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(回答先: 経済学は社会科学の王道のはず 投稿者 楽観派 日時 2002 年 7 月 06 日 23:09:26)
楽観派さん、こんばんわ。
>私は経済学は社会科学を高い次元で統合する社会科学の王道である考えています。
経済学は、「近代経済システム」を対象にすることによってのみ成立する歴史限定的な科学だと思っています。
そして、経済学が成立しなくなる「社会システム」のほうが好ましいと思っています。
むろん、「近代経済システム」である現在においては、社会科学の基礎だと思っています。
>さて鉛が金になるようになっても近代経済の論理はいぜんとして成立すると言われて
>いるように思いますが、弁証法的な量の多寡が質を変えるという命題は信じておられ
>ないのですか?
鉛が金になることが、近代経済の事象ではなく、近代経済の論理にどういう影響を与えるというのでしょうか?
量的発展が質を変えるという弁証法の命題は信じていませんが、その命題と前段の内容とはどういう関わりがあるのでしょうか?
>もし鉛をすべて金にすることができれば金を特別扱いして議論する、あるいはご自分
>の議論を展開する上で物理特性に依存してるがゆえに最もわかりやすいから例として
>扱うという主張と矛盾が生じると考えますが。
どういう矛盾が生じるのかご指摘ください。
金をことさら取り上げているのは、金本位制という歴史的経緯があったからです。
金に関しては、「労働価値」がかたちになった財ということでは他のあらゆる労働成果財と同じです。
しかしながら、金塊のまま蓄蔵されている量が膨大で、同じ金塊が、通貨のように減価しないで何度も経済取引で使われています。
自動車や航空機を含めた他の財は、消費されてしまうか、減価したものとして有限回再取引されるものです。
オリジナルでは、そのような金のあり方は経済論理的に不自然でああるがゆえに、価格管理は難しく、価格崩壊する可能性もあると書いています。
「労働価値」の説明で金を取り上げたのは、貨幣として使われていたという歴史的経緯を踏まえながら、冷蔵庫や自動車のように同じ使用価値でありながらいろんなものがあるわけでも、自動車などのようにその財を半分にしてしまうと使用価値がなくなるわけではないので、説明のネタとして便利だからです。