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(回答先: 経済学的説明そのものの妥当性を疑っています 投稿者 楽観派 日時 2002 年 7 月 06 日 00:59:14)
楽観派さん、こんばんわ。
ことさらレスを書き込む必要はないのかなと思っていますが、昨晩のレスを焦って書いたという事情もあるので、その捕捉を兼ねて..
>そうした社会では従来の経済学的説明は無力であるという考えに基づいています。
従来の経済学的説明は無力であるとは言わないまでも、私も不十分だと判断しているので、書き込みを続けています。
>例えば、海水から金を取り出すような考察はあしゅら氏の投稿に対する反論としては
>不適格であると主張されておられるようですが、静的な考察や論理では不充分だと考
>えます。
この件については、書こうと思って書き忘れていたので、そういう誤解を与えたかも知れません。
経済論理では、海水から金を取り出す「労働価値」が、現在の金生産システムよりも高いかどうかのみが問題になります。技術手段の違いは捨象できるということです。
お金になる技術というのは、使用価値がある物を新たに造り出したり、従来からある財の生産効率(「労働価値」)を高めるシステムを造り出すことだと思っています。
(直接的にはそうではなくても、それにつながる科学研究もあります。また、お金にならない研究も有意義だと思っています)
>例えば過去の投稿でも一度触れられましたが錬金術は荒唐無稽でしょうか?ナノテク
>ノロジーの次のピコテクノロジーまでいけば鉛を金にかえることもできるかもしれま
>せん。
荒唐無稽だとは思っていませんし、それが科学的知見の質と量を高めたと思っています。
科学的錬金術ではなく経済的錬金術を成功させたのが、世界経済支配層です。
おっしゃられるようになっても、「近代経済システム」である限り、「労働価値」を含む経済論理は働きます。
鉛を原料として金を造り出す「労働価値」と、金鉱石を採掘・精錬して金を造り出す「労働価値」のどちらが高いかです。
鉛を原料としたほうが高ければ、単位価格は安くなりますので、金鉱山は閉鎖の憂き目に会います。(金生産用の鉛がなくなれば再開しますが...)
>あるいは人々の価値観が大きく変わり地球環境を守るためなら貧乏になってもかまわ
>ない(炭素税の負担など)と考えるようになるかもしれません。
先ほども書きましたが、おっしゃられるようになっても、「近代経済システム」である限り、「労働価値」を含む経済論理は働きます。
そう思っているので、「近代経済システム」の中枢(経済活動規定論理体系)を探っています。
>私の考えは経済事象を経済学だけで説明することは現在意味を失いつつあるというこ
>とです
「近代経済システム」の合理性と人々の価値観との齟齬がより拡大してきたことが、そのような現実認識を持たれる一つの要因だと思います。
また、経済主体は、「近代経済システム」の論理に対して必ずしも合理的判断して動くわけではないので、“ゆらぎ”の経済事象がどうして起きるかについては、経済学を超えた考察が必要になります。
私の目的は、経済事象から歴史的合理性と“ゆらぎ”を峻別することでもあります。
歴史的合理性と言うのは、「近代経済システム」が歴史限定的なものだからです。
この歴史限定性を解き明かしたいとも思っています。