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(回答先: 「疑似公務員制度」という人的資源の「新旧勘定分離」について 投稿者 あっしら 日時 2002 年 11 月 11 日 16:38:21)
あっしらさん、こんにちは。
>過当競争と過剰人員を整理することで、国際競争力が上昇して輸出が拡大しない限り、過当競争と過剰人員を整理しても、デフレ不況がさらに深化することになります。
>(「擬似公務員制度」を維持するためには、当座は赤字財政支出でも原理的には増税が避けられません)
>輸出(経常収支黒字)拡大抜きで、「供給側が極めて効率的になり、巨額の利益を産める体質になる」論理をご提示いただければ幸いです。
おっしゃる通りデフレの深刻化、財政負担の増大(増税)が問題となることは間違いないと思います。そのデメリットと供給側が効率化されてゆくメリットの
比較考量の問題だと思います。また、輸出拡大抜きで利益を産むには、内需が拡大するしかありません。どうすれば、人々が消費を拡大するか、という問題でもあります。私見では、老後、疾病、住宅、教育の4つが公的にしっかり整備されれば、人々が過剰に貯蓄に走ることなく、消費性向も高まるのではないかと思います。そういう政策が必要なのではないでしょうか。
>しかし、需要体制は従来のものが保てなくなるわけですから、供給力過剰になります。
赤字財政支出が究極は増税で賄われるというものであれば、少なくなった供給体制のなかから、多くなった「疑似公務員」向けにより多く吸い上げる必要ありますから、需要が減少し、これまでと同じように縮小均衡に向かっていきます。
>供給=需要ですから、物理的な供給量を維持したとしても、金額的な供給が減少すれば需要が同じように減少するので、デフレは解消できません。
>「そういう体制を確保したら経済が好転し、新たな発展が期待できる」のは、完全雇用状態や資金不足状態にあり、労働力や資金を他に振り向けることで輸出の拡大が実現できるときのみです。
おっしゃる意味は分かるつもりですが、もう少し動態的に考えて見たいと思います。多分かなり欠陥のあるメタファーですが、次のようなお話のどこが間違っているか、ご指摘を戴ければと思います。
100人から成り立っている経済がありました。それぞれが生産者であり消費者です。ある時、10人少なくても同じだけの生産量が確保できることに
気づくものが出てきました。その者が提案しました。「100人だと競争が激し過ぎて誰も儲からない。競争するのは90人くらいで十分だ。くじびきで10人ほどを隔離し、屋根裏部屋にずっとこもってもらうことにしよう。」そこで10人だけを隔離し、経済活動を営んで見ると、前と同じ生産量が得られただけでなく、製品価格の上昇により、90人の所得も大幅に増えました。産み出された付加価値の総額は100人で担った経済よりも90人で担った経済の方が上回りました。隔離された10人は貯蓄を取り崩しつつ、他の皆から寄付を受けながら細々と生活をしました。このため、この10人は仕事と収入があった時の半分程度しか消費をしておらず、全体の消費が落ち込むのではないか、と懸念されていましたが、将来の明るい展望に気をよくした他の90人が、この消費減を補って余りあるほどの消費を行ったのです。前より金持ちになった90人は、さらに消費意欲がかきたてられ、同時に生産者としての総意工夫や新規投資にも意欲的となり、翌年には生産量を増やしただけでなく、製品価格も上げる事ができ、デフレから完全に脱却しました。人手すら足りなくなりはじめ、隔離した10人から3人か4人くらい経済の世界に引き戻さなければならないな、と感じられるようになりました。
この物語のエッセンスは、次のようなことです。即ち、失業者の消費が減るためこれが投資マインドを萎えさせるのは分かる。しかし、同時に供給再度で改善した部分もあるのだからそのメリットがデメリットを上回らないとは予断できない。勝ち組みと負け組が混在したままでは自律回復は不可能。負け組の処遇は別途考える必要はあるが、勝ち組(の消費者と供給者)のエンジンを全開がどうしても必要。