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(回答先: Re: イメージで主張を進めるのは誤りである。考察者Kさんへの言葉 投稿者 丸服亭直三 日時 2005 年 4 月 17 日 00:36:29)
>丸服亭直三さん どうもです。
無駄だと思いますが、一応、お相手しておきます。
>貴方もイメージで論を語っています。
>体験を伴わない考察は、文字通り、考え察した状態であり、日本での用法でいうイメージそのものではないでしょうか?
そうですよ。その通りです。そこが突っ込まれる事は予想もしていました。
ただ、「単なる気分としてのイメージ」と「理論考証に基づいて考察した結果の可能性の高いイメージ」では全く違います。
例が適当かは疑問ですが、例をあげておきましょう。ボクシングではイメージによるトレーニングがあると聞いています。
「奴は馬鹿だから、俺が勝つ」
と根拠のないイメージを持つのと
「奴は、こうしてくると予想できるので、このように対処して、右のカウンターを出す」
というイメージトレーニングは、差があるとKは思います。
要は、結論に至る考察(イメージ)が「確率的な高そうな(しかし、実現はしていない不確かな結論ではなるが、それに)筋が通っているか、いないのか」によってイメージにも色々なレベルがあるのです。(決してKのイメージが高レベルと主張している訳ではありませんので念のため)
「やってもいない犯罪を認める必要はない」との主張のようですが、それは一部正しいでしょうが、しかし、ケースバイケースです。
「やっていない事が第3者から見て立証されたと判断断定された場合(しかし、被害者は納得していない)」
のと
「被告の自分の都合の良いだけの理屈で無罪が主張される場合」
では、ケースが違います。
従軍慰安婦問題でも「公文書」という一種の形式を整える為にあり不都合な部分を載せる事のない文書はそれなりの(公平な第3者による)検証を経なければ証拠として採用すべきではないとも考察されます。(K的には公文書ほど当てにならない文書はないとすら感じています。実際の状況を判定する上では日記などの非公式文書の方が確率的に正確です。)
当時はまだ人身売買があり、慰安婦になったのはそのような人達との考察もありますが、全ての人がそうだったとの確証も、また、無い訳です。
「疑わしきは罰せず」という日本の判例はありますが、それは日本の国内においてのみ通用する思考方法で「陪審員制度」を採用している国では通用しませんし、ましてや、被告が被害者に押し付けるべき事柄ではありませんね。
それが正当というのはヤクザの論法です。
例えば、示談という事が民事では行われます。これは「双方が納得しなければ成立しません」成立しなければ、解決はしないのです。
被告側が一方的に「もう済んだ!」と主張しても何の解決にもならない訳です。
本当に解決するには「相手が納得する方法」を考えるべきでしょう。
理屈は理屈であり、絶対に正しいとは言いませんが「漠然としたイメージと一本筋の通ったイメージは違う」と言う事だけ認識して貰えればと思います。
各論については個人の主義主張で千差万別です。それぞれの立場もあり、一概に「こうしろ」とは言えません。
しかし、「本当の意味での国益(相手がある限りこちらが一方的に利益を得る事はあり得ない)を考える」とか「汎用的に通用するだろう考察方法を用いて物事を判断する」事は、必要なのです。
自分勝手の理屈を押し通そうとする者は信頼を失う事が多いでしょう。
それが、日本の「国益」にどのように影響するのでしょう?
物事には短期的展望と長期的展望があり、それらを総合的に判断しなければ正確な結論など下さない事も多いのです。
対アジアの人々と摩擦係数を高める事が「国益」というのは間違っているとKは思います。