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(回答先: 第六章 共通点 1 神示と霊訓 霊主体従と神法(大本教・民間信仰・民俗) [99-03-18] 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 19:51:40)
*半霊半物の世*
日月神示には半霊半物の世となると書かれてあります。この世の半分が霊界となり、半分が物質となるという意味の事も書いてあるのですが、これは人々が今までは唯物主義であったのが、霊5体5という思想を持っていくという意味かも知れません。
ただ、浅野和三郎氏の和訳したものの中には、以下の事例が存在する様です。
モリス夫人入神公演
…然らば現時の人類の最大目標は何か?―他でもない、それは顕幽両界の大連結であります。過去数世紀に渡って、人類の前面には、精神的大障壁が横たわり、殆ど全く霊界の展望を妨げて居ましたが、今や再び昔のイスラエルの時代のように、それが撤廃されるべき機運に達しました。
…(中略)…
今や顕幽両界の障壁が、ようやく撤廃に近づくと同時に、太陽神主宰下の大天使長は、そろそろ地上の経綸を、直接の指揮下に置かんとしつつあります。
その大人格は外でもない、イスラエル神話のいわゆるミカエルであります。霊界の居住者の一人として、私はこの大人格が、今まさに地上人類の霊的覚醒を促すべく、活動を起こしつつあることを、諸君に警告するものであります。
世界同胞精神の普及―これ以外に、人類平和の鍵はどこにもない。が、無論ただ口に世界同胞愛を呼號するだけでは、何の役にも立ちません。それで人間をゴマかすことは出来ても、神をゴマかし、宇宙の法則をゴマかすことはできません。口に唱えた事は、これを行為の上に生かされねば成りません。ところが、現時の人類は、口で説明することはお上手になったが、まだ十分同胞愛の真義に徹してはおらぬらしい。その証拠は、移民の制限に現はれ、土地の争奪に現はれ、償金の強要に現はれ、その他多くの事物に現はれている。
…(中略)…
近来顕幽の連絡がつけられた結果、死後個性の存続が証明されたといふ事は、人類にとりて、大切な事柄ではあるが、しかしそれは、進むべき段階の第一歩に過ぎない。諸君百尺竿頭一歩をすすめ、他界の偉大なる指導者達との、共同運動を開始するまでにならねば本当ではない。宇宙内部の各段階の連動装置―これを円滑に進行させる事が、神の摂理の眼目であらねばなりません。
これを要するに、現下の最大事業は、今後人類の據りて立つべき、天衣無縫の指導原理の確立であると信じます。それは一宗一波、又は一地方民族の占有物でなく、普遍的共通指針であり、同時に現在の活問題の解決に対して、実行的威力を有するものでなければならぬ。これを宗教と称するなら称してよいが、それは既成宗教のすべてと異なり、太陽神から直接司配さるる、大自然教であらねばなりませぬ。
既成宗教は、決してその敵ではなく、むしろその下にありて、特殊の方面、特殊の民族を分担すべき性質のものでしょう。
…(中略)…
私はなるべく預言じみたことは言いたくないが、ただこれだけの事は諸君に告げたいと思う。他無し、従来よりも広く、より深く、又より自由なる真信仰が、世界の人類を司配すべき時代が、久しからずして到来するという事であります。
地上人類の進化のテンポは、近年非常に速まり、従来とはすっかり異なった、精神の糧を必要とする魂の所有者が、どしどし出現しつつあります。
この要求を遺憾なく充たすのが、ただ最も正しき意味の神霊主義…科学と、宗教と、哲学とを打って一丸となし、理論実行二つながら兼ね備えたる。活きたまことの道であらねばならぬことは、申すまでもないと信じます。
いやしくも、籍を神霊主義の籬(まがき)のうちに置かれる方々は、よく自己の重き責任を自覚し、いつまでも霊界の入り口に足踏みして満足することなく、本源の世界に向かって、できるだけ奥深く潮航するようにして頂きたい。
-『霊訓』1931年7月28日フォルチュン劇場におけるモリス夫人入神公演/浅野和三郎訳より-
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これは浅野氏の訳なので、これに限らずちょっと言い回しが、大本風の感じもありますが、もとより彼は英文学者なので、原文がある以上は文意を故意に曲げたりはしていないだろうと思います。
ましてや他の訳者(桑原啓善氏など)も、これらの経綸を指して『大事業』という訳を充てていますが、お筆先の「たいもう(大望)」を王仁三郎氏はいつも『大事業』という同じ語句を充てていた所など、少し興味深いところです。
アゝ…それにしても、王仁三郎氏の行った活動、新真理の唱導、世界同胞主義、及び同種の各宗教宗派との提携と共同運動、etcという一見矛盾した行動は、判る人には何も霊訓を必要とするものではなかったと思いますが、しかしそれにしても、ようやく自分も兜をぬぎはじめました。
*恐怖の大王論*
ようするにほぼ一様に、今までの事は用いられない、全く新しい真理が台頭してくるぞ、という警告なのですが、お筆先にも「艮の金神と現はれて国常立尊と開く仕組み」という表現が見受けられます。
恐ろしい祟り神、鬼神がやって来たが、本当は人類に真理を伝えにやって来た、という事かも知れません。確かに体主霊従=ウシトラに閉じ込めた神々にすれば、恐ろしくもあり、霊主体従の神々にすれば、嬉しくもあるのです。
自分はノストラダムスの事はよく知りませんが、有名な詩の「1999年7の月に空から恐怖の大王がやって来る、その前後にアンゴルモアの大王がどうかした」というのは、これを意味するのかも知れません、彼はユダヤ人ですから、ましてアンゴルモア(だったかな?)のアナグラム(スペルの並べ替え)で、古語で「鉄の杖」という意味になるそうです。「鉄の杖」といえな、イエスが「彼は鉄の杖を持って云々と預言したものがあります。
またそれを思わせるかの様な事を王仁三郎氏も「天に王星の顕れ、地上の学者智者の驚愕する時こそ、天国の政治の地上に移され、仁愛神政(みろく)の世に近づいた時なので、これがいわゆる三千世界の立替え立直しの開始である」という様に語っているのです。
しかし、ノストラダムスの詩にはおかしな点があります。それは神諭や霊訓とともに、人間の心如何によっ
て、その時は早くなったり遅くなったりするのだ。という事で、旧約聖書にさえ「その時は」何時来るのか、天の父より他は誰も知らないと書かれてあります。
従って1999年7月云々という様な記述は、ちょっと考えにくいのですが、異様な輝きをする星を頼りに、学者がキリストを見出した様に、天津日嗣の本来の実子が誕生する、という事かも知れません。
もしもそうならば、その実子が成人し何時に何を成すかによって、また時期もブレが生じるため、つじつまも合ってきますが、その為には丁度我々とは、神世開基(ヨハネ)として、その地盤固めをしておく程度はして置かないと成らないという事になります。
また「金星の法と太陽の法が戦って、もし太陽の法が勝てば、地上は救われる」といった意味の詩も、同様の事を述べている気がします。いずれにしろ、むしろ喜ぶべき事(神法を理解するなら)で、別段世界が滅亡するとかいう事ではないのです。もちろん、彼はキリスト教徒だったので、単に自分の詩の中にそれらを織り込んだだけかも知れません。
*画家の感性*
これは岡本天明氏に関わる問題なのですが、彼は元来が画家であったというのは紹介してありますが、シルバーバーチの霊訓の中に、画家の感性について、以下の様な記述があります。
モリス夫人入神公演
…しかし高級な教訓を取り次ぐ時は、波長が違う。それは別の意識が使用されるからだ。この場合、私は絵や幻や符号や直感で印象を受信せねばならない。それは丁度、霊媒が私達からの通信を印象させられる方法と同じだ。この時は、私は皆さんがシルバーバーチとして知っている波長より、更に高級な波長を発揮せねばならない。
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画家が霊感を受けると、平常とは違った波長と感応している。この状態の時、彼は一つの力の虜となっており、これあればこそ画布に映像を写し取る事が出来るのである。
日月神示は、元来が記号やら数字が使われていて、それを読める普通の文章にしたのが「ひふみ神示」であると前述しましたが、中には絵の場合もあるのです。今までの引用した中でも霊訓風の、言い回しが現代口調のものなどが、それにあたります。
果たして、彼が受信した波長とは、上記シルバーバーチが受けたのと同様の、高級な波長であったのでしょうか。