの娘もしていることだ。ニーナの情
熱を、トレープレフの愛情を誰も押さえ込むことはできない。しかし、す
でにわたしは『イワーノフ』を読んでいる。あの〈永遠の愛〉を誓ってお
きながら、その誓いに背いたイワーノフの運命を知っている。どのような
熱烈な愛も、それが男と女の間に通う愛なら、時の流れの中でその熱を失
い、冷えきってしまうこともある。男と女の間に〈永遠の愛〉など存在し
ないからこそ、二人は〈誓い〉をたてて、お互いの心を縛りあうと言って
もいい。しかし、熱烈な愛の直中にある時の〈誓い〉は重荷ではないが、
冷めきった後ではその〈誓い〉が己の首をしめることになる。イワーノフ
はアンナの顔を見るだけでもうざったく、とにかく彼女の前から逃亡をは
かり、あげくのはてにはピストル自殺してはてた。イワーノフの陥った憂
鬱は、新たな恋によっては解消せず、結局、自ら命を絶つことによって彼
自身はその虚無の淵からの脱出に成功したが、残された者には確実にその
〈憂鬱〉のウィルスをまき散らした。特にイワーノフの更生にかけていた
サーシャなどは、夫に裏切られた妻アンナ以上のショックを受けたに違い
ない。
チェーホフの読者・観客は、従ってトレープレフとニーナの愛に関して
も、冷やかな眼差しをぬぐい去ることはできない。いったいトレープレフ
の〈可愛い魔女〉が、いつまで彼の〈夢〉たり得るのか。それは文字通り
〈夢〉に終わってしまうのではないのか。トレープレフの母親、トレープ
レフが演劇上、いつかは徹底してぶちのめさなければならない大女優アル
カージナに、はたしてニーナはどこまで喰い入ってくれるのか。ニーナは
ただただトレープレフにお熱をあげているだけの小娘で、一時、トレープ
レフの影響に感染して演劇熱に浮かされているだけではないのか。
2006年6月29日(木曜)
ニーナは未来に暗い予感を感じている。それはトレープレフとの関係に
明るい未来を想定できないことを示している。ニーナはニレの木を見て
「どうして、あんなに黒いのかしら?」と訊ねる。トレープレフは「もう
晩だから、物がみんな黒く見えるのです」と答える。しかし、このトレー
プレフの返事はニーナの疑問に答えていない。ニーナは全く別のことを訊
いているのだ。〈ニレの木〉の黒さ、それはトレープレフが抱え込んでい
る闇の隠喩であり、愛し合っている二人の破滅的未来を暗示しているかも
知れないではないか。少なくとも、父親からトレープレフとの交際を禁じ
られているニーナにとって、未来は決して明るくはない。湖へと続く一本
道が仮舞台によって遮られていることが二人の未来を端的に暗示している
とも言える。ニーナは「あなたの戯曲、なんだか演りにくいわ。生きた人
間がいないんだもの」と言う。この言葉の中にすでに二人の破綻が予告さ
れている。トレープレフの〈可愛い魔女〉は、実は母親の大女優アルカー
ジナよりも、実は手ごわい相手であったのかも知れない。いちど自分の心
の内に入り込んだ〈魔女〉を排除することは容易ではない。ニーナの口に
するセリフは、誰にも妥協しない力強さがある。「あなたの戯曲は、動き
が少くて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がな
くちゃいけないと、あたしは思うわ」・・ニーナの言葉には誰にでも分か
る具体性がある。一方、トレープレフのそれは抽象的である。彼は〈生き
た人間〉〈人生〉を描くには「あるがままでもいけない、かくあるべき姿
でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ」と言う。はたして
この言葉を正確に理解できる者が何人いるのだろうか。〈自由な空想にあ
らわれる形〉・・これは難解な言葉である。トレープレフが自らの演劇で
狙う〈生きた人間〉の姿をこのような言葉で表現されても、なかなかすぐ
には理解できないのである。はたして相手のニーナにどこまで正確に伝わ
ったであろうか。トレープレフの〈抽象〉とニーナの〈具象〉はやがて、
はっきりとした意見の相違となって二人の関係を破綻の方向へと押しやっ
ていくのではなかろうか。今はまだ余りにも小さい溝で、二人とも、その
溝の深さに気づいていないだけのような気がする。
2006年7月1日(土曜)
いよいよ幕があがって、湖の光景が開ける。月は地平線を離れ、水に反
映している。岩の上に白衣のニーナが座っている。ニーナの長い独白が続
く。
ニーナ 人も、ライオンも、鷲も、雷鳥も、角を生やした鹿も、鵞鳥も、
蜘蛛も、水に棲む無言の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった
微生物も、・・つまりは一さいの生き物、生きとし生けるものは、悲しい
循環をおえて、消え失せた。……もう、なん千世紀というもの、地球は一
つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火をともして
いる。今は牧場に、寐ざめの鶴の啼く音も耐えた。菩提樹の林に、こがね
虫の音ずれもない。寒い、寒い。うつろだ、うつろだ。不気味だ、不気味
だ、不気味だ。(間)あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。
永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊
魂だけは、溶け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂・・
それがわたしだ……このわたしだ。……わたしの中には、アレクサンドル
大王の魂もある。シーザーのも、シェークスピアのも、ナポレオンのも、
最後に生き残った蛭のたましいも、のこらずあるのだ。わたしの中には、
人間の意識が、動物の本能と溶けあっている。で、わたしは、何もかも、
残らずみんな、覚えている。わたしは一つ一つの生活を、また新らしく生
き直している。
鬼火があらわれる。
アルカージナ (小声で)なんだかデカダンじみてるね。
トレープレフ (哀願に非難をまじえて)お母さん!
ニーナ わたしは孤独だ。百年に一度、わたしは口をあけて物を言う。
そしてわたしの声は、この空虚のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞
く者はない。……お前たち、青い鬼火も、聞いてはくれない。……夜あけ
前、沼の毒気から生まれたお前たちは、朝日のさすまでさまよい歩くが、
思想もなければ意志もない、生命のそよぎもありはしない。お前のなかに、
命の目ざめるのを恐れて、永遠の物質の父なる悪魔は、分秒の休みもなし
に、石や水のなかと同じく、お前のなかにも、原子の入れ換えをしている。
だからお前は、絶えず流転をかさねている。宇宙のなかで、常住不変のも
のがあれば、それはただ霊魂だけだ。(間)うつろな深い井戸へ投げこま
れだ囚われびとのように、わたしは居場所も知らず、行く末のことも知ら
ない。わたしにわかっているのは、ただ、物質の力の本源たる悪魔を相手
の、たゆまぬ烈しい戦いで、結局わたしが勝つことになって、やがて物質
と霊魂とが美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統べる一つの意志
の王国が出現する、ということだけだ。しかもそれは、千年また千年と、
永い永い歳つきが次第に流れて、あの月も、きららかなシリウスも、この
地球も、すべて塵と化したあとのことだ。……(間。湖の奥に、紅い点が
二つあらわれる)そら、やって来た、わたしの強敵が、悪魔が。見るも怖
ろしい、あの火のような二つの目……
アルカージナ 硫黄の臭いがするわね。こんな必要があるの?
トレープレフ ええ。
アルカージナ (笑って)なるほどね、効果だね。
トレープレフ お母さん!
ニーナ 人間がいないので、退屈なのだ……
ポリーナ (ドールンに)まあまあ、帽子をぬいで! さあさ、おかぶ
りなさい、風邪を引きますよ。
アルカージナ それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱
帽なすったのさ。
トレープレフ (カッとなって、大声で)芝居はやめだ! 沢山だ!
幕をおろせ!
アルカージナ お前、何を怒るのさ?
トレープレフ 沢山です! 幕だ! 幕をおろせったら!(とんと足ぶ
みして)幕だ!(幕がおりる)失礼しました! 芝居を書いたり、上演し
たりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つい忘
れていたもんで。僕はひとの畠を荒らしたんだ! 僕が……いや、僕なん
か……(まだ何か言いたいが、片手を振って、左手へ退場)(全集12・10
4 〜106 )

ニーナはトレープレフが書いた脚本をそのまま口にしているだけのこと、
このセリフにはたしてどれほどの演技力が必要とされたのか。もし、この
セリフ自体にトレープレフが意味をこめていたのだとすれば、何も劇仕立
てにしてくれずとも、脚本をそのまま読めばいいということになる。舞台
での長いセリフは観客の耳にそのまま正確に伝わるとは限らない。なのに
なぜトレープレフは、脚本を書いてそれを活字で発表することだけに満足
せず、さらに俳優を集め、演出し、観客動員に駆け回る、そんなこんなの
苦労を重ねてまで舞台作りに精をだすのだろうか。
https://www.shimi-masa.com/?p=350

30. 中川隆[-13491] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:22:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1413] 報告
チェーホフの戯曲『かもめ』を読む(清水正)連載A
清水 正
https://www.shimi-masa.com/?p=351


2006年7月2日(日曜)
トレープレフはこの芝居でいったい何を言いたかったのであろうか。ニ
ーナが背負っている役は「一さいの生き物、生きとし生けるものは、悲し
い循環をおえて、消え失せた」後の「世界に遍在する一つの霊魂」である。
この〈霊魂〉にトレープレフの思いのすべてが託されている。チェーホフ
の人物の大半は、自分の存在を未来の時点から見つめる視点を持っている。
ここでトレープレフは〈なん千世紀〉という未来時点に存在する〈世界に
遍在する一つの霊魂〉を描いているが、これはその未来時点から今現在を
見ていると言ってもいい。トレープレフはここで、単なる人間、単なる民
族の滅び行く運命ではなく、〈一さいの生き物〉が消え失せた地球を、す
なわち悠久の時を視野に入れている。人間はどんなに養生しても百年も二
百年も生きられるものではない。この世に誕生した者は、ただ一人の例外
もなく死んでいかなければならない。しかも人間はどこから来て、どこへ
行くのかを知らない。人生を真剣に考えれば考えるほど、わたしたちの存
在は或るなにものかによって愚弄されているようにも感じる。或る限定さ
れた時間の枠の中で、喜んだり悲しんだりしながら、結局は死の淵へと追
いやられてしまう人間。それでも今現在に没頭できる人間は、それなりに
生を享受できる。ところが、不断に今現在の自分の存在を死後の時点から
見つめるような眼差しを持った人間は、どうしてもしらけてしまう。どの
ように生きようと、結局は死んでしまうのだとすれば、この世の束の間の
生にいったいどのような意味があるのか。イワーノフの内部に侵入した空
虚、倦怠、憂鬱は、決してイワーノフだけに特有のものではない。自分の
存在を未来時点から眺める者はすべて空虚と倦怠の卵を抱いて生きている。
ここでトレープレフが設定した〈世界に遍在する一つの霊魂〉は〈わた
し〉という主体的な存在で、人間と同様の〈孤独〉を抱えている。この
〈わたし〉は〈永遠の物質の父なる悪魔〉とは対極にある存在で、この悪
魔をも包み込んだ〈霊魂〉ではない。〈わたし〉は〈物質の力の本源たる
悪魔〉と〈たゆまぬ激しい戦い〉をしなければならない存在である。ただ
し〈わたし〉はこの悪魔との戦いに勝利すること、「やがて物質と霊魂と
が美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統べる一つの意志の王国が
出現する」ことを予言している。〈わたし〉は悪魔と勝つか負けるかの、
賭博のような戦いをしているわけではない。〈わたし〉は勝利を約束され
た〈霊魂〉なのである。ならば、何故に〈わたし〉は孤独を感じるのであ
ろう。
〈世界に遍在する一つの霊魂〉は、トレープレフが想像し創造した〈霊
魂〉で、多分にトレープレフ自身の内的世界を反映している。〈わたし〉
は「宇宙のなかで、常住不変のものがあれば、それはただ霊魂だけだ」と
言い、さらに「うつろな深い井戸へ投げこまれた囚われびとのように、わ
たしは居場所も知らず、行く末のことも知らない」と言う。この言葉から
分かるのは、トレープレフは人間は死んだら死りっきりとは思っていなか
ったということである。死んだ人間の身体は腐敗し、大地に溶けこんでし
まうが、霊魂は依然として存在するという考えである。そして人間を含む
〈一さいの生き物〉の霊魂が溶け合わさって一つになったものが〈わた
し〉であり、〈わたし〉はやがて〈世界を統べる一つの意志の王国〉が出
現することを信じている。この〈意志の王国〉に或る限定された生物の固
体はどのように復活してくるのであろうか。例えば、今現在を芝居に熱中
しているトレープレフは、〈意志の王国〉が出現した時に、どのような姿
形を持って蘇生してくるのであろうか。もし、姿形はもとより、すべてが
今現在のトレープレフと違ったものとして蘇生するのであれば、死後も存
在し続ける〈霊魂〉の意味はどこにあるのだろうか。
トレープレフは何と戦っていたのだろうか。母親のアルカージナと戦っ
ていたのであろうか。否、トレープレフが何よりも一番に戦っていた相手
とは〈時間〉である。トレープレフは〈時間〉を超脱しようとしている。
人間は時間の枠の中で生存している。時間の枠から逃れる唯一の方法は死
しかない。死んでも〈霊魂〉が存続するというのであれば、その〈霊魂〉
が存続する〈時間〉が想定されなければならない。しかし、自分が自分で
あることを認識するには意識が必要である。たとえ死んでも、いきのびた
〈霊魂〉が「自分は自分である」という自己同一性の意識を持っていなく
てはならないことになる。トレープレフは生きており、死んだ後の〈霊
魂〉の存在を証明してはいない。トレープレフに可能なことは芝居の脚本
を書いて、自分の考えを観客に伝えることだけである。ニーナの口を通し
て語られたトレープレフの考えは死後においても〈霊魂〉が存在すること、
やがては物質と霊魂が溶け合って世界を統べる一つの意志の王国が出現す
るということである。この確信は、言わばトレープレフの信仰のようにも
のである。、が、この信仰をもってしてもどうにもならない事実がある。
それは〈時間〉である。〈世界に遍在する一つの霊魂〉である〈わたし〉
もまた時間を超越することはできない。それは〈永遠の物質の父なる悪
魔〉もまた同様である。〈世界に遍在する一つの霊魂〉に意志があり、
〈永遠の物質の父なる悪魔〉に意志があったにしても、〈時間〉そのもの
をどうこうする力はない。〈時間〉そのものに意志があるとすれば、〈霊
魂〉も〈悪魔〉もその意志をどうすることもできない。〈時間〉の支配下
におかれたモノの〈意志〉など、はたして意志と呼べるものかどうか。
トレープレフのヴィジョンにはニーチェの永劫回帰説やショーペンハウ
エルの盲目的な宇宙意志、キリスト教の復活説などが反映している。しか
しここでトレープレフの〈世界に遍在する一つの霊魂〉や〈永遠の物質の
父なる悪魔〉、〈世界を統べる一つの意志の王国〉の実体などを考察する
よりは、このような戯曲を書かざるを得なかった彼の〈孤独〉に照明を与
えることにしよう。トレープレフの実存の特徴は〈世界に遍在する一つの
霊魂〉の口から出た〈寒い〉〈うつろ〉〈不気味〉〈孤独〉〈空虚〉とい
った言葉に端的に表れている。〈世界に遍在する一つの霊魂〉は「人間が
いないので、退屈なのだ」と言う。まさに、この〈霊魂〉はいっさいの生
き物の霊魂が一つに溶け合ったものというより、人間の一人であるトレー
プレフ自身の内的世界を投影している。トレープレフは孤独で、しかも退
屈なのだ。おそらくトレープレフは愛するニーナの存在によってもその孤
独と退屈から脱することはできないであろう。なにしろトレープレフは救
い難き憂鬱症に陥ったイワーノフの後に登場してきた人物なのである。
トレープレフがカッとなって「芝居はやめだ! 沢山だ! 幕をおろ
せ!」と怒鳴った場面に注目しよう。トレープレフの怒りがとつぜん爆発
したのは、医師ドルーンが帽子を脱いだときに、母親のアルカージナは
「それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱帽なすったの
さ」と説明した直後である。どうしてこのアルカージナの説明がトレープ
レフの怒りを誘発したのか。ここには何かひとには言えない秘密が隠され
ているのであろうか。
トレープレフは怒りにまかせて「失礼しました! 芝居を書いたり、上
演したりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つ
い忘れていたもんで」と皮肉を飛ばす。しかし、この辛辣な皮肉が皮肉と
してアルカージナに伝わっていないところにトレープレフの孤独と滑稽が
ある。アルカージナの兄ソーリンは「若い者の自尊心は、大事にしてやら
なけりゃ」と言う。ソーリンから見れば、アルカージナの言葉は、新しい
芝居に情熱を傾けるトレープレフの自尊心を著しく傷つけたように思えた
のであろう。しかし肝心のアルカージナにそういった自覚はまったくない。
彼女はある意味、天真爛漫な女優であり、感じたこと、思ったことを率直
に口にしているに過ぎない。〈世界に遍在する一つの霊魂〉の前に強敵の
悪魔がやって来た、まさにその時、トレープレフは〈硫黄の臭い〉を漂わ
せる。すかさずアルカージナはトレープレフに「こんな必要があるの?」
と訊いている。これは皮肉ともあてこすりともとれなくはないが、アルカ
ージナに対抗して新しい演劇を展開しようとする者が、そんな言葉にいち
いちカリカリしていてはいけないだろう。
2006年7月3日(月曜)
トレープレフは「芝居を書いたり、上演したりするのは、少数の選ばれ
た人たちのすることだ」と本気で考えていたのだろうか。おそらくアルカ
ージナは多くの観客を楽しませ感動させるために芝居はあり、自分はその
主役女優だと思っていたに違いない。いつの時代でも、どんな芸術の分野
でも、トレープレフとアルカージナにおける意見の相違は存在する。文学
に限っても純文学と大衆文学がある。演劇の場合は、或る一定の場所(舞
台)に、或る限定された時間内に多くの観客を集めなければならない。小
説の読者のようなわがまま(どんな時間にどれだけ読むかは読者の自由で
ある)は、原則として演劇の観客には許されていない。興行主は、経営上
の問題からも、なるべく多くの観客が集まるような芝居を打ちたいし、俳
優を使いたいと思うのが当然である。トレープレフのような考えを持った
脚本家や演出家は、利益優先の興行主には嫌われるだろう。もしトレープ
レフが自分の主張をまげずに演劇活動を展開しようとするなら、興行費用
は自分で負担しなければならないことになる。トレープレフの演劇論に賛
同する同志的俳優やスタッフが経費を自己負担でもしなければ、とうてい
興行は続けられないことになる。いつの時代でも、新しいことを展開する
ためには、旧世代や旧理論と壮絶な闘いをしなければならないし、自分た
ちの主張が受け入れられるまでにそうとうの苦労を積み重ねなければなら
ない。アルカージナにちょっとばかりチャリを入れられたぐらいでヒステ
リーを起こし、芝居を中断するようではトレープレフの前途は決して明る
くはない。
アルカージナに言わせればトレープレフは「わがままな、自惚れの強い
子」であり、トレープレフの野心満々な演劇の新形式も、ただの〈根性ま
がり〉に過ぎない。要するにアルカージナは息子が〈何か当り前の芝居〉
を出さずに、〈デカダンのたわ言〉を上演したことに不満なのである。
〈世界に遍在する一つの霊魂〉と〈永遠の物質の父なる悪魔〉との闘いも、
〈世界を統べる一つの意志の王国〉の出現も、アルカージナにとっては根
性まがりのデカダンであり〈退屈な暇つぶし〉に過ぎない。哲学の問題は
哲学者が、神学の問題は神学者が頭を悩ませばいい。芝居は皆が喜び、興
奮する一時の娯楽であればいい。演出家や俳優は大衆の娯楽に奉仕すれば
いいのであって、舞台上で自己満足的な理屈をこねまわすことではない。
おそらくアルカージナが考えているのはこういうことであろう。
確かにアルカージナの言は説得力がある。トレープレフがニーナに語ら
せたセリフは脚本を読めばそれですんでしまうことで、敢えて舞台にかけ
る必然性があるとは思えない。アルカージナの感想は、この場に観客とし
て集まった者たちの大半の賛同を得たことだろう。トレープレフの演劇の
新形式に賭ける情熱に水をさすつもりはないが、〈世界に遍在する一つの
霊魂〉の独白は、ひとり書斎で読んでもいい性格のものである。というよ
り、その方が聞き逃しもなく、正確に読み取ることができよう。チェーホ
フ作の『かもめ』は、トレープレフ作の〈デカダンのたわ言〉をも内包す
ることで、観客の退屈を回避することが可能となっている。
アルカージナがトレープレフの芝居の中身について何らコメントを出さ
ず、言わば外側からトレープレフの野心満々を〈デカダンのたわ言〉〈退
屈な暇つぶし〉と切って捨てたのに対し、教師のメドヴェーヂェンコは
「何がなんでも、霊魂と物質を区別する根拠はないです。そもそも霊魂に
してからが、物質の原子の集合なのかも知れんですからね」と一応、中身
に関するコメントを発している。いずれにしても、トレープレフが自ら中
断した芝居は理屈が勝ったもので、一般の観客には理解できず、退屈きわ
まりないものと化したことだろう。二十一世紀の今日においても、トレー
プレフ的理屈の勝った芝居を打っている劇団は多い。主催者側がいくら自
己満足しても、観客にとってはただただ眠いだけの朗読劇のようなものは
なんとかならないものか。もし脚本のセリフ勝負というのなら、それに相
応しい役者を抜擢してもらわなければならない。そうでなければ脚本を静
かな場所でじっくり読んだほうがどれほどましであろうか。
メドヴェーヂェンコは文士トリゴーリンに「で一つ、どうでしょう、わ
れわれ教員仲間がどんな暮らしをしているか・・それをひとつ戯曲に書い
て、舞台で演じてみたら。辛いです。じつに辛いです!」と言う。アルカ
ージナは戯曲や原子の話はもうやめにして、向う岸から聞こえてくる歌に
耳をすまそうと言う。彼女はトリゴーリンに向かって次のように言う。
十年か十五年まえ、この湖じゃ、音楽や合唱がほとんど毎晩、ひっきり
なしに聞えたものですわ。この岸ぞいに、地主貴族が六つもあってね。忘
れもしない、にぎやかな笑い声、ざわめき、猟銃のひびき、それにしょっ
ちゅう、ロマンスまたロマンスでね。……その頃、その六つの屋敷の花形
で、人気の的だったのは、そら、御紹介しますわ(ドールンをあごでしゃ
くって)・・ドクトル・ドールンでしたの。今でもこのとおりの男前です
もの、その頃と来たら、それこそ当るべからざる勢いでしたよ。それはそ
うと、そろそろ気が咎めてきた。可哀そうに、なんだってわたし、うちの
坊やに恥をかかしたのかしら? 心配だわ。(大声で)コースチャ! せ
がれや! コースチャ!
2006年7月4日(火曜)
こういった場面で分かるのは、アルカージナが過去に思いをいたすタイ
プであること、つまり未来よりは積み重ねた過去の時間の方に重きを置い
て生きているということである。アルカージナからかつて花形であったと
紹介されたドクトル・ドールンもまた基本的には同じである。アルカージ
ナは第二幕のはじめに「わたしには、主義があるの・・未来を覗き見しな
い、というね。わたしは、年のことも死のことも、ついぞ考えたことがな
いわ。どうせ、なるようにしかならないんだもの」と語っている。この言
葉で彼女は自分の人生に対する基本的な姿勢を端的に示している。名もな
い、駆け出しのトレープレフは自分の仕事を未来に託すほかはない。かれ
にとって現在は未来へ向かって投企されている。だからこそ未来へと続く
現在が否定されることは、トレープレフにとって何よりも痛い。彼は意識
のうえではアルカージナを過去の人として葬り去りながら、しかし依然と
して彼女の言葉が重くのしかかっている。ところがアルカージナは、すで
に女優としての絶頂期を終えている。彼女にとって過去よりも、現在より
もすばらしい未来が待機しているようには思えない。すでにアルカージナ
は未来を覗き見して一喜一憂する乙女のような心持ちでいきることはでき
ない。彼女は過去をなつかしく思い出すことはあっても、別にその過去に
過剰とらわれることもないし、未来に過剰に期待することもない。彼女は
現在を精一杯、感じ、働き、生きることを信条としている。それは一つの
理想的な生き方である。
ところでアルカージナのこういった現在優位の生き方は自分に自信があ
るからこそ可能だとも言える。現在に絶望し、未来になんの期待も寄せら
れない人間に可能なのは、現在よりはましだった過去への追憶に時を費や
すことであったり、死後の世界に希望を抱くほかはないだろう。アルカー
ジナは過去の名声を現在へまで繋げている大女優である。もし彼女が自分
を一歩前面から退く謙虚さをもって後進の指導にあたることができるよう
なタイプであれば、息子トレープレフの自尊心をいたく傷つけることもな
かったであろう。しかしそういった謙虚さや指導力を彼女に期待すること
はできない。トレープレフは母親の性格を的確に認識している。アルカー
ジナについて先に彼は「褒めるなら、あの人のことだけでなくてはならん。
劇評も、あの人のことだけ書けばいい」とソーリンに言っていた。舞台女
優で名声を博したような者は、たいがい傲慢でひとりよがりと思っていれ
ば間違いないということであろうか。女優に必要とされるのは謙虚さなど
より、むしろ見栄や虚勢であるのかも知れない。自分が世界一の女優だと
心の底から思わなければ、舞台に華やかさをもたらすことはできず、観客
を大きな感動の渦へと誘う力も失せてしまうのかもしれない。喝采を独り
占めするくらいの勢いで舞台に登場しなければ女優はつとまらない。しか
も女優は私生活においても派手な立ち居振る舞いで人々の注目を集めてい
なければならない。というよりか、もともとそういった派手で目立ちたが
り屋でなければ女優としては大成しないのであろう。ドストエフスキーの
人物の中に〈女優〉を探すなら、二人の女の頭上に斧を振り下ろして殺害
したラスコーリニコフの妹ドゥーニャや、ロゴージンとムイシュキン公爵
の間を揺れ動いたあげく殺害されたナスターシャなどを見出すことができ
よう。前者は殺人者の兄ラスコーリニコフの妹にふさわしく、スヴィドリ
ガイロフに銃弾を発射することのできる誇り高き美女であり、後者もまた
傲慢で気まぐれな誇り高き絶世の美女である。こういった荒馬を調教し、
演出できる監督がいれば、彼女たちはさらに美しく輝いたはずである。
『罪と罰』のソーニャのような、運命に従順な、静かな女は、信仰を得て
強い女にはなれても、決して舞台女優にはなれないのである。彼女のよう
な存在は、ドストエフスキーという偉大な小説家のペンによってのみ誰よ
りもすばらしい、輝ける聖なる存在へと高められるのである。つまり小説
世界の中で輝きを増す存在が、即、舞台女優としてその才能を発揮するこ
とはないのである。
ただしアルカージナは女優であると同時にトレープレフの母親でもある。
どんなにトレープレフが演劇の新形式で彼女の牙城に迫ろうとも、母親と
して息子を想う気持が失せることはない。と言うよりアルカージナは未だ
トレープレフを手ごわい相手とは見ていない。ところで医師ドールンのみ
はトレープレフの芝居を高く評価している。彼は独りごちる「ひょっとす
ると、おれは何にもわからんのか、それとも気がちがったのかも知れんが、
とにかくあの芝居は気に入ったよ。あれには、何かがある。あの娘が孤独
のことを言いだした時や、やがて悪魔の紅い目玉があらわれた時にゃ、お
れは興奮して手がふるえたっけ。新鮮で、素朴だ」と。ドールンはトレー
プレフに向かってもはっきりと「僕はきみの芝居が、すっかり気に入っち
まった。ちょいとこう風変りで、しかも終りの方は聞かなかったけれど、
とにかく印象は強烈ですね。君は天分のある人だ、ずっと続けてやるんで
すね」と言って励ましている。トレープレフはドールンの手を強く握り、
いきなり抱きついて、目には涙までためて感激する。ドールンはさらに言
葉を続ける「いいですか・・きみは抽象観念の世界にテーマを仰いだです
ね。これは飽くまで正しい。なぜなら、芸術上の作品というものは必らず、
何ものか大きな思想を表現すべきものだからです。真剣なものだけが美し
い」「重要な、永遠性のあることだけを書くんですな。きみも知ってのと
おり、僕はこれまでの生涯を、いろいろ変化をつけて、風情を失わずに送
ってきた。僕は満足ですよ。だが、まんいち僕が、芸術家が創作にあたっ
て味わうような精神の昂揚を、ひょっと一度でも味わうことができたとし
たら、僕はあえて自分をくるんでいる物質的な上っ面や、それにくっつい
ている一さいを軽蔑して、この地上からスーッと舞いあがったに相違ない
な」「それに、もう一つ大事なのは、作品には明瞭な、ある決った思想が
なければならんということだ。何のために書くのか、それをちゃんと知っ
ていなければならん。でなくて、一定の目当てなしに、風景でも賞しなが
ら道を歩いて行ったら、きみは迷子になるし、われとわが才能で身を滅ぼ
すことになる」と。
かつて六つの貴族の屋敷で、花形として人気の的であったドールンの言
葉が、どれだけトレープレフを勇気づけ励ましたであろう。若い有能な才
能には讃美と励ましが必要である。放っておいても育つ才能があり、厳し
い指導によってのみ伸びる才能がある。しかし大抵の場合は、理解者が側
にいて励ます必要がある。確かに中途半端な称賛はよくないが、真に理解
し、真に励ます者がいることは、芸術家の誰もが望ところであろう。アル
カージナにチャチャを入れられたくらいで、怒りを爆発させて芝居を中断
するほどナイーヴなトレープレフに必要なのは、ドールンのような勇気づ
けなのである。
2006年7月5日(水曜)
さて、トレープレフとニーナの恋はどうなっただろうか。わたしは先に
二人の破綻は目に見えているかの如く書いた。トレープレフは自分の思い
入れの中でニーナを偶像化した。ニーナは美しい女であったかも知れない
が、トレープレフの精神世界の理解者ではない。皮肉を飛ばすことができ
るだけ、母親のアルカージナの方がよほど息子を理解している。ニーナは
所詮は田舎育ちの、有名な女優や作家に憧れているお嬢さんの域を一歩も
出ていない。トレープレフはただ自分に仕えてくれるだけの、従順な女性
を求めているのではない。自分の新しい演劇理論を理解し、共に同志とし
て闘ってくれる伴侶を求めている。しかし、芝居が失敗に終わり、ニーナ
はトレープレフに冷たい態度をとっている。
次にトレープレフが自分が猟銃で撃ち落とした鴎の死骸をニーナの足元
に置いた、その直後の場面を見てみよう。
ニーナ どういうこと、これ?
トレープレフ 今日ぼくは、この鴎を殺すような下劣な真似をした。あ
なたの足もとに捧げます。
ニーナ どうかなすったの? (鴎を餅あげて、じっと見つめる)
トレープレフ (間をおいて)おっつけ僕も、こんなふうに僕自身を殺
すんです。
ニーナ すっかり人が違ったみたい。
トレープレフ ええ、あなたが別人みたいになって以来。あなたの態度
は、がらり変ってしまいましたね。目つきまで冷たくなって、僕がいると
さも窮屈そうだ。
ニーナ 近ごろあなたは怒りっぽくなって、何か言うにもはっきりしな
い、へんな象徴みたいなものを使うのね。現にこの鴎にしたって、どうや
ら何かの象徴らしいけれど、ご免なさい、わたしわからないの。……(鴎
をベンチの上に置く)わたし単純すぎるもんだから、あなたの考えがわか
らないの。
トレープレフ ことの起りはね、僕の脚本があんなぶざまな羽目になっ
た、あの晩からなんです。女というものは、失敗を赦しませんからね。僕
はすっかり焼いちまった、切れっぱし一つ残さずにね。僕がどんなにみじ
めだか、あなたにわかったらなあ! あなたが冷めたくなったのが、僕は
怖ろしい、あり得べからざることのような気がする。まるで目が覚めてみ
ると、この湖がいきなり干あがっていたか、地面に吸いこまれてしまって
いたみたいだ。今しがたあなたは、単純すぎるもんだから僕の考えがわか
らない、と言いましたね。ああ、何のわかることがいるもんですか?!
あの脚本が気にくわない、それで僕のインスピレーションを見くびって、
あなたは僕を、そのへんにうようよしている平凡な下らん奴らと一緒にし
てるんだ。……(とんと足ぶみして)わかってるさ、ちゃんと知ってるん
だ! 僕は脳みそに、釘をぶちこまれたような気持だ。そんなもの、僕の
血をまるで蛇みたいに吸って吸って吸いつくす自尊心もろとも、呪われる
がいいんだ。……(トリゴーリンが手帖を読みながら来るのを見て)そう
ら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ、やっぱ
り本を持ってね。……(嘲弄口調で)「言葉、ことば、ことば」か……ま
だあの太陽がそばへ来ないうちから、あなたはもうにっこりして、目つき
まであの光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ。(足早に退場)
(全集12・123 〜124 )
トレープレフはなぜニーナに対して腹をたてているのであろうか。それ
は彼の〈可愛い魔女〉が〈可愛い魔女〉でなくなり、彼の〈夢〉が彼の
〈夢〉でなくなったからである。ニーナはトレープレフの内的世界をなん
にも理解できない。ニーナが芝居に望んでいることは、トレープレフの新
形式ではなく、むしろアルカージナの方にある。芝居は男と女のロマンス
を具体的に、分かりやすく演じなければならない。それこそ大衆が、多く
の芝居好きの観客が望むところであり、哲学的な〈デカダンなたわ言〉が
延々と続くような独白劇ではない。〈世界に遍在する一つの霊魂〉だの
〈永遠の物質の父なる悪魔〉などは、頭でっかちの文学青年が一人自分の
小部屋で読むか呟いていればいいことで、多くの観客を巻き込んで彼らの
単純な頭脳を苦しめることはない。ニーナは自分でも言っているように
〈単純〉なお嬢さんで、トレープレフが演劇の新形式を舞台上で体現させ
るような存在ではなかったのである。トレープレフはニーナをよく観察し
分析した上で彼女を好きになったわけではない。トレープレフがニーナに
求めるものと、ニーナがトレープレフに求めるものは違っている。その違
いにニーナは気づいているが、トレープレフは気づいていない。
ニーナはトレープレフに言われた通り、芝居をした。が、ニーナ自身は
自分が口にしているセリフを何一つ理解していない。トレープレフがアル
カージナの皮肉に我慢がならず、芝居を中止して姿を消してしまった後、
ニーナは仮舞台のかげから出てきてアルカージナとキスをかわし、話をす
る。この時ニーナはアルカージナにトリゴーリンを紹介される。ニーナは
嬉しさいっぱいでどぎまぎしながら、トリゴーリンの作をいつも拝読して
いる意味の言葉を発する。続いてニーナは「ね、いかが、妙な芝居でしょ
う?」と言い、トリゴーリンは「さっぱりわからなかったです。しかし、
面白く拝見しました。あなたの演技は、じつに真剣でしたね。それに装置
も、なかなか結構で。(間)この湖には、魚がどっさりいるでしょうな」
と答える。この短い会話の中に、トリゴーリンとニーナの凝縮された思い
がこめられている。ニーナはトリゴーリンに憧れている。トリゴーリンは
すでに作家としての名声を博しており、トレープレフのような野心も焦燥
もない。トレープレフはアルカージナの愛人であるトリゴーリンをおもし
ろくないと思っているし、彼の作品を評価したくもない。ところがトレー
プレフの〈可愛い悪魔〉は、トレープレフなどよりはるかにトリゴーリン
に魅力を感じて憧憬の眼差しを向けている。ニーナがトリゴーリンに向か
って「妙な芝居でしょう?」と語りかけている、その時点で彼女のトレー
プレフに対する思いは、トレープレフに恋する乙女のものでないことは明
白である。ニーナの乙女心は眼前のトリゴーリンに夢中である。トリゴー
リンの「さっぱりわからなかったです」は「妙な芝居でしょう?」とその
同意を求めたニーナの問いに対する如才のない返答であり、田舎娘ニーナ
の乙女心を一挙にとらえたと言えよう。しかもトリゴーリンはニーナの演
技の真剣さに関してはさりげなく、しかしはっきりと讃美している。こん
な短い言葉でありながら、トリゴーリンはすっかりニーナの魂を鷲掴みし
てしまったのである。しばらく間をおいて、トリゴーリンは芝居から湖の
魚へとさりげなく話題を変換している。チェーホフは省略の美学を存分に
発揮して、憧れの作家から自分の演技を褒められたニーナの内心の歓喜を
いっさい表現していないが、おそらく(間)のあいだの、喜びにうち震え
ているニーナの気持を十分に汲み取ったうえでトリゴーリンは魚の話を持
ち出している。トリゴーリンがどれほどの小説家であるかは分からないが、
女心に精通した男であることに間違いはなさそうである。
2006年7月6日(木曜)
トリゴーリン 僕は釣りが好きでしてね。夕方、岸に坐りこんで、じつ
と浮子を見てるほど楽しいことは、ほかにありませんね。
ニーナ でも、一たん創作の楽しみを味わった方には、ほかの楽しみな
んか無くなるんじゃないかしら。
アルカージナ (笑い声を立てて)そんなこと言わないほうがいいわ。
このかた、ひとから持ちあげられると、尻もちをつく癖がおありなの。
(109 )
トリゴーリンのさりげない釣りの話がいい。ニーナの顔を見れば新しい
演劇について理屈をこね廻しているトレープレフよりは、はるかにおしゃ
れでダンディである。名声や才能に憧れる田舎のお嬢さんにとって、トリ
ゴーリンとの出会いは決定的な何かを植えつけてしまった。それこそ尊敬
の念に隠れた密かな恋心であったかもしれない。女が新しい恋に目覚めれ
ば、今朝の恋心さえ古臭く思われるものである。ニーナは『可愛い女』の
オーレンカのように、過去にとらわれず、未来に思いを寄せず、ただひた
すら現在を生きるのである。その意味では、歳をくっている分、過去にこ
だわりはするが、基本的に今現在を燃焼して生きようとするアルカージナ
と似ていると言えよう。今を生きる女は、その〈今〉から脱落した者のこ
となど振り向きもしない。トレープレフはあっという間に、ニーナの〈
今〉から振り落とされてしまった。トレープレフは恨ましい眼差しでニー
ナとトリゴーリンの関係を見ているほかはない。初めての実験的な芝居に
失敗し、同時にニーナという〈夢〉も失ってしまったトレープレフ。が、
ニーナはトレープレフになんの同情も憐れみも感じることはない。まさに
ニーナは〈魔女〉であり、トレープレフに対しても情容赦無く存分にその
魔性を発揮している。
トレープレフはニーナの心がトリゴーリンに移ってしまったのを感じて
いる。ニーナの態度はまさにがらりと変わってしまったのだ。ニーナは自
分が単純すぎてトレープレフの言うことが「わからない」と正直に語って
いる。ニーナは単純で正直で、従って残酷である。ニーナは「わからな
い」という言葉でトレープレフを拒んでいる。トリゴーリンという存在を
知ってしまったニーナは、もはやトレープレフを理解しようという気持が
起きない。トレープレフは「僕がどんなにみじめだか、あなたにわかった
らなあ!」と言う。これは泣き言であり、愚痴である。こういう言葉を口
にする男を女は好かない。ましてや心が他の男に移ってしまったニーナに
とってはなおさらである。トレープレフは自分の作品に自信が持てないの
であろうか。「僕のインスピレーションを見くびって、あなたは僕を、そ
のへんにうようよしている平凡な下らん奴らと一緒にしてるんだ」これは
もはや叫びである。傷つけられた自尊心が真っ赤な血を噴き出して、誰も
それをとめることはできない。トレープレフは行くところまで行くしかな
いだろう。もともとトレープレフの思想を、その感性を共有できないお嬢
さんを好きになって、あたかも自分の〈夢〉を体現する救世主のごとく偶
像化してしまったところに間違いがあった。ニーナはニーナ、トリゴーリ
ンのような名声のただなかにある男に魅力を感じるような女なのである。
トレープレフは手帖を読みながら歩いてくるトリゴーリンを見て「そう
ら、ほんものの天才がやって来た。歩きっぷりまでハムレットだ」と揶揄
している。が、トリゴーリンよりはるかにトレープレフ自身の方が悩める
ハムレット風である。「言葉、ことば、ことば」ハムレットのセリフに誰
よりも共感を寄せているのはトレープレフである。単なる言葉、されど言
葉、所詮は言葉、されど言葉……言葉の虚無を抱え持った者のみが呟くこ
とのできるセリフである。トレープレフはなんの説明もしていないが、彼
は彼流に「言葉、ことば、ことば」のはてしない空虚と、空虚に包まれた
情熱を、その情熱を包む空虚を感じている。トレープレフは「まだあの太
陽がそばへ来ないうちから、あなたはもうにっこりして、目つきまであの
光でトロンとしてしまった。邪魔はしませんよ」と言って足早に退場する。
トレープレフはアルカージナに対してと同様、トリゴーリンとも闘う姿勢
を見せない。
2006年7月7日(金曜)
トレープレフは自分が撃ち殺した鴎をニーナの眼前に捧げて、それが自分
の姿だと言う。トレープレフは母親から、ニーナから、トリゴーリンから、
さらに自分自身からも逃げて、いずれは自殺することを考えている青年な
のである。確かにトレープレフはイワーノフの憂鬱症の血を引き継いでい
る。彼は偉大な希望を抱いて邁進することのできる青年であるが、同時に
ちょっとした失敗で絶望し、すべてに嫌気がさしてしまうような青年でも
ある。イワーノフはサーシャという新しい若い恋人ができてさえ、新生活
を築くことよりはピストル自殺を選んでしまった男であったが、ニーナと
いう〈夢〉を奪われたトレープレフは今後どのような選択に迫られるので
あろうか。
2006年7月13日(木曜)
アルカージナの「未来を覗き見しない」という主義は一つの人生に対す
る確固たる態度である。彼女は「年のことも死のことも、ついぞ考えたこ
とがない」と言う。彼女のうちには「どうせ、なるようにしかならない」
という諦念が潜んでいる。チェーホフの文学全体にこの諦念の空気が漂っ
ており、この空気に馴染むことのできない者、たとえばイワーノフやトレ
ープレフは自殺して果てるしかない。なるようにしかならない、どうでも
いい、という虚無を抱えて、この現実の大海を泳ぎ続けるにはそれなりの
工夫と希望が必要である。年のことも死のことも考えたことのないアルカ
ージナは、それでも愛するトリゴーリンのことをいつまでも自分の側にお
いておきたいと思っている。アルカージナに尊敬され愛されている作家の
トリゴーリンは「書かなくちゃならん、書かなくちゃ、書かなくちゃ」と
いう脅迫観念にとらわれている。彼になぜ小説を書きつづけるかと問えば、
おそらくニコライ教授のように「わからない」と答えるだろう。本質的な、
根源的なことを聞かれて分かったような口をきかないのがチェーホフの人
物たちである。「まるで駅逓馬車みたいに、のべつ書きどおしで、ほかに
打つ手がない」とトリゴーリンは言う。トリゴーリンのセリフには若い頃
から生活費を得るために小説を書きつづけてきたチェーホフの思いがその
まま込められている。しばしニーナ相手のトリゴーリンの言葉に耳を傾け
てみよう。
今こうしてあなたとお喋りをして、興奮している。ところがその一方、
書きかけの小説が向うで待っていることを、一瞬たりとも忘れずにいるん
です。(略)こうして話をしていても、自分やあなたの一言一句を片っぱ
しから捕まえて、いそいで自分の手文庫のなかへほうりこむ。こりゃ使え
るかも知れんぞ!というわけ。一仕事すますと、芝居なり釣りなりに逃げ
だす。そこでほっと一息ついて、忘我の境にひたれるかと思うと、どっこ
い、そうは行かない。頭のなかには、すでに新らしい題材という重たい鉄
のタマがころげ廻って、早く机へもどれと呼んでいる。そこでまたぞろ、
大急ぎで書きまくることになる。いつも、しょっちゅうこんなふうで、わ
れとわが身に責め立てられて、心のやすまるひまもない。自分の命を、ぼ
りぼり食っているような気持です。(略)うかうかしてると、誰かうしろ
から忍び寄って来て、わたしをとっつかまえ、あのポプリーシチン〔ゴー
ゴリの『狂人日記』の主人公〕みたいに、気違い病院へぶちこむ んじゃな
いかと、こわくなることもある。それじゃ、わたしがやっと物を書きだしたころ、
まだ若くて、生気にあふれていた時代は
どうかというと、これまたわたしの文筆生活は、ただもう苦しみの連続で
したよ。駈けだしの文士というものは、殊に不遇な時代がそうですが、わ
れながら間の抜けた、不細工な余計者みたいな気のするものでしてね、神
経ばかりやたらに尖らせて、ただもう文学や美術にたずさわっている人た
ちのまわりを、ふらふらうろつき廻らずにはいられない。認めてももらえ
ず、誰の目にもはいらず、しかもこっちから相手の眼を、まともにぐいと
見る勇気もなく・・まあ言ってみれば、一文なしのバクチきちがいといっ
たざまです。
2006年7月15日(土曜)
なんのために書くのか。生活の糧を得るため、と答えていられるうちは
まだいい。純粋に書く理由を発見できる作家がはたして何人いることか。
トリゴーリンがいう脅迫観念はよく分かる。なぜこういった脅迫観念が生
じるのか。ドストエフスキーの地下男の言うように、書くことは何かしら
仕事をなしているような実感がともなうからかもしれない。作家としての
名声や評価を得るためなどと思っているやからは、そのうち放っておけば
自然に消えてしまうだろう。トリゴーリンがここでニーナに語っているこ
とは、彼の率直な思いであり、微塵のてらいもない。「どうでもいい」
「わからない」を連発するチェーホフが、書くことにおいては馬車馬のよ
うに駆けつづけた。チェーホフからペンを奪ったらいったいどうなってい
たのだろう。
書くという行為が、自分自身との対面であることは間違いない。書いて
いる以上は、世界や自分を置き去りにするわけにはいかない。書く行為は
自分という存在の神秘に直面することである。ドストエフスキーは人間は
謎であり、その謎を解くために一生を費やしても悔いはないと書いた。チ
ェーホフは人間の謎を解くために書きつづけたのであろうか。否、チェー
ホフは人間の謎をそのままに提示することに止まろうとしているように思
える。わからないことをわかったつもりになって説教するような愚者が主
人公として登場することはない。大学教授として情熱的な講義を続けたニ
コライ・ステパーノヴィチは、彼を追ってきた必死のカーチャに「わから
ない」「朝飯を食べよう」としか言えない。彼は自分の無知であること、
愚かであることを相手にさらけ出すことを恥とはしない。
2006年7月16日(日曜)
ニコライは「私の愛する宝」と共に人生を歩
むことができない。死をも超えた愛で相手を包むこともできない。ニコラ
イは孤独であり、この孤独を二人で分かち合うことはできない。カーチャ
が唯一納得したとすれば、それは彼女自身もまた己の孤独を生きるほかは
ないということである。いずれにしてもニコライとカーチャに明るい未来
はない。憂鬱症に陥ったイワーノフにも希望はなかった。彼に残された唯
一の希望は、自らのこめかみに向けてピストルの引きがねを引くことだけ
であった。トリゴーリンは書き続けるという脅迫観念に支配されているこ
とによって辛うじて自殺を免れている。トリゴーリンはアルカージナとい
う女に庇護されているし、その時々の恋に身をまかせる柔軟さも備えてい
る。ニーナはうぶな田舎娘で、有名な作家や女優に己の過剰でロマンチッ
クな夢を乗せることができる。未だ破綻を知らない乙女の夢は、言わば怖
いものしらずである。ニーナのトリゴーリンに対する態度は、トレープレ
フに対するものとは明らかに違う。トレープレフはすでに過去のものとな
り、彼女の現在と未来を見つめる眼差しがとらえているのはトリゴーリン
ただ一人である。イワーノフに熱愛して両親を捨てたアンナのように、ニ
ーナはトリゴーリンのためなら両親でも何でも捨て去ることができるので
ある。トリゴーリンは物書きとしての自分のあるがままの姿をさらけ出し
ただけでニーナの魂を鷲掴みにしてしまった。一度、恋に落ちた女にとっ
て、相手の男はいつでも星の王子様なのである。年齢の違いや、地位や名
声や財産など、すべての差異を一気に飛び越えて男と女は結びつくのであ
る。ニーナはトレープレフと恋愛状態にあったときから、冷静に二人の間
に存在する溝に気づいていた。この溝は双方のいかなる努力によっても埋
めることはできない。ニーナが選択したのは、この溝を一挙に飛び越える
こと、すなわち自分が心の底から納得できる男の胸へと飛び込むことであ
った。ニーナはその先に何が待ち受けているのか、そこまで汁ことはでき
なかった。しかしニーナにとっては最初の飛び越えこそが必要であった。
ニーナは田舎に閉じこもって、やがては確実に老いていく父や継母の面倒
を見るためにこの世に誕生したのではない。ニーナは自らの夢(それはと
りあえず舞台女優となって脚光を浴びることである)を実現するために、
その一つの大きな跳躍台としてトリゴーリンを選んだのである。ニーナは
トレープレフの理屈の勝った演劇理論に共鳴することはできなかったし、
彼と共に〈彼の夢〉を実現する気もなかった。トレープレフはニーナに自
分の夢を託したが、その〈夢〉は相手の正体を見定めることのできなかっ
た愚かな男の妄想と化してしまった。未来の才能のある若者は、現に社会
的名声を博している既成の作家よりもはるかに強烈な光を発していなけれ
ばならない。ニーナは〈未来の才能ある若者〉トレープレフよりも、トリ
ゴーリンの方に強烈な、魅惑的なオーラを感じてしまっている。ニーナは
冷徹な審判者としてトリゴーリンに勝利の旗を挙げている。トレープレフ
に勝利の女神が微笑むためには、〈可愛い魔女〉ニーナを即座に捨て去る
冷酷さが必要である。トリゴーリンを選んだ〈可愛い魔女〉の、その浅薄
さを笑いのめし、踏みにじるだけの自信がなければ、トレープレフに勝利
の道は開けない。トレープレフは母親のアルカージナがよく了承していた
ように、傷つきやすいナイーヴな青年で、己の才能を過信しているが、同
時にそれは極度の不安の上に成り立っていた。トレープレフが自殺未遂し
た時、アルカージナはその原因をトリゴーリンに対する〈嫉妬〉とみなし
た。本当に自信のある者は嫉妬などしない。嫉妬の感情がわき上がったそ
の時点ですでに敗北である。トレープレフはソーリンに聞かれて、トリゴ
ーリンを「あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、メラ
ンコリックな男ですよ。なかなか立派な人物でさ。まだ四十には間がある
のに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめの御身分だ」
と言っていた。しかしこの言葉は決してトリゴーリンを褒めたたえている
のではない。ここにはトリゴーリンに対する極度に押し込んだ悪意や嫉妬
の感情がのぞいている。母親の愛人であるトリゴーリンを素直に認めるほ
ど、トレープレフはお人好しではない。2006年7月17日(月曜)
若い才能のある者が同時代を生きる先行者の作品を正当に評価することは
極めて困難である。ライバル心や嫉妬が常につきまとうからである。トレ
ープレフは先の言葉に続けて「書くものはどうかと言うと……さあ、なん
と言ったらいいかな? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし
……トルストイやゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね」
と言っている。トレープレフはどんなことがあってもトリゴーリンの才能
やその作品を素直に肯定することはないだろう。アルカージナに言わせれ
ば、息子のトレープレフは「わがままな、自惚れの強い子」なのである。
アルカージナとトレープレフが顔を突き合わせるたびに口喧嘩してしまう
のも、トリゴーリンの存在が大きい。トレープレフにとってトリゴーリン
は自分の母親を奪い取った張本人であり、同時に彼の唯一の〈夢〉であっ
たニーナの魂をも魅了してしまった憎っくき伊達男である。ニーナを奪わ
れ絶望にかられたトレープレフは自殺をはかるが、幸か不幸か未遂に終わ
る。憤懣やるかたなくトリゴーリンに決闘を申し込めば、相手は卑怯にも
脱走を企てる。未だ母親に甘えたい気持のあるトレープレフではあるが、
肝心のアルカージナはトリゴーリンを〈人格の高い立派な人〉と見なし、
自分の前で尊敬するトリゴーリンの悪口は謹んでくれと釘をさす。トレー
プレフはついに我慢がならず「お母さんは、僕にまであの男を天才だと思
わせたいんでしょうが、僕は嘘がつけないもんで失礼・・あいつの作品に
ゃ虫酸が走りますよ」と言ってしまう。売り言葉に買い言葉、気の強いア
ルカージナも黙ってはいない・・「それが妬みというものよ。才能のない
くせに野心ばかりある人にゃ、ほんものの天才をこきおろすほかに道はな
いからね。結構なお慰みですよ!」と。この後も実の母と子とは思えない
ほどの凄まじい言葉のやりとりが展開される。トレープレフはアルカージ
ナやトリゴーリンは〈古い殻をかぶった連中〉であるとして「自分たちの
することだけが正しい、本物だと極めこんで、あとのものを迫害し窒息さ
せるんだ! そんなもの、誰が認めてやるもんか!」と怒鳴る。しばし二
人のやりとりを見てみよう。
アルカージナ デカダン!……
トレープレフ さっさと古巣の劇場へ行って、気の抜けたやくざ芝居に
でも出るがいいや!
アルカージナ 憚りながら、そんな芝居に出たことはありませんよ。わ
たしには構わないどくれ! お前こそ、やくざな茶番ひとつ書けないくせ
に。キーエフの町人! 居候!
トレープレフ けちんぼ!
アルカージナ 宿なし!
トレープレフは実の母親から〈デカダン〉〈居候〉〈宿なし〉と罵られ
ている。トレープレフは二十五歳である。既に経済的にも自立していてい
い歳であり、少なくとも母親に甘えて〈居候〉していていい歳ではない。
もちろんトレープレフは誰に言われるまでもなく、そのことをよく承知し
ていて、不断にプライドが傷つけられている。こういったナイーヴな点を
伯父のソーリンはよく理解していて、トレープレフの自殺未遂の原因につ
いて次のように語っていた・・「若盛りの頭のある男が、草ぶかい田舎ぐ
らしをしていて、金もなければ地位もなく、未来の望みもないと来てるん
だからな。なんにもすることがない。そのぶらぶら暮らしが、恥かしくも
あり空怖ろしくもあるんだな。わたしはあの子が可愛いくてならんし、あ
れの方でもわたしに懐いてくれるが、だがやっぱり早い話が、あれは自分
がこの家の余計もんだ、居候だ、食客だという気がするんだ。論より証拠、
だいいち自尊心がな……」と。

https://www.shimi-masa.com/?p=351

31. 中川隆[-13490] koaQ7Jey 2020年3月23日 16:23:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1414] 報告

清水正のチェーホフ論 | 清水 正研究室
https://www.shimi-masa.com/?cat=5
32. 中川隆[-13412] koaQ7Jey 2020年3月24日 12:42:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1492] 報告

世紀末の画家 ポール・ゴーギャン


Tahiti Dances







黄金の肉体/ゴーギャンの夢 
Paul Gauguin THE WOLF AT THE DOOR / DONALD SUTHERLAND





「後期印象派画家」ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)の絵画集




Paul Gauguin: A collection of 283 paintings (HD)





Gauguin In Tahiti: Search For Paradise 1967




▲△▽▼


ゴーギャンこそ「南国楽園」白人セックスツーリズムおよび児童買春ツーリズムのパイオニアである

ゴーギャンは美化されるばかりで、まったく批判的には語られないが、このことは、アジア・アフリカにおける、あるいは戦場における、白人の性的犯罪がほとんど指弾されることがないのとパラレルである。

ネットではほとんど見つからないが、ゴーギャンがタヒチで書いた裸婦画には児童の裸も多くある。生々しい風合いがあり、実物がモデルであるだけに実際 性的な欲望を刺激する作品もある。実在のモデルが明らかに児童で、幼い乳房、恥らうように内股に立つ姿勢が生々しい作品もあったと記憶する。
「西洋文明と西洋美術に絶望した孤高の画家」などと美化されているが、晩年のゴーギャンは、「より幼い女」をあさってタヒチの島々を転々としたのであり、画才のあるエロ狂いに過ぎない。

ゴーギャンの美術は、今に至る白人のセックスツーリズム、児童買春ツーリズムの文化と一体のものであり、ゴーギャンこそは、セックスツーリズムおよび児童性愛ツーリズムのパイオニアなのである。

ゴーギャンは、東南アジアに屯し堂々と買春ヴァカンスを楽しむ白人たちの理想型である。「ゴーギャンのような生き方」が、世界中で白人たちが展開する非白人児童の性的搾取の醜さをあいまいにする口実にもなっているのである。

芸術性と犯罪性(猥褻性や児童ポルノ性)とは無関係である。これは日本の裁判所も認める正しい立場だ。芸術性と猥褻性とが関係があるとすること、芸術性によって猥褻性が緩和されたり滅却されたりするとすること、要するに、「芸術性が高いから猥褻ではない場合がある」とすることは、法が(司法が)「芸術性」の有無や高低について判断を下すことを意味する。これほど甚だしい法の僭越はないだろう。
ゴーギャンの絵にどれほど芸術性があろうと、児童ポルノは児童ポルノである。ゴーギャンの描いた絵のいくつかは明らかに児童ポルノであり、白人男のフランス植民地における小児性愛・児童虐待の絵画的な記録である。
ゴーギャンは児童ポルノ画家である。
http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/2009/10/blog-post_12.html



フランス植民地タヒチでのゴーギャンの「幼女性愛」は、一度も倫理的に非難されたことがない。

ゴーギャンの生き方は、モームの「月と六ペンス」のモチーフにされたりして、白人たちによって理解を示され、美化されてきたが、非難されたことはない。むしろ南国バカンス白人の理想型とされているといえるだろう。 この鬼畜行はそれほど昔の話ではない。日本が台湾を併合したころのことである。

ゴーギャンはフランス植民地の原住民女性を自由にもてあそんで、ひょっとしたら、カネすら払わなかったのではないか。 白人や進歩主義者の基準では、どんな事実上の力関係が背景にあろうと、形式的な合意があって「無料の」セックスであれば、「自由恋愛」として正当化される。その時点で彼らは、一切の罪悪感を感じなくなる。ただし、それも「男が白人」の場合のみである。

晩年のゴーギャンは、女を自由にできる環境を求めて、島から島へと渡り歩いたという。
  
フランスはいまなお、植民地「仏領ポリネシア」にしがみつき、核実験による放射能汚染にも罪悪感も責任もこれっぽっちも感じていない。 アフリカ植民地で奴隷狩りをやっていたころと同じ植民地主義の延長が、いまなお、フランス人の心にもアジア太平洋にも、脈々と生き残っている。 しかし、その仏領ポリネシアを、「フレンチポリネシアはすばらしい」と言ってよろこんで訪れるバカな日本人ツーリストがあとを絶たない。 そういうこともまた、フランス人の植民地支配の自信を後押しする要因になっている。
http://iscariot.cocolog-nifty.com/kuantan/2006/02/25_0628.html



ゴーギャン展 東京国立近代美術館。

 展示は解り易く年代順に、師ピサロを含めた印象派の影響がいかにも強い初期の数点から始まる。1886年のブルターニュ滞在以降、次第に「ゴーギャンらしい」絵になっていき、そして91年のタヒチ行きとなる。

 続いて、連作版画「ノアノア」(1893−94)。帰国後、タヒチの絵の評判が悪かったため、まずタヒチの宣伝をしようと発表したものである。最後はタヒチ移住(1895)からマルキーズ諸島での死(1903)まで、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」までを含む7点。
以下に掲載した画像のうち、ゴーギャンの作品はすべてこの展覧会で展示されたもの。

『男の凶暴性はどこから来たか』(リチャード・ランガム/デイル・ピーターソン、三田出版会)では、「幻想の楽園」と題する第五章で、南洋諸島に都合のいい「楽園」を見ようとした人物としてゴーギャンを挙げている。

 それによると、ゴーギャン(1848−1903)はタヒチを、ほかの男に邪魔されないプライベート・クラブであり、純真でありながら口説けばすぐに落ちる少女や女たちで溢れた「楽園」として描いた。その楽園には男は一人しかいなかった。
その男は楽園の創設者であると同時に覗き見をする者でもあり、性的な魅力のある若い娘たちの姿に夢を追いながら、自然の中の平和という素朴な観念を満足させていたのである。

 しかし現実の止め処もなく「文明化」していく島での生活に於いては、役人や同国人と絶えずトラブルを起こし、性の相手には不自由しなかったものの、性病が原因で次第にそれもままならなくなっていく。
 
 ま、どんなものにせよ、他人の見解は鵜呑みにすべきではなく、少なくともゴーギャンの「視線」については、ランガムとピーターソンが言うほど単純ではなかっただろう、とゴーギャンの絵の実物を目の当たりにして思いましたよ。

「画家=男」の視線については、ちょうど佐藤亜紀氏が先日の講義でドラクロワ(「サルダナパールの死」)とアングル(「トルコ風呂」)のそれを比較しておられた。

 ドラクロワはサルダナパールに自己投影すると同時に、そんな自分に対する陶酔している。

 一方、アングルの視線は絵の外にある。円いフレームは覗き穴であり、女たちは見られていることに気づいていない。この視点の違いは、それぞれの性格の差にも拠るが、何よりも描いた時の年齢に拠るところが大きいだろう。ドラクロワは29歳、アングルは、なんと82歳である。



1894年「パレットをもつ自画像」。

 そういや、ゴーギャンがどんな顔をしてたのかすら知らなかったのであった。『炎の人ゴッホ』ではゴッホに扮したカーク・ダグラスが、よく似てるだけに、なんつーかコスプレみたいだったが、ゴーギャン役のアンソニー・クインも、結構実物と同じ系列の顔だったのね。

 自画像からは、強い自意識が感じ取れる。ゴーギャンの興味は無論、己の顔の造形やそれをどう描くかではなく、その内面を表現することである。



1892年「かぐわしき大地」。

 ゴーギャンの視点は画面の外にある。女はゴーギャンに、画面の外の男に視線を向けている。彼女の内面は窺えない。だが、視線の先の男に対して興味を抱いているのは明らかだ。言うまでもなく男にとっては、それだけで充分である。
.

1890−91年「純潔の喪失」。

 モデルは、お針子でゴーギャンの愛人、ジュリエットだという。妊娠させた彼女を捨てて、ゴーギャンはタヒチへと発つ。 このジュリエットの死体のように蒼褪めた肉体に比べれば、「かぐわしき大地」の女のそれは、まさに黄金のごとく輝く。完璧な肉体の表現に、「内面」は伴っていない。必要ないのだ。


1897−98年、“D'où venons-nous? Que Sommes-nous? Où allons-nous?”

 二分割された画面の右側、背を向けた二人の女は、アングルが好んで描くポーズを思わせる。寄り添って座り、画面の外の男を窺い見る二人の女のうち手前のポーズは、マネの「草上の昼食」と同じである。偶然ではあるまい。

そして、画面の外を窺い見る「異国の女たち」という主題は、ドラクロワの「アルジェの女たち」と共通である。こちらは参考にしたというより、同じ主題を扱えば自ずと似てくるのであろう。

 魂のない、顔と身体だけの存在。無論、「見られる女」の内面が問題とされないのは、むしろ当然である。女が何を考えていようと、「見る男」にはどうでもいい。せいぜい、彼に対して興味を抱いているか否か、くらいなものだ。共有するものが少ない「異国の女」であるなら、なおさらである。

 という、わかりやすい解釈に収まりきらないのが、黒い犬の存在だ。


1892年「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこへ行くの?)」

 女たちばかりのタヒチの風景の多くに、この黒い犬は入り込んでいる。ゴーギャンの分身であるのは間違いない。 画面の外から女たちを眺めると同時に、画面の中にもいる。ハレムの王などではなく、女たちと性交できないばかりか、多くの場合、顧みられさえしない存在としてである。

 悪夢さながらの現実の中、描き続けたのは楽園の夢だった。夢そのものは、都合のいい、しょうもない妄想だと断じてしまうことができるだろう。それでもその作品は、紛れもなく力強い。
http://niqui.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/index.html
33. 中川隆[-13411] koaQ7Jey 2020年3月24日 12:48:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1493] 報告
ゴーギャンは何故ヨーロッパを捨ててタヒチを選んだのか?

『楽園への道』

  「ここは楽園ですか」「いいえ次の角ですよ」。子供たちが集まっての鬼ごっこ。主人公がフランスとペルーとポリネシアで見かけた子供たちの遊び―そこには「楽園に辿りつきたい」という世界共通の願いが込められています。ペルー生まれの作家バルガス・リョサ著『楽園への道』 (河出書房新社 08.1刊、池澤夏樹編世界文学全集第2巻)は、多くの人たちがユートピアを追い求めた19世紀に生きた、時代の反逆者にして先駆者であった二人の生涯を追った歴史小説です。

「スカートをはいた扇動者」といわれたフローラ・トリスタン(1803-1844)と「芸術の殉教者」ポール・ゴーギャン(1848‐1903)。二人の飽くことのない凄まじいばかりの「楽園」追求に圧倒されます。二人は、祖母と孫の間柄でした。

41歳で亡くなったフローラの短い人生を象徴するのは、彼女を絶えず襲う膀胱と子宮の痛み、そして心臓の近くに食い込んだ銃弾でした。原因は、夫であった版画家のアンドレ・シャザル。ペルー人の父親の死後、貧困な生活の中で母親から無理強いされた結婚。「夫と暮らしたあのぞっとする4年間に、一度として愛の営みをしたことがなかった。毎晩、交尾した。いや、交尾させられたのだ」。この下腹部の痛みは、結婚以来続いています。胸の銃弾は、フローラが裕福な叔父のいるペルー(夫からの逃亡先)からフランスに戻り、自らの半生を書いた自伝で成功を収めたときシャザルに撃たれ、手術後心臓近くに残ったものです。

 アリーヌは、シャザルとの間のフローラの3番目の子供。アリーヌは、シャザルに3度誘拐され、強姦されます。フローラはシャザルを告訴し、その争いの中で、シャザルに撃たれたのです。不幸な娘アリーヌは、ジャーナリストのクロヴィス・ゴーギャンと結婚し、ポールを生みます。1848年の革命後、クロヴィスは家族を伴って、新天地を求めてペルーに向かいます。しかし旅の途中で病死し、アリーヌは二人の子供とともにペルーへ。ペルーでは、裕福な祖父の弟に歓迎され、アリーヌも子供たちも、生まれて初めて幸福な日々を送ります。ポール・ゴーギャンが、南の地に「楽園」をイメージするのは、このときの体験によるものです。

 ポール・ゴーギャンは1891年6月、タヒチに到着します。43歳のときです。93年に一度フランスへ帰りますが、95年再びタヒチへと戻ります。1901年9月にタヒチから更に「未開」の地マルキーズ諸島に移り、03年に55歳で亡くなるまでその地に住み続けました。

 タヒチでの最初の妻テハッアマナをモデルに描いたのが『マナオ・トゥパパウ(死霊がみている)』。裸でうつ伏せになったハッアマナがトゥパパウ(死霊)に怯えている。ヨーロッパがなくしてしまった幻想的な経験に、ゴーギャンは興奮に震えます。

 『パペ・モエ(神秘の水)』。樵の少年と彫刻の素材を探しに、山に入っていきます。冷たい水の中に入り、少年が身体を寄せてきます。「青碧色の空間、鳥のさえずりもなく、聞こえるのは岩に当たるせせらぎの音だけで、静寂と安らかさ、解放感が、ここはまさしく地上の楽園にちがいないとポールに思わせた。またもやペニスが硬くなって、かつてないほどの欲望に気が遠くなりそうだった」。ゴーギャンは、マフー(両性具有者)に、偉大な異教文明ならではの自然さを感じます。著者バルガス・リョサのホモ・セクシャルなシーンは、ここでも美しい。

ゴーギャンは主張します。「美術は、肌の白い均整の取れた男女というギリシャ人によって作り出された西洋の美の原型から、不均衡で非対称、原始民族の大胆な美意識の価値観に取って代わられるべきで、ヨーロッパに比べると原始民族たちの美の原型は、より独創的で多様性に富んでいて猥雑である。・・・

原始芸術では、美術は宗教とは切り離すことはできず、食べることや飾ること、歌うこと、セックスをすることと同様に、日常生活の一部を形成している」と。


 盲目の老婆のエピソードは、ゴーギャンの立ち居場所を示唆して、興味深い。ゴーギャン自身も、極度に視力を衰えさせています。ボロを身にまとった老婆が、どこからともなく現われます。杖で左右をせわしく叩きながら、ゴーギャンのもとにきました。

「ポールが口を開く前に老婆は彼の気配を感じて手を上げ、ポールの裸の胸にさわった。老婆はゆっくりと両腕、両肩、臍へと手でさぐっていった。それからポールのパレオを開いて、腹をなで、睾丸とペニスをつかんだ。検査をしているかのように、彼女はつかんだまま考えていた。

それから表情を曇らせると、彼女は胸糞が悪そうに叫んだ。「ポパアか」・・・
マオリの人々はヨーロッパ人の男をそう呼ぶのだった。」

ポリネシアに「楽園」を夢見てきたゴーギャンの、挫折の場面です。セックスによって原始にアプローチし、そしてセックスによって原始から挫折するゴーギャン。1903年、ひどい悪臭を漂わせながら、死んでいきました。

そして、最も忌み嫌い反抗し続けたカトリック司教の決めた場所に埋葬されました。 墓碑銘としての司教の手紙には、次のように書かれていました。

「この島において最近、記すに足ることはひとつ、ポール・ゴーギャンという男の突然の死だが、彼は評判高い芸術家であったが神の敵であり、そしてこの地における品位あるものことごとくの敵であった」
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2008/01/post_937b.html


わが国でもっとも広く読まれているゴーギャンの著作は、タヒチ紀行「ノア・ノア」であろう。しかし、これまでの流布本は、友人の象徴派詩人シャルル・モーリスが大幅に手を加えたものを底本にしており、オリジナルにくらべると〈はるかに真実味の薄い、誇張された〉ものであった。

ゴーギャン自筆の原稿をはじめて翻訳した本書は従来看過されていた真の意図を明らかにし、彼の素顔を示してくれるであろう。また、レンブラント、ドガ、セザンヌ、ゴッホ、ルドン、マラルメ、ランボー等に関する思い出やエッセイはこの創造的な芸術家・思想家の内面を語ると同時に、魅力的な作家論ともなっている。

〈私は単純な、ごく単純な芸術しか作りたくないんです。そのためには、汚れない自然の中で自分をきたえなおし野蛮人にしか会わず、彼等と同じように生き、子供がするように原始芸術の諸手段をかりて、頭の中にある観念を表現することだけにつとめなければなりません。こうした手段だけが、すぐれたものであり、真実のものなのです〉(タヒチに発つ前、1891)

〈私は野蛮人だし、今後も野蛮人のままでいるつもりだ〉(死の直前)
http://www.msz.co.jp/book/detail/01521.html

『ゴーギャン オヴィリ』
一野蛮人の記録 ダニエル・ゲラン編/岡谷公二訳 [復刊]

オヴィリとは、タヒチ語で「野蛮人」を意味する。ポール・ゴーギャンが1895年のサロン・ド・ラ・ソシエテ・ナショナル・デ・ボーザール(国民美術協会展)に出品して拒否された、異様な、両性具有の陶製彫刻の題名である。本書のカバーに用いられているのは「オヴィリ」と題された水彩画で、このほか本書の表紙には「オヴィリ」の木版画の複製、扉には「オヴィリ」のブロンズ像の写真が刷り込まれている。

男神にして女神でもあるこの野蛮な神オヴィリに、ゴーギャンは自分をなぞらえていた。ゴーギャンの著作には、野蛮人になりたいというライト・モティーフが、たえず立ち戻ってくる。

ゴーギャンは「粗野な水夫」として人生を始めたと自分で言っているように、もと商船の船員であり海軍の軍艦の乗組員で、株式仲買人の職を捨てて絵画に没頭した。しかし早熟で、しっかりした中等教育を受けた画家=文筆家ゴーギャンには、独学者風なところは少しもなかった。

もっとも洗練された文明の美しさを認める、優れて文明化された野蛮人という本質的二重性。そして一方、オセアニアへの自己追放の中にある、単に文化からの脱走ではない、未開拓な絵画の主題を求めて最後には文化を豊かにするという芸術家としての計算。新しい着想を求めて地球の反対側へと赴いたことは、彼を劇的な矛盾の中にとじこめたが、このような距離をとったことが、遙か彼方の過去・現在の文明を明晰に深く判断することのできる立場を彼に与えた。

ゴーギャンの残した厖大な文章の集成が、このおどろくべき先駆者の、生と芸術を照らし出す。

私は十二月に死ぬつもりだった。で、死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思った。まるひと月の間、昼も夜も、私はこれまでにない情熱をこめて仕事をした。そうとも、これは、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌのように、実物写生をし、それから下絵を作り、という風にして描いた絵じゃない。一切モデルなしで、結び目だらけのざらざらした小麦袋のキャンバスを使って、一気に描いた。だから、見かけはとても粗っぽい。(……)

これは、高さ一メートル七十、横四メートル五十の絵だ。上部の両隅をクローム・イエローで塗り、金色の時に描いて隅を凹ませたフレスコ画のように、左手に題名、右手に署名を入れてある。右手の下に、眠っている幼児と、うずくまっている三人の女。緋色の着物をきた二人の人間が、それぞれの思索を語り合っている。この、自分たちの運命に思いをいたしている二人を、かたわらにうずくまった人物――遠近法を無視して、わざと大きく描いてある――が、腕をあげ、驚いた様子で眺めている。

中央の人物は、果物をつんでおり、一人の子供のかたわらに二匹の猫がいる。それに白い牡山羊。偶像は、神秘的に、律動的に腕をあげ、彼岸をさし示しているように見える。うずくまった人物は、偶像の言葉に耳を貸しているらしい。最後に、死に近い一人の老婆が、運命を受け入れ、諦めているようにみえる。……彼女の足もとに、あしでとかげをつかんだ一羽の白い異様な鳥がいるが、これは、言葉の空しさをあらわしている。(……)

ローマ賞の試験を受ける美術学校の学生に、「われらはどこから来たのか? われらは何者なのか? われらはどこへゆくのか?」という題で絵を描けと言ったら、奴らはどうするだろう? 福音書に比すべきこのテーマをもって、私は哲学的作品を描いた。いいものだ、と思っている。(……)
(友人の画家・船乗りモンフレエ宛、1898年2月、タヒチ、本書200-201ページ)

ここに書かれている「大作」とはむろん、この春から日本初公開の始まった《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(ボストン美術館蔵)のことだ。ゴーギャンの死後にまでわたってもっとも忠実な友人だったダニエル・ド・モンフレエへ宛てて書かれた手紙の一節である。
http://www.msz.co.jp/news/topics/01521.html


ピトケアン島の出来事

 西暦1789年、フランス革命が勃発したのと同じ年、南太平洋上において水兵の反乱が起こった。舞台となったのは、イギリス海軍の軍艦、バウンティ号である。

 副航海長フレッチャー・クリスチャンに指揮された反乱水夫たちは艦長のブライを拘束、ブライは艦長派と目された乗組員とともに小型のボートに乗せられて茫洋たる太平洋に放り出された。反乱者たちは、ブライたちは死んだだろうと思っただろうが、艦長たちは奇跡的に小型ボートではるか3700マイル離れたオランダ領のインドネシアまで航海することに成功した。遠く離れた南太平洋上のこととはいえ、イギリス海軍が反乱者たちをそのままにしておくわけがない。追手が差し向けられ、クリスチャン一味の捜索が行われた。追跡部隊はバウンティ号の航海の目的地であったタヒチ島に残っていた乗組員たちを拘束することには成功したが(うち、3名が絞首刑となった)、バウンティ号とともに太平洋に消えた残りの者たちの行方は杳として知れなかった。

 バウンティ号と反乱者の一党の行方がわかったのは、それから約20年後の事である。アメリカの捕鯨船が、名前は付いているが上陸されたことのない島、ピトケアン島に立ち寄ったところ、バウンティ号の乗組員とその子孫たちを発見したのである。クリスチャンたちは、タヒチの女性と男性を連れて発見されにくいピトケアン島に逃げ込んでいた。

 しかし、反乱者たちは、女性と酒が原因で同士討ちを演じ、アメリカの捕鯨船に発見された時に反乱のメンバーで生き残っていたのは水兵のジョン・アダムス一人だけであった。ジョン・アダムスは敬虔なキリスト教徒となっており、ピトケアン島は白人とタヒチ女性の混血からなる一種のキリスト教の桃源郷となっていた。

 この軍艦バウンティ号の反乱は日本ではそれほど知られていないが、西洋ではかなりメジャーな事件で、海洋の事件としてはタイタニック号の遭難に匹敵するほどの知名度を誇るといい、欧米では多数の研究や小説があり、戦前から何度か映画化もされている。また、バウンティ号の復元船も作られているという。

 さて、このバウンティ号の子孫たちは今でもピトケアン島に住んでいるのだが、近年、再び注目を集めた。あまり名誉なことではない。ピトケアン島の男性たちが、12歳から15歳までの少女たちとの性交渉を日常的に行っていたことが暴露されたのである。これは牧歌的で、敬虔なキリスト教徒たちの住む島である、というピトケアン島のイメージを著しく損なうものであり、刑事事件にも発展した。その経緯は、インターネットのフリー百科事典の「ウィキペディア」にも詳しく記述されている。

「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(英語)
「ウィキペディア・ピトケアン島の事件」(日本語)

 ピトケアン島の男性たちの擁護として、ピトケアン島に移り住んだ反乱者たちはタヒチの女性を妻としており、反乱当時のタヒチの習慣はかなり性的に自由なものであったから、それを現代の基準で裁くのは酷ではないか、というものがある。
 たしかに、タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。

男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」
 
 また、有名なイギリス人のキャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。

 と、ここまでは割合に知られたタヒチの性習慣である。では、もう一方の当事者、18世紀末のイギリスはどうだったのだろう。

 18世紀のイギリスは、当時としては珍しく、晩婚の世界であったことが知られている。男子の場合は二十代後半、女子の場合でも二十五歳以上で結婚、というのが普通であったらしい。ほとんど現代と変わらないくらいの結婚年齢である。ただ、晩婚である事情は現代とはずいぶん違う。長期の奉公人制度や、結婚生活を維持するための経済力をつけることが難しいために、やむを得ず結婚が遅れていたというのが実情らしい。貴族やジェントルマンに生まれても、長男でないと同じような境遇であった。

 結果、血気盛んな若者たちが思春期から10年以上独身生活を余儀なくさせられることになる。近代のイギリスの勢力の拡大は、これらリビドーを持て余した青年たちのエネルギーによってもたらされたとする見解があるほどだ。

 平均的な結婚年齢はともかくとして、実際にはどのくらいの年齢の女性ならば当時のイギリス人男性は性の対象としてみていたのであろうか。

 これはかなり低かった、と推定することができる。まず、数は多くないが、十代前半の女性と結婚している例がしばしばある。次に、多くの男性がなかなか結婚できなかったのだから、性欲のはけ口として売春婦の商売が繁盛することになるのだが、売春婦たちはかなり若い年齢から客を取っていたことがわかっている。

 「先にも述べたとおり、売春婦の中には年端もいかぬ若い子がいることがしばしばあり、十歳にも満たない子がいることさえあった。ペナントは、ブライトヴェル監獄で見かけたというそういう売春婦の一団について次のように述べている。

  「(中略)二十人ほどの若い娘たちが、最年長でも十六歳を超えず、多くは天使のような美しい顔をもちながら、天使のような表情はすべて失い、厚かましく、強情そうな放蕩の顔つきをしていたのだ。(後略)」(リチャード・R・シュウォーツ著 玉井・江藤訳『十八世紀 ロンドンの日常生活』(研究社出版 1990年)112−3頁)」

 つまり、タヒチだけでなくイギリスでも、女性はかなり幼い頃から恋人や結婚相手になりえたわけである。

 当時の水兵というのは社会的な身分が低く、監獄に行くよりは船に乗る、という手合いまでいたという。彼らは、たとえイギリスに戻ったとしても結婚をすることは容易ではなく、仮にできたとしても極貧のなかで生活しなくてはならないことは目に見えていた。

 それが、タヒチに来て見ると、本来は結婚相手にしたい十代の女性がいて、生活も安楽である。このままここに残りたい、と思っても不思議はない。実際、タヒチへの航海では、水兵の脱走というのはよくあった。これで水兵たちに同情的な幹部がいたら、反乱になるのはある意味では必然であった。

 艦長のブライは反乱の原因について、

「わたしはただ、反乱者どもがタヒチ人のところでイギリスよりもいい暮らしができるだろうと確信し、それが女性たちとの関係にむすびついて、全体の行動の基本的な動機となったにちがいないと推測するのみである。

(I can only conjecture that the mutineers had assured themselves of a more happy life among the Otaheiteans , than they could possibly have in England; which, joined to some female connections, have most probably been the principle cause of the whole transaction.)(William Bligh & Edward Christian The Bounty Mutiny(2001)11.)」と書いている。

 ピトケアン島には、18世紀のタヒチだけでなく、同時代のイギリスのメンタリティーも保存されていたのではないだろうか。そうだとすれば、今回の事件はタイムマシンで過去へ行って、先祖を裁いたようなものである。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm

タヒチがヨーロッパ人に発見された当時の記録によると、かなり性的に寛容だったことが見て取れる。

 まずフランス人の記録によると、
 
 「カヌーは女たちで一杯であったが、顔かたちの魅力では、ヨーロッパ女性の大多数にひけを取らず、身体の美しさでは、彼女らすべてに張り合って勝つことができるであろうと思われた。これらの水の精の大部分は裸だった。というのは、彼女らに同伴している男や老女たちが、彼女らがいつもは身にまとっている腰布を脱がせてしまっていたからである。

彼女らは、はじめ、カヌーの中から我々に媚態を示したが、そこには、彼女らの素朴さにもかかわらず、いささかの恥じらいが見て取れた。あるいは、自然が、どこでも、この性を生まれながらの臆病さでより美しくしているのであろうか。あるいはまた、なお黄金時代の純朴さが支配している地方においても、女性はもっとも望んでいることを望まぬように見えるものだろうか。男たちは、もっと単純、あるいはより大胆で、やがて、はっきりと口に出した。彼らは、我々に、一人の女性を選び、彼女について陸に行くように迫った。そして、彼らの誤解の余地のない身ぶりは、彼女らとどのように付き合えばいいのかはっきり示していた。
(山本・中川訳『ブーカンヴィル 世界周遊記』(岩波書店 1990年)192−3頁)」


 
 キャプテン・クックは、タヒチの若い娘たちが卑猥なダンスを踊り(クックは明言していないが、露骨にセックスを現すものだったらしい)、男女が宗教集団のようなものを形成して、乱交を繰り返した挙句、子供が生まれると殺す習慣のあることをあきれた風に記録している(当時のイギリスだって捨て子の習慣は横行していたのだから、あまり大きなことは言えないように思うが)。

 このようなヨーロッパ人の記録した当時のタヒチの性習慣について、現代の調査からタヒチのホスピタリティの習慣を誤解したものではないかとする研究者もあるが、タヒチはその後ヨーロッパに支配され、キリスト教の感化を受け、ヨーロッパの習慣の影響下におかれるのだから、現代から類推するのは妥当ではない。

 さて、当時のタヒチが性的に放縦な面があったとして、それが何歳ぐらいの女性から対象になったのだろうか。

 クックによると、タヒチには子供が衣服をほとんど身に付けない習慣があるが、女子の場合は3、4歳までだということである。これによると、女の子はかなり早い段階で「子供」でなくなるようである。さらに、支配者の例であるが、9歳で結婚したということもある。画家のゴーギャンがタヒチにやってきて、現地で何人もの愛人をつくり、子供まで作ったことは有名であるが、相手となったタヒチ人の女性はみんな13歳から14歳である。だから、当時のタヒチでは、かなり若い年齢で女性は大人とみなされていたことがわかる。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/handa-m/tosho/arekore/50.htm


究極のSEX ポリネシアン セックス

ポリネシアン セックスとは南太平洋諸島に暮らすポリネシアの人々の間に伝わるセックスの奥義を指す。

ポリネシア/ギリシャ語「多くの島々」と言う意味のポリネシアはハワイ諸島、ニュージーランド、イースター島を結ぶ1辺が約8000キロの三角の内側の島々、イースター島をさす。ミクロネシアは太平洋中西部の諸島群で、カロリン諸島、マーシャル諸島などがある


「エロスと精気」

これは男性上位の力を誇示するようなアクロバットな性技ではなく、ゆっくりとした時間の中でお互いの命の声を聞きながら行う静かな愛の形です。

実際に結合するセックスは普通、5日に1度、中4日はしっかりと抱き合って、肌を密着させて眠り、性器の接触はしない。セックスをする時は、前戯や抱擁や愛撫に最低1時間をかける。互いの心と体がなじんだ時に女性の中に挿入した後は、最低30分は動かずにじっと抱き合っている。性交するときは、前戯と愛撫を少なくとも1時間行い、接吻し抱擁し愛咬する。挿入したのちは、男女は最低30分は身動きせず抱き合って、それから前後運動を始める。

オルガスムがあったのちも、長時間性器を結合させたまま抱き合っている。35分ほどこの抱擁を続けていると、全身においてオルガスムの快感の波が次々と押し寄てくるのを感じ初めることだろう。あなたが男性であれば、射精をしないまま相手と一体になって全身が突然さざ波のように震えるだろう。そうなれば、体を離さずに震え没入し、震えそのものになるべきだ。その時、2人の体のエネルギーが完全に融合している実感をもつであろう。

男性に勃起力がなくなるような感じになった時、女性に性感がなくなるとき、そのときだけ動きが必要になる。その場合でも、興奮の波は非常に高い所にだけ置いておき、ただし、頂点まで昇らせてオルガスムとして爆発させるのではなく、心をおだやかにしてエネルギーのなかに身をまかせるのである。つまり、挿入後に萎えてしまいそうになった時、それを防ぐ為のみ、うごかしてもいいということだ。しかし、そのまま動きに没頭するのではなく、射精に達する前に再び動きを止めて、抱擁を続る。

男女はベットにそれぞれ楽な感じに寝る。2人の上半身は離しておき、骨盤の部分はくっつけ合う。女性は仰向けになり、男性は体の右側をベットにつけて身を起こす。足はお互の体にからませる。男性は左足は女性の足の間に割って入り、女性の左足は男性の腰の左に乗せる。互いに相手の負担をかけることなく、くつろげる姿勢であるとこが重要だと言う。そうして、身動きせずに30分間横になっていると、2人の間にエネルギーが流れるのを感じるようになると言う。
http://rena-i.jp/porisex.htm

「ゴーギャン」
南太平洋、フランス領ポリネシア。 タヒチ。

とあるホテルの5つの簡単な決まり事。

1つ、ゆっくり動きなさい。
2つ、気持ちをリラックスさせなさい。
3つ、家に置いてきたペットのことは忘れなさい。
4つ、お堅い話も忘れなさい。
5つ、バターの値段を考えるなんてもってのほか。

この島では、日が昇ったら起き、
お腹がすいたら食べ、
眠くなったら眠るのです。

何もしないで、ただボーッと海を眺めて過ごす。
それが、一番の贅沢。

今日の一枚は、そんなタヒチで描かれました。
といっても、今あるのはアメリカですが・・・。

場所は雪のニューヨーク州、
オルブライド・ノックス・アートギャラリー。

二人の慈善家によって集められた名画の数々・・・。
でも、お目当てはこの先。急いではいけません、ゆっくりと。
そう、この絵が「今日の一枚」です。

「マナオ・トゥパパウ」

ポール・ゴーギャンの作品。

そのポール・ゴーギャンは、
タヒチといえば名前があがる後期印象派の巨匠。

セザンヌを学び、ジャポニズムに走った元日曜画家。

ゴッホとの共同生活でも、自我の強さから喧嘩別れ。
傲慢とわがままを芸術の糧としたポール・ゴーギャン。
パリに失望し、やってきたのがタヒチ。
求めたものは汚れのない原始。

そして、タヒチの女性をモチーフとする
数多くの絵を生んだのです。
強烈な色彩と大胆な構図。
ゴーギャンのタヒチ。

そんな作品のなかで、異彩を放っているのが、
この「マナオ・トゥパパウ」です。

大きく見開かれた少女の目。
凍り付いた視線。
背後にうずくまる不気味な影は?

ゴーギャンが南海の楽園で見つけた原始とは、いったい何だったのか。

南緯17度、西経149度。
1年間の平均気温は25度前後。
タヒチは今でもよく、南海の楽園と呼ばれています。

パペーテはタヒチを訪れた人が必ず立ち寄るフランス領ポリネシア唯一の都会。

ゴーギャンが植民地のタヒチを訪れたのは1891年、43才のとき。
フランスの港を出てから実に2ヶ月の船旅でした。
当時、パペーテの人口はおよそ3000人。
その一割にも満たないフランス人が、タヒチの政治、経済を仕切っていました。
その頂点に君臨するのが、フランス本国から任命された総督です。
当時はカリブ海出身のラカスカードという男。

総督

「タヒチについたゴーギャンが私に会いに来た。
私は快く彼を迎えた。

ようこそゴーギャン君、総督のラカスカードだ。座りたまえ。
このパペーテには教会から病院、カフェーまで揃っておる。
私の自慢の町だ。
パリから来た君でも困ることはないよ。
そうそう、芸術特使の君にぜひ、肖像画を描いてもらいたいというものがおるそうだ。
まずはいい絵を描いてくれたまえ。

おや、何か不満でもあるのかね?」

ゴーギャンは、話の途中で席を立ってしまった。 いったい、何が気にくわないというのだ。

パペーテの街角で、ゴーギャンが見たもの。
それはパリと同じ喧騒、そして香水の匂い。
自分が求めた原始の楽園は、そこにはなかったのです。
失望、そしてこみ上げる怒りに似た感情。

そもそもの発端は2年前。
パリではエッフェル塔が完成。
万国博覧会が開かれました。 鉄が支配する新しい文明の幕開け。
しかし、ゴーギャンが惹かれたのは、同時に開設されていた植民地パビリオンでした。
東洋の神秘、ポリネシアの原始的な荒々しい文化。
パリの文明社会で暮らすゴーギャン。
彼の目に、それは地上の楽園に見えました。

そこでゴーギャンは考えました。
「なんとしてもタヒチへ行こう」と。
あらゆるコネを利用し、海をわたろうとします。
金がかからず、絵が自由に描ける地位・・・
それが芸術特使というフランス本国からもらった肩書き。


ゴーギャンがパリで思い描いた地上の楽園、タヒチ。

そこでは昔からの人々は原始の神々を崇め、ともに暮らしていました。
すべての物、すべての現象に神が宿る、そう考えられていたのです。
神話と伝説の国、ポリネシア・・・。
しかし、ゴーギャンが訪れた時はもはや過去の話。
文明によって古い信仰は捨てられ、神を祀る祭壇もすでに廃墟と化していたのです。

ポリネシア・ダンス。
体で表現する原始の言葉。
かろうじて人々の心に受け継がれてきたタヒチの神秘。

これは、豊かな実りを願い、神に祈るダンス。
戦いの前に踊り、神への誓いをたてるダンス。
分明に支配されたタヒチ、そこに残された原始の息吹。

総督
「きのう、ゴーギャンが挨拶にきたよ。 ひどく打ちのめされているようだったが、パペーテを出るというんだ。 ヨーロッパから遠ざかりたいとか、原始的で汚れのない原住民と一緒に暮らすんだとかいってた。 ほんとうに、パペーテを出て芸術活動ができると考えているのか? まあいい。じきに帰ってくるさ。」
http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao1.htm

<原始のイヴ>

パペーテを逃れ、ゴーギャンが落ち着いた先はマタイエア。
島の反対側、南へ40キロほど行った海辺の村。

そこで彼が見たものは・・・

素朴で原始的な暮らし。
骨太で力強い人々。
奔放に生きる女たち。

ヨーロッパ的美の基準には当てはまらないものたち。
しかし、ゴーギャンはそこに原始の美を発見したのです。
パペーテでは決して見られなかった、手つかずの美しさ。

イア・オラナ・マリア。

タヒチの聖母子像。

着ているものは民族衣装のパレオ。
がっしりしたタヒチの聖母マリア。
そして褐色のイエス・キリスト。

聖母子像の横に描かれたのは仏教徒のポーズをしたタヒチの女と、 青と黄色の翼を持った天使。

イア・オラナ・・・それはタヒチの出会いの挨拶。

副館長
「ゴーギャンの色使いはとても鮮やかで、ほとんど原色をつかった美しい色彩 で描かれています。
そして、タヒチの光をふんだんに取り入れました。
その光はポリネシアの人々に対する愛情と、尊敬の気持ちから描かれたんです。」

原始の楽園、マタイエア。

人々は神を畏れ、自然とともに生きる。
何もしなくていい、何も考えなくていい、ゴーギャン、至福のひと時。

マタイエアの人々にふれ、ゴーギャンが感じたのは、自分が求めつづけてきた原始のタヒチ。

創作意欲をかき立てられるゴーギャン、目指したのはシンプルな芸術。

細かい技法を捨て、自分が感じたことだけをおおらかに描く。

そのためには、原住民とだけ付き合い、原始の心で見ること。
それが真の芸術へたどり着く道、そう考えてきました。

しかし、その絵はほとんど売れません。


総督
「赤い水やら黄色い砂。ひどい色使いだ あれじゃ売れなくて当然だ。 しかし、この絵はどこか違うな・・・。」

原始の村マタイエアでも、文明から逃れることはできませんでした。
好みの食料品や絵の具があるのはパペーテだけ。
金・・・文明人のゴーギャンに必要なのは経済的な裏づけだったのです。
絵を買ってくれる人もいないタヒチ・・・
待っていたのは貧困。

そこで、ゴーギャンは総督のもとへ。
もっと小さな島の役人にしてもらおう。
そうすれば、金と新しい絵のモチーフ、両方が手に入ると考えたのです。

総督
「そんなわがままを話、通用するわけがない。

フン、金が欲しい? 島の役人に採用しろだと?
冗談じゃない、矛盾だらけじゃないか
ゴーギャンの求めているのは、原始の生活ではなかったのか!
なんて傲慢で、身勝手なやつだ!」

総督に冷たくされたゴーギャンは、自分の身勝手を棚に上げ、子供じみた反抗にでます。

やったことは、風刺画。
総督を猿に見立て、痛烈にからかったのです。

それは原始に翻弄される文明人の哀れでもありました。

貧困のため、絵を描く意欲も失せたゴーギャンは、気分転換をかねて、探検旅行に出かけます。

行く先は島の東側、文明から最も遠い土地。
やがてゴーギャンの行く先に現れたのは、山あいの小さな村でした。
その一軒で声をかけられます。

白人は神の使い、そう信じる村人は自分の娘を妻にと勧めるのです。
そして、運命の出会い。

「マナオ・トゥパパウ」に描かれた少女。

少女の名はテハアマナ。愛称テフラ、13歳。
タヒチでであった原始のイヴ。

テフラに一目で惚れたゴーギャン。


彼はその場でテフラと結婚し、一緒に暮らし始めます。
日の光を浴びて、黄金色に輝くテフラの肌。
ついに出会った原始のイヴ、テフラとの生活がゴーギャンの見方を変えました。

文明に毒されたタヒチは今、探し求めた原始の楽園に生まれ変わったのです。

ゴーギャンによって残された原始のイヴの肖像・・・

ゴーギャンの夢、

画家が愛してやまなかった少女・・・。


総督
「原始のイヴだって?なにを大げさな。
ただの島の娘じゃないか。
それにしても、あの絵の娘は何かに怯えているのかね?
しかも、後ろにうずくまっているあの不気味なものは何だ。
アッ、これは!」

青い海と珊瑚礁。
そして険しくそびえる山々。
さまざまな顔をもつタヒチ。

一歩奥へ入ると、そこはすでに伝説と神話の世界です。

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao2.htm

<タブー>
タヒチにはタブーがある。
死者を葬った場所は避けるように。
うつろな木の陰に横たわらないように。
もしタブーを破ることがあれば、やつが現れるだろう。

やつは寝ているものに飛びついて、首を絞め、時には髪を引き抜き、死に至らしめることがある。その名を決して口にしてはならない。

いまもタヒチに伝わるという、タブーの正体とは何か。


女1
「そうだねえ、この土地のタブーといったら幽霊のことだよ。」

女2
「子供のころに見たことがあるわ。
しろ〜くて、お化けみたいな姿をしているのよ。
本当に恐かったわ。」


「トゥパパウって幽霊さ、こんな感じのやつ・・・
ひとに取り付くと目が大きくなって、下がこんなに長くなるんだ。」

マナオとは「思う」「考える」という意味のタヒチ語。
マナオ・トゥパパウというタイトルには、トゥパパウ、つまり死霊が見ている、という意味がこめられていたのです。


総督
「トゥパパウについては、私も調査員を派遣した。
報告によると、トゥパパウの都は森の闇に包まれた山奥の奥にあるそうなんだ。
そこでトゥパパウは数を増やし、死んだ人間の魂を食らうという。

フン、もうすぐ20世紀だというのに、タヒチにはまだ下らん迷信が残っているのか。」


学芸員
「確かにトゥパパウの伝説は残っているようです。
トゥパパウとは死んだ人の霊のことで、夜の闇をさまよい歩くと考えられていました。
そのため、タヒチの人たちは闇を怖がって、寝ているときも明かりを絶やしません。
もし部屋の明かりを消してしまうと、トゥパパウが家の中に入ってきて、
寝ている間に悪さをすると信じられていたからです。」


ある日、ゴーギャンは帰り道を急いでいました。
切れかかった灯油を町へ買出しに行った帰りです。
夜中の1時、あたりは完全な闇。

夜空の月も雲に隠れていきます。

テフラの待つ小屋は闇に包まれていました。
いやな予感がしたゴーギャンは急いで部屋の中へ。
すると・・・そこは原始の闇。

思わずマッチをすったゴーギャン。
そして彼の目に映ったものは・・・
ベッドに横たわり凍り付いたようなテフラ。
うつろに見開かれたテフラの目。

タヒチの人にとって、闇はトゥパパウのすみか。
テフラには夜の闇は恐怖そのものでした。
そして、恐怖に射抜かれたように身を固くするテフラの背後に、ゴーギャンははっきり見たのです。

『私が見るものは、ただ恐怖だけでした。
それは絶え間ない恐怖である。
私のトゥパパウを発見して、私は完全に心ひかれ、 それを絵のモチーフにした』

ゴーギャンはテフラを通して、はじめて本当の原始を理解したのです。

テフラ、原始に住むイヴ。

タヒチにきて三度目の夏・・・。


総督
「ああ。おめでとう、ゴーギャン君。
君にも私にもいい知らせだ。
本国から君を送り返すように言ってきたんだ。

ここを見たまえ、資産状態が配慮に値する困窮の画家を送還すること。フランスの船で。
ただし、一番安い船に、乗せるようにと書いてある。
ともあれ、これで我らが芸術特使さまの任務も完了というわけだ。
ごきげんよう、ゴーギャン君。」

1893年7月。
ゴーギャンは本国フランスへの帰路につきます。
テフラと出会った後も、ゴーギャンの生活は決して理想のものではありませんでした。
極度の貧困、そして重なる疲労。
逃れられない文明の影。
結局、彼は逃げ出すようにタヒチを後にするしかなかったのです。

パリに帰ったゴーギャンは、このマナオ・トゥパパウに他の絵の倍以上の値段をつけたといいます。

タヒチにきたらゆっくりと動くこと。
日々の暮らしは忘れ、リラックスしましょう。

でも、夜は明かりを絶やさないように。
もし暗くしたら、闇の中からあなたをみつめる死霊と出会うことになるかもしれませんから・・・

http://www.geocities.jp/mooncalfss/manao/manao4.htm


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   @゙!         |::              !::        ノ


Teha'amana (マナを与える者の意)


ゴーギャンがタヒチで見出したものは何であったのか?

『ノアノア』連作版画


タヒチからフランスへ帰郷したゴーギャンは、母国のタヒチへの理解の乏しさに、絶望します。そんな母国フランスへ、タヒチの生活のすばらしさを伝えるために制作したファンタジー小説、『ノアノア』の挿し絵に使用されていた作品のいくつかを、紹介したいと思います。

ナヴェ・ナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)

教科書などでも有名な作品、『かぐわしき大地』を左右反転させた作品です。版画になり、白黒はっきりさせたものになったことで、主人公であるエヴァの表情の濃淡が、よりくっきりとしていることが印象的です。。

また、エヴァをそそのかすトカゲが、顔よりも大きく、この版画の中心に描かれていることも、気になりますね。


テ・アトゥア(神々)
マオリ族(ニュージーランドのポリネシア系先住民)の古代神話より。


中央に鎮座するのは、主神タアアロア。右側には再生の力を持つ月の女神ヒナ。左側には、大地の男神であり死の象徴であるテファトゥとヒナの対話の場面が描かれています。

これらの神々は、ゴーギャンの作品の中ではたくさん登場する、重要な役割を果たしているものです。

再生の神と、死の神が、ふたり同時に何を話しているのか、(しかも、僕が見る限りふたりは、とても官能的に話をしているように感じます。。)気になるところですね。。

マナオ・トゥパパウ(死霊が見ている)

テ・ポ(夜)


このふたつの作品のは、「死霊に怯える女性」という同一の主題を描き出しています。


『マナオ・トゥパパウ』の女性の姿勢は、ペルーのミイラの体勢を源泉に持っています。つまり、人間の死んだ後の存在であるミイラと、同じ体勢を取っている、ということです。

しかし、死の象徴とも思えるこの作品は、見ようによっては胎児のようにも見えます。

相反するふたつのもの、つまり、生と死を一体化したふたつの境界線が揺らぐ、タヒチの夜の神秘を描き出しているようです。ふたつの相反するものを、ひとつのものの中に融合させる、ということは、人類の大きなテーマであると感じました。

また、『テ・ポ』の方は、ゴーギャンがタヒチでできた愛人、テハアマナが、夜、明かりの消えた部屋で、死霊に怯えている姿を描いた作品です。

タヒチの人々にとって夜は、霊魂が活動する、死と隣り合わせの世界にほかなりませんでした。真ん中に横たわる女性の後ろには、様々な死霊たちがこちらに目を向けています。。

このことから考えると、ゴーギャンの描く夕方の世界は、現代の我々が考えるような、単なる美しい夕焼けではなく、これから迎える夜=死霊の世界を思わせるような、ある種、最も境界線の薄れた世界を題材にしている作品であることが分かります。。

http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=83


『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』後、自殺未遂を経てゴーギャンが描いた作品のうち、気になった作品をいくつか。。

テ・ハペ・ナヴェ・ナヴェ(おいしい水)
1898年 油彩・キャンパス ワシントン、ナショナル・ギャラリー
http://www.abcgallery.com/G/gauguin/gauguin128.html


『我々は〜』の関連作品です。
 

時刻は夕方、死霊が闊歩する夜が、すぐそばまで迫ってきています。

手前の4人の女性の表情は、逆光ではっきりとわかりません。微笑を浮かべているようにも感じるし、背後から迫りくる夜に、怯えているようにも感じます。。

川を挟んだ奥には、子供と手をつないだ(? 暗いので、はっきりそうとは言い切れませんが・・・)頭巾を被り、服を着た女性と、再生の女神ヒナが描かれています。その足もとには、ゴーギャンノ化身である黒い犬らしき影が、闇に紛れるようにひっそりといます。

川を境に、生と死が対照的に描かれているようです。一度死を決意し、なお生き長らえた画家の心境は、どういったものだったのでしょうか・・・?

ゴーギャンの作品にはめずらしく、奥行きがあり、見ているとからだが、絵画の中に引きずり込まれそうになる作品です。
http://nuartmasuken.jugem.jp/?eid=89


我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか
(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)
1897年 | 139×374.5cm | 油彩・麻 | ボストン美術館
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html

複製画
http://www.meiga-koubou.com/item/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%80%8E%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%E6%88%91%E3%80%85%E3%81%AF%E4%BD%95%E8%80%85/


「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」との哲学的思惟を迫る、しかも139×375cmという壁画のような大作を目の前にしますと、しばらくめまいのような感覚に襲われます。全裸と腰布だけの女たちが、地面の上に坐って、こちらを見ています。
画面右側には、岩の上に赤ん坊が寝ており、逆の左端には、煤のように黒ずんだ老婆が、やはりこちらを凝視しています。画面中央では男が果物をもいでおり、その足下で、少女が果物を食べています。人びとの近くには、犬と猫と山羊と鳥とが、人間たちと同様に、無表情に地面に伏せています。画面後方には、まず両手を広げた女神像があり、そして体全体を覆うような長衣を着た女たちが、右側に向かって歩いています。背景では、幻想的な樹木が、奇怪な枝を広げています。

 この絵から、アダムとイヴの禁断の実と楽園追放の旧約聖書の物語を連想することは、さほど難しいことではありません。しかし、あの禁断の果実を採ったのは、イヴではなかったか。ゴーギャンのイヴは、どうみても女ではない。マリオ・バルガス・リョサは、『楽園の道』で、果物を採る人物の腰布のふくらみを「立派な睾丸と固くなったペニス」のようだとすら表現しています。楽園追放を暗示する赤い長衣を着たふたりは、アダムとイヴのように男・女ではなく女・女であり、またキリスト教絵画にある悲嘆にくれるふたりではなく、何やら真剣に語り合っています。キリスト教の世界から題材を借りながらも、内容は別の世界を表現しています。

 左端の老婆は、観者を凝視しながら、何を訴えているのでしょうか。ゴーギャンは、フランスの博物館で見たペルーのミイラから、この人物像を創作したということです。ペルーは、ゴーギャンが幼少期を過ごしたところ。死にいく老婆は最早、生きることをあきらめ、大地に返っていくことを、我々に告げているのかもしれません。

 美術館滞在中の大半を、この大作の前にたたずんで過ごしたのですが、時間が経つにつれてこの死にいく老婆の視線が、気になって仕方がありませんでした。「我々はどこへ行くのか?」。老婆の沈黙は、この答えのない問い掛けなのかもしれません。
http://minoma.moe-nifty.com/hope/2009/07/post.html


“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか” はイエスが語った言葉


ヨハネ傳福音書 第8章


8:1イエス、オリブ山にゆき給ふ。

8:2夜明ごろ、また宮に入りしに、民みな御許に來りたれば、坐して教へ給ふ。

8:3ここに學者・パリサイ人ら、姦淫のとき捕へられたる女を連れきたり、眞中に立ててイエスに言ふ、

8:4『師よ、この女は姦淫のをり、そのまま捕へられたるなり。

8:5モーセは律法に、斯かる者を石にて撃つべき事を我らに命じたるが、汝は如何に言ふか』

8:6かく云へるは、イエスを試みて、訴ふる種を得んとてなり。イエス身を屈め、指にて地に物書き給ふ。

8:7かれら問ひて止まざれば、イエス身を起して『なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て』と言ひ、

8:8また身を屈めて地に物書きたまふ。

8:9彼等これを聞きて良心に責められ、老人をはじめ若き者まで一人一人いでゆき、唯イエスと中に立てる女とのみ遺れり。

8:10イエス身を起して、女のほかに誰も居らぬを見て言ひ給ふ『をんなよ、汝を訴へたる者どもは何處にをるぞ、汝を罪する者なきか』

8:11女いふ『主よ、誰もなし』イエス言ひ給ふ『われも汝を罪せじ、往け、この後ふたたび罪を犯すな』]

8:12かくてイエスまた人々に語りて言ひ給ふ『われは世の光なり、我に從ふ者は暗き中を歩まず、生命の光を得べし』

8:13パリサイ人ら言ふ『なんぢは己につきて證す、なんぢの證は眞ならず』

8:14イエス答へて言ひ給ふ『われ自ら己につきて證すとも、我が證は眞なり、


我は何處より來り何處に往くを知る故なり。

汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず、


8:15なんぢらは肉によりて審く、我は誰をも審かず。
http://bible.salterrae.net/taisho/xml/john.xml

ゴーギャンが取り上げた “我は何處より來り何處に往くを知る故なり。汝らは我が何處より來り、何處に往くを知らず”というのは罪の女の話の総括としてイエスが語った言葉なのです。即ち、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教等の砂漠の遊牧・牧畜民の文化では女性や恋愛・性行動を敵視し、

女児がオナニーした → オナニーできない様に女児の陰核を切除する

少女が強姦された → 男を無意識に誘惑しない様に少女を石打の刑にする

妻が夫に売春を強制された → 夫に同じ過ちを繰り返させない様に妻を石打の刑にする

女性が恋愛・不倫した → 男を惑わせない様に女性を石打の刑や火炙りにする


によって対処する伝統だったのです。 イエスが否定しようとしたのはこういうユダヤ教の伝統だったのですが、キリスト教ではイエスの教えを完全に無視し、ユダヤ教の悪しき伝統をそっくりそのまま教義として残したのですね。

まあ、パレスチナの様な砂漠地帯では人口が増えると みんな食べていけなくなるので仕方無いのですが。

_____________

ゴーギャンは11歳から16歳までオルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマン神学校の学生で、この学校にはオルレアン主教フェリックス・デュパンルーを教師とするカソリックの典礼の授業もあった。

デュパンルーは神学校の生徒たちの心にキリスト教の教理問答を植え付け、その後の人生に正しいキリスト教義の霊的な影響を与えようと試みた。

この教理における3つの基本的な問答は


「人間はどこから来たのか (Where does humanity come from?)、

「どこへ行こうとするのか (Where is it going to?)」、

「人間はどうやって進歩していくのか (How does humanity proceed?)」であった。


ゴーギャンは後半生にキリスト教権に対して猛反発するようになるが、デュパンルーが教え込んだこれらのキリスト教教理問答はゴーギャンから離れることはなかった。

http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/L1/210819.htm

ダニエル・ド・モンフレエ宛て(1898年2月,タヒチ)

「…あなたに言っておかなければならないが,私は12月に死ぬつもりだった。それで,死ぬ前に,常に頭にあった大作を描こうと思った。1か月の間ずっと昼夜通して途方もない情熱で描き続けた。…これは,高さ1.7メートル,横4.5メートルの絵だ。…

右下に,眠っている赤ん坊と,うずくまる3人の女性。紫色の服を着た2人の人間がお互いの考えを打ち明けている。

わざと大きくして遠近法を無視して描いた人物は,うずくまり,腕を上にあげ,自分たちの運命を考えている2人を眺めて驚いている。

中央の人物は,果物を摘んでいる。一人の子どもの傍には,2匹の猫がいる。そして白い牡ヤギ。

偶像は,神秘的に律動的に両腕をあげ,彼岸を指し示すかのようだ。うずくまった人物は,偶像に耳を傾けているように見える。
最後に,死に近い老婆は,自らの運命を甘受しあきらめているかのようだ。…その足元に,足でとかげをつかむ1羽の白い未知の鳥がいるが,空疎な言葉の無用さを物語っている。…」

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf

ゴーギャン自身が友人モンフレエ宛ての手紙43)の中で記しているように,面右端と左端には人間の生と死を表すかのように赤ん坊と老婆が描かれている。画面中央には,果実をもぎ取ろうとする青年の姿があり,傍らには地面に座り込んで果実を食べる子供がいる。その他タヒチ女性が配置され,ヤギや犬,鳥といった動物,そして古代の神とされる偶像が描かれている。ゴーギャン当人は,大作であり日頃から温めてきた題材としながらも,作品の意図や描かれた個々の対象の意味について十分な説明をしていない。

先行研究では,まず作品タイトル《我々は…》の出典元の確認が試みられている。

ルークメーカーは,ゴーギャンのブルターニュ時代の肖像画に見出されるトマス・カーライル著の『衣装哲学』に,
O Whence─ OhHeaven, Whither?(仏語訳ではMaisd’oùvenouns nous? O Dieu,oùallonsnous?)という題名と対応する一文が見られると指摘している。また,フィールドもカトリックの秘儀を研究した書物に,作品タイトルと一致する文面があるとしている。作品内におけるモティーフと典拠元の関係においては,タヒチ時代の自身の作品からの転用だけでなく,ブルターニュ時代の作品にその始まりを見出せるものがある。

左の右手をついて横座りする女性のポーズは,1889年の《海藻を集める者たち》の女性のポーズを反転させたものである。また,左端の顔を手で押さえてうずくまる老婆の姿も,ブルターニュ時代からゴーギャンが作品に使用していたポーズであり,ペルーのミイラ像にその根拠を見出せる。タヒチ時代の作品から引用された女性像においても,ジャワ島のボロブドゥール寺院のレリーフやエジプトの壁画にその原型がある。

以上から考えられることは,タイトルから想起されるキリスト教的視点と,実際のモティーフから現れる西洋,非西洋を越えた広い視点との間に距離が生じるということである。ここで作品を改めて考察すると,《我々は…》には,我々が希求し模索しながらも到達し得ない人間存在が描かれていると言えないだろうか。ブルターニュ,タヒチ,あるいはジャワ島やエジプトといった特定の場所や人々ではなく,人間そのものへの強い憧憬がここには存在する。それぞれのモティーフは,断片的表象にも関わらず作品全体において調和をなしている。そして,そうしたモティーフの背景に存在するキリスト教やタヒチにおける信仰などの民俗信仰は,人間の祈りというレベルにおいて等価のものとみなされる。

作品タイトル《我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?》は,人間にとっての至上命題である。つ
まりこの絵画には,ゴーギャンがブルターニュにおいて感じたnostalgia故の人間存在そのものへの希求が見られるのである。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ss/sansharonshu/444pdf/02-06.pdf


後期印象派の代表する巨匠にして総合主義の創始者ポール・ゴーギャンの画業における集大成的な傑作『我々はどこから来たのか、我々は何か、我々はどこへ行くのか』。

1895年9月から1903年5月まで滞在した、所謂、第2次タヒチ滞在期に制作された作品の中で最高傑作のひとつとして広く認められる本作に描かれるのは、ゴーギャンが人類最後の楽園と信じていたタヒチに住む現地民の生活やその姿で、本作にはゴーギャンがそれまでの画業で培ってきた絵画表現はもとより、画家自身が抱いていた人生観や死生観、独自の世界観などが顕著に示されている。完成後、1898年7月にパリへと送られ、金銭的な成功(高値で売却)には至らなかったものの、当時の象徴主義者や批評家らから高い評価を受けた本作の解釈については諸説唱えられているが、

画面右部分には大地に生まれ出でた赤子が、中央には果実を取る若い人物(旧約聖書に記される最初の女性エヴァが禁断の果実を取る姿を模したとも考えられている)が、そして左部分には老いた老婆が描かれていることから、一般的には(人間の生から死)の経過を表現したとする説が採用されている。

また老婆の先に描かれる白い鳥の解釈についても、言葉では理解されない(又は言葉を超えた、言葉の虚しさ)を意味する(神秘の象徴)とする説など批評家や研究者たちから様々な説が唱えられている。

画面左部分に配される神像。この神像は祭壇マラエに祭られる創造神タアロア(タヒチ神話における至高存在)と解釈され、自分自身の姿に似せて人間を造ったが、その影はクジラあるいはホオジロザメであると云われている。また月の女神ヒナと解釈する説も唱えられている。

さらに本作を手がける直前に最愛の娘アリーヌの死の知らせを受けたこともあり、完成後、ゴーギャンはヒ素(砒素)を服飲し自殺を図ったことが知られ、それ故、本作は画家の遺書とも解釈されている。本作に示される、強烈な原色的色彩と単純化・平面化した人体表現、光と闇が交錯する独特の世界観はゴーギャンの絵画世界そのものであり、その哲学的な様相と共に、画家の抱く思想や心理的精神性を観る者へ強く訴え、問いかけるようである。
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gauguin_nous.html


「熱帯のイブ」として何枚もの作品に登場する女性のポーズは、ジャワ島のボロブドール遺跡のレリーフをモデルにしたもので、タヒチとは無関係である。ちなみにイブを誘惑する蛇は、ゴーギャンの絵ではトカゲとして表現されている。

死を待つ女性が頭を両手で抱え込むポーズは、ペルーのミイラから思いついたもので、これもタヒチとは無縁である。

《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》の中心にある偶像は仏像ではなく、タヒチの土着の神様、再生を司どる月の女神である。
一番驚いたのは、絵の中に描かれる犬は、たいていの場合ゴーギャンを表すということである。
http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2009/07/post-8a2a.html


この絵でゴーギャンは人の一生を一画面に表現しようとしています。「生まれて、生きて、死ぬ」生き物なら当たり前なことを描いているのです。 そしてこの絵には海が上の方に少し描かれています。

右上には朝の海が描かれ、地球の誕生を意味し、左の海には夜の海が描かれ、地球の終わりを意味しているのでしょうか。

この絵に描かれている人物はほとんどが女性です。犬や猫、鳥なども描かれています。それぞれに意味づけをしていますがどうなんでしょうか?

右の子どもは誕生でしょうし、中央のリンゴを取ろうとしている女性はイブ(エバ)を意味し快楽と苦痛を表現し、左の頭を抱えている女性は死を意味しています。

画面全体は暗いのですが、右側の女性には光が当たっていて、左側は暗い。

背景は右も左も暗く描かれ、ゴーギャンにとっては「この世は真っ暗闇だ」まではいかず、「暗闇」だくらいなのでしょうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/haru21012000/60035012.html

19世紀以降、ポリネシア人はキリスト教に改宗していますが、ブルターニュ地方のキリスト教の場合と全く同じで、外観はキリスト教の衣装を纏っていても、その中身は古来のアニミズムそのものだったのですね。

ゴーギャンが描くアダムとイブやマリアも聖書から題材を選んでいますが、その意味する事はキリスト教の教えとは全く異なる物なのです。

“我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか”で知恵の木の実を採るのは男ですし、

エデンの園からの追放というのは失楽園ではなく、牢獄からの解放という意味を持つのです。:


シュメール神話によれば、神様もまた、粘土をこねて人間を創った。

「なぜ、神様は人間を創造したの?」

というのが、キリスト教徒やイスラム教徒の親が、子供に質問されて返答に窮する素朴な疑問。

それに対して、世界最古の宗教・シュメール神話は、明快な回答を与えている。

「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」

と、シュメール神話の粘土板には明記されているのだ。

いわく、つらい農作業や、治水事業に従事していた神々からは、不平不満が絶えなかった。

「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」

と怒っていた。

原初の母なる女神・ナンムは、この事態を深く憂慮していたが、「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」と評判のエンキ神は、そうともしらずに眠りこけていた。
あるとき、ナンム女神は、エンキ神をたたき起こして言った。

「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々がつらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」。
             
母の言葉にあわてたエンキ神は、粘土をこねて人間を創った。
おかげで、神々に代わって人間が働くようになり、神々はめでたく労働から解放された。シュメール神話の最高神である天空の神アン(エンキの父)や、大気の神エンリル(エンキの兄)も、これには大喜び。神々は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して人類創造を祝った(シュメールは、ビールの発祥地でもある)。

このとき、ビールを飲んで酔っぱらった人類の始祖エンキは、地母神・ニンフルサグ(エンリルやエンキの異母妹)とともに、人間づくりの競争をした。


「広げた手を曲げることができない人間」や、

「排尿をガマンできない人間」、

「性器を持たない人間」、

「よろよろして立ち上がることができない人間」


など、いろんな人間が創られたという
(人権擁護団体が聞いたら、激怒しそうなエピソードですな・・・)。
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/20278c1470953be34e1163edce926967

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