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第一章 一連の物語 4 日月神示/岡本天明氏-その2 徐々に出来上がりつつある組織
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投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 15:38:04:Bat5keDwZxjsQ
 

(回答先: 第一章 一連の物語 4 日月神示/岡本天明氏 日月神示の発祥/数字で書かれた神示/始めは画家を夢見ていた天明氏/一生面倒 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 18 日 09:57:55)

*日月神示/岡本天明氏-その2*

*徐々に出来上がりつつある組織*
 
 
 
 大本を離れる事になった天明氏は、一時東京の代々木八幡神社の神主、平岩氏(ドラマ作家として有名な平岩弓枝女史の父親であるらしい)と共に言霊を学んだりしていたらしく、平岩氏の紹介で千駄ヶ谷の鳩の森八幡の神主が出征したため、代わりをしないかと、持ち掛けられて氏子総代の高井是空氏が、給料の足らない分を補足するという事で、天明氏は神主を引き受けるようになった。

 昭和19年4月8日、この高井是空氏が、押し入れから「国宝みろく菩薩半迦像」を持ち出して来て、二階に奉る事となり、この座敷で「修史協翼会」が開催される事となり、前述のフーチの実演会を開き「ひつき神」という件の神名がでるキッカケとなった。こういった経緯で天明氏が、日月神示の自動書記を行っていくようになる。

 しかし、当の天明氏は始は、この神は神格の低いものであろう、という認識しかなかった様で、何が書かれてあるのか判断が付かなかった事もあり、殆ど出るに任せて、本人は放っておいたらしい。矢野祐太郎氏の奥さん(シン女史)が、ある日千駄ヶ谷の友人の会合に出席した時の事、突然床の間に進み出て

「八大竜王、しばしこの場に鎮まりまします」

と叫んでしまい、吾に返った時に、自分の発した言葉に驚き、会合が終わってから、暫く辺りを散策する事にした。

シン女史が

「森はこの辺りにあるだろうか?」

と探してみた所、「鳩の森八幡」を探し当て

「ああ、ここか」

と中に入っていくと、社務所の中に、顔見知りの天明氏が、神主姿で居るので驚き

「天明さん、どうして此処にいなさるの?」

と尋ねてみた。すると天明氏は

「いやぁ最近ふでが出てね」

と神示を見せると、シン女史は顔色を変え

「これは太神様の御真筆ですよ」

と答えた。

 この矢野シン女史の説得で、「一二神奉賛会」「一二神示拝読会」が誕生する事となった。又解読も合わせて、行われていた。この様な経緯で、日月神示を信望する人達の間から、当然の事ながら教会組織が欲しいという、希望も出て来るように成り、取り合えず「ひかり教会」というものが、形なりに出来上がるようになってきた。
 
 
 
*数霊学者の権威との出会い*
 
 
 
 昭和25年9月になると、岐阜の熱心な人が節分毎に、天明氏を訪れ「穢土(エド)の仕組みは美濃尾張」とありますから、是非来てください」という説得で、ついに昭和28年3月28日に、岐阜の遠山幸一郎氏の自宅に移転する事となった。その後、知り合いになった、武智時三郎氏の招きにより、北伊勢に昭和30年に移転する事となった。

 武智氏は数霊学を研究している人物であり、岡本天明氏の殆ど数字で書かれた日月神示を、解釈する上で、大変有益な人物ではなかったかと思われます。又武智氏自体が、大本裏神業を受け継ぐと言われている、辻正道氏と親密な関係にあったという事ですから、当然の事ながら、辻氏と天明氏も接近する事になる。
 これらは、良く言われるような惟神(かんながら)的な、接近であり、無理な感じも受けない事から、やはり何かしらの意味があった出会い、という感じがする。
 
 
 
- 日月神示の正統性 -
 
 
 
 何に関わらず、こういった物事に対して、さしたる審神法を学んだ事も無い自分が、どうこう言えた義理ではないものの、日月神示には幾つかの疑問点もあります。しかし、上巻に当たる神示(現在出版されている『ひふみ神示(上巻)』)部分は、自分が読んだ限りにおいて、王仁三郎氏の「霊界物語」や直子氏の「大本神諭」等と、違いは見つけ難く、又王仁三郎氏の著作の多くに、同じような内容の記述が多く見受けられます。

 はっきりいって、日月神示を読んでいて、余り意味が分からない部分の多くが、霊界物語を読んでみて「ああ、こういう事なのか」という風に、気が付く事も多く、その意味での関連性はあると思います。ただ、天明氏が慎重に総てを綿密に調べて、つまり大本の著作を調べて、全くの自分の意志で書いておきながら、神示が出たと主張する、こういう事は、不可能でもないと思います。

 実は、王仁三郎氏は、神示に書かれた内容を、平易に分かり易く、人民に説くという役目を担っていたという事で、実際には大本神諭や伊豆能売神諭等の解釈であろうとは思うものの、日月神示を解釈する上でも、大変に参考とする事が出来ます。実際に自分も王仁三郎氏の著述で、色々な勘違いや思い違いといった事が、多々あった事に気がついたくちです。

 実際のところ、何やら出所の不明な胡散臭い、神示も世の中に多くあるようです。又そうした類いの預言が沢山に出て来るから、気を付けよ、という事が、伊都能売神諭等にも、でてきます。

 自我ではなくても、その当人の守護神などが、大本の筆先を調べて、似たような筆先を書くという事が、実際に大本に起こっていた様でもあり、この場合、実際に筆を書かされた当人が、本物の神が懸かって神示を伝達した、と信じ込む訳ですから、中々一筋縄では行かないでしょう。ただ、日月神示に関しては、大本の筆先の出方と比較しても、結構な説得力を持っていると、感じます。
 
 
 
*日月神示は本物or偽物!?*
 
 
 
1筆先が、普通には書けない

 直子氏も無学文盲であるに関わらず、筆を書いた(直子氏の産まれた年は、天保の大飢饉の年でもあり、少女の頃に住み込みで奉公していたのであって、文字の読み書きが出来なかったのは、本当だと思います。
 天明氏の日月神示も、数字が多く出現するので、中々解読が出来ない一種の暗号的な所が有り、わざわざ難しい事をしてまで、この様な事をするとは思い難く、むしろ王仁三郎氏の方が、文字も読めるし、学識もあり、自我で書く事が一番容易な人物であったと思います。

 何より、現在出版されているものには『仮訳』と記されていて、今現在でも解読できない神示が或る事を思えば、演技としたら大層なものです。また大本神諭にも、王仁三郎氏自体の著作からも、数字を使った文字は、多少使われていました。

【を九にとこたちのみこと→大国常立命】

【をで九”ちなお→大出口直】

【筆のしず九→筆のしずく】

上記の様に、判別はしやすいものの、どういう意味が在るのか、当て字的にしか思えないような数字の使われ方をしています。日月神示原文は、更に殆どが漢数字であるため、何が何やら、判別は相当に難しくなります

●九二九二@十九@二三十十七@三八日八九三二五六一ゝ○・・・・・・(以下略)
-『日月神示/松の巻第二三帖の一部』より-

 上記の様に、殆ど人間には読めないために、この様な筆を出すというのは、人間の我では中々出来ないとも感じますが、逆に言えばこれら神示の解読には、矢野シン女史を始め天明氏等の数人で行われたもので、適当に大本の筆先の内容に似せる事も、出来なくも無いですが、一応これらの数字の読みには、法則性を持っているため、適当な解読結果では、やはり後で調べれば、ボロも出て来るだろうと思います。
 
 
 
2芸術に秀でている
 
 王仁三郎氏も、焼き物や歌が得意で、芸術に関しては芸術は宗教の母であるとして、重要視していました。天明氏も、歌を読むし、元来が絵描きなので、当然の事ながら絵画が得意であったし、その評価が「純朴である」という事で、王仁三郎氏の一種子供のような、純朴さと、似た所を感じます。
 
 
 
3大本以外で出ても不思議ではない 
 
 今迄の連続する経緯(天理・金教・黒住等といったものから数えて)を見ても、或る特定の団体に於いてのみ、専属神的な立場で、現れている訳ではないと、思えますので、この点に関しては、自分としては、かなりアバウトです。実際の所を言えば、日本の『大本』という所では、艮の金神という神名で出てはいるものの、世界各地の至る所で、世の大峠を知らす神柱が現れるぞ、という大本神諭の内容から見ても、もっとグローバルな展開であるはずであるので、余り固有の団体に固執してしまうと、またもや、各宗派や教義的に囚われた宗教戦の如くなってしまうので、気を付けるべき(勿論、盲信も危険)ではと、思います。

4しかし、否定的な逸話もある

 しかし、徳間書店から出版されている「竜宮神示」という本の中には、辻正道氏が日月神示をじっと眺め

「ちょっとおかしいな、神様がこんなことを書くはずが無い」

と言い、前述の武智時三郎氏が天明氏に

「お前、これ本当に神様が書いたのか?」

と問い詰めたところ

「すいません、自分で書いたように思います」

と平謝りであったという。

 この事が本当であるなら、正に日月神示は天明氏が、自我で書いた偽者という事になります。しかし、今でも綾之宮と天明氏の至恩郷が、ずっと続いているというのは奇異な感じを受けます。又綾之宮の小笠原登美子女史は、その様なエピソードがあったという記憶は無いそうです。

 とすると、現存する関係者で、最も近い存在の登美子女史が、否定するというのは、以上のエピソードは果たして何処が出所なのか不明なのですが、ただ、日月神示は確かに、上巻と下巻では異質の感じを受けます。

 それは、上巻では総て数字を中心に書かれている神示が、下巻はそうでも無いようだからです。それと上巻のものは必ず神示の最後には「あめのひつく神しるす」などのサイン(?)が有りますが、下巻には何も無いものも存在するのも、違う点です。

因みに、自分としても、不思議であったのが、日月神示上巻の最後のこの一節です
 
 
 
●二三巻でこの方の神示の終わり、終わりの終わりぞ、後の七巻は他から出してあるのざぞ、いづれ判りてくるぞ

-『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
 つまり、上巻の一番最後に、日月神示はこれで終わりだぞ、と明示的に書かれてあるもので、何故に下巻が存在しているのか、そこが謎であったのです。

 これらの事を踏まえると、一応日月神示は上巻は信用に値するものの、下巻はまだまだ予断の許さない部分が多いと、認識しておいた方が、良いと思われます。

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