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(回答先: Re: 『中央公論』7月号掲載の榊原論文を評す [現状認識&政策編] 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 8 月 24 日 04:23:30)
お気遣いがこもったレスありがとうございます。
たまには暗澹たる気分になるのも悪くないと思っていますから、“気分転換”になってよかったとも言えます。
現状は、解決手法もさることながら、現状認識の共有化が最重要課題になっていると思っています。
見立てが違っていれば、治療法をめぐる論議も噛み合いません。
そのような意味から、榊原氏は、「構造デフレ」がもたらす金融政策及び従来的政策で対処できない経済的危機についてより突き詰めた内容で提示する手法を採るべきだったと思っています。
それがなければ、トリックスターとして“政府紙幣”構想をぶちかましても、世論に与えるインパクトは少ないでしょう。
>>財の価格はともかく、資産価格が90年代前半の経済状況や経済政策で逆転すると
>>いう淡い期待を抱いていたとしたら、統治者の一員としては適格性を欠くと言わざ
>>るを得ない
>この批判は酷でしょう。宮沢政権の財政出動につき、それを批判し得たものは日本国
>内はおろか、世界中捜してもいませんでした。
そのような説明を読むとやはり暗澹たる気持ちになります。
一介の零細企業経営者が、88年からバブル崩壊を予測し、バブル崩壊後は、資産デフレが持続すると考えていたのに...と言わせてもらいます。
>>資産価格はさらに下落するのが合理的という見通しの上で、財や用役の価格をどう
>>やって上昇させるかを考え、それを通じて資産の名目価格が下げ渋るようにすると
>>いうのが政策立案者の立場でなければならない。
>今となっては、まさしくその通りとなります。問題はどうやって財や用役の価格を上
>昇させるか(コストプッシュ・インフレではなく)、そうなるための需要>供給という
>シーンをいかに生み出すか、ということになります。これには、供給側について言え
>ば就業構造変革(産業別就業人口の変化)、過剰債務・過剰設備の圧縮が避けて通れま
>せんし、需要側をについては、日本経済の過去の消費様態に鑑みるに、最終的には
>「政府の消費主体としての役割増大」しかないと考えられます。
いろいろ書いてきましたが、「最終的には「政府の消費主体としての役割増大」しかない」のだろうとは思っています。
政府がどういう消費の主体になるのかが、就業構造変革を実現する鍵を握っていると考えます。
コストプッシュ・インフレは、輸出製造業が揃って賃上げをするかたち以外の円安要因などであれば、とても一般的に現実化できる状況ではないので、企業収益の圧迫になるだけです。
そのような賃上げ策を採りそうにもないので、“政府の役割”しかないのでしょう。
(あいも変わらずと言うか近代経済主体は建前とは違って本来そういうものと言うか、政府頼みという日本経済が続きますね)
過剰債務・過剰設備の圧縮については、過剰債務と過剰設備を峻別しなければなりません。
過剰債務=過剰設備という観点で処理されていけば、縮小再生産=デフレ・スパイラルに陥ります。
産業分野(及び財政)について言えば、過剰債務はインフレで薄め、過剰設備は需要拡大(本来は供給拡大が市場主義的解決法)で稼働率を高めるという基本スタンスに立つべきです。
それを通じてできるだけ早い段階で停滞している革新的設備更新が可能な状況に移行しなければ、国際競争力の劣化が顕在化します。
>>労働集約的なサービス業や産業が、一人当たりGDPが世界最高水準という高賃金
>>にならざるを得ない条件で生産性を上げることは困難である。
>輸入品競合市場ではその通りですが、国際競争のないサービス産業においてはそうと
>も言い切れますまい。
自分がやっているソフトウエア会社であれば、知的能力で生産性を上げることができます。携帯電話のソフト開発に3千名ほどが関わっているようですが、当社であれば3名で同じ期間に開発することができます。しかし、3千名が関わっているほうが、マクロ的には好ましい状態だと考えています。
産業に関しても、例えばタオルの生産であっても、技術力を駆使すれば、中国よりも低コストで生産できると考えています。ただ、それを追求する経済的意味性や国際分業を考えたとき、追求すべきテーマだとは思えません。
生産性を価額ベースの投入労働量と産出量の関数として考えたとき、生産性を上げる努力は、グランド・デザインと大きく関わる話です。
それなしに生産性=「労働価値」を上昇させれば、デフレ・スパイラルが深化していきます。
商業経済主体は、地価が高く成熟期に入っていながら、巨艦豪華主義と多店舗主義を借り入れで現実化していったためにドツボにはまっています。
これについては、相当程度の過剰債務=過剰設備を圧縮しなければならないと考えています。
どうのこうの言っても、政府が、経済論理=市場原理の枠外で供給=<需要を“創造”
しなければ問題が解決できないとは思っています。