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(回答先: 結局は所得の再配分ということでしょうか。 投稿者 せいがく 日時 2002 年 11 月 08 日 08:38:02)
せいがくさん、こんにちわ。
>結局のところ、あっしら氏は資本主義、もっと言えば私有財産制や利益追求そのもの
>を否定しているわけではない。これらの根本にある欲動は、他人より金を持ちたい、
>贅沢をしたい、金の力を使って自らの影響力を強めたい、ということである。こうし
>た根源的欲求そのものの批判ではなく、それら欲得の結果として経済がうまく回らな
>くなることの方を問題視しているのである。
即時の否定を主張しているわけではありませんが、結局のところは、生産手段の私的所有を否定しています。(利益追求は、活動の動機として、意味合いや手段が異なるかたちで肯定しています)
資本主義経済社会は「他人より金を持ちたい、贅沢をしたい、金の力を使って自らの影響力を強めたい、ということである」であると認識されがちですが、お金自体に価値があると信じている人は少数だと思っていますので、「欲しい財や用役をできるだけ多く手に入れて贅沢をしたい、精神活動を重視する人であれば自らの影響を強めたい」というものだと考えています。
「それら欲得の結果として経済がうまく回らなくなることの方を問題視している」のではなく、“現段階”では、誤った経済行動のために経済が巧く回らなくなり、欲得も実現できないことを問題視しています。
>利益を上げることも、その利益が再投資され経済に還流してゆく限りは問題ではな
>い。ただ、そうなりにくい状況があるから、中低所得層の減税や給与の上昇を通じて
>消費の"元手”を消費中核層に与えるべきであるとする。即ち、あっしら氏の論理の
>核心は、経済活動による果実の再分配の問題である。果実の再分配に偏在が見られる
>(つまり貧富の差が拡大する)、それが一国の最終消費の総和が最大化する組み合わせ
>になっていない、ということである。
ニュアンスの違いはありますが、政策論としてであれば、せいがくさんのまとめにそれほどの異論はありません。
しかし、“金持ち”がお金を使って貯め込むことをしなかったり、銀行が代わりに使ってやる状況であれば、現在の税制や所得配分状況でも問題視はしません。
“金持ち”が使う対象の財や用役のほとんども“貧乏人”が従事する供給活動によるものですから、全体が巧く回ることになります。
国際取引を脇に置けば、一国の最終消費の総和=最終供給の総和なのです。
>この問題を解消する方法を最も単純化すると次のようになる。日本で最も所得の高い
>人(仮に100億円の所得とする)から最も所得の低い人(失業中で所得0円)まで、6千万
>人をずらっと一列に並べる。それを何階層かに分け(例えば10階層)、税引後の可処分
>所得の分布が最終消費の総和を最大にするような階層ごとの所得税率(所得0円層に
>は補助金)を定めれば良い。こうすれば、民間私企業経営者に向かって「給与を上げ
>よ」などと無理な注文をする必要もなくなる。
このアイデアは、経済的停滞を厭わずに供給=需要を実現するためのものとしては意義があると思います。
しかし、使われずにしまい込まれる通貨を減らすことにはなっても、経済を拡大できるアイデアではありません。
貿易収支黒字が増加せず、赤字財政支出も増大できないのであれば、デフレを招かずに経済を拡大するためには、「給与を上げよ」しかありません。
それを梃子にすれば、供給活動力を量的拡大ではなく質的向上に転換させていくことができます。
>問題は、このような理想的な所得再分配のための税率が確定できたと仮定して、それ
>によって日本が現在の経済的苦境から本当に脱出できるのか、という点にある。直感
>的には、このような所得税構造の変革は若干の消費増加には繋がるだろうが、とても
>全ての問題を解決するようには見えない。経済が好循環を取り戻すためには、所得の
>再分配だけでなく、経済社会の構造そのものが時代にふさわしいものに変貌を遂げて
>行く必要があるように見える。
「経済社会の構造そのものが時代にふさわしいもの」という問題提起はきわめて重要なものだと考えていますので、せいがくさんが考える内容がどのようなものかを簡単でもいいですから、お示しいただければ幸いです。