古典の磁場の中で:その1 5曲のメンデルスゾーン https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961526877?org_id=1961576346 これから主にメンデルスゾーンやブラームスのことを書いていきたいと思うのですが、なにしろここ数年の忙しさに加えてこの暑さなので頭が思うように働かず、細切れにしか書けそうにありません。つぶやき同然の内容の薄さになりそうですが、なにとぞご容赦いただけましたら幸いです。 メンデルスゾーンの交響曲は少年時代にまとめ書きされた弦楽のための交響曲のあとに5曲書かれていますが、うち1番を除く4曲には標題がつけられています。番号順に記すと2番「賛歌」3番「スコットランド」4番「イタリア」5番「宗教改革」で、うち「スコットランド」と「イタリア」がメンデルスゾーンの交響曲における代表作となっているのは、やはり国名というわかりやすい標題の力によるところも大きいのでしょう(そしてこの2曲を比べれば人気や演奏頻度の点で「イタリア」が抜きんでているのは確かだといえそうです) けれどこの2曲に限らず、メンデルスゾーンの曲は意外に演奏が難しいというか、なかなか満足のいく演奏に出会えないような気がします。その理由もまた「イタリア」の場合より明確に出ていると思うのですが、たとえば技術が高いとはいえないアマオケがそれでもがむしゃらに頑張ると、ベートーヴェンなら曲想との兼ね合いで様になる場合もあるわけですが、メンデルスゾーンではそうはいかない。ボロボロでも熱気があればなんとかなる音楽ではありませんし、傷がなくてももっさりしてたらやはり様にはなりません。第3楽章がスケルツォではなく流麗な古典舞踊調になっている点に端的に表れているとおり、余裕をもって洗練美を表せなければどうにもならないところがあります。特に古典的な形式に則った1番と4番「イタリア」および5番「宗教改革」にそれが強く出ています。 その点で微妙なのが2番「賛歌」と3番「スコットランド」ですが、そのことを考えるにはこれら5曲の作曲順を整理しておく必要があります。当時の作曲家にしばしば見られたことですが、メンデルスゾーンのこれらの交響曲は作曲の順番ではなく楽譜が出版された順に番号が割り当てられていて、しかも「イタリア」と「宗教改革」の出版は没後。なんと現在最も人気のある「イタリア」を作曲者自身は出版していなかったのです。ともあれ作曲された順に並べ替えれば1番、5番「宗教改革」、4番「イタリア」、2番「賛歌」、最後が3番「スコットランド」という順になり、しかも「イタリア」は何度も改訂が加えられ、「スコットランド」は「賛歌」よりはるか以前に着手されたにもかかわらず長い中断を経て「賛歌」の2年後にようやく完成をみています。つまりメンデルスゾーンのこれら5曲は古典的な形式にきちんと則った1番、5番、4番の後に、楽章の数は4曲でも古典的とはいいがたい要素が含まれた3番が中断を挟みつつも書かれる間に最後に着想された2番が先に完成をみているのです。2番がベートーヴェンの9番から前半は器楽のみで後半に声楽が加わるとのアイデアだけ借りてはいても、それ以外は似たところなどまるでない曲になっていることを思えば、あるいはメンデルスゾーンはどこかの時点で古典様式からの脱却を目指しつつ、調和のとれた形でそれをなしとげようとしていたのではないかという気がするのです。「スコットランド」が全曲を切れ目なく続けるよう指示しつつなお着想当初の4楽章制を捨てずにいたことも、その表れだったのかもしれないと。彼流の古典交響曲のいわば完成形であり現に最大の人気曲である「イタリア」を出版せず、難産の末に「スコットランド」を自身最後の交響曲として送り出したメンデルスゾーンがなにを望んでいたのかは、早すぎた彼の死によって永遠の謎になっています。 「イタリア」の演奏が難しいのは要求される技術の高さゆえですが、「スコットランド」の曲想はそこまでの洗練を求めていません。その曲想がもっさりした演奏でも様になるのは「イタリア」ではさすがに評価されないクレンペラーが少なくとも我が国では半世紀たった今でも決定盤の地位を失わないことに表れていると思います。むしろ「スコットランド」の演奏の難しさは何者かになろうとして果たせなかったメンデルスゾーンの過渡的な姿が、残された曲に反映しているからではないかと思うのです。それが過渡的な形であるがゆえにそのまま再現してもなかなか説得力に繋がらない、そういう種類の難しさをこの曲に感じてしまうのです。 僕にとってこの曲の初めてのレコードはクレンペラーと並んで有名だったマーク/ロンドン響によるデッカ盤でしたが、それを聴いた時点でこの曲の難しさめいたものを漠然とながら感じずにいられなかったものでした。その後クレンペラー/フィルハーモニア、コンヴィチュニー/ゲヴァントハウスなど評価の高かった60年代の名盤からギブソン/スコティッシュ・ナショナル、ドホナーニ/ウィーンフィルなど70年代の新録音まで聴いてみたのですが、どれもあちらを立てればこちらが立たずという趣で、しかもすれすれで的を外しているようなもどかしさが拭えないというのが実感でした。そんなときに巡り会ったのがSP時代の、それも電気吹き込みが始まったばかりの1929年収録という、今では90年前の録音にならんとしているワインガルトナー/旧ロイヤルフィル盤だったのです。 コメント mixiユーザー2017年07月15日 09:19 残月◯゜様おはようございます。
もうかなりの間まとまった時間がとれずにいるため、本当はきちんと聴き比べたい音源も続けて聴けず日にちの開いた記憶頼りになるのが忸怩たる思いですが、印象論にすぎなくても一度は整理しておきたいと思い、書き始めることにいたしました。今後ともよろしくお願いいたします。 mixiユーザー2017年07月17日 19:24 メンデルスゾーンについては、ベートーヴェンからシューベルトを経たドイツの交響曲の系譜をシューマンと共に支えた作曲家、という印象を持っています。 メンデルスゾーンが初演を振ったというシューベルトの大ハ長調、やっぱり彼もシューマンと同様に興奮しながらスコアを読み込んだのでしょうか。 ブラームスについては、色々思うところあって(今書いている拙作にブラームスの一番が出てくることが大きな理由です)どのようなご意見を読ませていただけるか大変気になっております。 個人的には、ブラームスはワーグナーと正反対の方向を向きながらも実は同じ場所に背中合わせで立っていた作曲家ではないかと愚考する次第であります。 ワーグナーが楽劇の題材にゲルマン民族の伝説に行きついたことと、ブラームスが純音楽を突き詰めた結果バロックの技法に至ったことはどこか似ていると思うのです。……そういえば、ワーグナーのライトモティーフとブラームスの交響曲の一部の書法、どちらもバッハの対位法から学んだものが多かったような……? mixiユーザー2017年07月17日 20:58 Astray様こんばんは。 なにしろ同じ時代に活躍した人同士の組み合わせですから、メンデルスゾーンとシューマンや、ワーグナーとブラームスの音楽史的な立ち位置が近いのは確かに当然のことであって、その上での両者の違いにこそ注目すべきとのご意見には大きく頷けるものがあります。御作『吹雪のころに』にもブラームスの1番と並んでワーグナーの「巡礼の合唱」が重要な役割を担っていましたが、それらと共にバッハの「パルティータ」もまた登場するあたり、今回のコメントにその3者が登場するのもむべなるかなと感じるところです。 まずメンデルスゾーンとシューマンについては、メンデルスゾーンの5曲からはメンデルスゾーンがどこかへ行こうとしていたこととその方向性が窺えるように思えるのに対し、シューマンの4曲からはそういう感じがあまりしないのが対照的なことと感じられます。最後の交響曲となった3番「ライン」がベルリオーズの「幻想交響曲」とマーラーの5楽章交響曲を橋渡しする、中間楽章が折り返し点になっているタイプの5楽章形式なのが目を引きますが、ではシューマンがそれをより深めようとしていたとまでいえるのかといえばそこまでは無理とも感じるのです。 ブラームスについてはワーグナーというより、メンデルスゾーンとチャイコフスキーがブラームスを挟んで対照的な位置にいるような気がします。SP時代にブラームスの全集をいち早く録音したのがストコフスキーとワインガルトナーでしたが、チャイコフスキーを得意としたストコフスキーとチャイコフスキーの録音を残さずわずか1曲とはいえメンデルスゾーンで水際立った演奏をものしたワインガルトナーとの違いが2人のブラームスには聴き取れるように思えるのです。 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961526877?org_id=1961576346 ▲△▽▼ 古典の磁場の中で:その2 2つの疑似ステレオ技術 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961576346?org_id=1961526877 僕が買ったワインガルトナーによる復刻盤LPは78年のキャニオンレコードによるもので、アルティスコというレーベル名称による一種の疑似ステレオ盤でした。当時ベートーヴェンの8番と9番くらいしか現役盤がなかったワインガルトナーの、9曲のベートーヴェン全集がEMIと踵を接するように一気に発売されたのが77年でしたが、EMIがそれだけで終わったのに対してアルティスコは続いてブラームス全集を出し、その後登場したのがこのメンデルスゾーンだったのです。その他にSP初期の伝説的な指揮者フランツ・シャルクの録音をLP3枚に集成したのもシベリウスの同時代人ロベルト・カヤヌスが指揮したシベリウスの1番と2番を復刻してくれたのもこのレーベルでした。 僕がアルティスコのワインガルトナーに手を出したのはアートフォン・トランスクリプションと銘打たれたアルティスコの復刻技術がどんなものかという興味と現役盤の点数が少なかったこの指揮者の全体像がこれで掴めるのではないかという思いが半々という感じでしたが、その下地になっていたのがGR盤と呼ばれる当時のEMIの復刻シリーズのあまりの音の悪さでした。ノイズ除去を意識するあまり高域をばっさりカットしていたGR盤の音は当時鼻をつまんで出す声にたとえられていたほど評判が悪く、僕もGR盤を聴くときはドルビーBをかけてカセットテープに録音した上で、再生時はドルビーをかけずに聴くという裏技で高音を足していたものです。EMIから出た全集のほうは懇意にしていたレコード店でGR盤より改善されているといわれたので店で試聴させてもらった上で買いましたが、そのEMIよりアルティスコ盤は序曲などが収録されている点でも勝っていたので、結局アルティスコ盤も買った上で聴き比べたのでした。そのとき気づいたのが盤面にはMONOと記されたEMI盤の解説書の最後に記された「このレコードは最新の技術によりステレオ化されています」という注意書きで、これが1本の針で2本の溝を盤面に刻みかつ再生するというステレオLPの仕組みでは、左右に厳密に同じ信号を記録再生することができないという問題に2つの会社がそれぞれの立場で取り組んでいることを僕に知らしめたのでした。同じ信号を同じに記録再生できないからこそ、左右の信号を変える必要がある。違っていても正確に記録再生できているわけではないが、変えておくことで同じでなければならない信号が不揃いに記録再生されてしまうことの弊害からは逃れられる。そのことに両社が気づいていたことが2つのワインガルトナーのベートーヴェン全集の盤面には文字通り刻まれているのです。 EMIの方はモノラル信号に僅かに位相差を加えて音像を広げつつ、高域になるほどズレが出やすい針1本での録音再生機構の限界を逃れようとしたもので、聴感上の違和感を最小限に抑えることが優先されていましたが、アルティスコ盤は高音を左、低音を右に配することで高弦が左、低弦が右に定位するところまで加工されていたのです。そのためアルティスコにはヴァイオリンが左右に配置されていた当時の歴史的事実を歪曲するものと批判がなされ、そのせいかワインガルトナーのスコットランドを最後に新譜が出なくなってしまったのでした。 その批判は確かに的を射たもので同じことを感じないわけではありませんでしたが、それでもなお両者を聴き比べれば総合的にアルティスコ盤が勝っていると僕には感じられたのでした。再生周波数により定位を定めてゆくという加工は当然ながら周波数バランスへの注意深さを要求するものであり、まだRIAA規格が存在せず各社がバラバラの録音再生カーブを用いていたSP音源の音を整える結果にもつながっていたからです。EMI盤が音色の面ではいささか明るすぎ古い電蓄タイプのスピーカーでないと金属的な印象に繋がりかねなかったのに対し、アルティスコ盤は当時の新しい機材で聴いても各楽器の音色がよりそれらしく鳴る点ではるかに上回っていたのです。これは当時英デッカがエクリプスレーベルとして発売していた廉価シリーズにおける疑似ステレオ盤にもいえることで、記録再生カーブがRIAAでなかった同社のモノラル音源があれほどリアリティのある音色で聴けたのも、疑似ステレオ化の作業に伴う周波数特性の調整があったからこそだと思うのです。 ともあれアルティスコの復刻は楽器の定位こそ本来のものではないにせよ、ステレオLPという環境にモノラル音源を徹底的に最適化させることにかけてはデッカのエクリプスシリーズと並ぶ絶後の成果を成し遂げたものでした。それあればこそ、あのときワインガルトナーの「スコットランド」は半世紀の時を越えその真価を伝えてくれたのだと思うのです。 コメント mixiユーザー2017年07月17日 20:40 興味深い内容です。そういえば、デッカエクリプスの、ベーム=VPOのシューベルト8番、5番の演奏も録音も好きで、あとで疑似ステと知ったのですが、処分しがたく未だに持ってます。やっぱ良盤なのかなー。 mixiユーザー2017年07月17日 21:25 こめへん様こんばんは。 デッカのエクリプスシリーズは当時帯と日本語解説書を輸入盤に付け足してなお500円台という破格の安さでしたから僕も随分買い込んだものでしたが、ステレオ音源はもちろんモノラル音源がとにかくすばらしい音で、ステレオカッターでカッティングされたモノLPとは次元の違う彩りの豊かさでした。ステレオ針でモノラル音源をカッティングし再生することの原理的な難しさに気づきつつあった僕にとって、エクリプスシリーズ中の擬似ステレオ盤は大きな啓示ともなった存在だったのです。 おそらくデッカのffrr録音は周波数特性を見直さない愚直な鮮度最優先の復刻では決して本来の色彩感の再現ができないことと思いますので、そのベームのシューベルトは手放さないことを強くお勧めいたします。 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961576346?org_id=1961526877 ▲△▽▼
古典の磁場の中で:その3 ワインガルトナーの示唆 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961613276?org_id=1961613015
LP復刻当時すでに録音から半世紀。今では90年前の音源になりつつあるワインガルトナーの「スコットランド」 にもかかわらずこの演奏を抜きにしてこの曲を、ひいてはメンデルスゾーンという作曲家を語ることは僕にはできそうにありません。彼の「スコットランド」は他の演奏とは考え方が根本的に異なるものでした。それほど僕にとっては啓示的なものでした。 現在聞ける多くの演奏で「スコットランド」の第1楽章は序奏を持つ古典交響曲とみなされていて、序奏と主部の区分を明瞭につけようとする一方で主部のテンポを極力一定に保つことに力が注がれています。確かに外見上この第1楽章はそのような形式で書かれており、古典交響曲の約束事を当てはめればそういう演奏になるのは当然すぎるほど当然です。でもそうするとこの音楽がなにを語っているのかはとたんに見えなくなるのです。本来なら形式的な見通しがついて当然の措置がなされているにもかかわらず、とくに主部の数多くの楽想が口をつぐんでしまうのです。 ワインガルトナーは序奏を速め、主部を遅めに演奏して落差を小さくする一方で、主部の楽想が変わるごとに固別のテンポを与えています。それはどんな小さな変化も見逃さないほど徹底したものでありながら、それが煩わしさにつながることは決してありません。彼の時代の大指揮者たちに共通する特徴との2つの違いがそれを阻んでいるからです。決して旋律を粘らせないことと、テンポの振れ幅が抑制されていることです。 当時の大指揮者たちのほとんどは、自分が感じたものを100%、むしろ150%や200%まで表現せずにはいられない人々でした。たとえばメンゲルベルク、ストコフスキー、フルトヴェングラーなど、それぞれ本質も芸風も異なる人々ですが、その点だけは共通していたのです。だからこそ彼らの演奏はSPの音質を通じてさえ雄弁さを発揮し、それが彼らの実演に接することができぬ人々へも名声を広げることになったのでした。彼ら3人がベートーヴェンと同等かそれ以上にチャイコフスキーの録音で名声を博していたのは偶然ではありません(今では信じ難いことですが、戦前に発売されたフルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲は「運命」ただ1曲だけでした。もちろんそれは当時最も優れた「運命」とされたレコードでしたが、同時期に録音された「悲愴」もまたメンゲルベルクと決定盤の座を争う1枚だったのです) ワインガルトナーの流儀はそれら当時の大指揮者たちと正反対とさえいえる、感じたものを100%出し切るというより抑制を尊ぶものでした。どんなに小さな曲想の変化にも敏感に反応しているにもかかわらず、当時の同僚たちのようにそれを強調するのではなく控えめに表現することでさりげなく聴かせようとしているのです。そのことで彼の演奏は指揮者の意志力で曲を背後から駆り立てるというよりは変化に伴い受け身に変わってゆくようなものになっていて、柔構造めいた融通無碍な流動性を示しつつも均整美を見失うことがありません。多くの指揮者たちがこの曲を古典的な形式の枠組みの中に連れ戻し閉じ込めることで失われる風のような自在さを保ちつつ、この曲が痕跡のように残している古典的な形式感をも決して裏切らないのです。この「スコットランド」という曲の特質にこれほど寄り添い、その独自性をかくも見事に描き出した演奏には他に出会ったことがありません。この曲のあるいは最初の録音だったかもしれないワインガルトナーの古い古い録音が、にもかかわらず伝えてやまぬ名人の一筆書きのような草書の美。それは僕に風を連想させずにおかず、ひいてはかつて陰謀劇の舞台となった古城の前に佇むメンデルスゾーンが耳にしたかもしれぬ風の声、古の戦いの鬨の谺や悲愁の織りなす無常の響きの幻想にさえ誘う力を盤面に留めているのです。 なぜこんな演奏が可能だったのか。これはもう頭で考えた結果というよりワインガルトナーその人の美意識や人間性がメンデルスゾーンのそれに近かったのだと考えるべきもののような気さえします。たとえばロンドン響時代のアバドがDGから出した全集録音は5曲の交響曲の変遷の行く先を考察していることが窺える点において極めて興味深いものですが、それゆえ考え抜いた末に決定された解釈という感触もつきまとい、およそ融通無碍からは遠い演奏なのも決して否定はできないのですから。 そんなワインガルトナーが一人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集を最初に完成させたということは、当時における彼のベートーヴェン演奏が今からは想像し難いくらい高く評価されていた証であるだけでなく、往時のベートーヴェン像や美意識がその後のものとは異なるものだった可能性をも示唆しているような気もします。ストコフスキーはいうに及ばず、メンゲルベルクやフルトヴェングラーさえセッション録音だけではその生涯にベートーヴェンの9曲全部を遺せなかったことを思えば、当時ワインガルトナーの扱いは破格だったとしかいいようがありません。 ワインガルトナーはベートーヴェンに対してもメンデルスゾーンと同じ姿勢で接していますが、結果としての演奏ではテンポの動きがより控えられ古典的な輪郭が前面に打ち出されている点に受け身の姿勢だからこそキャッチしているものもあるのだと感じさせるのがこの人ならではで、ベートーヴェン特有の粗野な迫力が均されているきらいはあるものの、それが当時の美意識だったとの確かな手応えも感じさせます。そして大戦中の1943年にスイスで亡くなったワインガルトナーの時代の美意識がしだいに消えゆくしかなかったことも。 ステレオ初期のベートーヴェン全集には、ワインガルトナーの面影を感じさせるものがそれでもまだありました。弟子であったクリップス/ロンドン響をはじめクリュイタンス/ベルリンフィルやS=イッセルシュテット/ウィーンフィルなどどれも無理にスケールを広げすぎず、端正な造形と当たりの柔らかさを多かれ少なかれ感じさせるもので、それがワインガルトナー的美意識がいかに当時の音楽土壌に深く根を下ろしていたかの証だったとも思えます。けれどそれらはやがてよりスケールの大きさや堅固な骨格、ひいてはベートーヴェンならではの先鋭さを重視する演奏に置き換えられていったのです。70年代末に当時シドニー響の指揮者だったオッテルローの交通事故死で未完成に終わったベートーヴェン集がメモリアルとして後に出たとき、僕にはこういう美しいベートーヴェン演奏の時代が終わったことを示す墓碑銘にさえ見えたものでした。 現在一般のクラシックファンはいうに及ばず、ヒストリカル録音の愛好家たちの間でさえワインガルトナーへの関心は高いとはいえません。SP録音時代の発売点数ではトップクラスの存在であったにもかかわらず、ウィーンフィルとの組み合わせの音源を除けばほとんどはめったにCD化されず、新星堂がまとめて復刻した大全集も再評価の動きには繋がりませんでした。往年の大演奏家たちの多くが出所の怪しいライブ録音や放送録音まで探索の対象となっている中、ワインガルトナーだけは全くそんな音源が出てこないというのはもはやただごととは思えませんが、それはやはり誇張を体質的に忌避する彼の音楽性が、整った美演よりも八方破れの爆演をむしろ尊ぶ愛好家たちの嗜好とそれだけずれているからだとも感じるのです。 そしていま、マーラーがかつてなく聴かれるようになったこの日本において、聴き手のメンデルスゾーンへの関心は反比例的に低くなっているとも見えるのですが、僕にはそれがワインガルトナーへの関心の低さとどこかで繋がっているように思えてなりません。そしてストコフスキーやメンゲルベルクはもとよりナチスドイツに留まったせいで長らくマーラーを演奏できなかったフルトヴェングラーでさえ1曲だけとはいえマーラーの録音を遺している一方で、ワインガルトナーはマーラーのみならずチャイコフスキーの作品さえ録音していないのです。 メンデルスゾーンが古典的なスタイルから脱却し始めたとき、彼が目指した道はチャイコフスキーやマーラーへと続くものではおそらくなかったのではないだろうか。ワインガルトナーによる「スコットランド」の古いSP録音は、そんなことまで示唆するもののように思えてなりません。作曲家でもあったワインガルトナーには7曲に及ぶ交響曲があり海外では全集録音が出ていると伝えられていますが、穏健な作風と評されているのがいかにもと思えると同時に、あるいはそれがメンデルスゾーンのたどり着けなかった道を示しているかもしれないとも考えたりしている次第です。 そしてそんなワインガルトナーが4曲のブラームスを録音したほぼ同じ時期にストコフスキーも全集を完成したということは、ブラームスの音楽がメンデルスゾーンとは異なり分かたれた道のどちらからもアプローチ可能なものであることの証ではないかとも。 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961613276?org_id=1961613015 ▲△▽▼ 古典の磁場の中で:その4 「スコットランド」のCD群 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961808860
暑さバテで夏風邪を引き寝込んだ機に、まずは全集に含まれる「スコットランド」を聴きつつCDで持っているものを引っ張り出してきたら、下記のような仕儀と相成りました。まだこの他にマークの3種類とジンマン、O・ドホナーニ盤があるのですが、ケースがどこに紛れ込んだものか出てきません。またLPでしか持っていないものではモノラルのゲールやクレツキ、ステレオのミュンシュ、ドラティ、コミッショナー、オーマンディ、ギブソンなどがあります。 これらをとっかえひっかえ聴いていると、どうやらこの曲では全曲の中で第3楽章の長さのぶれ幅が大きく、その組み合わせが解釈面でのバリエーションを生み出しているようにも思えてきたので、例によってCDで聴けるものの演奏時間を整理することにいたします。数も数ですし熱もあるので、これらをどういう形で整理するかはもう少し時間をかけて考えようと思っています。 第1楽章提示部の反復がない盤(19枚) ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP 12:20/04:13/08:16/08:51 計33:40 序奏2:40(21.6%) (36.6%・12.5%・24.6%・26.3%) ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP 11:15/03:45/09:33/07:19 計31:52 序奏3:07(27.7%) (35.3%・11.8%・30.0%・22.9%) スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル 12:07/04:12/08:43/08:46 計33:48 序奏2:58(24.5%) (35.9%・12.4%・25.8%・25.9%) クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル 13:17/04:18/10:13/10:15 計38:03 序奏3:17(24.7%) (34.9%・11.3%・26.9%・26.9%) マーク/ロンドン響(1958年) 13:12/04:10/11:03/09:35 計38:00 序奏3:41(27.9%) (34.7%・11.0%・29.1%・25.2%) クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年) 15:22/05:14/09:35/11:47 計41:58 序奏4:00(26.0%) (36.6%・12.5%・22.8%・28.1%) バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年) 13:08/04:19/11:36/09:13 計38:16 序奏3:52(29.4%) (34.3%・11.3%・30.3%・24.1%) アバド/ロンドンSO(1967年) 12:42/04:15/10:12/09:24 計36:33 序奏3:29(27.4%) (34.8%・11.6%・27.9%・25.7%) カラヤン/ベルリンPO(1971年) 13:57/04:25/11:48/09:24 計39:34 序奏3:49(27.4%) (35.2%・11.2%・29.8%・23.8%) マズア/ゲヴァントハウスO(1972年) 13:23/04:25/08:08/10:16 計36:12 序奏2:46(20.7%) (37.0%・12.2%・22.5%・28.3%) C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年) 13:24/04:30/09:23/09:24) 計36:41 序奏3:34(26.6%) (36.5%・12.3%・25.6%・25.6%) シャイー/ロンドンSO(1979年) 14:31/04:25/11:55/10:07 計40:58 序奏4:03(27.9%) (35.4%・10.8%・29.1%・24.7%) I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年) 13:45/04:28/09:42/09:45 計37:40 序奏3:19(24.1%) (36.5%・11.8%・25.8%・25.9%) C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年) 12:30/04:22/08:18/08:54 計34:04 序奏3:16(26.1%) (36.7%・12.8%・24.4%・26.1%) 広上淳一/日本PO(1990年) 14:34/04:30/10:50/11:46 計41:40 序奏3:18(22.7%) (35.0%・10.8%・26.0%・28.2%) フロール/バンベルクSO(1991年) 13:03/04:31/09:38/09:18 計36:30 序奏3:32(27.1%) (35.7%・12.4%・26.4%・25.5%) マーク/マドリード響(1997年) 14:07/04:32/10:17/10:45 計39:41 序奏3:41(26.1%) (35.6%・11.4%・25.9%・27.1%) デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年) 12:39/04:25/09:09/10:04 計36:17 序奏3:08(24.8%) (34.9%・12.2%・25.2%・27.7%) 村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年) 13:35/04:16/10:10/09:34 計37:35 序奏3:37(26.6%) (36.1%・11.3%・27.1%・25.5%) 第1楽章提示部の反復がある盤(11枚) サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年) 15:22/04:18/09:28/09:43 計38:51(反復あり) (39.5%・11.1%・24.4%・25.0%) 12:21/04:18/09:28/09:43 計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%) (34.5%・12.0%・26.4%・27.1%) アバド/ロンドンSO(1984年) 16:54/04:02/11:27/09:55 計42:18(反復あり) (40.0%・9.5%・27.1%・23.4%) 13:46/04:02/11:27/09:55 計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%) (35.2%・10.3%・29.2%・25.3%) マーク/ベルン響(1986年) 17:15/04:18/10:39/10:40 計42:52(反復あり) (40.2%・10.0%・24.9%・24.9%) 13:56/04:18/10:39/10:40 計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%) (35.2%・10.9%・26.9%・27.0%) マズア/ゲヴァントハウスO(1987年) 14:38/04:18/09:25/09:30 計37:51(反復あり) (38.7%・11.3%・24.9%・25.1%) 12:08/04:18/09:25/09:30 計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%) (34.3%・12.2%・26.6%・26.9%) アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年) 16:14/04:12/08:51/09:17 計38:34(反復あり) (42.1%・10.9%・22.9%・24.1%) 13:17/04:12/08:51/09:17 計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%) (37.3%・11.8%・24.8%・26.1%) 堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年) 14:33/04:21/09:46/09:59 計38:39(反復あり) (37.6%・11.3%・25.3%・25.8%) 11:37/04:21/09:46/09:59 計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%) (32.5%・12.2%・27.3%・28.0%) 内藤彰/東京ニューシティO(2007年) 15:05/04:17/08:39/08:58 計36:59(反復あり) (40.8%・11.6%・23.4%・24.2%) 12:06/04:17/08:39/08:58 計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%) (35.6%・12.6%・25.4%・26.4%) シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年) 14:35/04:11/08:34/09:02 計36:22(反復あり) (40.1%・11.5%・23.6%・24.8%) 11:53/04:11/08:34/09:02 計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%) (35.3%・12.4%・25.5%・26.8%) 沼尻/日本センチュリー響(2013年) 16:21/04:27/10:08/10:02 計40:58(反復あり) (39.9%・10.9%・24.7%・24.5%) 13:15/04:27/10:08/10:02 計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%) (35.0%・11.7%・26.8%・26.5%) 有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年) 16:36/04:17/09:25/09:51 計40:09(反復あり) (41.3%・10.7%・23.5%・24.5%) 13:35/04:17/09:25/09:51 計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%) (36.6%・11.5%・25.4%・26.5%) ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年) 16:42/04:13/09:49/10:01 計40:45(反復あり) (41.0%・10.3%・24.1%・24.5%) 13:27/04:13/09:49/10:01 計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%) (35.9%・11.2%・26.2%・26.7%) こうやってみるとやはり第3楽章のテンポが最も演奏による偏差が大きいことが見て取れます。このあたりの比較のためには提示部を反復しているグループについて、反復分を差し引いた数値も算出して比較したほうがわかりやすいかもしれないと考えているところです。 コメント
mixiユーザー2017年07月31日 00:30 I・フィッシャー盤が出てきたので追記しました(汗) mixiユーザー2017年08月05日 13:47 反復ありの8枚について、反復を除外した演奏時間と比率を追記しました。
mixiユーザー2017年08月12日 10:48 マークの3種と沼尻盤を追加し、反復を省いた第1楽章における序奏の時間と比率を全ての盤において付記しました。
mixiユーザー2017年08月16日 21:47 ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。
mixiユーザー2017年09月02日 17:29 ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。
mixiユーザー2017年09月20日 18:34 クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤を購入できましたので追記しました。
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961808860 ▲△▽▼ 古典の磁場の中で:その5 年代順比較用一覧 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961908650?org_id=1961867450
前回取り上げた30枚のうち第1楽章の提示部を反復している11枚について比較のために反復分を除いた演奏時間と楽章間の比率を算出し、全てを録音年代順に並べなおしてみました。 ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP 12:20/04:13/08:16/08:51 計33:40 序奏2:40(21.6%) (36.6%・12.5%・24.6%・26.3%) ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP 11:15/03:45/09:33/07:19 計31:52 序奏3:07(27.7%) (35.3%・11.8%・30.0%・22.9%) スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル 12:07/04:12/08:43/08:46 計33:48 序奏2:58(24.5%) (35.9%・12.4%・25.8%・25.9%) クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル 13:17/04:18/10:13/10:15 計38:03 序奏3:17(24.7%) (34.9%・11.3%・26.9%・26.9%) マーク/ロンドン響(1958年) 13:12/04:10/11:03/09:35 計38:00 序奏3:41(27.9%) (34.7%・11.0%・29.1%・25.2%) クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年) 15:22/05:14/09:35/11:47 計41:58 序奏4:00(26.0%) (36.6%・12.5%・22.8%・28.1%) バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年) 13:08/04:19/11:36/09:13 計38:16 序奏3:52(29.4%) (34.3%・11.3%・30.3%・24.1%) サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年) 15:22/04:18/09:28/09:43 計38:51(反復あり) (39.5%・11.1%・24.4%・25.0%) 12:21/04:18/09:28/09:43 計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%) (34.5%・12.0%・26.4%・27.1%) アバド/ロンドンSO(1967年) 12:42/04:15/10:12/09:24 計36:33 序奏3:29(27.4%) (34.8%・11.6%・27.9%・25.7%) カラヤン/ベルリンPO(1971年) 13:57/04:25/11:48/09:24 計39:34 序奏3:49(27.4%) (35.2%・11.2%・29.8%・23.8%) マズア/ゲヴァントハウスO(1972年) 13:23/04:25/08:08/10:16 計36:12 序奏2:46(20.7%) (37.0%・12.2%・22.5%・28.3%) C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年) 13:24/04:30/09:23/09:24) 計36:41 序奏3:34(26.6%) (36.5%・12.3%・25.6%・25.6%) シャイー/ロンドンSO(1979年) 14:31/04:25/11:55/10:07 計40:58 序奏4:03(27.9%) (35.4%・10.8%・29.1%・24.7%) アバド/ロンドンSO(1984年) 16:54/04:02/11:27/09:55 計42:18(反復あり) (40.0%・9.5%・27.1%・23.4%) 13:46/04:02/11:27/09:55 計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%) (35.2%・10.3%・29.2%・25.3%) I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年) 13:45/04:28/09:42/09:45 計37:40 序奏3:19(24.1%) (36.5%・11.8%・25.8%・25.9%) マーク/ベルン響(1986年) 17:15/04:18/10:39/10:40 計42:52(反復あり) (40.2%・10.0%・24.9%・24.9%) 13:56/04:18/10:39/10:40 計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%) (35.2%・10.9%・26.9%・27.0%) マズア/ゲヴァントハウスO(1987年) 14:38/04:18/09:25/09:30 計37:51(反復あり) (38.7%・11.3%・24.9%・25.1%) 12:08/04:18/09:25/09:30 計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%) (34.3%・12.2%・26.6%・26.9%) C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年) 12:30/04:22/08:18/08:54 計34:04 序奏3:16(26.1%) (36.7%・12.8%・24.4%・26.1%) 広上淳一/日本PO(1990年) 14:34/04:30/10:50/11:46 計41:40 序奏3:18(22.7%) (35.0%・10.8%・26.0%・28.2%) フロール/バンベルクSO(1991年) 13:03/04:31/09:38/09:18 計36:30 序奏3:32(27.1%) (35.7%・12.4%・26.4%・25.5%) アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年) 16:14/04:12/08:51/09:17 計38:34(反復あり) (42.1%・10.9%・22.9%・24.1%) 13:17/04:12/08:51/09:17 計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%) (37.3%・11.8%・24.8%・26.1%) マーク/マドリード響(1997年) 14:07/04:32/10:17/10:45 計39:41 序奏3:41(26.1%) (35.6%・11.4%・25.9%・27.1%) 堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年) 14:33/04:21/09:46/09:59 計38:39(反復あり) (37.6%・11.3%・25.3%・25.8%) 11:37/04:21/09:46/09:59 計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%) (32.5%・12.2%・27.3%・28.0%) デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年) 12:39/04:25/09:09/10:04 計36:17 序奏3:08(24.8%) (34.9%・12.2%・25.2%・27.7%) 内藤彰/東京ニューシティO(2007年) 15:05/04:17/08:39/08:58 計36:59(反復あり) (40.8%・11.6%・23.4%・24.2%) 12:06/04:17/08:39/08:58 計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%) (35.6%・12.6%・25.4%・26.4%) シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年) 14:35/04:11/08:34/09:02 計36:22(反復あり) (40.1%・11.5%・23.6%・24.8%) 11:53/04:11/08:34/09:02 計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%) (35.3%・12.4%・25.5%・26.8%) 沼尻/日本センチュリー響(2013年) 16:21/04:27/10:08/10:02 計40:58(反復あり) (39.9%・10.9%・24.7%・24.5%) 13:15/04:27/10:08/10:02 計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%) (35.0%・11.7%・26.8%・26.5%) 村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年) 13:35/04:16/10:10/09:34 計37:35 序奏3:37(26.6%) (36.1%・11.3%・27.1%・25.5%) 有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年) 16:36/04:17/09:25/09:51 計40:09(反復あり) (41.3%・10.7%・23.5%・24.5%) 13:35/04:17/09:25/09:51 計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%) (36.6%・11.5%・25.4%・26.5%) ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年) 16:42/04:13/09:49/10:01 計40:45(反復あり) (41.0%・10.3%・24.1%・24.5%) 13:27/04:13/09:49/10:01 計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%) (35.9%・11.2%・26.2%・26.7%) やはり全体としては年代順に並べたほうが演奏スタイルの変遷を辿れるようにも感じられますので、次回から原則としてこの順にそれぞれの演奏についてコメントしていきたいと思います。 コメント
mixiユーザー2017年08月12日 11:19 マークの3種と沼尻盤を追加し、反復を省いた第1楽章における序奏の時間と比率を全ての盤において付記しました。 mixiユーザー2017年08月16日 21:48 ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。
mixiユーザー2017年09月02日 17:33 ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。
mixiユーザー2017年09月20日 18:37 クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤を購入できましたので追記しました。
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961908650?org_id=1961867450 ▲△▽▼
古典の磁場の中で:その6 リストの追記と注目点 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962031362?org_id=1961920406
マークの3種と沼尻盤をリストに追加し、反復を省いた場合の第1楽章における序奏の時間と比率を全てに付記しました。この修正は前2回のリストにも加えています。またシャイーの新盤と有田盤は1842年版による演奏で、翌年の現行版より第1楽章で15小節、第4楽章で22小節長いのですが、実演総時間でも大差がなく比率を計算しても誤差の範囲に収まってしまうので、ここでは実際の演奏時間のままで表記しています。最近出たてのネゼ=セガン/ヨーロッパ室内Oの全集なども入手できれば順次追加していく予定です(入手したので追記しました) 解釈を考えていく上で注目すべき比率はまず反復抜きの第1楽章における序奏の比率。これが25%を切ると序奏のテンポが主部の平均的なテンポより速く感じられます。ただし主部の最初のモチーフを遅く、続く「戦の幻想」と呼べそうなモチーフを速く演奏している演奏と、モチーフごとに差をつけない演奏とでは、主部への移行に伴うテンポの変化の印象が変わってくるので注意を要します。数字の上ではワインガルトナー、スタインバーグ、クレツキ、サヴァリッシュ、マズアの新旧両盤、フィッシャー、広上、堤、デプリースト、シャイーの新盤、ネゼ=セガンが25%以下です。 もう1つは第3楽章の比率が第4楽章の比率より高いか否か。これは物理的な時間においても同じ結果であるわけですが、第3楽章を低回気味に演奏し第4楽章を煽ってコントラストを強調する演奏ほどこの比率に差が出てきます。両極端はクレンペラーとカラヤンで、クレンペラーが22.8%・28.1%なのに対しカラヤンは29.8%・23.8%になっていて、設計が根本的に異なることを強く印象つけずにおきません。総じて第3楽章の比率が高いほど後期ロマン派的性格が強い演奏と感じさせる傾向があります。 (追記:その後出てきたミトロプーロス盤がカラヤンよりさらにコントラストが強烈な30.0%・22.9%です) ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP 12:20/04:13/08:16/08:51 計33:40 序奏2:40(21.6%) (36.6%・12.5%・24.6%・26.3%) ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP 11:15/03:45/09:33/07:19 計31:52 序奏3:07(27.7%) (35.3%・11.8%・30.0%・22.9%) スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル 12:07/04:12/08:43/08:46 計33:48 序奏2:58(24.5%) (35.9%・12.4%・25.8%・25.9%) クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル 13:17/04:18/10:13/10:15 計38:03 序奏3:17(24.7%) (34.9%・11.3%・26.9%・26.9%) マーク/ロンドン響(1958年) 13:12/04:10/11:03/09:35 計38:00 序奏3:41(27.9%) (34.7%・11.0%・29.1%・25.2%) クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年) 15:22/05:14/09:35/11:47 計41:58 序奏4:00(26.0%) (36.6%・12.5%・22.8%・28.1%) バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年) 13:08/04:19/11:36/09:13 計38:16 序奏3:52(29.4%) (34.3%・11.3%・30.3%・24.1%) サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年) 15:22/04:18/09:28/09:43 計38:51(反復あり) (39.5%・11.1%・24.4%・25.0%) 12:21/04:18/09:28/09:43 計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%) (34.5%・12.0%・26.4%・27.1%) アバド/ロンドンSO(1967年) 12:42/04:15/10:12/09:24 計36:33 序奏3:29(27.4%) (34.8%・11.6%・27.9%・25.7%) カラヤン/ベルリンPO(1971年) 13:57/04:25/11:48/09:24 計39:34 序奏3:49(27.4%) (35.2%・11.2%・29.8%・23.8%) マズア/ゲヴァントハウスO(1972年) 13:23/04:25/08:08/10:16 計36:12 序奏2:46(20.7%) (37.0%・12.2%・22.5%・28.3%) C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年) 13:24/04:30/09:23/09:24) 計36:41 序奏3:34(26.6%) (36.5%・12.3%・25.6%・25.6%) シャイー/ロンドンSO(1979年) 14:31/04:25/11:55/10:07 計40:58 序奏4:03(27.9%) (35.4%・10.8%・29.1%・24.7%) アバド/ロンドンSO(1984年) 16:54/04:02/11:27/09:55 計42:18(反復あり) (40.0%・9.5%・27.1%・23.4%) 13:46/04:02/11:27/09:55 計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%) (35.2%・10.3%・29.2%・25.3%) I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年) 13:45/04:28/09:42/09:45 計37:40 序奏3:19(24.1%) (36.5%・11.8%・25.8%・25.9%) マーク/ベルン響(1986年) 17:15/04:18/10:39/10:40 計42:52(反復あり) (40.2%・10.0%・24.9%・24.9%) 13:56/04:18/10:39/10:40 計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%) (35.2%・10.9%・26.9%・27.0%) マズア/ゲヴァントハウスO(1987年) 14:38/04:18/09:25/09:30 計37:51(反復あり) (38.7%・11.3%・24.9%・25.1%) 12:08/04:18/09:25/09:30 計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%) (34.3%・12.2%・26.6%・26.9%) C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年) 12:30/04:22/08:18/08:54 計34:04 序奏3:16(26.1%) (36.7%・12.8%・24.4%・26.1%) 広上淳一/日本PO(1990年) 14:34/04:30/10:50/11:46 計41:40 序奏3:18(22.7%) (35.0%・10.8%・26.0%・28.2%) フロール/バンベルクSO(1991年) 13:03/04:31/09:38/09:18 計36:30 序奏3:32(27.1%) (35.7%・12.4%・26.4%・25.5%) アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年) 16:14/04:12/08:51/09:17 計38:34(反復あり) (42.1%・10.9%・22.9%・24.1%) 13:17/04:12/08:51/09:17 計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%) (37.3%・11.8%・24.8%・26.1%) マーク/マドリード響(1997年) 14:07/04:32/10:17/10:45 計39:41 序奏3:41(26.1%) (35.6%・11.4%・25.9%・27.1%) 堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年) 14:33/04:21/09:46/09:59 計38:39(反復あり) (37.6%・11.3%・25.3%・25.8%) 11:37/04:21/09:46/09:59 計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%) (32.5%・12.2%・27.3%・28.0%) デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年) 12:39/04:25/09:09/10:04 計36:17 序奏3:08(24.8%) (34.9%・12.2%・25.2%・27.7%) 内藤彰/東京ニューシティO(2007年) 15:05/04:17/08:39/08:58 計36:59(反復あり) (40.8%・11.6%・23.4%・24.2%) 12:06/04:17/08:39/08:58 計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%) (35.6%・12.6%・25.4%・26.4%) シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年) 14:35/04:11/08:34/09:02 計36:22(反復あり) (40.1%・11.5%・23.6%・24.8%) 11:53/04:11/08:34/09:02 計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%) (35.3%・12.4%・25.5%・26.8%) 沼尻/日本センチュリー響(2013年) 16:21/04:27/10:08/10:02 計40:58(反復あり) (39.9%・10.9%・24.7%・24.5%) 13:15/04:27/10:08/10:02 計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%) (35.0%・11.7%・26.8%・26.5%) 村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年) 13:35/04:16/10:10/09:34 計37:35 序奏3:37(26.6%) (36.1%・11.3%・27.1%・25.5%) 有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年) 16:36/04:17/09:25/09:51 計40:09(反復あり) (41.3%・10.7%・23.5%・24.5%) 13:35/04:17/09:25/09:51 計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%) (36.6%・11.5%・25.4%・26.5%) ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年) 16:42/04:13/09:49/10:01 計40:45(反復あり) (41.0%・10.3%・24.1%・24.5%) 13:27/04:13/09:49/10:01 計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%) (35.9%・11.2%・26.2%・26.7%) コメント
mixiユーザー2017年08月16日 21:48 ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。 mixiユーザー2017年09月02日 17:38 ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。
mixiユーザー2017年09月20日 18:42 クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤が購入できましたので追記しました。
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962031362?org_id=1961920406 ▲△▽▼ 古典の磁場の中で:その8 SP〜モノラルLP期の録音 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962453221 それでは個々の「スコットランド」録音について触れていこうと思いますが、先日ほぼ15年ぶりに棚の奥から出てきたミトロプーロス/ミネアポリスSO盤のことを書くにあたりSP時代の録音と演奏家の関係という観点からもう少しワインガルトナーについても補足する必要を感じますので、今回はSPからモノラルLP時代の3つの演奏について書かせていただくことにいたします。 ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP 12:20/04:13/08:16/08:51 計33:40 序奏2:40(21.6%) (36.6%・12.5%・24.6%・26.3%) 今回ミトロプーロス盤と聴き比べて痛感したのは、録音の古いワインガルトナー盤のほうがはるかに演奏を巧みにすくい取っているということでした。録音年代が10年以上も後のミトロプーロス盤はなにしろSP時代だけに録音技術の急激な進歩の恩恵を受けられる立場だったにもかかわらず、そのことに足元を掬われたとしかいいようのない結果に終わっているのです。ワインガルトナーの時代よりかなり改善された音の強弱のより忠実な収録。けれど演奏陣がその限度をわきまえなかった結果、新しいはずのミトロプーロス盤は強音は入力オーバーで音割れと混濁の混沌と化し、弱音は感度の低いマイクに入りきれず掠れてしまっているのです。一方で条件がずっと悪いはずのワインガルトナー盤にはそういう響きの破綻がみられない。この差はどこから生じたのかと考えると、まず演奏サイドの原因としては芸風の差と録音の経験、そして技術サイドでは感度の低いマイクをどう使ったかではないかと思うのです。 ミトロプーロス盤を注意深く聴いてみると、弱音部分で音量が下がってゆくとき最初に掠れ始めるのは弦楽器です。つまりこの収録では管楽器や打楽器のほうがマイク寄りに配されているか、それらの楽器に補助マイクが使われているのです。対するワインガルトナー盤は明らかに弦楽器群が手前、管楽器や打楽器がその中もしくは後ろです。だから弦の中に点在する管楽器は音量こそ小さくてもそれがリアルに感じられますし、明らかに音量が低いティンパニはだからこそ音割れや歪みを招いたりせずそれでいて掠れることもないのです。エンジニアが機械の性能と限界を熟知していればこその成功であるのは明らかです。 そしてワインガルトナーの演奏スタイルもまた、ダイナミックレンジが狭い収録条件下でも美質が損なわれにくいものでした。テンポの頻繁かつ細やかな変化や旋律美を活かす歌い回しなどは限られた強弱の幅にもかかわらずというよりむしろ、それゆえに聴き手の脳裏にその曲線美を鮮やかに焼き付けさえしているのですから。もちろん実際の演奏を聴けたなら録音では減衰しているティンパニなどもより立体的な響きを作っていたのでしょうし、歌い回しの抑揚と一体化した強弱がさらに豊かな表現を形作っていたのでしょうが、それでもこの演奏の美質とも核心ともいえるもののエッセンスは限られた器に極力不足のないよう収められている。おそらく演奏側も普段より強弱を控えめに演奏していた可能性も決して低くないと思うのです。なにしろラッパ吹き込みの時代から多くの録音をものしたワインガルトナーですから、その経験が録音の限界を念頭に置いた配慮という形で表れても不思議ではなく、むしろそういう配慮あればこそ彼は多くの実績と名声をSP時代に築き得たという方がよほど事実に近かったはずだと思うのです。 ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP 11:15/03:45/09:33/07:19 計31:52 序奏3:07(27.7%) (35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)
15年ほど前に購入したミトロプーロスのミネアポリス時代の音源を集めたBOXセットに入っていたものですが、音の悪さに一回聴いただけで存在すら忘れていたもの。12年前のワインガルトナー盤のほうがはるかに聞きやすいというのではミトロプーロスにとっても気の毒なことです。とはいえ指揮者の側にも責任はあって、強弱の幅がSP盤の収録可能な限界を越えてしまっているせいで弱音になるとマイクが音を拾いきれずに掠れていますし、逆に強音では入力オーバーで盛大に歪んでしまいます。特にティンパニが入るたびに全体が混沌としてしまうのはいかんともし難いものがあり、演奏陣が録音技術の限界などおかまいなしにダイナミズム重視の演奏をした結果としかいいようのない盤でもあります。管楽器や打楽器を明瞭に録りたかった録音側の意図が各楽器のマイクとの距離からうかがえますが、全てが裏目に出たと評する以外ありません。 第1楽章の序奏と第3楽章を遅く粘り気味に演奏する他は速いテンポで直線的に押してくる演奏なのでトータルタイムはリスト中の最短記録。コントラスト重視の演奏で狙いはわかるものの、メンデルスゾーンがこういうつもりで書いたのかと考えると曲と演奏がすれ違っているような気がしてならないのも正直なところで、マーラーやモダンミュージックでは雄弁さに直結する方法論との乖離がこの曲の立脚点を傍証している演奏と評することは、強いていえば可能なのかもしれません。 スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル 12:07/04:12/08:43/08:46 計33:48 序奏2:58(24.5%) (35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)
数年前に出たスタインバーグの米キャピトル音源を纏めたBOXセットに入っていたもので、LP時代に入っているため収録に無理がなく、音楽を安心して味わえます。 この演奏はこのリストにおいて、後の時代に一般的になる演奏スタイルの最も早い例といえるものです。ワインガルトナーや、ましてミトロプーロスのような部分的あるいは楽章ごとのテンポ変化を極力控えて全曲の統一感を重視しつつ、そこに淡いロマンを香らせようとする流儀なのですが、ここではステレオ時代以降この人から耳にするのが難しくなったしなやかさや潤いが大いに魅力を添えています。毛筆をすっと真下に走らせた一筆の僅かな膨らみが見せるにも似たしなやかさ。後の時代の誰もがこの域に届き得たわけではないこの達成は、当時このコンビが一つの絶頂期にいた証を今の世に伝えているのではないでしょうか。むろん終楽章コーダの繰り返しをオクターブ上げて華やかに結ぶなど、今では考えられない処理も散見されるのは事実ですが。 コメント
mixiユーザー2017年09月07日 17:10 録音環境まで、再生された音楽から看取されるとは、MFさんの分析力の 素晴らしさにはいつものことながら舌をまきますあせあせ mixiユーザー2017年09月07日 17:54 リンデ様こんばんは。まあローエンドに特化してはいるものの、一応オーディオ好きの端くれですから(苦笑) https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962453221 ▲△▽▼ 古典の磁場の中で:その9 ステレオ初期の録音 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962501256?org_id=1962453221
今回はサヴァリッシュによる史上初の全集盤が登場するまでのステレオ諸盤についてです。バーンスタイン以外はどれもLPで聴いていた懐かしい盤でもあります。また今回の顔ぶれは全員がこの曲を複数回レコーディングしている点が共通しています。なおここからは音質についても参考程度にコメントしていますが、必ずしも現在店頭に出ているプレスで聴いたわけではないので、その旨ご了承いただけましたら幸いです。 マーク/ロンドン響(1958年) 13:12/04:10/11:03/09:35 計38:00 序奏3:41(27.9%) (34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)
生涯に「スコットランド」を3回レコーディングした唯一の指揮者ペーター・マークによる最初にして最も有名な録音で、僕がこの曲を初めて聴いたのもこの盤でのことでした。僕が生まれる前年の収録なので、このリストではここまでが僕にとって過去の時代に属する録音ということにもなります。 最大の特徴はとにかく細かいこと。微に入り細を穿つ目が曲のいかなる変化も見逃さず、遅いテンポのもとじっくり音化されてゆきます。曲想に対する追随の細かさではワインガルトナーさえ凌ぐでしょう。ただしその細かさが聴き手の注意をも細部に向けすぎるようなところもあって、曲全体の見通しの良さに必ずしも結びついてこないのが難点です。基本テンポが遅めで緩急を感じにくいのも確かですが、ワインガルトナーのように細部の表現が全体の動きに波及する場面が意外に少なく、細部の羅列めいて感じられてしまうのが最大の要因だと思うのです。付き合いの長い盤ですがこの曲を僕に難しく感じさせたのもそういう特色ゆえのことだったのだと今となっては思うばかりで、その点ではやはり後の2つの演奏のほうが改善されていると感じます。比較のため2回目と3回目の演奏時間を記しておきますが、第3楽章が回を追うごとに速められている一方で、残る3つは一貫してより遅くなっているのが印象的です。なおベルン盤のみ第1楽章に反復がありますので、ここには反復分を除いた数値を記しています。 (13:56/04:18/10:39/10:40) (14:07/04:32/10:17/10:45) なお音質はさすが英デッカ原盤だけに彩り豊か。モニター調のシビアなスピーカーでも楽しめる優秀録音です。 クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年) 15:22/05:14/09:35/11:47 計41:58 序奏4:00(26.0%) (36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)
SPからモノラル期の諸盤に比べ明らかに遅くなったマーク盤が、それでもテンポの遅さを喧伝されなかった直接の原因となった演奏に違いなく、提示部の反復なしでほぼ42分という演奏は僕が生きているうちは二度と出てこないだろうと思います。ただ各楽章の比率を見るとマークやバーンスタインのように緩徐楽章で遅くするよりもそれ以外の楽章をいっそう遅くして楽章ごとのテンポの差をむしろ均すコンセプトなのが窺え、かつて「田園」においてもベートーヴェンのコントラスト設計にあえて背を向け殷々とした大きな流れの音楽として表現していたことを思いだします。 そしてスタインバーグと同様、彼もまた60年代初頭のこの時期には後年に影を潜める柔らかさを保ち得ていて音楽が不思議な静けさと懐の深さを湛えていますし、あまりにも自己流の解釈を押し通すことから生じる揺るぎなさが大きく刻印されているのも事実です。この曲を考える基準にしていい解釈とは思えないので決定盤扱いには同意できませんが、異なる個性の出会いが生んだ異色の名演と認めるにはやぶさかではありません(なお旧録音にあたるウィーンSOとのVOX盤は未聴ですがタワーレコードの商品ページに演奏時間が出ていたので参考に記しておきます。現物に接していないので第1楽章の提示部を反復しているかどうか不明ですが、してないのならステレオ盤よりさらに遅いタイムは驚くべきものだと思いますし、もし反復があるのならこの時点で彼の楽章ごとのペース配分は確立していて、それが保たれたまま全体が遅くなっていったのかもしれません。旧録音盤をお持ちの方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです) (15:55/04:22/08:07/09:54) 音質はきめの細かさと自然な距離感が好ましいものの音色はやや明るめなので、ウッディなスピーカーで聴くほうがいいと思います。 バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年) 13:08/04:19/11:36/09:13 計38:16 序奏3:52(29.4%) (34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)
バーンスタインがニューヨーク時代に行った録音活動は多分に教育的かつ啓蒙的で、十年余りの在任期間中に収録された膨大な音源は古典派から現代音楽までを展望できる百科全書的なレパートリーを押さえているのみならず、演奏自体も再録音に比べ端正かつ構成的な性格が前面に出ています。おそらく彼はニューヨークでは活動の軸足を啓蒙に置き、それが完成した離任後は表現の追求を目標としたのではないかと今振り返ると思えるのです。 この「スコットランド」もペース配分の点ではマークに似てはいるものの、細部よりは全体に聴き手の注意を向けさせる内容になっているのがいかにもこの時期のバーンスタインならではで、実際のテンポ以上に停滞感を感じるマークと逆に意識が曲全体の緩急に向くため流れの良さがより印象に残ります。マークよりも第3楽章を遅め、第4楽章を速めに演奏しているところにそんなコンセプトが端的に窺えます。彼はこの時期「宗教改革」と「イタリア」も収録していますがやはり曲の性格を大掴みに捉えた演奏で、指揮者自身の資質ゆえ濃密なロマンへの傾斜を感じさせる瞬間もあるものの啓蒙的たらんとする意識がそこに一定の歯止めをかけているような、そんな演奏と感じます。彼が70年代末にイスラエルPOと再録音したこの3曲は未聴ながら演奏時間にはまだ極端な差はないようで、それが時期的なものに由来するのかバーンスタインなりのメンデルスゾーン解釈に原因を求めるべきかは不明ですが、機会があれば聴いてみたいところです。同じくタワーの商品ページからその演奏時間を記しておきます。 (13:55/04:09/11:15/10:06) 米コロムビア特有の中高域が張り出す音質なので、その張り出しをキャンセルできる装置で聴きたい盤です。 アバド/ロンドンSO(1967年) 12:42/04:15/10:12/09:24 計36:33 序奏3:29(27.4%) (34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)
スタイルとしてはスタインバーグの延長上にあるものであり、その美質を最も多く受け継いだ自然体の名演です。マークはもちろんバーンスタインのように自らに何かを課した気配もここには皆無で、ただ自らの純良な音楽性を信じるまま歌い上げたらこうなったとでもいいたげな、まっすぐでしなやかな歌がどこまでもなめらかに流れてゆきます。スタインバーグよりは緩急も大きめですが、それもワインガルトナーと同じく受け身ゆえの自然さの範囲内のことで、風のワインガルトナーに対し水のアバドという趣があります。 後の全集録音が曲を自らの中でいかに位置づけるべきかという意識を強く感じさせるものになっているのに対し、ここでの彼のふるまいはまさにイノセントと呼ぶのがぴったりで、その後の彼の歩みの一端に接し得た身からすれば、音楽家としてのアバドが最も無垢でありえたひとときの姿の形見とさえ映ります。ワインガルトナー同様アバドもまた資質の近さゆえメンデルスゾーンの遺した曲と幸せな形で触れあうことのできた音楽家だった。そう思わずにいられないほど無心に感じられる演奏です。 このような無心さは全集録音ではすでに影を潜めていますが、その時でさえアバドの演奏にはメンデルスゾーンと共通する美意識が特別なものを語りかけている。彼の問いかけに応えている。アバドの全集録音にそう感じたことこそが僕が手持ちの「スコットランド」を全部きちんと聴き直してみたくなった端緒でした。その後ベルリン時代にライブ収録された「イタリア」と「真夏の夜の夢」の結晶化された名演を思えば、そんな問いかけの後の境地を示したであろう3つめの「スコットランド」の録音がなされなかったのは無念というほかありません。下記は全集盤のタイムですが、例によって提示部の反復がなされている分を差し引いています。 (13:46/04:02/11:27/09:55) 音質もマーク盤と同じ英デッカ原盤だけに彩りが豊かで、その点ではDGによる全集盤よりずっと上です。 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962501256?org_id=1962453221 ▲△▽▼ 古典の磁場の中で:その10 クレツキの見た先には https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962730226 今回は1954年収録のクレツキ盤をLPから復刻したCD−Rが入手できたので、前後するスタインバーグ盤やマーク盤とも比較しつつコメントさせていただきます。 スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル 12:07/04:12/08:43/08:46 計33:48 序奏2:58(24.5%) (35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)
クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル 13:17/04:18/10:13/10:15 計38:03 序奏3:17(24.7%) (34.9%・11.3%・26.9%・26.9%) マーク/ロンドン響(1958年) 13:12/04:10/11:03/09:35 計38:00 序奏3:41(27.9%) (34.7%・11.0%・29.1%・25.2%) こうして並べるとクレツキはスタインバーグとマークの双方と共通点を持つことがわかります。まず第一印象として感じるのがテンポの遅さ。マークとほぼ同じ38分というタイムはスタインバーグに比べ4分余り遅くなっています。たかが4分という方もおられるでしょうが、実際に聴くとこの34分弱と38分という差は思いのほか大きく、クレツキとマークからはスタインバーグのような一筆書きめいた印象を受けることはありません。むろん聴く側の個人差もあるでしょうが、少なくとも僕には第1楽章の提示部の反復なしでのトータルタイム35分というのが分水嶺になるようで、ワインガルトナーやスタインバーグの風をイメージさせる演奏はここでいったん失われるのです。アバドの旧録音が水のイメージになるのも基本テンポが遅くなるからですが、そのアバド盤と同じ時期に収録されたサヴァリッシュが僅かながらも基本テンポが速いため、先人たちの美質を受け継ぐ形になっているのは見逃せません。ワインガルトナー、スタインバーグ、そしてサヴァリッシュたちの演奏で細部のほんの僅かなテンポ変動が大きな印象の変化として感じられるのもひとえに基本テンポが遅すぎないからで、クレツキやマークだとより大幅にテンポを変えないと基本テンポの遅さの印象を覆せないのです。マークが細部の表情にこだわるわりに効果的に感じられない最も大きな要因はまちがいなく基本テンポの設定にあると思います。もう少しでも速ければそれら細部のテンポの揺れが遅すぎる基本テンポに吸収されず、全体の印象を左右しえたはずだと思うのです。 ではクレツキとマークの違いはといえば第3楽章と第4楽章のバランスです。マークは先行するミトロプーロスや後のバーンスタインやアバドやカラヤンのように第3楽章に多く時間を割いていますが、クレツキはスタインバーグや後のドホナーニ、マズアの新録音のようにほぼ同じ時間で演奏しているのです(ちなみにワインガルトナーのようにフィナーレの方がタイムが長くなっているのがクレンペラーやマズアの旧録音で、サヴァリッシュも僅かながらもフィナーレにより時間が割かれています。またマークは2回目の録音では両楽章のタイムが同じ、3回目ではフィナーレの方が長くなっています)また第1楽章の序奏を主部に比べ速めのテンポにしているのもワインガルトナーやスタインバーグと同様で、マークの初録音はその点でもバーンスタインやアバド、カラヤンと同じです。ただ基本テンポが比較的速めのアバドはともかく、マークのテンポになるとバーンスタインやカラヤンより振れ幅を抑えているのが仇になって、それらのテンポ設計が生むはずのコントラストが控えめになってしまい、全体としてなにを目指しているのかが見えづらい演奏に感じられてしまうのが残念です。後の録音で第3楽章のテンポが一貫して速められていくのも、あるいはそんなテンポ設計が機能しなかったと本人も感じていた表れかもしれません。 奇しくも当時、クレツキとマークはメンデルスゾーンの交響曲をこの「スコットランド」しか録音していなかった一方で「真夏の夜の夢」の歌唱入り8曲の抜粋版を収録していますが、演奏のコンセプトは対照的です。マークは「スコットランド」と同様にやや遅めのテンポで丁寧に表情をつけていて、彼のテンポ設定がどちらの曲も同じ感覚というか生理的なものに基づいてなされているのではと感じさせる面があるのですが、クレツキはがらりと異なる速いテンポで演奏していて最小限に抑えられたテンポ変動が最大の効果に繋がっています。明らかに彼はこの2つの作品で対応を変えているのですが、この「真夏の夜の夢」は僕にとってワインガルトナーの「スコットランド」と同様これ以上を容易に求めがたい突出した存在で今もあり続けているのです。 クレツキのこの2つの盤を、僕はCD登場の直前に中古の初期LPでほぼ同時に買ったのでしたが、その違いはクレツキという指揮者が単に作曲家ごとのスタイルの違いに留まらず作曲された時期や曲ごとの性格に応じてコンセプトを大きく変える人であることを強く印象づけたのでした。彼は明らかに2つの曲を異なるものとみなし、それを演奏に反映させようとしている。では彼はこの2曲にどのような違いを見たのだろうか。そしてその違いが片方では類まれな成功に結びついたにもかかわらず、もう一方がそこまで成功しなかったのはなぜなのか。そう感じた遠い日に、僕は当時、若くして完成された天才型の作曲家と評されることがほとんどだったメンデルスゾーンにも、早世ゆえに完成には至れなかった発展段階があったのではないのかと肌で感じさせられたのでした。クレツキが見ていたのはそういうもので、でもそれが成功に繋がらなかったのはそれがいかなるものになるはずだったのかを彼が読み違えたからではないだろうか。そう思ったことでメンデルスゾーンの死はロマン派の発展史における一つの可能性の喪失だったのではとの考えが生じ、それがその後この作曲家に対する尽きぬ興味の源泉となったのです。 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962730226 ▲△▽▼ 古典の磁場の中で:その19 新たな世紀の交代劇 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968840072 それではいよいよ今世紀に入ってからの3つの演奏について、見比べていこうと思います。
デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年) 12:39/04:25/09:09/10:04 計36:17 序奏3:08(24.8%) (34.9%・12.2%・25.2%・27.7%) 内藤彰/東京ニューシティO(2007年) 15:05/04:17/08:39/08:58 計36:59(反復あり) (40.8%・11.6%・23.4%・24.2%) 12:06/04:17/08:39/08:58 計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%) (35.6%・12.6%・25.4%・26.4%) シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年) 14:35/04:11/08:34/09:02 計36:22(反復あり) (40.1%・11.5%・23.6%・24.8%) 11:53/04:11/08:34/09:02 計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%) (35.3%・12.4%・25.5%・26.8%) なおシャイーの新盤は旧盤の項目で述べたように決定稿の前の版を使っているため厳密な比較には向きませんが、実際に聴くと楽章やブロック同士の比率に大きな影響を及ぼすものでなさそうなので、演奏の傾向をみる分にはいけるのではと思います。 これらを見比べてまず思うのは、21世紀初頭のこれら3つが数値上ではまるでSP時代のような値を示しているということ。1929年のワインガルトナー以降70年代までは一貫してより重厚長大な方向へと変わっていた演奏スタイルが、80年代以降古楽派の運動の影響がメンデルスゾーンの演奏様式にまで及んだことで変わり始めいちどは重さや粘りに大きく傾いたスタイルを一新したことを、20世紀最後の3つの録音中アシュケナージや堤の演奏スタイルの傾向をさらに押し進めた形で示しているのが巨視的な特徴といえるでしょう。 ではこれらはワインガルトナーやミトロプーロスの演奏の再来かといえばそれは全く違いますし、むしろどんな背景に基づいて登場したのかを見てゆくことで2000年代特有の状況も見えてくるとも思うので、以下にこれらがSP時代の2つと異なる点を列挙してみます。 *解釈の幅がかつてより大幅に狭い。 *演奏精度に対する要求水準が高い。 解釈の幅が狭まった最大の要因は、手書きの草稿や楽譜などの一次資料に対する科学技術による分析さえも取り入れた音楽学の発達にあると考えるべきでしょう。条件を満たせば紙やインクの年代特定さえ可能というのはSP時代には想像さえできなかったことであり、それらの事実を緻密に積み上げることで主張される演奏様式のあり方は恣意的な反論を許さないとみなされた結果、それを無視した解釈は成立不能とされました。ベートーヴェンの解釈で20世紀最後の10年に起きたことがメンデルスゾーンに波及したのがこの時期だったのです。今回の3つの演奏にもそのことは様々な形で現れていて、デプリースト盤における小編成の採用はこの時期以降それが標準化されてゆきますし、内藤盤でのビブラートの排除も弦の材質と奏法への影響の考察をその根拠としています。シャイーが新盤で古い稿を採用しているのも以前は後の時代の音楽との繋がりを遡る形でメンデルスゾーンに接していたこの指揮者が、より古い音楽との関連から捉え直そうとする姿勢に転じたことと連動しているのは前に述べたとおりです。 それは古い曲を今の時代に合わせて仕立て直すことや演奏家のパフォーマーとしての個性の発露こそ最も重要とされた80年前の考え方とは正反対でさえありました。ワインガルトナーとミトロプーロスの解釈の違いはここまで見てきたどんな時代にも例がないほどかけ離れたものであり、前提となる考え方が違うだけでここまで結果が変わるのかとただただ嘆じるばかりです。 演奏精度の問題は楽器の変遷と密接な関連があります。金属弦が登場しガット弦に置き換わる前の20世紀初頭、力が加わると伸びて音程が狂いやすいガット弦は各セクションの音程を揃えるのにも苦労を強いるものであり、なるべく軽い弓圧で粘らせずに歌わないと独奏はともかく合奏では各人の音程がばらけて響きの濁りを避けられませんでした。この時代に多くみられたポルタメントと呼ばれる音程を連続的にずり上げたりずり下げたりさせる奏法が金属弦の普及と期を一にして姿を消していく一方、安定性の高い金属弦の登場はそれまでソリストしか許されなかった強いビブラートをかけつつ旋律線を粘らせる歌い回しの奏法を合奏で可能にしたのでした。1929年収録のワインガルトナーとその12年後のミトロプーロスで聴き比べる「スコットランド」の第3楽章にはそれらの違いが端的に出ていますし、ストコフスキーの一連の電気録音がそんな変化の最も早い実例だろうとも。 https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968840072
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