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(回答先: まだ硬いと思うわけ 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 4 月 07 日 18:44:33)
ぷち熟女さん、どうもです。
最初に、ぷち熟女さんの思いは理解できているつもりですと応えさせていただきます。
(卑怯にも、まっくすさんもそう思いますよね?)
>雑談板の方は事実上、こちらで主だったレスを終了するまでお休みですね。
雑談板でのやり取りの延長線だとも思っています。そうしましよう。
ぷち熟女さん:「雑談板でのやり取りでもそうなんですが:
あっしら様の書かれる言葉の意味や、それらの言葉から読み取れる概念の理解に努めても、きっとそこから更に二度、三度と詰めの質問をしていかなければ
どうにも分からないだろうなあ、と思うところが多いですね。
雑談板でだって、理詰めでもうこれ以上説明のしていただきようがない、というところまで行き着いても、本当のことを申し上げると、まだどんよりしたところのある事柄は残っています。
これは、普段あっしら様が政治・社会・経済問題について書いておられる時には感じないことなんですの。
長壁さまやマドオンナさまが受け付けないところがあたくしにはオーケーなのは、
そこがかかわっているのだろう、と思います。
そういう問題についてあっしら様のおっしゃりたいことには共感できるわけです。
でも、雑談板でのやり取りや、こちらのスレになってくると、俄然苦しくなります。」
ぷち熟女さんを苦しくさせてしまっている原因は、第一義的には表現の稚拙によるものだと思っていますが、言い訳を少々させていただきます。
まず、居直りとも言える言い訳になりますが(笑)、「恋愛論」や「自己愛」などのテーマは、読者が苦しんだり反発を感じると思いながら意図的に書いています。
その苦しみが不快であったり耐え難いひとに、それを説き続ける気持ちはありません。
「なんのために?」ということになりますが、「近代」という現実を生きるなかで自分が培ってきた考え方を一度は疑って欲しいと思っているからです。
ぷち熟女さんが受け入れられる政治・社会・経済問題の書き込みは、戦争という人殺しは悪、ましては無法で非道な戦争は許せない!とか、強欲な連中がお為ごかしの説明で利益を貪っているという理解と、そうはいってもがっちり制度はできているししたたかな連中が後ろで蠢いているからそうやすやすとは対抗できないという考え方をある程度共有しているからではないかと推測しています。
政治・社会・経済問題を考えるのは外向きの思考です。
それらは様々な事象が複雑に絡み合いながら進行するものですから、それを解きほぐそうと思ったら概念操作や抽象思考が自ずと必要になります。
また、映像や自分の経験(イメージ化された)という目に見える(感覚・感性的な)対象でもあります。
ですから、「爬虫類人類説」までいかなければ(笑)、同意できないとしても言っていることはわかるという思考対象だと言えます。
一方、「自己愛」や「認識と対象(主−客)」といった問題は内向きの思考になります。
それはある意味シンプルなものです。思考する自分と自分の身体さえあれば考えられるテーマです。(自分の身体のみを世界とする)
シンプルというのはそれ自体がもっとも抽象的なものですから、抽象思考でわかった気(説明した気)になれる複雑な事象よりもずっと難しい思考対象です。
また、そのようなテーマは、ことさら考える必要がないものとも言えます。
さらに言えば、「感じ思考する自分」は思考では到達できない(解き明かせない)対象です。
いい悪いという価値判断は一切含んでいませんが、思念的宗教や哲学の分野で「女性の大家」が出現しないのはなぜだろうと昔はよく考えていました。
結論は、女はそんなバカバカしいことにそれほどの意味(価値)を感じないからだろうというものです。
「じゃあ、男はどうして?」という問いには、そうしないと自分が何者であるかさえわからない生き物なんだからだろうという答えになります。
「自己愛」のスレッドをお読みいただけばわかっていただけると思っていますが、感じ方や考え方を「自己愛」説であれこれ説明するのは愚の骨頂だとちゃんとわかっています。
それでも敢えてそのようなことを言い出すのは、自己を含む現実を感じ考える主体はある価値観に拘束されており、それが“彼ら”にとって都合がいいものになっているという考えがあるからです。
逆説的に言えば、言わなくてもいい「自己愛」なんかを持ち出すことが、私の被拘束性の証なのです。(そのような被拘束性を除去するのが心地よくなることでもあります)
「長壁問題」(同時に「マドオンナ問題」)は、彼女たちの思いがわからないわけではありません。不遜な言い方になりますが、彼女たちと同等にはその思いを共有しているつもりです。
それを読み取ったかたちで対応をしていただけなかったのは、偏に、自分の力不足だと思っています。
(それほど、現実に強い憤りと危機感を持たれていることだとも思っています。そんなアホなことにこだわっている事態ではないでしょ!という声は聞こえています)
お二人やお二人に共感された方々が、私の飽きもしない罵倒のなかに何かを感じてくれたことで書いた意味はあったと思っています。
(迷惑な話なんでしょうが、彼女たちの思いが少しでも現実になるためには避けることができない問題だと思っています。私の言動に引くひとが増えるのは致し方ないとしても、お二人の言動にあるところまで共鳴しながらあるところから引いてしまうひとが増えるのは、お二人にとっても不本意のはずです。念のため、このように説明したからといって、あれらをお二人のために書いたというわけではありません)
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ぷち熟女さん:「『「『愛』という多様で無限の深みと広がりを持つはずのもの」というのは、愛をすべて「自己愛」とする説ですから、現実を生きている独り一人の“多様で無限の深みと広がり”だと思っています。』
はいいんですが、
『生身の個人から“多様で無限の深みと広がり”を取り上げ、『愛』というなにか高尚な概念に昇華させて人々に説くような風潮を嫌っております。』
とおっしゃり、また本音では『理屈で惚れるものではない』ともお思いの方が
『(こういう考え方をしているので、生硬で理屈っぽい書き込みになってしまう面もあります)』
とおっしゃるのは、一体どう繋がるんでしょう。
あたくし、さっぱり分かりません。」
これについては、上述の説明でほぼご理解いただけるのではないかと思い甘えさせていただきます。
一つだけ、『生身の個人から“多様で無限の深みと広がり”を取り上げ、『愛』というなにか高尚な概念に昇華させて人々に説くような風潮を嫌っております』と『理屈で惚れるものではない』と『(こういう考え方をしているので、生硬で理屈っぽい書き込みになってしまう面もあります)』は、バラバラの矛盾したものではなく、整合性があるものだと思っています。
『理屈で惚れるものではない』と思っているから、「『愛』というなにか高尚な概念に昇華させて人々に説くような風潮を嫌って」おり、愛国心なるものもその一つですがそのような風潮がはびこっているから、やむを得ず「生硬で理屈っぽい書き込み」をしています。
(惚れたり愛することを「生硬で理屈っぽい書き込み」で説明していますが、惚れたり愛するときは気持ちのままです。この違いはなんとしてもご理解いただきたい。ご理解いただきました?)
ぷち熟女さん:「『生身の個人』の『“多様で無限の深みと広がり”』を語るのに理屈だけの説明に終始しておられるのでは、
何だかお話全体に生彩がないように思うんです。
何でそんなことをそんなふうに言い切れるの?
本当に書いたそのままが成り立つと信じておられるの?
宇宙人みたい(笑)。・・・などということを思ったりいたします。」
『生身の個人』の『“多様で無限の深みと広がり”』は、語るものではなく、生きることそのものでありそこで感じることだ思っています。
それなのに語らざるを得ない“苦悩”をご理解いただければうれしいです。
「何でそんなことをそんなふうに言い切れるの?」は、“愛が高尚なものだと何で言い切れるの?”という問いを発したものだとご理解いただければと思っています。
「本当に書いたそのままが成り立つと信じておられるの?」については、私の問いに、ぷち熟女さんのような受け止め方を含め何かを感じてもらえればいいと思って書いたとご理解いただければと思っています。
ぷち熟女さん:「『自分では、いつも、極めて『個人的』で『非・普遍的』なことを書いているつもりです。
(普遍的なものなぞほとんどないというのが私の考え方です)』
ともおっしゃるのですから、反発してあたくしのバージョンを提示してみていいわけですね。」
もちろんです、それを期待してスレッドを立てたのですから。
ぷち熟女さん:「まっくす様が上のスレの『Re: とりあえずの返事』
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/909.html
で
『(略)偽悪的ともとれるレトリックは
使いすぎに注意してください。あれで情緒的対応がわかれ、その時点で
「引いてしまう」読者が少なくないと思います。』
とおっしゃっていましたが、あたくしもしばしばそう思うことがあります。
あたくしへのこちらでのレスでも
『別のアプローチもしているつもりですが、棘のほうが目立つことは承知しています。
阿修羅での書き込みの主要目的は、私の書き込み(論)やそれから形成されるはずの“私”を踏み台にしてもらって、私が心地よく生きていける現実ができることです。
私の論はゴミになるべきもので、“私”も否定されるべきものだと思っています。
そうなったとき、私はどこかで心地よく生きているはずです。(死ぬまでにそれを得られないかもとは思っていますが...)』
・・・etc.とお書きですが、
『皆さんのためになど書き込みしていると言いたくない。
私は私の心地よい現実を得られるためだけに書いている』とおっしゃりたいのは分かります。
しかし、こういった場で『居心地の良い対話』を求めるのは無意味であっても、
対話の行われる環境は居心地よくなくては『心ゆくまで』対話を続けることも出来ません。
こちらでの対話は、とことん行われなければ勿体ないと思っています。
仕事や家事がある方々が殆どですからリラックスしなければ続きません。
ですから、まっくす様とあたくしともども、もっとくだけていただけることを願っております。
あたくしが雑談板で先に申し上げていた『硬い』ということを
こちらでまっくす様もおっしゃったので、ああ、おかしい、と思っていました。
まっくす様のご登場にシンクロニズムを感じています(笑)。」
よ〜くわかりました。
軌道修正に従来以上に心がけるつもりですが、自分を踏み台にしてもらう意志は変わらないので、その発露があったときにはそれなんだとご理解ください。
長壁さんと同じように現状に強い憤りと危機感を抱いているので、心情と論がズタズタになっている上にまともなやり取りをしないと私が判断しているひとには鞭を振るいたくなってしまいます。(長壁さん風に言えば、そのような態度を見過ごせるほど残された時間はないという認識です。長壁さん的勢力がとんでもない阻害要因になる危険性も危惧しています)
政治組織にも属さず政治家になるつもりはありませんが、「悪魔崇拝の片割れ」だと自覚しているように極めて政治的な人間です。
ぷち熟女さん:「『ヒューマニズムと左翼的な価値観を持っていた少年期から阿修羅で現在進行中の今までを語る機会があれば語りたいと思っています。(少年期の話は少しだけ書いたことがあります)』
いつでもどうぞ、お待ち致しております。」
「雑談板」でもけっこうですから、何か具体的に(こう思ったのは何がきっかけなのかとか、離婚で苦悩したというけどどんなものだったの?など)問いかけていただければ助かります。
ぷち熟女さん:「あたくしなんかは、あっしら様のスレ冒頭の本論にHAARPさまが
『私の場合はなにか「寂しい」感じを受けますねえ』と反応された中の、
その『寂しい』という形容詞が殿方から発されたことに、ようやくとてもホッとしたのですが。
あっしら様、そういった言葉をこちらで使われることをご自分でご法度にされてでもいるのですか。」
使う言葉を限定したり、ある言葉を封印しているということはありません。
「寂しがりや」で「人好き」、おっちょこちょいに突っ走るといった性格は、書き物にいやというほど漏れ出していると思っています。
(表現や受け止めるひとの価値観で生硬で理屈っぽいヤツだと思われることはわかっていますが、それは文章を通じてでしかやり取りできないこのような場の制約性でもあるとおもっていますので、あまり気にしないようにしています)
ぷち熟女さんやHARRPさんのような方もおり、私のようなものもいるからバラエティに富んで面白いと思ってください。(私は私とは異質のひとたちの書き込みを楽しんでいます)
HARRPさんやマルハナバチさんの感性に魅力を感じていますが、そのような感性の持ち主になれる素養は今のところないようです。