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(回答先: 第一章 一連の物語 5 天言鏡/辻天水氏 - その1 始めは頑固な人物であった!?/辻氏の仕事は最後の一厘の仕組みか!? 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 10:02:28)
*天言鏡/辻天水氏 - その2*
*王仁三郎氏の検挙後、神業を継いだ天水氏*
この様なやり取りのあった年の、12月8日未明、大本の第二次弾圧が起こった。王仁三郎氏は警察に連行され、大津駅から京都駅へと移送される所だった。この話しを聞きつけた辻氏は、一目でも王仁三郎聖師に会おうと、大津駅に向かった。大津駅では、警護の官憲たちに周囲を囲まれていた。
辻氏が官憲に金を握らせて、一時的に面会を許された。その間、辻氏と王仁三郎氏は、二人だけで面会する事ができた。「辻、お前、後頼んだで、後の仕組みは48人の大本の人間に残しておるから、続きは頼むで」と、大本で残された残りの神業を辻氏に託したのだという。
ちなみに、辻氏は出口日出麿氏とも、親密な間であったらしい。(日出麿氏は先に書いた、天明氏とも懇意で「天明君の面倒は一生見るつもりだから」と発言したりと、興味深い人物だと思う)辻氏は、土地や財産を総て、大本に献上してしまっていた。そうして辻氏は日出麿氏の自宅に呼ばれる事があった。
*辻氏にも接近していた日出麻呂氏*
「あんたですか、伊勢の土地一切を献納されたんは」
「左様でございます」
「伊勢というと、あんたの所に山から伊勢の海、四日市は見えますか?」
「はい、頂上に登れば見えます」
といったやり取りの後、日出麿氏は
「そこじゃ、そこに違いない、わしお前様の家に行きたい」
と語ったという。
日出麿氏はこうして、初めて辻氏の家を訪れる事になったが、辻氏の家の家紋を見て驚いた(日と月と剣をあしらった、珍しいものであった。)大本の裏家紋と、そっくりであったからだ。
「やっぱりあんさんの家は大した家じゃ」
と呟いたという。数日後、日出麿氏は辻氏に、「天水」と名乗るように告げた。これより以降、辻正道氏は、辻天水と名乗るようになる。
話しは前後するものの、昭和9年には、三雲家の自宅の神前に天水氏の持参した、刀を用いて、剣の祭が行われた。その後、この刀は天水氏から、王仁三郎氏に献上されたが、この辻家伝来の刀の家紋を見て王仁三郎氏も驚き、この刀に「神聖丸」と命名、同年7月22日に発足した、昭和神聖会の守り刀とした。
またこの年には、日出麿氏が再び、辻家を訪れ、御在所岳の麓にある、湯之山温泉に三日滞在していた、帰路の車中にて、日出麿氏は「神明」の幻影を見て「ここはほんま、大事な所や」と呟いたという。また、自分の履き物と、天水氏の履き物を取り替えるように命じ、しばし履き物を交換していたものの、再び元に戻したという、奇妙な行動もとっていた。
再び、大本弾圧後の辻氏の行動に戻ると、辻氏は王仁三郎氏に委託されたとおり、大きな世界地図の或る地点に立って、祝詞を上げたり、また神劇として、芝居を行うといった、一見無駄な事を繰り返していたという。
何か不明な点がある場合、大阪府刑務所を訪れ、王仁三郎氏と面会をする様になった。昭和17年になって、ようやく王仁三郎氏は仮釈放となった。辻氏は王仁三郎氏と会うと
「よう今迄やってくれた、それで、頼みがあるんや」
というと、一枚の短冊を出した(開祖の時代の短冊で、一体を揮毫して奉斎し、もう一方は無地のまま、必要な時の為に取っておいたものだという)その短冊に、以下のような揮毫を行った。
大
国
常
立
大
神
金 金
山 山
姫 彦
神 神
この短冊の裏側には「これのある処、常に神業の中心地」という筆を加えて、これを辻氏に下賜した。