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(回答先: 愛はすべて「自己愛」である。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 4 月 01 日 20:14:45)
最近のエンセンさんは遊びに忙しそうだなあと勝手に推察しています。
一方的に呼んで申し訳ありません。
エンセンさんの性格を見込んでのお願いです。
私も含めて(?)ですが、阿修羅に集うほとんどの人は社会とか他者を気にかけ、自分勝手に生きるのはあんまりよくないと思いながら生きてきたのではないかと推測しています。
少年期をワル(「自己愛」の権化(笑))として過ごしながら、今となっては、世界や社会のふざけたことに敏感に反応しできることならなんとかしたいと思うようになっているエンセンさんは稀有な存在です。(エンセンさんの周りのひとがエェッという感じだそうですから確かです(笑))
自分の力(暴力を含む)と稼いだお金を頼り、社会(世界)とは無関係に「自己愛」まっしぐらの生き方をしていたエンセンさんが、「自己愛」を保持しながらも社会(世界)への目配り気配りをするようになった経緯などを当たり障りのある(笑)範囲で書いていただければ、違った視点から「自己愛」というものが見えてくるのではないかと思っています。
ヤクザを暴力団と呼び社会のゴミやカスのように見る風潮もありますが、ヤクザになる前はそうであったであろうワルが“ヤクザ渡世”に身を置くことは、ワルを野放図にさせない野放しにさせないということでそれなりの意義があると思っています。
我がまま放題の「自己愛」で生きるワルが、ヤクザという家に入ることで「義理と人情」という他者との関係性の大事さを教えられる(叩き込まれる)ことは少年院や刑務所を超える“安全保障”だと半分冗談に思っています。
もちろん、「義理と人情」がヤクザ社会の話であって、個人の「自己愛」が組織の「自己愛」に吸収され、あるレベル以下の構成員は幹部の「自己愛」の道具になるという実態を承知の上での説明です。(個人の「自己愛」のためには幹部になるしかないという一般社会と同じ構造)
愛する人との出会いと結婚その後(?)のお子さんの誕生、そしてご不幸などが「自己愛」の変化に影響を及ぼしたのだろうと勝手に推測していますが、エンセンさんの「自己愛」について少し晒していただければと思っています。
そのような話を書いてもいいよというエンセンさんの書き込みを覚えていたので甘えてみました(笑)