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(回答先: 何で、こう、自分勝手な人が増殖するのだろう? 責任と権利の関係について 投稿者 考察者K 日時 2009 年 2 月 12 日 12:45:34)
どうもKさん。
相変わらず、早とちりと言うか、思い込み激しいですね。
「道理が分かっていない」のは貴方の方ですよ。
>kは国民は郵政を捨てるという選択をしたと書いているが、
>これは「権利放棄をした」ということであって、
>もうその時点で「全ての権利は放棄されていて、その代わりに責任を負う必要がなくなっている。」
上記は形式的にも理論的(道理的)にも完全に間違いです。
まず「形式的」の方から指摘しましょう。
「権利放棄」であれば、その意志が文面(郵政民営化関連法)に示されていなければなりません。
ところが、「国は郵政事業から全面撤退し、民営化過程を含む全ての経営を、日本郵政経営陣に白紙委任する」と言う意志を示した条文など、どこにも見当たりませんよね。
それどころか、法律は日本郵政に対する国(総務省)の監督権を明記し、委員会を設置して3年毎の「見直し」条項まで付帯しているのです。
「将来的に株式売却を決定した」=「捨てた」ではありません。
捨てるなら、国は事業と資産の両方に対し「所有権放棄」を宣言し、全ての株式を経営陣に無料譲渡すべきでしょう。
事業を株式会社形式にし、一旦全株式を国が保有した上で、時期を見て民間に売却するという方針は「捨てる」と表現されるべきものじゃありません。
売却であれば、現在、所有権を持つ国(国民)が「なるべく高値で」と望むのは当然であり、その意志を実現たらしめるため、経営に口出しする権利を持つのも当然の事です。
国は将来的売却を決定しただけであり、事業や資産の所有権は放棄していない…この一点のみで、形式的に「権利放棄でない」と確実に言えます。
次に「理論的(道理的)」な面を考察しましょう。
Kさんは、国(国民)が郵政を「捨てた」のであるから、国は日本郵政経営に関わる利害得失に関与しない…と考えておられるようですが、100%の株主が経営に関する利害得失に関与しないはずはありません。
日本郵政経営陣が経営で下手を打てば、損をするのは株主である国(国民)です。
つまり国(国民)は、日本郵政経営に関するリスクを全面的に受け持つ、第一の当事者(オーナー)だと言うことです。
その第一当事者に対して「リスクを負わずに権利だけはある…という勘違い」などと揶揄するのは、まったく恥ずかしい「勘違い」です。
私も自分の所有する不動産の売却を、業者に委託したことがありますが、業者が取りまとめた価格や条件に対し、最終的な決定を下すのは、オーナーである私の役目であり、私は納得できなければ売却を許可しない権利を、はっきりと有していました。
もし業者が「あんたは、あの物件の売却をウチに依頼したことで、あの物件を『捨てた』んだから、口出しする権利などない」と言い出せば、私は即刻、契約を打ち切っていたことでしょう。
それで売れなかったために、私が何年か維持費を負担し、固定資産税を払うハメになっても、それは私が負うべきリスクであり自己責任です。
今回、かんぽの宿施設の一括売却を断念、凍結することで、もし国民が何らかの損失を被るのであれば、それも自己責任であり、だからこそ、国民は売却断行か断念かについて口出しする権利を有しているのです。
これに関してKさんは「かんぽの宿施設を、このまま保有すれば赤字が膨らみ、公的資金の注入が必要になるから、売却を急ぐべきだ」とおっしゃってますよね。
それはそれで、ひとつの見方だと思うし、判断の基準を「オーナーたる国民の利益」に置いておられますので、議論の余地はあります。
しかし「国民に口出しする権利はない」と言うのなら、Kさんの上記意見すら「リスクを負わずに権利だけあると勘違いしている馬鹿野郎の主張」になってしまいます。
一方で「口出しする権利はない」と言いながら、もう一方では「売却すべきだ」と主張することは「道理を知っている人間」の言動でしょうか?
売却と継続保有、どちらが国民の利益に適うのか…という議論なら、必要であるし、実りもあると思います。
しかし、そのためには、経営実態の詳細や、入札経緯の詳細を日本郵政に報告させる必要があります。
かんぽの宿事業の赤字は縮小傾向にあるという話も聞きますし、従来、三事業一体の郵政は、財政の負担になっていませんでした。
万が一にも、四社分割プランによって「非採算部門の負担は国が背負い、採算部門の利益は民間に…」などとなる虞れがあるなら、プラン自体の見直しも不可欠でしょう。
郵政民営化には、様々な利権や思惑が絡んでいますので、私たちは第一の当事者として慎重に判断を下す必要があります。
キチンとした資料を元に、収益シミュレーションを行い、ユニバーサル・サービスや雇用維持も加味した上で、何が最も国民の利益に適うか…と検討しなければならないでしょう。
マスコミが煽る「赤字体質」の言葉だけで「叩き売るしか選択肢がない」と観念するのは早計です。
赤字体質が問題なら、ユニバーサル・サービスを義務付けられた郵便事業会社は、真っ先に叩き売る(売れないだろうけど…)のが筋です。
ましてや、「捨てたものだから、口出しする権利はない」と言って、当事者責任を回避するなど、もっての他でしょう。
今回は瓢箪から駒で、「不正入札」の疑いが浮上したため追求も厳しくなっていますが、これは、国民の当事者意識を回復し、郵政民営化の抜本的見直しにつなげるべきチャンスです。
その意味で、Kさんの「権利放棄説」は出鱈目なだけでなく害悪だし、「早期売却論」は議論不足で結論を急ぎすぎています。
面白いことに、この「議論不足」への言い訳として「権利放棄説」が持ち出されている構造を見れば、Kさんの狙いは、クッキリと浮かび上がってきますね。
要するに、突っ込んだ議論は嫌だが、オレの主張が正しい。これに異を唱える者は、諸悪の根源たる思想集団の手先か、それに踊らされている愚か者たちだ…ってことですね。
良くわかりました。なお、この記事にはレス無用です。