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どうも最近「漠然としたイメージで論を語る人」が多くなってきた気がする。
いわく「綺麗事より国益だ」
いわく「良識派の理想論は聞き飽きた」
いわく「臆病な売国奴には用はない」
どうも、産経新聞の主張が誤った認識を広めているきもするが
少し、書いておいた方が良いかもしれないので書いておく事にする。
歴史問題があり色々ある訳だが、「南京大虐殺は無かった」と認められ世界的に認知された事実ではない。一部日本の歴史研究家はその様に主張し、結論付けてはいるが、世界の一般常識では(被害者人数は問題だが)歴史上の事実である。
従軍慰安婦問題だって「無かったと確定した訳ではない」
一部の証言が証拠能力に乏しい等という事で全てが誤りだと決めつけているのは一部の人だけである。
日本人による日本人だけが信じる日本人が有利な歴史観を持って「それを周辺諸国に認めさせよう」と言うのは「誇りある行為」ではなく「恥ずべき行為」である。
「私の亡き親父は総理大臣経験者という」謝った認識を持った子供がいて、それは、家庭の貧困から母が気を紛らわせる為に言った方便だとして、それを信じ生きていく事は正しい事だろうか?
Kは正しくないと思う。本当に誇りある行為とは真実の歴史を先入観無しに考察し、認めるべき非は認め、謝罪すべき点は謝罪する行為だろうと思う。
イメージとしての「誇り」と本当の意味の「誇り」の取り違えがある気がする。
国益を主張する人がいる。日本国民である限りは、それは正しい
しかし、泥沼の争いに国民を駆り立てる主張にどのような国益が見いだせるのだろうか?
仮に戦争になった時には「彼等は神風特攻隊志願して日本の為に活路を開いてくれる」のだと思うが、核ミサイルを大量に保持している大国に神風特攻隊で勝てるのだろうか?
「相手を黙らせろ」というのは簡単である。そう口を動かし、声を出すだけである。
しかし、それだけで相手が黙る訳ではない。
「相手の国より自分の国の方が優れている」というイメージと「相手に譲歩するのは争議行為以上の損失」というイメージがそこにはある。
相対する主張がぶつかれば、多少の損失はあり得る。その中で、もっとも損失の少ないと思われる選択手を選択する事こそ「本当の意味の国益の確保」だとKは思う。
良識派は綺麗事の理想論を唱えると主張する者がいるが、Kは良識派などではないが
イメージ的な思考先行で「バラ色の誇りある大国」という理想論を掲げて民衆を扇動しようとする者に「理想論」を嗤う資格はないだろう。
国連理事国になって、発言力を増したいというのは理屈的には分かる気もするが
仮に「お金をばらまくような事をしてまで理事国入りを果たした」として「何を発言する気なのだろうか?」「アメリカの太鼓持ち的な発言をするのだろうか?」
裏金使って「授業について行けないので身に付かない大学に無理に入学する」のと同じ様な行動を「国益」というのであろうか?
そんな事をする国をどこの誰が尊敬をしてくれるというのであろうか?
それとも「誇りある国」というのは肩書きに拘る権威主義国家なのだろうか?
イメージはイメージ、肩書きは肩書きである。実質的な物が伴わなければ価値はない。