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(回答先: 第一章 一連の物語 5 天言鏡/辻天水氏 - その1 始めは頑固な人物であった!?/辻氏の仕事は最後の一厘の仕組みか!? 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 10:02:28)
*天言鏡/辻天水氏 - その3*
*天言鏡を受け取る*
その後、辻氏は三雲龍三氏らと、茜大神を奉った錦之宮を建設し、裏神業と言われる、神業を続けていった。昭和22年5月13日には、大本信徒であった、生源寺勇琴氏が辻氏の家を訪問した。
生源寺氏は、八雲琴の創始者として名高い、中山弾正琴主の最後の直弟子といわれた人物であった。
辻氏宅の神前で、参拝を行った後、生源寺氏は、琴を弾こうとした時、神前に供えた八雲琴が、独りでに「トウテンツチン、トウテンツチン」と鳴り出し、この琴の音が鳴り止んだ時、王仁三郎氏の霊姿が突然と現れた。
やがてその霊姿は消え、代わりに文字が現れた。これは辻氏には見る事が出来ず、生源寺勇琴氏だけが、見る事が出来たらしく、この文字を生源寺氏が読み、それを辻氏が記録する、という方法を用いた記録作業が半年ほど、続いたらしい。
この様な経緯でできあがったのが、「天言鏡」とされている。
ちなみに、この王仁三郎氏の霊姿が現れた時には、当の王仁三郎氏は、亀岡の天恩郷で、病のために静養中であった。昭和23年になると岐阜に住んでいた、数霊、神道学者の武智時三郎氏が、辻氏のもとを訪れた。
△ 二人は意気投合し、武智氏も菰野の地に移り住む事となった。この年の1月19日には、王仁三郎氏がその生涯を終え、昇天している。
日月神示の天明氏と接近
昭和30年頃に、武智氏は脳溢血で倒れ、山から菰野の町へ下りて養生していた。この時、日月神示という神示を伝達した、岡本天明氏が岐阜に居る事を知った。武智氏は、天明氏に菰野の地に来るようにと薦め、天明氏も承諾、3人で神業を継続していく事となった。和31年の6月 10日には、辻氏が以前に王仁三郎氏から下賜された、短冊を天明氏武智氏両居のある土地に(現在の、至恩郷)奉斎し、3名の縁者訳60名が参加した。
その中には四国から参加した、小笠原登美子という人物が居たが、この登美子氏が鎮座祭に参加した夜、王仁三郎氏の霊姿が現れ「錦之宮の祭典に参加してはどうか」と促した。そして登美子氏が、錦之宮を訪れると、茜大神を祭っている神殿に、国常立大神が降り立ち、三宝の上に、実物の顕玉が出現したという。
その後は、登美子氏に様々な霊現象や霊示が起きるように成り、辻氏と二人三脚で、神業を行った。この二名は神命によって、結婚する事となった。この時には辻氏は67歳で、医学的にも子供の授からない体と言われていたが、王仁三郎氏の導きで、男子を一人授かった。この男の子には、王仁三郎氏の指示によって、公仁(きみひと)と名づけられた。
- 綾之宮神示群の正統性 -
実を言えば、自分はこの錦之宮、及び天言鏡を始とする、膨大な神示類に関して、さしたる知識も無いですし、また先に書いた、辻氏や裏神業といわれる内容に関して、殆ど秘密裏であって、関係者の証言に頼っている部分が、大多数を占めているのです。
つまり、殆ど状況証拠的なものしか無く、それも極少数で、殆どが証言に依っているという点に於いて、現時点で真偽を云々するのは止めようと思います。
ただ、科学的なメスが入れられるのであれば、明治時代の大本開祖の時代であったという短冊の、インクの材質等から、時代も特定出来るであろうし、王仁三郎氏が大阪の刑務所に居た時期の、訪問者の記録が残っているのならそれを調べるだけで、大分信憑性が高まると思います。
これらの直接の取材を行った、神典アナリストの中矢伸一氏は、その著書「出口王仁三郎、大本裏神業の謎/KKベストセラーズ」(当ページの参考文献の一部でもあります)の中でも、この様な経緯があったのは、ほぼ間違い無いと思う、と書いてあり、何もしていない自分が、この件に関してどうのこうの言うのは、僭越であると思いますので、素直にこういう事があったと、信じたいと思います。
●世の立て替えの真っ最中になりたら、瑞の御魂は四十八の生霊を以って、言霊神軍を組織し、之を引率して驚天動地の大活動を致さね ばならぬぞよ。それに就いては神界より秘策を授けて置かねばならぬことが、まだまだ沢山あるから、何時神が何処へ連れ参るやら知 れんぞよ。一人でも、神界の大秘事、神政成就までは知らされんことがあるから、肝心の生神の居る場所へは、御伴は一人も許すこと は出来ぬから、何時王仁の姿が見えぬようになりても、心配は致して下さるなよ。
・・・(中略)・・・
今のうちに瑞の身霊が心を配りて、因縁の深い身霊に内々申し付けて、御用させておいて下され。
-『伊都能売神諭』/出口王仁三郎伝達より-
という一節が、伊都能売神諭(王仁三郎氏伝達)に示されていますが、瑞の御霊とは王仁三郎氏の事です。そして、因縁の深い人間に、内々に申し付けておいてくれ、という事が書かれてあり、又裏の神業に携わった人達が、48人であったというのも、何かこれ自体が一種の雛形(雛形については後述)であったという気もします。
勿論、これの書かれた事が、そのまま裏神業と言われる事柄と、直接関係があるとは、分かりません。しかし、ひょっとすると、大本裏神業というのは、本当の事かも知れないとも、思うのです。
裏神業に関わる人達は、途中において、神の仕組みが変ったと主張します。これは単なる主張ですが、しかし当の王仁三郎氏が、大本の今後として、「三代教祖の時に仕組みが変る」と預言している事から考えてみても、何かしらの変更が行われた、という事は有り得ると思います。
もっとも、これを持ってして、辻氏を始とする、裏神業の真偽を計る事は出来ませんし、逆に言えば、大本信徒であった辻氏が、この一節等を読んだり聴いたりして、この様な幻想を持つに至った、という事も考えられますが、そこまで暇な人はいるだろうかとも、思うのです。結局のところ、これを読む人は、それぞれの基準で、判断してもらうしかないのが、実状です。