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アーベントロート( 1883年1月19日 - 1956年5月29日)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/689.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 27 日 07:31:29: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ナチス時代のフルトヴェングラーは一体何を考えていたのか? 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 23 日 22:36:58)


ヘルマン・アーベントロート(Hermann Paul Maximilian Abendroth, 1883年1月19日 - 1956年5月29日)


Beethoven "Symphony No 9" Hermann Abendroth



Beethoven: Symphony No. 9
(perf. Leipzig, 1953)


Choir – Leipzig Radio Chorus
Vocals – Anna Schlemm,
Diana Eustrati, Gert Lutze, Karl Paul


Conductor – Hermann Abendroth
Orchestra – Leipzig Radio Symphony Orchestra
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 2022年1月24日 04:50:41 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[1] 報告
ブラームス: 交響曲第1番
ヘルマン・アーベントロート 、 バイエルン国立管弦楽団
爆演の金字塔、ブラ1演奏史に輝く凄演。
アーベントロート+バイエル国立管アカデミーコンサート1956




これが没年の演奏と言うことが信じられないアーベントロート会心の名演。爆演中の爆演であるブラ1がUHQCD化。すっかり東ドイツの人になっていたアーベントロートが珍しくバイエルン国立歌劇場管弦楽団(バイエルン国立管)の定期演奏会である「アカデミーコンサート」に登場。冒頭からして力こぶが盛り上がる様な雄々しく逞しいサウンドに圧倒されます。剛直でセンチメンタリズムに堕さない第2楽章。疾走する第3楽章。そして白眉は勿論のことフィナーレで、物をぶっ壊すかのようなティンパニの強打、旋律美が壊れるのを無視してまでブロック的に楽想を分断し、思う存分の変化をつけまくる超個性的解釈!アーベントロート屈指の名演として名高いものです。この前日には同会場でクナッパーツブッシュがミュンヘンフィルと演奏会を開いていたと言う正に神々の時代の記録。至高音質として知られたDISQUES REFRAIN盤のマスターを使用。テープの傷は可能な限り修正しUHQCD化しました。英日のライナーノート付です。
ミューズ貿易


【曲目】
ブラームス:交響曲第1番
[13:00][9:02][4:21][15:03]

【演奏】
アーベントロート指揮
バイエルン国立管

【録音】
1956年1月16日
バイエル国立管弦楽団アカデミーコンサート
ミュンヘン・ドイツ博物館ライヴ
2. 2022年1月24日 04:55:06 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[3] 報告
アーベンロートの芸術  ヘルマン・アーベンロート
http://www.heibonnotomo.jp/classic/id23.htm


凄まじい情熱!ついに原音で蘇ったドイツの巨匠!! 宇野功芳監修によるアーベントロートのCDベスト5、ハイパー・リマスタリングでよみがえる!
今こそ聴くべし、アーベントロート!【宇野功芳】
アーベントロートは旧東ドイツで活躍していたため、もう一つ知名度が弱いが、フルトヴェングラーより3歳年上のこの巨匠の個性は極めて強烈で、ブラームスの一番と「悲愴」はフルトヴェングラーよりもはるかに雄弁であり、「第九」も部分的に上まわる。一方、ハイドンやモーツァルトの交響曲における、きりりとした造型の中に宿る豊かな内容は、この指揮者の芸風の広さを示して余すところがない。今こそ聴くべし、アーベントロート!

ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はフルトヴェングラー(1886-1954)やクナッパーツブッシュ(1888-1965)と同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していたため、西側にとっては”幻”の指揮者であったが、ドイツシャルプラッテンと契約した徳間音工が”幻”の音源を発掘、1974年はじめてLPシリーズで発売、宇野功芳氏の推薦紹介とあいまって、業界に大反響をまきおこしたであった。その後CD化されたが、国内LP盤の音質には達していないのがファンの不満でもあった。そのCDも長らく廃盤になっている中、宇野功芳氏がLPで20枚分ある音源の中から自ら推薦演奏のみ厳選し全曲を解説、キング独自のハイパー・リマスタリング技術を施して発売!

ハイパー・リマスタリングとは歴史的アナログ録音の持ち味を最大限デジタル・マスタリングに生かすべく@管球式ハイパワー・ライン・アンプの使用A純粋正弦波交流電源の使用B伝送系ケーブルの使い分け−等々マスタリングの機器や周辺環境を整備して行う、当社独自の技術です。“世界最高水準の音質”との評価を誇るスーパー・アナログ・ディスクの技術に裏打ちされた、わが社のみが成しえる職人芸術の粋をCDで堪能できます。

アーベンロートの芸術  ヘルマン・アーベンロート 各巻
SOLD OUT
ヘルマン・アーベンロート
@ハイドン:交響曲 第88番ト長調「V字」
Aハイドン:交響曲 第97番ハ長調
Bヘンデル:管弦楽のための二重協奏曲第3番 ヘ長調
ヘルマン・アーベントロート指揮 @ライプツィヒ放送交響楽団 ABベルリン放送交響楽団
録音:@ 1956年ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール) A1956年ベルリン放送局スタジオ(SRKホール)B1955年9月15日ベルリン放送局スタジオ(SRKホール)


ヘルマン・アーベンロート
モーツァルト:
@交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
Aディベルティメント第7番ニ長調K.205(167A)
B四つのオーケストラのためのセレナード ニ長調K.286(269A)
ヘルマン・アーベントロート指揮 @ライプツィヒ放送交響楽団 Aライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 Bベルリン放送交響楽団
録音:@A1956年3月26日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール) B1956年4月12日ベルリン放送局スタジオ(SRKホール)

ヘルマン・アーベンロート
ベートーヴェン:交響曲第9番 二短調Op.125「合唱付き」
ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団/エディット・ラウクス(ソプラノ)/ディアナ・オイストラティ(アルト)/ルートヴィヒ・ズートハウス(テノール)/カール・パウル(バス)/ライプツィヒ放送合唱団/ライプツィヒ音楽大学合唱団
録音:1951.06.29ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)

ヘルマン・アーベンロート
ブラームス:
@交響曲第1番ハ短調Op.68
A交響曲第3番ヘ短調Op.90
ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団
録音:@1949年10月20日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)A1952年3月17日ライプツィヒ・コングレスハーレ

ヘルマン・アーベンロート
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」
ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団
録音:1952年1月28日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)


アーベントロートのプロフィール
1883年フランクフルトの大きな書籍商の息子として生まれた。7歳からヴァイオリンを始める。
1900年からミュンヘン音楽院でフェリックス・モットルに指揮法を、ルートヴィヒ・テュイレに楽理と作曲を、ピアノはアンナ・ランゲンハム・ヒルツェルに師事した。
1905年からリューベック市でプロの指揮者としてスタートする。
1911年から1914年までエッセン市の音楽監督をつとめた。
1914年ケルン音楽院の院長となり、1915年から1934年までケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。1918年にケルン市の音楽監督に就任。1919年教授になる。
1922年からはベルリン国立歌劇場でも指揮し始める。
1934年1月、ナチス・ドイツより「ナチスの政策に非協力的であること」「ユダヤ人社会ならびにユダヤ人とその文化に好意的であること」などの理由から、ケルン音楽大学学長などの職務を解任され、公職追放された。同年、ライプツィヒに移住。ブルーノ・ワルターが亡命して空席となっていたライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団常任指揮者に就任し、終戦まで務めた。
1943年・1944年バイロイト音楽祭でニュルンベルクのマイスタージンガーを指揮。
1945年末にゲヴァントハウス管弦楽団を退任し、翌1946年よりヴァイマル音楽大学学長ならびにリスト博物館館長に着任。
1949年よりライプツィヒでの指揮活動を再開し、ライプツィヒ放送交響楽団首席指揮者に、1953年からは ベルリン放送交響楽団首席指揮者に就任。
1949年08月25日ドイツ民主共和国から国家賞を受賞。
戦後は東ドイツに留まったが、西ドイツのオーケストラへも度々客演している。1951年にはプラハの春音楽祭に東ドイツ代表として参加。1954年から1955年まで、東欧各地やバルカン半島でも演奏活動を行っている。1956年5月下旬、イェナに演奏旅行で滞在中に脳卒中に倒れ、いったんは手術により小康状態を保つが、5月29日に病院内の庭を散策中に再び倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀は6月2日に、東ドイツにより国葬として行われた。
戦後の10年間、東西に分割されたドイツ楽壇において、西のフルトヴェングラーに対し東ではアーベントロートのみが最重鎮としてその存在をあらしむものであった。

http://www.heibonnotomo.jp/classic/id23.htm

3. 2022年1月24日 04:56:56 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[4] 報告
■指揮者アーベントロートについて
http://www.sakaiyama.jp/conduct_brahms.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%80%8E%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB,%E3%83%A0%E3%82%B9%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82


このところ、「爆演指揮者」という形容がつくことの多いアーベントロートですが、資料によっては
「楽譜の代弁者」
「作曲家の書いたスコア・作曲家の意図に対し忠実、温かみのある表現」
という説明がされています。
(アーベントロート70歳の誕生日に寄せて文章を書いているProf.Dr. カール・ラウクス [ LP・ET-1514の解説書に日本語訳が載っている ]によると、 アーベントロートという指揮者は以下の様な表現になっている。)

>「彼は多くの指揮者がするように楽譜を勝手に独自の解釈で演奏するのではなく、楽譜に書かれた内容を 作曲家の意思の伝達道具であることに常に敬意を払い、偉大なエネルギーと精神的熱慮をもって 実際の音に移し変えていった。」
>「ドイツ古典派のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス(フリッツ・シュタインバッハの真の意味の後継者として!)、 そしてブルックナーが特に彼の心のよりどころであったが、外国の芸術に対しても決して拒否反応は 示さなかった。いや、まったくその逆で、世界の音楽史上で有名な曲の多くが彼によってドイツで 初演された・・・・・」


■指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」について


(1)「ブラームス・シュタインバッハの伝統」に基づいた演奏

次の太字の部分は、ブラームス演奏における「ブラームス・シュタインバッハの伝統」と指揮者に関することで色々伺った話をまとめたもの。

「『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、テンポを自在に変え、シュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏のこと。
この伝統に忠実なのはアーベントロート。
ヴァント、サヴァリッシュ、ベームのブラームスは楽譜の範囲内で『ブラームス・シュタインバッハの伝統』を解釈している。
(よくアーベントロートの指揮を19世紀的と言う人がいるが、実際にはそうではない、とのこと。)
ブラームスの演奏における『ブラームス・シュタインバッハの伝統』をシュタインバッハから継いだのは、ライナー、ストラヴィンスキー、アーベントロート。 アーベントロートから教わったのが、ヴァント。
なお、サヴァリッシュ・ベームは誰から教わったのかははっきりとは分からないが、サヴァリッシュ・ベームの振るブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の系統の演奏と考えられる。」

「ムラヴィンスキーのブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』に基づいていて(誰から教わったのかは不明)、振り方そのものは大変近代的、モダンである。」
「ノリントン、マッケラスはシュタインバッハの楽譜への書き込みを意識してはいる。しかしその演奏そのものは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の再現というのとは少し違うようだ。」
「一方、クナッパーツブッシュの振るブラームスは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、異なる。クナッパーツブッシュはブラームスが楽譜に書いた通りにやろうとしていて、テンポを途中で変えないやり方。R.シュトラウスやセル、チェリビダッケの指揮するブラームスも同じ系統。」
「なお、トスカニーニはシュタインバッハのブラームス演奏を大変意識してはいたが、トスカニーニの演奏は「歌う」部分が強いので、この2つの系統とはまた異なるブラームス演奏と考えられる。」


(2)次に、「(1)以外」の点について以下に補足しておきます。
(1)の内容に関して思ったのですが、ブラームスの演奏をする時に楽譜通りにやるか、あるいはプラスアルファの要素としてシュタインバッハのやり方を取り入れるかどうか、その辺が指揮者自身の考え方により違うのだろうか、と思います。
ブラームスの演奏解釈を研究されている方などが、現在では

「ブラームス・シュタインバッハの伝統」
「マイニンゲンの伝統 ( Meiningen Tradition )」

というキーワードを度々使われることがあります。
しかし、アーベントロートやヴァント、サヴァリッシュなど、実際にシュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏をしている指揮者達は、こうしたキーワードを使って説明したりすることはなかったのだそうです。
アーベントロートは
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
という感じで説明をしていたらしいです。また、アーベントロートから教わった方も
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
「シュタインバッハ先生から教わったことを、アーベントロート先生はこう言っていた」
という感じで説明していたそうです。

「マイニンゲンの伝統」とは、シュタインバッハに師事したことのあるヴァルター・ブルーメという人物が最初に呼んだものだそうですが、その後、ブラームス研究をする方のうち「シュタインバッハの楽譜への書き込み」に着目した人々(ウォルター・フリッシュなど)がこの「マイニンゲンの伝統」というキーワードを使うようになっています。
一方、アーベントロートが教えた指揮者、音楽家など、演奏する側の人々は
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
そういう言い方をされている。

この「シュタインバッハの書き込み」に関し研究者が本に書いたり論文で検証している内容というのは、演奏をしている現場でのやり取り、 指揮者や音楽家達の直接の伝承とはイロイロ異なる点などあるかもしれませんので、重く考え過ぎてはいけないのかもしれません。 (私、境山の個人的な感想ですが。)

また、「**の伝統」というキーワードが独り歩きすることも、余り好ましくないことなのかもしれません。


(シュタインバッハとトスカニーニは、どういうつながりがあったかは分からないのですが)
シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは
ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを
「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」
と語った、という話が伝わっているのだそうです。
ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して
「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」
ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。

「ギュンター・ヴァント」
ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳
(音楽之友社)
P.291-P.297 参照

「 Performing Brahms 」
アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュ(Walter Frisch)はこの本「 Performing Brahms 」の
Chapter 10
In search of Brahms's First Symphony :
Steinbach, the Meiningen tradition, and the recordings of Hermann Abendroth
ここで、
「アーベントロートのブラームス解釈がシュタインバッハの書き込みに一番近く、
ビューロー・シュタインバッハからの生きた伝統をアーベントロートは継承した」
と述べています。

「 Performing Brahms 」に関わった
ベルナルド・D・シェルマン( Bernard D. Sherman ) 氏、
私はこの方のサイトは2002年頃に気付いたのですが、
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm
http://www.bsherman.org/mack.html
シェルマン自身がサイトでも書いていましたが、「シュタインバッハの楽譜への書き込み」を ノリントン、マッケラスも参考にして Meiningen Tradition のブラームス演奏を試みているけれども、 例えばマッケラスの演奏はシュタインバッハの書き込みとは異なる部分もある、等述べており、 シェルマンも、シュタインバッハのブラームス演奏については Meiningen Tradition に直接の接点が 有ったアーベントロートの演奏に注目しています。


(3)以下は 「 Performing Brahms 」が出版される前に
2003年01月時点で私が自分なりに調べてまとめた中からの転記。
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。 ( Brahms in der Meininger Tradition )

ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると 「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、相互協力の関係にあった」
とのこと。

1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していたブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。
シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。

音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を 継いでブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そしてケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートからヴァントへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。

なお、アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)とイコールということでは「無い」。

アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えてテンポが変わることがある、ということなんですが、 しかしそれでも結果として「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。

http://www.sakaiyama.jp/conduct_brahms.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%80%8E%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB,%E3%83%A0%E3%82%B9%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82

4. 中川隆[-14087] koaQ7Jey 2022年1月24日 04:58:19 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[5] 報告

■ Performing Brahms ■
Cambridge University Press ISBN : 0521652731
2003.11-2004.01  境山
http://www.sakaiyama.jp/performing_brahms.html

「 Performing Brahms 」

この本、やっと2003年10月出版になりました。

http://books.cambridge.org/0521652731.htm

2002年秋に見た時には2003年1月出版予定だったのが、3月→4月→5月→6月→7月→8月→9月→10月、と 出版予定が遅れた、という・・・。 (私自身は以前丸善へ注文してたので、2003年10月29日にこの本入手しました。 自分は楽器演奏経験の無いリスナーなもので、分からない点を人に伺って教わりながらに なりますので、読んで知ったことをサイトへ反映させるまでには大変時間がかかります。 すみません・・・・・。)

◇◇◇


(1) まず、本の内容詳細はコチラ。この本の編集者であるベルナルド・D・シェルマン ( Bernard D. Sherman ) 氏のサイトへ。
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm

なお、本の入手はしたいがお急ぎではないという方の場合、ネット通販がやはり便利かと思います。

「 Performing Brahms 」@ www.amazon.co.jp


◇◇◇


(2) この本が出る前から私が読みたくて仕方が無かったのが、この第10章。

Chapter 10
In search of Brahms's First Symphony :
Steinbach, the Meiningen tradition, and the recordings of Hermann Abendroth
( Walter Frisch --- アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュ)

自分はシロウトなので残念ながら翻訳出来るほどには キチンとは読めている訳では無いのですが・・・・・。
この Chapter 10 をざっと読んでみると、この章でフリッシュ教授は、

「アーベントロートのブラームス解釈が シュタインバッハの書き込みに一番近く、ビューロー・シュタインバッハから の生きた伝統をアーベントロートは継承した」

と述べています。
そしてこの第10章の要点は、p.294のココだと思いました。 フリッシュはココを言うために色々な根拠を提示した、という感じがします。


[ p.294 , Fig.10.1 ]


Fig.10.1 では

・ビューローからシュタインバッハ、そしてアーベントロートへ、という Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」継承の流れと、

・ブラームスが評価した若手指揮者がシュタインバッハとモットルだったが、そのモットルから アーベントロートは学んだ、

ということに関して記述している。

◇◇◇


(3) 付属CDの内容です。本の巻末の記載から参照。:

1. The Violin Playing of Joseph Joachim
Track 1. Bach : Bourrée (Partita in B minor)
Track 2. Bach : Adagio (Sonata in G minor)
Track 3. Joachim : Romance in C major
2. Brahms : Ein deutsches Requiem
Track 4. Fifth Movement , bars 1-26 : Furtwängler / Musikaliska Sällskapet Kor; Stockholms Konsertförenings Orkester, Kerstin Lindberg-Torlind, soprano (1948)
3. Brahms : Symphonies
Excerpts from Symphony No. 1 : First movement, bars 117-158
Track 5 Abendroth / London Symphony 1928
Track 6 Weingartner / London Symphony 1939
Finale, bars 1-13
Track 7 Abendroth / London Symphony 1928
Track 8 Stokowski / Philadelphia1927
Track 9 Klemperer / Berlin State Opera 1928
Finale, bars 279-302
Track 10 Abendroth / London Symphony 1928
Track 11 Walter / Vienna Philharmonic 1937
Track 12 Furtwängler / Berlin Philharmonic (1945)
Finale, bars 386-396
Track 13 Abendroth / London Symphony 1928
Track 14. Walter / Vienna Philharmonic 1937
Track 15 Furtwängler / Berlin Philharmonic (1945)
Excerpts from Symphony No. 3 , Third movement (to letter C)
Track 16 Clemens Kraus / Vienna Philharmonic 1930
Track 17 Walter / Vienna Philharmonic, 1937
4. Brahms. Piano Music
Track 18 Trio in C Minor, op. 101: opening of the third movement as rendered impromptu by Ilona Eibenschütz (recorded by the BBC, 1952)
Track 19. Ballade in G Minor, Op. 118/3 Ilona Eibenschütz, piano
Track 20. Intermezzo in E minor, Op. 119/2. Ilona Eibenschütz, piano
Track 21. Intermezzo in E flat, Op.117/1. Adelina de Lara
Track 22. Rhapsody in G minor, Op. 79/2. Adelina de Lara.
Track 23. Capriccio in B minor, Op 76/2. Alfred Grünfeld.
Track 24. Waltz in E, Op 39/2. Ilona Eibenschütz;
Track 25. Waltz in E, Op 39/2: Alfred Grünfeld.
Track 26. Waltz in A flat, Op. 39/15: Ilona Eibenschutz, piano
Track 27. Waltz in A flat, Op. 39/15: Alfred Grünfeld
5. Brahms in the Style Hongrois
Track 28. Brahms : Hungarian Dance No 1 in G minor (Johannes Brahms ,piano): cylinder. Digitally remastered by Jonathan Berger.
Track 29. Brahms : Hungarian Dance No. 1 in G minor. (Joseph Joachim, violin)
Track 30. Brahms : Hungarian Dance No. 2 in D minor. (Joseph Joachim, violin)
Track 31. Brahms : Hungarian Dance No.1 in G minor (Leopold Auer, violin)
Track 32. Brahms : Hungarian Dance No.7 in A major: Bronislaw Huberman, violin)
Track 33. Brahms : Hungarian Dance No.6 in E-flat major: Henri Marteau, violin)
Track 34. Brahms : Hungarian Dance No. 5 in G minor (Eugène Ysaÿe: violin)
Track 35. Brahms : Clarinet Quintet, Op. 115, Second movement, bars 52-86 Charles Draper / Lener Quartet,


・「 Performing Brahms 」付属CDの
Brahms in the Style Hongrois  この中で、

Track 28. Brahms : Hungarian Dance No 1 in G minor ( Johannes Brahms , piano )
: cylinder. Digitally remastered by Jonathan Berger.

エジソンがシリンダー方式の蓄音機「フォノグラフ(Phonograph)」を発明したのは1877年。
このTrack 28の録音の当時は蝋管式蓄音機。
1889年にトーマス・エジソンのアシスタントの方がウィーンを訪れて、その時、幸運にも ブラームス自身が Hungarian Dance とシュトラウスのワルツをピアノでひいたので、 蝋管(シリンダー)による録音が一部残ったのだそうです。
このTrack 28は、 Hungarian Dance No. 1 だ、というのは、何とか分かる・・・という程度です。

最初、ブラームス御本人(?)が何かワーワー喋っている様子なんですが 全然分からないので、ドイツ語の堪能な知人(日本人)に伺いますと
「さっぱり分からない」
とのことでした。
(あの声はブラームスのものでは無い、という話も聞いたことがあります。)

「山野楽器:ピアニズムの20世紀」の 「第1回 失われた響き−SP録音最初期のピアニストたち」のこちらの記事では

>ブラームスがエジソンのために蝋管録音した『ハンガリー舞曲』・・・この中で
>「ミスター・エジソン! アイ・アム・ブラームス! ドクター・ブラームス!」と
>甲高い声で叫んでいるブラームスの声

とありました。


◇◇◇

(4)以下は「 Performing Brahms 」が出版される前の、
2003年01月時点で自分なりに調べてまとめた中からの転記。


Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に 師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。
( Brahms in der Meininger Tradition )

ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲 の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると
「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、 相互協力の関係にあった」
とのこと。

1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、 その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。 シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していた ブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。

シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない 部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。 ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、 それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。


音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、 マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を継いで ブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そして ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートから ヴァント、サヴァリッシュへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。


アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) とイコールということでは無い。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えて テンポが変わることがある、ということなんですが、しかしそれでも結果として 「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。

http://www.sakaiyama.jp/performing_brahms.html

5. 2022年1月24日 04:59:17 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[6] 報告

■ アーベントロートと Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) ■
2003.01  境山
http://www.sakaiyama.jp/abendroth_brahms.html

アーベントロートとブラームスに関して調べるうちにたどり着いたキーワードが

Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」

です。

私なりに調べたことなどを、まとめて書いてみたいと思います。


◇◇◇

以下の話へと続く前に、まずお話させて頂きたいのですが、私個人は音楽に関する専門的知識は乏しいので、 楽譜の解釈等に関する話などは専門家の意見や著作物を参照しています。
自分の目についたことだけを材料にして考えると誤解・曲解したりする危険性もあると考えましたので、 知人を通じて音楽をやっておられる方にも伺って、
「 アーベントロートのブラームス演奏 ←←← Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) 」
ということに関し色々と確認をさせて頂いた上で書いています。

◇◇◇

まず、この Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは何かというと、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に 師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだものです。
( Brahms in der Meininger Tradition )

ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲 の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると
「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、 相互協力の関係にあった」
のだそうです。

1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継いだのがシュタインバッハなのですが、マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、 その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラです。 シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していた ブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していました。 シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない 部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。 ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、 それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。

(シュタインバッハからトスカニーニは楽譜の解釈を教わっていたことがあるそうなのですが)
シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは
ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを
「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」
と語った、という話が伝わっているのだそうです。
ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して
「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」
ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。

「ギュンター・ヴァント」
ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳  
(音楽之友社)
P.291-P.297 参照


アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュの著書

「ブラームス4つの交響曲」
ウォルター・フリッシュ ( Walter Frisch )  著  (天崎浩二 訳)
(音楽之友社)

この本で、歴史的録音の中では、ヘルマン・アーベントロートのブラームス解釈が シュタインバッハと色々な点で近い、とウォルター・フリッシュは述べています。
(フリッシュがこの本でアーベントロートの録音に関し触れていたのは、 ロンドン交響楽団とのブラームス交響曲第1番(1928年)と ブラームス交響曲第4番(1927年)の2つ。)

また、ベルナルド・D・シェルマン( Bernard D. Sherman ) は、フリッシュの研究も参照した上で文章を書いており、 アーベントロートの録音には大変関心を持っているようで、(Tahra のTAH 141-142 あるいはTAH 490-491 の) アーベントロート指揮ブラームス交響曲第1番 (1956年1月16日)(バイエルン国立管弦楽団) も聴いている人です。

http://homepages.kdsi.net/~sherman/

シェルマン自身、自分のHPでも書いていますが、 「シュタインバッハの楽譜への書き込み」をノリントン、マッケラスも参考にして Meiningen Tradition のブラームス演奏を試みているけれども、例えば マッケラスの演奏はシュタインバッハの書き込みとは異なる部分もある、等述べており、 シェルマンは、シュタインバッハのブラームス演奏については Meiningen Tradition に直接の 接点が有ったアーベントロートの演奏を大変重視しています。


**「 Performing Brahms 」**
この本が紹介されているページを見つけ、 Contents-Introduction で

In search of Brahms’s First Symphony:
Steinbach, the Meiningen tradition and the recordings of Hermann Abendroth
Walter Frisch

というのを見てから大変読んでみたいと昨年からずっと思っていたのですが、
やっと今年2003年10月出版になりました。
http://books.cambridge.org/0521652731.htm

2002年秋に見た時には2003年1月出版予定だったのが、3月→4月→5月→6月→7月→8月→9月→10月、と 出版予定が遅れた、という・・・。 (私自身は以前丸善へ注文してたので、2003年10月29日にこの本入手しました。 自分は楽器演奏経験の無いリスナーなもので、分からない点を人に伺って教わりながらに なりますので、読んで知ったことをサイトへ反映させるまでには大変時間がかかります。 すみません・・・・・。)

内容詳細はコチラ。
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm

なお、本の入手はしたいがお急ぎではないという方には、コチラ。

http://www.amazon.co.jp/


◇◇◇

音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいのですが、 マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を継いで ブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そして ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートから ヴァント、サヴァリッシュへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのことです。


なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていないらしいです。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。 (シュタインバッハ先生は大変厳しい先生だったようで、教えて貰いにいっても結局逃げ出す 指揮者もいたそうで、その中で、アーベントロートはシュタインバッハからケルンの ギュルツェニヒ管弦楽団を引き継いでますので、どういう師弟関係だったのでしょうか・・・。)


ただ、伺った話によると アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) とイコールということでは無い様です。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えて テンポが変わることがある、ということなんですが、しかしそれでも結果として 「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのことです。


【参照】

■マイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )

***1880年、マンハイムの君侯ゲオルグはハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)を、 「好きなだけ練習を行って良い、楽員の解雇権限をビューローに与える」、 という条件でマンハイム劇場における楽団・マイニンゲン宮廷楽団 ( the Meiningen Court Orchestra )へ指揮者として招く。
このマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra ) は48人での構成で、ビューローが納得するまでとことん練習を積み重ね、演奏会では暗譜で演奏した。 レパートリーの中心はベートーヴェン、当時の習慣で楽譜は部分的に改訂されたものが使用された。 全ヨーロッパを演奏旅行した最初の楽団であり、その緻密なアンサンブルにより高く評価を受けた。

1881年、ビューローはブラームスにこのオーケストラを作品発表するオーケストラとして 提供し、このオーケストラを高く評価したブラームス自身も指揮する機会を持った。 1885年、ビューローとブラームスは演奏旅行の際に仲違いし、個人的な関係は以後疎遠になるが、 しかしそれでもビューローはブラームス作品を評価しており、生涯に渡って取り上げ指揮している。
1886年、ビューローからこのマイニンゲン宮廷楽団をシュタインバッハ (1881年から既にマイニンゲン宮廷楽団を指揮していたようです) が引継ぎ、1903年まで指揮した。 シュタインバッハはブラームスの指揮を手本にして演奏、ブラームス自身も シュタインバッハのブラームス演奏を評価。 (なお、このマイニンゲン宮廷楽団でR.シュトラウスが1884年に指揮者デビュー、 1885年この楽団の副指揮者になり、1886年マイニンゲンを去っている 。) ***


■ハンス・フォン・ビューローとハンス・リヒターのブラームス演奏

***ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)もハンス・リヒター(1843-1916)は、両者共に ブラームスの交響曲を積極的に取り上げており、ブラームスも彼らの演奏を聴いています。
(ブラームスの交響曲第2番・第3番の世界初演をウィーンで行ったのはリヒターでしたが) リヒターによるブラームスの交響曲の演奏をブラームス自身は好まなかったそうです。 ブラームス自身はテンポ・リズム・フレージングが柔軟なことを好み、自分が指揮する際にも その様に演奏したそうなんですが、そのブラームスでも、ビューローはかなり自由に 「やり過ぎている」ために頭を悩ませていたそうで、一方ビューローは、ブラームスからは 好きに演奏していいと言われていた、と話していたとか。2人の間に「どこまで自由にやって OKか」ということに関してずれがあったようです。 しかしそれでも、作曲家自身はリヒターよりはビューローの演奏をむしろ好んでいたとのこと。 ***


■フリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)

***1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継ぎ、1903年まで指揮した。
なお、シュタインバッハは1903年〜1914年の間はケルンのギュルツェニヒ管弦楽団で指揮しているが、 この時期にアーベントロートはシュタインバッハと直接の接点があったようです。
(アーベントロートはシュタインバッハの後を引き継いで 1914年から1934年の間ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。 なお1946年から1974年までヴァントはケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のカペルマイスターを務めている。) ***


■アーベントロート指揮ブラームス交響曲第1番 (バイエルン国立管弦楽団)1956年1月16日

***他と演奏スタイルが大変異なる、ということで、 アーベントロートについて触れられることの多いブラームス交響曲第1番の録音、
アーベントロート指揮「 ブラームス 交響曲第1番 」
(1956年1月16日)(バイエルン国立管弦楽団)
以前ディスク・ルフランで発売され、TAHRAからはTAH141/142で出ていましたが、 昨年2002年末にTAH 490/1という番号で再プレスされています。 (なお、CD-RではRE DISCOVER RED 34で入手可能。) ***

 
(初稿UP)2003.01

(「 Performing Brahms 」に関し一部加筆)2003.11

(一部追記)2006.04

http://www.sakaiyama.jp/abendroth_brahms.html

6. 中川隆[-14086] koaQ7Jey 2022年1月24日 05:02:27 : 0ZgG7Lev5Y : NEJNVjVPL3B6Skk=[7] 報告
about Abendroth
Since 2002.08.24
http://www.sakaiyama.jp/index.html

Hermann Abendroth (ヘルマン・アーベントロート)
(1883年01月19日生〜1956年05月29日没)
について、自分なりに調べて知ったこと、分かったことを、
覚え書としてまとめてゆくホームページです。

参照した資料はこちら --> reference.html


指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」については
こちら --> conduct_brahms.html


Hermann Abendroth _____ Profile
(* 19.01.1883 Frankfurt/Main; † 29.05.1956 Jena)
(1883年-1934年)
(1934年-1945年)
(1945年-1956年)

Naxosで聴けるアーベントロート
Naxos Classical Archivesで聴ける、アーベントロート指揮の録音一覧。

Jube-NML1208 グレート・コンダクターズで、シュターツカペレ・ベルリンとのグレーナー「コメディエッタ」、 ドホナーニ「女ピエロのヴェール-婚礼のワルツ」が聴けます、要チェック。

http://ml.naxos.jp/artist/43334

YouTubeで聴けるアーベントロート
YouTubeで、アーベントロート指揮のSP、LPの録音をUPして下さった方々が居られます。感謝
z650さんがUPされた
1922年アーベントロート指揮ベルリンフィル・ベートーヴェン交響曲第1番第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=I6m5okCj1Yg
これはまだCD化されていない録音ではないかと思います。

つっちぃさんがUPされた
1930年代アーベントロート指揮リスト・ハンガリー狂詩曲第1番、英Parlophone E11334
http://www.youtube.com/watch?v=Y1PoBmdMeqU
凄い楽しめる音。

(リスト・ハンガリー狂詩曲第1番はODEON O-7734&7887のがRICHTHOFEN DISCというCD-Rレーベルから以前出てましたが、そっちは 残念ながら余り音がよろしくない。)

注目サイト
50. Todestag von Hermann Abendroth (DRA)

DRA(Deutsches Rundfunkarchiv)のサイトで、Hermann Abendrothに
ついてのPDFファイルが22ページ出ています。
内容凄いです。
まだCD化されていないと思われる録音がここに沢山載っています。

ちなみに、2003年はアーベントロート生誕120周年、2006年はアーベントロート没後50年でした。 アーベントロート指揮の歌劇の録音とか(録音状態によっては、全曲・・・は難しいかもしれないので抜粋版で)、 DRA(Deutsches Rundfunkarchiv)で既に把握していてサイトでもリストが出ているこれらの録音などが、 もっとどんどんCD化されるといいのですが。

アーベントロートの本
Hermann Abendroth. Ein Musiker im Wechselspiel der Zeitgeschichte
Dr. phil. Irina Lucke-Kaminiarz
(www.amazon.co.jpで2011年2月時点では604円、2009年06月には1,709円でした。)

アーベントロートのバイオグラフィー、ついに2007年5月末ドイツで出版。
www.amazon.deではEUR 12,90。
写真、演奏会でのプログラムなど情報満載。
アーベントロート・ファン必見の本。

ヘルマン・アーベントロートの新譜情報
2017/04/25更新 New!
ヘルマン・アーベントロート 新譜情報
今後出る予定の&既に出たヘルマン・アーベントロートのCD情報はコチラ。
ヘルマン・アーベントロートCDリスト
Hermann Abendroth Discography(レーベル別)
レーベル別CDリストの入り口はコチラ。

Gerhard Taschner (ゲルハルト・タシュナー)
2009/08/22更新
Gerhard Taschner Cd List
アーベントロートも好きですがタシュナーも好きです。CDリストはコチラ。


(アーベントロート生誕120周年にあたる2003年1月19日よりカウント)

http://www.sakaiyama.jp/index.html

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