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闇の動き1【オウム真理教&坂本弁護士事件】もくじ
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◎行き当たりばったりの犯行 「無計画」妻子巻 共同通信 2/20 00:36 き込む 「思い付きの計画が、結果的に奥さんと子供まで巻き込むことに なった」。坂本弁護士一家殺害に加わったオウム真理教の各被告の 19日までの供述で、行き当たりばったりに方針を変更した無計画 な事件像が浮かび上がった。 関係被告の供述によると、村井秀夫元幹部=死亡当時(36)、 幹部新実智光被告(31)ら実行グループ6人は1989年11月 2日深夜から3日未明にかけ教祖麻原彰晃被告(40)に殺害を指 示され、3日朝2台の車で静岡県富士宮市の教団施設を出発した。 しかし「世俗を離れていたため」(新実被告)文化の日というこ とに気付かず、坂本弁護士が勤務先から帰宅すると思い午後4時半 ごろからJR洋光台駅に張り込んだ。 午後10時になっても坂本弁護士の姿が見えないことから元幹部 岡崎一明被告(35)が「祝日で家にいるのでは」と思い、自宅玄 関を確かめるとかぎが開いており人の気配がした。元幹部早川紀代 秀被告(46)が電話で指示を仰ぐと、麻原被告は「家族ともども やるしかないんじゃないか」と3人の殺害を命じた。 4日午前3時ごろ、6人が室内に押し入り空手で襲撃。首を絞め て殺害した遺体を車に積んで富士宮市へ戻ると「第1サティアン」 入り口で麻原被告と幹部石井久子被告(35)が出迎え、麻原被告 は「よくやった。ご苦労」とねぎらった。 すぐにめい想室で遺体の処分が話し合われ、麻原被告が「第1」 1階の子供室の畳の下に埋めると提案、同席した石井被告と麻原被 告の妻松本知子被告(37)が猛反対し、結局遠くに埋めに行くこ とになったという。この死体遺棄罪は既に時効となっている。 新実被告は「曜日や祝日などの社会常識が欠落していたことが、 結果的に奥さんや子供まで殺害することになった原因」と述べてい る。 (了) [共同 2月20日] ( 1996-02-20 00:36 ) |
さすがに、マスコミ記者は頭がよろしい。読んだ人が「ん?」と思
わないように気遣ってくれている。さぁさみんなで、
『ありがたい、ありがたい。』 実はこの部分”4日午前3時ごろ、6人が室内に押し入り”詳しく いうと、カギがあいていて入れたということになっている。(えっ?) 警察の作文ではいや,調書だったかな?事件後の坂本弁護士の家の 様子があんまりにもつつじまが合わないので以下のシナリオを作ったのです。 『午前3時に押し入ったときにはかぎがあいていた』 おいおい、いくら何でも、寝るときにかぎかけないひとなんていないよ。
この話、聞いただけでもおかしい話なので最近ではニュースにも出ないが、 このシナリオで3月12日から裁判がなされるようなので、注意深く見てみるのもおもしろいでしょう。
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<坂本一家事件裁判>麻原被告詳細に指示=検察側 毎日新聞 3/12 12:11 冒頭陳述・再替 「教団活動に邪魔だ。家族全員ポアせよ」。オウム真理教を率いる麻原彰晃被告( 41)の指示の下、坂本堤弁護士が、妻が、一歳の長男が、命を絶たれた。むごたら しい就寝中の惨劇が、六年四カ月を経て、生々しくよみがえる。十二日の東京地裁。 「法皇内庁」トップだった中川智正被告(33)の公判で、検察官が冒頭陳述を読み 上げていく。傍聴席に、遺族の姿はない。ここまで残忍な凶行に突っ走った「狂気」 に、怒りと憤りが、法廷を押し包んだ。 B5判で四〇ページ、一万八千六百字に及ぶ検察の冒頭陳述書。坂本堤弁護士一家 殺害事件の全容が、そこに凝縮される。麻原彰晃被告(41)が計画から殺害、遺体 遺棄まで、すべてを詳細に指示していた。「教団暴走化」の原点だった。 <批判> 教団と出家信者の家族とのトラブルが増加する中、TBSテレビのワイドショーは 一九八九年十月二十六日、水中修行の撮影に訪れた。麻原被告は「オウム真理教被害 者の会」関係者の証言を併せて放映することを知り、「教団にとってマイナスだ。放 映を中止しろ」と早川紀代秀被告(46)に指示した。 早川被告は青山吉伸(36)、上祐史浩(33)の両被告とTBSのスタジオを訪 れ、被害者の会の関係者が映った収録ビデオを見せるよう迫った。そのビデオで、「 イニシエーションは詐欺的だ」などと批判していたのが坂本弁護士だった。 <対決> 麻原被告は早川被告ら三人に坂本弁護士と面会するよう指示し、三人は同三十一日 夜、横浜弁護士事務所を訪れた。「人を不幸にする自由はない」「徹底的にやる」と 突っぱねる坂本弁護士と激しい口論になった。教団に戻った早川被告は麻原被告に、 そのやり取りを報告した。 すると、麻原被告は十一月二日夜、早川、中川、岡崎一明(35)、新実智光(3 2)の四被告と故村井秀夫幹部を富士山総本部の一室に集めた。 <指令> 麻原被告は「問題なのは坂本だ。ポアしなければならない」と語った。帰宅途中に 車に拉致(らち)し、塩化カリウムを注射して殺害せよ、との指示だった。 坂本弁護士の自宅は九州の在家信者の弁護士に調べさせ、翌三日朝、住所が判明す ると、麻原被告は「よし、これで決まりだ。変装して行くしかないな」と言い切った。 殺害に使われる塩化カリウムは、すでに村井幹部らが調達していた。 <祝日> 実行役となった早川被告ら六人は同日夕、車二台を坂本弁護士宅近くの路上で駐車 させた。かつら、つけひげの変装道具を都内の教団アジトで林泰男容疑者(38)= 特別手配中=から受け取り、背広を買って宗教服から着替えていた。三日は「文化の 日」で祝日と気付くと、早川被告は公衆電話で麻原被告の指示を仰いだ。「坂本弁護 士が帰宅していれば、家族ともどもやるしかない」と麻原被告。深夜、岡崎被告が玄 関ドアのカギがかかっていないことを確認し、麻原被告は「午前三時決行」と指令し た。 <惨劇> 室内に侵入した六人は川の字に寝ていた一家三人のうち三十三歳の坂本弁護士、二 十九歳の妻都子さんを襲い、絞殺した。長男龍彦ちゃんが泣き叫んだため、中川被告 がタオルケットで口をふさぎ、窒息死させた。遺体は富士山総本部に運ばれ、麻原被 告は「ご苦労さん」とねぎらった。「遺体は山に捨てろ」「車は海に捨てろ」と、さ らに指示が飛んだ。 <露呈> 六人は遺体をドラム缶に詰めて同六日までに長野県大町市、新潟県名立町、富山県 魚津市の山中にそれぞれ埋めた。「管轄の県警が違い、捜査が進展しにくいのでは」 と考えた。その後、車を廃棄する場所を探し、中国地方まで足を運んだが、捨て場所 はなく、九日に総本部に戻った。すでに坂本弁護士の同僚らが捜索に動き、坂本弁護 士の母さちよさんが現場に落ちていた教団のバッジを見つけていた。 数日後、六人は富士山総本部内の麻原被告の自室に呼ばれた。石井久子被告(35) が刑法の殺人罪の条文を読むと、麻原被告は「三人も殺せば死刑は問違いない。全員 同罪だ」とつぶやいた。口止め工作だった。 <隠滅> 麻原被告は捜査が始まったことを知り、早川被告らに、事件に使ったグレーの乗用 車を塗装し直すように指示。わざと物損事故を起こして、業者に赤色に塗り変えさせ た。十一月二十日ごろ、麻原被告と実行グループは西ドイツ(当時)のボンに出国。 犯行時に手袋をしていなかった早川被告、故村井幹部には焼けた鉄板で指紋を焼くよ う求め、指紋が再生してくると、さらに中川被告に命じて、翌年一月、指の皮膚を手 術で削除させていた。 [毎日 3月12日] ( 1996-03-12 12:11 ) |
中川智正・検察側冒頭陳述(抜粋)八 麻原の指示による犯行計画の変更 早川は、岡崎から坂本弁護士方玄関ドアが無施錠であることを聞知するや、自分たちが坂本弁護士の帰宅を見落とした可能性が あり、同弁護士が家族とともに自宅にいる可能性が高いと考え、直ちに、洋光台駅付近の公衆電話から麻原に電話をかけてこれを 報告し、同人の指示を仰いだ。すると、麻原は、帰宅途中を襲って坂本弁護士一人を殺害するという当初の犯行計画を変更し、早 川に対し、「もし坂本弁護士が帰宅していれば、家族ともどもやるしかない」などと述べ、坂本弁護士が帰宅していれば、同弁護 士のみならず、その家族も一緒に殺害するよう命じた。その際、麻原は、早川に対し、「時間は今すぐにではなく、もっと遅い方 がいい。寝静まってからがいい」と述べ、深夜にその犯行を実行するよう指示した。そこで、早川は、新実とともにブルーバード で坂本弁護士方付近にいる被告人らのところに行き、被告人、岡崎、端本及び村井に対し、坂本弁護士が帰宅していれば、同弁護 士のみならず、その家族をも殺害するようにとの麻原の指示を伝えたところ、被告人らは、いずれも麻原の右指示を了承した。そ の際、その犯行を実行する時刻については、被告人ら実行犯が相談の上、十一月四日午前三時とした。 早川は、まだ、坂本弁護士が外出している可能性も完全に否定できなかったことから、新実とともに、ブルーバードに乗って再 び洋光台駅付近まで行き、同所に停車させた同車内で、最終電車の終了する翌四日午前零時過ぎころまで見張りを続け、坂本弁護 士が同駅から出てくるのを待った。しかし、最終電車が過ぎても坂本弁護士が同駅から出てこなかったことから、やはり、同弁護 士は帰宅しているものと判断し、ブルーバードで同弁護士方付近に戻って村井らと合流した。被告人ら実行犯六人は、坂本弁護士 方付近にある駐車場に右自動車二台を駐車させ、それぞれ車内で仮眠をしながら、犯行実行の予定時刻である同日午前三時ころま で待機し、同時刻ころ、全員が目を覚まし、それぞれ車内から降りて徒歩で坂本弁護士方に向かい、被告人において塩化カリウム 水溶液の入った注射器三本を背広の上着のポケットに入れ、また、被告人、岡崎、端本及び新実において指紋を残さぬようにあら かじめ用意した手袋をそれぞれ着用し、その 無施錠の玄関ドア を開けて同弁護士方屋内に侵入した。その際、村井は、あらかじめ 用意しておいた手袋を車内に置き忘れ、早川も、ポケットに手袋を入れていることを失念してしまい素手のままであった。 |
<オウム事件>坂本一家遺体発見から半年 被害者 毎日新聞 3/ 9 23:25 の会会長も苦悩 「合わせる顔がないんです」。坂本堤弁護士一家の遺体発見から半年がたっても、 「オウム真理教被害者の会」会長、永岡弘行さん(57)は一家の遺族に声を掛けら れない。坂本弁護士が会の結成を呼び掛け、活動の基礎を築いただけに「私らが坂本 先生を頼らなければ、こんなことにならなかった」と、十二日に始まる事件の審理を 前に、永岡さんは悩み続けている。 一九八九年十一月二日。永岡さんは坂本弁護士と一緒に歩きながら 「オウムは強硬だから気をつけよう」と言われた。 「カギをもう一つ付けた方がいい」と忠告も受け、 その日のうちにカギと録音機能付きの電話を買った。自宅に戻ると、上祐史浩被告か ら「被害者の会ができたんですね。当方にも考えがある」と電話があった。この二日後、 一家の姿は消えた。 会は二週間前に結成された。「早く被害者の会を作った方がいい。反社会性を問う んだよ」。そう語る坂本弁護士は、大学生の息子が出家していた永岡さんには「地獄 で出会った仏」と映った。 ◆ ◆ ◆ 「私たちは、坂本先生から指示されたことをやってきただけです」。九〇年春、チ ベットに渡り、ダライ・ラマ法王側に麻原彰晃被告称賛の真偽を確認したのは、坂本 弁護士が残したアイデアだった。八九年から九〇年にかけ、宗教法人の認証取り消し のために文化庁や都庁を訪れて「宗教法人に値しない」と訴えた。 「営業マンとして他人と競争してきた私が、坂本先生から他人のために何かをでき ることを教わった。どこまでできるかでなく、やるんだという思いだけでやってきた」 。九〇年一月に息子が脱会後も、この思いで会長を務めてきた。 教団への強制捜査を機に、会には百家族近くが新たに加わった。新会員から子供の 入信が「二年前」などと聞くと、永岡さんは「本当に申し訳なかったですね」と頭を 下げた。もっと早く教団を追い詰めていたら、その子の入信はなかったと考えてしま う。 昨年一月、永岡さん自身も教団幹部からVXガスで命を狙われた。手のしびれ、微 熱、しゃがれ声は治らない。直後の記憶も戻らない。だが、教団に賠償を求めるかど うか迷っている。「何の関係もなくサリンの被害に遭った人を考えたらできない。お 前たちの子供が支えていた団体だと言われたら、と思ってしまう」からだ。 永岡さんがVX事件で刑事告訴の記者会見をした昨年六月、坂本弁護士の母さちよ さん(64)から電話があった。「なぜ(被害に遭ったことを)連絡してくれなかっ たの。寂しかった」と言われた。「お母さんに自分のことでよけいな心配をかけたく ない」と黙っていた。 ◆ ◆ ◆ 話しかける機会はあった。昨年十月の坂本弁護士一家合同葬。永岡さん夫妻も遺影 に花をささげた。さちよさんや都子さんの父、大山友之さん(65)のあいさつに心 が震えた。だが、声は掛けられなかった……。 「我々の子供は生きています。お子さんが罪を犯した人も会にはいますが、まだ生 きていますから。坂本先生夫妻のお父さん、お母さんにもいつかはお話を、とは思い ますが、謝る言葉が見つからない。簡単に割り切れないんです」 永岡さんの坂本弁護士事件は終わらない。 [毎日 3月 9日] ( 1996-03-09 23:25 ) |
神奈川県警が89年11月15日に公開捜査に踏み切ってから、解決までに約6年がかかった。 一家失跡直後、坂本さん宅から教団のバッジ「プルシャ」が発見されるなど、当初から教団の関与が取り沙汰されたが、 宗教法人に対する捜査へのためらいや、教団の証拠隠滅工作などが壁になった。 音のよく響くアパートなのに不審な物音を聞いた住民がいなかったり、 玄関がたまたま無施錠 で、実行役が簡単に押し入ることができたなどの偶然も重なり、踏み込んだ捜査ができなかった。 朝日ニュースCOM:http://www.asahi.com/paper/aum/sakamoto.html
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弁護士というのは、多忙である。一般的に、複数の依頼を同時進行的に処理している。
ここに、わたしが遥か昔、niftyに投稿した文章を引用する。これは、迷路からの脱出
には掲載していない。あまりにも内容がオウムよりであると判断して、自主削除していた物だ。
坂本弁護士は、ものすごい仕事の完成間近であったようだ。
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岡崎被告について
しかし、なぜ?彼は自白したのだろうか?彼の自白がなければ坂本弁護士一家殺害死体遺棄事件は
永遠の闇の中だった。岡崎被告の功績は大きい。しかし、その当人は自白したがゆえに彼自身も罪に
問われることになる。 果たして、そうだろうか? このページにあるように、坂本弁護士が失踪した当日の状況は明らかに異常である。 検察側冒頭陳述に矛盾があると言う意味で異常である。このページに書いて有ることが本当だとしたら、 検察の冒頭陳述は間違っているような気がする。
疑問なのは、なぜ、岡崎被告は自供したのかだ。ここで、「マスコミには
全く出ていない」が、「古いオウム関係者の間では常識」である事例を紹介しよう。
金塊を盗んでオウムを脱出した岡崎被告岡崎被告は、ホーリーネームを持つほど、松本ちずおの古くからの信者であったようだ。 しかし、麻原の選挙運動のさなかに脱走した。そしてその時に麻原の金塊をもって、 逃げたのである。詳しいことは分からないが、その後麻原は全信者に対し、 岡崎のホーリーネームを口に出すことすら禁じたそうである。ここに、麻原と岡崎の関係の片鱗が見て取れる。麻原は岡崎を破門し、岡崎は麻原を 恨み続けたのであろう。 彼が自白することによって、彼は憎いオウムの罪を暴くことができたのだ。 はたして、そうだろうか?(再) 状況が、【変】なのだ。 確かに、死体は出た。それを岡崎被告が自供した。 証拠はそれだけなのだ。誰かが殺害し、埋めて、その場所を岡崎被告に教えて、 岡崎被告が「わたしたちががやりました」も、不可能では無い。 この事件は【変】が多い。 |
参考図書は「日本の黒い霧」松本清張。
検討それはこの人の本を読むことによってわかることがあるでしょう。 題名:権力と戦うための法律知識,出版社:三一新書,著者:千代丸健二(弁護士),(他) 参考投稿:公安事件のもらったメール| 本当にあった怖い話| ★阿修羅の正体について
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