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(回答先: イメージで主張を進めるのは誤りである。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 4 月 16 日 22:35:04)
はじめまして。
無学な食えねぇ落語家です。
私は良し悪しでの判断ではなく、貴方の主張が嫌いです。
そうなっちゃいけねぇ気がしてなりません。
論旨を展開させて頂きます。
>どうも最近「漠然としたイメージで論を語る人」が多くなってきた気がする。−−−
私もイメージと考察の別が無い様な気がします。
貴方もイメージで論を語っています。
体験を伴わない考察は、文字通り、考え察した状態であり、日本での用法でいうイメージそのものではないでしょうか?
>歴史問題があり色々ある訳だが、「南京大虐殺は無かった」と認められ世界的に認知された事実ではない。一部日本の歴史研究家はその様に主張し、結論付けてはいるが、世界の一般常識では(被害者人数は問題だが)歴史上の事実である。−−−
人が死んだ事実が曲げられない以上、心痛い過去です。
ただ、例えば「障害致死」を主張しているのに「殺人」で起訴されれば、当然、死んだという事実は変えられないものの、自分の主張は認知されたいと思うだろう。
戦争での犠牲は確かに痛ましいが、数十倍から数百倍の開きがあれば、そんな主張の相違も出るでしょう。
もし、貴方が「殺した事実があるのに、手前勝手な主張はすんな」というなら、犯罪者の更正や社会復帰を認められませんよね。
主張は主張、事実は事実であります。
>従軍慰安婦問題だって「無かったと確定した訳ではない」
一部の証言が証拠能力に乏しい等という事で全てが誤りだと決めつけているのは一部の人だけである。---
証拠能力が乏しいのに全てが事実だったとする見識は問題です。
むしろ、証拠能力が乏しい場合、犯罪はあったのか?と疑うのは当たり前です。
人攫いをして慰安婦にした証拠はありません。
金の為に売られた人もいたでしょう。
慰安婦の人権に対しては、最も紳士的な規則で運営されていたとする当時の公文書もあります。
>本当に誇りある行為とは真実の歴史を先入観無しに考察し、認めるべき非は認め、謝罪すべき点は謝罪する行為だろうと思う。−−−
この一文に対しては非常に好感が持てます。
>しかし、泥沼の争いに国民を駆り立てる主張にどのような国益が見いだせるのだろうか?−−−
場合によるでしょうが、絶対に譲れない主張はあると思います。
私は、南京はもっと規模が小さかったと考えますし、慰安婦問題も当時の国際社会では否定されていない行動だったはずです。
非人道的としての謝罪には非を唱えるつもりはありません。
認めろと言われている事柄の内容に、身に覚えの無い事があれば、認めてはいけません。
>仮に戦争になった時には「彼等は神風特攻隊志願して日本の為に活路を開いてくれる」のだと思うが、核ミサイルを大量に保持している大国に神風特攻隊で勝てるのだろうか?−−−
もう既に核に負けてるって事ですか?
負けちゃいけません。
核で脅されているなら毅然として、脅すなと言いましょう。
>それとも「誇りある国」というのは肩書きに拘る権威主義国家なのだろうか?
イメージはイメージ、肩書きは肩書きである。実質的な物が伴わなければ価値はない。−−−
貴方も理解されているようですね。
実質的な物が伴わなければ価値はない。
その実質的なものが明確な証拠であります。
証拠が乏しい状況で、責任を問うのはおかしいですよ。
貴方の考察も結局実質的なものを伴っていない、感覚のみのものじゃないかと思います。
居直るのではありません。
やってもいないものを認める行為は、その根本において、間違いだと主張します。