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(回答先: 第一章 一連の物語 4 日月神示/岡本天明氏 日月神示の発祥/数字で書かれた神示/始めは画家を夢見ていた天明氏/一生面倒 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:57:55)
*天言鏡/辻天水氏 - その1*
*始めは頑固な人物であった!?*
辻天水(本名正道)氏は明治24年(1891)6月21日、三重県の菰野の町に産まれた。辻家は第59代・宇多天皇の近江源氏の佐々木源盛綱を祖とする家系で、盛綱より7代目にあたる真野行定の孫、間宮定利が近江国高嶋群の澤ノ庄辻村に移り住んだ際に、辻姓を名乗るようになったという、由緒在る家系であった。
大正8年の頃に、小高という大本の宣伝使が菰野を訪れ、盛んに布教活動を開始した。結果、多くの入信者が現れ、この地に大本支部が出来る事となった。この際に支部設立を世話したのが、辻氏であったという。しかし、その割には辻氏は、入信したという訳でもなく、隣村の石垣という宣伝使が「辻さんに入信していただくのに、10年かかった」という述懐をしているそうで、相当時間が掛かったようである。
結局昭和5年に、ようやく辻氏は、妻のゆき女史と共に、研修会に参加する事となった。この研修会には、他にも参加者が居たようであるが、王仁三郎氏は辻氏を見るなり
「あんたは伊勢のカンノシ(神主)か?」
と、いきなり聞いてきたという。辻氏は
「いいえ」
と否定したものの、王仁三郎氏は納得せずに
「いや、お前は伊勢のカンノシじゃ、カンノシになれ」
と言っていたという。
この日の研修会を契機に、辻氏は大本に入信するようになった。その後、辻氏は亀岡の本部で「大本皇大神」の揮毫(きごう)と宣伝使の階位の辞令書きという、事務職を続ける事となった。
そんなある日、王仁三郎氏がひょっこり、辻氏の仕事部屋にやって来た。
「おう、感心に真面目にやっておるのう」
と辻氏の揮毫した「大本皇大神」の神号を見ると
「後で、ここに日が入らねばならぬがなぁ」
と呟いたという。
昭和10年、大本の第二次弾圧のあった年、王仁三郎氏が、また辻氏の仕事場に顔を出した。辻氏の入信は昭和5年とされているので、つごう5年ほど、事務職に専念していた事になる。辻氏は思い切って
「聖師さま、私は何時までこの仕事をすれ宜しいのでしょう。来る日も来る日も、こうして辞令書きばかり、どうか私を宣伝使にして頂けませんでしょうか」と頼んだ。
すると王仁三郎氏は
「あんな玄関先で喋っているのの何がええのか」
と、この願いは受け入れなかった。こうして、再び辞令書きを続ける事となったが、数日後に再び王仁三郎氏が、辻氏の仕事場に現れた。
「今日は精がでるの」
「左様ですか、有り難うございます」
という少々のやり取りの後、辻氏は思わず「アッ」と叫んでしまったという。それは「大本皇大神」と揮毫する所を「大△本皇大神」と大と本の間が開いてしまったからだ。
辻氏の仕事は最後の一厘の仕組みか!?
「申し訳有りません、書き直しましょうか」
と辻氏が謝ると
「それでええんや、ちょい貸してみぃ」
と王仁三郎氏が自ら筆を取ると、大と本の間に「日」を書き入れて「大日本皇大神」という神号を書いた。
そして
「これでええやろう、これをお前にやる、いずれ大事な時に使う事になるからな」
「どんな時でしょうか?」
「一厘の仕組みや、あんたの本当の仕事はそれや」
と王仁三郎氏は語った。
「一厘の仕組み」とは、出口直子氏の「大本神諭」の時から、出ている謎の仕組みで、大体の概要としては、悪神/体主霊従(物質・肉体を主体として、精神・霊を従とする現代人や風潮)によって九分九厘まで汚された世界を、残り一厘の仕組みで、ひっくり返す。つまり、一厘の仕組み=世界救世の大神業と、同一視されるほど、大本では重要な秘策であるとされていた。
「私にそんな大層な事ができますでしょうか」
「ええか、よく聞けよ、この大本は宗教やないで、神業団体や、この意味判るか」
「わしは先ず仏教を滅ぼす型をやるのや、それが色々な宗教を滅ぼす型になるのや」
と王仁三郎氏は答えた。
辻氏は不思議に思い
「どうして宗教を滅ぼすのですか?」
と聞いた。すると王仁三郎氏は
「ミロクの世に宗教があってどないする、宗教というものが無いのがほんま、素晴らしい世の中なるんや」
と答えたという。
確かに、誰もが倫理的・道徳的な人達ばかりで、お互いが助け合うような世の中であったとすれば、警察も宗教も要らなくなる事になる。例えば数年前なら、辺境の田舎に行けば、泥棒も存在せず、誰もが玄関は開けっぱなし、窓も開けたまま昼寝する事も珍しい事ではなかった。王仁三郎氏は、世界中がこの様な世の中に成る事を目指していたのかも知れない。