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(回答先: 第一章 一連の物語 2 出口直(1836〜1918)- その2 この神をさばける御方/艮の金神から知らされた弥勒大神(大 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:55:16)
*日月神示/岡本天明氏*
*日月神示の発祥*
日月神示(ひふみ神示、ひつく神示とも呼ばれる)とは元々、大本に入信していた、画家の岡本天明氏が自動書記によって、書き記した神示で、元々の発祥は昭和19年4月18日に、岡本氏が審神を勤めた、フーチ(中国に伝わるT字型の機具を、二人で持ち、降霊後にそのT字の棒を使って下の砂に、文字を書き表すもの)を使う、実験会まで溯る。この実験会では、下に敷いた砂に「ひつく」或いは「天之日月神」といった神名がでるのみで、その他の成果は見られなかった。
しかしこの実験会の後に、参加者の人が千葉県印旛群公津村台方の麻賀多神社の末社に「天之日津久神社」というのがあるのを発見し、岡本天明氏に連絡してきた。一方の岡本氏は、酒を飲ましてやる、という友人との約束があったため、千葉方面への乗車切符を購入していた(この当時は切符一つ買うのに、2日もかかったらしい)ものの、急に先方が都合が悪い、という事でキャンセルされてしまったが、丁度その行き先の近所に、天之日津久神社があるのが判り、とにかく降霊会での御礼がてら、その神社まで詣でてみる事にしたところ、急にそこで神懸かり状態となり、生業が画家のため持参していた紙に、意味の解らないものを書き殴ったのが、最初といわれている。
*数字で書かれた神示*
この神示自体は、殆どが、漢数字と残り神代文字と言われる、文字群、記号等で、通常のかな文字は、少数に(後半になるほど、この傾向が顕著になっていく)という、特殊なもので、現代でも尚一般に市販されるものは、第一仮約と成っている程、解読が難しい。因みにこの原文を「日月神示」と呼び、人間の判る言葉に訳したものが「ひふみ神示」と呼ぶ。
実はスエーデン・ボルグという人物が霊界を見分した手記「霊界からの手記」によれば、天界のより上層からなる天人・天使達の使う文字には、数字が多かったと、記録されている
*始めは画家を夢見ていた天明氏*
話しは変って、岡本天明(本名信之)氏は、明治30年(1897)12月4日岡山県倉敷市玉島に産まれた。生まれつき霊感が強い方だった様で、少年の頃から、祖父(儀藤太)とは違う、もう一人の髭の長い老人が見えていたようだ。ここら辺りのエピソードは、何やら王仁三郎氏を彷彿とさせる。
金光中学を中退した頃には、個展を開くほど、絵の才能が開花し、天才少年と騒がれた事もあったという。しかし信之氏が17歳の頃には、韓国で商売をしていた父親の事業が失敗し、家屋敷、田畑も総て人手に渡る事となった。まもなく明治大学に入った信之氏は、金策に困り、北海道の炭坑、いわゆるタコ部屋に入った事もあったらしい(自分で怪我をして、脱出した)大正9年の頃には、母親の実家の在る、神戸へ戻る事となり、この頃から「玉島の夜明けの人たらん」として天明を名乗るように成った。
ちょうどその頃、近所に大本信者の一家がおり、その家の少年に誘われて、大本の公演に連れて行かれたらしい。
そこでの内容は、色彩に関するものであったらしく、それが非常に天明氏の興味を引き立てたようだ。この事がキッカケになり、大本に入信する事となった。この大本での活動の初期から、高見元男氏(後の出口日出麻呂氏)とは同郷で同年同月産まれという事で、高見氏が京大生の頃から仲が良かったらしい。
元々、天明氏は大本が買収した大正日々新聞社で働いていて、この頃に当時社長の浅野和三郎氏の号令で、鎮魂帰神法などを習得したり雨を降らせたり、紛失物を探査したりと、していたらしく、最初は天明氏も、面白くて止められなかったものの、徐々にはそういった事に嫌気が差してきた様だ。翌年には大本の第一次弾圧事件が有り、事件後には名古屋第一新聞社の社会部長、金沢の北国夕刊新聞の編集顧問を勤めるなどをしていたらしい。
一生面倒を見る
大本も東京へ侵出という事になった頃には、人類愛善新聞を発行する事になり、日出麻呂氏は部下に
「社長には機密費があるんだろ、その中から岡本君が言うだけ給料を出せ、わしは岡本君の面倒を一生見るんだから」
と命じ、天明氏に特別に給料をだして、編集担当になって貰う事になった。
ここでの編集作業は、王仁三郎氏が話しの骨子だけを天明氏に語り、後の文章は天明氏に任されていたらしい。そうして人類愛染新聞の編集をする仕事を続けていたところ、用があって、警察に行く事があった。するとそこの顔見知りの人物が
「岡本君ちょっと2〜3日東京を離れていてくれ」
というので、偶々地方へ行く出張の用事もあったため、出張に行ってから帰って来ると、大本の第2次弾圧が有り主要人物は皆、投獄されていた所であった。
しかし、天明氏は唯一給料を貰っていたため、信者と見なされず、逮捕を免れた。そのために大本内部からはスパイの容疑も掛けられた事もあったらしい。このため、天明氏は比較的自由な身の上にあったと思う。