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外人向けの“一時的便宜表記法”を日本の国策として日本人に強制するのは愚策
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投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 08 日 18:19:27:Mo7ApAlflbQ6s
 

(回答先: 梅棹忠夫(著)「日本語の将来」近代文明語の日本語を、東アジア全体の共通語にすべきだ 投稿者 TORA 日時 2004 年 7 月 08 日 16:27:12)


TORAさん、どうもです。

言葉は、話し言葉がベースであり、表記法である文字表現はその次に位置付けられるものだと思っています。

この意味で、表記法があるもの(漢字かなカナ混じり)でなければならないものでもないし、歴史的に見ても表記法は不断に変化しています。

漢字はほとんどがそのまま中国由来ですし、古来の言葉を表記するかなも漢字の変形的利用ですから、言葉と違って、他の地域で使われている文字を表記に採用することをどうこう言う気はありません。


今回取り上げられている「ローマ字表記」は、敗戦後の日本でも大きなテーマになったものです。

(国策にならなかった最大の要因は、幸か不幸か、支配層がそれまでの表記法を血肉化していたからです。文字や表記法の修得は彼らの力の源泉でもあり、それが弱まったり無効化されることは許容できないわけです。新かなづかいでさえ、大きな抵抗があったくらいです)

勝手な推測ですが、「ローマ字表記」が国策として強制されていたら、日本の現在はなかったと思っています。概念操作思考が不便で不利になることに気づき、英語化か旧表記に戻すかで国論が二分したと推察します。

概念操作思考が不便で不利になるということを少し説明します。
漢字とかな(アルファベット)の根本的な違いは、一つ一つの文字に概念性があるかどうかです。
かなやアルファベットは、単独では音を示すことがほとんどで、ある塊(ワード)になったときに初めて概念性が生じます。
漢字は、単独で概念性をもっています。

「概念性」という概念を知らなくても、「概」・「念」・「性」というそれぞれの文字の概念を知っていれば、「概念性」のおおよその意味が理解できる構造になっています。
この構造は、“造語”の容易性を示唆します。新しい事象や意味付けを知った(考えた)とき、その概念を示す文字表現として既存の文字を連結すれば可能であり、それを他者に伝達したときも容易に理解してもらえることを意味します。

このようなことを念頭に置いて、ローマ字に移行した日本語表記を考えてみます。

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【TORAさんの例】

gaizinnsannnitotteha konoyouna nihonngonohouga wakariyasuinodehanaikatoomou.

外人さんにとっては、このような日本語のほうが分かりやすいのではないかと思う。
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この例は、日常的な話し言葉に属するものですから、ローマ字表記でも意味を掴むのにそれほど困難はありません。

「分かりやすい」と「思う」は、古来の言葉に漢字を当てて表記したものですから、ひらがなを“思い浮かべ”ても概念理解はほぼ同じです。(「解りやすい」や「想う」という漢字混じり表記を“思い浮かべ”てもニュアンスが違う程度の話)

ところが、「外人」と「(日本)語」は、漢字を“思い浮かべ”なければ、概念を掴みにくいものです。(「日本」は「にほん」と“思い浮かべ”てもいいものでしょう)

言ってしまえば、「gaizin」という文字を読む(「がいじん」と聞く)と「外人」(そとのひと)を思い浮かべるから容易に意味が掴め、「nihonngo」という文字を読む(「にほんご」と聞く)と「日本語」を思い浮かべるから容易に意味が掴めます。

おわかりだと思いますが、漢字混じり表記を知っているから、ローマ字表記であっても、ひらがな表記や「音節」を聞いても、意味が掴めるのです。

ということは、日本人にローマ字表記を強制してしばらくは漢字混じり表記を知っている人がほとんどですから、概念(意味)の理解は面倒ながらもできますが、年を経るごとに漢字混じり表記を思い浮かべられなくなるので、概念(意味)の理解が曖昧になっていくと推測できます。(「新語」を聞いたときに、脈絡でなんとなくわかるが、よくはわからないと感じてしまう状況を思い浮かべてください)

言いたいのは、これまでの日本人の思考とりわけ抽象思考は、漢字混じりで表記することを前提に行われてきた(いる)のだから、表記法から漢字を排除すれば、思考が不便になるということです。
(自然に、ローマ字表記に適した概念表現に移行していくものですが、それは、長い歴史のなかで形成・蓄積してきた概念体系を放棄していく過程でもあります。アルファベット表記による概念体系も、長い歴史過程のなかで形成・蓄積されたものです)


このようなことから、外人には、言葉中心に日本語を学んでもらって、表記はひらがな(カタカナ)もしくはローマ字のみでどうぞ、そこから進んで、科学理論や文学など日本で構築された概念体系を駆使したものを学びたいひとは、漢字も徐々に覚えていただくという割り切りが望ましいと考えています。

日本人が、外人の一時的な利便性や効率性のために、長い歴史過程を経て蓄積した概念体系を廃棄することにつながる愚を強制されるのは倒錯とも言えます。

(英単語がはびこっているように、生の人が使う言葉は生き物ですから、強制しなくても様々な変容を遂げます。その積み重ねの結果、アルファベット表記のほうが意志疎通がスムーズと多くが思うようになれば、自然とそのように変容していくものです)

>【梅棹】 さきほど、日本の教育は一通りの文字が読み書きできるまで小学校6年間
>ですまないと申しましたが、こんな恐ろしい国語をやっている近代国家の国民はない
>ですよ。

現在の日本語(国語)教育が合理性に富んだものかどうかはともかく、修得に苦労するということは、修得後に利便性や効率性があるということです。
(漢字一つ一つの概念(意味)を知れば、その複合(連結)で表現される言葉の概念(意味)を理解したり生み出すことができる)

ざっくり言ってしまえば、小中学生に教える言語表現(概念表現)なら、漢字をごく限定的な数に押さえても、極端に言えば、工夫すればかなカナ表記でも用をなす(将来の概念理解や概念表現につなげていける)国語教育は可能です。

梅棹氏の問題は、文字を音として読めることや音を文字で表記することと、概念理解や概念表現(両方合わせれば概念思考)は別物であるということを理解していないことです。
英語・ドイツ語・フランス語を母国語として使っている成人の人たちが、日本人の成人と比較して、平均的に概念思考が高いとは言えません。
個々の文字に意味性がない表記を使う人たちは、ある言葉(ワード)がどのような意味なのかは、それを活動経験的に知る機会がないとなかなか理解できません。


(伝聞ですが、第一外国語で英語を学んでいる日本の大学生が理解している程度の英語表現での概念理解に到達していない米国人は過半数を超えていると言われています。日本の大学生は、米国で暮らしていくための日常会話もやっとこっとなのに、英語の概念理解は日常会話や日常文字表現に不自由しない英語母国語の米国人よりも高いのです)


話し言葉は別として、読み書きや概念思考は、15歳までが義務教育でほとんどの子どもが18歳まで教育課程にあるのですから、そのスパンでどうあるべきかを考えればいい問題だと思っています。


もちろん、現在の日本の教育システムや教育カリキュラムがひどいものであるとは思っています。


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