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(回答先: Re: 外人向けの“一時的便宜表記法”を日本の国策として日本人に強制するのは愚策 投稿者 満漢全席 日時 2004 年 7 月 09 日 02:54:51)
満漢全席さん、どうもです。
>漢字を使うと、「造語」の力はたしかに大きくなります。
>しかし、同じようなことは表音文字でも可能です。ドイツ語では、日本語の「熟語」
>のような単語がたくさんあります。少し長くなるのが欠点ですが、見れば単語の意味
>がわかります。基本単位を組み合わせて造語すれば、表音文字でも漢字に劣るもので
>はないのです。
「漢字とかな(アルファベット)の根本的な違いは、一つ一つの文字に概念性があるかどうか」と説明しているように、ドイツ語的な造語とは本質的な意味が異なります。
漢字は文字そのものに概念性があるのですから、それを別の文字で表記すれば、思念的に漢字を思い起こすか、その概念を活動経験的イメージで思い浮かべるかしなければなりません。
抽象性の高い概念であれば、活動経験的イメージで思い浮かべるのは限られた人になりますから、漢字で表現された概念が別の文字表記になることは概念思考を不利にします。
漢字表現の概念は、漢字の特性に縛られているのです。
>これは、そうとは言えないと思います。朝鮮やVietnamでは漢字を廃止しましたが、
>そのことで抽象的思考が難しくなったとはいえません。
漢字表現の概念が抽象思考のなかに含まれていたのなら、確実に不便・不利・困難をきたしたはずです。
それは、あなたが、ローマ字表記に限らず、かなカナ表記のみの社会科学論文を作成してみて読んでみればすぐにわかります。
歴史的にも、韓国は、民族意識の高まりから漢字混じり表記を公的にやめましたが、結局復活させました。(現在の30代中盤から50代前半の人たちがそのような学校教育を受け、漢字のせっせと学ぶハメになりました)
韓国のこの揺り戻し、文章による概念意思疎通(概念思考)が不便だったからだと解釈しています。
(北朝鮮がどのような概念表現体系を築いているのかわかりませんが、韓国人とほぼ問題なく会話できることから、漢字の排除により、概念思考に不利をきたしていると思います)
ヴェトナムはフランス植民地時代に表記法が改められましたが、近代的概念がフランス語として入り込んでいるのなら、漢字の排除は、概念思考にそれほどの不便を与えていないかもしれませんね。
>確かに、転換にはある程度の時間がかかるでしょう。しかし、それでもやってみる価
>値はあると思います。未来は無限であるからです。
未来は無限でもないし、生きている諸個人はほんのわずかばかりの有限な存在ですよ。
表記法は、変わったほうが重宝なら変わるものなのですから、強制的に変える必要なんかありません。
価値など一分もありません。