アムステルダムでのマーラー作品演奏記録 メンゲルベルクが第4番を録音した1930年代は驚く数の上演をしており 第8番や第7番のようなものでも定期的に演奏会に載せていた。 ワルターも1933〜38年に客演しておりその中には3番の演奏も含まれている。 Amsterdam Royal Concertgebouw Orchestra (RCO) Mahler performances (1903-2017) https://mahlerfoundation.org/mahler/locations/netherlands/amsterdam/amsterdam-royal-concertgebouw-orchestra-rco-mahler-performances/
メンゲルベルクのコメントは、彼の作品への感謝と賞賛からだけでなく、 彼の音楽との完全な一体性から生じたものであるため、 彼が非常に真剣に受け止めたものでした。 マーラーの作曲方法を理解していたため、メンゲルベルクはわずかな欠落や 欠陥を指摘することができました。 多くの場合、いくつかの小さな調整で解決できる問題。 さらに、マーラーの作業方法には、実際に音に不満がある場合に スコアを変更することが含まれていました。彼はリハーサルのたびに変更を加え、 メンゲルベルクに直接渡しました。これらは偶発的な変更ではありません。 マーラーは、彼が指揮するスコアに何百もの音符と楽譜を書きました? 4番目には、1000以上ありました! メンゲルベルクは、新しい提案で各改訂に対応します。 彼はマーラーの友達以上のものになりました。 彼は信頼できる相談役に成長しました。 (その他、第7番の自筆譜の贈呈などの記事あり) https://mahlerfoundation.org/mahler/locations/netherlands/amsterdam/gustav-mahler-himself-in-amsterdam/ https://mahlerfoundation.org/wp-content/uploads/2015/01/mov1remarksmahlerandmengelberg500.jpg 210名無しの笛の踊り2021/03/07(日) 17:53:27.59ID:ddVbadUn
ワルターのアムステルダムでの巨人(1947)に微妙な食い違いに感じるのは 引退してまもないメンゲルベルクが託した奏法の書き込みを 必死に掻き消そうとあれこれテンポを動かそうとしてるとこだろうと思う。 というのも、マーラーは5〜8番について楽譜に書いていないアイディアを 手紙でメンゲルベルクに託すほど、緊密な仲にあったと言われ ACOのパート譜には、メンゲルベルクの独自の見解も含め 多くの書き込みがしてあり、団員がそれを血肉のように消化していたからだ。 2楽章も中間を過ぎる頃になって、ワルターも諦めがついたのか オケの自由に任せるようになって、歌い回しがこなれてきている。 最終楽章では、それが災いして統率を取らずに響きが乱れる。 (バイエルンではこうしたひねくれた態度を取らずキッチリ決めている) クレンペラーも1951年に復活のアムステルダム客演を果たしているが その堂々とした振舞いとは全く逆の態度のようにみえる。 https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1613632372/l50
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