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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu74.htm
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梅棹忠夫(著)「日本語の将来」近代文明語の
日本語を、東アジア全体の共通語にすべきだ
2004年7月8日 木曜日
【梅棹】 さきほど、日本の教育は一通りの文字が読み書きできるまで小学校6年間ですまないと申しましたが、こんな恐ろしい国語をやっている近代国家の国民はないですよ。たとえば英語、ドイツ語、フランス語、すべてローマ字の世界ですけれども、アジアではトルコ、ベトナムも採用しています。この世界ではだいたい1年で読み書きができるようになる。えらい違いです。日本人は6年経っても完全に読み書きができないんです。初等教育における遅れというものをどういうふうに考えるかということですね。
◆日本語は学習しにくいことばか
【岸本】 確かに漢字がなくなればやさしくはなるかと思うんです。先ほど先生から、漢字がなくなれば日本語の良い面が出てくる、すばらしい面がでてくるというお話があったんですけれど、しかし、そんなに日本語というのはすばらしく合理的な言語なんでしょうか。たとえば、発音とかなは一致していますね。
そういう意味で英語なんかは「A」という文字があっても「アー」であったリ「オ」であったり、いろんな発音があるわけですけれど、日本語のローマ字で「A」でしたら「ア」ですし、ひらがなで「あいうえお」の「あ」と書けば「あ」ですし、それ以外の発音は全然ない。そういう例で見れば確かに日本語は非常に合理的かなと思えます。
それから、いわゆる50音表ですね。ああいうマトリックスで発音と文字がピシッと決まっている。こういう言語はほかにあまりないというような意味では、合理的な面が垣間見られるわけですが、全体的にどうでしょう? そんなにすぱらしい、残していく価値のある言語なんでしようか?
【梅棹】 この大学にはたくさんの外国の方がおられると聞いておりますが、外国人にとって、日本語はきわめて学習しにくい難しいことばだということを昔から聞いております。しかし、どこが難しいのか。日本語の文法が難しいということはありません。日本語の文法はきわめて簡単で規則的なものです。
たとえば、私はヨーロッパのことばをいくらかやりましたが、フランス語など動詞変化がものすごいです。ずいぷん複雑な変化をする。しかし、日本語の動詞はじつにかんたんです。ほとんど全部規則変化です。それも語尾は3種類しかない。1つは「u変化」。終止形が「u」で終わっている動詞です。「書く」とか「押す」とか、「u」で終わる。それから「見る」というような、「ru」でおわる動詞ですね。それから「uru」で終わる動詞。「〜する」などがそうです。
「u動詞」「ru動詞」「uru動詞」の三種類しかないんです。これらの動詞はすべて整然と変化する。ところが、ヨーロッパの諸言語はいわゆる屈折語です。屈折語的文法を持った言語はとてもこういうわけにはいかない。ヨーロッパの屈折語に対して日本語は膠着語、にかわでくっつけた、つまり語尾がくっついているタイプの言語です。
日本語の場合、動詞変化がじつにかんたんです。もちろん、言いまわしの難しさはあります。これはどこのことばでも出てくるのでしょうがない。文法として日本語は簡単明瞭、簡潔なそして整然たる言語です。
現在の日本語の動詞には、1つだけ例外的な不規則動詞があります。それは「来る」という動詞なんです。これだけは違います。「来る」は「こない」とか「きた」とか「こい」など、さきほどの3つの類型に入らない変化がありますけれど、あとはみんな簡単な文法でいける。じつに楽な言語です。
日本語は外国の人たちが習得するのに難しい言語とはとても思えない。ただ、今までの例を見ていますと、日本語の習得に一番難しいのは漢字なんです。漢字を学び始めると、みんな往生する。実は今、世界中で日本語を学習している人口は300万ないし400万といわれております。そのかなりの部分は中国、東南アジア、そしてオセアニア、つまりオーストラリア、ニュージーランドあたリです。
その中でそうとう日本語が学ばれていますが、2、3年やると挫折する。ということは、漢字の学習が始まるとやめてしまうということなんです。漢字がとにかく100や200ですまないとはっきりわかってきて、これはだめだということで、みんな学習をやめてしまうわけです。
今、私も関係していますけれど、日本に海外の日本語学習指導者を呼んできて、しっかり教育して、また現地に返すということをやっています。これは国際交流基金の日本語国際センターという機関で、さいたま市にあります。そこでは、みなさん寮に入って何週間か日本語を学習して帰っていくというシステムができています。それで、みんな国に帰ってから日本語をローマ字で教えているんですね。そうすると、日本語が非常に普及しやすい言語となるんです。
◆地域共通語としての日本語
【梅棹】 これは日本語の将来像ということになりますけれど、現在、世界的に土語つまり自国語のほかに、共通語としていちばん強いのは英語です。それは皆さんご承知のとおりです。英語はずいぷん強い。第二言語として普及しております。ところがその他にも、いくつか地域共通語というのがあります。
それは例えば、中国語がそうです。それから中東あたりではペルシャ語です。アフリカではスワヒリ語です。スワヒリ語はずいぷん広い範囲で行われています。それからロシア語もその1つです。中南米ではスペイン語がそうです。スペイン語人口はずいぷん大きいです。そういう地域共通語というのが世界中にあるんです。
日本語はどうもその1つになりつつある。そうなる資格もじゅう.おんある。日本語をマスターすれば、とにかく近代的な科学、技術、経済がわかる。この3つの分野では日本語は非常に重宝されるというのが実状だろうと思います。
【岸本】 いま、先生が日本語の合理性というところで動詞の例を言われましたので黒板にそれを書いたんですけれども、動詞はすべて「u段」で終わるということですね。その活用を書いてみたんですけど、「笑う」の「う」を例に取ってみますと、過去形は「った」になります。「く」で終るものは「書いた」のように「いた」になりますね。
例外は「行く」で、これは「行った」と、「った」になります。「す」で終われば「した」。「る」で終われば「った」。全部動詞の過去形は決まっているんですね、最後の文字で。こういうふうに非常に合理的に日本語はできている。
また形容詞が「い」で終わるとか。それからもう1つ、日本語は必ず動詞が最後にくる。必ず動詞が最後にくるんだけれども、その前に来る語順はまったく自由ですね。「私は明日学校へ行く」でもいいし、「明日私は学校へ行く」でもいいし、「学校へ私は明日行く」でもいい。「行く」が最後に来れば、あとは全部自由。自分が言いたい順序で言えばいい。ということで、非常に合理的な面が日本語にはあると思うんですね。
最後に先生がおっしゃったように、日本語は非常に合理的であるから勉強しやすい。だから、科学技術とか学問とかそういう内容を乗せることができる言語ということで、地域的、あるいは全世界的な意味で共通語といいますか、そういう役割を果たすことができる言語になるというふうにおっしゃったかと思うんですが……。
【梅棹】 その通りです。これから日本語は変貌してくると思います。形が変わってきます。形が変わるというのは、いま言いましたように'世界の地域共通語としての資格を育てることですから、それで日本語はずいぷん広がります。広がると同時に、複雑な敬語の言いまわしなど、現在、日本語が持っている随分しんどい点がだんだん擦り切れてくると思います。
英語もそうなんです。英語もずいぷん擦り切れて、正調と言われる正しい英語を信じている人から言えば、まったく聞くに耐えないひどい英語が行われているんです。それと同じことが起こります。私は「おぞましき日本語」と言っているんですが、日本語にもそういうものがはびこる可能性はあります。
それでもだんだん淘汰されて、世界の文明語として、かなり重要な役割を担うようになるのではないでしょうか。じつは10年ほど前のことですが、インドネシアのある大学から招待状が来たんです。言語についてのシンポジウムをやりたいから来てくれというのです。シンボジウムの主題は「日本語をもって、東アジア全体の共通語とすることはできないか」というものでした
。私は同じ時期に日本国内で別の国際シンポジウムに出席することになっていたのでお断りしたのですが、そういう動きもあるんです。そのような要望に応えて、日本語を地域共通語として使えるように、近代文明語として鍛えあげていく努力が必要だろうと考えております。
【岸本】 もしそうできれば、たとえばこのAPUの留学生の人たちは日本語を学んでいるわけですから、そういう人たちが学んでいる日本語が世界的にも有用だとすれば、卒業しても国際的な活躍がよりできるようになるということで、非常にいいことだ、歓迎すべきことだと思うんですが…。
しかし同時に、もう日本語なんかやめて、英語を公用語として、英語を中心にやっていったらどうですかという意見もあると思うんですね。たとえば、日本の企業も外国の資本に買収されまして、たとえば、日産でしたらゴーンさん、フランス系のルノーの会社でありますが、しかしあそこは英語を使っていますね。ルノー本社でもだんだん英語がかなり広まっているようですけれども。
三菱自動車はすでにドイツ系の会社になってますし、そういう意味で日本の大手の企業で英語が第一公用語になってきている。英語が使えなければ役員になれない。社長になれない、という状況も生まれてきているのも事実だと思うんですね。そういう中で、日本語をそんなに頑張る必要があるのでしょうか?
◆需要に応えよう
【梅棹】 これは頑張るというよりも、現実なんです。われわれが頑張るというのは、要望に応えるべく頑張るのであって、こちらが頑張って日本語の勢力を拡張するのとはちょっと違うと思うんです。現実に今おっしゃった英語の需要というのがあります。同じように日本語についても国際的需要があるのです。
それに対して、日本語を母語として育ってきたわれわれには、それに応える責任がある。日本語はだめなことばですから忘れてくださいというわけにはまいりません。現実に何百万という外国人が日本語を勉強しているわけですから、その人たちの努力を無にすることはできません。これは日本人の責任だと思うんです。
私は何も戦争中の日本人のように、日本文化の世界制覇というようなことを言っているわけではない。現実にそうなっているということです。おっしゃるように英語が非常に重要視されていることは事実ですが、同じように、あるいはかなりの程度に、日本語もそういう要求をもたれているということですね。
今後どういうふうになっていくかわかりませんが、現に、先ほど申しましたように日本語国際センターができたわけですが、これは国際的な要求から生まれたものです。日本政府が日本語普及のためにそういうものを作ったのと違います。
実際に日本語の教師に対する要求が世界各国にあるんです。ところが、日本はそれに応じられていないんです。それで現地の先生をどんどん養成する、現地主義でやろうとしているんです。
【岸本】 日本語に対する要望が客観的にあるということですね。そういう意味ですべてが英語に変わっていくということではないということはわかりましたが、もう一方で、今、漢字検定試験が非常に盛んになってきている面があって、むしろ日本人は漢字に回帰してきているという面もあるように思われるんですが、そのあたりはどうでしょうか?
【梅棹】 ありますね。それはもっともなことで、漢字の魅力ですよ。漢字は魅力のある文字です。しかし、さきほども言いましたように「背に腹は代えられん」というのが現実なんです。漢字の魅力を楽しまれるのは大いに結構です。それは着物のファッションショーみたいなものですから、どんどんやったらいい。しかし振袖で自動車の運転はできませんということです。
実際やっている例を私は知っています。外交官夫人で、着物を着てたすきがけで車を運転している例はあります。しかし、これは例外的なことで、ふつう和服で運転するのは無理でしょうな。それと同じように、今の漢字かな文字システムでは先ほど申しましたように、科学、技術、経済は無理なんです。
そうとう努力して工夫してやっておりますけれど、決して効率のいい話ではない。漢字をやめてローマ字にしたら、よほど違います。これで国際競争にある程度立ち向かうことができるでしょう。早いことこれをやらんと、えらいことになりますよ。いくらか情況が好転するのを見届けてから死にたいと思っています。なんとかなりませんか?(会場、笑い)
【岸本】 先生から何とかならないかな、というお訴だったんですけど、おそらくここにいる留学生の皆さんあたりを中心に、もう漢字をやめよう、日本語をもっと合理的にして世界語にしようという運動がAPUの学生諸君の中から出てくると、先生の何とかしてほしいという希望が実現するのではないかと思います。
【梅棹】 この立命館アジア太平洋大学に来て、私はこういうアジテーションをしているわけです。それは、まさに皆さんに期待しているからです。ここはアジアにおける日本語の共通語化の一大センターになる可能性がある。そういう情報発信基地として大きな役割を担ってくるのではないかと思います。私は非常に大きい期待をいだいているのです。(P211〜P218)
梅棹忠夫(著)「日本語の将来」 NHKブックス
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140910011/250-8075316-0009066
◆日本語とローマ字 アジア人記者の目 沈 小珍(マレーシア)
http://www.asahi.com/international/aan/kisha/kisha_010.html
先日、ある新聞紙上で梅棹忠夫氏が日本語の将来を論じていた。日本語は耳で聞いただけではわからない言葉が多い。漢字に頼る同音異義語の問題だ。外国人が日本語の漢字を学び始めるとここにぶつかって挫折する人が多い。日本人さえきちんと読み書きできるまでに時間と努力が必要だ。「漢字をやめてローマ字を採用すべきである」と、梅棹氏は結論づけた。「日本語をやめ、英語にせよ、などといっているのではない」と念を押し、日本と日本文明の将来のために、表記法をより合理的なローマ字にするというのだ。
私は日本語を母国マレーシアで学んだ。まず短期コースで、ローマ字表記の教科書を使った。ローマ字表記の発音は日本語本来の発音とずれがあったが、ローマ字は学習の手段としてはそれなりに役立った。しかし、その体験から、ローマ字表記への転換をそのまま受け入れことができない。
ローマ字には訓令式・標準式・ヘボン式とあって統一されていない。さらに長音は四つの選択があって混乱しやすい。母国の新聞に日本語についてのコラムを書いている私にとって、ローマ字で長音を表すのが悩みで、混乱しやすい。横浜のJRと地下鉄の看板では長音表記も異なっている。日本語を学ぶ外国人としては、早くキチンとしてほしい所だ。
中級コースに進んで漢字・ひらがな表記になった。私は中国系なので漢字は抵抗なく学んだ。非漢字圏(国)の学習者は書くことに困難があったが、初歩漢字300を理解するのは問題なかったようだ。
漢字は外国人学習者にとって非常に難しいとよく言われているが、問題は漢字の読み方にある。(書き方は梅棹氏がいわれるようにパソコンで十分対応できる)。そこで常用漢字を見直して基礎的な1000字(教育漢字とは違う)と中級漢字500字に分けて小学校や日本語学校で指導する。常用の2000字は1500字に減らし、上級(政・経・文化)漢字項目として別に1000字を選定してはどうかと思う。
マレーシア語はアルファベットを使っているが、これは昔、英国の統治者がマレー語の読み書きに困って表記を強制的に改変したためだと聞く。梅棹氏のローマ字表記論は日本人による日本語のローマ字化である。自国民の意志による日本語のローマ字化は、明治の改革にも比べられるほどの大変革だ。しかし、日本人と日本文化が大好きな外国人の一人として、日本語の将来は慎重に考えてほしいと願っている。
ローマ字の採用は、日本語学習の初心者に有利だが、日本文字の「自分らしさ」がなくなって、同音異義語も区別できない。今使っている漢字をもっと簡単に書けば役立つと思う。
(私のコメント)
しばらく政治経済的な話題が続いたので文化面の話題を取り上げてみました。日本国内では政治家や文部官僚たちが英語の普及に力を入れようとしていますが、この本の中でも梅棹氏が指摘していましたが、道路標識や建物の中の案内板など英語でよく表示されていますが、とんでもない間違いが多く、本場の人が見たら間違いだらけという結果になりやすい。
それよりかは、日本語をローマ字表記で表せば間違いがない。漢字やひらがなだと外人さんは読めないが、ローマ字なら読める。内容は道路標識など絵になっているから国際共通になっている。だから英語を日本人が第二公用語として取り入れるのは出来ればいいが、まず無理だろう。
それよりかは、日本語を外人に分かり易い形にして行くほうが重要ではないかと思う。漢字の本場の中国人を除けば、外人が漢字を理解させるのは不可能に近い。日本人ですら完全に日本語文書を読むことが出来ない。第一日本語には標準語というものがない。送り仮名もてんてんばらばらでどれが正しいのかわからない。
ローマ字表記も三種類あってばらばらだ。日本の文部省はいったい何をやっているのだろうか。パソコン・ワープロの普及は減ってきた漢字を逆に増やす働きをしている。私自身も手書きならこんなに漢字は使えない。むしろひらがな、カタカナ、ローマ字で文字を分かり易い方向にしてゆくのが国語政策だろう。
日本語のローマ字化は見えないところで進んでいる。私自身もキーボード入力はローマ字入力をしている。だから日本語は漢字変換をおこなうかどうかの問題で、実際はローマ字を使っている。外人とコミニケーションをとるときは漢字変換をおこなわずにローマ字で表記した日本語で通信をおこなえば、外人も日本語自体は難しくないのだから日本語の国際化は進むのではないかと思う。
kannzihennkannwo okonawanaitokiha konoyouna nihonngoninarimasuga
漢字変換をおこなわない時はこのような日本語になりますが
gaizinnsannnitotteha konoyouna nihonngonohouga wakariyasuinodehanaikatoomou.
外人さんにとっては、このような日本語のほうが分かりやすいのではないかと思う。
確かにローマ字の日本語は日本人にとっては読みにくいから、日本人同士は今までのように漢字かな混じり文でいいのでしょうが、国際的な日本語はローマ字表記化で外人にも読める日本語を使うようにしたらいいと思う。日本人は英語がわからないし、外人は漢字が分からない。ならばローマ字で日本語を使えば双方が分かりやすく国際化も進むというのが梅棹氏の主張です。