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(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 霊訓について/意外な共通点(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:19:50)
錦の機(はた)の仕組
●この大本は地からは変性男子と変性女子との二つの身霊を現はして、男子には経(たて)糸、女子には緯(よこ)糸の意匠(しぐみ)をさして、錦の機を織らしてあるから、織りあがりたら立派な文様が出来ているぞよ。
神界の意匠を知らぬ世界の人民は、色々と申して疑がへども、今度の大事業(たいもう)は人民の知りた事ではないぞよ。
●変性女子は、こうして反対致しもって、錦の機を織るのであるから、神は何事も承知は致しておれども、余り永らく反対いたして改心が出来ぬと、世界中の苦しみが永いから、もう時節であるから、早く改心為して下さらんと困るから、神がくどう出口直が嫌がりても気を注けさすぞよ。
海潮(※王仁三郎氏の一名)が善くなれば、半年遅れて澄子(※直女史の末娘・王仁三郎氏の妻)が善くなるぞよ。澄子が善くなれば、次に役員が善くなる。役員が善くなれば氏子が善くなるぞよ。
●大本の仕組は、錦の機(はた)の仕組を世の元の神が致して、変性男子、変性女子の経と緯との二つの霊魂(みたま)を現はして、三千世界の御用が為してあるぞよ。
経の役は、口で言はせる事も手で書かせる事も、毛筋ほども違はせられん辛い御役であるなり。緯の御用は、サトク(※織物の機台に使われる用具)が落ちたり、糸が切れたり、口が歪みたり、初発には言ふた事も違ふたりするという云ふ事が、今の世の乱れた世の経綸が為してあるといふ事は、アレ程出して知らしてあるのに、未だ取り違いを致して、色々と申している人民があるが、「細工は隆々、仕上げを見て下されよ」と申してあるぞよ。
●身魂を磨いておらんと、結構な事がでてきても、錦の旗の模様が判らんやうな事ではならんぞよ。今まで苦労いたした事が、水の泡になりてはつまらんから、大本の辛い行を勇んで致す人民でありたら、神が何ほどでも神力を授けるから、ドウゾ取違ひをせぬよう、慢心の出ぬ様に、心得ておりて下されよ。世界の神、仏事、人民の為に、神が永らく苦労を致して居るぞよ。
●谷々の小川の水も、大川へ末で一つに成る仕組み。
-いづれも『大本神諭』/出口直伝達より-
●…それで今度は天と地とを拵へた元の生神が、綾部本宮の世の本の地場に現はれて、今度の世界を構ふて遣らねば、何時までも天下泰平には成らんから、経(たて)と緯(よこ)との機織の仕組みが世の元から致してありたのじゃぞよ。機の初り丹波の綾部、あやの神戸(かんべ)にあるわいなと、昔から歌が遺してありたのは今度の世界の立替立直しに就いての譬えであるぞよ。縦糸はモウ出来上がりて天へ上がりたから、是から先は変性女子が御苦労なれど、縦糸をかけて棚機姫(たなばたひめ)殿の御用を致すのであるぞよ。珍しき機の仕組みであるぞよ。
-『伊都能売神諭』/出口直伝達より-
モーゼスの霊訓
かくて真理は甲から乙へ、乙から丙へと、次第次第に四方に伝播し、やがて高山の頂峰から、世界に向かって呼びかけねばならぬ時代も到着する。
見よ、その時、この隠れたる神の子達が、大地の下層より隆起して、自己の体得し、また体験する所を、堂々と証言するであろう。最初は細き谷川の水も、やがて相合して、ついに神の真理の大河となり、洋々として大地を洗い、その不可抗の力の前には、現在汝等を悩ます愚痴も、不信も、罪悪も、虚偽も皆、跡形もなく一掃されるであろう。
シルバーバーチの霊訓
即ちかの偉大にして素晴らしい計画、その中に皆さんの一人ひとりは、自らの小さな絵模様を織りこみつつある。やがてこの織物は完成するだろう。その暁には、各民族各人種はその所を得て、ここに完全な世界が現出することになる。
静寂の中に産まれつつあるもの、何物も動いているとは見えない時に、それこそ織られつつある刺繍(ししゅう)の一部。
日に夜をついでこの作業は進む、他日地上の子等すべてを多い尽くす。大いなる織物を織り上げる作業が。 あなたの使命はまだ終わっておりません。まだまだこれから織っていかねばならない糸が残っております。この世に残すべき足跡、あなたのこの地上生活に計り知れない意義をもたらした霊的真理を何らかの形で残していく仕事が、まだ残っています。
世の大峠(立替と立て直し)
●世界にある事変は、皆明治三十二年から大本の内部に模写(かた)がしてみせてあるぞよ
●この内部のごたごたが世界に出来るぞよ。いつ大本にこういう事がありたという事を、つけとめておいて下されよ、世界の鏡になる大本であるから、世界にあること、雛型(かた)をして見せるぞよ
●大本にあった事は必ず日本と世界に実現する、大本は世界の模型であるから、箸の転んだ事までつけとめておいて下されよ
●大本の雛型(こと)は神界の仕組であるから世界中へ映るぞよ。
●日本の国は世界の中心(まんなか)、世界の土台であるから、この土台の上に水も漏らさん仕組がしてあるから、途中に変わるやうなものではないぞよ。
-いづれも『大本神諭』/出口直伝達より-
●ニ二(ふじ)は晴れたり日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす世となれる、仏もキリストも何もかもはっきり助けて七六(しちむ)かしい御苦労のない世が来るからみたまを不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。今一苦労あるが、この苦労は身霊をみがいておらぬと越せぬ、この世はじまって二度とない苦労である。
-『日月神示』/岡本天明伝達より-
シルバーバーチの霊訓
今日いま一度、地上には霊的な力が投入されている。地上の者は誰一人として、この大きな潮の流れを、阻止する事はできないであろう。 霊的な大きな力が、いま地上世界に向かって降りていく。地上のあらゆる国々で、次第にこの力が感得されていく。いま地上では大事業が進展している。それは地上の利己と無知を打破しようとする運動である、やがて時来れば、この事業は必ず達成される。だが、その前に必ず大きな産みの苦しみがある。
政治・経済
(前略)・・・最近の反宗教運動に関する意見を叩く機会をとらえることができた。
「反宗教?わしの方は大賛成じゃ。もともとわしの方は昔から反宗教で押し通して来たんじゃからな」
「でも、大本教だって宗教の一種である以上は、反宗教運動の対象になるんじゃないですか?」
「いや、大本は決して『宗教』じゃない。『大本教』というのは、いはば新聞辞令で、わしの方は『大本』といってるだけじゃ。
『大本』は政治も経済も芸術もみんな引っくるめた宇宙の大本を説いているのであって、現在ある『宗教』のようなけちなもんとわけが違う」
-昭和6年10月号『文芸時代』「出口王仁三郎訪問記」より-
(前略)総て何事でも政治、教育、実業、医学、暦法、天地文学、科学、宗教、哲学、その他一切のものは皇祖皇宗の御遺訓なる皇典古事記に包含されて居る。しかして皇道は政治の大道が主眼になって居ります。
-『王仁文庫』公認教と非公認教より-
●神のやり方は日の光と申して、くどう気つけてあらうがな。政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ。神の臣民、魂と肉体の別ないと申してあること分からぬか
●神は臣民から何求めてゐるか。何時も与へるばかりでないか。神の政治、神国の政治は与へる政治とくどう申してあろがな。今のやり方では愈々(いよいよ)苦しくなるばかりぞ。
●神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけざぞ。まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。
-『日月神示』/岡本天明伝達より-
シルバーバーチの霊訓
やがて新しい民族が台頭する。その民族は一切の政治も宗教も科学も、ただ一なるものの各部分である事を認める。その日には、苦しみも涙も嘆きも災いも消え失せ、地上は唯、微笑みと幸福の国と変るだろう。 地上には三つの課題がある。第一は無知、第二は悲しみ、第三が飢え、この三つはいつまでも消えないだろう。
心霊知識が政治と結びつき、人々が心霊知識を身につけて、それに従って生きるようになるまでは。 人に奉仕することをしないで、どうやって神に仕えることができようか。地上世界は用語とか名前とかレッテルとかを気にする。私は一言で、これを奉仕という。皆さんはこれを、政治学とか経済学とか社会学とかいう。だが、これは単に表現の相違に過ぎない。
春の到来
伸び縮み、心の船のままぞかし、神の経綸(しぐみ)は人にありせば
-『霊界物語』/出口王仁三郎口述より-
●大本には、世界の事が映るから、大本の中の様子を見て居りたら、世界の事の見当が、明白に判りて来るぞよ。筆先に一度出した事は、チト速し遅しはあるなれど、毛筋も違はん事ばかりであるから、皆でてくるぞよ。
●世界の人民の改心が出来たなれば、早く良くなるし、改心出来ずば永く苦しむだけじゃぞよ。
-『大本神諭』/出口直伝達より-
●おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。人間は近欲で疑い深いから、何も分からんから疑ふ者もあるなれど、この神示一分一厘違がはんのざぞ。
●人民と申すものは生命が短いから、気が短いから、仕組少しでも遅れると、この神は駄目ぢゃと、予言が違ったではないかと申すなれど、二度とない大立替えであるから少し位の遅し早しはあるぞ、それも皆人民一人でも多く助けたい神の心からぢゃ、遅れても文句申すが早くなっても又文句を申すぞ、判らんと申すものは恐ろしいものであるぞ。
-いづれも『日月神示』/岡本天明伝達より-
シルバーバーチの霊訓
今地上のあらゆる所に、不満の雲がただよっている。しかし夢あふれる春と成就の夏が近づいて来る。その到来は、神の子等がその自由意志を鍛える歩調に応じ、早くもなり遅くも成る
神の奇跡
信仰の浅きもの、近欲なるものは、神の奇しき働きを求むるものなり。
-『裏の神諭』/出口王仁三郎著より-
●いつも筆先で気を付けてあるが、この大本は艮の金神の筆先で世を開く所であるから、余り霊学ばかりに凝ると、筆先がおよそになりて、誠が却って解らんやうに成りて、神の神慮にかなはんから、筆先を七部にして、霊学を三分で開いて下されよ。帰神ばかりに凝ると、最初は人が珍しがりて集りて来るなれど、余り碌な神は出て来んから、終ひには山子師、飯綱使、悪魔使いと言はれて、一代思はくは立たんぞよ。
-『大本神諭』/出口直伝達より-
●奇跡を見せ、病気を治してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ。そんなこと位でマコトのホッコン改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。
-『日月神示』/岡本天明伝達より-
モーゼスの霊訓
つまり人間は、奇跡を演じてみせようとすると感心する。そして自分の個人的興味がそそられ好奇心が満たされる限りは、ついてくる。が、その段階から引き上げ、自己中心的要素から脱して、永遠の価値を有する本格的真理へ近づけんとすると、背を向けます。
高すぎるものは受け入れられないのです。そこで神の計画が挫かれ、神より託された人間への恩恵が、にべもなく打ち捨てられます。 心霊現象は、あくまでも霊の実在を確信させるための手段にすぎないことを心得られたい。その一つ一つが霊の世界から物質の世界への働きかけの証なのです。それだけのものと理解し、それを霊的神殿を建立するための基礎として活用してほしい。
現象はどういじくってみたところで、それ以上の価値は出てきません。それに、霊側がこれ以上やっても無駄とみた時は、そうした現象を得意とする低級霊に譲って引き上げてしまうものです。かくして折角の奥深い啓示の機会が逃げ去ることにもなります。
シルバーバーチの霊訓
人間には、ただ単に病気を治すだけでなく魂の琴線に触れて霊的真理に目覚めさせる偉大な霊力が宿されております。私はこれからこの霊力について語り、あなたがたにぜひ理解していただきたいと思います。というのは、心霊治療もそこに本来の存在理由があるからです。 心霊治療によって奇跡的に病気が治る―それはそれなりにすばらしいことですが、その体験によってその人が霊的真理に目覚めるところまで行かなかったら、その心霊治療は失敗に終ったことになります。魂の琴線に触れた時こそ本当に成功したといえます。なぜなら、その体験によって魂の奥にある神の火花が鼓舞され、輝きと威力を増すことになるからです。