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(回答先: 第一章 一連の物語 6 その他 竜宮神示/日之出神諭、神霊密書(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅+ 日時 2004 年 12 月 18 日 10:11:45)
*番外編:道院・紅卍字会の神示*
*紅卍字会の誕生*
中国、山東省北部・浜県に住む県知事の呉福林(じょふくりん)という人物が、同志達と共に、県署(役所)に神壇を設け、中国民間で行われていたフーチと呼ばれる自動書記法を用いて、1916年から17年にかけて、様々な事柄をフーチに現れた『尚真人』と名乗る神仙から受けていた。
そんな中である時、福林氏は道教でいう最高神「老祖」の降臨を願い出た。しかし、その神格に著しい隔たりがある為に、尚真人は南極老人を取り次ぎとして、南極老人を仲介役に、ついに「老祖」の出現を見る事となった。
ちなみに、この経緯は「大本神諭」等のそれとよく似ている。(国祖「国常立命」の神示であるとしながら、その仲介役として「若姫君命」が取り次いだとされる)
ここで降臨した「老祖」は、破滅に瀕した宇宙・世界を救済すべしという壇訓を下し、「太乙北極真経」(たいいつほっきょくしんぎょう)を授けた。
これは中国・紅卍字会に降ろされた、一種の神示と言えるもので、こうして1922年、地上の霊的拠点として道院が設立される運びとなった。そして1925年には、救済の実行部隊としての性格を持つ「世界紅卍字会」が創設される事となる。
*五教同根*
この紅卍字会に降りた神壇には、中国の神仙・仏教・キリスト・マホメット・孔子は、総て根を同じくする、五教同根を唱えていた。また1920年に「老祖」が降臨した際に、その場に居合わせた三六名の中には、儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教の信者が各一名づつ参列していた。そしてその後、神壇には道院の神示というイメージとはかけ離れた、キリストや釈迦などが相次いで神壇を伝えた。例えばそこに降ろされた中に、以下のものが存在する。
「この世に満ちる悪濁に淘汰を加えない限り、世界は元の清明さと平安さを回復出来ない。あなたがたは努めて努力し、怠けてはならない。自分を救い、人を救いなさい。災劫がこれほど広がり、はびこっている以上、例え救っても救い切れるものではない等と考え、成り行き任せにする様な心を生じてはならない」
-イエス・キリスト-
「災劫が解消されるか否かは、ひとえに人の心にかかっている。人の心の向かう所に照応して、災劫は、或いは現れ、あるいは消えるのである。
人の心が不善であれば、邪気は多大となって災劫がはなはだしくなる。人心が善であれば、善の気が凝って災劫が解消される。」 ^
-済仏-
おおよそ、上記の様な壇訓が、次々と伝えられていく様になった。ちなみに、ある調査では中国の1000人住むと言う村で、誰もがプラス思考、マイナス面を考えないようにするという実験がなされ、その結果その村に、犯罪が減るなどは考え得る事だとしても、風雨地震などの災害が減り、また収入も増えるという、好結果を得るといった事もあった。
*同神異名*
こうしてみると、何か大本と似た経緯と思想を持つ事が、比較的容易に見て取れる。事実、これ等壇訓の中に「日本に行けば道院と合同すべき教団がある」と示された。そして日本に関する壇訓の中には、「日本の首都に大地震が起こる」という事も伝えられ、直ちに救援物資等を送るなどの措置を採る事になった。一方、南京在住の日本領事・林出賢二郎氏は、道院から、近く日本に大地震が来るとの事で、突然白米二千石と銀二万元を託され、その時は奇妙に思ったと言う。
この事に驚嘆した林出氏は、大本の隠れ信者であった事もあり、日本に震災慰問に出発する、道院の候延爽(こうえんそう)氏他に、日本の出口王仁三郎氏と会見する事を進言した。この事を承諾した候氏等は、綾部の王仁三郎氏を尋ね、会見する運びとなった。そしてこれを契機に、両団体は親密な提携を結ぶようになった。いっぽう、道院の壇訓に「中国の道院は日本の大本、日本の大本は中国の道院なり」と示され、また王仁三郎氏の神審(さにわ)で、道院の最高神、「老祖」は、国常立命の別称であり、同神異名である事が判明した。