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(回答先: 【世界経済を認識する基礎】 “あっしら”的経済概念の説明:通貨・物価変動論など 〈その2〉 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 05 日 16:26:47)
まず前回はサッカーなどがあり議論が不完全なまま終わったことをお詫びします。今回はきちんと反論するつもりです。
まず全体的な不満を。あしゅら氏の論理はまるで”経済原論”の教科書を読んでいるようでわかりにくいしあじけない。もちろん経済理論を述べられているわけですから使用する用語は定義されたものでないといけないことはわかりますが。私自身はニーチェ的な”神は細部に宿りたもう”という考えの持ち主であり、末梢的なことでも論理をつきつめれば真理にいたると考えています。本題に入る前にまずスタンスの違いを指摘しておきたいと思います。
まず金は希少でしょうか?実は宇宙あるいは地球全体でみると金は水と同様ありふれた金属です(隕石を分析すると必ず水を含んでいるところから宇宙の数%は水と考えられています)。ところが我々は金を希少だと考えています。その理由は2つあると思います。
1)金は比重が重いために地球生成期において地球内部に沈んでしまい大規模な火山活動で地球深くのマグマが吹き出たアフリカなどの地域に偏在しています。ですが金そのものは地球全体でみるとありふれた金属なのです。
2)石油と違い金は無くても生活に支障がないために人類は本気で金を採掘してこなかった。これはヨーロッパが北海油田、ブラジルが海中油田にかけたすさまじい情熱と労力を考えればはっきりします。
これが何を意味しているかというともし金があしゅら氏のいわれるように価値の基準となるほど重要性を持ってくればその供給量が飛躍的に増えるだろうということです。例えば海水にも金はとけています。日本の科学技術を使い海水から金を抽出することが今行われてないのは現在の金価格ではペイしないのと石油と違い金をとりだす逼迫した事情がないからです。金は海底にもあります。月にもあります。金の供給は実質的に無限と考えるべきでしょう。
さらに我々は金を保有すること、それ自体を望んでいるのでしょうか?私は危機的状況において自分の生活に必要な物資を確保するために保有すると考えます。もちろ金はんヘッジですから危機的状況を想定しないと意味がありません。
ところがそれなら金を売却して買い求める現物自体を保有すればよいのです。具体的には食料を備蓄し、石油を備蓄し、チタンやコバルトという産業用の需要が高まりつづける希少金属です。実際、日本は希少金属の備蓄をしています。おもしろいことにチタンなどもやはり重いために地球の内部に沈んでいるために希少なので金の産出国と希少金属の産出国はかなり重なります。もし金が危機的状況に対するヘッジなら、金を売却して購入するであろう物資を備蓄しても同じではないですか?
さらに消費されないという面なら土地も消費されることはありません。実際80年代までの日本はかなり土地本位制だったとおもいますが(これは厳密な定義された用語としては使っていない)、それならこれからの混乱期に土地という現物資産に向かってもよいでしょう。金は供給量が増加することが考えられますが日本の国土が2倍になることは絶対ないでしょう。
さらに金はとかすことにより何度も再使用できる、しかも劣化がないといわれますが、アルミや銅も回収されて何度も再使用されています。ある計算によると現在日本にあるアルミ窓枠を回収すれば日本はこれからアルミを輸入する必要は無いとまでいっています。確かにアルミや銅は希少性はありませんが、その代わり確固とした産業用価値が存在します。銅の市場規模は金より大きいのでは?
なぜ価値がない紙幣で財が購入できるかと問われていますが、それは紙幣に価値があるからです。正確には、日本人が日本および自分たち自身に対しこれだけの価値があると査定します。それは為替レートなどで対外的にも確認されます。この日本人が日本という国に対して価値を見出し、日銀はその価値を紙幣という細分化した単位で流通させているのです。日本は民主主義の法治国家ですから日本の価値を体言しているのは日本というシステムです。決して日本政府が保証しているから日本円に価値があるのではありません。日本人自身が日本に価値を見出し、日銀がマネーサプライによりその価値を流通させているのです。例えば不動産は現物資産ですが、これを証券化すると金融資産になり市場にはば広く流通させることができます。これを大規模にやってると考えています。
ほとんどの日本人は外国に移住しようと考えていませんから、結局日本円が価値あるかどうかは自分を信じるかどうかでしょう。
では90年代以降日本人が考える日本の価値が下がったように見えるのにデフレになったかは、日銀が”生きた”マネーサプライを行うことができなかったからです。山一証券がつぶれた頃も日銀は十分な流動性を供給していましたが、それは退蔵されたために実際に市場にでまわるマネーはへったのです。マネーが減ったのですから現物資産が安くなり紙幣が高くなるデフレが起きてもあたりまえでしょう。
以前の議論に戻りますがやはり価値というのは見る人の心の中にあるのであり、日本人は、民主的で言論の自由があり平和で最低限の人権が守られている日本というシステムに価値を見出しているのです。その価値を流通させるために紙幣があると考えればむしろ昔、金本位制度が存在したのは社会が未熟であったというしかないでしょう。
何度も断りますが、私は経済の専門家ではないのでできるだけ平易な表現でお答えいただきたいと思います。