★阿修羅♪ > 近代史4 > 640.html
 ★阿修羅♪
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/640.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 23 日 23:08:19: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 世紀末のヨーロッパは芸術も文学も思想も爛熟し絶頂に達した時代 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 23 日 11:15:03)


ユダヤ人は性格が悪い _ 大指揮者ブルーノ・ワルターの場合


ブルーノ・ワルターの名盤

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html    

ブルーノ・ワルター _ モーツァルトの名盤
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/832.html

ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html

シューベルト 『未完成交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html

シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html

グスタフ・マーラー 『アダージェット』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/882.html

グスタフ・マーラー 『大地の歌』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/887.html

グスタフ・マーラー 交響曲第9番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/885.html

モーツァルト 魔笛 ・ドン・ジョヴァンニ を聴く
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/559.html

モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html

モーツァルト 歌劇「魔笛」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/816.html

モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/817.html

モーツァルト 『レクイエム』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/839.html

クールな音楽家モーツァルト
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/820.html

宇野功芳 ブルーノ・ワルターと我が音楽人生
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/529.html

モーツァルト 魔笛 ・ドン・ジョヴァンニ を聴く
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/559.html



▲△▽▼

レブレヒトの「巨匠神話」(文藝春秋)によれば、ブルーノ・ワルターは大変な偽善者で、性格の悪さは天下一品だったらしいです。本から抜き書きいたしますと、驚くべきことに次のような言葉がでてきます。

「ワルターは、卑劣で意地悪な利己主義だった」(アンナ・マーラー)

「昔から貪欲な豚で、考えるだけで気分が悪くなる」(シェーンベルク)

「感傷的なばか」(トスカニーニ)

「ワルターは偽善者だった」(レブレヒト)

「ブルーノ・ワルターは、すばらしい指揮者がすばらしい人間でなくてもいいという、生きた証拠であった。」

http://www.kapelle.jp/classic/archive/archive9904_b.html


▲△▽▼


オケメンバーにとっては、リハーサルで失敗したとき、激怒してかんしゃくを爆発させる激情型のトスカニーニの激しい叱責より、ワルターに
「私の指揮が足らず君に失敗があった。 指揮者として申し訳ない」
と言われて涙を滲ませられると、失敗した楽団員にとってはそちらの方(トスカニーニの叱責よりワルターの涙の方)が辛かったという逸話も伝わっています

フルトヴェングラーはあまりそういった逸話がなく、良くも悪くも、フルトヴェングラーは音楽の神に自らの全身全霊を捧げており、「音楽以外はどうでもいい」という感じのする、ひたすら音楽を追求し、あまり人間的な部分を感じさせない求道者的指揮者です。
フルトヴェングラーの家がドイツの富裕な名門であることも音楽以外に気を払わない彼の求道的スタンスに関係しているのかもしれません。
http://nekodayo.livedoor.biz/archives/840652.html


▲△▽▼


ブルーノ・ワルターのステレオ録音のモーツァルトのすばらしい点は、ひとつひとつの音の輪郭が非常に明確であるということ。私のイメージのなかでは、ブルーノ・ワルターは音のつぶだちにはさほどこだわらず、曲全体を雰囲気で大きくまとめる古いタイプの指揮者という感じがあったので、このことは、自分としてはとても大きな発見だ。

ブルーノ・ワルターとの比較という意味で、カラヤンが1970年代にベルリン・フィルを指揮したモーツァルト六大交響曲のCDも購入し、双方を聴きくらべてみた。カラヤンという指揮者、私はけして嫌いではないのだが、このモーツァルトには驚いた。というのは、カラヤンといえば、ブルーノ・ワルター以上に音の美感にこだわるという印象があるのだが、ブルーノ・ワルターを聴いたあとでカラヤンの演奏を聴くと、天下のベルリン・フィルの音色がどんよりと濁ってきこえるのだ。これはなんとしたことだろう。

そこでまたいろいろ考え込んでしまったのだが、実は、ブルーノ・ワルターとクレンペラーの演奏は、主観的と客観的ということである意味対極にあるようにみえながら、音に対するこだわりという点ではかなり近いところに位置しているのではないかということ。二人の演奏では、オーケストラが明るい響きでよく鳴っている。その響きのうえに、それぞれの個性や解釈が打ち出されている。この二人の演奏では、曲に対する解釈が優先して響きが犠牲にされるということはまずない。また、そうでなければモーツァルトは演奏できないと思う。

つまり、ブルーノ・ワルターもクレンペラーも、演奏するうえで、まずはオーケストラの音色や楽器のバランスに配慮し、そのうえで曲に対する解釈や自己表現があると考えていたのではないだろうか。だから、インテンポ(クレンペラー)かテンポが揺れる(ブルーノ・ワルター)かは、本質的な対立点とはならず、テンポが速いか遅いかもさほど問題にならないのだと思う。ちなみに、クレンペラーの初期の演奏は、晩年の演奏からは考えられないような早いテンポで、ぶっきらぼうにきこえるようなものが多い。またクレンペラー晩年の演奏も、個人的な好悪や体調でテンポを遅くしているのではなく、細部まで浮かび上がるような明晰な音で演奏したいという要求が、テンポに反映しているのだと思う。だからクレンペラーの演奏は、どんなにテンポを遅くしても緊張感を失うことがない。またいわゆる客観的演奏ということに関しても、クレンペラーはそのようなものをめざして演奏していたわけではなく、個々の音をきちんと響かせることを優先しながら演奏した結果が、いわゆる客観的演奏という範疇にはいるものになったというだけだと思う。
http://lunatique.blog20.fc2.com/blog-entry-78.html



▲△▽▼


アホ _ ピアニストのワルター評


ワルターの指揮を評してピアニストの内田光子は・・・

「内田:美しいものを追うことにね。ワルターには、道ばたの花がきれいだなと言って、そこに時間を費しているうちに全体が見えなくなっちゃうところがあるんです。それが困るんです。そうお思いになりません? 

「あなたは初期の、アメリカヘ行く前のワルターの七十八回転レコーディングを聴いていないんだろう?」

と言ってくれる人もいます。だけど、私の知っている、アメリカへ渡ってから入れたモーツァルトの六つのシンフォニーとか、マーラーとかは・・・・。

マーラー未亡人のアルマが「ブルーノ・ワルターこそうちの夫の跡継ぎだ」と言ったそうですけど、私は、アルマ・マーラーは何もわからなかった人だと思っているんです。それだったら、クレンペラーのほうがマーラーの音楽に近いと思いますね。マーラーでも、ワルターは道草しちゃうんですよ。そこ、ここで小さな花がきれいだと、彼は立ち止まって見ちゃうんです。」・・・

以上のように言っている対談があるが、ワルターとフィラデルフィア管弦楽団の「田園」を聴けば、発言を訂正しなければならない、そう思うはずだと、小生は強く思う。

専門家でさえ、いや専門家だからこそかもしれないが、固定概念が強いようで、同じ演奏家でもその時代とともに、演奏あるいは表現スタイル、解釈は、大きく変化するのだと言うことを前提にしなければならない。ワルターは、そのような固定概念でくくられてきた「巨匠」の代表でもある。

小生はかつてワルターのある演奏を聴いて、ザッハリヒな面もあるのではないかと思った事があったが、年代が変化させたのか、それとも、もともと両面を内包した指揮者であったのかは、依然謎のままである。

http://sawyer.exblog.jp/10030257/


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13456] koaQ7Jey 2020年3月23日 23:11:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1448] 報告



ヨハン・シュトラウス 2世 『皇帝円舞曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/878.html


Bruno Walter /VPO - Johann Strauss : Emperor Waltz 皇帝円舞曲 (1937)


 
2. 中川隆[-13454] koaQ7Jey 2020年3月23日 23:23:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1450] 報告

アントニン・ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 作品95 『新世界より』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/872.html  


ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95, B. 178
ブルーノ・ワルター 指揮 ロサンゼルス・スタンダード交響楽団













ロサンゼルス・スタンダード交響楽団 - Los Angeles Standard Symphony Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 16 July 1942
3. 中川隆[-13448] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:24:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1456] 報告

Tchaikovsky Sinf n 5 Bruno Walter NBC交響楽団 1940











NBC Symph. Orch.
Bruno Walter
(live rec. 09.03.1940)
4. 中川隆[-13447] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:26:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1457] 報告

Tchaikovsky Romeo e Giulietta Bruno Walter 1942録音




Tchaikovsky : Romeo e Giulietta (Ouv. fantasia)
Los Angeles Philarmonic
Bruno Walter ( live rec. 21.05.1942)
5. 中川隆[-13446] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:31:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1458] 報告

J.S.Bach St Matthew Passion BWV 244 (first part) - Walter - NYP (1944年)




New York Philharmonic Orchestra
Bruno Walter conductor.
Live rec. April 9, 1944 (only the recording of the first part...)

William Hain (ten) Evangelist
Lorenzo Alvary (bass) Jesus
Nadine Conner (sop)
Jean Watson (alt)
Mack Harrell (bass)  
Nerbert Janseb (bass)

Ralph Kirkpatrick (harpsichord)
Edouard Nies Berger (organ)
Janos Sholz (viola da gamba)
John Corigliano and Michael Rosenker (violins)
John Wummer (flute) / Harold Gomberg (oboe)
The Westminster Choir (J.F. Williamson)

6. 中川隆[-13445] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:34:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1459] 報告

Bruno Walter conducts Weber: Oberon, Ouverture (rare video) 1931年




1931 Berlin
7. 中川隆[-13444] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:36:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1460] 報告

Bruno Walter, cond. NYPO Schumann: Symphony No.3 "Rhenish" 1941年





Schumann: Symphony No.3 in E flat major "Rhenish"

Bruno Walter, conductor
Philharmonic Orchestra of New York

Recorded in Feb 2, 1941
8. 中川隆[-13443] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:38:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1461] 報告

Schumann sinf n 4 Bruno Walter 1940年





Robert Schumann : Sinf. n. 4
NBC Symphony Orch.
Bruno Walter
(live rec. 02.03.1940)
9. 中川隆[-13442] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:40:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1462] 報告

Bruno Walter: Schumann: Symphony 3 & 4 (R.1941 & 1938年)





• Symphony No. 3 in E-Flat major, Opus 97 (“Rhenish”)
New York Philharmonic
February 4, 1941; Liederkranz Hall

• Symphony No. 4 in D minor, op. 120
London Symphony Orchestra
April 26, 1938; Abbey Road Studio No. 1, London
10. 中川隆[-13441] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:42:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1463] 報告

Schumann:Symphony#4-Bruno Walter & Mozart Festival Orchestra(Paris)1928年





Robert Schumann:Symphony#4 in dminor-Opus 120-

Bruno Walter Conducting The Mozart Festival Orchestra(Paris)-1928 !
11. 中川隆[-13440] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:45:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1464] 報告

Bruno Walter /BPO - J. Strauss : Roses of the South - Waltz 南国のバラ (1930)




Berlin Philharmonic Orch.
recorded 2/14, 1930
transfer from Jpn Columbia 78s / J-7663(AX-5448)
12. 中川隆[-13439] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:49:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1465] 報告

Bruno Walter - J.Strauss : Die Fledermaus - Overture こうもり序曲 (1938) 再復刻





Orchestre de la Societe de Concerts du Concervatoire
recorded 9 May 1938
transferred from Jpn Columbia 78s / JS-37(2LA-2536)
13. 中川隆[-13438] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:51:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1466] 報告

Bruno Walter - Johann Strauss : Wiener Blut ウィーン気質(かたぎ)- 1929 (再復刻)




Berliner Staatskapelle Orch.
recorded in January 1929
transferred from Jpn Columbia 78s / J-7605(AX-4578)
14. 中川隆[-13437] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:54:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1467] 報告

Bruno Walter - Johann Strauss II - The Gypsy Baron Overture ロンドン交響楽団





London Symphony Orchestra
Technics SL-1200MK4
15. 中川隆[-13436] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:57:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1468] 報告

Walter Conducts Strauss ウィーンの森の物語
Tales from the Vienna Woods, Op. 325




Columbia Symphony Orchestra
Bruno Walter

16. 中川隆[-13435] koaQ7Jey 2020年3月24日 08:59:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1469] 報告

美しき青きドナウ
BLUE DANUBE WALTZ,Op 314''JOHANN STRAUSS ''BRUNO WALTER'conducting the Columbia'' Vinyl,,


17. 中川隆[-13434] koaQ7Jey 2020年3月24日 09:01:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1470] 報告

Bruno Walter - Mozart: Symphony No. 40 - Finale - Berlin Philharmonic 1950年


18. 中川隆[-13432] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:07:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1472] 報告

Beethoven:Violin Concerto in D Opus61
Joseph Szigeti-Violin Bruno Walter & BRITISCH SYMPHONY ORCHESTRA 1932年


19. 中川隆[-13431] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:09:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1473] 報告

Walter Gieseking & Bruno Walter - Beethoven "Emperor" Concerto 1934年




Wiener Philarmoniker
dir. Bruno Walter

rec. 1934
20. 中川隆[-13430] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:11:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1474] 報告

Horowitz/Walter: Brahms, Concerto No.1 (1936年)




Concertgebouw Orchestra, Bruno Walter
21. 中川隆[-13429] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:12:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1475] 報告

Vladimir Horowitz/Bruno Walter (Better Sound) Tchaikovsky Piano Concerto # 1 April 11 1948年




Vladimir Horowitz
Bruno Walter
The New York Philharmonic
April 11 1948 NY.
22. 中川隆[-13428] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:15:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1476] 報告

Dame Myra Hess and Bruno Walter: Brahms Second Piano Concerto (1951年 concert performance)





A February 11, 1951
Dame Myra Hess
the New York Philharmonic
Bruno Walter
23. 中川隆[-13427] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:21:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1477] 報告

Brahms Symphony No. 4 op.98 - Bruno Walter - NYP - 1945年




New York Philharmonic - May 6, 1945, Live recording.
24. 中川隆[-13426] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:25:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1478] 報告

ベルリオーズ 『幻想交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html  


ブルーノ・ワルターの『ベルリオーズ 幻想交響曲』





ブルーノ・ワルター指揮パリ音楽院管弦楽団
GRAMMOFONO。戦前SPの復刻。1939年5月19日録音。

上のNBCへの客演のあと、まだワルターはヨーロッパに戻ってフランスあたりに腰を落ち着けていた。しかし、これが戦前のヨーロッパでの最後の録音となった。
意外にも、ワルターはこの曲が好きだったらしく、晩年になってもこの録音を愛聴していたらしい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/berlioz/berlioz.htm
25. 中川隆[-13425] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:29:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1479] 報告

Bruno Walter, cond. RPO R.Strauss: Dun Juan Op.20 1926年





R.Strauss: Dun Juan -Tone Poem Op.20

Bruno Walter, conductor
Royal Philharmonic Orchestra

Recorded in 1926
26. 中川隆[-13424] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:33:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1480] 報告

Walter conducts Beethoven - Haydn - Strauss - BSO 1947年 (complete concert)





Boston Symphony Orchestra, Bruno Walter conductor
(Live Rec. January 21, 1947)

Beethoven: “Prometheus” Ouverture
Haydn: Symphony No. 92
R.Strauss: Don Juan op.20
27. 中川隆[-13423] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:42:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1481] 報告


Death and Transfiguration, Op. 24 · NBC Symphony Orchestra, Bruno Walter




交響詩「死と変容」 Op. 24, TrV 158

NBC交響楽団 - NBC Symphony Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 25 March 1939



Till Eulenspiegel, Op. 28 · Richard Strauss · Los Angeles Philharmonic · Bruno Walter


28. 中川隆[-13422] koaQ7Jey 2020年3月24日 10:52:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1482] 報告

楽劇「サロメ」より「七つのヴェールの踊り」





Bruno Walter
Berliner Philharmonic
1930/2/14
29. 中川隆[-13421] koaQ7Jey 2020年3月24日 11:02:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1483] 報告

Walter : Wagner Eine Faust-Ouvertüre Part 1&2 1923年





Wagner : Eine Faust-Ouvertüre Part 1&2,

Bruno Walter / Berliner Philharmoniker,

Record : POLYDOR 65955, Matrices : 1519as,71az,

recorded ca.1923
30. 中川隆[-13420] koaQ7Jey 2020年3月24日 11:05:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1484] 報告

Bruno Walter conduct & plays Wagner (M. Harshaw & K. Flagstad) Live 1952-‘53年





RICHARD WAGNER

• Siegfried Idyll
• TRISTAN UND ISOLDE: Prelude & Liebestod with Margaret Harshaw, sp
Los Angeles Philharmonic Orchestra
July 14, 1953 (misdated on the booklet)


• PARSIFAL: Prelude
New York Philharmonic Orchestra
March 23, 1952


• Wesendonck-Lieder
Kirsten Flagstad, sp
BRUNO WALTER, pf
New York, Carnegie Hall
March 23, 1952
31. 中川隆[-13419] koaQ7Jey 2020年3月24日 11:07:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1485] 報告

Walter conducts Beethoven & Wagner - NYP - 1944年 (complete concert)





Bruno Walter, conductor - New York Philarmonic.
May 14, 1944; Carnegie Hall (live broadcast)

Beethoven: Symphony No.6 op.68 "Pastoral"

Wagner:
Lohengrin Preludes Act 1 & 3,
Tristan Prelude and Liebestod.
32. 中川隆[-13418] koaQ7Jey 2020年3月24日 11:12:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1486] 報告

THE BEST WAGNER CONDUCTED BY BRUNO WALTER





Royal Philharmonic Orchestra
Bruno Walter



1. Parsifal, Act l: Prelude 00:00

2. Parsifal: Music Of Change Scene 11:09

3. Parsifal: Klingsors Zaubergaten 15:20

4. Der Gotterdammerung: Siegfried Rheinfahrt 28:23

5. Rienzi: Overture 34:55

6. Tannhauser: Venusberg Music 45:34

7. Der Fliegende Hollander: Overture 56:46

8. Lohengrin, Act lll: Prelude 1:06:38



1925年の「パルジファル」のクリングゾルの魔法の庭園の音楽は、ワルター・マニアには有名な録音で、まだワーグナーは細切れ録音が一般的だった時期に13分もまとまった一場面を録音しており、ワーグナー指揮者としても高名だった時期のワルターの姿を伝えるものとして貴重なものです。歌が省かれている分、ワルターの音楽作りがよく分かります。



ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
録音 : 1925年
録音 : 1927年
33. 中川隆[-13417] koaQ7Jey 2020年3月24日 11:14:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1487] 報告

Bruno Walter: Funeral March of Goetterdaemerung by Wagner 1931年






Bruno Walter: Funeral March of Goetterdaemerung by Wagner

with British Symphony Orchestra recorded in 1931.



34. 中川隆[-13416] koaQ7Jey 2020年3月24日 11:16:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1488] 報告

Walter conducts Beethoven - Haydn - Wagner - NYP 1943年 (complete concert)




November 7, 1943 Carnegie Hall (live rec.)
Bruno Walter - New York Philharmonic.

American National Anthem
Beethoven Egmont Overture op.84
Haydn Symphony no. 88
Brahms Symphony No. 1 op.68
35. 中川隆[-13415] koaQ7Jey 2020年3月24日 11:19:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1489] 報告

Wagner: "Rienzi" Ouvertüre [Dir. Bruno Walter] 1926年




"Rienzi"'s Overture by Wagner.
Royal Philharmonic Orchestra, conducted by Bruno Walter
Rec. 15-06-1926
36. 中川隆[-13414] koaQ7Jey 2020年3月24日 11:21:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1490] 報告

Bruno Walter - Wagner : Dance of the Apprentices and Entrance of the Masters(Die Meistersinger)





「徒弟たちの踊りと名歌手の入場」
British Symphony Orch.
recorded in the central Hall, Westminster, 5/22, 1932
transfer from Jpn Columbia 78s / J-8175(CAX-6398)
37. 中川隆[-13413] koaQ7Jey 2020年3月24日 11:24:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1491] 報告

Bruno Walter conducts Wagner - Overture: The Flying Dutchman (Der fliegende Holländer) 1936年







Bruno Walter
Amsterdam's Royal Concertgebouw Orchestra
1936 recording
38. 中川隆[-13409] koaQ7Jey 2020年3月24日 14:49:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1495] 報告

Götterdämmerung: Gotterdammerung (Twilight of the Gods) , Prologue: Siegfried's Rhine Journey 1927年





Conductor: Bruno Walter
Orchestra: Royal Philharmonic Orchestra
39. 中川隆[-13408] koaQ7Jey 2020年3月24日 14:53:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1496] 報告
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー ジークフリート牧歌





Vienna Philharmonic Orch.
recorded 6/19, 1935
Transfer from Jpn Columbia 78s / J-8567/8(2VH-90/93)
40. 中川隆[-13407] koaQ7Jey 2020年3月24日 14:57:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1497] 報告

ブルーノ・ワルター

Lotte Lehmann - Lauritz Melchior - Emanuel List
Die Walküre acte 1 Walter 1935年







Lotte Lehmann
Lauritz Melchior
Emmanuel List

Orchestre Philharmonique de Vienne
Bruno Walter.

Enregistré à Vienne du 20 au 22 juin 1935

41. 中川隆[-13406] koaQ7Jey 2020年3月24日 15:04:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1498] 報告
ブルーノ・ワルターは キャサリーン・フェリアーが大好きだったんですね:

Kathleen Ferrier & Bruno Walter; "Romance"; Rosamunde; D 797/3b; Franz Schubert




Kathleen Ferrier--Contralto
Bruno Walter--Piano
1949

_____


Kathleen Ferrier & Bruno Walter "Du bist di Ruh"; Franz Schubert




Kathleen Ferrier--Contralto
Bruno Walter--Piano
1949

__________


Schubert, Schumann, Brahms : Lieder by Kathleen Ferrier & Bruno Walter




Franz Schubert (1797-1828) - Lieder
Romance from ‘’Rosamunde’’, D797 no.3b (00:00)
Du bist die Ruh, D776 (03:51)
Die junge Nonne, D828 (08:34)
Der Tod und das Mädchen, D531 (13:01)
Suleika I, D720 (15:39)
Du liebst mich nicht ! D756 (20:27)

Contralto : Kathleen Ferrier
Piano : Bruno Walter
Live recording in 1949, Edinburgh Festival


▲△▽▼

Bruno Walter - Schubert : Rosamunde - Ballet Music No.1




London Symphony Orch.
78rpm / Columbia, W-281(2EA-6770)

▲△▽▼

Bruno Walter - Schubert : Rosamunde - Ballet Music No.2





London Symphony Orch.
78rpm / Columbia, W-281(2EA-6771)

▲△▽▼

Rosamunde: Intermezzo No. 3




Columbia Symphony Orchestra
Bruno Walter
42. 中川隆[-13405] koaQ7Jey 2020年3月24日 15:06:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1499] 報告

Fidelio 22/2/1941 MetOpera (Flagstad, Maison, Kipnis, Farell, Huehn, Janssen - Walter)





Fidelio - Beethoven

Metropolitan Opera
Matinée Broadcast
22nd February, 1941年

Leonore.................Kirsten Flagstad
Florestan...............René Maison
Don Pizarro...........Julius Huehn
Rocco....................Alexander Kipnis
Marzelline.............Marita Farell
Jaquino.................Karl Laufkötter
Don Fernando.......Herbert Janssen
First Prisoner........Emery Darcy
Second Prisoner...John Gurney

Conductor.............Bruno Walter
43. 中川隆[-13404] koaQ7Jey 2020年3月24日 15:09:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1500] 報告

Fidelio 10/Mar/1951 MetOpera (Flagstad, Svanholm, Schöffler, Conner, Hines - Walter)






Fidelio - Beethoven

Metropolitan Opera
Matinée Broadcast: 10th March 1951年

Leonore........................Kirsten Flagstad
Florestan......................Set Svanholm
Don Pizarro..................Paul Schöffler
Rocco...........................Dezsö Ernster
Marzelline....................Nadine Conner
Jaquino........................Peter Klein
Don Fernando.............Jerome Hines
First Prisoner...............Brian Sullivan
Second Prisoner.........George Cehanovsky

Conductor...................Bruno Walter
44. 中川隆[-13403] koaQ7Jey 2020年3月24日 15:15:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1501] 報告

ブルーノ・ワルター

Bruno Walter Live: Beethoven: Missa Solemnis (Carnegy Hall 18-04-1948)




Eleanor Steber: Soprano
Nan Merriman: Alto
Walter Hain: Tenor
Lorenzo Alvary: Bass
New York Philharmonic Orchestra: Bruno Walter
45. 中川隆[-13402] koaQ7Jey 2020年3月24日 15:18:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1502] 報告

Beethoven "Symphony No 9" Bruno Walter 1947年

Isobel Baillie, soprano
Kathleen Ferrier, contralto
Heddle Nash, tenor
William Parsons, baritone
London Philharmonic Choir
Chorus master: Frederic Jackson

London Philharmonic Orchestra
Bruno Walter, conductor
Royal Albert Hall, 13.XI.1947

46. 中川隆[-13401] koaQ7Jey 2020年3月24日 15:19:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1503] 報告

Beethoven "Symphony No 9" Bruno Walter 1947年


47. 中川隆[-13400] koaQ7Jey 2020年3月24日 15:22:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1504] 報告

Kathleen Ferrier - Bruno Walter - The Legendary Edinburgh Festival (Live R.1949年)




Kathleen Ferrier (1912-1953): Contralto
Bruno Walter (1876-1962): Piano

• Schubert: Die junge Nonne D828
• Schubert: Romance D797
• Schubert: Du Liebst mich nicht D756
• Schubert: Der tod und das mädchen D531
• Schubert: Suleika I D720
• Schubert: Du bist die Ruh D776
• Brahms: Immer leiser wird mein Schlummer op.105 no.2
• Brahms: Der tod, das ist die kühle nacht op.96 no.1
• Brahms: Botschaft op.47 no.1
• Brahms: Von ewiger liebe op.43 no.1
• Schumann: Frauenliebe und –leben op.42
R. 07-09-1949 Usher Hall Edinburgh
48. 中川隆[-13399] koaQ7Jey 2020年3月24日 15:30:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1505] 報告

Kathleen Ferrier & Bruno Walter; "Kindertotenlieder"; Gustav Mahler




Kathleen Ferrier--Contralto
Bruno Walter--Conductor
Wiener Philharmoniker
1949年
49. 中川隆[-13398] koaQ7Jey 2020年3月24日 15:35:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1506] 報告

Kathleen Ferrier - "Ich bin der Welt abhanden gekommen" (Mahler: Rückert-Lieder) - with lyrics 1952年




Kathleen Ferrier.UM MITTERNACHT.VIENNA.Bruno Walter.1952.Gustav Mahler. Ruckert lieder




In the spring of 1952 in Vienna,the contralto Kathleen Ferrier recorded her famous Mahler's Das Lied Von Der Erde.
50. 中川隆[-13397] koaQ7Jey 2020年3月24日 16:07:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1507] 報告

ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876年9月15日-1962年2月17日)は、ドイツ出身の指揮者・ピアニスト・作曲家。

より正確なドイツ語読みはヴァルターであり、そのように表記される場合もある。また、本来の姓はシュレジンガーであり、これは彼がブレスラウの歌劇場の指揮者になったとき、現地ユダヤ人にシュレジンガー姓が多いので、ヴァルターに改めたという。そのため、ヴァルター・シュレジンガーと表記されることも稀にある。

20世紀を代表する偉大な指揮者の1人で、モーツァルトやマーラーを得意とした
戦前や戦後間もなくの日本では、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥーロ・トスカニーニとブルーノ・ワルターを「三大巨匠」と呼ぶことが多かった。

作曲家として2曲の交響曲、室内楽曲、歌曲などを残している。

ドイツ系ユダヤ人の父親と、東ヨーロッパから移住したユダヤ系の母親の間の子として、ベルリンに生まれる。母親はキリスト教に改宗しており、ブルーノ本人もキリスト教徒であった。本名は、ブルーノ・シュレジンガー(Bruno Schlesinger)。

父親は絹糸商会の簿記係、母親はワルター本人の言い方によれば「なかなかうまい」ピアニストだった。

幼少期からピアノに親しみ、13才の時にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のポピュラーコンサートにピアニストとして出演し、イグナーツ・モシェレスのピアノ協奏曲を演奏している。

ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後、ピアニストとしてデビューしたが、ハンス・フォン・ビューローの実演を目の当たりにして指揮者になることを決意し、1894年にケルン市立歌劇場でデビューした。


マーラーとの出会い

1896年にはハンブルク歌劇場へ移った。そこで当時音楽監督(1891年 - 1897年)、すなわち上司であったグスタフ・マーラーに認められ、マーラーの部下、そして親友として交流を深めていった。(ただし、ワルターはマーラーに指揮を師事したわけではないので、「マーラーの弟子」という表現は適切ではない。)その後マーラーとともにウィーンへ転任し、ウィーン音楽院(現ウィーン国立音楽大学)で教鞭をとる。また、名前からユダヤ系を示す「シュレジンガー」という姓を除き「ブルーノ・ワルター(ヴァルター)」と名乗ったのもこの頃からである[注釈 1]。

人気指揮者へ

1901年にマーラーの招聘によってウィーン宮廷歌劇場の副指揮者となる。以後ウィーン宮廷歌劇場(ウィーン国立歌劇場)楽長、ミュンヘン宮廷歌劇場(バイエルン国立歌劇場)音楽監督、ベルリン市立歌劇場(ベルリン・ドイツ・オペラ)音楽監督、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長などを歴任。ヨーロッパの一流オーケストラやザルツブルク音楽祭さらにはアメリカのオーケストラにも度々招かれる人気指揮者として活躍した。ベルリン・フィルでは「ブルーノ・ワルターコンサート」という演奏会を持っていた。

ナチスの台頭とアメリカ移住

しかし、1933年に、ナチス政権が成立すると、ユダヤ系であるワルターは迫害を受けるようになる。政権発足直後に演奏旅行から帰国してきたワルターは、ナチ宣伝大臣ゲッベルスらによる嫌がらせや殺人予告を受けるようになり、最終的には楽屋に銃弾を撃ち込まれる事態にまで発展した。このため、ワルターが指揮をする演奏会は中止に追い込まれ、彼はドイツを追われてオーストリアのウィーンへ移住せざるを得なくなった。

移住先のウィーンでは歓迎されてウィーン国立歌劇場やウィーン・フィルで、フルトヴェングラーなどと人気を争うほどの活躍をしたが、1938年にオーストリアがナチス・ドイツに併合されてしまうと、命に危険を感じウィーンを出てスイスのルガーノへ逃れた。この年創設されたルツェルン音楽祭にトスカニーニらと共に招かれたりしているが、パスポートもない状態でモナコなどに市民権の取得を打診し不調におわる。やがてフランスから手をさしのべられフランス国籍を取得、フランスなどドイツとオーストリアの影響の及ばない地域を中心に演奏活動を続けた。

翌年もルツェルン音楽祭に招かれるが、チューリッヒで離婚調停中だった次女のグレーテルが夫に射殺され、その夫も自殺するという悲劇(著名なバス歌手エツィオ・ピンツァとグレーテルとの不倫関係が原因という)がワルターを襲う(音楽祭はトスカニーニが自らのスケジュールをキャンセルして代役を務める)。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発して欧州での戦火が激しくなると、ついにルガーノの家を出てアメリカへと逃れた。アメリカでは、カリフォルニア州ビバリーヒルズに居を構え、常任のポストには就かずにニューヨーク・フィルハーモニックやメトロポリタン歌劇場などを指揮した。


戦後

戦後はヨーロッパの楽壇にも復帰し、1947年から1949年の間にニューヨーク・フィルハーモニックの音楽顧問を務めるなど、欧米で精力的に活躍を続けたが、1958年に心臓発作で倒れてしばらく休養。その後もニューヨーク・フィルやウィーン・フィルを指揮して数回演奏会を行なっている。1960年にマーラーの生誕100周年記念祭のために最後のウィーン訪問を行いウィーン・フィルを指揮する(曲目はマーラーの交響曲第4番、シューベルトの「未完成」など)。同年暮れにロスアンジェルス・フィルの演奏会で当時新進気鋭のヴァン・クライバーンと共演し(曲目はブラームスのピアノ協奏曲第1番、交響曲第1番)、演奏会から引退した。その数年前、ステレオ録音技術が発達してきたため、CBSレコード(現在はソニー・クラシカル)が、ワルターの演奏をステレオで収録するために、ロスアンジェルス付近の音楽家によりコロンビア交響楽団を特別に結成し、この組み合わせで多くの録音が残された。

1962年2月17日、心不全のためカリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で死去。その波乱に満ちた生涯を閉じた。現在、遺体はスイスのルガーノに埋葬されている。

最晩年に、ルドルフ・シュタイナーが設立した人智学関連団体である『普遍アントロポゾフィー協会』に入会した。


ワルターの名演奏(録音)

レパートリーと演奏スタイル

ワルターは、19世紀生まれの指揮者の中では珍しく録音を多く残しており、録音期間も1920年代のSPレコードから1960年代のステレオ録音に至るまでの長期間にわたっている。そのレパートリーも得意としていたマーラーやモーツァルトの他、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーなどのドイツ・オーストリア系音楽やベルリオーズ、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、バーバーなど幅広い。録音には残されていないが、同時代の作曲家の作品も積極的に取り上げていた。

よくワルターの演奏は微笑に例えられ、夢のような幸福感に満ちた美しい演奏、感情を荒々しく出すことのない中庸な演奏をする指揮者として知られている。モーツァルトの交響曲や晩年のステレオ・スタジオ録音によるベートーヴェンの交響曲第6番『田園』などの録音にその点が見られる。しかしその一方で、壮年期であるモノラル録音時代のライヴ録音などにはニューヨーク・フィルとのベートーヴェン交響曲第7番や、1937年にカール・ライネッケのカデンツァを弾き振りしたウィーン・フィルとのモーツァルトピアノ協奏曲第20番K466、ナチス・ドイツの脅威が迫り来る中で演奏された1938年のマーラー交響曲第9番のように何かに憑かれたような熾烈な演奏をしている事例も多い。ワルター自身、自伝で自分の中にはアポロ的な部分とディオニュソス的な部分が両立している、と述べている。

ワルターの指揮は、基本的にタクトを持った右手のみを使い、必要以上に体を動かすことも、左手を使うこともあまりしていない。拍をぼかさずにきちんと刻んで振っていることが多く、「草書的」と言われたマーラーら旧世代の指揮とは違うものである。また、文学的な解説や長い演説は余りせず、タクトを振りながら「歌って!」「ディミヌエンド!」「エスプレッシーヴォ!」といった指示を出すのみならず、楽器名を出して細かいアーティキュレーションを盛り込んでいる[2]。

彼は自伝に「自分は教育的指揮者だ」と残している。このことは、ワルターがトスカニーニのようにオーケストラに対して専制君主として振舞う指揮者ではないことを示しており、ワルターの人柄を良く表している。例えば、ウィーン・フィルでのリハーサルでは悲しい顔をし「なぜあなた達は美しい音を出さないのですか?もっと歌ってください」と言い、団員達は「あんな悲しげな顔でリハーサルされたら音を出さざるを得ないよ。トスカニーニなどの怒りんぼう指揮者以上に困った指揮者だね」と、言ったという。


代表的な録音は下記の通り。

マーラーとモーツァルト

ワルターはグスタフ・マーラーの良き理解者であり、マーラーの死後に交響曲第9番、『大地の歌』の初演を行うなど、その権威として知られていた。ワルターの死後レナード・バーンスタインやクラウス・テンシュテットなどによる名演奏が生まれ、ワルターのマーラー演奏の地位は相対的に低下したが、それでも前述の1938年録音の交響曲第9番(ウィーン・フィルとのライヴ録音)や1952年録音の『大地の歌』(ウィーン・フィルとのスタジオ録音とライブ録音)、ステレオ録音の交響曲第1番(コロンビア交響楽団)、第2番(ニューヨーク・フィル)などは今でも名演奏として知られている。交響曲第1番の録音では、当時バーンスタインもこの曲の録音が予定されており、場合によっては同じ曲のレコードが同じCBSから同じ時期に発売される可能性もあった。しかし、「とりあえずバーンスタインにワルター盤を聴かせ、その感想で録音するかどうか決めよう」ということになり、バーンスタインにワルター盤を聴かせたところ大絶賛したため、バーンスタインによる録音はお預けとなった。

また、ワルターはモーツァルトを得意としており、楽屋でモーツァルトの霊と交信していたという噂さえ伝説として残っているほど。生涯最後の録音も、モーツァルトのオペラ序曲集であった。晩年のコロンビア交響楽団とのステレオ録音では交響曲第36番、第40番、またニューヨーク・フィルとのモノラル録音では第35番、第38番、第39番、第40番、第41番などが名演奏として知られている。また、戦前のウィーン・フィルとの録音(『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』など)や、1952年のウィーン・フィルとの交響曲第40番のライヴ録音、ザルツブルク音楽祭での交響曲第25番、『レクイエム』のライヴ録音などは今でも名演奏と称えられている。オペラでは、メトロポリタン歌劇場での『ドン・ジョヴァンニ』、『魔笛』等が知られている。

20世紀後半にモーツァルトの権威とされたカール・ベームも、「バイエルン歌劇場音楽監督であったワルターが私を第4指揮者として招聘し、彼がモーツァルトのすばらしさを教えてくれたからこそ、モーツァルトに開眼できた」と告白している[3]。


その他

マーラー・モーツァルト以外では下記の録音などが今も高い評価を得ている。

モノラル録音
ブラームス 交響曲第2番、交響曲第3番(ニューヨーク・フィル)
ベートーヴェン 交響曲第3番『英雄』(シンフォニー・オブ・ジ・エアとのライヴ録音[4])
ベートーヴェン 交響曲第6番『田園』(ウィーン・フィルとのSP録音)
ハイドン 交響曲第100番『軍隊』(ウィーン・フィルとのSP録音)
シューベルト 交響曲第7(8)番『未完成』(ウィーン・フィルとのSP録音)


ステレオ録音
ベートーヴェン 交響曲第2番、交響曲第6番『田園』(コロンビア交響楽団)
ブラームス 交響曲第4番(コロンビア交響楽団)
シューベルト 交響曲第5番、交響曲第8(9)番『ザ・グレート』(コロンビア交響楽団)
シューベルト 交響曲第7(8)番『未完成』(ニューヨーク・フィル)
ハイドン 交響曲第100番『軍隊』(コロンビア交響楽団)


他の指揮者との関係


トスカニーニ

ワルターとトスカニーニは演奏スタイルには違いがあったが、親交を持っていた。トスカニーニはワルターの演奏を、感傷的に過ぎるように感じていたようだが、ワルターが指揮したモーツァルトの交響曲のレコードに関して自分よりも良いと述べている。いっぽうワルターはトスカニーニから音楽的に多大な影響を受け、自伝でもトスカニーニを賞賛している。ワルターが娘グレーテル殺害の報を受けたのはルツェルン音楽祭の楽屋であったが、ショックで指揮が出来なくなってしまったワルターに代わって指揮台に上がったのはトスカニーニだった。トスカニーニが90歳で没した際の追悼演奏会ではワルターが指揮台に上がり、ベートーヴェンの交響曲第3番の名演奏を残している。


フルトヴェングラー

ワルターとフルトヴェングラーは共にドイツを代表する大指揮者であったが、片やワルターはユダヤ人としてナチスに祖国を追われ、片やフルトヴェングラーはナチス政権下でドイツに留まり、ナチスから官職を得て演奏活動を続けたことが二人の関係をぎくしゃくしたものにしてしまった。歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは自伝で「フルトヴェングラーはワルターが指揮するブラームスの『ドイツ・レクイエム』を戦後の演奏会で聞いた際に、テンポなどに否定的な見解を述べていた」と書いている。また、フルトヴェングラーがシカゴ交響楽団の指揮者就任を在米ユダヤ人に反対された際にはワルターはそれに加わらなかったが、その際に互いに交換された書簡ではワルターはフルトヴェングラーの戦時中の対応に対して、厳しい意見を述べている。


クレンペラー

クレンペラーとワルターは共にユダヤ系ドイツ人で、マーラーの薫陶を受けた人物だがその演奏スタイルは大きく違った。あるインタビュー[5][6]では、クレンペラーが「ワルターはモラリストだが、私は違う、断じて!」[注釈 2]と述べた後に、「モラリスト」では芸術作品の深さを伝えるような演奏は出来ないのだ、というニュアンスの発言をしてワルターを皮肉っている。ただし、ワルターの書簡集を見るとクレンペラーやその家族との間とも手紙が交わされていることが伺える。

ベーム

前述のようにバイエルン国立歌劇場時代にワルターが招聘し、その後も交友を続けていた。ワルターが戦後初めてウィーンに降り立ったときの言葉は、「私の友人ベーム君は、今どうしているか」だったと伝えられている。ベームは、ワルターのことを「繊細敏感なユダヤ人で、どこかマーラーを偲ばせるところがあった」と語っている。ベームはワルターを慕っており、ことあるごとにワルターに指揮を依頼している。ウィーン国立歌劇場再開記念公演シリーズに際してもワルターにドン・ジョバンニの指揮を依頼している(これは、実際にはワルターが高齢を理由に断ったためベーム自身が指揮し、ワルターはベートヴェンの第9を指揮している)。さらにモーツァルトのみならず、シューベルトの演奏もワルターに教えてもらったと言っている。また、ワルターはベーム夫人をミミ役に起用した。

作曲した作品

ワルターは、歌曲、室内楽、合唱曲などを作曲していたが、生前作曲家として知られることはなかった。 現在までに、録音が発売された作品は下記のとおりである。

ヴァイオリン・ソナタ
交響曲ニ短調
歌曲『兵士、若い夫』

なお、生前にワルター自作自演によるピアノ曲を聴いたマーラーは、妻アルマ宛の書簡でこう述べている。「今日はブルーノ・ワルターの曲を聴いた。彼には悪いが、あくびを堪えるのにとても苦労した。彼は指揮者としての活動に集中すべきであり、これには君も同意してくれると思う」


著書

自伝『主題と変奏-1946年-』(白水社) 原著:Thema und Variationen/ドイツ語

著作『音楽と演奏-1957年-』(白水社) 原著:Von der Musik und vom Musizieren/ドイツ語

書簡集『ブルーノ・ワルターの手紙-1969年-』(白水社)ロッテ・ワルター・リント編

マーラー人と芸術(音楽之友社) (訳:村田武雄)原著:Gustav Mahler, Austria/ドイツ語


映像作品

DVD『THE ART OF CONDUCTING:GREAT CONDUCTORS OF THE PAST / アート・オブ・コンダクティング −今世紀の偉大な名指揮者たち−』(ワーナー・ミュージック)
DVD『ザ・マエストロ』(ジェネオン・エンタテインメント) - 1958年のカナダ・ヴァンクーバー祝祭管弦楽団とのブラームス『交響曲第2番』のリハーサル風景とインタビュー

映画『カーネギー・ホール』 - 1952年。ニューヨーク・フィルが『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕前奏曲を演奏する場面で指揮を振っている。

映画『フルトヴンェグラーと巨匠たち』(原題は「音楽の大使」) - 1954年。


注釈

1.^ 仲間のフランツ・シャルクはこのことをワーグナーのタンホイザーにも出てくる詩人ワルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデとかけて、「シュレジンガー・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ氏」と呼んだという

2.^ ワルターは、しばしば「温和なヒューマニスト」「道徳者」というイメージで伝えられているが、実際はそうではない一面もあったという説があり、これをもってワルターを偽善者とする見方もある。これについては、前述のようにワルター自身が自分の中に「アポロとデュオニソスが両立している」と残していることにも留意する必要がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC

51. 中川隆[-13396] koaQ7Jey 2020年3月24日 16:12:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1508] 報告

ブルーノ・ワルターの名盤紹介


ブルーノ・ワルター HOME PAGE
http://www1.s2.starcat.ne.jp/danno/walter2.htm

ブルーノ・ワルター 作曲家別ディスコグラフィ
http://www1.s2.starcat.ne.jp/danno/discography.htm

ブルーノ・ワルター 掲示板
https://6233.teacup.com/walter/bbs

52. 中川隆[-13395] koaQ7Jey 2020年3月24日 16:43:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1509] 報告

巨匠神話 – 1998/12/10
ノーマン レブレヒト (著), Norman Lebrecht (原著), & 2 その他
https://www.amazon.co.jp/巨匠神話-ノーマン-レブレヒト/dp/4163519009


内容紹介
何も演奏せず、何も歌わないのに、賞賛の拍手を独占する男──それがW偉大なる指揮者Wである。二十世紀の巨匠神話を解剖する問題作

内容(「BOOK」データベースより)
フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、カラヤン、バーンスタイン…彼らがめざした権力と栄光の歴史から、その夢と挫折をめぐる神話を分析する。“偉大なる指揮者”たちへの大いなるレクイエム。

内容(「MARC」データベースより)
フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、カラヤン、バーンスタイン。彼らが目指した権力と栄光の歴史から、その夢と挫折の神話を分析する。誰もが一度は夢見る職業・指揮者を巡る、おかしくて悲しくて不思議な物語。


▲△▽▼

●● ブルーノ・ワルター 4 ●●
https://music.5ch.net/test/read.cgi/classical/1023453274/


42 :名無しの笛の踊り:02/06/13 23:20 ID:vb3zNeqM

レブレヒトの巨匠神話の邦訳版、今ごろになって手に入れたよ。前のワルター・スレ
で紹介された内容が、すべて間違いなく載っていたよ。「貪欲な豚」の逸話も、シェ
ーンベルクの最近まで未公開だった手紙に書かれているそうだ。でも前スレでも指摘
されていたが、邦訳版はこれらの逸話の出典をすべて省略しているね。それに、ここ
でのワルター関連の話題から判断する限り、レブレヒトの紹介するそれぞれの逸話は
そのソースの存在自体に疑わしい点はないにせよ、個々の発言のシチュエーションが
全く説明されていなかったり、発言に微妙な尾ひれがついているのではと考えられる
場合が多いね。著名な指揮者のダークサイドを、ことさら強調するための修辞法なの
だろうけど、あまりフェアな書き方ではないね。

46 :名無しの笛の踊り:02/06/16 00:49 ID:mumm8P4M

戦後の(妻の死後の)ワルターを巡る3人の女性。
エリカ・マン、デリア・ラインハルト、スージー・ダンツィガー。


47 :名無しの笛の踊り:02/06/16 15:06 ID:YoXO10XM

どんな関係だったの?


48 :名無しの笛の踊り:02/06/16 15:37 ID:???
>>42
なんでワルターが「悪いひと」なのをそんなに否定したがるのか?
別に悪いひとでもいいじゃないの
なんでいいひとである必要があるのか理解できない


49 :名無しの笛の踊り:02/06/16 19:24 ID:YoXO10XM

いい人であることを望んでいる人はそんなにいないんじゃない?
人間的に一癖ある方が魅力的だし。でも,「貪欲な豚」がワルターの
性格そのものであるかのように誤解されるのはちょっと違うんじゃない?
とは思うよ。まあ 俺にとってはどうでもいいけど。演奏さえ良けりゃ。


50 :名無しの笛の踊り:02/06/16 20:26 ID:???
>>48 >>49

悪口の言い方はいろいろあると思うけれど、「豚」という表現をするところ
までの悪口ならば、そう言われる理由を探るのも意味のないことではないと
思う。「豚」という語がユダヤ人(or ユダヤ教徒)にとってどういうことを
意味するか考えると、これは最悪の罵倒の文句だ。 ただ、ワルターはユダヤ
教徒ではなかったがね。ユダヤ教に改宗したシェーンベルクが、非ユダヤ教徒
のワルターに対して「豚」と表現したのが事実なら、他人と衝突することの
比較的少なく、うまく世を渡っていたワルターに対する強い嫉妬の感情がシェ
ーンベルクにあった、ということだと思う。


51 :名無しの笛の踊り:02/06/16 20:45 ID:???

つまりシェーンベルクがDQNなの?


52 :名無しの笛の踊り:02/06/16 20:51 ID:???

「クレンペラーとの対話」ではシェーンベルクはドキュソだと書かれてるな


53 :名無しの笛の踊り:02/06/16 20:55 ID:???

くれんぷにかかると、
大概の人間がDQNになるからなあ。


54 :名無しの笛の踊り:02/06/16 20:56 ID:???
>>51
そうかもしれない。
芸術家(音楽家も含む)というのは、とかく他人に嫉妬しやすい
人種だからね。


55 :名無しの笛の踊り:02/06/16 20:59 ID:???

キミたち、適当なことを言いなさんなよ。
シェーンベルクがドキュソなら、20世紀の演奏家全員がドキュソだ。
シェーンベルクの作曲上の業績は、ヴァルターの演奏上の業績をはるかに凌ぐ。


57 :名無しの笛の踊り:02/06/16 21:17 ID:YoXO10XM

ワルターが十二音技法などの現代曲に否定的な考えを持っていたから
シェーンベルクは敵意を持っていたのかな?


58 :55:02/06/16 21:22 ID:???

やはり、レブレヒトの例の本はいくぶん眉唾だということではないかな。
私は英語版で読んだが、問題の書簡の出典は‘AI’としか書いてなかった。
この略号の意味は本をひっくり返しても書いてないが、おそらくは
‘Author's Interview’ということかと思われ。>>42も書いているとおり、
事実関係に誤りはないのかもしれないが、面白く書こうとしすぎているのかも。

59 :名無しの笛の踊り:02/06/16 21:29 ID:???

シェーンベルクがいなかったら、今日の音楽の状況は随分異なった
ものになっていたであろうが、ワルターがいなかっても何も変らな
かったであろう。


68 :名無しの笛の踊り:02/06/18 01:49 ID:8b8aTuW6
from >>42 to >>48

何もワルターが「悪いひと」でないと思いたがってはいないよ。ただ問題なの
は、レブレヒトのスキャンダリズムというのか、他人の過激な発言の言葉尻を
捉えて、一般に考えられているような温厚とか善良とかいったイメージと異な
る、ワルターのネガティブ・イメージを殊更のように作り上げようとする姿勢
なのだよ。シェーンベルクの手紙の件ではないけれど、1つ例をあげてみよう。

「彼の芸術を賛美する同僚たちも、彼の性格は軽蔑していた。ワルターが友
 人だと言っていたトスカニーニさえ、彼を『感傷的な馬鹿』と呼んだ」

 ⇒⇒

 感傷的な馬鹿の出典は恐らくメニューインの自伝中の記述なのだが、メニュ
 ーイン自身は他所(最近のワルターの伝記)で次のように述べている。「トス
 カニーニは、ごく親しい友人達を自宅のサロンに集めて、彼の同業者をこっ
 ぴどく貶して楽しむ習慣がありました。あるとき、私が控えめにワルターの
 名前を上げてみると、たちどころに『感傷的な馬鹿』という返事が返ってき
 ました。」 

このように、メニューインの文章を前後省略せずに引用するの
 と、レブレヒトのように刺激的な部分だけを自分の主張に組み入れて引用す
 るのとでは、同じエピソードでも読み手の印象がかなり異なってくるね。

53. 中川隆[-13394] koaQ7Jey 2020年3月24日 16:54:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1510] 報告
4月20日:巨匠神話

先週金曜日のクレンペラーのページで、レブレヒトの「巨匠神話」(文藝春秋)を引用しました。この本は一時書店でも結構見かけたので読まれた方も多いかもしれません。この本では有名な指揮者たちの面白いエピソードが語られていて興味が尽きません。面白い話はたくさんありますが、私にとってはブルーノ・ワルターに関する話が面白くもあり、また非常にショッキングでありました。

「巨匠神話」によれば、ブルーノ・ワルターは大変な偽善者で、性格の悪さは天下一品だったらしいです。本から抜き書きいたしますと、驚くべきことに次のような言葉がでてきます。

「ワルターは、卑劣で意地悪な利己主義だった」(アンナ・マーラー)

「昔から貪欲な豚で、考えるだけで気分が悪くなる」(シェーンベルク)

「感傷的なばか」(トスカニーニ)

「ワルターは偽善者だった」(レブレヒト)


驚きましたね。しかし、そんなことは私はこの本を読むまでは全く知りませんでした。ワルターといえば、コンサートの前にはモーツァルトの霊と交信するとまでいわれ、その暖かみのある風貌とあいまって、聖者のような人だと私は思い込んでいました。ナチスに迫害を受けた際には自分だけが標的になっただけでなく、家族までが無残な死に方をしています。そういう知識があると、よけいワルターを美化したくなるのですが、レブレヒトは従来のイメージを木っ端微塵に打ち砕いてしまいました。

ただし、困ったことに、「巨匠神話」日本語版では出典が全部削除されています。
出典なしでもかなり厚い本になっていますから、さらに詳細な出典を付けると、本が厚くなり、2分冊になってしまいます。そうすれば値段も跳ね上がり、売れ行きも落ちるだろうと編集者は考えたのでしょう。

しかし、そう考えた編集者は本作りの基本を全くなおざりにしていると思います。本来書物というものは一回読んだら終わりという性格のものではなく、何度も読み返し、調べものをする際にも使われます。出典がないということは、とりもなおさず、内容の裏を取っているかどうか分からないということです。著者レブレヒトにすればものすごい労力をかけて集めた情報であるのに、それが編集者の浅知恵のためにうやむやにされるわけで、本の価値がそれだけで半減しています。きっとレブレヒトはこの事実を知らないのではないでしょうか。全く残念なことです。

ところで、ブルーノ・ワルターに戻りますと、レブレヒトはこうも書いています。

「ブルーノ・ワルターは、すばらしい指揮者がすばらしい人間でなくてもいいという、生きた証拠であった。」

私もそう思います。レブレヒトの本を読んだ後でもやはりワルターの音楽はすばらしく聞こえます。プライベートはあくまでもプライベート。音楽は虚心坦懐に聴くのが一番でしょう。下手に知識は詰め込まないほうがいいかもしれません。
http://www.andiemusik.jp/classic/archive/archive9904_b.html

54. 中川隆[-13393] koaQ7Jey 2020年3月24日 17:01:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1511] 報告
音楽録音の音づくりを考える ブルーノ・ワルターのCD


 多くの人は、自分の音楽的感性を、最初に聴き込んだ人の演奏によって形成するのではないか。またクラシック音楽では、同じ曲でも多数の演奏があるが、好きな演奏は、多くがやはり最初に繰り返し聴いた演奏である。私の場合は、ブルーノ・ワルターだった。

ブルーノ・ワルターといっても、知らない人が多いと思うが、1960年に亡くなった指揮者で、ユダヤ人であったために、ヨーロッパからアメリカに亡命して、戦後なんどか演奏旅行にヨーロッパに出かけたが、ずっとアメリカに住んで活動した。

アルトゥール・ニキシュが亡くなったとき、ベルリン・フィルの地位を継ぐのはワルターだと言われたのに、フルトヴェングラーに決まったのだが、これは、フルトヴェングラーがかなり裏で工作をした結果だと言われている。

ミュンヘンのオペラの音楽監督も、ナチの信奉者であったクナッパーツブッシュによって追われたと言われているので、政治的感覚はほとんどなかった、純粋芸術家だったのだろう。

戦前最も優れたワーグナー指揮者であったが、バイロイトには一度も登場していない。

ユダヤ人であったことがもちろんその理由だが、さすがにバイロイト側も、ワルターを無視することはできず、リストの娘であり、ワーグナーの妻だったコジマが、ワルターを招いて面接のようなものをしたときがある。そのときコジマが、ヴェルディのオペラをどう思うか、と質問し、当然のように、ヴェルディは素晴らしい作曲家だとワルターは答えたが、ヴェルディを好きな指揮者など、バイロイトには不要だ、とそのまま呼ばれることなく、ワルターはアメリカに去った。

もちろん、ヴェルディを高く評価しているから呼ばれなかったわけではない。その証拠に、ヴェルディを神のように尊敬していたトスカニーニは、何度かバイロイトで指揮をしている。このトスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルターを20世紀前半期の三大指揮者と、通常呼んでいる。

 私は、小さいころから、ワルターのレコードで音楽を聴くようになって、現在でもワルターファンである。演奏の特徴等は別の機会にして、今日、ワルターの旧コロンビアに録音したすべてを集めたコンプリートが届いたので、レコードとCDについて考えてみた。

 さて、今の若い人は、ほとんど知らないはずであるが、CDの前はレコードと呼ばれた33センチある盤に刻まれた、音を波化した溝を針でトレースして音を出すメディアが使われていた。もちろん、アナログである。それがデジタルで記録されるCDに切り替わったのだが、特に、切り替わった時期から、相当経った時点でも、CDは音が悪いという評価が定着していた。CDはソニーとフィリップスが共同開発したまったく新しい音声記録方式であるが、音の波を数値に置き換え、音を数値化し記録する、そして、数値を読み取って再び音に変換するという原理だった。しかし、その際、人間に聞こえない周波数の音は、高い方も低い方も切り捨てることになった。だから、アナログレコードは、実際に聞こえなくても鳴っているが、デジタルのCDは、そもそも音として鳴っていないことにしてしまうわけだから、そのことによって、音質が低下するのだという「見解」が多数の人によって主張された。そして、その「被害」を最もうけた演奏家が、ワルターだったといえる。

 デジタル録音がアナログから転換して、非常に早くアナログ録音は消えてしまった。デジタル録音して、CDとして発売される場合には、もともとその音で登場するが、ワルターの場合には、アナログレコードがたくさん売れていて、その音が多くのファンに染み込んでいた。CDが登場すると、当然、アナログ録音は、テープからデジタル化されて、CDとして再発売されることになる。すると、レコードの音になじんでいたファンから、CDの音に対する不満が爆発したのである。特にそれが顕著に表れたのがワルターの録音だった。これは、ワルターという指揮者が置かれた立場が影響していると考えられる。

 20世紀前半の三大指揮者は、いずれも録音に熱心であり、多くの録音を残したが、ステレオが登場するまで活動を続け、多くの優れたステレオ録音を残したのは、ワルターのみだった。あとの二人は、モノラル録音の時代に死去し、しかも、現代の水準からすれば、非常に悪い録音でしかなかった。元々が悪い音でしか記録されていないのだから、CDになった音が悪くても、それほど気にならなかった。しかし、ワルターはステレオで録音したから、鮮明な録音が残されていた。しかし、カラヤンのような20世紀後半の指揮者と違うのは、デジタル録音が登場したときには、既にいなかったという点である。

 ここで、録音の音とレコードやCDとして市販され、スピーカーから流れる音とは、まったく違うことを確認しておく必要がある。演奏会に足繁く通っている人であれば、充分にわかることだが、クラシック音楽の演奏会では、聴く席によって、音がかなり違う。ポピュラー系では、スピーカーを通して音を聴くので、席による違いはほとんどない。しかし、クラシックの場合は、マイクもスピーカーも使わないから、音源の位置と、会場の位置によって、音が変わる。オーケストラの場合、舞台上であっても、楽器によって、聴いている音はまったく違うのだ。そして、舞台上で演奏者が聴いている音と、客席で聴いている音もまた、相当違う。簡単にいえば、舞台上の音は、生の音であり、客席では、さまざまなところに反響して、混ざり合った音になる。そして、舞台上では、特に指揮者からは、音は分離して聞こえる。

 では、録音された音はどうなのか。これは、マイクのセッティングによって、全く違ってくる。技術者が一番好むのは、各楽器の前にマイクをたてて、個別の音をとり、あとで、音量や反響効果を調整して、全体としての音を作り上げる方式である。逆に、全体がまとまった音として聞こえる空間的位置を探り出して、そこにマイクをおき、ひとつのマイクで録音する方式もある。しかし、その方式は、マイクが格段に高い性能になってからのもので、ワルターが生きていたころは、マルチマイクで録音していた。

 マルチマイクでの録音は、ではどのような音なのか。それは、客席で聴く音ではなく、反響する前の生の音となる。楽器の前にマイクをおくのだから当然であろう。それは何を意味するのか。つまり、録音された音は、客席で聴く音ではないということだ。レコードにする際に、その生の音を加工して、客席で聴くような音に作り替えるのである。しかし、どのような音として聞こえるのがよいのかは、エンジニアによって異なる。だから、同じオーケストラの同じ曲でも、レコード会社によって、音がかなり違ったりする。各レコード会社には、そうした音のポリシーがあって、生の音を調整して製品化していたのである。

 しかし、CDになったときには、全く違うエンジニアが製品を作ることになるから、アナログレコードを作る際のポリシーや技術は、引き継がれなかったに違いないのである。もちろん、現役の演奏家に関しては、製品化されるまでに、音のチェックをするから、調整された音に対して意見をいうことができる。だから、もともとデジタル録音して、CDが制作された場合には、齟齬はおきない。だが、ワルターの場合には、優れた「生」の音で録音されたものがあり、CD化するときには、デジタルのエンジニア、つまり、それまでの音の加工についてはまったく無縁だった人がCDの音を作ったのである。だから、それまでのレコードとはまったく違う印象をあたえた。生の音は、すっぴんであり、製品化されたレコードは化粧していたのである。それが、ワルターのCDをきいた人は、これまで美しい化粧をしていた人が、突然すっぴんで現われた姿をみてしまったような状況になる。CDは音が悪いという非難を、最もうけたのが、ワルターのものだったというのは、いろいろな事情が重なったためである。

 さて、死後60年近くたって、やっと、ソニーから、旧コロンビアで録音したすべてのものが集められたコンプリート集がやっと発売された。そして、発売前には、少なくともステレオ録音されたものについては、マスターテープから、リマスターしたと宣伝されている。その製品が今日やっと届いたのである。早速部分的に聴き比べをしたわけだ。

 評判が悪かった初期のCD、比較的評判のよかった韓国ソニーの製品のワルター選集、そして、今回のリマスターしたコンプリートを、ベートーヴェン「田園」の一楽章の提示部、モーツァルトの「ジュピター」の一楽章の提示部、ブラームスの2番のはじめの部分で比較してみた。

 以前のワルターのCDへの批判は、音が生であること、特に高音が目立って、低音を重視するドイツ系指揮者であるワルターの音とは違うのではないかということだった。そして、事前の宣伝では、リマスターは低音をこれまでより強調し、ワルターが本来求めていた響きに近くなるように努力したということだった。

 結果は、確かに雰囲気的には変わって聞こえる。低音が多少明瞭になったことによって、更に中音域が充実しているように響いている。そして、そのことによって、高音のきつさが消えて、全体に溶け込むような感じになっている。同じテープを使っているのだから、全然違う音に聞こえるわけではなく、印象としては、柔らかい響きになった感じはする。もっとも、今回リマスター作業をしたエンジニアが、ワルターの演奏を実際にきいたことがあるわけではないだろうから、これが、本当の響きであるかは不明である。また、実際の常設のオーケストラではなく、録音用に編成されたオケなので、弦楽器の人数が、適正であったかどうかは、ずっと議論がある。

 もう少し聴き込んで、実際の音と録音された音との相違など、更に考えてみたい。

http://wakei-education.sakura.ne.jp/otazemiblog/?p=1111

55. 中川隆[-13392] koaQ7Jey 2020年3月24日 17:20:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1512] 報告
ノーマン・レブレヒト『巨匠神話』(文藝春秋 1997年)

 オーケストラ指揮者が形成され、マエストロ巨匠といわれる存在になって君臨していく歴史と、現状を現場調査に基づいて赤裸々に述べられます。

独裁とむすんだフルトヴェングラー、ビジネスとして市場原理に包摂されていくカラヤンが、現代の巨匠神話の現況であり、徹底的に批判されます。

私もこの書を読むまでは、マエストロに幻想を抱いていましたが、木っ端微塵に粉砕されて、寂寥感が漂います。

米国の巨大マネイジメント会社であるコロンビアがクラシック界を支配し、この会社と契約する音楽家の多くが、音楽をビジネスとして位置づけ、本来の芸術的才能を衰弱させるのは圧巻です。

日本の小澤征爾もこの会社のエージェンシーを受けるようになって、指揮が頽廃したとしています。クラシック・ファンは一読の価値があるでしょう。
(2011/11/16)
http://www008.upp.so-net.ne.jp/arakuni/book/book.htm

56. 中川隆[-13389] koaQ7Jey 2020年3月24日 17:27:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1515] 報告

ブルーノ・ワルターが案外に、交響曲の第40番や第41番の演奏を聴くと、主旋律の親しげ優しげなその奥に思いのほか苦いところ荒いところがあったりして、これは出し抜いた〈音楽〉を狙っていたのに違いなかろうと思う。

 ワルターというと、ノーマン・レブレヒトが「巨匠神話」でその食わせ者ふりを嫌というくらいに暴いていたのを思い出す。

思うに、そのような人物であるからこそ却って、その曲者ぶりに出し抜かれることなくモーツァルトと渉り合えたりすることになるのかもしれない。

ちょうどクレンペラーの底意地の悪さとか、フルトヴェングラーの好色ぶりとか、その〈音楽〉とは決して無縁なわけではないように。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yutakas/mozart.html

57. 中川隆[-13388] koaQ7Jey 2020年3月24日 18:16:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1516] 報告
83 : 名無しの笛の踊り2017/07/04(火) 08:30:53.44 ID:Ldf6zAGS

1960年のマーラー生誕100年祭でワルターは第4交響曲を嫌々
振ったことを評伝で読んで、ワルターが気の毒になった。
『大地の歌』を強く希望したそうだが、カラヤンが降ることが
すでに決まっており、ワルターは変更を強く希望したが
コンサート運営者がカラヤンに嫌われるのを恐れて
ワルターの申し出を断ったとか。読んでいて切なくなった。


84 : 名無しの笛の踊り2017/07/05(水) 02:10:55.85 ID:rR4rX1vS

第4番は入門者用みたいな曲だからさぞ物足りなかっただろう


85 : 名無しの笛の踊り2017/07/05(水) 09:27:13.02 ID:daPQ0cRb

当日の演奏の模様を映像収録するという運営側の
意向をワルターは拒否したらしい。映像として
収録されるとマーラーではなく自分の記録になって
しまうというのがワルターの言い分だったが、これは
『大地の歌』を指揮させてもらえなかった運営側への
抵抗だったろう。

それにしても当日の録音は1960年にしては音が悪い。

58. 中川隆[-13381] koaQ7Jey 2020年3月24日 19:41:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1523] 報告

ブルーノ・ワルターはミュンヘンのオペラの音楽監督も、ナチの信奉者であったクナッパーツブッシュによって追われたと言われているので、政治的感覚はほとんどなかった、純粋芸術家だったのだろう。
http://wakei-education.sakura.ne.jp/otazemiblog/?p=1111


バイエルン州立歌劇場でブルーノ・ワルターが退任
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=17

バイエルン州立歌劇場でブルーノ・ワルターが退任することが決まり、その後任にクナッパーツブッシュが指名されたからである。

モーツァルトでの評判は今ひとつだったが、ワーグナー都市を標榜するミュンヘンで、クナッパーツブッシュはワーグナーを成功させ、バイエルン州立歌劇音楽総監督の座を射止める。

ワルターのバイエルン州立歌劇離任に関しては、さまざまな理由が上げられる。
 ひとつ大きな理由は、ミュンヘンの政治的、経済的混乱である。バイエルン革命を2度に渡って経験したワルターは、その混乱振りに半ばミュンヘンに愛想を尽かせていた。ミュンヘンの街は暴力的な雰囲気が充満し始め、「私に対する反対の動きは、まだ仕事の上でこそ感じられなかったけれども、そのような事実があるということを知るのは、もちろん過度に緊張した私の力を疲弊させる原因になった」(「主題と変奏」)

 さらに、ミュンヘンでのインフレは凄まじく、契約通りの俸給ではやりくりが難しくなっていた。

 そんな折り、当時の大指揮者アルトゥール・ニキシュが亡くなった。ニキシュはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席指揮者で、ひじょうに大きな人気を博していた。フリッツ・ブッシュはニキシュの薫陶を受け、クナッパーツブッシュの憧れの指揮者もニキシュだった。

 ワルターはニキシュの後を襲って、ベルリン・フィルの首席指揮者の後釜に座ろうと画策する。すでにベルリン・フィルでは「ブルーノ・ワルター・コンサート」を1919年から開始、人気を博していた。ワルターは、ベルリン・フィルの首席指揮者になれるという可能性を自身信じていたようだ。

 1922年3月8日、ワルターは客演先のローマからガヴリロヴィチあてに手紙を出している。

「ニキシュの後任はまだ決まっていません。ぼくは4月3日にニキシュ演奏会を指揮するはず、そのときに決定されるかもしれない。まじめに考慮されるのは二人だけで、フルトヴェングラーとぼくです。フルトヴェングラーのほうは、ニキシュが死んでからベルリンに根を下ろし、天国に地獄あらゆる手段を総動員して、この地位を得ようと躍起になっていますが、その間に急いで指揮できたのは、喝采のみ呼び起こすものばかり。おそらく今ごろは、イゾルデが第二幕でトリスタンを待ち受けるときの緊張さながら、その気持ちは逆であるにせよ、ボクの演奏会の結果いかんと待ち受けているでしょう。自分にたいしてなんらかの関心をかきたてるために、ぼくのほうはまったくなにもしなかったし、主義としてもなにひとつしていません。ぼくの全生涯にわたり、ただ業績によってのみ道を切り開くことだけに限ってきました。

実を言うと、今ミュンヘンを離れるにあたって(10月1日に去ります--ただし事柄はまだ秘密です)、ニキシュの後任となるのは、ぼくには決定的に重要なことでしょう。それが手に入りそうだと、ほとんどぼくも信ずるほどです--全オーケストラは一致してぼくに賛成の意見を表明したそうで、ぼくの知るところではルイーゼ・ヴォルフ(ベルリンの辣腕コンサートマネージャー・筆者註)も望んでいます。しかし--だめな場合は、それもよし。いまさらそんなことに驚くぼくではありません。--その地位が得られるならば、ぼくの意見では、3月と4月にぼくがアメリカにいる妨げにはなりえない。ベルリンの十回の演奏会だけが問題となるわけで、同じくニキシュも、いたるところ世界中をめぐったのに。そのためベルリンの演奏会をいちども欠かしたことはないのでした」(「ブルーノ・ワルターの手紙」)。

 ワルターの希望は、ベルリン・フィルとのコンサートの合間に、アメリカで活動することにあった。アメリカで活動することに関しては、ワルターはボストンで活躍するムックの莫大な収入に憧れを抱いていたという事実がある。1916年9月30日のガブリロヴィッチへの手紙に、すでにムックがボストン交響楽団を離れるときに備え、ワルターが招聘されるよう、根回しをしてくれるよう頼んでいる。結局、その時夢に描いたアメリカ遠征は、第1次世界大戦のアメリカ参戦で果たせなかったが(中立を宣言していたアメリカは結局連合軍に参加、アメリカの対ドイツ宣戦布告は、1917年4月6日である。敵性国人であるドイツ人は収容所に入れられた。例外なく、ムックも収容された)。

 ワルターは、ミュンヘンとの決別を決意する。

「責任ある地位での十年間近い仕事によって、私の力は使いつくされていた。かくも困難な芸術的状況のもとで、しかも増大する経済的危機と政治的不安が予想されるなかで、私は自分が『限界』に達したことをさとった。そればかりではなく、自分がミュンヘンに与えることのできるものはすでに与えてしまったこと、これ以上とどまっていても刷新や向上は期待できず、ただこれまでの仕事を継続しうるだけだということも、ますますはっきり解ってきた」(「主題と変奏」)。

 さらにワルターは「主題と変奏」の中で、他にも離任を決意するまでにいたった理由を暗示している。

「ミュンヘンを去ろうとする決心に本質的な寄与を果たした或るきわめて個人的な動機も、せめてここで暗示ぐらいはしておこうと思う。私は当時、悲劇的な発展の要素をはらんだ情熱に巻き込まれて、危険な状態にあった。それで、ミュンヘンを去ろうという芸術的な考慮から生まれた考えは、同時に人間的な苦しみに満ちた状況からの脱出を、可能にするものであった」

 相手は分からないながら、恐らくワルターは浮気をしていたものと思われる。
「個人的な動機」、「悲劇的な発展の要素をはらんだ情熱」、「人間的な苦しみ」という言葉がそれに当てはまる。ワルターの心は千々に乱れるほど混乱していたのだろう。

 ワルターは、政治的、経済的、そして個人的な苦しみを抱えたミュンヘンを何としても離れたかったのだと考えられる。

 自分の辞任理由とナチとは関係がなかったことについても書いている。

「一般にひとびとは、私がナチに追いたてられてミュンヘンを去ったのだと思っていた。しかし繰り返して言うが、私はミュンヘンを辞任するまで、ほんとうに政治的な敵対行為に悩んだことはなかったのであって、離別の理由は、一部自分の任務は終わったという感情から、一部は個人的な体験の領域から生まれたものだったのである」

 ナチはこの頃にはまだ、気にくわない演奏者のコンサートではあっても、演奏会場で騒いだり、臭気爆弾を破裂させるような妨害活動は行っていない。後にはそれらの妨害活動はナチのお家芸とも言えるようになるのだが。ましてや奥波氏も書いている通り、クナッパーツブッシュがワルター追い落としに一役買ったということもなかったのである。

  結局、ワルターはベルリン・フィルの首席指揮者の座をフルトヴェングラーに奪われている。4月1日のガブリロヴィッチへの手紙で、「ぼくがミュンヘンを離れるのは決定的だと思う。ニキシュの後任も同じく決定的にフルトヴェングラーがせしめました。ぼくが『職のない指揮者』であることは、したがってなんら疑いなしです」と、ベルリン・フィルの地位を得られなかったことをさばさばした様子で書いている。

 ワルターとフルトヴェングラーは、比較的近い存在だった。親友の付き合いをしていたプフィッツナーは、1909年からシュトラスブルク市立歌劇場に音楽総監督として迎えられた。その時、フルトヴェングラーは第3指揮者に採用されている。

 ワルターはプフィッツナーをシュトラスブルクに訪ねた時、フルトヴェングラーを知った。以後、ワルターはフルトヴェングラーの才能を認め、さまざまな助言を行う。フルトヴェングラーをマイハイムの歌劇場音楽監督に推薦したのはワルターだった(クルト・リース著「フルトヴェングラー 音楽と政治」八木浩・芦津丈夫訳 みすず書房)。

 3月8日には、ワルター離任の決心はまだ「秘密」だという手紙の文面があり、クナッパーツブッシュへのミュンヘン客演の打診は3月29日なので、ワルターが総支配人ツァイスに辞任を申し出た、あるいはバイエルン州立歌劇の事務室が具体的に「ワルター後」を睨んで動き出したのはその間のことだろうと思われる。トーマス・マン、ハンス・プフィッツナー、パウル・ニコラウス・コスマンなどのミュンヘンの文化人から、ワルター留任の請願書が出されたが、ワルターの決意は翻らなかった。

 クナッパーツブッシュの選出に関し、公募制オーディションや複数の候補者によるオーディションが行われなかったのは不自然だと見る見方もあるが、指名をして次期音楽総監督を決めるのはバイエルン州立歌劇の伝統である。ワルターもオーディションを受けず、「指名」という形でバイエルン州立歌劇(ワルター就任時は宮廷歌劇)音楽総監督に就任した。

 バイエルン州立歌劇場離任後、1923年8月8日のワルターのガヴリロヴィチへの手紙には、さまざまな国からの招聘があり、それに応ずるつもりだと書き、ドイツの歌劇場への就任とアメリカでの活動の場の確保を天秤にかけている。

「もちろん、ドイツの歌劇場はぼくに腕を差し伸べている。まずライプツィヒで、それからフランクフルト、今はベルリンだ--後者ははなはだ熱心である。どんな犠牲をも覚悟して、是が非でもぼくを得ようとしている。無造作に断りはしなかったが、1924年4月まで決定を保留しておいた。つまり、アメリカからぼくの帰国後までということになる。というのも、アメリカでなにか決定的なものが見つかるか否か、そのときまでには分かるにちがいないからだ。それできみに正直に言っておく。すっかりアメリカに行ってしまうのが、やはりただ一つの可能なことではなかろうか。ドイツは非常に恐ろしい状態になりはてたし、それにドイツのために働くことも、これはぼくの生涯にわたる念願なのだが、本国内より他の国でいっそう良くできるのである。だからお願いだ、どこかで勤め口が見つかりはしないか、よく見張っておいてくれたまえ」(「ブルーノ・ワルターの手紙」)。

 ベルリン・フィルでの地位はのがしたが、ワルターは辞任する前に、アメリカのダムロッシュ歌劇団を組織するワルター・ダムロッシュと個人的な知己を得ている。「主題と変奏」によると、意気投合したふたりは1923年初頭にニューヨークで指揮をすることを決め、ガブリロヴィチからもデトロイトへの招待、ボストン、ミネアポリスからも招待を受け、ワルターの当初の希望は、半分だけ実現することになった。

 ナチの実権を握った後も、ヒトラーの生活は質素だった。相変わらず狭いアパート(トーランド本によると8フィート×15フィート)に住んでいた。トーランドは続けて「ウィーンの独身男子寮と大差なかった。そこはその建物の中で一番寒い部屋で、家主のエルランガー氏によれば、『その部屋を借りた下宿人の何人かは病気になりました。いまは物置がわりに使っています。もう借り手は一人もつかないでしょう』」と書いている。

 さらにトーランドはエルランガーについて、「ヒトラーが当時住んでいた下宿の主人エルランガーがユダヤ人で、しかも(ヒトラーに対して)快い想い出しか持っていなかったというのは皮肉である。『わたしはしばしば階段や入り口で彼と顔を合わせました……彼はたいていノ−トに何か書いていました……かれがわたしをほかの人間とはちがう目で見ている、と感じさせられたことは一度もありません』」と別のページの脚注につけ加えている。

 ところが、演説ではヒトラーはユダヤ人を攻撃した。第1次世界大戦の敗北、その後の革命騒ぎ、そのような状況下でも儲ける金融資本家を批判して、4月12日の演説で以下のように語っている。

「我々は、すでに外国の植民地なのである。しかも、我々は能う限り卑屈な態度をとり、我々自身の名誉を毀損してまで、これを助成した……共同体を形成するというがごとき概念がユダヤ人にはまったく欠けているため、彼[ユダヤ人]は破壊し、また破壊せねばならないということである。この場合、個々のユダヤ人が『正しい』か否かは、もとより問題とはならない。彼[ユダヤ人]は自然が彼に付与した特質をあくまで有しているのであって、永久にこれから脱れることはできないのである」(「我が新秩序」、阿部良男著「ヒトラー全記録」よりまた引き)

 6月24日、ベルリンでは外国の信頼の厚かったワルター・ラーテナウ外相が、右翼グループに暗殺される事件が起こる。ラーテナウはユダヤ人で企業家であり、大富豪だった。外相就任後、アメリカへのドイツの苦境の理解の浸透、賠償を請求する連合国諸国にはヴェルサイユ条約を履行する積極的な態度を示しながら、いかにその賠償を支払うことが不可能に近いかを理解させることに力を尽くした。

 東方に向かっては、ラーテナウはソヴィエトと条約を結び、相互賠償の破棄、通商関係の再開、ソヴィエト近代化への助成、軍の相互協力がその中に盛り込まれた。

 国粋主義者はそれに反発した。

 ラーテナウ暗殺は外国を刺激し、ベルリン、ハンブルクの取引市場は大混乱に陥り、マルクは大暴落した。「当日1ドル350マルク、7月末670マルク、8月中2000マルク、10月末4500マルク(「全記録」。「ワイマール共和国史」には「7月にはいるとドル相場は5000マルク以上に達した」と書かれていることも紹介されている)
 ドイツ政府は緊急通貨政策を実施、地方自治体、鉄道、大手醸造所などは独自通貨を発行してそれをしのごうとしたが、インフレは収まる気配がなかった。

 ラーテナウが暗殺された6月24日、ヒトラーはバイエルン分離主義者の集会を妨害した罪で収監される。ヒトラーの入獄は約1ヶ月間続いた。ヒトラーは監獄でますますユダヤ人攻撃の思索を重ねた。7月27日に釈放され、その翌日にはラーテナウ暗殺をきっかけに生まれた「ドイツ共和国擁護法」(右翼、左翼を取り締まる法律)を批判、その中でより激しくユダヤ人を攻撃した。

「ユダヤ人はけっして紳士民族ではない。彼らは搾取者であり、強盗民族なのだ。彼らの破壊した文化は幾百に上がろうが、彼らは未だかつて文化を建設したことはない。彼らの有するものは、自ら創造したものではない」(「全記録」)

 この年の秋、第1次世界大戦の空の英雄ヘルマン・ゲーリングがナチに入党した。

 第1次世界大戦終盤から1923年頃まで、日本は大正期で、第1次世界大戦での山東省からドイツの駆逐、ロシア革命を牽制するための欧米列強に倣ったシベリア出兵などはあったが、概ね大きな波は起こっていない。

 1918年、米の価格が暴騰したため富山を発端とする全国規模に膨れあがった大正米騒動が起こったり、1920年3月株価が大暴落、戦後恐慌など不安定な出来事もあったが、「大正デモクラシー」の時代であり、後年から俯瞰すると昭和への前奏曲という感が強いことは否めない。

 政治的には1921年(大正11年)11月4日、原敬首相暗殺事件、市民生活・自然災害としては1923年(大正12年)9月1日、関東大震災の発生が昭和への不気味な胎動を思わせる。

 軍備は増強され、大艦巨砲主義から巨大戦艦や空母の建造、また無政府主義者や共産主義者の弾圧・暗殺も行われた。憲兵大尉甘粕正彦による大杉栄、伊藤野枝を殺害した事件は関東大震災の直後、1923年9月16日だった。

 また、袁世凱の死後(1916年)、軍閥が割拠しはじめた中国で、日本は中国東北部(満州)での足がかりを確固としたものにしようとしている。租借地であった関東州(遼東半島)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が1919年(大正8年)に関東軍として独立した(Wikipediaより)。
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=17

59. 中川隆[-12809] koaQ7Jey 2020年5月02日 11:41:37 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[8] 報告
ブルーノ・ワルターPart8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1588205234/l50

1名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 09:07:14.45ID:73RDi+cR

大巨匠ブルーノ・ワルター。
特にモーツァルトの指揮が得意。
ベートーヴェンの田園は名盤。
マーラーの弟子。


前スレ
ブルーノ・ワルターPart6
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1397229125/
ブルーノ・ワルターPart5
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1345824545/l50
ブルーノ・ワルターPart4
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1311177531/l50
ブルーノ・ワルターPart3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/classical/1266542690/l50
ブルーノ・ワルターPart2
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/classical/1224773347/l50
ブルーノ・ワルター
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/classical/1142021039/l50
※前スレ
ブルーノ・ワルターPart7
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1454617348/


3名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 11:43:03.06ID:jYkOhE49
コーホーあこがれの指揮者だった

4名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 12:30:41.96ID:2V2EOwMh
ファンレター書いたらお返事くれた
だけだよね

5名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 13:09:20.04ID:7iA2D+lf
SP時代からワルターに心酔していたコーホー

6名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 16:08:25.52ID:zmJJfxIW
コーホーに騙されたファンが如何に多い事か
嘆かわしい

7名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 16:34:51.78ID:ZnVpzSjM
ワルターといえばコーホー
コーホーといえばワルター
レコ芸時代からクラオタに定着したイメージ

8名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 17:08:24.85ID:FlQtvYGX
またステレオのモーツァルトはコーホーが失敗作と言ったとか
書き込むキチガイが現われるんだろうな
いっそテンプレに入れておくかw

9名無しの笛の踊り2020/04/30(木) 17:46:57.17ID:yDLZQMmu>>10
コーホーはモノラル時代のNYフィルとの40番、41番を大絶賛していた

10名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 06:12:50.86ID:CgiLwIu/
>>9
だからどうした ?
全てコーホーの受け売りでしか考えられない低能バカなのか ?
お前自身の感性による感想が全く無い無知無学のアホなのか ?

11名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 07:07:49.24ID:VaerpKln
文通を通じてワルターと魂の交流をおこなった宇野師こそ
ワルター評論の第一人者でありその評論は傾聴に値するのである

12名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 07:13:39.47ID:2XdTT1w+
ワルターの名を日本に浸透させたコーホーの功績は大きい

14名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 09:43:01.36ID:Fmqq+aeW
コーホーのおかげでワルターの良さを知った

15名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 10:15:51.97ID:19xPP3Mh

レブレヒトの「巨匠神話」(文藝春秋)によれば、ブルーノ・ワルターは大変な偽善者で、性格の悪さは天下一品だったらしいです。本から抜き書きいたしますと、驚くべきことに次のような言葉がでてきます。

「ワルターは、卑劣で意地悪な利己主義だった」(アンナ・マーラー)

「昔から貪欲な豚で、考えるだけで気分が悪くなる」(シェーンベルク)

「感傷的なばか」(トスカニーニ)

「ワルターは偽善者だった」(レブレヒト)

「ブルーノ・ワルターは、すばらしい指揮者がすばらしい人間でなくてもいいという、生きた証拠であった。」

16名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 10:17:14.56ID:19xPP3Mh
コーホーのおかげでワルターの性格の悪さが知られなくなった


19名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 22:21:57.35ID:5kyboyQc

最近気が付いたのだが、ソニーはSACDプレーヤーをもう作っていない。ワルターのマイヤー版を日本だけSACDハイブリッドで出す意味って、どの程度あるのだろう。と思い、在庫が店頭から消えつつあるコンプリート77枚ボックスを買ってしまった。

目的のひとつは、レブレヒトの言う偽善者ぶりを、彼の肉声から確かめてみたかったから。あと、許光俊の「こんな名盤はいらない」にある通り、モノラルの頃の演奏がステレオ録音より優れていることには同意しているが、マイヤー盤でも確認してみたかったから。


20名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 22:48:58.97ID:WKD+fgLu

評論家に精神依存してるやつ多いねー
何のために音楽聴いてるのやら

22名無しの笛の踊り2020/05/01(金) 23:54:58.24ID:FI9NJT+E
コーホー推薦のワルターのLPは何枚も買った

23名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 06:55:52.98ID:H0WJ1R4Z
俺は評論家のひとりよがりの批評など興味ないし信じない


ただし宇野先生だけは別だ

24名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 07:00:00.42ID:ChUYtgeG
レコ芸愛読者にとってコーホーは神のような存在だった。

26名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 07:30:45.66ID:xmwM057B

ワルターのベストパフォーマンスは52年から56年ごろくらい。

異議は認める


27名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 09:26:23.64ID:fx45UB5h

ワルターはラッキーな指揮者であった
ステレオ時代に間に合ったんだから

28名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 10:46:24.32ID:iDBPdJh8

フルトヴェングラーにしろトスカニーニにしろ
ステレオ時代に間に合ってればよかったのに
じつに惜しい

29名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:19:49.64ID:E2t0l423

ワルターのベストパフォーマンスは1910年から1938年ごろくらい。
異議は認めない

ワルターはノンヴィブラート・ポルタメント奏法で極端に早いテンポの時代の指揮者だよ
ヴィブラート・ノンポルタメント奏法に変わった1945年以降のオケとは合わない
それでアメリカ録音から無理をした力ずくの演奏に変わってしまった
1945年以降の演奏はすべてテンポが遅すぎてもたれる


30名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:24:06.85ID:E2t0l423

19世紀はノンヴィブラート ポルタメント奏法でテンポは極端に速かった。
ブルーノ・ワルターの初期のSP録音でもテンポは滅茶苦茶速いよ。
カペー四重奏団もテンポは滅茶苦茶速い。

1940年代にオケの弦楽器がガット弦から スチール弦に変わってから
早いテンポで弾けなくなった、ポルタメント奏法も難しくなったんだよ。

31名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:29:29.35ID:E2t0l423

ワルターのベストパフォーマンスは52年から56年ごろくらい。
というのは宇野功芳の思い込みだよ

マーラー大地の歌も1952年盤を評価しているのは宇野功芳だけだ
柴田南雄は1936年のSP盤しか評価していない

柴田南雄はワルターはSP時代以降ダメになったと何度も指摘している


32名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:32:32.58ID:E2t0l423

遠山行雄も
戦後のワルターは何か無理して頑張っている様で痛々しかった
と追想している

33名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:34:43.72ID:E2t0l423

ワルターの性格が良くなったのは、二流指揮者になって楽員からバカにされる様になってからみたいだね

60. 中川隆[-12808] koaQ7Jey 2020年5月02日 12:03:19 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[9] 報告
34名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 11:40:24.68ID:8bOb7cGH
>>32
遠山一行

35名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:01:59.83ID:E2t0l423

アメリカのダメオケ相手に必死に頑張っているんだけど、何かなー

ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95, B. 178
ロサンゼルス・スタンダード交響楽団 - Los Angeles Standard Symphony Orchestra
ブルーノ・ワルター - Bruno Walter (指揮)
録音: 16 July 1942
https://www.youtube.com/watch?v=XcnlQwJXLHs&feature=emb_title
https://www.youtube.com/watch?v=4oYC-dPMxEM&feature=emb_title

61. 中川隆[-12807] koaQ7Jey 2020年5月02日 12:51:58 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[11] 報告
36名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:26:07.15ID:1U0SFvwu

評論家の意見は知らないが、ワルターの最盛期が戦前だとしても、SP復刻はさすがに今のオーディオで聴く気がしない。

引退前の50年代のモノラル録音は、磁気テープ録音になったせいもあるだろうが、デッカであれコロンビアであれ、演奏と録音の両面で満足できるものが多い。趣味としてはそれで十分と思う。

ステレオ録音は田園とブラ4以外はほとんど聞かなったが、マイヤー盤で聴いたらブル9が以外と良かった。


37名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:39:10.51ID:E2t0l423

曽我ホーンという、蓄音機のサウンドボックスを外して、小型スピーカーを取り付けられるアタッチメントみたいな機械のことを曽我ホーンと言います。
その小型スピーカーの音で、蓄音機の音道(ホーン)を通って音が出るというものです。

音源(CDウォークマン)とアンプ(1から2W)が、必要です。
SP の復刻 CD などは、とても良く鳴ります。実演してもらいました。
驚きの音が、しました。感激しました。

復刻されたSP原音は、できるだけ忠実に再生したいと思いませんか。
さて、そのための道具ですが・・・

先ず第一に機械式蓄音機。

LPやCDになってもSPの音は蓄音機に回帰しましょう。
これをプレーヤーとしてではなく、ホーンスピーカーとして使います。

LPやCDの音をどうやってそこから出すかですが、蓄音機に付いているサウンドボックスに換え、ソガフォンという小型スピーカーを取り付けます。
あとはプレーヤーとアンプですが、種々試行して音の違いを自分の好みに合わせ完成です。

ちなみに現在は以下の組み合わせを楽しんでいます。

CDプレーヤー:SONY D-2
アンプ:VintageJoin
蓄音機:DECCA 型番不明

Sogaphon-system | Facebook
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.715939808421718.1073741844.517195038296197&type=3

Sogaphon-system
作成: 関西蓄音機倶楽部 · 2013年9月13日 ·

古い録音の名演奏をLPやCDでゆっくりと聴くシステムです。
本来の使い方は歴史的に貴重なSPレコードを軽針圧のプレーヤーで再生しレコードの保存を図るというものでした。

このセットももちろん78rpmのプレーヤーを繋いでいます。
しかし再生する音が蓄音機 (Victrola"COLONY"1925年製造) から流れるのでいい雰囲気になります。


HMV 157 Meets Sogaphon
https://www.youtube.com/watch?v=WDiUzsfqPZU
https://www.youtube.com/watch?v=vvSXOqJkDMg

The magic of Sogaphon 動画
https://www.youtube.com/watch?v=NNVliaIqy4s&feature=plcp
https://www.youtube.com/results?search_query=Sogaphon+

38名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 12:42:23.22ID:E2t0l423

ブルーノ・ワルターは SP録音したものの方が LP録音より遥かにいい音で入ってる
弦楽器はクライスラーでもアドルフ・ブッシュでも SP の方がLPより遥かにいい音だからね
SP録音すると原音よりいい音になるんだ

手廻し蓄音機は楽器だからね
原音再生の スピーカー+アンプ より倍音成分が沢山入って原音より遥かに いい音に変わるんだよ
今でもクレデンザよりいい音の装置なんか存在しないからね

62. 中川隆[-12804] koaQ7Jey 2020年5月02日 14:36:23 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[14] 報告
41名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 14:34:06.31ID:E2t0l423

ワルターはアメリカのオケだと むきになって強引な演奏になるんだ:

Bruno Walter: Schumann: Symphony 3 & 4 (R.1941 & 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H3H3r9gyzGk




• Symphony No. 3 in E-Flat major, Opus 97 (“Rhenish”)
New York Philharmonic
February 4, 1941; Liederkranz Hall

• Symphony No. 4 in D minor, op. 120
London Symphony Orchestra
April 26, 1938; Abbey Road Studio No. 1, London
63. 中川隆[-12803] koaQ7Jey 2020年5月02日 14:46:50 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[15] 報告
42名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 14:45:48.28ID:E2t0l423

マーラーとメンゲルベルクはトスカニーニに負けてアメリカ楽団を去ったから
ワルターは意地でもトスカニーニに負けまいとしたんだな
それで自分に合わない演奏スタイルに変えて、結果的に二流指揮者になったんだ

64. 中川隆[-12802] koaQ7Jey 2020年5月02日 15:05:17 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[16] 報告
44名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:04:16.46ID:E2t0l423

バルトークもシェーンベルクもストラヴィンスキーも
アドルフ・ブッシュもワルターもハイフェッツもホロヴィッツも

アメリカに行ったヨーロッパの音楽家は全員ダメになってる

65. 中川隆[-12799] koaQ7Jey 2020年5月02日 16:23:09 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[19] 報告

45名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:22:11.70ID:HO8GJSzU
どういう感じでダメになっていると思う?

46名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:31:45.92ID:JsorVt2n
俺もそこを知りたい。詳しくお願い。



47名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:33:46.33ID:E2t0l423
1
ブッシュ四重奏団

渡米前と後では音色が変わってるよ。響きも薄くなった:

Beethoven - String quartet n°11 op.95 - Busch SQ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QqA1cM4OQMs

Busch String Quartet (Adolf Busch - Gösta Andreasson - Karl Doktor - Hermann Busch)
Studio recording, London, 19 & 20.IX.1932

_______

Beethoven - String quartet n°13 op.130 - Busch SQ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ppjXCXpcXs8

Busch String Quartet (Adolf Busch - Gösta Andreasson - Karl Doktor - Hermann Busch)
Studio recording, New York, VI.1941



49名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:37:50.60ID:E2t0l423

バルトークも渡米後の作品は響きが全く変わってしまった

Anda / Fricsay - Bartok piano concerto No 2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=p5MeSUzBS5I

Geza Anda plays Bartok piano concerto no. 3 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=9WJhLz4C70U



50名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:48:29.34ID:sNEqvkiS
>>49
バルトークのアメリカ時代は、病気もあって苦労したが、
『管弦楽のための協奏曲』や『ピアノ協奏曲第3番』は、
アメリカ時代に書かれ、この大作曲家の代表曲に含めて、
まったく差支えない

51名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 15:53:16.57ID:sNEqvkiS
>>47
両者ともに素晴らしい演奏だと思うが
アメリカに行って、こいつらダメになったと
貶されるような演奏に聞こえるの?
一体、どんな耳してるんだ?

52名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 16:02:39.93ID:E2t0l423

ブッシュ四重奏団 の戦前の録音はすべてその曲の最高の名演
戦後の録音はベストテンにすら挙げられてないよ

柴田南雄さんは
Beethoven - String quartet n°13 op.130 - Busch SQ
を聴いてその余りの凋落ぶりに衝撃を受けていた



54名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 16:18:48.19ID:E2t0l42

>バルトークのアメリカ時代は、病気もあって苦労したが、
『管弦楽のための協奏曲』や『ピアノ協奏曲第3番』は、
アメリカ時代に書かれ、この大作曲家の代表曲に含めて、
まったく差支えない


バルトークの代表作は

中国の不思議な役人
青髭公の館
ピアノ協奏曲第2番
弦楽四重奏曲

アメリカ時代の作品はすべて駄作だというのが定説だよ
響きの緊張感や密度が全然違うんだ
66. 中川隆[-12791] koaQ7Jey 2020年5月02日 22:06:57 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[27] 報告

59名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 20:30:36.18ID:X10Hokoa

バルトークのピアノ協奏曲2番と3番で緊張感と密度が違うのはバカでもわかる
ただ優劣とは別の話だ2番の方がいわゆるバルトークらしいのは間違いないが私はモーツァルトを思わせる3番の方が好きだベートーヴェンよりモーツァルトの方が密度が薄いから劣るとか抜かす人ならもう何も言わんが

ワルターについていってることもどうも同様の誤り…とまでは言わんにしても論理の飛躍があるように見える


60名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 20:46:32.52ID:E2t0l423

ワルターは元々テンポが滅茶苦茶速いんだよ
ワルキューレもフィガロの結婚も他の指揮者の倍近く速く感じる:

Lotte Lehmann - Lauritz Melchior - Emanuel List -Die Walküre acte 1 Walter 1935 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=McL9XgzhkPo

LE NOZZE DI FIGARO - Ezio Pinza, dir Bruno Walter, 1937 (Complete Opera Mozart) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=5ZPpBwqm4iM

しかし、アメリカに行ってからはテンポが他の指揮者より更に遅くなっている
トスカニーニみたいな大音響を出すにはテンポを落とすしかないからね
しかし、そうすると間延びして聴くのが辛くなるんだ


61名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:08:33.31ID:sNEqvkiS
>>60
つくづく、いいかげんなやつだ

https://youtu.be/EGDpCRVEAZM
Le Nozze di Figaro 29/1/1944 Met


62名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:21:40.46ID:E2t0l423

40年代は前の延長で早いけど、56年の魔笛は遅くなってるよ

Die Zauberflöte 3/3/1956 English MetOpera (Sullivan, Uppman, Amara, Peters, Hines - Walter) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=G2xsfpKosqQ


63名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:30:48.80ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Bruno Walter / VPO - Mozart : Eine kleine Nachtmusik (1936) Pitch/ A=445 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bbkIVTfoaW8
https://www.youtube.com/watch?v=viE4e_aabf4

Mozart: Eine Kleine Nachtmusik, Walter & ColumbiaSO (1958) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=v3KhenlaaeM


64名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:34:10.88ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Haydn Symphony No.100 in G major "Military" (Walter , Wiener Philharmoniker 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=inbLPp-5HHQ
https://www.youtube.com/watch?v=gO1TkD7opIU
https://www.youtube.com/watch?v=bLLTbe2LsJM

Haydn: Symphony No. 100 (Military), Walter & ColumbiaSO (1961) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=J5kwvtS3Ca0


66名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:41:30.59ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Mozart: Symphony No. 41 `Jupiter`, Walter & VPO (1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ipYZagI7Bx8
https://www.youtube.com/watch?v=n2s81CP-1UY
https://www.youtube.com/watch?v=veRJrJSAwK0

Mozart - Symphony n°41 "Jupiter" - Columbia / Walter - YouTube
Studio recording, Hollywood, 25, 26, 28 & 29.II.1960
https://www.youtube.com/watch?v=9Psr7qr5Lx8

68名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:51:01.40ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Mahler: Symphony No. 9 (Walter 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uAw5b9anOhQ

Mahler: Symphony No. 9, Walter & ColumbiaSO (1961) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EMarpnKzflY

69名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 21:55:06.95ID:E2t0l423

戦前と戦後ではテンポが全然違うだろ:

Mahler: Das Lied von der Erde, Walter & VPO (1936) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Fpe3m728XXY

Mahler - The Song of the Earth / Presentation + New Mastering (Century's rec. : Kathleen Ferrier) - YouTube
Recorded in 1952, at Vienna
https://www.youtube.com/watch?v=iqCMTQ3uaPI

67. 中川隆[-12790] koaQ7Jey 2020年5月02日 22:22:28 : BWiRjVKTE6 : OUh1RC8xSi9HMEU=[28] 報告
71名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 22:08:27.58ID:E2t0l423

テンポは速ければ速い程いいんだよ


73名無しの笛の踊り2020/05/02(土) 22:19:05.70ID:E2t0l423

遅いテンポでも聴けるのはクナッパーツブッシュとかフルトヴェングラーくらいだよ
チェリビダッケ程度では聴く気が起きない

68. 中川隆[-12788] koaQ7Jey 2020年5月03日 05:51:41 : ISw2X8iTps : RFI5OGR2ODdoVjI=[2] 報告

77名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 05:34:42.98ID:pG20RoCJ

ワルターは遅いテンポではもたないんだな:

walter は中身が無いからテンポが遅いととても聴けない
Wallter & ColumbiaSO (1958) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=orBUu5_LIxw

Walter は中身が無いからテンポがこの程度でないと聴けない
L.V.Beethoven Symphony#3 "Eroica" (B.Walter Symphony of The Air)(1957) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B77H74A6GJQ

Knappertsbusch は中身が有るからテンポが遅くても聴ける
Beethoven Symphony No.3 in E-flat major"Eroica"(Knappertsbusch 1953) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=A0lgSk8AB74

Beethoven "Symphony No 3" Hans Knappertsbusch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zaPCRcrwTqM

78名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 05:39:47.86ID:pG20RoCJ

ワルターは遅いテンポではもたないんだな:

Walter は中身が無いからテンポがこの程度でないと聴けない
Brahms Symphony No.3 in F major Op.90(Walter VPO 1936) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AdBi28ivW0A

Knappertsbusch は中身が有るからテンポが遅くても聴ける
Brahms "Symhony No 3" Hans Knappertsbusch - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B3T52RpnIkI

79名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 05:48:00.89ID:pG20RoCJ

ワルターは遅いテンポではもたないんだな:

Walter は中身が無いからテンポがこんなに遅いととても聴けない
Wagner: Siegfried Idyll, Walter & ColumbiaSO (1959) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=mZmOCh-7cKk

Walter は中身が無いからテンポがこの程度でないと聴けない
Bruno Walter "Siegfried Idyll" Richard Wagner - YouTube
Wiener Philharmoniker Bruno Walter, conductor Wien 1935
https://www.youtube.com/watch?v=Teu4luePVvs


Knappertsbusch は中身が有るからテンポが遅くても聴ける

Wagner: Siegfried Idyll, Knappertsbusch & MPhil (1962) - YouTube
ハンス・クナッパーツブッシュ ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団:1962年11月 ミュンヘン
https://www.youtube.com/watch?v=uJaVLmPNdCs

ジークフリート牧歌(ワーグナー) - YouTube
1963年05月21日 アン・デァ・ウィーン劇場
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
https://www.youtube.com/watch?v=1bekGONWuTA

69. 中川隆[-12785] koaQ7Jey 2020年5月03日 06:55:57 : ISw2X8iTps : RFI5OGR2ODdoVjI=[5] 報告
81名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 06:54:15.53ID:pG20RoCJ

ワルターは遅いテンポではもたないんだな:

Walter は中身が無いからテンポがこの程度でないと聴けない
Lotte Lehmann - Lauritz Melchior - Emanuel List -Die Walkure acte 1 Walter 1935 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=McL9XgzhkPo


Knappertsbusch は中身が有るからテンポが遅くても聴ける

Wagner "Die Walkure (Act I)" Hans Knappertsbusch - YouTube
Wiener Philharmoniker 28.& 30.IX.1957
https://www.youtube.com/watch?v=Jq-4hl58oTE

Hans Knappertsbusch & Wiener Philharmoniker - Sonderkonzert of 1963 Wiener Festwochen (2nd Half) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dCVYbLzMER8

70. 中川隆[-12779] koaQ7Jey 2020年5月03日 09:03:55 : ISw2X8iTps : RFI5OGR2ODdoVjI=[11] 報告
84名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 07:13:42.44ID:pG20RoCJ

アメリカが関係するとみんなこうなるんだよ:

米国農家「これは日本人が食べるから毒入りでもいいのだ」

米国産の輸入牛肉からはエストロゲンが600倍も検出されたこともある。
エストロゲンは乳がんを増殖する因子として知られる。米国でもホルモン・フリー牛肉が国内需要の主流となり、
オーストラリアは日本にはホルモン牛肉、禁止されているEUにはホルモン・フリー牛肉を輸出している。

つまり、米国やオーストラリアから危ないホルモン牛肉が輸入規制の緩い日本に選択的に仕向けられている。

 農民連の分析センターが調べたら、ほぼすべての食パンから発がん性のある除草剤が検出された。

国産、十勝産、有機小麦のパンからは検出されていない。
輸入小麦には、日本で禁止されている収穫後農薬の防カビ剤(米国がかけるのは「食品添加物」と日本が分類してあげている)

も輸送時に振りかけられている。米国農家は「これは日本人が食べるからいいのだ」と言っていたという。

トウモロコシ、大豆の遺伝子組み換えの不安だけではない。
日本人は、世界で一番、遺伝子組み換え、除草剤の残留、防カビ剤の残留の不安にさらされている。

 米国では乳牛にも成長ホルモンを注射する。米国内では消費者運動が起きて、大手乳業などがホルモン・フリー宣言をした。
やはり、危ない乳製品は日本向けになっている。国産シフトを早急に進めないと、自分の命が守れない。

さらに、輸入依存を強めて、こんな危機になったら、お金を出しても、その危ない食料さえ、手に入らないかもしれない。
 もう一度、確認しよう。成長ホルモン、除草剤、防カビ剤など発がんリスクがある食料が、基準の緩い日本人を標的に入ってきている。

国産には、成長ホルモンも、除草剤も、防カビ剤も入っていない。

早く国産シフトを進めないと、量的にも、かつ質的にも、食の安全保障が保てない。
つまり、「国産は高くて」という人には、安全保障のコストを考えたら「国産こそ安いんだ」ということを認識してもらいたい。

87名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 08:15:51.09ID:pG20RoCJ

バルトークはアメリカで家畜が酷い環境で飼われていたのを見てショックを受けて作曲する気力が無くなったんだよ

アメリカに行ったヨーロッパの芸術家はみんなアメリカ文化の非人間性にショックを受けて
芸術の意味を見失うんだ

90名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 08:43:57.89ID:pG20RoCJ

バルトークはヴァーモントで家畜が酷使されているのを見てから体を壊したんだよ:

1941年 7月26日〜9月4日、ディッタと共にヴァーモント州リヴァートンのアガサ・ファセットの別荘で過ごす(関連映像)。

WCAX Bela Bartok visits Vermont Air Date 8-9-2011 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=rby8xj3sDds&feature=emb_title

この別荘の建物は現存しない。この別荘でディッタは何度か過ごしたが、バルトークはこの1回限りだった。リヴァートンでアガサから2匹のネコをもらい、連れて帰る。

 9月、コロンビア大学の契約が半年延長。9月〜2月で1,500ドルの報酬。

 冬、発熱が始まる。
https://brj広告文字列により全部置換/資料室/バルトーク-in-アメリカ/バルトークのアメリカ生活/

92名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 09:00:31.06ID:pG20RoCJ

アメリカ人はキリスト教原理主義だから 民度が高いまともな人間とは合わないんだよ

アメリカ人は北米インディアンの土地を奪ったことについては、「アメリカは約束の地である」と説明する。

鉄砲隊に向かって「特攻」を続けた北米インディアンを、虐殺し続けるのに当たって、

「北米インディアンは聖書に書かれていない。だから、あれらは人間ではない」と説明する。

奴隷貿易の中心は実は英国だったが、「黒人は聖書に書かれていない。
だから、あれらは人間ではない」と同様に説明している。

聖書の無謬性という信仰を利用することによって、自分達のエゴイズムや貪欲な物欲、選民思想を合理化できるのだ。

どんな人間だとて、異民族でも多数の人間を無差別虐殺すれば、潜在的に罪悪感を感じるものである。

もちろん、本物の「見せかけだけの善人」ならば、潜在的にも罪悪感を感じないだろうが。

米国人の心に在った潜在的罪悪感や不安感を薄れさせ、自らの虐殺・軍事的及び経済的侵略を正当化するために、聖書無謬性は、実に利用価値の高い説なのである。
聖書無謬性は、選民思想を強化し、エゴイズムの発現と経済侵略を正当化する。

71. 中川隆[-12778] koaQ7Jey 2020年5月03日 09:16:55 : ISw2X8iTps : RFI5OGR2ODdoVjI=[12] 報告
94名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 09:13:02.72ID:pG20RoCJ

回心者ブッシュの演説に聞き入る「十字軍」兵士達

アメリカには「ポーン・アゲン」を なのり、そう呼ばれる人びとがいる。 人生の道半ばで、神に、キリスト に、聖書に出会い、キリスト教徒とし て新しく生まれ変わった人びとであ る。改宗ではなくて、回心と再生を誓う、プロテスタント教会のなかの行動的な一派である。


◆40歳にして「回心再生」

ブッシュニ世はボーン・アゲンのひ とりになった。飲酒にふけって、安易 な生活を送っていたのが、名高い伝道師の説教を聞いてからは、四十歳にし て酒を断ち、回心再生の人となった。

朝は祈りと聖書の読誦にはじまり、閣議も祈りではじまる。
演説には聖書 のことばがちりばめられている。

「アメリカに昧方しないやつは敵だ」というブッシュニ世の人物を特色づける発 言も聖書からでている。

「わたしの側 に立たない者はわたしに逆らう者、わたしと共に集めない者は散らす者である」

神仏の信仰を問わず、ボーン・アゲンの宗教体験をもつ人びとのおおく は、個人の内面の間題として回心をうけとめている。

ところが、アメリカの 「生まれ変わり」は異様に猛烈である。かれらは公の場で回心の体験を声高 に語って、人間は罪を負って生まれた存在であるから回心しなさい、改俊しなさいと、説得と折伏の活動に訴えることを神に奉仕する使命と信じている。

その特徴は徹底した二元論である。人間は神に選ばれて救われる者と、救 われない者に分かれている。回心者に は永遠の平和、福音に耳ふさぐ者は悪魔の子で永遠の地獄が待っている。

善と悪、神と悪魔、味方と敵、白と黒、光と闇が現世を二分して戦ってい るという論理を用いて、迷える小羊に選択をせまるのである。

原理主義(ファンダメンタリズム) はイスラムの 「専売」のように思われて いるが、この 言葉と運動は はじめて一九 二〇年代アメ リカの白人プロテスタントの環境からうまれた。

ボーン・アゲンは原理主義の三つの 教条を継承している。

聖書に書かれてあることはすべて神の言葉であって、解釈や考証はゆるされない。
人間は神によってつくられた被造物で、サルから進化したなどという「妄説」はゆるされない。

やがてキリストがこの世に再臨して至福の千年 が始まるから、神への奉仕にいそしまなければならない。

◆悪魔うけいれる土壌

最近のギャラップ世論調査による と、アメリカ人の48%は神が人間をつ くったと信じ、28%が進化論に傾いている。そして、悪魔の存在を68%が信 じている。

テロリズムも「九・一一」の悲劇も、バグダッドに巣食う悪魔の仕業だ という圧倒的な政治宣伝がたやすくう けいれられる精神的土壌がそろっている。 プロテスタント教会の少数派であっ たボーン・アゲン原理主義と、帝国を夢みる新保守覇権主義の二つの特殊な 潮流と人脈が、アメリカ政治の中枢を乗とってしまった。

神の下なる道義の国アメリカの指揮 官ブッシュニ世は、「万軍の王の王、主の主」(ヨハネ黙示録)として、神の御業を実践する十字軍に立つのである。

しかし、利得の追求を宗教的熱狂で紛飾した十字軍は、中東のみならず、 世界の現状にひそむ限りない複雑さと、そして、人間の惨害を無視して強行されるのだから、前途には、とほうもない魔の陥弊が待っている。

現在の狂ったアメリカ人の精神構造を探るには、アメリカを覆っているキリスト教原理主義的教義が分からないと理解できない。

回心再生と言ったって何のことか分からない。

回心再生して神に仕え、そうでない福音に耳を塞ぐ者たちを、悪魔の子として永遠の地獄に突き落とすことが、彼らの使命なのだ。

このようなキリスト教原理主義の教義が分かっていれば、ラムズフェルドの冷酷さも理解できる。

彼はアフガニスタンの戦場における、タリバン兵の捕虜達をクンドゥスに集め、爆撃して皆殺しにした。悪魔の子として地獄に突き落としたわけだ。
彼らにとっては異教徒は人間とはみなさないのだ。

72. 中川隆[-12777] koaQ7Jey 2020年5月03日 09:32:48 : ISw2X8iTps : RFI5OGR2ODdoVjI=[13] 報告
98名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 09:21:39.99ID:pG20RoCJ

バルトークもシェーンベルクもストラヴィンスキーも
アドルフ・ブッシュもワルターもハイフェッツもホロヴィッツも

アメリカに行ったヨーロッパの音楽家は全員ダメになってる

アメリカはカルト文化の国だから芸術は理解されないんだ

100名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 09:31:37.78ID:pG20RoCJ

Vnの指導を受けるのはジュリアードに限る、それもガラミアンや ドロシー・ディレイの指導を受けることが、ヴァイオリニストとしてのステイタスにもなっている ばかりでなく、実際に世界を席巻するソリストが、続々と送り出されている。

 ガラミアンの教育法は古い権威主義と呼ばれていた様に独自の指導法で、
誰に対しても同じ方法で 徹底して指導したが、生徒は細部まで、正確に徹底した練習を求められ、テクニックの習得に重点が 置かれていたと言う。

 先生の指示する弓使い、指使いに従わない生徒には容赦をすることがなかった。

 特にガラミアンは運弓の名手と言われたカペーの弟子であっただけに運弓にはうるさく、後に ガラミアンのトレードマークになるが、
大きく弓を使いいい音を出すことを徹底して訓練した。

   後にガラミアンは石ころでも立派に磨き上げて、ヴァイオリニストを創ることが出来たと評されている。

73. 中川隆[-12776] koaQ7Jey 2020年5月03日 11:19:39 : ISw2X8iTps : RFI5OGR2ODdoVjI=[14] 報告
103名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 09:50:34.53ID:r4kmK0o0
>>100

お伺いしたい。
ワルターの録音で、貴兄がこれだけは聴いておけ、
これは素晴らしいと思うものを3つ挙げて下さい。
SPで聴けと言われても無理ですのでCDでお願いします。

出来たらその理由もお願いします。

104名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 10:13:57.13ID:pG20RoCJ

Haydn Symphony No.100 in G major "Military" (Walter , Wiener Philharmoniker 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=inbLPp-5HHQ
https://www.youtube.com/watch?v=gO1TkD7opIU
https://www.youtube.com/watch?v=bLLTbe2LsJM

Mahler Symphony No.5 - Agagietto - Bruno Walter with Vienna Philharmonic Orchestra in 1938 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6ArsxRYUI78

Mahler: Symphony No. 9 (Walter 1938) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uAw5b9anOhQ

指揮というより戦前のウィーン・フィルが素晴らしいですね。

74. 中川隆[-12775] koaQ7Jey 2020年5月03日 11:35:52 : ISw2X8iTps : RFI5OGR2ODdoVjI=[15] 報告
106名無しの笛の踊り2020/05/03(日) 11:34:09.37ID:pG20RoCJ
>>103
>SPで聴けと言われても無理ですのでCDでお願いします。


オーパス蔵 復刻CD
http://www.opuskura.com/index_j.htm

75. 中川隆[-11484] koaQ7Jey 2020年9月06日 07:29:16 : bXh6dKqu12 : dEhkWndCcGVoLmM=[15] 報告
宇野功芳の音盤棚
unauの無能日記C
嵐の中のブルーノ・ワルター

 戦前EMIのプロデューサーだったガイスベルクは「ワルターは嵐の中心となるような運命を背負っている」と述べた。彼の生涯は、凡人ならとても耐え切れないような苦難に満ちていたが、今月はそのことを書いてみたい。

 少年時代、どなり声ひとつ聞いたことのない、温かく教養豊かな家庭に育ち、ピアニストへの道を進み、途中で指揮者になりたいと切望するようになる。やがてハンブルク歌劇場で名指揮者マーラーと出会い、彼の演奏、作品、人柄に魅かれ、師として仰ぎ、マーラーのせかせかした歩き方や爪をかむ癖まで真似をしたというワルターの前途は希望にあふれていた。人生で最も幸せだったのは1913年から10年間にわたるバイエルン国立歌劇場(ミュンヘン)の総監督時代であろう(37歳から46歳まで)。良き妻エルザとロッテ、グレーテルという2人の娘を得、指揮者としての評判も非常に高かった。その幸福が暗転したのは1922年である。

 名門ベルリン・フィルの常任指揮者ニキシュが世を去ったのだ。当然次の指揮者の本命はベルリン生まれで、オーストリア、ドイツを中心に活躍するブルーノ・ワルターであった。新聞辞令も出た。彼はベルリン・フィルの団員からも「多くの者があなたを支持している」という連絡を受け、すっかりその気になっていた。

 しかし、そこに登場したのが10歳も年下のフルトヴェングラーである。ワルターは知人への手紙に書いている。「フルトヴェングラーはニキシュが死んでからベルリンに根を下ろし、天国から地獄までのありとあらゆる手段を総動員して、この地位を得ようと躍起になっています。私の方は主義として何もしていないし、これまでの人生でも、ただ音楽的な業績によってのみ道を開こうとして来ました」。

 結局ベルリン・フィルが選んだのは36歳の若手フルトヴェングラーであった。あまつさえ、ワルターがミュンヘンを去ったのは、12歳年下のクナッパーツブッシュがナチスと手を組み、ユダヤ人のワルターを追い出したという説がある。これは往年の指揮者でヨーロッパにもしばしば出かけていた近衛秀麿が語っていたことだが、当時ナチスはまだ勢力をのばしておらず、ワルター自身も自伝に他の理由を書いているので噂の域を出ないが、火のないところに煙は立たない。
なんらかの動きはあったかも知れない。クナッパーツブッシュは海千山千、ワルターは最後までお人好しであった。

 1933年、そのナチスがついに政権を取り、ユダヤ人の追放にのり出した。ワルターはフルトヴェングラーが常任になった後もベルリン・フィルとは親密な関係をつづけ、長年にわたって「ブルーノ・ワルター・コンサート」を開いて来たが、それも中止、1934年にはウィーンに追われ、オーストリア国籍となった。しかし名門ウィーン・フィルとワルターとの相性は抜群で、彼の人気は世界中にとどろき、ベルリンのフルトヴェングラーと二分、革命後のソヴィエトに招かれた初めての外国人となった。ベルリン・フィルも結果としてフルトヴェングラーを選んだのが成功だったといえる。

 だがワルターの幸せは長くはつづかない。このあと、筆舌に尽くせぬ苦難がつぎつぎと彼をおそう。1938年3月13日、ナチス・ドイツはオーストリアを併合、ユダヤ人を追放した。ちょうどアムステルダムに演奏旅行中だったワルターはウィーンに帰れず、地位も財産も国籍も剥奪された。
家族も逮捕されたが4月にオーストリアを脱出、一家は9月にモナコ国籍を得ようとするが失敗、フランス政府が救いの手を差しのべ、フランス国籍を取得する。

 翌1939年8月、ルツェルン音楽祭でマーラーの「第二」を指揮する予定だったワルターに届いたのは、チューリヒ在住の最愛の娘、次女のグレーテルが夫に射殺されたという報であった。
茫然自失のワルターに代わってトスカニーニが指揮をとった。翌月の9月にナチスはポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まる。ヨーロッパに居場所を失ったワルターはついにアメリカへの亡命を決意、10月31日にニューヨークに向かい、ロサンジェルス郊外のビヴァリー・ヒルズに居を構えるとともにアメリカ国籍となった。本当に苦難の連続とはこのことであろう。しかも1945年3月には長い間の心労がたたったのだろう、エルザ夫人が脳卒中のため他界してしまう。

アメリカのオーケストラの楽員にはヨーロッパでのワルターの名声を知らない人も多く、最初のうちは戸惑いをかくせなかったが、やがてニューヨーク・フィルの音楽監督をつとめるなど、徐々にアメリカの生活になじみ、1962年2月17日、心臓病のため、85歳の生涯を閉じたのであった。

 《愛と善意の音楽家》ワルター。それゆえに彼は自分をあんなにも苦しめたナチスに対しても、そこそこの悪意しか持っていなかったというが、ワルターの良さも弱さもそのあたりにあったのかも知れない。戦後、1949年、シカゴ交響楽団がフルトヴェングラーに客演指揮を依頼したが、全米の音楽家たちがナチスに協力したという理由で猛反対をした。しかしワルターとメニューインだけが反対声明に名前を書かなかったのである。

 ワルターに代わってベルリン・フィルの常任の地位についたフルトヴェングラーは、晩年カラヤンの台頭におびえ、自分がワルターに対してやったようなことをカラヤンにされるのではないかと絶えず猜疑心に悩まされた。そして1954年、ワルターよりも早く、68歳で他界したあと、ベルリン・フィルの常任の地位についたのはそのカラヤンであった。運命はめぐる。人の世の面白さであろう。

2007年6月
[宇野功芳]
2018年4月25日
https://www.kinginternational.co.jp/uno/000019.shtml

76. 2021年3月19日 11:23:43 : XaF5TPsry2 : bG5IWDJHbksveFU=[3] 報告
ブルーノ・ワルター: 音楽に楽園を見た人 – 2015/1/13
エリック ライディング (著), レベッカ ペチェフスキー (著), 高橋 宣也 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC-%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AB%E6%A5%BD%E5%9C%92%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%9F%E4%BA%BA-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0/dp/4276217997

20世紀を代表する名指揮者、ブルーノ・ワルター(1876-1962)についての、決定版とも言うべき伝記である。多くの資料を緻密に渉猟し、この指揮者を知る人々への丹念な取材をもとに、非常に真摯な態度でワルターという芸術家の本質に迫った大著である。

原著は2001年に刊行後、一度改訂されている。目次からもわかるとおり、19世紀末から20世紀初頭のベルリン、ウィーン、ミュンヘンほかドイツの歌劇場の音楽監督を歴任したワルターであったが、その後半生は、戦争中のナチスとの確執、そしてアメリカへの移住といった激動の生涯をたどる。時代に翻弄されたブルーノ・ワルターという一音楽家の姿を通して、人間と時代のあり方を考えさせる名著である。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

ライディング,エリック
『イン・ハーモニー・フレイムド』と、『ブルーノ・ワルター 音楽に楽園を見た人』(妻のレベッカ・ペチェフスキーとの共著、ASCAP―ディームズ・デイラー賞音楽書部門賞受賞)の著者。『カレント・ミュージコロジー』、『クラシック・レコード・コレクター』、『新グローヴ音楽事典』、『アメリカ・リュート協会報』、『シェイクスピア・クォータリー』等に記事、評論を寄稿。また、ソニー・マスターワークス、ニューヨーク・フィル・スペシャル・エディションズ、アンダンテ、VAIオーディオにライナーノーツを執筆。大学では音楽学と英文学を専攻、その後コロンビア大学で博士号を取得して教鞭を取った。ソニー・クラシカルとカーネギーホールの編集部門に所属し、現在は古楽専門レーベルのクィル・クラシックスの社長

ペチェフスキー,レベッカ
ハープシコード奏者。ジュリアード音楽院プレコレッジ課程卒業、コロンビア大学バーナード校で文学士号取得。続いてニューヨーク市立大学クイーンズ校でハープシコード課程の文学修士号、同大学大学院センターで音楽学の哲学修士号取得。ニューヨーク・ユース交響楽団のカーネギーホール・シリーズのプログラム解説、アンダンテとクィル・クラシックスのライナーノーツを執筆。『カレント・ミュージコロジー』、『新グローヴ音楽事典』、『アーリー・ミュージック・アメリカ』に寄稿

高橋/宣也
1963年生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了。1986~87年ケンブリッジ大学留学、1999~2001年ロンドン大学訪問研究員。現在、慶應義塾大学文学部准教授。専門は近代イギリス文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

カスタマーレビュー

SR400
5つ星のうち5.0 ブルーノ・ワルターの伝記です。
2015年4月19日に日本でレビュー済み

おそろしく面白い本です。
伝記本としてだけでも面白いです。さらに音楽好きにはたまらないでしょう。
ブルーノ・ワルターが音楽に対してとことん情熱的であったように、この本も情熱的です。
かなり厚い本ですが、もっともっと書きたいことがあって、その中でも特に面白いことだけを書いたという感じです。
この本からは音楽について学べます。
もちろん、人生や生き方についても学べます。
訳者のあとがきにある『ワルターが遺してくれた演奏に耳を傾ける時、聴き手の心に響くのは、楽観的である勇気を持てと促す声なのだ。』という言葉が、強く印象に残ります。

雲とナカジマ
5つ星のうち5.0 決定的評伝2001。2006年改訂版

1926年、ワルターがレニングラードで客演していたとき、ロシア人が、まだ二十歳のショスタコーヴィチの第一交響曲を聴くように薦める。ワルターはこの新鋭作曲家の才能を即座にみとめ、ベルリンフィルがこの作品を演奏するように段取りした。こうして1928年におこなわれたのが、当作品のドイツ初演である。p277

700ページ40万字。ワルターの評伝の決定版のようだ。

非常に読みやすいすぐれた翻訳。作者の視線もやさしく詩的で、読んでいてきもちいい。

えらくピンポイントの情報引用になるが、晩年のワルターはベーム指揮によるリヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」を気に入り、手紙でその旨をベームに知らせているそうだ。それで、「エレクトラ」を聴いてみようと思った。

t
5つ星のうち5.0 尋常ならざる人生

 まず、著者の膨大な演奏会評・手紙・録音・録画等の資料とインタビューによる勤勉かつ徹底した事実の収集とそれらの考察、訳者の明晰で読みやすい仕事に感謝したい。

 本書は大指揮者ブルーノ・ワルターの伝記の日本語訳である。ウィーンでマーラーの部下として頭角を現し、ミュンヘンで音楽総監督として名声を確立し、現代音楽に積極的に取り組み、世界に飛躍し、ベルリンでポスト争いで敗れ、ライプチヒとウィーンでナチスに追放され、家族を失い、アメリカで巨匠として活躍し、ヨーロッパと戦後に再会・和解する。

 自著では明らかにされなかった事実や背景が丹念に提示されており、ワルター自身のみならず、彼の生きた時代や欧米の音楽事情が浮き彫りになる。1938年以前の栄光と挫折が記録に基づき詳細に記載されるだけでなく、プフィッツナー、シュレーカー、コンゴルド、スマイス等の現代音楽を積極的に取り上げている様子がよくわかる。ショスタコービチの交響曲第一番の紹介はその一端だった。アメリカでもアメリカ人の作品を多く取り上げている。スタンダードなプログラムに落ち着くのは70歳半ばからであり、決して保守的な芸術家とは言えない。後進指揮者や歌手の指導も多い。

 この尋常ならざる人生を記録した伝記は、現代に生きる私たちにも何をもって人間の偉大さをいうかを考えさせる。さらには、本書を読んだ後にワルターが残した録音・録画を鑑賞すると、以前とは異なる見方ができることは疑いない。ワルター自身やシュレーカー等の作品にも興味がわく。大部だが報われる読書である。

noriko
5つ星のうち5.0 ワルターの全貌がくまなく描かれています。

600ページに及ぶ分厚くて読み応えのある本です。今まで断片的な知識しかなかったワルターの全貌をしっかりと知る事が出来ました。なぜアメリカに渡ったのか、その後のニューヨークPO.やコロンビアSO.との詳しい関係はどのような状況だったのか、作曲活動はどうだったのか等々。最も印象的な場面は、晩年のワルターがコロンビアSO.と録音したマーラーの「交響曲第1番」を聞いたバーンスタインが、同曲の録音を先送りにした時のくだりです。宇野功芳氏との手紙のやり取りや、生涯の恋人であった歌手のデリア夫人との関係、娘の死などもきちんと記載されています。師であるマーラー、同時代の作曲家のプフィッツナー、コルンゴールド、指揮者のフルトヴェングラーやトスカニーニ、作家のトーマス・マンとの関わりもよく理解できました。高価な本なので県立図書館で借りて読みました。

書斎人
5つ星のうち5.0 ワルターのCDを聴くときの友として

 他のレビュワーが書かれておられる通り、膨大な資料を収集してまとめあげられたワルターの伝記の決定版です。
 伝記的事実のほかに、ワルターが残したSP時代からの膨大な録音について、レコーディングの背景や共演したアーティストのエピソードが豊富に収録されています。私のように日頃からワルターのCDに親しんでいる者にとっては鑑賞の幅を広げてくれる意味でも、とてもよい本だと思いました。

77. 中川隆 111111[1] koaQ7JeyIDExMTExMQ 2021年7月24日 11:02:09 : vm2m0Yb61c : OVJpa2FtQ0tMUlU=[3] 報告
BRUNO WALTER HOME PAGE
http://www1.s2.starcat.ne.jp/danno/walter2.htm

BRUNO WALTER ディスコグラフィ
http://www1.s2.starcat.ne.jp/danno/discography.htm

BRUNO WALTER BBS
https://6233.teacup.com/walter/bbs  

BRUNO WALTER HOME PAGE
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/848.html

78. 中川隆[-12409] koaQ7Jey 2023年8月02日 09:04:37 : fcN6JztXr6 : WWJ4OHZIODNCbnM=[6] 報告
ブルーノ・ワルター(1876年9月15日 - 1962年2月17日)指揮者
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010876

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史4掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史4掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史4掲示板  
次へ